主な登場人物:ドニの領主、セシリア(ククールの母)、アナマリア(マルチェロの母)、ばあや(女中頭)、マルチェロ、ククール
1
「さあ、坊っちゃん、お母さんのところへ行きましょう」
いつものように、アナマリアに会わせようと、ばあやがこっそりマルチェロ様におっしゃいました。マルチェロ様は2歳、かわいい盛りでございます。
「かあさん!」
18歳のアナマリアはマルチェロ様を抱きしめ、短い時間を親子で過ごしました。気だるい夏の午後のことでした。
「ばあやさん、もうマルチェロには会いません」
マルチェロ様はアナマリアにおぶさって、うとうと眠っていました。
「どうして?」
「……奥様が」
「奥様が?」
「誰かが、旦那様に告げ口をしているみたいで、私とマルチェロが会った日は、奥様、それはそれはひどく責められて……」
それを聞いてばあやは大きなため息をつきました。
「一体どうしたらいいのかね。奥様はマルチェロ様を可愛がっていらっしゃるけれど、マルチェロ様だって母親にお会したいだろうに」
「いえ、マルチェロはドニの領主の息子です。そして私はこの家のメイドです。マルチェロのことを考えたらその方が……」
「アナマリア、あんたのお腹を痛めた子だよ、どうしてそんなことを……」
アナマリアは奥方様の優しさに触れ、自分を呪うようになっていました。そしてこの日を境に、ばあやがどんなに説得してもマルチェロ様に会うことを拒み続けました。アナマリアは、マルチェロはドニの息子、マルチェロはドニの息子、と、他のメイドが気味悪がるほど毎日呪文のように繰り返していました。
マルチェロ様は5歳にもなると上手に文字を書き始め、教えたことはどんどん吸収する聡明なお子におなりでした。主も、自分と奥方様の前でのみ、アナマリアと会うことを許しました。会う、と言ってもご家族の食事の時に給仕をさせていただく、というものでしたが。
アナマリアは21歳、女盛りで、とても子供がいるようには見えませんでした。アナマリアはマルチェロ様を避け、主と奥方様の前ではおどおどと、視線も定まらない様子でした。
精神的に追い詰められ、うつろな表情をすることの多くなったアナマリアを奥方様は心配し、しばらく仕事を休んだらどうかと提案なさいました。
「マルチェロの産みの母なのですから、大事にして差し上げたいのです」
「ふん、勝手にしろ」
この頃主は、再びベルガラックのカジノに入り浸っており、ベルガラックに5日間行き2日を自宅で過ごすという生活がもう3月ほど続いておりました。
アナマリアは奥方様の隣の納戸を使うことを許されました。日中の仕事は掃除のみ、空いた時間は自由にしてよいのに、アナマリアは納戸に閉じこもっていました。主が留守時に奥方様がお庭に連れ出し、陰からマルチェロ様の様子を見せても、アナマリアはただ涙を流し、ぼんやりとするばかり。それでも、奥方様に口づけされると激しく求め、そのまま奥方様の寝台で眠ってしまうこともありました。
奥方様は、哀れなアナマリアをお救い下さい、と毎夜女神様に祈りを捧げました。しかし、女神様はアナマリアも奥方様もお救いにはなりませんでした。奥方様はご懐妊されたのです。その時マルチェロ様は7歳でした。
奥方様はアナマリアの面倒を見、マルチェロ様の教育を見守り、主に代わって接客をし、屋敷を切り盛りし、と、大層忙しく過ごしておいでの時でした。奥方様にとって輿入れされてから最も充実した生活であったのかもしれません。主の乱暴にも我慢できたのは、他でもない、アナマリアとの秘め事があったからなのでしょう。心身ともに満たされた奥方様は、思いがけず妊娠されたのです。
主は、奥方様の妊娠を知ると、狂喜乱舞し、まずアナマリアを奥方様から引き離し、またメイド部屋に押し込みました。マルチェロ様には家庭教師をつけ、マルチェロ様のお世話をしていたばあやは、産まれて来る赤ん坊の世話係りとすることに決めました。
主は人が変わったように奥方様を大切にし、家から出ようとはしませんでした。産まれてくる赤ん坊のために部屋を用意し、おもちゃを用意し、産着を用意し、産婆の控え室まで用意しました。
「奥様、おめでとうございます。どうぞお身体を大切になさって下さいまし」
ばあやは、お子が産まれるまでは付ききりで奥方様のお世話をすることになっています。
「ばあやさん、アナマリアはどうなりましたか?」
最近の奥方様はお顔の色もよく、成熟した女性の輝きがございます。
「はい、時々はマルチェロ様にお会いになり、仕事も少しずつですができるようになっております」
嘘でした。
「まあ、それはよかった。マルチェロも安心していることでしょうね」
「そのようです」
ばあやはそう返事をするのがやっとでした。
2
マルチェロ独白
僕はお母さんに似ているんだって。ばあやが教えてくれた。
旦那様に似ているのは緑色の瞳だけなんだって。
今日もそのことで旦那様に叱られた。
「どうしてお前は俺に似ていないんだ」って。
僕は悲しかった。
旦那様の目を見たら、鏡で自分の目を見た時と同じ、緑があった。
なのに旦那様は「なんだ、その反抗的な目は!」と言って僕を殴る。
僕はテーブルの足に思いっきり背中をぶつけた。
すごく痛くて泣きたかった。
でも泣くともっと殴られるから我慢する。
そうすると旦那様は「可愛いげのないガキめ」って捨て台詞を残してどっかへ行っちゃう。
ばあやはそんな時僕を抱きしめてくれて、坊っちゃんは何も悪くないんですよ、気になさらないでって言ってくれる。
そして、次の日は母さんに会わせてくれるんだ。
母さんは、いつも僕の名前を呼んでぽろぽろ泣きながら苦しいくらい抱きしめてくれる。
「私のマルチェロ、私のマルチェロ」って、小さな声で。まるで呪文のように。
僕はいろいろ話したいのに、母さんは僕の話をうん、うん、と頷きながら聞くだけで、何も言ってはくれない。
別れ際はいつも「奥様に可愛がってもらってる?」ってそれは悲しそうに聞くんだ。
「いつも優しくして頂いています」って言うと、「奥様にご迷惑をかけないようにね」って言う。
母さんがいつもそう言うから、僕は絶対に奥様にご迷惑をかけないように、勉強も礼儀作法も一生懸命習うんだ。
よくできると、奥様はすごく誉めてくださって、必ず「アナマリアに見せてあげたいわ」っておっしゃる。
奥様は本当に綺麗な人で、笑うと月明かりみたいにキラキラするんだ。
僕を産んだのはアナマリア母さんだけど、どうしてか、母さんとご飯を一緒に食べたり、遊んだりできない。
母さんは若くて、奥様と比べるとまるで子供のような感じがする。
奥様と食事するのは嬉しいけれど、あんまり綺麗だからドキドキしちゃう。
僕は奥様の子供じゃないけど、旦那様の子供だからしっかり勉強しなきゃいけないんだって。ばあやが言ってた。
ばあやは、礼儀作法がきちんとできないと恥ずかしいからって、厳しい執事さんを呼んで僕に勉強させるんだ。
ばあやは、二言目には「坊っちゃんがどこへ行っても困らないように」だ。僕はいつも一生懸命勉強してるし、これからだって母さんや奥様やばあやを困らせないようにするつもりだよ。
勉強は楽なことじゃないけど、旦那様に殴られるよりはずっといい。
旦那様は、僕が勉強していると「当たり前だ」と言うけれど、そう言う時は絶対に殴らないから、僕はいつだって自分から勉強する。
そういえば、ばあやの口癖がもうひとつあった。
「坊っちゃん、男の人は、外に7人の敵がいるのです。自分をわきまえて、強く生きるのですよ」って。
敵って言うのは魔物とかのことじゃなく、悪い人とかのことでもないけど、とにかく、「こんなん」ていうものがたくさんあるから、強くなりなさい、ってことみたい。
「強い」って、やっぱり魔物を倒す力とかのことじゃないのかな、ってばあやに聞いたら、「強い」はいろんな意味がある、って言われた。
僕はよく解らないから、旦那様は強いかどうか聞いた。
ばあやは、「旦那様は権力が強く、運が強く、喧嘩が強い」って言った。
じゃあ、奥様は? と聞いたら、「奥様は、心がお強い」って言った。
じゃあ、僕は? って聞いてみたら、「坊っちゃんは、お子さまですのでまだわかりませんが、意志がお強いですよ」って言ってくれた。
僕は、僕の成績じゃなくて、僕の性格を言ってもらえたので嬉しかった。
強いことっていいことなの? って聞いたら、「何でも、というわけではないです」ってばあやは言うんだ。
「そのうちわかりますよ」とも言った。そのうち、っていつだろうか。
僕の母さんが病気になったらしい。
僕、最近母さんに会ってないなとは思っていたんだ。
僕に会ってないから病気になったんだ、ってばあやは言うけど、一番最近会った時の母さんは、悲しそうで、僕を見ても笑わなくて、「私のマルチェロ」呪文も言わなかった。
母さんは仕事がたくさんはできなくなってしまった。だから代わりに僕が働いた。ばあやに止められるまで、働いた。母さんと奥様のために。
奥様に赤ちゃんができた。
僕は7歳になっていた。
僕は急に家庭教師をつけられ、奥様とお会いする時間が減った。
ばあやも奥様につきっきりで、何日も会わない日があったくらいだ。
母さんの世話は僕がすることになった。
そして、旦那様が家にいるようになった。
僕は朝早く起きて、母さんのところへ行く。
母さんは一人で起きて、ゆっくり仕事に行くんだけれど、ご飯を食べるのを忘れちゃうから、こっそり僕の朝ごはんを差し入れする。
僕は夕方まで勉強があるから、晩御飯までの短い時間に母さんの仕事を手伝いに行く。
晩御飯の後はまた勉強があるけどなるべく早く済ませて、母さんのところへ行く。
こんな生活にも慣れた頃には、奥様のお腹が大きく張り出し、母さんは僕をまたわかるようになって「私のマルチェロ」と言ってくれるようになった。でも母さんは、毎日、奥様と赤ちゃんの心配をして女神様に「赤ちゃんが旦那様に似たお顔でありますように、お二人にお慈悲を」って祈っている。
僕がいくら「大丈夫だよ」と励ましても、取りつかれたように母さんは祈る。
だから僕は「母さんの願いを叶えて下さい」ってお祈りした。
女神様は母さんの願いをちゃんと聞いてくださるかな。
3
強い風の吹く夜のことでございました。屋敷中の者が女神様に祈り続ける中、奥方様は一晩中苦しみ、明け方、小さな男の子を出産なさいました。
「セシリア、よく産んでくれた。銀の髪の、なんて美しい赤ん坊だ。お前にそっくりだ、華奢な手足、透き通るような白い肌、天使のようだ」
主は、涙を流し喜びました。屋敷中の誰もが、初めて心から主に祝福の言葉を申し上げました。
ククールと名付けられたお子さまは、主の言う通り、奥方様のお顔にそっくりな、それは美しいお子さまでした。
奥方様は、お身体があまり丈夫ではなかったので、産後の回復に時間がかかりました。
その間、主はまるで人が変わったかのようにククール様のお世話をします。奥方様は、床につきながらも、アナマリアとマルチェロ様のことを心配されておりましたので、「どうか、マルチェロとアナマリアをないがしろにしないで下さいまし」と機会あるたびに主に願い出ておいででした。マルチェロ様がアナマリアについていることを知ると、奥方様は、ほっとすると同時に一抹の寂しさを感じずにはいられませんでした。
奥方様は、ご自分がこの屋敷で心から愛した二人が自分から離れて行ってしまう、なぜかそんな不安にさいなまれるのでございました。もう自分にはククールしかいないのだと、お身体が万全ではないのに、起きてお世話をなさいます。そんな無理をなさる奥方様は母乳があまり出ませんでした。
「待ち望んだ子であるのに、満足に世話もできない、母乳も出ない、わたくしは母親失格ではないのでしょうか」
奥方様はすっかり気弱におなりで、ばあやに涙を見せるのでした。
「奥様、まずご自分のお身体の回復に努めましょう。お元気におなりになれば、母乳も出てまいりますよ」
奥方様は、アナマリアのたわわな乳房の先から溢れる乳を思い出し、生温かく甘い味を唇に思い出し、ご自分の乳首をマルチェロ様に舐めさせた感覚を思い出し、アナマリアとの満たされた時間を思い出し、苦しみました。
「アナマリアに会いたいのです」
奥方様は、アナマリアに聞きたいことがあるからと、ばあやを通じてアナマリアを寝所に呼びました。久し振りに見るアナマリアは、少しだけ元気なようでした。
「アナマリア、あまり顔を見せてくれないのですね? 身体の具合はどうですか?」
「奥様に会うことを禁じられています。ククール坊っちゃんの教育によくないからと」
「まあ、ククールはまだ首もすわってないのですよ。ばあやを通しますから、またおいでなさいね」
奥方様は、アナマリアの手を取りました。するとぼんやりしていたアナマリアに表情がよみがえってきます。
「……わたくし、母乳が出ないのです。あなたのようにたっぷり出ないのです」
奥方様は長いまつげの先に涙を光らせ、うつ向いておっしゃいました。
「奥様……。ククール坊っちゃんはよくお乳を吸いますか?」
「いえ、私の母乳が出ないせいでしょうか、吸う力が弱いようなのです」
奥方様は固く張った乳房をアナマリアに見せました。
アナマリアは奥様、おかわいそう、母乳が詰まっているのですよ、痛いですけど我慢して下さいと言い、固い乳房を揉み始めました。
奥方様はあまりの痛さに声をおあげになります。アナマリアは手を休めることなく、奥方様の乳首を吸いながら柔らかくなるまで揉みました。乳腺の詰まりがとれてくると、母乳は不思議なほどよく出るようになりました。それを器にためて、ミルク瓶に移しかえてククール様に飲ませす。ククール様は喉を鳴らして夢中で飲みました。
「次からは、奥様のお乳を吸えますよ。もし、また今日のように張ってしまったらお呼び下さいませ」
「アナマリア、ありがとう」
「そんな、もったいない。……それより、奥様の母乳も甘かったです」
ああ、アナマリア、と奥方様はおっしゃって、アナマリアを抱きしめ、官能的な口づけをお与えになりました。
奥方様の母乳は詰まりやすいようで、その後もアナマリアは奥方様の固い乳房を揉みにやって来ました。ククール様に母乳を与え終わると、二人は罪の行為に溺れるのでした。そしてそれは奥方様の母乳がすっかり出なくなるまで続きました。
この頃のマルチェロ様は、勉学にますます身を入れ、弟のククールに勉強を教えるんだ、と張り切っていらっしゃいました。そして、屋敷内に、跡取り問題が持ち上がってきたのもこの頃でした。マルチェロ様とククール様は同じ夏の生まれ。二人の誕生日が間近に迫ったある日、主は一つの決断を言い渡しました。
奥方様は何の相談も受けてらっしゃらなかったので、話を聞くと大層取り乱し、抱いていたククール様を落としそうになりました。
「な、何とおっしゃったのですか? 今、何と。わたくしの聞き間違いではないでしょうね、アナマリアとマルチェロを……」
主と奥方様の他、玄関ホールにはばあやと執事、警護の者数人がおりました。奥方様の銀色に輝く髪は乱れ、白い頬からは更に血の気がひいて、唇はわなわなと震えておりました。
「だから、出ていけと言ったんだ」
「マルチェロはこの家の長男ですよ? アナマリアは母親です!」
ばあやは片手でククール様を抱き、もう一方の手で奥方様を支えています。
「ククールさえいれば」
「なんですって?」
「妻の産んだ子がいるのだ、メイドの産んだ子など必要ない」
「お待ち下さい、あんまりです! 出て行けなどと!」
奥方様は玄関ホールの片隅にひれ伏すアナマリアとマルチェロ様に駆け寄り抱きしめました。
「アナマリア、行かないで、行かないでちょうだい、マルチェロ、あなたはククールの兄なのですよ、たった一人の兄なのですよ」
アナマリアもマルチェロ様も言葉もなく、絶望にうちひしがれておりました。
「どこへなりと行け。二度とドニに近寄るな」
主は乱暴に屋敷の扉を開けました。
「待って下さい、せめて朝まで待って下さい、こんな夜に、危険です」
奥方様は半狂乱になって主にすがります。
マルチェロ様が耐え兼ねて言いました。
「旦那様、お願いです、母だけは助けて下さい、私は今すぐ出ていきます。ですから母をここに置いて下さい」
「駄目だ。二人とも出ていけ、今すぐにだ」
「きゃあっ!!」
主は、二人をかばう奥方様を乱暴に引き剥がしました。
「セシリアを部屋へ連れていけ。監視しろ」
すぐに警護の者が奥方様を抱えて行ってしまいました。
「奥様! 奥様!」
アナマリアは絶叫し、主に向かって行きました。主はアナマリアを蹴り飛ばし、かばいに入ったマルチェロ様も捕らえて投げつけました。恐ろしい怒鳴り声とアナマリアの絶叫、奥方様とククール様の泣き叫ぶ声が、屋敷中に響き渡りました。
セシリア>ククールの母。銀髪でスリムな体型。お嬢様そだちで優しく聡明。
公式では、もっと早い段階でマルチェロの母は亡くなり、マルチェロはマイエラ修道院へ行きますが、8歳まで親子一緒にいたことにしました。
次はマルチェロ親子がマイエラ修道院へ行きます。