主な登場人物:マルチェロ、ククール、オディロ院長、マリオン(騎士団員)、コントレック公爵
「また地下室か?」
「そうだ。但し、今夜は祈祷が入っている。夕方、団長室に連れて来てくれ」
「了解した……」
団長室に呼ばれていたのは、聖堂騎士団員のマリオンでした。最近、マリオンはククールの罰則の引率ばかりをしています。この日、朝帰りのククールについてマルチェロからの処分は「地下室行き」でした。
マリオンは思います。最近マルチェロの、ククールへの仕打ちが厳しすぎはしないか……。
ククールは、これまでも夜遊びやサボリがなかったわけではありませんが、それにしても地下室行きが多すぎる、と。
「地下室行き」は、言い換えれば、無期限の断食です。沈黙し、心を空白にし、ただ、祈る。女神の僕(しもべ)であることを誓い続けるのです。マリオンは、今日こそは思いきってマルチェロに進言するつもりでした。ですが、マルチェロの冷たい翡翠色の瞳に、いとも簡単に意志を砕かれました。
──また祈祷か。
暗くじめじめとした地下室で、ククールは一人、うとうとしながら考えていました。
──夕べは飲み過ぎたな。
ドニの酒場で酒を浴びるほど飲み、その勢いでプロの女と寝た。何をしたのかさえわからない。気づけば夜明けの少し前だった。女を置き去りにし、ふらふらしながら帰ると、兄貴が修道院の前に立っていた。オレはこっそり裏口から入ったんだが、中庭で見つかった。だが兄貴は何も言わずに団長室に行っちまった……。文句があるなら言えよ! 罵ったらいい。なのに、一言も言わず、じろりと一瞬にらんだだけだった。
「くそったれ!」
思わずついた悪態も、誰聞くこともなく、地下室の壁が跳ね返しました。言葉とは裏腹に、ククールの頬を涙が伝います。
「バカヤロウ……兄貴め。オレは……」
ククールは、固く目を閉じ、兄の姿を脳から消しました。
──くそっ。……頭が痛くてよかったぜ。
17歳になったククール。もういっぱしの遊び人になっていました。祈祷のない夜は、大抵ドニの酒場へ出掛けていました。アルコールに強い彼は、酔って醜態をさらすことはありませんでしたが、酒を飲み、博打を打ち、女と寝る、という生活に明け暮れました。
「けっ、また見張ってやがる」
ある晩遅くドニから修道院に帰ってくると、いつものようにマルチェロが建物前に立っていました。
普段のククールならば、そそくさと裏口へ回るのですが、この日は堂々と兄の前に現れました。
「見回りお疲れ様です。団長どの」
酒臭い息をわざとマルチェロに向けると、ククールは修道院の扉に手をかけました。
「地下室へ行け」
冷たい声。
ククールは「りょーかーい」と、兄のブーツの先に返事をしました。
「謹慎だ」
「はあ?」
「出てくるな」
「っ……んでだよ?」
ククールの左手が兄の胸ぐらに伸びてきました。マルチェロはその手を捻りあげると、そのまま床に叩きつけました。ククールは何の抵抗もできず、べったりと礼拝堂の床に這いつくばりました。
「修道院始まって以来の問題児めが! 貴様の顔など見たくない。地下室が嫌なら、このマイエラから出て行け!」
マルチェロは腰のレイピアを抜き、ククールの首筋に突き付けました。
──こんな男、こんな男は用なしだ。
『殺せ! 殺せ!』と頭のなかで誰かが叫びます。無抵抗な弟。今なら簡単にその息の根を止められる……。
マルチェロの脳裏に、母の最期の光景が浮かびました。今この同じ場所で、ククールの母が、忌の際の自分の母を抱きしめていた。わなわなと震える細い肩。周囲など気にせず、愛していると叫び、涸れるほどの涙を流した美しいククールの母。
──今、目の前にある銀の髪……。騎士団見習いになった時から伸ばしている髪。あのしなやかな手触りは、美しい母と同じなのだろうか、あの細く滑らかな指通りは、美しい母のものと寸分違わぬのだろうか。あの髪は我が心臓に絡み付き、停止させる。あの髪は大蛇のように、我が肉体を絞め殺すのだ……。
『殺せ! 殺せ!』
そうだ、殺られる前に、殺らなければならない……。
マルチェロはレイピアを握り直しました。
そしてすっと振り上げ……。
「殺れよ」
弟はまっすぐにマルチェロを見つめます。
「団長どの? 何を戸惑っておいでですか? どうぞ」
睨み付けてくるサファイアの瞳は、まるで新しく生まれた星のきらめきのようにキラキラと瞬きます。
「さあ、どうぞ」
投げやりな言葉を呟く唇は薄く、艶消しの朱が小刻みに震えます。
「ふっ……ふふふ……はははははははははは! どうしたんです? 団長どの? どうぞ、オレは酔っぱらいですよ。斬るなんて簡単でしょう?」
ククールの高笑いは礼拝堂一杯に反響し、マルチェロの身体にまとわりついてきます。
『愛しています! アナマリア! 私をおいて逝かないで!』
ククールの母の声とククールの声が共鳴し、マルチェロは一瞬、怯みました。
「団長どの? 団長どの、どうしたんです? ほら、オレは抵抗しませんよ。どうぞ!」
──私を見上げるサファイアの瞳は……。
……何を……。
マルチェロは一瞬、胸の奥にチリチリとした痛みを感じました。
カッと開かれる翡翠色の瞳。次の瞬間、レイピアを鞘に戻し、その手で乱暴にククールの髪を掴んで立ち上がらせました。
「うっ……痛え。放せよ! ……団長どの、オレの顔は見たくないんじゃなかったんですか?」
──そうだ、自分で言っておいて、なぜ生意気な口を聞くこの男を眺めているのか……。
弟から目を離そうとすればするほど、マルチェロの瞳は逆に近づいて行きます。
まるで、なくしたカタワレをやっと見つけたかのように。
「マルチェロ団長どの……」
ククールはそっと唇を寄せます。
マルチェロの右手が、ククールの髪に…。
頭半分ほど背の低いククールがゆっくりと踵をあげ、両腕をマルチェロの首にまわします。
マルチェロの右手はそのままククールの首筋に向かい、左手はククールのウエストから背中へ……。
マルチェロはククールを抱きしめる態勢へ……。
「ふざけるな!」
寸でのところで、マルチェロはククールを突き飛ばしました。
「地下室で朽ち果てろ!」
そういい放つと、ククールに背を向け、礼拝堂を出ていってしまいました。
──私は、何を……。一体、何をしようとしたのか……。
あの銀に触れ損ねた右手をぐっと強く握り、左手で守るように胸に押し付けました。
──あいつは疫病神だ……。
遠ざかる兄の足音。ククールはまた涙を流していました。
「兄貴……兄貴が欲しい……。オレのモノにしたい。燃えたぎるあの憎悪の炎に焼かれたい……」
その晩、ククールは地下室で自慰にふけりました。
2
「院長様、マルチェロにございます」
「おおマルチェロか。入りなさい」
マルチェロが日中に院長室を訪れるのは久しぶりのことでした。
「なんじゃ、いつも夜しか会わんから、昼間見るお前さんは幽霊のようじゃ」
「院長様、お言葉ですが、夜に会うのが幽霊かと……」
「ふおっほっほ! なんと、マルチェロ。つまらない駄洒落じゃのう」
「……」
「まあよい。明るいところで見るお前さんは、幽霊のように顔色が悪いぞ。ちゃんと休んでおるのか?」
「……はい」
それならよいが、と院長は言い、マルチェロを近くに呼びます。
院長は季節の変わり目に具合が悪くなることが多く、この頃も院長の館で休んでいることが常でした。
「お加減のほうは?」
「うむ。まあまあよい」
院長は自分の寝台側に侍るマルチェロに身体を起こしてもらいます。
心配そうに見つめるマルチェロの目は、一人巣に残された雛鳥のようでした。
「薬がきいての。ほれ、妙に薬草に詳しい者がおるじゃろう? あの子がよい薬を煎じてくれておる。食事も変えてくれての」
「ほう。あの者がそんなに……」
「うむ。薬草園もずいぶんにぎやかになっておる。騎士団訓練のほうも軌道に乗り始めたようじゃな」
「はい。ですがまだ拳法の使い手が不足気味です。その結果、武器の訓練も足踏みしてしまい、なかなか思うようには身に付けさせることができません」
「そうか。ま、焦らず確実にじゃよ、マルチェロ」
院長は優しく微笑み、続いて一通の書簡を広げました。
「これは?」
「アスカンタのコントレック公爵殿からじゃ」
──コントレック公爵様……。
アスカンタの実力者、コントレック公爵。第一線から引退しているものの、その影響力はアスカンタ王室にも未だ存在する人格者でありました。マイエラ修道院への理解もあり、殊にマルチェロ、ククールのきょうだいのことを贔屓にしておりました。
その公爵の名が出ると、マルチェロは、ククールと訪れたあの夜……自らをもって弟の身体を開いたあの夜のこと、そしてガルシア前団長が失脚する直前の二日間、公爵の屋敷で過ごしたことを思い出してしまうのでした。
マルチェロは努めて平静を装い、院長の言葉を待ちます。
「アスカンタ王妃、シセル様のお加減がかなりよくないそうじゃ。パヴァン王が付きっきりの看病をなさっておいでじゃ」
愛妻家で知られるパヴァン王は、病気がちの王妃を気遣い、それは国政をも投げ出してしまうほどです。
「王の務めをないがしろにするとは如何なものでしょう」
「ゆゆしき問題じゃ。が、人徳のおかげか、よき大臣に恵まれておる。そして民も王と王妃を慕っておる」
「公爵様は何と?」
「わしに直接話しておきたいことがあるそうじゃ。じゃが、わしはこんな状態じゃから、お前さんを使いにやると言ったら、是非、ククールと一緒に来てくれと」
──まただ。
公爵はククール一人を呼ぶことはあっても、マルチェロ一人を呼ぶことはこのところありませんでした。
──また私は弟を抱くのか……。公爵様は、私の情事をご覧になりたがった。目が見えるうちに、と。
『マルチェロ、君は人を愛することはあるかね?』
『女神の愛するしもべは私の愛するところのものでございます』
『うーん、そういうことではなくて。個人的に、人を愛することがあるかどうかだ。……もちろん、僧侶が恋愛感情に流されてはいけない。それはわかっている。ゆきすぎる愛を、女神への愛へと昇華するのだろう? その人を幸福にするためとして。でもね、それは抑えられない感情を歪めているに過ぎない。欲望を捨てることはできても、沸き上がる感情を抑えることはできないと思うのだよ』
──公爵は、私に浄罪を行わせなかった。祈祷に行っても、教会が教えない、世の中の動きなど、教会管理職になるために必要な知識を授けて下さった。おかげで私は外の世界を知ることができた。教会の本質、王室の内情、国の政治経済の動き……。何も不足はなかった。
『君は、愛を知らない。あまり幸せと言えない幼少時代を過ごしたことは知ってる。君の冴えた頭脳、剣の腕前、隠しているけれど、その人間味あふれる包容力。私にはわかるよ』
公爵様には隠し事などできない。私の野望を読み取っていらしたのか、マイエラにマルチェロありき、とアスカンタ中に話に上がるようになったのは、公爵様の力があるからだ。
『君の欲望を受け止められるのは、誰? 君の怒りとか、悲しみをすべて受け入れられるのは、誰? ……マルチェロ、私のわがままを聞いてはくれないか。君のすべてを受け止める人を連れてきてくれ。そして、それを、見せて欲しい。まだ目が見えるうちに。だが、急がなくてもいい。君を受け止められる人など、そうはいない。いや、君が自分を預けたくなる相手、と言い換えたらいいかな』
──こんな依頼を受けたのは、奇しくも、ククールが正式な騎士団員に決まったときだった。私の頭に、すぐにあの赤い弟の姿が浮かんだ。私はあの弟を愛している訳ではない。愛などわからない。ただ、怒りや憎しみをぶつける相手は、あの弟しかいないと思ったのだ。初めてククールを伴って公爵邸を訪れたときのことを、今でも鮮明に覚えている。公爵邸に行く前、自分の寝台で事を途中まで行った時、自分はこんなにも人に対して感情を表すことができるのかと思った。
マルチェロは、弟ククールに対して持った感情は、憎しみである、と認識していました。しかし、弟の唇に触れた時、自分は認められない、わき起こるはずのない感情がほんのわずかに存在したことを、否定することはできませんでした。それが愛なのか、やはり憎悪なのか、確かめることは決してすまい、と固く心に誓いました。
数日後、マルチェロはククールと共にアスカンタのコントレック公爵邸へ向かいました。
「団長どの……?」
隣り合って乗る馬車の中で、マルチェロは静かに目を閉じていました。今日、もしあのような依頼があっても、丁重にお断りしよう、と考えていました。
──隣の弟はまた自分に抱かれたいと思っているのだろうか。バカな奴め。
一方のククールは、兄に抱かれることを考えていなかった訳ではありませんでしたが、それよりも、二人で過ごせることに喜びを感じていました。公爵様の前で、自分をないがしろにすることはない、という、子供じみた考えは、ククールを甘い夢の中へ誘います。公爵邸までの道のりを、兄の肩にもたれ、夢うつつで進みました。
*****
「シセル様は相当にお悪いようです」
アスカンタのコントレック公爵邸から、マルチェロとククールが戻ってきました。二人で院長に報告です。
「……そうか。では、最悪のことも考えておかねばなるまいの」
「はい。公爵様のお気がかりは、パヴァン王のことでございました。国政をあまりにも臣下任せにしては、民からの信頼が薄れ、果ては無謀も起こりうるのではと……」
朝食の後、院長の館に呼ばれた二人。午前の日差しは建物ごとを温め、未明の水分をすっかり乾かしていました。
──眠い……。夕べは、公爵様とたくさん話して、オレだけ先に寝て……。兄貴が部屋に来たのは随分夜も更けた頃だったと思う。また同じベッドで寝た。兄貴から石鹸の匂いがした。兄貴、疲れてたんだろうな。すぐにすうすう寝息立てて。オレに背を向けて寝ちまった。オレは構わずその背中にくっついた。夜着ごしに感じるぬくもり……。オレは眠らないことにした。せっかく近くにいられるんだ、起きていてそのぬくもりを感じたかった。しばらくすると兄貴が寝返りを打って、仰向けになった。オレはそっとキスした。兄貴は気づかなかった。次に唇を舐めてみた。やっぱり兄貴は気づかなかった。唇の隙間に舌を入れてみた。……さすがに、うっとおしがられ、手で払われた。でも起きたりしなかった。密着してて暑くなってたから、そっと上掛けをはがした。兄貴の夜着の合わせ目をはだけさせた。ふわっと兄貴の身体の匂いがした。オレはそっと胸に頬をあてた。しっとりと滑らかな肌。兄貴は気づかなかった。首筋に舌を這わせてみた。「んっ…」って声が聞こえた。オレはすっかり興奮してしまい、見えてる部分を舐めまくった。我慢できなくなって兄貴に跨がってキスを続けた。だんだん、兄貴の唇が開いてきて、オレの舌を受け入れた。兄貴の舌とオレの舌が絡まり合い、唾液がだらだら溢れ出した。オレはそっと身体を預けた。兄貴はオレの背に手を回した。そして優しく撫でてくれた。キスをやめないまま……。オレは悲しくなった。……寝てんのにこの反応……。どんだけ祈祷慣れしちゃってんだよ、兄貴。相手が誰だか確かめもしないで、こんな……。兄貴のキスに恍惚となりながらも、オレは泣けてきた。ぽたっと兄貴の顔に涙が落ちる。すると兄貴はうっすらと目を開けた。……多分、オレを見た。そして、「眠れ……」と言った。その後は、兄貴の腕枕で寝た。夢うつつの中でオレは何度もキスした。兄貴は寝ちまってて、特に反応なかったけど、振り払われたりしなかった。幸せな一晩だった。誰も知らない、二人だけの夜。何のためでもない、眠るためだけの時間。
ククールがぼんやりと昨晩のことを思い出している間、マルチェロの院長への報告は終わりました。
「……」
「訓練に戻れ。地下室行きはなしだ。但し、訓練時間以外は、礼拝堂で詩編の写しを行え」
「了解しました」
中庭では、拳法の訓練が終わったところでした。ククールは拳法はいまいちでしたが、剣と魔術は得意でしたので、新人騎士団員でありながら、訓練する側にたっています。
「おお、丁度よかった、ククール。剣の見本を見せてやってくれ」
「はい」
副団長に言われ、先輩騎士の剣を受けるククール。舞うような見事な剣さばきを、マルチェロは遠くから見ていました。
──あの男、何かあったら真っ先に前線で戦わせる。早く私の目の前から消えればよいのだ。
マルチェロが、昨晩ククールと知っていて添い寝をしたのか、それはわかりませんが、ククールの存在は、自分の存在価値を脅かすものではないかと、知らず知らず恐れさえ抱くようになっていました。
──風は、吹き抜けていけばよいのだ。早く、離れたい。
3
アスカンタのシセル王妃が若くして崩御されたという知らせが修道院へ届いたのは、マルチェロとククールがコントレック公爵の所へ行ってから数週間後のことでした。
その間、マイエラ修道院聖堂騎士団では人事について少し問題が起き、副団長に若手のアランという人物が就任していました。前副団長のロジエールは、アスカンタ司祭の陰謀により騎士団を背信、マイエラ修道院にとっては、前団長ガルシアに続いての不始末。今回の副団長はマルチェロの個人的な指名となりました。
騎士団の人事は、団長、副団長に値すべき人物を指名、又は投票となっておりますが、院長の直接の任命……縁故の者が腰掛け的にその地位に就くことが慣例としてありました。ロジエールはその縁故での就任でした。
──アラン。若すぎたかも知れない。だカミーユ殿はトウがたっている。何より、私の腹心のマリオンが首を縦にしないのだから仕方がない。
アランは、そういう意味では、筋金入りの騎士団員。貴族や大富豪などとは縁のない、代々教会に仕える一族の者で、大層生真面目な男でありました。シセル王妃の国葬にも副団長として出席し、無事に責務を果たすこともできました。マルチェロの数少ない理解者であるマリオンは、副団長の影となり、マルチェロを支えています。
「騎士団も変わってきた……」
マルチェロとマリオンがいくつかの議案についての打ち合わせを終え、珍しく雑談をしていることがありました。
「そうだな。お前が副団長になった頃からだ」
「しかし、良い方向に向かっているとは思えないのだが」
「なぜ、そう思う?」
マルチェロは、書類を片付けると団長室の窓を開けました。
青白い月光がゆっくりとマルチェロの顔を照らします。
マルチェロが黙っているので、マリオンが続けました。
「……俺は悪くないと思うが」
「だが、良くもないだろう?」
悪くない、だが、良くもない。マリオンははっきり言って、マイエラがどのような方向性を持つべきかなどと考えたことはありませんでした。
「院長様に従っていくしかないさ、俺たちは。全て女神の思し召しだろ? 孤児を保護して正しい道を示す。迷える者たちに女神の教えを説く。そして修道院を守る。それだけだ」
「……そうだったな」
「マルチェロ、何か困ったことでも?」
「いや。困ってはいない。ただ、現状維持か、発展か、どちらにも価値を見いだせない」
「修道院のか?」
「修道院を含め、教会の……マイエラ地方の、アスカンタ領の、南の大陸の、世界の……」
「壮大だな」
マリオンは思います。マルチェロの視野の広さは、自分のような凡人には到底理解できないと。しかし、マルチェロが見たいものを見せてやりたい、彼を高みへ押し上げてやりたい、という思いがありました。
──マルチェロ、お前が望む世界を、俺も見てみたい。
マリオンには、それがどんな世界なのか想像すらできませんでした。しかし、目の前の若き騎士団長の目指す先に、自分も共にあり続けたいと願わずにはいられませんでした。
「マリオン、貴殿はお人好しだな」
マリオンは、久しぶりにマルチェロの柔らかな笑みを見ました。
マリオン>大柄で優しい。マルチェロがマイエラ修道院に来た時から面倒を見ていた少し年上の騎士団員。マルチェロの数少ない理解者。今後も登場します。
薬草に詳しい団員は2章の語り手となります。
次もマルチェロ中心の話。トロデーンのことが出てきます。