主な登場人物:マルチェロ、マロウ(騎士団員、語り手)、フロレル(マイエラ孤児院出身)
高みへ
しめやかな鎮魂の鐘。修道院内の哀しみを癒すように響き渡ります。
こんな日が訪れるとは、誰が想像したでしょう。
我が父、オディロ院長様が何者かによって殺害されるなど。
院長様は、私のような孤児でもそれはそれは大切に育てて下さいました。惜しみなく注がれる愛情に包まれ、私は幸せでした。そして厳しい規律の中にも優しさ溢れる孤児院での暮らしは、私を一人前の人間に育ててくれました。
優しい院長様、もう二度とお会いできないなんて信じられません。でも、あの雨の日に行われた葬儀は現実でした。
その翌日、マルチェロ団長が暫定的に院長に就任することになりました。そして、マルチェロ団長は、オディロ院長を助けてくれようとした旅の一行に、ククールさんを同行させることをお決めになったのです。
ククールさんは「敵討ちと銘打った体のよい厄介払いか」と大層な苦しみようでしたが、マルチェロ団長には逆らうことはできません。それでも、随分と強気なことを言い捨て、一度も振り返らずにこの修道院から去って行きました。
その姿を宿舎の窓から見下ろしていたマルチェロ団長の、あの美しい翡翠色の瞳に冷たい哀しみが現れていたように感じました。まるで、大切にしていた小鳥を逃がしてしまった幼子のように。
そう、マルチェロ団長とは反対に、ククールさんは隠していた白い翼をようやく背に広げ、予想外の強さで羽ばたいて行ったのです。
広い世界に向かって。
……団長殿、手放してはいけない。あれは鳥ではありません。あの人は羽を持った風の精。貴方を支えている力の一つ。オディロ院長を亡くした貴方にとって、決して失ってはいけない人でしたのに……。
* * * * *
──団長殿の供でサヴェッラに行くように。
多忙の団長の代わりに、騎士団と修道院の事務処理に追われている副団長からの命令でした。
オディロ院長が亡くなってしばらくは、ゴルドやサヴェッラへはほとんどお一人で行かれていた団長です。オディロ院長急死の知らせ、また、マルチェロ団長の院長就任もありましたので、お出かけになることが多くありました。それが、今度はお供を連れて。
「私のような下っ端が……ですか?」
副団長も本意ではなかったようです。ですが、修道院かつてない混乱に、副団長や他の重鎮の先輩方も今修道院のことをおいていけるはずはありません。オディロ院長急逝の後、毎日があわただしく、忙しく、あの日から随分と日にちが経っていることにやっと気づく有様でした。私は騎士団員の中でも下っ端ですので、団長と一緒に仕事らしい仕事をさせていただいたこともございません。私などでは何のお役に立てるはずもなく。副団長には承服できかねる旨を申し上げました。しかし、副団長は納得してくださいません。
「マルチェロ団長の指名だ。私も他の者を推薦したが、団長殿はお前を連れて行くと決定されたんだ」
「マロウ、同行と言っても荷物番くらいだよ。団長殿の護衛はお前でなくても誰も勤まらん」
厳しい表情のアラン副団長の隣で、「気楽に行って来い」と、騎士団員のマリオンさんが笑います。
私は、騎士団の中でも特に力がなく、得意なことと言えば自分の身を守ることと、医術的な技能だけ。とてもマルチェロ団長のお供などできません。かえって足手まといになるだけではないでしょうか……。
サヴェッラ行きを翌日に控え、私は団長室で打ち合わせをしていました。
「団長殿、サヴェッラは何日くらいでしょうか? 私が留守の間、畑の管理を誰かにしてもらいたいのです」
「お前の他に薬草園の管理のできる者はいないのか?」
「簡単な世話は交代でやっておりますが、細かいことのできる人は……」
ククールさんしかいません。
……私が薬草の畑にいると、ククールさんはよくサボりにやってきました。ククールさんは私の仕事を面白がって、いつも手伝ってくれました。
私が黙っていると、そんな私の心が読めたのでしょうか、団長は羽ペンを机に置いて立ち上がりました。
午後の日差しはきつく、団長の冷たい横顔をまぶしいほど照らしています。少し目を細めたマルチェロ団長。ああ、この表情。女神が私たちに与える慈悲と同じです。神々しい団長の薄い微笑み。それは静かに私たちに安らぎを与えます。
「サヴェッラの用事はいくらでもない。一旦マイエラに戻った後、ゴルドに行くことになると思う。その後もあちこち行かねばならぬゆえ、そのつもりで準備をしておけ。薬草園は確実に任せられる人物をお前が選べ。許可する」
翌日、私はジャンとジュールの双子の騎士団員に畑の管理を頼み、団長のお供でサヴェッラへ向かいました。
大聖堂へは定期船を降りてから少し海岸を歩きます。呪具のキメラの翼を使えばわざわざ定期船に乗ることもないのでしょうが、神に仕える我々騎士団や一般の僧侶は、旅人と違い、訪れる場所によっては呪具の使用は禁止されていました。もちろん、交通手段がない場合や、身の危険があるときは別ですが。
私はきょろきょろしながら団長の後を追います。海岸には魔物も多いと聞いておりましたが、マルチェロ団長の近くにいれば、魔物は怖がって近づいては来ません。それでも不安が顔に現れていたのでしょうか、団長は「離れるなよ」とおっしゃって、私の荷物まで持って下さいました。
長い階段を上ります。巡礼者たちの姿も多く、途中途中で休みながら進む姿が見受けられました。やがて大聖堂の全容が見えてきました。その立派な建物に、私は思わずロザリオを握りしめました。初めて見るサヴェッラ大聖堂。今日は各国の教会を治める重役が集まっています。定期報告のようなもので、教会経営や地域との交流についてなどが話題となるそうです。
お歴々の方でしょうか、高価な法衣姿が目に入ります。皆、大聖堂に向かって歩いていました。私たちも大聖堂の中に入ります。内部は広く、明るいステンドグラスが輝いていました。
「お前はそこの控え室で待機だ。サヴェッラ見物は明日させてやる。おもてに出るなよ。仕事をしていろ。薬草園の管理マニュアルを作っておけ」
マルチェロ団長は控室の扉を示してから短くそう言い、必要な書類を手早く用意すると、別の部屋へと向かわれました。
控え室は、初めたくさんの従者たちがおりましたが、それぞれの荷物の整理が済むと、ほとんどの者が見物に出て行ってしまいました。時折この控え室に戻って来る者もあり、どうやって仕入れたのか、報告会の様子をポツポツと伝えあっています。人という生き物は、他人の言葉をどこまで信用するのでしょう。いや、単に面白がって話を大きくするのが好きなだけでしょうか。
昼に簡単な食事を出され、長い夕暮れが終わるまで、従者はひっきりなしに控え室を出入りし、大きな声でペラペラと情報を流します。お歴々の報告会が終わる頃には、私を含め、控え室の人間はあらかたの内容を把握してしまいました。
どの教会が財政難か。誰が地元の有力者と癒着しているか。王室にコネクションをもち、私腹を肥やしている司祭は誰か……。列挙すればきりがありません。不本意ながら、わがマイエラの噂も耳に入って参りました。
仕方がありません。正体不明の者にオディロ院長を殺害されたのです。マルチェロ団長も表面的なお悔やみをいろいろな方々から頂いていましたが、その裏で「騎士団が守れなかったのか」と聞こえることも当然として受け止めておられました。
マイエラの話を聞くにつけ、何故、団長が私を伴ったのか解ってきました。
誰も、私のことを知らないのです。私が、マルチェロ団長の付き人であることに気づいていないのです。団長はお一人で実務をこなされることが多く、対外的な仕事で誰かを伴う場合でも、副団長か、おそらく最も信頼されているマリオンさんを指名しました。
話は戻りますが、マルチェロ団長の噂はひどいものでした。妾腹の子でありながら騎士団長。そして院長就任。オディロ院長の慈悲深さにつけ入ったなどと申す者もありました。最近は外部の大司教のニノ様に取り入っているなどと。最も許せなかったのは、団長がマイエラを乗っ取るために、正体不明の賊を使い、オディロ院長殺害を企てたのではないかということでした。
あのとき現場にいたのは、オディロ院長と賊の他、マルチェロ団長、ククールさん、旅人たち。院長の館の一階では賊に打たれた騎士団員が何名かいたようでしたが、実際の殺害を目撃したのは2階にいた人たちだけです。旅人たちの身元はよくわからず、唯一駆けつけたククールさんも葬儀の翌日にはマイエラを離れてしまいました。
証拠も証人もなし。
これではマルチェロ団長に嫌疑がかかるのも仕方がありません。その上、サヴェッラのお歴々にも随分お顔が知れてきました。法皇様とも面識があるのです。
出世の欲にかられての犯行……。
そんな風に世間に思われている。
私は、夕食の席で、思わずため息をついていました。
「あの、もしや、マイエラのかたですか?」
声の方を見ると、色白で金髪の小柄な僧侶がいました。
「……はい」
「隣、いいですか?」
彼は、曖昧に頷く私の隣に、食事の盆を置いて座りました。
「昔……マイエラにおりました」
興味本意で近づいてきたにしては、探るような素振りをみせなかった彼は、控え目な声でそう言いました。
「騎士団にいらしたのですか?」
「いえ、孤児院です。ククールとはよく遊びました。13歳になってすぐに今の……アスカンタの貴族様に養子縁組して頂きました。今は、旦那様にお仕えしながら修行を続けております。……マルチェロ様には少し前、このサヴェッラでお話する時間がとれました。マイエラを出て以来でしたので、とても懐かしく……」
昔を思い出したのか、薄いブルーグレーの瞳が僅かに潤みました。
「今日は団長には?」
「あっ、いえ……。お見かけしただけです。このような集まりにお伴を連れていらっしゃるのは珍しいと思いまして。……申し遅れました、私はレオンと申します。……実は長い名前でして、姓はサン・ジュストです。ククールやマルチェロ様には、ミドルネームの一つ、フロレルと呼ばれていました」
フロレルさんは、その名の通り、花のような優しい笑みを、整った面長の顔に浮かべました。密やかな花園に咲く可憐な、はかない夢のような花。ああ、この人も団長を慕っている、心から。
私にはわかります。団長を慕うかたは皆、あの冷徹な外見とは正反対な優しさ、細やかさを知っています。懸命に隠していても、ふと、表れてしまうあの深い愛情に触れたことがあるのです。
そして、私を含めた全ての者は、心配しています。団長の行く先を。
「夜は、こちらでお泊まりですか?」
私がそう尋ねると、フロレルさんは途端に花びらを閉じ、哀しそうに「いえ」と言いました。
「あなたも法皇様の晩餐に同席なさるのですか? ……お名前を伺っておりませんでしたね」
「失礼いたしました、マロウと申します。晩餐には参りません。私は……孤児でして、マルチェロ団長に名前をつけていただきました」
「それは! 良かったですね。素敵な名前です」
フロレルさんは、再び明るい表情に戻り、団長やククールさんとの思い出話をしてくれました。
法皇様との晩餐の時間がきました。同席する人たちがぞろぞろと控え室から出ていきます。フロレルさんも退出しました。優しい、穏やかなフロレルさん、またいつかお会いできるとよいのですが。
控え室に残ったのは沓持ちの小姓と、僧侶が数人。その人たちも今日中に帰ると言っており、間もなく迎えに来たそれぞれの主と出ていきました。
ついに一人。私は団長の言いつけ通り、薬草畑についてのマニュアルを作成し続けました。何かしていないと、おかしな力に流されてしまいそうでした。権力と権力がぶつかり合い、人の欲と猜疑心が混沌とするこのサヴェッラ。
月が中天にかかる頃、大聖堂の女神像に想いを馳せ、夜の祈りを捧げていると、サヴェッラの騎士団員が何人か入って来ました。
「やれやれ、やっと休めるな」
「ああ、12時間ぶりに座れる」
「……私は3時間後に交代だ。少し横にならせてもらうよ」
そうか、この控え室は警護に当たっている騎士団員の仮眠所でもあるのだ。
彼らは私を一瞥しただけで、仲間との会話に戻っています。
そこでもまた、噂話。
我がマイエラの話が何と多いことか。
「……で? あの男、ニノ大司教にべったりか?」
「ああ。でも、ヤツが他のと違うのは、変に媚びていないんだ。ニノ大司教はあいつをしもべのようにしているつもりだが、あいつが澄ましてやがるから、どっちが力があるか解らないくらいだ」
あの男、あいつ、などと呼ばれるのは間違いなくマルチェロ団長のこと。
「カッサンドラなんてコソコソしていたぜ」
「マイエラはコントレック公爵様の後ろ楯があるからな」
「ニノ大司教なんかに取り入って、どうするつもりなんだろう。公爵様のほうがずっと力があるのに」
笑っているのか、妬んでいるのか、私には区別がつきませんでしたが、誰もが団長を良く思っていないことだけは確かでした。
「……表も裏も、と言ったところだろう? 裏は公爵様、表はニノ大司教だ」
「はあ、頭のいいことで」
「妾腹のくせに……」
「おい!」
声を潜めることもせずに話していた二人が、不意に口を閉ざしました。
控え室の扉が開き、新たに騎士団員が入ってきます。
「ああ、ここにいたのか」
どうやら二人と知り合いの騎士団は、新たな情報を持ってきたのでしょうか、足早に噂話の仲間入りをします。
「面白い話はないのか?」
「ほら、例のあの……」
「ああ、マイエラのだろ?」
後からやって来た騎士団員も団長の悪口を言い立てます。殊更に生まれの身分のことを上げ連ね、やれ出世に目が眩んだだの、ニノ大司教は騙されているだの。私はだんだん、団長がお歴々がたの間で臆することなく立ち回っておられる武勇伝のように聞こえてきて、知らず知らず口の端が上がっていました。
──身の程をわきまえず、法皇様の直接の警護の職を賜るなど……。
!!!
なんと名誉なことでしょうか。警護の騎士団員など足元にも及ばぬお取り立てではありませんか!
それなのに、騎士団員たちはまるでマルチェロ団長が法皇様に取り入って掴んだ栄誉のように言うのです。まさか、女神の代理人である法皇様が、そのような下卑た行為をお許しになるはずがありません。団長の人柄を買われて…または、急な出世を妬む者たちから団長を守るための策のはず。亡きオディロ院長様と法皇様はご学友。法皇様が団長のことを心配されていたことは、私もオディロ院長から聞いていました。
何も知らないで、この騎士団員は……。次から次へと語られるマルチェロ団長の悪口は、もう賛辞にしか聞こえません。
私が笑いを必死でこらえていると、再び控え室の扉が開きました。
騎士団員たちは、また誰かが情報をもってきたのだろうと反射的に扉へ目をやりましたが、全員が一瞬のうちに硬直しました。
なぜなら、控え室に現れたのは、渦中の人マルチェロ団長でしたから。
「帰るぞ」
団長のよく通る低い声は、雀どもを即座に黙らせます。
更に呆気にとられた騎士団員を尻目に、団長はまっすぐ私のところへ進んできました。
「明日の大聖堂見物はなしだ。すぐにマイエラへ戻る。呪具はあるか」
「団長殿、私は移動呪文が使えます」
「ああ、そうだったな。……荷物は私が持つ。すぐにできるか?」
「屋外ならばすぐに」
控え室の騎士団員たちは、一言も発せず、私たちを見ていました。
マルチェロ団長が私を連れてきた理由がまた一つ解りました。移動呪文は特殊なもの。訓練を積んでも誰でも習得できる術ではありません。移動呪文のできる者はマイエラでは私を含めたった2人。
私は、いまいましい控え室から意気揚々と出て、はじめて団長の前に立ちます。私は誇らしさで胸がいっぱいになりました。
* * * * *
「お茶をいれてくれ」
私は、伺うことの多くなった団長室で団長のお好きなお茶を用意します。団長はその間も、手を休めることなく書類に向かっていました。
団長は院長と兼任です。私たちは対外的には「院長」の肩書きで呼びますが、内輪ではやはり「団長」とお呼びするのがしっくりきます。団長もそれをたしなめることはしませんでした。
濃いめに入れたストレートのお茶を渡すと、ようやく団長は羽ペンを置いて、ふっとため息をもらしました。
「明日、朝一番で団長室に来るように」
「はい」
「……サヴェッラはまたいつか見物させてやる」
「いえ……」
先日のサヴェッラのこと。私も女神に仕える身です。大聖堂は是非訪れたかったのです。しかし、団長は多忙。約束頂きましたが、実現することはありませんでした。
この団長の言葉は、私を舞い上がらせました。私のことなどを念頭に置いていて下さったことが嬉しくてたまりません。私は上手く受け答えができぬまま、書類の束に手をかけました。
夜も更け、今日の月はひときわ青い光を投げかけ、団長室の床を照らします。静かな夜。開け放たれた窓から聞こえるフクロウの穏やかな声が、どうか団長を少しでも癒してくれますように。
そんなことを心の中で祈っていました。すると、空になったカップを私に差し出した団長の柔らかな低い声が、お茶の香りと共に私を包みます。
「マリオンを呼べ。お前はもう休むがよい。明日、朝一番に来い。忘れるな」
私は、すぐに書類に移されてしまった団長の翡翠の眼差しを胸にしまい、やはり、私などでは団長のお力にはなれないのかと思うにつけ、突き刺さるちりちりした痛みに耐えなければなりませんでした。
それでも、敬愛する団長のお側にいられることはこの上ない幸せです。私はただの下っ端のとるに足りない人間ですので、他の団員に妬まれるようなこともなく、毎日が充実しておりました。
団長とサヴェッラに行ってから、私は団長の事務的な仕事を手伝うことがぐんと増えました。騎士団員というより、細かいスケジュールを把握し、次々舞い込む予定を組み込み、必要であれば副団長やマリオンさんなど、重役のかたがたに仕事を回したりと、ほとんど事務官のようでした。
団長は時折見せる優しさはあるものの、以前よりも目の光が鋭くなり、身体も痩せ、何より、考えていることがまるでわからなくなりました。仕事に関することはよいのですが、人としての感情を無くしてしまったように思えてならないのです。
マロウ>孤児院出身の聖堂騎士団員。マルチェロに憧れている。小柄。薬草に詳しい。魔法能力が高い。
ククールをトロデ一行に預けてからのマイエラ修道院の話です。マルチェロが法皇になるまでのお話です。