主な登場人物:マルチェロ、マロウ(騎士団員・語り手)、フロレル(孤児院出身)、コントレック公爵、ニノ大司教
「マロウさんですか?」
マルチェロ団長のお伴で、ある伯爵様のお屋敷を訪れたときのことでした。
「はい。マロウにございます」
団長が祈祷をされている時間、私は礼拝堂の隅に控えておりました。声をかけたのはお屋敷の執事の方。
「大変な回復術をおもちだそうですね」
「いえ、…恐れ入ります」
最近、何処へ行ってもこのように声をかけられることが多くなりました。
「後ほど、伯爵からお話がございます。マルチェロ様の祈祷が済み次第、ご案内致します」
……なんですって?
主のかたに呼ばれることなど、今までありませんでした。
今日の予定は、日中のこの祈祷の後、夕の晩餐があります。きっと夜通しの晩餐。お客様も多数いらっしゃるとのこと。おそらく、フロレルさんもおいでになるはずです。
私が黙っていると、執事さんはにこりと柔らかく笑いました。
「ご心配なさらないで下さい。マルチェロ様もご同席されますよ」
「は。承知いたしました」
「ほう、あなたがマロウ殿ですか。……これはまたかわいらしいお坊さまですな」
伯爵は背の高い、焦げ茶色の髪を肩まで伸ばした紳士でした。
「お初にお目にかかります。マロウと申します」
「伯爵様、恐れながら、この者は騎士団員でもあります。なかなかの力を持っております」
社交辞令とはいえ、マルチェロ団長から直接お誉めの言葉を頂き、身体がカアッと熱くなります。
「ははは! 存じ上げておりますよ。お噂はかねがね。魔王の弟子と異名がおありでしょう。いやいや、こんなにかわいいお坊さまとは……」
伯爵様は「かわいい」とか「華奢」とか、たくさんの言葉を言い、機嫌よく笑いました。
「……いや、失礼した。ところで、マロウくん、あなたの回復術の限界はご自分でおわかりかな?」
「は……?」
……回復術の限界?
「恐れながら伯爵様、お言葉通りならば、限界はありません。この者の能力は無限に等しいのです。薬草のかわりにはなりませんが、身体を回復するためにはどうすればよいか、よく解っております。術だけでなく、医学的知識を持っているのです」
黙っている私の代わりに、団長が説明して下さいました。
「ほう! 無限とは……。そうか、それでマルチェロ、君もフロレルも一晩で傷が治ったのだな」
……そういうことですか? この伯爵様は、お二人にどんな酷いことをするつもりでしょう?
「お……お待ち下さい! 確かに、どんな傷かがわかれば治療の施しようがありますが……それでも、慢性的な病や著しい体力の低下を瞬時に元に戻すことはできません。それから寝不足も……。私ができるのは一時的な治療にすぎません。万能ではありません」
思わず大きな声が出てしまった私を、団長と伯爵様が一瞬目を見開いて驚きました。
「あの……申し訳ございません……」
「いや、私こそすまん。マロウくん。まるで手品を見ているようだったのでね。すまなかった。よくわかったよ、ありがとう。これからも精進して下さい」
伯爵様は深々と掛けていた革張りの椅子から立ち上がり、右手を私の前に出しました。
……これは……。この手にキスをしろということでしょうか。
一瞬戸惑った後、一歩踏み出そうとした私の前が、突然青くなりました。
「恐れ入ります……伯爵様。この者はまだ成人前。14歳でございます」
「何と! それは失礼した」
「マロウ、控えていなさい」
私は団長に促され、執事さんと先ほどの控えの間に戻りました。
「マロウさん、夕食はこちらにお持ち致します。他にご用があれば、ベルにて私をお呼び下さい」
執事さんはサイドテーブル上に小さなベルを置き、静かに扉を閉めました。
私は窓辺に駆け寄りました。何だったのでしょう、伯爵様は、私に何を……。そして団長は……。
私はまだ昇らない月に祈ります。夕刻まで、覚えている限りの詩編を繰り返し頭のなかで唱えました。
「入るぞ」
マルチェロ団長が控えの間に来るまで、必死に祈り続けていました。
「もう少ししたら晩餐に行く。……フロレルも来ている」
……わかっています。今日もお二人の治療を施すのですね。今日は新しく作った薬も持ってきています。打ち身によく効くはずです。
「……食事を残してはならぬ。失礼にあたる……」
団長は、手をつけていない食事の盆に目をやり言いました。
「団長殿! 私は14歳ではありません。16です」
「知っている」
団長の翡翠の瞳は冷たい。
「では何故!」
「わかっているのだろう? ……今後もあのように手を出して来る者がいる。どの手もとってはならぬ。早いうちにコントレック公爵様を訪ねるのだ」
団長は表情を変えずに言いました。
「公爵様のお力を借りよとおっしゃるのですか? 団長殿はご一緒に行って下さらないのですか?」
「書簡を持ってゆけ。マイエラに戻ったらすぐに書いてやる」
団長は私に背を向け、扉に向かいます。
「そんなことではありません! 団長殿は何のためにこんなことをなさっているのです? 私が、私が代わりに……」
「もう黙れ」
団長の低い声が静かに響きます。
「団長殿!」
「……食事を残してはならぬ」
団長の言葉は、扉の閉まる音に重なり、消えてしまいました。
私は言いつけ通り、食事をとりました。その間、ずっと涙が止まりませんでした。
* * * * *
マイエラに帰ると、団長は、コントレック公爵様にすぐに書簡を書いて下さいました。
公爵様のご都合を伺ったところ、思いがけず、マルチェロ団長と同行するように、と、お返事をいただきました。
団長は渋い顔をされましたが、コントレック公爵様には逆らうことはできません。他のご用事をキャンセルし、私と一緒にアスカンタのコントレック公爵邸を訪ねることになりました。
「久しぶりだね、マルチェロ」
「長らくのご無沙汰、申し訳ありませんでした」
「オディロは、本当に残念だった……。私も悔しい」
コントレック公爵様は、オディロ院長と旧知の仲。そして、マルチェロ団長やククールさんを可愛がっていらっしゃいました。
「オディロの冥福を祈って……」
公爵様は、私にも場所をご用意して下さいました。お屋敷のバルコニーに出て、3人で献杯をしました。
「マロウくん。話は聞いているよ。マルチェロにこき使われているんだろう?」
「いえ……」
隠さなくていいよ、と、公爵様は豪快に笑います。団長は居心地悪そうに視線を空へ向けました。
暗くなり始めた空に、白い月がぼんやりと見えています。
「ここはね、月の出から月の入りまでが見られるんだよ。私は月の光が好きでね。私の視力では、もうよく見えないのだがね……今日の月はぼんやりとして白い。そうだろう? マルチェロ」
「仰せの通りでございます」
公爵様の前の団長は、オディロ院長の前にいるときと似ていました。いたずらが見つかったのでは、という幼子のようにそわそわして、肩に力が入っています。
「君が人を寄越すなんてね。よっぽどのことだ。ねえマロウくん、マルチェロは一人で行けと言ったろう?」
「はい」
私の答えに、公爵様は嬉しそうに笑いました。
「マルチェロ、君の頼みだ。私は断らないよ。マロウくんを守ろう。各関係者に話がいくようにしよう」
「ありがとうございます」
「……まだ、私はニノより力があると思っているよ。ただ、君を教会上層部から守ることはできない。あとは自分の力だけで行くんだ。……マルチェロ、君がまだ私を頼ってくれることが嬉しい。君がどこへ行きたいのか、私にはわからないが、何があっても君を信じている。……ニノに与してはいけないよ」
食事が振る舞われ、和やかな晩餐の間、公爵様は色々なお話をして下さいました。
博識、ということに加え、現実の状況もしっかり把握してらして、それでいて押し付けるでもないお話の進め方、お人柄に触れ、気づかぬうちに引き込まれていました。
「……マロウくん、つまらなくはないかね? 無理しないでいいんだよ。マルチェロが来るとつい固い話になってしまう。マルチェロの固い頭につられてしまってね!」
ははは、とまた豪快に笑う公爵様。団長は困った様子で眉尻を少し下げました。
「いえ、公爵様のお話は興味深いものばかりです。いつまでも拝聴したいと思うほどです」
「そうかね! では次は君に聞こう。君はどんなことに興味があるかね?」
私は、薬草から新しい薬を作ること、治癒呪文の限界、医術が女神の教えに反するのではないかということなどを話しました。少々、支離滅裂な内容になった感がありましたが、分かりにくかろう私の話を、公爵様は黙ってお聞きくださいました。
そして開口一番、
「なるほど。マルチェロが連れて来るはずだ」
と言いました。
……ええ、解っています。団長が私を同行なさるのは、治療のため、そして呪術のためです。
……そのことについては、私は感情を捨て去ることにしています。ただ、団長の御身を守るだけ。
公爵様は私の話に興味を示され、「治療」が女神の意思に反するか、というところに特に言及されました。
「……マロウくんは、人の死が女神の与えたもう運命だとしたら、治療を施して存命させることは女神の意思に反する、と言いたいのだね。だが、目の前で苦しむ姿をさらしている者を無視することはできないと……」
公爵様は、私の話をまとめて下さり、うん、うん、と何度もうなずきました。
「マルチェロ、君はどう思う? 騎士団を率いる君なら、目の前の傷ついた部下を捨てていくかね? 女神の思し召しとして」
「……全て、女神の思し召しです」
「でも君はいつも部下を守るでしょう?」
「騎士団員として当然です。命を軽んじているわけではありません。ただ、一人のために騎士団全てが倒れる訳には参りません。そういった場合には、私は躊躇いたしません」
「そうだろう。上官ならば当然の行動だ。マロウくん、助かる者はどんどん助けるがいいよ。君の手でね。ただ……」
公爵様は、そこで言葉を切り、手にしていたタンブラーをテーブルに置きました。琥珀の水の中で、透明な氷がゆらぎました。
「君が助けた人は、また、他の者の命を奪う」
!!!
「戦いの最中、瀕死の者が甦り、再び目の前の敵を討つ。反対も考えてごらん? 致命傷を与えたはずの敵が、わずかの後に、君の背中に剣を突き刺す」
「そこまで考えているんだろう? ん……その顔は、そこまではたどり着いていなかったかな?」
私は、騎士団員だ。そうだ。医者ではない。傷の治った戦士は、再び他を傷つけに立ち上がる。
「騎士団とはそういうものだ」
団長が言いました。
私は顔を上げることができずに、団長の手の中のグラスを見ていました。
不意に冷たい風が入ってきました。
クシュン。
団長が珍しくくしゃみをします。
「……冷えてきたね。ここは山の中だからね。夏場でも夜は冷えるんだ。さあ、部屋に入ろう。温かい飲み物を用意しよう。マルチェロ、風邪をひいたら大変だ。ゆっくり温まって来なさい」
公爵様は、団長に入浴を勧めると、私をローテーブルにつくように促し、ご自分はゆらゆらと揺れる椅子にお座りになりました。
お屋敷のかたがやって来ました。
バルコニーは閉められ、静寂が応接間を包みます。
磨きあげられた硝子窓から、すっかり中天に上った月の明りが注ぎます。
「……さあ、飲みなさい。温かいぶどう酒は嫌いかね? 砂糖を少し入れたよ。気に入ってもらえると思う」
「ありがとうございます」
私が先ほど出されたウィスキーを一口しか飲まなかったのに気づかれて、公爵様は甘い飲み物を用意して下さいました。公爵様は目を閉じてしばらくゆらゆらと椅子をゆすっていました。
「……すまないね、マロウくん。少し厳しいことを言った」
「いえ……」
自分が情けなかった。人を助けることが自分の使命と信じ、医術を学び、薬を作り……。
「君はいくつだ?」
「16です」
「若いね。その若さでその知識。並みじゃない。素晴らしいことだよ」
……それは慰めでしょうか?
私は、すっかり混乱していました。
「……他のかたも治療しました。そのかたは、団長よりさらに酷い傷を負って苦しんでおられました。……団長のご命令でしたので、私は……」
「君も、苦しいだろう。何故、彼らが傷ついているのか。解っているのだろう?」
「せめて痛みを……」
「うん……。傷の上に新たな傷がつけば、治りにくくなるどころか命に関わる。もし、私が君なら、同じことをする」
「……」
「マルチェロの頼みだものな……」
「公爵様、団長の代わりを申し出ました……。私ならば、傷を受けることはありません。その痛みを受ける前に……。でも……」
「マルチェロは承知しなかった」
「はい」
「辱しめを受けるのはマルチェロでなければならないのだ。代わりでは意味がない。もし、マルチェロに何かがあっても、君が代わることはできない。マルチェロが挫けても君にだけは代わりをさせないよ。いよいよとなったら、君はマルチェロを連れて逃げるしかない。……マルチェロは逃げるような男ではないが。……ククールが旅に出たと聞いた。オディロの敵討ちだって?」
「はい」
「ククールなら、身を呈して妨害するだろうね。彼なら、マルチェロの代わりになってしまうから。だから旅に出したんだろう」
……団長は、そこまでお考えになっていたのか。やはり私ではお役に立てない……。
「君は、マルチェロが好きだろう」
……ええ、敬愛しております。
「命を捨ててもいい、とまで思っている」
……もちろんです。団長のためならば。
「彼も、君を信じているよ。マルチェロを信じてあげておくれ。彼は味方が少なくなっている。騎士団からも離れようとしている。……付いていってあげなさい。困ったら、私を頼ってくれていい」
泣き続ける私に、公爵様は「君はククールと同じ瞳の色をしている」とおっしゃいました。
コントレック公爵様を訪ねてから、私が妙な勧誘をされることはなくなりました。
団長と訪れるお屋敷での待遇が良くなったのも、公爵様のお力なのでしょう。
だからと言って、団長の受ける仕打ちまでが軽くなるはずはありません。
訪問先も、近ごろはニノ大司教のお近くの重鎮のかたがたばかりになってきて、団長の身体の傷も激しくなりました。私はまだ、自分のすることが団長とフロレルさんを余計に苦しめているのではないかと思います。公爵様に言われたように、治癒しても治癒しても、また新たな戦いの場に出て行かねばならない。これではゼウスの怒りを買ったプロメテウスのようです。
明日また、痛めつけられることは解っていながら、私は団長のお身体を治さねばならない。
私は悪魔の片棒を担いでいるのではないでしょうか。
団長が、「嫌になったら言え」とおっしゃるのはこのことでしょう。私が逃げ出したら、団長はどうなりますか? 恐らくは、ご自分で治癒呪文を紡ぎ、そして傷の癒える間もなく、次のご訪問先に向かわれるはず。
私は団長がそのようなことになることの方が堪えられません。せめて、どうしたら新しい傷を負わずにいられるか研究しました。
祈祷を望むかたは、身体の傷を嫌います。痛みだけを取り除き、痛々しい跡を身体に残せば、祈祷の間隔が空きます。この方法は、騎士団で祈祷に出る人によく使った方法でした。
フロレルさんにはこれが少し効果があったようですが、団長には全く効果がありませんでした。かえってその上に同じ傷をつけて、さらに酷く変色することが増えてしまいました。
一度、何をされたのか、肋骨を骨折して戻って来られました。
「団長殿? 骨が折れています!」
「やはりか。治るだろう?」
「はい……しかし、完治には時間がかかります。まず三週間はお休み下さい」
「完治などしなくてよい。一週間で治せ」
「無理です。二週間が最低です」
「では10日だ」
団長は頑として聞き入れてくれません。私は、10日を約束する代わりに、その後も毎日診察することを条件に出しました。
「よかろう。約束しよう」
団長は、私を信用して下さる。最近は、秘部の傷さえご自分でなさらずに、私に委ねて下さいます。傷つけるためでも、快楽を得るためでもない、本当に大切な団長のお身体を手当てできることは私にとっての生き甲斐でした。
愛を超越している、と私は自分に言い聞かせました。愛したら愛されたいとか、そんな陳腐なものではない。
私は、団長の祈祷を回避する策をもう考えないことに決めました。
……団長殿、あなたをお守りします。私は私であることを捨てました。ただ、あなたのために……。
骨折中も、祈祷という名の凌辱は行われましたので、身体の内部を強める術をかけながらの日々が続きました。万一内臓に刺さりでもしたら大変なことになります。私はニノ大司教にその旨お伝えし、凌辱の行われる部屋の近くで待機させていただくこともありました。しかし、さすがに骨折させてしまったことに少しは引け目を感じたのでしょうか、または痛めつけることに飽きてきたのかもしれませんが、吊るされたり無理な体位をさせられることはなくなってきました。その代わり、薬物を使った凌辱が増え、団長のお身体から薬物を取り除く治療に苦労しました。
ある晩、団長を診察するために団長室を訪れていました。次の祈祷まで3日ほど空きます。私の申し出通り、団長でないとできないお仕事以外はやらず、できるだけ休んでいただくことをお約束してくださいました。
「お身体に入り込んだ薬物は消し去ることができましたが、しばらく気分が悪くなることがあると思います。念のため、修道院にいる間は、朝晩この薬湯をお飲みいただきます」
「わかった。また眠くなる効果が入っているのだろう?」
「……はい」
団長は少し笑い、さっそく飲もう、とおっしゃって私の手からカップを受け取りました。
お着替えを手伝いながら、私は思います。サヴェッラなどでお歴々の方々と肩を並べていらっしゃるのを拝見するのも誇らしいのですが、やはり、団長はこの団長室にいらっしゃるのが一番お似合いです……。
「骨折のほうは、もう心配いりません。いりませんが、戦いの際は庇うことをお勧めします。骨の強度が元に戻るには時間がかかるのです」
「わかった」
「明日からは毎日診察しなくてよろしいでしょう。但し、異変が見られたらお声をかけます。その時は……」
「ああ。逃げ出さない。……何かあったら、私からも言おう。お前を……信頼している」
「ありがとう……ございます」
……信頼している……私は……私は、それだけで生きて行けます。少しでも長く、団長のお側にいて、支えになりたい。
「前にも言った……嫌になったら、そう申せ」
「滅相も! ……尽くさせて下さい」
「お前は、強いな。……その強さに憧れる。……まっすぐで」
「団長殿……」
「すまないな……」
自分の中で燃えたぎるこの感情を、団長に伝えることは決してないでしょう。
毎日、月に祈ります。月に全てを懺悔します。団長のご無事と、悲願達成と、私が団長に抱く気持ちがどうか押さえられますようにと。
* * * * *
団長のお身体は日に日にやつれていきました。
何のために団長が辱しめを受けているか、ここでお伝えしましょう。私が知ることとなったのは、もう随分経ってからのことでしたが……。
サヴェッラで行われた先の会議で、マルチェロ団長は法皇様の警護職を直々に言い渡されました。
団長が法皇様の警護役を勤めるためには、教会関係者他、サヴェッラに所属する世界の有力者の承認が全体の3分の2以上必要です。
ところが、ほぼ全ての教会関係者が反対しました。法皇様は、承認が無くとも個人的な召し抱え要人として教会からの離脱を条件に警護職をお与えになろうとしました。団長は、それをお断りし、反対した教会関係者一人一人の承認を得ることを法皇様にお約束したのです。教会関係者が全て承認すれば、全体の3分の2は優に越えます。
そこで、団長のお世話役としてご助力頂いているニノ大司教の口添えで、団長は全てのかたに直接お会いになり、お許しを得ることになりました。
そして、この辱しめの日々が始まったのです。その内容は、マイエラ修道院の夜の祈祷どころの話ではありませんでした。
一人の承認のために何人ものお歴々が集まり、繰り返しの折檻、陵辱が行われました。
……それももうあと数回というところにこぎつけています。法皇様のお側に侍れば、何人たりとて団長に手を出すことはできません。あのニノ大司教から離れることができるはずです。
そのニノ大司教ですが、祈祷はあの人の持つ屋敷で行われることがほとんどでしたが、別のかたのお屋敷で行わる際にも、必ず顔を出しました。ニノ大司教は、いつも団長の悪口を言い、他のかたがたを煽っていました。そしてさまざまな薬物を用い、団長の意識を朦朧とさせて行為に及ぶことがお好きなようでした。ニノ大司教は、自分は男色の趣味はなかったようですが(女癖の悪いことは皆の知るところではあります)、多くの男色のかたがたをあおり、団長とフロレルさんを犯す場面を演出しておりました。
大抵は、団長を壁に張りつけにしたり縛り上げたり、時には薬品の混ざった池の上に盆のようなものを置いて立たせたりして身体の自由を奪ってから鞭などで暴力行為に及ぶことから始まり、意識を混濁させたり性欲を増大させたりする薬物を摂取させた後、美しいフロレルさんが男色のかたがたに犯されたり、いたぶられたりするところを目の前で見せるのです。体じゅうに参加者の精液をかけられたフロレルさんに団長を愛撫させ、でも射精はさせてもらえないと言う演出もありました。団長の陰茎は常に細いひものようなもので根元を縛られ、決して射精できないようにさせられています。その苦しむお顔を見て笑いものにするのです。そして体の自由を奪われたまま、団長も犯されます。卑猥な言葉を言わされ、参加者の陰茎を口に入れられ、罪の証をかけられるのです。
私のところへ帰ってくる団長は、いつも満身創痍。はじめの頃は陰茎にまかれていた紐を御自分ではずしておいででしたが、そのうちそれさえ私に委ねてくださるようになりました。ご一緒に水屋に入り、お背中をお流しします。もう何が団長の身体を汚しているのかわからないくらい、べたべたと精液と薬品と血液が混ざり合っているのです。綺麗になるまで湯をかける間、背の低い私に合わせ、屈んでくださるのですが、お疲れのひどい折には座り込み、壁にもたれてそのまま目を閉じていらっしゃることもございました。
忘れもしない、私がニノ大司教を心の底から憎んだ日のこと。この日も、身体にまとった布が変色するくらいの薬を使われ、団長が控えの間に戻って来られました。フロレルさんはおらず、団長お一人での祈祷でした。フロレルさんがいないときの祈祷には、ニノ大司教の囲っている女性が参加します。男色ではない方々は、女性との行為をお楽しみになり、やはり身動き取れないようにされている団長に暴力を振るうのです。
身体を清めながら、私は団長がいつもと様子が違うことに気づきました。あまり傷がありません。でも、今までに嗅いだことのない薬品のにおいがしていたのです。「質問してはいけない」という約束でしたが、伺わずにはいられませんでした。
「特に痛むところはございませんか?」
「なぜだ?」
やはり、すぐには答えていただけない。
「傷が少ないですし、筋肉のこわばりが、いつもと違います」
「……お前にはかなわんな……」
団長はそうおっしゃるとぺたりと座り込んで壁に寄りかかりました。
私は黙ってお身体の前面をお流しします。
「まるで赤ん坊だな。こうして身体を誰かに洗ってもらうというのは……」
「どうぞ、赤子のように、何も考えず、湯の心地よさを感じてください」
団長は、そうだな、とおっしゃり、大きな欠伸をなさいました。私はなぜか涙が出ました。温かい湯気の中で団長のお顔をそっと見ると、団長の閉じたままの目からも涙がこぼれていました。私は泣きながら団長のお身体を清め続けました。
「……お前には見られたくないものがある」
「なんでございましょう」
「……私の……陰茎の紐を外したら、見ないでくれ」
「わかりました」
「自分で外す。……私が私でいられなくなるかもしれん。水屋の外にいてくれ。私の筋肉のこわばりの原因だ。私は汚れ無き童貞、女人に欲情してはならない。勿論、関係も持ってはならない。私は!!!」
様子が変です。団長の話し方は、まるでなにかに取りつかれでもしたかのようです。
団長は突然ふらふらと立ち上がりました。ですが、足元が揺れています。
「危ないです!」
水屋の中で転んでは大変です。私はどうにか団長を座らせます。
「離れてくれ、私から離れてくれ……。私は何も……欲情してなどいない、汚れ無き……」
団長は強く目を閉じていました。そしてご自分で陰茎の紐を外そうとしますが、指先が震え、うまくできません。
「見るな……。私を見ないでくれ……」」
「団長殿、薬のせいです!」
間違いありません、何か、意識に強く左右する薬物を摂取させられたのです。
「……薬? 私は……」
「大丈夫です、私がやります。心配いりません」
陰茎の紐を外すと、思った通り、精液が噴出しました。団長はなんとも悲しい顔をして私をご覧になるのです。私は思わず団長の肩を抱きました。団長は、びくりと肩を震わせましたが、肩に置いた私の手を握り、強烈な弛緩に耐えていらっしゃいました。
「……すまない」
「……団長殿?」
「お……女が、……私を誘ってきたのだ。床で縛り付けられた私のところに女が近づいてきた。全裸で胸を揺らし、私の唇に乳房を押し付けてきた。もう一人が私の陰茎を乳房で挟んだ……だが、その女たちは、後ろから男に突かれていた。私の顔の上に、もう一人の女がやってきて、腰を下ろした……女は自分で陰部を広げ、自分で指を入れてぐるぐるとかき回した。女の陰部から水分が垂れてきて私の顔を濡らした。私の唇に乳房を押し当てていた女も私にまたがり、男の陰茎が抜き差しされている陰部を見せてきた……私の陰茎を乳房で挟んでいた女は……っ」
「団長殿!」
団長は、突然ご自分の腕を口に押し当て、叫びをこらえています。陰茎からはまだ精液が流れています。聖堂騎士団は女人とのかかわりを禁じています。それをかたくなに守っていらっしゃる団長。無理に高められた性欲に、心拍数もどんどん上がっています。ゆっくりと自然に射精が終わるのを待たないと、危険な状態です。団長は懸命にこらえています。でも、身体を助ければ精神がもちません。どうすべきか決めかねていると、団長が苦しそうに言いました。
「……助けてくれ……」
団長が私に助けを求めている……。私は迷わず言いました。
「団長殿、私を……、私を使ってください!」
私は、身を差し出す決意を持って、団長を見ました、団長は私の目をじっと見つめます。団長の翡翠の瞳に、私の青い瞳が映ります。その瞬間、団長の瞳に力が宿ったように感じました。
「私は! ……汚れ無き……」
団長は気を失いました。
ノックの音がしました。
「どなたですか?」
私は水屋に団長を残したまま、扉に向かいました。
「わしだ。ニノ大司教だ」
「ニノ様?」
「入るぞ」
「お待ちください、マルチェロ団長は今……」
ニノ大司教は、数人引きつれて、むりやり部屋へ押し入りました。
「お前は……マロウとか申したな。マルチェロはどこだ」
「水屋です。気を失っております」
ニノ大司教と数名は水屋をのぞき、くやしそうに舌打ちをしました。
「わしの負けじゃ」
ニノ大司教がそう言うと、また何人かが部屋に入ってきました。
「ニノ殿、残念でしたな、賭けは私たちの勝ちということで……」
「いやあ、それにしても屈強な男でございますね、この男は」
「まったく、あそこまでたかぶらせておいたんだ、まちがいなくこの者と……」
皆、私の方をちらちら見ながらげらげらと大笑いして水屋をのぞきます。
どいういうことでしょう?
「自分で始末したんですかねえ、股が汚れていますよ」
「ああ、ひどいニオイだ!」
「ははは、まったく! 純潔なかたは変わったにおいの精液を吐き出される」
何の話です?
笑いながら、一人が私の方を向いて言いました。
「お前に魅力がなかったんだねえ、小僧さん?」
「……?」
一体何の話をしているのでしょうか。
「ニノ殿の女性たちを見た後では、こんな小僧に欲情できなかったということですかな」
「強がったところで仕方がない、我々は、あの男が射精欲に負けて、この小僧に襲い掛かるほうに賭けたんだ」
ニノ大司教は心底悔しそうに言いました。
なんですって? 団長が性欲に負けて私を襲う? それを見に来たのですか?
私は、さっき水屋でこの賭けに一枚噛んでしまうところでした。私を使ってください、と申し上げた。でも団長は、私の目を見て、正気に返った。青い目に自分を映して……。
「仕方がない、では向こうで約束の……」
ニノ大司教はそう言いながら私たちの部屋から出て行こうとします。他の人たちも、大笑いしながら続きますが、その中のある一人が私の前で止まりました。
「マルチェロ団長のお気に入りだと思ったんだがね、小さい騎士団員さん? ロリコンではなかったということか?」
なんですって? 私は知らず知らず、この人物をじっと見てしまいました。
「おい、貴様、何だ! 文句があるのか!」
私のような騎士団員の下っ端が、高位のかたの顔を、じっと見るなど、いけないことです。
「申し訳ありません」
私はすぐに謝りましたが、この人物は怒りを押さえてはくれませんでした。私は、思いきり殴られ、団長のいる水屋のほうまで飛ばされました。
「ああ、……様、おやめになったほうが……」
「何? こんな小僧!」
私を殴った人物は、なおも拳を振りかざし、水屋へ向かってきます。しかし、ニノ大司教がこの人物を制して私に言いました。
「マロウとやら、お前もわかっているだろう。ここで事を起こしでもしたら、マルチェロのこれまでしてきたことは水の泡だぞ」
「心得ております」
意地悪くニヤニヤ笑うニノ大司教。私は平伏しながらそう言うより他ありませんでした。ニノ大司教たちは、とにかく、飲み直しましょう、などと言って部屋を出て行きました。
私は情けなかった。いつもマルチェロ団長が部屋から出るな、と言っていた理由がよくわかったからです。いくら魔術の力があっても、私では、なんの責任もとれない。もう少しで術を発動してしまうところでした。そんなことをしたら、おしまいです。何もかも……。
このことがあってから、私はこれまで以上に周囲に気をつけるようになりました。いつも団長に保護していただいているわけにもまいりませんから。
祈祷はあと数回、と団長が言ってから、もう5回は行われています、一体最後はいつ訪れるのでしょう。これ以上刺激の強いことが行われたら命にかかわります。そんな心配が増えていたのは、団長が意識を失って運ばれてくることが頻繁になったからです。
そのたびに、私は涙をこらえて治療を行わねばなりませんでした。泣いてはいけない。団長の望みのために、私は団長をお守りしなければならないのですから。
ある日のことでした。この日は、フロレルさんも一緒で、お二人とも激しく痛めつけられ、意識半ばで私のいる控え室に運ばれてきました。
起きて水屋を使うこともできないほどのご様子でしたので、私は何度も身体をぬぐい、傷を確かめました。打ち身がひどく、青いあざがいくつもできていました。
隣室からは下卑た笑いが聞こえています。聞いていれば、何とお二人が互いを殴り合うという行為があったようです。あまりにもひどい仕打ち。お二人の苦悩の表情が目に浮かんできてしまいます。それなのに隣室ではなんと楽しそうに。
「愉快愉快!」
「ご覧になりましたか? あのように顔を歪め……」
「見ものでございましたな。さすがニノ殿。見事な演出でした!」
「最後じゃからな。もっと痛めつけたかった。あの男!」
ガタガタと椅子が引かれ、数人がテーブルについたようでした。夜明け近くというのに、酒盛りが始まり、笑い会う大声がこの控えの間にも響きます。
「最後……」
私は思わず口に出しました。
「……明日、ニノ大司教とゴルドへ行く。ゴルドの承認印を受けてくる。無理に治さなくてよい……歩ければよい……」
団長は目を閉じたまま、小声でそうおっしゃいました。
「一度マイエラに帰るぞ。フロレルも連れて行く」
「しかし、まだ……」
「案ずるな、帰って休む」
「わかりました。団長室でゆっくりお休みいただきますよ」
「ああ、わかっている」
フロレルさんもほっとした顔をされ、「良かった……」と小さく呟きました。
凌辱の日々が終わりを迎えました。