主な登場人物:マルチェロ、オディロ院長、ガルシア(騎士団団長)、マリオン、カミーユ(騎士団員)
1
母を亡くし、一週間後のことでした。マルチェロが院長の館を訪れました。オディロ院長は、マルチェロの目を見て、迷いのない答えが出たのじゃな、と確信しました。
「答えは出た様じゃな、マルチェロ。すっきりした顔をしておる」
「はい。一週間、ゆっくり考えました。礼拝をさせて頂き、私は院長様のお話をこれからも聞きたいと思いました。オディロ院長様を父と思いたいのです。そして、院長様とこのマイエラ修道院にお仕えしたい」
「そうか。のう、マルチェロ。それはドニの生家を捨てることになるのじゃよ? お前さんの父親とも、奥方殿とも、何の関わりもなくなる。わかるか? ともに女神様にお仕えすることになるのじゃよ」
「はい。ドニの生家は、母と二人で出された時からなんのかかわり合いもありません。奥様ははじめから私とは他人です。これ以上ご迷惑はかけられません。どうか、ここにいさせてください。お導き下さい」
「わかった。お前さんの覚悟はようわかった。13歳になるとき、再び問おう。修道士となるか、聖堂騎士団員となるか、また別の道もあろう。それまであと4年。孤児院でしっかり勉強するのじゃよ。今夜、夕食時に皆に紹介しようの。それまでは客人じゃ。ゆっくりしなさい」
こうしてマルチェロ様は、マイエラ修道院の孤児院に入りました。そして、院長の言葉に従って真面目に勉学に励みました。文字通り、真面目すぎるほどでございました。
マルチェロ様が13歳でご自分の生き方を決めるまで4年、その間、ドニの生家からは度々接触が図られました。
初めの2年間は、ばあやが人目を忍んでマルチェロ様の様子を聞きに来たのです。しかし院長は、どんなに頼まれても決してばあやをマルチェロ様に会わせることはしませんでした。
また、ドニや船着き場の酒場では色々な噂が流れました。マルチェロ様が「危険分子」であると。マイエラ修道院の孤児院にいることがわかっていて放っておく領主は阿呆だ、とも。
このような噂を流していたのは、領主に支える執事のエメットでした。もちろん、エメットであると見抜いたのたは、情報通の聖堂騎士団員、カミーユでしたが。
人の口に戸は建てられないとは言いますが、噂が人々に浸透するのとは逆に、全く姿を見せないマルチェロ様のことを、世間は少しずつ忘れていっているようでした。なぜなら、マルチェロ様の異母兄弟、ククール様は可愛い盛りで、ドニの民はみなセシリア様ククール様の輝くばかりの美しさに夢中でしたから。
執事エメットの思惑は外れ、マルチェロ様が孤児院に入って4年がたつ頃にはドニ中の人間がアナマリア、マルチェロ様親子のことを話題にしなくなっていました。
2
あと一月ほどでマルチェロ様は13歳におなりです。マルチェロ様が修道士になるか聖堂騎士団員になるか、決断の時が近づいていました。
そんなある日、修道院の中庭で、情報屋カミーユがマリオンをつかまえました。
「マリオン? お前はあのマルチェロと仲がいいよな?」
「はあ、まあそうですね」
マルチェロ様がこのマイエラ修道院を訪れた時から、なにかにつけ世話をしていたのはマリオンでした。マルチェロ様もこの裏表のない実直なマリオンにはよくなついておいででした。
「俺は別に何とも思っちゃいないんだけどな。あいつ、敵が多いぞ」
「待ってください、マルチェロはまだ12歳ですよ」
「もう13歳だろう。で、どうするんだ?」
「多分、聖堂騎士団員を希望すると思います」
「だろうな。あの気性、強くなるぞ。しごきがいがある」
と、言ってるヤツが多いぜ、とカミーユは付け加えました。
「なあ、俺は関わりたくないんだが、マルチェロが聖堂騎士団見習いになると、お前がいろいろ世話をやくんだろうな」
「そうですが、何です? カミーユさん。見習い生はいつだって俺が中心に見てますよ」
「いいんだ、それで。でもな、マルチェロに関してはまずい。せいぜいとばっちりに会わないようにしろな」
マリオンはカミーユが何を言いたいのかわかりませんでした。聖堂騎士団員は血の気の多い者がほとんどでしたし、見習い生はしごかれるのも当たり前のことでした。マルチェロ様だけが特別にしごかれるとも思えませんでしたが、カミーユの言うことはいつも真実です。
「わかりました。忠告ありがとうございます」
「うん、それから、こっちが大事なことなんだが、今夜、ガルシア団長と一緒に院長に呼ばれている。お前も来い。俺はその話を絶対お前の耳に入れたいんだ」
「はあ、わかりました」
じゃあな、忘れるなよ、と言ってカミーユは足早に去っていきました。カミーユは聖堂騎士団の中でも異色の存在。「情報通」ということを除けば、のらりくらりと人のいさかいをかわし、誰にも媚びず、なびかず、単独で動く男でした。
マルチェロは確かに「出来」が良すぎる。誰よりも勤勉、誰よりも敬虔、誰よりも純粋である、というのがマリオンが持っているマルチェロ様の印象でした。それゆえに敵を作ってしまう、人の妬みとは嫌なものだな、とマリオンは思いました。いや、俺がお人好しなのか、と見上げた空は、四角い中庭の上に青く広がり、マリオンのもやもやした想いを「小さいことよ」と笑っているように見えました。
──マルチェロを心配することは杞憂に終わるだろう、あんなに頭の良い、また、人の言葉を素直に聞きじっくり考えるという思慮の深さは、12歳と思えぬほど。
何を不安に思うのだろうかと、マリオンも心の中で笑いました。
「聖堂騎士団員、マリオンです」
「おお、入りなさい」
カミーユに言われた通り、マリオンは院長室に行きました。そこには院長、ガルシア団長、アーネスト副団長、カミーユ、役付きの修道士が数人来ておりました。そうそうたるメンバーに、マリオンは思わず足がすくんでしまいます。
「私などが聞いてよいお話なのでしょうか……」
のろのろと入室し、不安げなマリオンに、ガルシアが張りのある声で答えます。
「うむ、本来なら無関係な者には聞かせたくない話だが、マルチェロを守れるのはマリオン、お前しかいないからな」
随分大事のようです。マリオンはぞくりとしました。
「まあ、ガルシア、脅かすでない。カミーユ、報告を」
院長に促され、カミーユが、慣れた様子で話し始めます。
「はい。ドニの執事エメットが間もなく行動を起こします。使用人一同がマルチェロを跡取りに擁立し、領主の失脚を狙うといものです。具体的には、パルミド、ベルガラックでの散財を理由に、職務放棄をします。数日後、我がマイエラ修道院にマルチェロを迎えにきます。拒否すれば、奪還もあり得ると」
「奪還とは豪気なことじゃ」
「カミーユ、本人の意思はどうなのだ?」
ガルシアの太い声はカミーユに向けられます。
「それについてはマリオンが」
突然話を振られてマリオンはびっくりしました。
「マリオン、どうじゃ? マルチェロはドニの屋敷を懐かしがっているか?」
「は?」
何のことかさっぱりわからん、とでも言いたげなマリオンの間の抜けた返事に、ガルシアは厳しい声で言います。
「話が見えないようだな。マルチェロの実家……領主の家は破綻寸前だ。給金を減らされた使用人が暴動を起こし、そしてマルチェロに跡を継がせようと計画している」
「なんですって? マルチェロに? 正妻の子、ククールがいるのではないですか?」
「ククールでは駄目なのだ」
「駄目って?」
集まった中で、マリオン一人だけ話が見えていません。
「マリオン、要するに、執事が黒幕だってことだよ」
カミーユが当たり前のように言いました。
「執事が実権を握ろうと?」
「そうだ。それには、領主を恨んでいるだろうマルチェロを擁立するのが一番いいんだ」
「しかし、カミーユさん、マルチェロは何も……」
「そこじゃ。問題は」
院長も身を乗り出して言いました。
「……まさか、洗脳?」
マリオンのますます不安げな顔を見ながらガルシアが言います。
「我々はそう考えている。実の父親とは言え、マルチェロは領主にいい印象を持っていない。しかし、あの執事には教育を受けてきたから、執事の意のままになりやすいだろう。だから年齢の若いうちに手に入れたいんだ」
ガルシアの言葉に続いてアーネスト副団長が言います。
「まあ、万一、そうなっても我がマイエラ修道院には何の不利益もない。ドニの民はかえって喜ぶ者もいるだろう……果たしてそれが吉と出るか凶と出るかわからんが。カミーユ、お前の見解は?」
一同がカミーユを見ました。
「はい、執事は領主一族を潰すつもりです」
「やはりのう……」
院長が小さなため息をつきました。カミーユはあとを引き取って続けます。
「マルチェロは一時的な飾り物にすぎません。後にマルチェロから権力を取り上げて、ドニを支配し、小さな国家のようなものを作るのではないかと。南のパルミドにもつながりがあるようですし」
「最悪、マルチェロは殺されるだろうな」
アーネストの何気ない一言にマリオンはショックを受けました。
「殺すって……そんな、ひどい」
「ああ、ひどい話じゃ」
だから、マルチェロはここで生きることに迷いはないのかとさっきから聞いているんだ、とガルシアが厳しい目を向けて言いました。
「そうなのじゃ。もし、迷いがなければ、13歳の誕生日を待たずに聖堂騎士団見習を認めることができる。しかし、少しでも領主に、また奥方に情があればわしらが止める訳にはゆかぬのじゃよ。マルチェロがあの屋敷に戻る権利はゼロではないのじゃから。……マルチェロはわしには本音を言わぬ子になってしもうた。自分の殻にすっかりこもっておる」
院長にもそう言われ、マリオンは困ってしまいました。
「……それとなく聞いてみます」
「マリオン、時間がないんだ。明日中に聞いてくれ。早ければ明日午後にでも聖堂騎士団見習いを認定する」
下がってよい、とガルシアに言われ、一人院長室を後にしました。
院長の館を後にしたマリオンは、知らず知らず中庭へ足を運んでいました。月明かりのやわらかく、普段となんら変わりのない、静かな夜でした。噴水のふちにそっと腰を下ろし、はあ~、とため息をついたところに誰かやって来ます。
「あれ? マリオンさん。珍しいですね。マリオンさんはいつも早寝なのに」
今、一番会いたくなかったマルチェロ様です。
「マ、マルチェロじゃないか。お前こそ寝る時間じゃないのか?」
マリオンは慌てて言いました。
「ええ、なんだか眠れなくて。だから女神様にお祈りしようかと」
「早く眠れますようにってか?」
「違いますよ……」
マルチェロ様は子供らしく口を少し尖らせて言いました。マリオンがくすくす笑うと、マルチェロ様はマリオンの隣に座って言いました。
「ではマリオンさんに聞いてもらいます。女神様は僕の話を何でも聞いて下さいますが、返事はして下さいません。……すると、自分の気持ちが余計わからなくなるんです」
マルチェロ様の聡明な横顔に寂しさがよぎった気がして、もしやドニに帰りたいのかと、マリオンはちらりと思いました。
「俺が聞いてやってもいいが、女神様とおんなじさ。お前に気の利いたことは言えないぜ」
「マリオンさんは正直ですね」
「ああ、俺は単純なんだよ。人の裏とか、隠し事なんてわからない。イカサマされたって教えてもらうまで全然わからないのさ」
マルチェロ様はうふふ、と小さく笑いました。
「世の中がマリオンさんみたいな人ばかりならいいのに」
「バカ言え。俺は料理が苦手なんだ。みんな餓死しちまうよ」
「ああ、そう言えば、タマネギをレイピアで切ってたんですって?」
「変なこと知ってるな、お前」
マルチェロ様はいつになく明るく笑いました。マルチェロ様は確かに真面目でしたが、人当たりが良く、孤児院では小さな子の面倒もよく見る、明るい笑顔の少年でした。
「なあ、マルチェロ? お前、寂しくはないか」
マリオンがこのようなことをマルチェロ様に問うのは初めてでした。
「寂しい、ですか。そう見えます?」
「……いや。俺はさっきも言ったが、目に見えるもの、耳に入ってくるもの、それしかわからない。真っ黒い殻のなかに甘い実が入ってるって言われたって、食べてみなきゃわからない。だから、お前は寂しそうに見えないし、さして困っているようにも見えないんだ」
「不思議ですか?」
「いや。お前が寂しくなくて、困ってなきゃいいんだよ」
「……そんなふうに言ってくれるのってマリオンさんだけです。私は寂しくも、困ってもないです。ただ……。わからないんです。何をしたいのか」
マルチェロ様が夜空を見上げました。つられてマリオンも見上げます。
「俺もわからない。ただ、せっかく選べるんだ、自分の人生を。だから俺は選んで聖堂騎士団に入った。生まれながらの王子とか貴族の跡取りなんかじゃなくてよかった。聖堂騎士団に入れなかったら定期船の舵取りでもやってたさ」
「そうですよね、私もそう思います。ここに来られて、幸せです」
「幸せか! 大きく出たな!」
マリオンはマルチェロ様の細い肩をばしばし叩いて笑いました。月明かりがマルチェロ様のまだあどけない横顔を照らしていました。
ガルシア>騎士団団長。ゴツイおじさん。軍人気質。固いがいい上司。
一人ぼっちになったマルチェロは、孤児院で真面目に過ごしていたと考えました。
次はマルチェロが騎士団に入ります。