※この作品はR-18です。

DQ8 マイエラのきょうだい   作:ぽんぽんペイン

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汚職事件です。大がかりなことではないのですが、題名が思いつきませんでした。
主な登場人物:マルチェロ、ククール、オディロ院長、ガルシア(騎士団団長)、コントレック公爵、ニノ司教


汚職

1

「しかし、すごいものだな」

感嘆の声が思わずもれたのはガルシア団長でした。彼の執務机には、前年度の収支報告書。

 

「それも、下半期だけでこの額か。今年度も期待できるのではないか?」

「おそれながら団長殿、昨年度の伸びは特別であって、今年度はこのような伸びはありません」

あまり良くはないマルチェロの報告にも、ガルシアは口の端を上げたまま挑戦的な目を向けます。ガルシア団長も、寄付金の額が飛躍的に伸びたのは、ククールやメルソーの働きのおかげだということは分かっています。この二人が文字通り身を差し出して得たゴールドは、これまでにない額になっていました。

 

「そうか。しかしマルチェロ、貴様の顔には何か策がある、と書いてあるが?」

「はい。祈祷……夜の方ですが、これまでのように全ての依頼を受けることをしません。まず、普通の祈祷に呼んで頂くか、こちらに足を運んで頂くかし、ある程度のつながりをもって頂いてから……もちろん、オディロ院長のミサにもおいでいただきます」

「しかしそれでは、既に予定された方から苦情が出るだろう?」

その点は問題ありません、と、マルチェロは声のトーンを一段低くして言いました。

 

「まず、やり方が変わったことを丁重にお詫びし、無償の……通常の祈祷を行います。団長殿、いきなり夜の祈祷は危険なのです。近頃は、その、様々な趣味の依頼人がいるようで、こちらの身がもちません。二人で出掛けることにしたのはそういった「危険な」依頼人から団員を守るためでしたが、今後はこちらが夜の祈祷に行ってもよいと判断できる人物のみにしたいのです」

「それでは寄付金が……」

言いかけたガルシア団長を制してマルチェロは続けました。

 

「はい。ある程度の寄付を頂けて、それなりの地位のあるかただけに絞ります。ハードルを少し高めにすることで、依頼人のレベルが上がるのです」

「なるほど、一見さんお断り、と言うわけだ。しかし、依頼人が減るだろう?」

ガルシアは背もたれに身体をあずけ、腕を組みました。

 

「はい。間違いなく。ただ、これは、アスカンタのコントレック公爵様に認めて頂いた案件です」

「コントレック公爵?」

「ええ。騎士団の人数が増えているので、訓練に支障が出る、と相談いたしましたところ……」

アスカンタの名門、コントレック公爵の名が出されては、ガルシアも反対することなどできません。

 

「人件費問題か」

「はい。それから、報告が遅れましたが、ククールに関しては公爵様のお名前を出すようにとの強いご希望がありましたゆえ、そのようにさせていただいております」

「そうか、公爵お手付きとなれば、誰もがおいそれとククールに祈祷を申し込めまい。何かあればすぐに公爵様の耳に入る」

それなりの寄付が期待できる、とガルシアは膝を叩きました。

 

「この件、お前に任せても?」

「無論です。それから、こちらに来られない遠方のかたや高齢のかた向けに、免罪符の発行を考えております。院内でも気軽に購入できるようなものと、特別な免罪符をと。いかがでしょう」

「免罪符……。以前もこの話はあったな」

 

ガルシア団長はかねてより免罪符の発行に反対していました。もちろん、マルチェロもその事は承知です。ほどいていた腕を再び組み、ガルシアは眉を寄せました。

 

「ええ。急ぎません。団長殿、お考え頂けたらと。我が修道院は経済的にこれまでにない危機が迫っております」

渋い表情を浮かべているガルシアも、それはよくわかっていました。

 

いくら神に仕えるとは言っても、騎士団員や修道士の俸給を出さねばなりません。維持費や消耗品の購入にもゴールドは必要です。

以前は多額の寄付と共に、貴族の男子が、ちょっとした箔をつけるために騎士団に入団してきました。ところが、門戸をあまりに開きすぎたため、規律を守らないバカ者が増えてしまったのです。マルチェロが副団長になってからの改革で敷いた選抜試験は、そういった箸にも棒にもかからない低俗な輩を排除することに成功していました。しかし、貴族からの苦情を避けるため、選抜試験を受ける代わりに、寄付を任意としたのです。それにより、修道院の収入は激減してしまいました。

 

「免罪符の件は、しばらく預けてくれ。オディロ院長とも話してみる」

よろしくお願いします、と頭を下げて、マルチェロは団長室を後にしました。

 

免罪符は簡単に寄付金が集まる、しごく単純な仕組みなのに、とマルチェロは思います。

 

──もったいつけて祈祷の申し込みをさせたりするより手っ取り早い。教会の敷居をあげてなんの得があるのだろう。女神はすべての人間に平等ではないのか。

金持ちが大枚をはたいて祈祷を受けたがるのはわかる。そいつらにはもっともったいつけて寄付をさせればよい。そのことはお互いの暗黙の了解。たくさんの寄付をすれば「さすが伯爵様」などと、地元での株があがる。だから我々も、特別な祈祷をする。先方の希望に沿うように。ただ、それ以外はどうだ? そんな取引のような祈祷など考えない、純粋に女神への祈りをささげたり、我々の話を聞きたがりする者たちは? 相場がわからなくて小遣いのすべてを差し出した子供もいた。寄付の額が女神の慈悲の値段だと思い込む頭の悪い商人もいた。免罪符にすれば簡単なのだ。

免罪符。ガルシア団長はなぜあれほどまでに反対するのだろう。まあ、オディロ院長もあまり良いとは言えない反応をなさる……。免罪符など、ちょっとしたお守り程度に受け取っておけばよろしい。高価な貴金属を寄付されるより、ずっと効果的だというのに。

……偶像崇拝している時点で、神への祈りなど、ポーズにすぎぬ。本当の祈りは、偶像も聖架も無くてよい。しかし、教会に帰依する者以外は何らかの「しるし」が欲しいのだ。俗世においては、それは必要だ。女神像を持つのは良くて、免罪符はいかん、というのはおかしい。

 

神の名のもとに、とは使える言い回しだ、とマルチェロの脳裏には、およそ僧侶には似つかわしくない言葉が浮かんでいました。

 

2

「もうやめさせて下さい」

「怖じ気づいたか、ガルシア」

「……」

「少しでよいのだ。今まで通りの額で」

「しかし、帳簿がきちんとつけられておりまして、誤魔化しようが……」

「そなた、団長であろう? 帳簿などやめればよかろうに」

「……それが」

 

久しぶりに休暇をとったガルシアは、ベルガラックで最も会いたくない人物と向かい合っておりました。

 

「なんじゃと? うーむ」

目の前の男は、身なりこそ簡素でしたが、指には趣味の悪い、大きな宝石のついた指輪をいくつもしています。

 

「……ニノ様、親の代からお世話になっております。こんなことを申し上げるのは恐縮なのですが、あからさまにゴールドを横流しするのは……」

「ガルシア? わしは横流しせよとは言っておらん。いつ何時もな。ただ、そなたが少し都合すれば、サザンビークの教会の権利を譲れると思う、と申しただけじゃ。その……なんとかいう副団長を左遷すればよろしかろう?」

「それはできません。あれほど頭の切れる者には会ったことがありません。修道院の赤字も少しずつ減り……」

「赤字が減っているならよいではないか。ゴールドがまずいと申すなら、寄付の品でもよい。そなたたちとて、大司教や世話になった貴族に礼を尽くしておるじゃろう?」

「そうですが……」

ならば何を迷うことがある、と、ニノ司教は小さな身体を鳩のように膨らませ、マイエラ修道院聖堂騎士団長のガルシアを睨みつけました。

 

「のう、ガルシア? そなたの実家が安泰なのは誰のおかげかな?」

「……それはニノ様のおかげでございます」

「ベルガラック地方の山裾で、母御を助けたのは誰だったか忘れたか?」

ニノは、テーブルの向こう側から額を寄せてきて、囁きました。

 

ガルシアはサザンビーク出身。父親はサザンビーク城の兵士で、ガルシア15歳の時に殉職。ガルシア自身も兵士でありましたが、夫と同じように息子を失うかもしれないと危惧した母親が、サザンビークを出て、長男ガルシアをマイエラ修道院に預けたのでした。

 

──剣の力のみに頼ってはなりません。神の教えを広く学ぶのです。オディロ様にお導き頂くのです。

 

別れ際に聞いた母の言葉が遠くで聞こえた気がしました。

 

──いつの間にか、あの母の言葉もかすかにしか聞こえてこなくなってしまった……。

 

「そなたをマイエラに送ったあと、母御は小さな子供らを抱え、サザンビークに戻る途中であったな……」

ああ、ニノはこうして恩着せがましく言うのです。ガルシアからの上納金が滞りがちになると。

 

団長就任以来、真面目なガルシアは自分の俸給から恩返しのつもりで実家経由でニノに付け届けを行ってきました。ニノも初めは「季節のご挨拶」程度に微笑ましく受け取っておりましたが、自身の欲と出世のための資金源として、ちくちくとガルシアに嫌味を言っては金品のレベルアップを要求するようになったのです。

そして10年前、ガルシアの実母が亡くなってからそれがひどくなりました。その頃は、修道院のゴールドの管理は団長になっていたガルシアがほとんど一人で行っていましたので、豪華すぎる宝石等を売ったゴールドの一部などを、ニノの言うように、日頃世話になっている貴族や大臣、上級の教会関係者への「季節のご挨拶の品」として利用することはありました。

 

──所謂、「常識の範囲」だ。この件に関しては、あのきっちりしたマルチェロも認めている。付け届けは必要経費だと。しかし、今以上は……。

 

実直なガルシアは気づいておりませんでした。ニノはガルシアを単なる小遣い稼ぎでなく、本格的な金づるとして育てていたということを。

 

「……まあ、今回は休暇で戻っていたのだったな。墓参りでもして、そこの所をよく考えるのじゃな」

ニノは、憎らしいほどあっさりと言い放ち、席を立ちました。

 

ガルシアをマイエラに送った後、のたれ死にしそうだったガルシアの母と小さな弟妹を救ったのは、家柄もよく、慈善家であったニノの父でした。ニノは、父の死後も礼を尽くしてくるガルシアの実家を悪く思うはずもなく、そのまま繋がりを持ち続けていたのです。

 

「ニノ……。出世も大概にしないと足元をすくわれるぞ……」

誰に言うともなく、ガルシアはひとりごちました。

 

ベルガラックの夜は長く、次々に新しい客がやってきます。女癖の悪いニノはゴールドに物を言わせ、上等な娼婦と宿屋へ消えて行きました。

 

3

「団長殿、いかがされましたか? 休暇でお疲れになったとは思えませんが……何か不手際でもございましたでしょうか」

ここは団長室。自分が留守の間の出来事を、副団長のマルチェロから報告を受けたところでした。

 

「いや、すまん。少々強行軍だったのでな。寄る年波には勝てんのか……。まあ、私に何かあったら、お前に全て託すよ」

マルチェロはわずかに眉をひそめました。

 

ガルシア団長の不安材料から書簡が届いたのは、それから一月ほど経った頃のこと。その間、ガルシアは金策にあぐねており、ニノへ向けての付け届けはできないままになっておりました。

 

「……先般の事、忘失なきよう重ねてお頼み申し上げる。尚、貴殿の弟君はトロデーン領西の教会の司祭に着任。末の妹君について配慮致す所存……」

 

「司教の地位に何の不満があるのか!」

ガルシアは至って真面目でありました。自らの安泰より家族が心配でなりません。

 

──弟たち全てが教会に勤めることができたのは、ニノの力添えがあった……。確かに、力添えしてもらった。しかし、こちらが頭を下げた訳ではない。ニノが好意で行ったこと……。

我ら兄弟は嫌が応でも必ずニノの名がついて回る。いっそ縁を切れたら……。あの男は強大になりつつある……。このままでは、末代までたかられるのは間違いない……。

 

ガルシアの3人の弟は皆、伴侶を得ず、独身を貫く覚悟でした。しかし、末の、ただ一人の妹。尼僧院に入れたはずである妹。

 

──妹に関しての配慮とは……一体?

ガルシアは胸騒ぎがしてなりませんでした。

 

 

「団長殿、面会です」

ニノの書簡を受け取った翌日のことでした。

 

「兄上! お久しゅうございます……お元気そうで何よりです」

渦中の人、ガルシアの妹でした。聞けば、はるばる一人でベルガラックからやってきたというではありませんか。身体が弱い妹のグレーテ。マイエラまでの道程は厳しかったはずです。

 

「グレーテ! お前も……いや、少し顔色が悪いのではないか?」

ガルシアが心配する通り、グレーテの顔は血の気がなく、青い修道服が目に刺さるようでした。

 

「はい。……実は臓腑の病かもしれないのです」

グレーテは、進められた椅子に力なく座り、それでも背筋を伸ばし、毅然として兄の目を見つめます。

 

──美しい、儚くも強い我が妹……。

 

「医者には診せたのか?」

「はい。空気の良いところで療養せよと言われました」

「ベルガラックはそんなに空気が悪いのか?」

「いえ、海風がよくないのだろうから、もう少し山のほうがよいということです」

先の休暇で訪れたベルガラックのことを思い、ガルシアは少しめまいを覚えました。

 

「どの辺りだ?」

「アスカンタです。少しでも兄上のお近くにと思いまして」

「そうか。それがよいな」

アスカンタ、と聞いてガルシアは安堵のため息をもらしました。自分の目の届く範囲に妹がいるなら、ニノの世話にならずに済むのではと。

しかし、妹の口からは、聞きたくなかった人物の名が発せられました。

 

「兄上、ニノ様が兄上に良しなにと仰せでした」

ガルシアは身を乗り出します。あまりの形相に、グレーテはびくりと身体を縮めました。

 

「……ニノ様が医者を紹介して下さったのです。名医だと。アスカンタの……」

「……医者を?」

「それから……ニノ様は住まいを用意して下さいました」

「住まい? どういうことだ?」

ガルシアが思わずひそめた眉。長い間自らの信念を貫いてきた力強い瞳に、影のような炎が現れました。

 

「……ゆっくり養生するためには、アスカンタの教会から通うよりはと…ニノ様の別荘を……」

ガタッと音をたてて、ガルシアは勢いよく立ち上がりました。

 

「情婦になれと言うのか?」

「兄上……」

「許せん、ニノめ!」

グレーテは、今度はひるまずまっすぐに兄を見上げます。

「違うのです! 兄上、私の命はそう長くありません。ならば、兄上のお役に立ちたいと思ったのです。私の意志です」

「私の役になど立たずともよい。医者などいくらでもあろう。まず身体を治し……」

きっぱりと言い放つグレーテに対し、ガルシアの声は消え入るようでした。

 

「兄上、そのようなことではないのです」

「……意味がわからぬ。グレーテ」

「兄上、私が一人で決めたことです。お聞き届けくださいまし」

「グレーテ! 早まるな!」

「お手紙を書いておきました。数日のうちに届きますかと……」

グレーテは立ち上がり、深々とお辞儀をしました。ガルシアはたまらず駆け寄ります。

 

「兄上……。どうぞ、お達者で……」

ついに堪えられなくなったグレーテは、兄の胸にすがり、兄上、兄上と、何度も口にし、嗚咽をもらしました。

 

「グレーテ……」

兄はしっかりと妹を抱きしめ、ニノにもてあそばれている自分たち一族の運命を呪いました。

 

 

ある晩のことでした。

マルチェロが団長室を訪れています。

 

「団長殿、地方教会への贈り物が多くはございませんか?」

「ああ。そうだな。すまない。気を付けよう」

「……」

 

「何だ? マルチェロ」

じっとガルシアを見るマルチェロ。その視線をしばらく無視していたガルシアでしたが、圧迫感に耐えかねて、再び口を開きました。マルチェロは視線を外さず、低く落ち着いた声で進言します。

 

「先日、コントレック公爵様にお会いしました。その時に、我が修道院が寄贈したという壁飾りを拝見いたしました」

「……それが?」

「帳簿にあるほどの価格とは思えませんでした」

「……」

「また、アスカンタの司祭宛に対の花瓶が贈られたとありますが、実際は1つのようですな」

「帳簿をつけ間違っていたのだろう。気を付けよう」

風の強い夜でした。執務机の細い蝋燭は、外の風の音だけで消えてしまいそうでした。

 

「団長殿、もしやゴールドを無心されているのでは?」

「私がたかられていると?」

「そうです。団長殿は多すぎる賄賂を贈るような方ではありません」

かなわんな、マルチェロよ、と言って、ガルシアは立ち上がりました。

 

「ご相談いただけたら……」

「個人的なことだ」

「団長殿の俸給がずっとありませんが? 何か関係が……」

「個人的なことだ!」

珍しくマルチェロに対して声を荒げるガルシア。

しかしマルチェロは髪の毛一本さえも動かしません。

 

「マイエラ修道院は、団長殿のものではありません」

「お前のものでもない」

「誰なのです? 院長様にもおっしゃれないことなのですか?」

「私はきょうだいを売るような真似はせん。お前と違ってな……」

マルチェロは顔色一つ変えず、静かに机に帳簿を置いて団長室を辞しました。

 

 

二日後の団長室。マルチェロを呼び出していたガルシアは、書類を一枚、机から出します。

 

「マルチェロ、免罪符を発行する」

「そんなにゴールドが必要なのですか?」

「院長様も同意して下さった」

ガルシアはマルチェロの問いには答えず、オディロ院長のサインの入った書状を見せました。

 

「但し、当面は祈祷先で売る。修道院内で免罪符の話をするな。試用期間だ」

「本当に院長様が同意して下さったのですか?」

「コントレック公爵様から祈祷の依頼がきている。ククールと行け。表に馬車を用意してある」

「今からですか? 団長殿!」

「コントレック公爵様には免罪符を売らぬ。よって、話もしてはならん」

「どういうことです? 院長様はなぜ急に許可されたのですか?」

ガルシアは、いいから行け、と言いながらマルチェロを追い立てます。

わけのわからないまま、マルチェロとククールは馬車に押し込まれました。

 

「……副団長殿、ガルシア団長殿はどうかしたんですか」

「どうかしたとしても、貴様には関係ない」

隣で腕組みするマルチェロを、ククールが心配そうに見上げます。忌々しいと思うククールのことなど、今はどうでもよい気がしていました。嫌な予感がします。ガルシアは何をしようとしているのか。

 

3

アスカンタの山中にあるコントレック公爵邸。マイエラからは馬車を乗り継ぎます。公爵邸の敷地に入る頃には、月が白く現れていました。

 

きょうだいそろってコントレック公爵邸を訪れた日。それは、ククールが初めて公爵邸を訪れた日でもありました。公爵はかねてより、マルチェロに「自らの全てを受け取れる者」が見つかったら連れてくるように言われていました。それは、肉欲を、ということではなく、怒り、悲しみ、愛憎、マルチェロの持つ感情の全てをぶつけられる相手ということでした。そして、公爵の目の前で性交を見せた二人。公爵はククールをとても気に入り、その後も、時折ククールを祈祷に呼びました。公爵は、人の身体をもてあそぶような趣味はないので、いわゆる夜伽ではなく、様々な話をしては、ククールの見聞を広げる助けをしていました。

 

しかし、今日は二人で。きょうだいで訪れるのは二度目でした。ククールは、初めての時のように再び兄に抱かれることを想像していました。一方のマルチェロもその考えがなかったわけではありませんが、今はガルシア団長の様子が気になってなりません。

このまま上の空では、公爵様は心配するだろう……マルチェロは努めて平静を装いました。

 

 

「久し振りですね、マルチェロ。ククールと仲良くしているかね」

「ええ、程々に」

目の不自由なコントレック公爵が、屋敷の使用人に手をとられて応接室に入ってきました。マルチェロはその手をとっていつもの安楽椅子に案内します。

 

「二人とも来てくれて嬉しいよ。ゆっくりしていきなさい。……二晩泊まって行くと修道院には伝えてある」

一刻も早く修道院に帰りたいマルチェロは、驚いて目を丸くしました。

 

「二晩もですか? それでは祈祷内容がもちますかどうか……。もともと、公爵様にお伝えできるようなお話はございませんし……」

「いやいや、よいのだよ、マルチェロ。君たちとおしゃべりしているのが楽しいのだ。それに今回は、私の方から話がしたいんだ」

くつろいでくれと言い、公爵はバルコニーを開けるよう命じました。

 

「月明かりがまぶしいほどです」

食事が済む頃には、開け放たれたバルコニーの真ん中まで月が昇っていました。

マルチェロとククールに伴われ、公爵はバルコニーに出ました。夜風が山の静寂を運んできます。目の前に月光、足元に闇。どちらを向いても吸い込まれそうだと、マルチェロは思いました。

 

「……そのようだね。私にはもうほとんど明暗しかわからないよ。君たちの顔もよほど近づかなければわからない。でも今夜は女神様のお慈悲を受けることができたようだ。君たちの瞳の輝きがよくわかる。本当に美しい」

マルチェロは翡翠の色、ククールはサファイアの色。月光を映してきらめきます。

 

「ククール、君に贈り物だよ。君が初めて来てくれた日のことを覚えている? 私の一生の思い出だ……。本当にありがとう」

公爵はそう言って、腕輪を手渡しました。

 

「公爵様、こんな素晴らしいものを?」

「うん。あのあと、君たちのあの美しさを何か形にできないかと思ってね。私がデザインしたんだよ。気に入ってもらえるといいんだけどね」

その腕輪はプラチナの細いリングが複雑な模様を形作り、翡翠とサファイアが散りばめれていました。

 

「公爵様、ありがとうございます。オレ、大切にします」

「喜んでもらえて良かった。はめてみて。きっと似合うと思うよ」

ククールは革手袋を外し、腕輪をはめました。まだ細い手首には余る大きさの腕輪。手首と肘の間を行ったりきたりしています。絡み合うプラチナの環。ククールは、あの夜の出来事を思い出し、身体の芯が熱くなるのを感じました。

 

「マルチェロ、どうかな? ククールに似合っているだろう?」

「公爵様、もったいのうございます。こんな愚弟に……」

ククールは、月光にかざし、向きを変えてはキラキラと輝く翡翠とサファイアをうっとりと見つめます。ククールのサファイアの瞳に宝石の光が写り、冬の夜空のように瞬いていました。その隣で、マルチェロがそっと目を閉じます。今は、美しいものを己の瞳に写すべきではない、このままここで安らぎを得てはならないのだと言い聞かせるように。

 

「綺麗です。ホント……オレなんかに……」

「いいんだよ、ククール。記念だ。いつまでもマルチェロと共にあって欲しい。マルチェロを支えてあげなさい」

「はい、公爵様」

「マルチェロ、君はククールにもっと甘えていいんじゃないかな。彼はもう立派な青年だよ。力をつけてきている。一人で背負い込まないでね」

「はい」

二人にとってコントレック公爵は、オディロ院長とはまた違う、気のおけない親戚の叔父さんのような存在でした。

 

「さあ、ククール、湯でも浴びなさい。寝不足なんだろう? 君の好きな抱き枕を用意してある。ゆっくり眠るといい」

 

 

「……公爵様、お話とは」

ククールが出て行くのを見届け、マルチェロは公爵に尋ねました。

 

「うん、……私は引退しているんだが、いろいろと耳に入ってくるんだよ。最近は君のところの団長のことなんかがね……」

さすが、早いな、とマルチェロは思いました。

 

「公爵様に隠し事はできませんね」

そうだね、と公爵は言って、マルチェロにソファを勧めました。

 

公爵邸は山の中。夜が更けると途端に冷えてきます。二人は暖炉の火を見つめながら、モルトを口にしました。

「……私はニノが嫌いでね」

「ニノ司教ですか?」

「うん。女癖が悪く、ゴールドに汚い。野心家だ。おまけに美しくない」

「……」

「……美しくないのは見た目だけならまだマシだがね。あいつのやり方は美しくない。野心があるのは悪いことではないと思う。更に上を目指したいと思うのは自然なことだ」

マルチェロは、自分の母がニノのせいで薬物中毒で死んだことを知りません。ニノには会ったこともありませんでした。

 

「……ガルシアという名だったね、今の団長は」

「はい」

「もともとは軍人一家だったが。ガルシアの代から皆、女神様に仕えているね。ニノには恩があるようだよ。ガルシアは真面目で固い男だね。兄弟がたくさんいるのは知っている? 彼は長男で、末の妹とは随分歳が離れている」

「妹殿が先日面会に来ました」

やっぱりね、と公爵は言って、グラスを両手で包み込みました。

 

「そのあと、ガルシアの様子はどう? 変だと思わなかった? 実は今回の祈祷の依頼を急に受諾してね。いつも依頼から一週間以上かかるのに。ガルシアの方から、君たちの都合が急についたからと言ってきたんだよ」

「そういえば、今日は追い出されるように馬車に乗せられました。……何かあるんでしょうか」

「うん。多分、君が帰るときは彼はいないよ」

「えっ? どういうことでしょう?」

マルチェロは、どう考えても何かあるに違いないとは思っていましたが、ガルシアがいなくなるとは全くの予想外でした。

 

公爵は続けます。

「簡単に言えば、ニノはガルシアにたかっている。もう少し早くわかっていたらね。ガルシアは君に相談はなかったの? 献金なんかはどうしてたんだろうね」

 

──公爵様には全て筒抜けか、私こそ、この件を公爵様にご相談申し上げればよかったのだ。

 

今さら尻拭いを公爵様にしていただくわけにも参りません。マルチェロの後悔も時すでに遅く。

 

「ここ数ヶ月、帳簿に嘘の内容が記載されています。お恥ずかしい話ですが、先日修道院から寄贈させていただいた品は、一万ゴールドと帳簿にあります。私の見立てではせいぜい三千ゴールドかと……」

「ああ、あの壁掛けね。そんなところだろうけど、一万ゴールドとは、随分水増ししたね」

仕入れが三千ゴールドだとすると、ガルシアは、差額の七千ゴールドを修道院から持ち出したことになります。

私は、マイエラのためならいつでも布施は弾むよ、君たちには特にね、と余裕の笑顔を見せる公爵。あの壁掛けのあと、修道院は公爵からは多額の寄付金を頂いています。その一部も献金に使われたことでしょう。

 

「ニノ司教はなぜ急に?」

「大司教だよ。アスカンタの大司教に空きが出る。法皇庁のお偉いさんに袖の下でも送ってるんだろう。ニノのやり方は本当にえげつない。目をつけた者をを直接攻撃せず、その者が自ら手を汚さねばならないように根回しをする。それも、人の弱味につけこんで。殆どが女がらみ。最低だ」

ガルシアの妹に恩を売り、ほとんど人身御供のように連れて帰る。ニノの方からは「妹の身を案ずるならゴールドを寄越せ」などと言わず、情報を最小限にして不安がるガルシアから多くの献金を得ようとするのだろう、とマルチェロは思いました。

 

──妹殿もそれが分かっていて、わざわざ兄に会いに来たのか。供も連れず、一人で。

 

「妹殿が危険では……?」

「もう遅いんだと思うよ。ガルシアもそれがわかったから、最後の手段に出たんだろう」

「もう遅いとは……」

嫌な予感がしました。そして、最後の手段とは。

 

「ニノは薬師と繋がりがある。昔から。本人も弱い薬物を常習しているんだ」

「薬物中毒ですか? まさか……。妹殿は廃人になってしまう!」

「あの男に目をつけられたら逃れられない。卑怯者だよ」

「そんな大事に、なぜ団長は我らを……」

「君なら止めに入る。それを避けたかった……と言いたいところだが、偶然だったと思うよ」

 

──団長はなぜ、私を遠ざけたのか。修道院をニノから守るためには戦うべきではないのか?

 

「私、明日マイエラに……」

マルチェロは、思わず立ち上がりました。

公爵は笑って、安楽椅子をゆらゆらと揺らします。

 

「駄目。私は君たちが好きなんだ。帰さないよ。それに、私はオディロも嫌いだ」

「何故です?」

公爵の思いもよらない発言に、マルチェロは毒気を抜かれ、再び着席しました。

 

「いつも君たちと一緒で……君たちに慕われて。羨ましい。そして、君たちを守ってくれと、ほら!」

公爵は一通の羊皮紙を見せました。

 

『コントレック公爵殿……前略、……わしの大切な愛し子を頼む……』

 

「これは……?」

「オディロもガルシアのことは知っていたみたいだね。でも……彼も君たちが好きなんだね。勝手なこと言ってくるよなあ。私が承諾するに決まってるからって。狸ジジイめ」

「……」

「いや、済まない。誤解しないで欲しいんだが。君たちを守れることが私は嬉しいんだ」

マルチェロはわかりませんでした。なぜ、この大事に修道院を離れなければならないのか。ガルシアに何か策でもあるというのでしょうか。

 

「さあ、修道院は大丈夫だよ。オディロ院長に任せよう。君も休みなさい。ククールと眠るかね?」

マルチェロは嫌だったのに、なぜか、はい、とうなずいてしまいました。

 

二人は次の日も公爵邸でゆっくり過ごし、一緒に眠りました。

 

 

 

「マルチェロをニノから守りたいのだ。オディロ院長は」

コントレック公爵は、マルチェロとククールを見送りながら呟いていました。

馬車の二人は一言も話さぬまま、マイエラへ向かいます。

山を降りたところで馬車を乗り換えるのですが、迎えの馬車が来ていませんでした。公爵家の御者は心配しましたが、キメラの翼がありますから、とマルチェロは言って、御者に別れを告げます。

 

「副団長殿、早く戻ったほうがよくないですか?」

なかなか翼を放らないマルチェロにククールは言いました。

 

──二晩も兄貴と同じ寝台で眠った。触れたりはしなかったけど、兄貴の身体の匂いに包まれて、オレはどうにかなりそうだった。抱きしめたいと思った。修道院に帰ったら、またいつもの冷血漢になる兄貴。でもこの二日間の兄貴は、心配事を抱えた子供みたいだった。公爵様に言われたからじゃない、オレは兄貴を支える。いつだって温めてやりたい。兄貴の中にあるカチカチに凍りついた本当の心を溶かしてやりたいんだ。

 

──早く修道院に帰らなければ……しかし……どうにも不安が襲う。私はどうなってしまうのか。何か引き返せない流れにすでに船をこぎ出してしまったような思いに囚われていた。……どのみち生きて行かねばならない。迎えの馬車がないと認めた時、一瞬だが、ククールとこのまま何処かへ行ってしまいたいという衝動に駈られた……。逃げてどうする? 私の居場所はマイエラ修道院ではないのか。オディロ院長から離れることなど……。

 

マルチェロはまだ、翼を握りしめたまま、立ち尽くしていました。

 

「副団長殿。オレ、副団長殿を守ります」

「何のことかわからんな」

「……生涯」

「私の生涯に貴様は不要だ」

マルチェロはククールの腕をつかみ、キメラの翼を放り投げました。

 

 

「マルチェロ……」

マイエラ修道院では、院長を先頭に、全ての騎士団員と修道士が待っていました。

「ガルシアが辞職した」

「院長様……」

「当面、団長は不在。副団長のお前さんが指揮をとっておくれ」

「院長様、ガルシア団長はどこに?」

「ククール、お前さんの心配することではないよ」

 




オディロ院長>マイエラ修道院長。公式通り、慈善家でふところの深い人。マルククきょうだいを大切に育てている。

ニノは悪役担当です。ご了承ください。

次はマルチェロが団長になります。
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