主な登場人物:マルチェロ、ククール、オディロ院長、マリオン(騎士団員)、ドルマゲス、トロデ王一行
1
「団長どの、お帰りなさーい」
マルチェロがサヴェッラから戻った日の夜、ククールが深夜にふらふらと修道院に帰ってきました。
「団長どの、なんかお仕置きありますかー? それとも地下室行きですかー? てか、団長どのも一緒に行きましょーよ」
上機嫌のククールを無視し、団長室に戻るマルチェロ。ククールが後を追います。
「団長どのー」
団長室に無理に入ってきたククールは、遠慮なく背中に抱きつきます。
「あにき、お帰りなさい。会いたかったよ。浮気してないよねー」
無視するマルチェロにしっかりとしがみつくククール。
「ねー、だんちょうどのー」
「酔っているのか?」
「うん。飲みすぎちゃった。でも、あにきが帰ってくるかも知れないからさ、あわてて戻ったんだよ」
しなしなとなりながら絡みつくククール。マルチェロの無視も通用しません。
「ふざけるな!」
振り払われたククールは、床にしりもちをつきます。
それでもニコニコとマルチェロを見上げるククール。マルチェロは眉間のシワを深くし、再び無視して書類の整理などを始めました。
「やっぱ、団長どのはここにいるのがしっくりくる。もっと高みへ上る力があるにしろ、ここで君臨してて欲しいな」
ククールが、マルチェロに対し、馴れ馴れしい口調でこんなに弁を振るうのは珍しいことでした。
「団長どのは、マイエラにいてこそなんだ。強い騎士団を作って、誰からも恐れられて、そんでもって……オレの兄貴……」
ククールは言葉を切り、その場で膝をつきました。
「……お帰りなさい、団長どの。良かった。帰ってきてくれて。ホントに。……オレ、院長様の涙を初めて見て……それで……」
「何だと?」
院長の涙、と聞いて、マルチェロの手にあった書類がバサバサと床に舞い落ちます。
「おい! どういうことだ?」
ククールはゆっくり立ち上がり、執務机に寄りかかりました。
「オレ、夕べ遅く帰ってきたら、院長様がさ、礼拝堂でお祈りしてたんだよ。珍しいこともあるんだな、って思って、オレも一緒にお祈りしようとしたんだよ。そしたらさ、『……わが愛し子マルチェロが道を誤らぬよう、悪しき衆の甘い罠にかからぬように……』みたいな言葉をおっしゃって、最後に女神様のお顔を見上げた院長様の頬がさ……。だから……。兄貴、サヴェッラ行ったろ? 腐れ坊主……いや、ご高名なる司祭さまたちに感化されちゃいまいかと、ね。まさかあのまま帰って来なかったらって、オレだって心配したんだよ」
マルチェロは胸の痛みを抑えながらも、表情を全く変えません。
「……貴様が帰ってくるような時間に、院長様はお一人で礼拝堂にいらしたんだな?」
「てか、ずっといらしたみたいだ」
「貴様は何を遊び呆けていたのだ? 院長様はお身体の具合があまりよろしくないのだぞ? わかっていてなぜ、部屋にお連れしなかったのだ?」
「だって、オレが戻ったのは夜明けちょい前でしたから。もちろん、お声かけして、院長の館にお連れしましたよ」
ククールはツンと顎を上げ、ほんの少しだけ兄をにらみました。
「……朝帰りか。のんきなもの……」
「祈祷だよ! 今日だって!」
ククールは、マルチェロの翡翠の瞳をにらみつけ、兄の真ん前に立ちました。
──この目……。昨日のフロレルと同じだ。憎悪だ……。
「だから何だ」
憎悪を私に向けてどうなると言うのだ?
「……ほんの少しでいい……慰めて下さい。優しくして下さい。……愛して下さい……」
「!」
──フロレルも、ククールも、そういう祈祷を行う者は、肉体と精神を切り離す。その間、精神は宙に投げ出されるのだ。そして全てが終わった後、自己の元へ引き寄せねばならない。
それはつらいことではなかったか。と、マルチェロは思います。自己を捨て、行為のみに存在する肉体。終わればまた、自分に戻る。戻れば、自分は汚れていない、あの行為は自らの意思ではない、肉体的快楽は得ていない、と女神に祈り、自己を正当化し、正気を取り戻さねばならない、と。
──憎悪は己に向けられるのだ。だが、己の中だけでは消化できない。気の狂いそうな自己防衛が及ばず、憎悪や絶望が溢れ出す。正気の沙汰ではない。どこかへ排出しなければ、傀儡となってしまう。誰かに頼りたい、そう思うのだ。フロレルもククールも……私はその相手なのか。
マルチェロは突然に、コントレック公爵の言葉を思い出しました。
『マルチェロ、君の怒りとか悲しみを全て受け止められる人は誰?』
──それはククール。他に誰がいる? 私の感情は全て、憎しみと成り変わり、あの男に向かう。あの男が受け止め損ねようが構わない。私の荒れ狂う感情は他では表せない……。
愛は過ぎれば憎しみとなる、ということも、マルチェロはわかっているのです。
「兄貴、なんかあったのか? まさか腐れ坊主……じゃない、高級職のジジイたちに……なんかされたのか? なあ!」
ククールのサファイアの瞳が大きく見開かれ、マルチェロに迫ります。
「ええい、近寄るな!」
「なあ、兄貴、兄貴!」
ククールの瞳が夕べのフロレルと重なります。
マルチェロは胸ぐらを掴んでくるククールを床へ転ばせました。
「兄貴、何かあったのか? 言ってくれ。オレは、あんたが……」
ククールの両腕をしっかりと押さえつけ、マルチェロはサファイアの瞳をのぞきこみました。
──深い青。吸い込まれそうだ。この青に溺れる者はどれほどいるのだろうか。
「兄貴……」
「兄と呼ぶな」
マルチェロの唇がほんの少し近づいて、止まりました。
「……兄貴、キスしてくれるのか……?」
ぴたりと動きを止めたマルチェロ。翡翠の瞳はサファイアをじっと見つめます。ククールはマルチェロの力がわずかに緩んだ瞬間、体を入れかえ、唇にむしゃぶりつきました。
一瞬、躊躇したマルチェロ。普段ならば蹴りの一つを入れ、引き剥がすことなど容易なこと。が、しかし、マルチェロはそのままククールを受け入れました。
夢中で唇を合わせるククール。遠慮なく舌が侵入してきます。猥雑な音が団長室に立ち込め、月明かりさえも沈黙し、二人から遠ざかります。ククールは兄の舌を吸い上げ、混ざりあった唾液を喉を鳴らして飲み込みます。
熱い吐息を与えられながら、マルチェロは身体の力が抜けていくのを感じていました。
──なんと甘美なことか……。
長い銀の髪がマルチェロの頬をくすぐります。マルチェロはそっと髪に手をのばしました。あれはいつのことか、触れ損ねたこの髪。今、自分の手のすぐそばにあり、誘っている。これに触れればもしかして、自分の心の空洞を埋めてくれるのではないか、という錯覚に陥りました。
やがてククールは兄の胸の上ですうすうと寝息をたて始めます。マルチェロはククールを自分の寝台に寝かせ、一人、礼拝堂に向かいました。
──女神よ、貴女が世界をお創りになったのか?
──貴女のお創りになった世界は、貴女の望むままのものになったのか?
──ゴールドと欲にまみれた者たちは、貴女の代理人となったのか?
──ならば、そうならば、問おう。貴女の元へ馳せ参じよう。
──貴女の創りし世界の頂点に私は立ち、貴女に正義を問うとしよう。
──もし、それが貴女の望む世界でないならば、私は私の正しき者に裁かれよう。
──貴女の望みは何だ?
──私は貴女の代理人として、それが知りたいのだ。
マルチェロは形だけの祈りを捧げ、礼拝堂を出ます。
世界を知りたいと願うマルチェロは知りませんでした。ある人物によってマイエラ修道院を揺るがす事件がもたらされることを。
それは、もう数日後にせまっていたのです。
マルチェロ27歳、ククール19歳になる直前のことでした。
2
マルチェロがニノの従者としてサヴェッラを訪れた後、ニノからは今後も同じような機会には動向を許す旨の書簡が届いていました。
──今度は私がニノに付け届けをせねばならんのか。
騎士団長、院長としての仕事に加え、面倒なことが増えたと頭を抱えていました。
そんなある日のことです。まだ日が高い時刻、マルチェロはククールを地下室に呼び出し、仕置きを言い渡していました。
「……そう、疫病神だよ。お前さえ生まれてこなければ誰も不幸になぞならなかったのに。……顔とイカサマだけが取り柄のできそこないめ。半分でもこの私にもお前と同じ血が流れているかと思うとぞっとする」
マルチェロはいつもの蔑むような目でククールを冷たく見つめました。
「……ふん、まあいい。聖堂騎士団員ククール。団長の名においてお前に当分の間謹慎を言い渡す。
いかなる理由があろうともこの修道院から外に出ることは許さん。いいか?一歩たりともだ。それさえ守れぬようならいくら院長がかばおうと修道院から追放だ。わかったな」
ククールは前日ドニで遊びほうけ、旅人までも巻き込む騒ぎを起こしていました。その上妙な来客のせいでマルチェロはひどく機嫌を悪くしていました。
妙な来客……それこそが、マイエラに落とされた青天の霹靂。
──あの道化師……。嫌な目付きをしていた。それにあのまがまがしさは……。
夜になっても落ち着かないマルチェロは、ふと嫌な予感に襲われ、騎士団宿舎の見張りをしている2名の団員に声をかけました。
「昼間、妙な来客があっただろう? 院長様が心配だ。一緒に来い」
「妙な来客? あの旅人のことですか?」
「いや、あいつらではない。その前に一人でやってきた道化師風の男だ。……おい、アラン、道化師風の男を見なかったか?」
「あ、団長殿……道化師風の男ですか? ……はい、見ました。薄気味悪い男でした。一体、修道院に何の用があったのでしょう」
途中で会った副団長のアランにも声をかけ、足早に院長の館を目指します。
「これは!」
院長室にかかる橋を守っていた騎士団員が倒されています。嫌な予感が当たって、マルチェロは急いで院長の館に入りました。
「団長殿!」
「先に院長様のところへ行ってお守りしろ!」
院長の館の中も数人の騎士団員が倒れていたのです。
院長は館の二階にいますが、そこからは何の物音もしません。館の外に賊がいるかも知れない、囲まれたら大変なことになると思い、マルチェロは館の周辺を見回りに出ました。ですが、院長の館周辺には怪しい人影はありません。マルチェロが院長室に上がっていくと、昼間うろついていた旅人一行がおりました。
──あの道化師ではない?
意外ではありましたが、旅人が就寝中の院長室に入り込むなどあってはならないことです。マルチェロは厳しい表情で旅人を睨みました。
「貴様ら! 何者! ……オディロ院長。聖堂騎士団長マルチェロ御前に参りました」
「おおマルチェロか。いったい何があったのだ」
「修道院長の警護の者たちがつぎつぎに侵入者に襲われ深手を負っております」
「なんと!?」
「もしやと思いかけつけましたところ……昼の間からこの辺りをうろついていたた賊を今ここに捕らえたというわけです。どうにか間に合いましたな。ご無事で何よりです」
「……いや待て。その方は怪しい者ではない」
「何をおっしゃいます!げんに見張りが……」
「かようにも澄んだ目をした賊がいるはずはあるまい。何かの間違いだろう」
「しかし……! わかりましした。ただどうしてこのような夜更けに院長のもとを訪れたのか。それだけははっきりと聞いておかねばなりません。よろしいでしょうか?」
「ほっほっほ。お前は心配性じゃのう。わかった。それならよかろう」
「ありがとうございます。……さあ行きましょうか。みなさん」
──男二人に女が一人か。そのうち二人はまだ子供ではないか。まさかこの者たちが我が騎士団の精鋭を倒したというのか。
地下室で話を聞くも、マルチェロにはなんとも判断がつきませんでした。院長の言うように、悪いことをしでかすようにも見えませんが、ぎゃあぎゃあとわめきちらし、まったく不愉快でした。彼らは濡れ衣だと言い、曖昧なことを言い立てます。
「……おうよ! あんたらの仲間に頼まれて……」
──仲間? ゆうべのククールの騒ぎの元凶かも知れない。ククールが一枚噛んでいることに間違いないな。
呼び出したククールも加わり、問いただしますが、そのククールの証言も釈然としません。マルチェロは言いようのない不安に襲われました。とりあえず旅人一行を牢に入れたものの、不安は消えません。
──どうしたのだ。私は何を恐れているのか……。
知らず知らず手にかいた汗をぬぐいます。副団長のアランとマリオンに修道院外の見回りを強化させ、自分ももう一度修道院内を見回って歩きました。
その夜更け。マルチェロは団長室の執務机でじっと時が経つのを待っておりました。朝がくれば、きっと何ごともなかった、あのいやな、まがまがしいような気配も気のせいだったのだと。一点を凝視していたマルチェロでしたが、いたたまれなくなり、立ち上がりました。なんの物音もしない修道院。そろそろ見張りの交代の時間か、と窓から月の位置を確かめた時でした。昼間と同じように、ゾクリと、嫌な寒気を感じました。
──昼間感じたまがまがしさが修道院に入り込んでいる。
マルチェロは腰のレイピアを確認しました。
──このまがまがしさは……地下牢か?
マルチェロは地下牢へ向かいました。すると、なんということでしょうか、見張りはぐっすりと寝込んでいます。そして牢はもぬけの殻。もしやと思って拷問室のアイアンメイデンを見に行けば、使われた気配がしています。
──このからくりを知る者は少ない……ククールめ、旅人を逃がしたな!
マルチェロは頭に来ると同時に、事態が悪い方へ進んでいるのをひしひしと感じていました。あの者たちならば勝てる気がしていたので、まがまがしさを発しているのがあの旅人たちであればよいのにと思っていたからです。
──あの旅人からまがまがしさは微塵も感じられなかった。やはり昼間の道化師だと認めざるを得ない。
マルチェロは地下室から走り出しました。ちょうど見回りから戻っていた副団長のアランとメルソーが、マルチェロの様相にこれはただことではないと、すぐさまマルチェロの後を追います。
「団長殿!」
「急げ! 院長様をお守りしなければ」
宿舎から外へ出たマルチェロは、院長の館へ渡る道化師を見つけました。
「……あれは! 走るぞ!」
三人は道化師の後を追いました。
「貴様っ!」
「院長様に何の用だ!」
館に入ったすぐの場所で、道化師が団員と争っています。
騎士団員は道化師に杖で殴られ、いとも簡単に床に打ち付けられました。杖が喉に押し付けられています。
「申し訳ありません、団長殿……」
マルチェロ、アラン、メルソーの3人は素早く剣を構え道化師を囲みます。しかし、道化師はニタニタと気味の悪い笑みを浮かべながら杖を振り上げました。
マルチェロは感情を押し殺して問いただします。
「貴様、何者だ。ただの道化師ではあるまい」
「……我が名は、ドルマゲス。神の力を得た男だ」
「我が修道院に何の用がある。貴様のような者の来る所ではない」
「用は……ある。この二階にな……」
ドルマゲスと名乗った道化師は長い杖で二階を指し示し、ゆっくりと階段へ向かいます。
「そうはさせるか!」
メルソーが身を呈して階段の前に立ちふさがります。が、道化師は再び奇妙な笑いを浮かべ、杖を一振りしました。
「うあーっ!」
杖の先から赤い光が発せられ、それを受けたメルソーは宙に舞い、床に叩きつけられました。
「メルソー!」
駆け寄るアランに、マルチェロは院長の館の外を示します。
「アラン、ここはいい! 早く皆を集めろ! 私が持ちこたえる!」
「わかりました!」
アランはメルソーを壁際に寝かせ、院長の館から飛び出しました。
「そう上手くいくかな?」
道化師は、アランが橋を渡りきると杖を振り、橋に火をつけました。
「貴様、何をする!」
マルチェロが杖に飛びかかろうとするのを、道化師はひらりとかわし、宙に浮きました。
「! と……飛べるのか……?」
道化師はニヤリとしたあと、館の扉を塞ぎました。
「キーヒッヒッヒッ!」
道化師は奇声を上げながらゆらゆらと階上に向かいます。
「待てっ!」
しかし、マルチェロの身体は金縛りにあったように言うことをききません。それでも、歯をくいしばり、階段へ向かいます。
「い、院長……院長さま……今、参ります……」
マルチェロがようやく階段の一段目に手がかかったとき、上から、道化師がオディロ院長と何か話しているのが聞こえてきました。
──何だ、何なのだ……。何を話している……? 院長さまは……うっ……身体が動かん。院長さま!
マルチェロは階段を一段一段這い上がります。マルチェロは、確かに上へ向かっているのに、自分の運命が絶望の淵に落ちていくようなめまいを感じていました。
「勇敢な男だな……お前の下僕か」
ようやく二階にたどりついたマルチェロ。道化師はそのマルチェロに気付き、杖を振りました。
「マルチェロ!」
院長の震える声。マルチェロはやすやすと宙に振り上げられ、杖に弄ばれた後、壁に叩きつけられました。
「ああ……マルチェロや!」
「……院長さま……」
大事ありません、と言いたいのに、したたかに背中を打ち、声が出ません。
「この時が来た……今こそ力を……力を!」
道化師は院長に杖を向けます。オディロ院長も、身体が硬直してしまったのか、動く気配が全くありません。
まんじりともせず、三人の動きが止まった時でした。
「兄貴!」
バリバリッと何かが壊れる音がして、同時にククールがかけ上がってきました。
「兄貴! 何があったんだ!」マルチェロに駆け寄るククール。
「命令だ! 院長さまをお守りしろ! あいつは……強い……」
院長の方を振り向くと、宙に浮く道化師の姿が目に入りました。
「何だお前は!」
ククールは道化師に対峙します。
再び階段を上がってくる音。それは騎士団員ではなく、捉えたはずの旅人一行でした。
「おぬしがドルマゲスだな!」
「これはこれはトロデ王。久しぶりですね……」
道化師は王と呼ばれた魔物と何やら話始めます。
──何だと? これがまさかトロデーンの王? では、イバラの呪いはこの道化師の仕業なのか……。それにあの杖。それより、早く院長様を……。だが、身体が動かん。
マルチェロは懸命に身体に力を入れますが、全身が石になってしまったかのように、全く動きません。ククールも旅人たちも同じなのか、動けずに、ただ、王と呼ばれた魔物と宙に浮く道化師のやりとりを見つめるだけ。
「……我が城の秘宝を持ち出しおって。それに触れてはならんのだ!」
「あのような簡単な結界、俺には雑作もない。次からはもっと厳重にしておくがいい。……しかし、次はもうないがな。邪魔な奴め。先に葬ってやる!」
!!!!!
道化師の杖が投げつけられた瞬間……。トロデーンの王の前に身を差し出したのは、オディロ院長でした。
「院長様!」
「なんてことを!」
院長に駆け寄るククールと旅人たち。マルチェロはまだ起き上がれません。道化師の杖は輝きはじめ、部屋中にまがまがしい空気が充満しています。道化師はまだ宙に浮いたまま、杖の力を自らに取り込んでいるように見えました。
「キーヒッヒッヒッ! これだ、この力だ。我が闇の封印がまた一つ解かれた。ああ、なんという力だ……いいぞ、いいぞ! もっと強くなるのだ!」
バリバリッ!
道化師は、院長室の窓を破り、月の光の方向へ消えました。
「院長様! 院長様! 院長様!」
ようやく動きだせたマルチェロ。オディロ院長にすがります。オディロ院長は、あの長い杖で身体を貫かれたのです。もう力なく、横たわっていました。マルチェロに抱き起こされ、薄く目を開けました。
「……大丈夫じゃ……。これは女神のお決めになったことなのじゃろう。……あの者を止めねばならん。……必ず。あの杖に力を与えてはならぬ」
「院長様、もうお話なさらないて下さい! 傷に障ります。私が、私が院長様を……」
「マルチェロや……よいのだ。マルチェロ……。お前さんやククールに見送られるのは本望じゃ。よい人生じゃった……。マルチェロ……お前さんに会えたことを女神に感謝……」
「院長様ー!」
雨が降り出していました。
オディロ院長の葬儀は、マイエラ修道院にて行われました。
マイエラの院長は、永遠にマイエラと共にあり、身内だけの厳粛な葬儀。雨は止むことを知らぬかのように、いつまでも同じ音を奏でておりました。
3
「暫定的に、私が院長を兼任する。サヴェッラからの指示が出るまでは……」
オディロ院長の葬儀の後、マイエラ修道院の全員が集められました。その席で、マルチェロの院長就任が決定しました。マルチェロは「暫定的」と言いましたが、修道院内では全員一致で時期院長はマルチェロに、という意見でした。オディロ前院長の死と、暫定院長にマルチェロ就任の書簡がサヴェッラに出されました。数日のうちには、サヴェッラから使者がやって来るでしょう。
「オレたち、悲しんでる暇も与えられないんだよな」
傷を受けたメルソーを見舞いにきたククールが、ぼそっと言いました。喪に服すことをせず、今後あのようなことのないように、更に厳しい訓練が組まれたのです。
「ホントだな、ククール。……俺、情けなかったよ。マルチェロ団長の力に全然なれなくて。あの道化師にやられただけだった……」
メルソーは目頭を押さえます。
「しゃーねえよ。あいつ、おかしかったもん。フツーじゃねえ。宙に浮いてたんだぜ。ただの道化師じゃねえよ。兄貴だって歯が立たなかったんだ……。命があっただけ……」
……トントン。
「はい」
「メルソー? 入るぞ。ククールはいるか?」
救護室に入って来たのはマリオンでした。
「はい、います……じゃあな、メルソー。気にしないでゆっくり治せよ。オレだって、何の役にも立たなかったし……」
そう静かに言って、ククールは救護室を後にしました。ククールを呼びに来た、いつも明るいマリオンも疲れ果てて暗い表情です。
「ククール、例の旅人を起こして、団長室に行くように言ってくれ。お前も……団長室に行け。マルチェロが呼んでいる」
「わかった」
「……ククール!」
マリオンは、階段に向かおうとするククールの腕をつかみました。
「マリオン……?」
「なあ、ククール。マルチェロを……お前の兄を恨むなよ。お前たちは、どんなことになったって、きょうだいだ」
「え? ああ……」
「マルチェロの話が終わったら、中庭へ来い。いいな……」
マリオンのいつにない厳しい表情に、これは兄貴にこってりしぼられるな、とククールは思いました。
──トロデーンの旅人を牢から出したことか……騎士団の指輪のことか……。
ククールは旅人たちの休んでいる部屋を訪れました。リーダーの男は目を覚ましていたので、今回の一件に対し、丁寧にお礼を言いました。団長室に行くように伝え、静かに扉を閉めました。
ククールは、トロデーンからの旅人に、外の世界を見た気がしていました。ドニの酒場で会った瞬間から。
──オレは、院長様が心配だった。だが、オレの力はたかが知れてる。それに、兄貴の目がどこで光ってるか知れない。利用するみたいで悪かったな。だが、オレの望みを叶えるには、外部の力が必要だった。魔物の王様に、馬のお姫様、勝ち気な姉ちゃん、豪腕のチンピラ、そして、リーダーの小僧。あいつら一体何なんだ? ……だが、みんな兄貴に負けないくらいの強さを秘めていた。あの旧修道院跡地を抜けて院長様の様子を見に行ってくれたんだ。約束を守るあいつらは、信用できる。だからこそ、あいつらを地下牢から出した。あの……あいつの澄んだ目……真剣な。命懸けであのドルマゲスってヤツを追ってるって……。
「命懸けか……」ククールはそう呟き、ぽっかりと空いてしまった心を兄の嫌味で満たそうと、団長室に向かいました。旅人一行はまだ来ておらず、マルチェロもちらりとククールを見ただけで魔物の姿の王様となにやら話し込んでいました。間もなく旅人たちが入室し、マルチェロも非礼をわびました。そして……。
「……どうでしょう?ここにいる我が弟ククールを同行させてはいただけませんか?」
──何だって?
「……騎士団長どの。規律が守れぬ者は弟とは思わぬとあなたが言ったのでは……」
「今はこの方々と話をしているのだが? お前は黙っていろ。……ククール。今修道院を離れても問題ない者はお前しかいないのだ」
「……」
「他の者にはそれぞれこの修道院で果たすべき役目がある。その点お前は身軽だろう」
ククールの白い顔から更に血の気がひきました。兄の翡翠の瞳を見返すこともできず、その場に立ちつくします。
一瞬、団長室に風が生まれました。それまでわだかまっていた、しかしながら温かい空気。それは、すっかり忘れていたはずの、子供の頃に大切にしていたおもちゃのような懐かしさがありました。そしてその風は、きょうだいの髪を揺らすこともなく、外へ飛び去ってしまったようです。
「……つまり役立たずだと。そう言いたいわけだ。なるほど。わかりました。それほどおっしゃるならこいつらについて出ていきます。院長のカタキはお任せを……」
ククールは、優雅にお辞儀をして見せて、団長室を出て行きました。
中庭では、マリオンがククールが来るのを待ちながら噴水を一人眺めていました。
──なぜ、ククールを……。
オディロ院長の葬儀の後、マルチェロはククールを旅人に同行させるつもりだと言いました。敵討ちのためには騎士団で討伐隊を組めばいいと、アラン副団長が言いました。マリオンもそれに賛同し、自分も加わると申し出たのです。でも、マルチェロは修道院の人員が減ることを恐れました。今まで以上に修道院の警護を強めるべきだと。マリオンもアランも、そのことは理解できます。でも、だからと言ってなぜククールを……。さっきからずっと自問自答しているマリオン。しかし、その答えはとうに出ています。ただ、どうしても、言葉に表して改めて理解したくありませんでした。
噴水の水が、曇った空と同化してマリオンの足元に薄い影を落としています。
……カツカツ……。
白いブーツの先がいつもより急いでやって来ます。
「……マリオン、行ってきた。出て行けと。兄貴が出て行けと。今すぐに。あの旅人と行けと。厄介払いだと。……不要だと……」
「ククール……」
マリオンは焦点の合わないサファイアの瞳を見つめました。
──マルチェロにとって、ククールは確かに厄介者だ。だが、貴重な収入源でもある。貴族や高位の僧侶とのつながりもククールがもたらしてきたことが多い。……やはりサヴェッラにコネができたか……。
マリオンは、ニノのことを知りませんでしたが、オディロ院長が心配する様子を見ておりましたので、マルチェロがサヴェッラとなにがしかのつながりを持ったのだろうということは、容易に想像がつきました。
──しかし、そんなことではない……。
マリオンは、いつかククールがこのマイエラから出されると思ってはいました。
──それがこんな形で……。
「マリオン、オレ行くよ。もう。メルソーにも会ってきた。オディロ院長様のお墓にも……」
「ククール、顔を見せにいつでも来いよ」
「そうだな……。兄貴のいないときにでも……」
マリオンは、中庭を出ていくククールの長い髪を眺めました。
ククールの母親が、マルチェロの母を看とり、中庭のマルチェロに背を向けて去っていった……。あの日と同じ、銀の髪。ふと振り返ると、そのマルチェロが、騎士団宿舎の窓からククールを見ていました。
──どんな気持ちであの銀の髪を見ているんだろうか……。
マルチェロはマリオンに気づくと、さっと踵を返し、行ってしまいました。
──マルチェロ、道を誤るな……。俺がついて行く。お前を高みへ押し上げてやる。お前はククールに世界地図をやると言った。お前の頭の中に焼きついた世界地図。ククールにもまた、外へ出ろ、と言いたいのだろう。お前たちきょうだいの目指すところが、同じものならば、どんなによいだろうか……。
マリオンは、再び一人になると噴水の縁に腰掛け、大分くたびれたブーツの先を見つめました。
──俺たちは、立ち止まることはない。向かう先に何が待っていようとも。
ククールは旅立ちました。
院長を失い、ククールを自ら手放したマルチェロもまた、後戻りのできない運命へと旅立ちます。
第1章終わりです。
次から第2章です。マルチェロが法皇に上り詰めるまでのお話になります。「勇者と寄り道の旅」とリンクしますが、特別な絡みはありません。