主な登場人物:エメット(屋敷の執事)、ばあや(屋敷の女中頭)、セシリア(ククールの母)、領主、オディロ院長、ガルシア(騎士団団長)、マルチェロ、ククール
1
「……では、マルチェロ様は何としてもお戻りにならないと?」
マルチェロが聖堂騎士団員見習いに正式に任命されて数日後、領主の家の執事、エメットが院長を訪ねてマイエラ修道院にやって来ました。院長は、ガルシア団長を供に迎えます。
「エメット殿、何度来られても同じこと。マルチェロは既に聖堂騎士団見習いとして、わがマイエラ修道院に仕えることを誓いましたのじゃ」
「還俗、ということは?」
「できないことはありませんが、院長様と、私、聖堂騎士団団長の許可が必要です」
「して、許可頂けないと?」
「そうですな」
「何とかマルチェロ様に会わせては頂けないでしょうか」
「説得されるおつもりか?」
「このままでは我々使用人は全員解雇です。今でも給金が半分に減らされて」
エメットは、微妙に声を高め、いかに使用人が領主にしいたげられているかを切々と語りました。
「しかし、マルチェロはその領主に出されたのじゃよ。あの子が屋敷に戻ったとて、何も変わらぬじゃろう。嫡子ククール殿もおられること、ククール殿の代で立て直してはいかがかのう?」
「そのような時間はありません。我々使用人の限界です。3日前より業務放棄しております」
「ではお屋敷のほうは?」
「女中頭だけが残っています」
「ふむ……」
──奥方殿は給金を出していると言い、使用人は半分だと言う。財務は執事が取り仕切っているが奥方殿も目を通しているはずじゃ、これは早急にシスターに確認せねばならん。
「今日のところは帰ってくだされ。わしからマルチェロには話しておきましょうぞ」
くれぐれもお願いします、とエメットは丁寧にお辞儀をして帰って行きました。
「院長、まことでしょうか? 給金が半分などと……。職務放棄とはただ事ではありません」
「うむ、暴動が起きるというカミーユの予想じゃったが、一人で乗り込んできたのう。不思議じゃ」
「やはり、素人では我々聖堂騎士団に打ち勝つことはできないと判断したのでしょうか」
「もとより勝ち目はない。仲間を鼓舞するためのリップサービスだったのじゃ。今日はこちらには様子見ということじゃろう。万一にでも、マルチェロが『戻る』と言っていないか確認にきたのじゃよ。また、マイエラ修道院が面倒事に巻き込まれたくないという考えならばすんなり差し出すだろうとも。エメットの性格ならば、わざわざ騒ぎを起こすより、水面下でしっかり準備をして一気にひっくり返すはずじゃ。機を伺っておるのじゃろう」
「なかなか慎重な性格ですね。現在、ドニの町で暴動は起きておりません。職務放棄している使用人たちが集まって準備をしている様子も見られません。屋敷の方も混乱する様子はないですし、領主一家はどうしているのでしょうか」
「ふうむ……。傲慢な領主のことじゃ、イライラして奥方やお子に手をあげてなければよいのだが」
「そうですね。ただ、給金の問題は気になります」
「そうじゃな……」
──給金が半分という話が本当なら執事が帳簿を誤魔化しているのか。
まさか奥方様が関わっているとも思えませんでした。
「院長様、お呼びでしょうか」
夜更けに院長室に呼ばれたのはカミーユでした。
「おお、カミーユ。すまぬ。このような時間に……折り入って頼みたいことがある……」
これ以降、カミーユの夜遊びはパルミドに変わりました。もちろん情報収集のためです。
数日後、ドニのシスターがやって来ました。
「院長様、先日の件ですが、セシリア様は無関係のようです。給金をきちんと支払っているはずなのに、今月になって皆が半分だと突然言い始めたと」
「給金は奥方殿が直接支払っておるのかの?」
「いえ、人件費として執事のエメットにまとめて渡し、そこから働きに応じてエメットが手渡ししているそうです」
──やはり、執事が使用人に嘘を言っている。そして裏帳簿を作っているのじゃな。
「屋敷の様子はいかがかな?」
「はい、ばあやさんだけは残っていますので、特に生活に支障はないようですが、領主の怒りが甚だしく、家族はばらばらです。教会にも救いを求める民が増えました。仕事がないと。使用人がいなければ町の工事なども発注できません。住民の不満はますます増えるでしょう。このままでは町が崩壊してしまいます。場所代だけは変わらず請求していますので、領主家族の生活は成り立っていますが、それも時間の問題かと」
院長もシスターも、刻々と執事の野望が果たされていくように感じていました。
「院長様、マルチェロ様をドニへ返す訳にはいかないでしょうか」
シスターの悲痛な面持ちに、院長はふむ、と長いあごひげをなでました。そしてゆっくりと話します。
「シスター、仮に、仮にじゃよ、マルチェロがドニへ戻ったらどうなるかの?」
「はい、執事以下、使用人は戻ってくると思います」
「なぜじゃ?」
「エメットがそのように申しました。マルチェロに領主になってもらい、末長く……?」
シスターは、自分で言いながら、何かおかしいと感じました。
「エメットが……? そういえばなぜマルチェロを領主になど。後見人になるつもりでしょうか?」
「実の父親がいるのに?」
「……そうですよね。マルチェロを領主にして、今の領主とセシリア様とククール坊っちゃんはどうするつもりなのかしら」
「貴女のもとへ駆け込むかも知れませんのう」
「まあ……。それでは繰り返しではないですか」
「使用人は皆どうしているのじゃ?」
「はい、酒場などで領主の悪口を言いたい放題です。パルミド方面でもうわさを流しているようなのです。確かではないのですが……」
執事はパルミドじゃな、カミーユに探らせて正解じゃ、と院長は思いました。
「シスター、我々神に仕える者、中立の立場でなければならぬのじゃ。もちろん、路頭に迷う者には救いの手を差しのべねばならぬ。そして更に言えば、聖堂騎士団は修道院に属する者も守らねばならぬ。マルチェロもその一人。ドニへ返す訳には行きませんのう」
「はい、院長様と話していて、私もそのような考えになりました」
「奥方殿とはしっかりと連絡をとってくだされ。教会との結びつきが強固であれば、エメットも無茶なことはできまい」
「わかりました。でも、マルチェロを奪還しようという話しは本当なのです」
「わがマイエラ修道院に奇襲をかけるとなれば、相当の覚悟が必要じゃ。軍隊の精鋭並の騎士団が守っておるのじゃ。ゴルド、サベッラの警備をしている騎士団よりも強い」
「そうですよね。ただ、奪還すべしと言う話が広まり、領主が神経質になっています」
「シスター、われわれが望むことは、多くの民が平和であることじゃ。犠牲者を出してはならん」
「その通りですね。また、報告に参ります」
シスターは、ばあやさんにはもう少し様子を見守りましょうと言おうと決めてマイエラ修道院を後にしました。
明け方、カミーユがさっそく情報を抱えてやって来ました。
「やはり執事はパルミドにいます。姿を見ることはできませんでしたが、近頃見慣れない奴らが入ってきた、という評判があります。どこかに潜んで計画を練っていると思われます。それから、使用人のほとんどは執事側についています。マルチェロ擁立で建て直せると思っています」
「しかし、領主は財政難というわけではないのじゃ。そこがわからん」
「はい。不思議です。しかし給金が半分と言うのは事実だったようです。ですがゴールドの流れは見えません。執事がしっかり押さえているのでしょうか。パルミドで派手にやっているようでもありませんし。夜は領主が来る可能性があるからでしょうか、使用人は誰も姿を見せません」
「尻尾を掴ませない算段じゃな」
──使用人は、領主さえ追い出せば、マルチェロを領主に、また屋敷に戻れると思っているのじゃな……。エメットめ、屋敷や町の様子をどうやって探っておるのじゃ。
「……キメラの翼か……?」
「は?」
「道具屋じゃ。パルミドと船着き場の道具屋筋を当たってくれないかの?」
「はい」
院長の予感は当たりました。執事が変装しながらキメラの翼を買いあさっていることを突き止めたのです。しかし、瞬間移動で情報を集めているだけの執事は、なんら悪さをしているわけではありません。何もできないまま、ドニの町は日に日に不満が高まっていました。
2
爆発寸前に思われたドニの町でしたが、領主の館に突然起こったストライキも、2週間ほどで収まり、そして更に半年、ドニは何事もなかったように日常が過ぎていました。
使用人はぽつりぽつりと屋敷に戻り始め、前と変わらず働くようになっていました。ストライキの間、新しく雇った使用人もおりましたので、実際に屋敷に戻れたのはもとの半数ではありましたが。
ただ、執事は戻らず、新しい執事とセシリア様が財務を担当していました。
シスターの報告によると、ここまで盛り返したのは、奥方のセシリア様のお力ということです。たまに顔を見せる使用人を説得し、不満を聞き、給金はセシリア様が直接渡すこととしたのです。新しい執事と領主はうまくいっているようでした。尤も、奥方様が間にお入りになり、ご苦労されているようですが。
院長室には聖堂騎士団長ガルシアが来ていました。
「ドニの町は、以前のように活気が戻ってまいりました」
「それもこれも、セシリア殿の努力のおかげじゃ。それから、ドニのシスターも積極的に働きかけておる。町は安泰じゃろう。これでエメットのマルチェロ擁立も非現実的になるじゃろう。何より、領主一家は息災なのじゃから」
「院長、わかりません。ではなぜまたマルチェロに接触して来るのでしょう」
元執事のエメットは姿を現しませんが、再び女中頭がマルチェロに会いに来ていました。院長は、マルチェロの近況を話すものの、面会させることはありませんでした。
「いや、様子を聞きにくるだけじゃ。接触というほどではなかろう」
「でも、半年前もそうでした。女中頭がやって来て、やがて執事が……」
「執事はもうエメットではない。フェルナンドという」
「ですが、どうも気になります。今度流れている噂も……」
「うむ。それはわしも気にはなっておる。エメットが流しているのかの?」
「わかりません。カミーユも、前の時より情報元が見つけにくいと言っています」
「ではエメットじゃろう。我らを警戒しておるのじゃ」
「ストライキが失敗に終わり、着服していたゴールドもなくなって策につきたというところでしょうな。エメットはマルチェロ擁立を諦め、今度は下卑た噂を流し、領主一家に悪い印象をもたせて潰そうというのでしょう。そうすればまた乗っ取りも可能では? 邪魔者がいなくなるのですから」
「悪しき評判だからと言って、昔からの領主をそう簡単になくせるわけもないじゃろう。ドニの住人は自分で自分の首を絞めるようなことはすまい」
──女中頭がマルチェロの様子を聞きに来るのは、本当に様子を知りたいだけで、あるいは奥方に頼まれてのこと、他意はないのか。
ガルシアは、安泰に見えている事柄の中に、上手く隠されている何かがあるような気がしてなりませんでした。
「ただ、マルチェロのことが心配です」
「あの子は噂に流されはしない」
だといいのですが、と言ってガルシアは院長室を辞しました。
* * * * *
「あれだ、あれが領主のメイドの子だとよ!」
「へえ! 領主に目付きが似てるな」
「あいつの母は、男に騙されて死んだらしいぜ? おまけにヤク中だとさ!」
「本当に領主の子かどうかわかんねえぜ」
「だよな!」
ガルシアの心配事は、このような下卑たうわさのことでした。口の悪い連中が、マイエラ修道院をのぞいてはマルチェロ様の悪口を言いに来ます。
「おい! 用があるなら礼拝堂から入れ!」
その度に、マリオン他、騎士団員が追い払います。
だんだん修道院の中にもそういったことを口にする者が現れました。マルチェロ様は真面目すぎるほど真面目で、出来が良すぎるものですから、やっかみ半分、といったところでしょうか。悪く言うのはマルチェロ様と同じ年齢の者が多く、面と向かって言うとマリオンにすぐ叱られてしまうので、陰で言うか、またはマルチェロ様を宿舎裏に連れ出して言うのでした。
「悪魔の子が来たぞ」
「わがマイエラ修道院は悪魔払いしてたっけ?」
「親があれじゃあな。いい子ぶったってそのうちボロが出るさ」
「修道院より酒場で可愛がってもらうほうがいいんじゃねえ?」
「そういや、ククールって弟、あの領主が大切にしてるらしいぜ。正式な跡取り息子だもんな」
「おまけに、綺麗な奥方にそっくりだってよ!」
「悪魔の子なんかいらなかったよな」
「ああ、あいつのママが色仕掛けで迫ったんじゃねえの?」
どんなにひどい陰口を言われても、マルチェロ様は耐え続けていました。
しかし、時に呼び出されて囲まれると、耐えるマルチェロ様に腹を立てる者たちに暴力をふるわれました。
「どうしてマイエラ修道院に来たんだ? 親父に勤め先を探してもらえばよかったのに」
「そうだよ、お前なら貴族のハゲじじいにたっぷり可愛がってもらえたぜ」
「娼婦のママに似て、がっぽり稼げたんじゃないか?」
「こんなに優秀におなりになっちゃあいけないな」
「……マルチェロ、何とか言えよ」
マルチェロ様は何を言われても絶対に反論しませんでした。それがまた、彼らの感情を逆撫でするのです。どんなにボロボロに殴られても耐えるマルチェロ様を、ついには欲求のはけ口にし、日常的に暴力がふるわれました。
ある日のことです。
「マルチェロはどうした?」
時間をきっちり守るマルチェロ様が集合時間になっても現れません。前夜にさんざん殴り倒した見習いの者たちはニヤニヤ笑っています。見習い生を待たせ、マリオンが宿舎へ見に行きました。
「おい! マルチェロ!」
マルチェロ様はご自分の寝台にぐったりと横たわり、返事がありません。おまけにひどい熱でした。マリオンは急いで医療担当者を呼びました。知らせを受けた院長も心配そうに付き添います。
「そうとうひどい傷を負っています。自分でホイミをかけて治していたのでしょう。しかし、傷口からバイ菌が入りそのまま傷をふさいでしまったので体内に菌が回ってしまったようです。しかし、心配ありません。薬を飲んでしばらく休めば大丈夫です。それにしても身体がずいぶん痛めつけられているようです。鍛錬の傷や痣ではありません。まず一週間は休ませることと、……彼が痛めつけられている原因をお探しになるのがよろしいと思います」
院長はそれはそれは心を痛めました。ガルシア団長がマルチェロ様に手を出した者を、地下室で厳重に処罰したのは言うまでもありません。
翌日、同じ医療担当者がやってきました。
「いかがかの、熱はまだ高いようじゃが」
「院長様、大丈夫ですよ。熱で菌を殺しているのです。辛そうに見えますが若いからすぐに治ります。それより、ドニで病が流行り出しました。この子のように体力が落ちている時にかかると命取りです。院長様もお気をつけて下さい。食物もよく火を通し、念のため水も一度沸かすがよろしい。特に川へは入らぬほうが。いつぞやの……」
「旧修道院跡地のようになるやも知れぬと?」
「あの時とは違うようですが、我々年寄りは、あの悪魔のような病がまた襲うかとつい想像してしまいます」
「そうじゃった……。わかり申した。気をつけましょうぞ」
3
「外出禁止? それは本当か?」
「ああ。院長がおっしゃった。実家の心配な者は帰ってよいそうだ。俺は帰るが、マリオン、お前は?」
「孤児院があるからな。俺は残るよ」
ドニで病が流行っている話がもたらされて一ヶ月後のことでした。マイエラ修道院も半数の者が実家へ帰りました。
ドニの町は流行り病のせいでいくぶん活気はないものの、領主の騒ぎもすっかりおさまりっていました。また、女中頭や執事のエメットが修道院に姿を現すこともありませんでした。
そして更に四ヶ月、マルチェロ様14歳、ククール様6歳の誕生月のことでした。
ドニは出歩く人もなく、ひっそりとしておりました。
「セシリア……?」
「はい、何でしょう」
「庭に……エメットの気配がする」
またいつもの幻ね、と奥方様は主の部屋の窓から庭を見ました。
領主は今や流行り病に侵されて痩せ衰え、動くことも出来ずにベッドに横たわっておりました。そして時折、誰かがいる、と庭を確認させるのでした。
奥方様は、主が病にかかるとすぐに、ククール様をドニの教会へ預けました。ばあやはしきりに反対しましたが、奥方様は頑として聞き入れませんでした。使用人は次々に暇を願い出て、屋敷に住んでいるのは領主夫妻とばあやだけになりました。奥方様はばあやにも暇をとらせようとしましたが、こちらも頑として聞き入れません。三人で暮らすようになって一月が経っていました。
奥方様は、暗い庭を見やりました。すると人影があるではありませんか。
「まあ、本当だわ! エメット……。ドニの流行り病を知っているのでしょうか」
「かまわん、呼んでこい」
奥方様はばあやに言い付け、エメットを呼びました。
領主の部屋にやってきたエメット。憎憎しいほどの落ち着きで、横たわる領主を眺めます。
「これはこれは領主様、おひさしゅうございますなあ」
「ふ、ふざけるな」
「そして奥様……」
エメットは何の戸惑いも見せず、奥方様に対峙しました。奥方様は落ち着き払い、まっすぐにエメットを見つめ、おっしゃいます。
「あなたが帳簿を誤魔化していたこと、許した訳ではありませんが……もう何を言っても始まりませんね」
エメットはくつくつと笑うと、両手を大げさに上げました。
「いえ奥様、これからですよ」
「何ですって?」
主の看病でやつれた奥方様でしたが、美しいサファイアの瞳が鋭く光りました。エメットは一瞬怯みましたが、短い沈黙の後、長きにわたり領主の屋敷を支配していた人物を振り返り、言いました。
「そうですよね、母上」
「母?」
まさか、と、奥方様は眉間にしわを寄せ、エメットの見やった方に顔を向けました。
「計画が狂いました。ククール坊っちゃんが生まれてから……」
「ばあやさん!」
「ま、まて、なぜだ? エメットはお前の息子なのか?」
「あんたは知らないだろうよ。エメットが誰の子かなんて」
ばあやは、すっと3歩ほど前に進み出ました。主も奥方様も言葉を発することができません。
「母上、順番に話してやりましょうよ。冥土の土産にね……」
エメットは言いながら、短剣を構えます。
「……ああ。エメットはあたしの子じゃない。母親はマリアさ。マリアはアナマリアの母親でもある」
「何だと!」
「エメットの母、マリアはあたしの幼なじみ。妹みたいなもんだった。マリアの家は貧しかったら、若いうちからパルミドで踊り子をさせられてた。あんたは15歳にもならないマリアをもてあそんだ。それからあんたは金でマリアを仲間に売った。案の定マリアは妊娠した。誰の子かわからないまま産まれたのがエメットだよ。あんたはそんなことも知らないだろうね。あたしはちょうど赤ん坊が死んで産まれて…姑が厳しいもんだから、エメットをあたしの子としてひきとったんだよ。マリアはそのあと、いい貴族に身請けされたけど、アナマリアを身ごもると、奥方に追い出された。何にも知らないあんたはマリアにまた近づいて……。まあ、マリアは身体が弱かったから早くに死んじまったけど、まさかアナマリアを連れてくるなんてね。マリアの子だって知ってて引き取ったのかい?」
領主は最近夢に現れて呪っていく女がアナマリアではなく、母親のマリアだったのか、と悟りました。
「そうしたらどうだい? あんたはまたマリアにしたのと同じことをアナマリアにしたじゃないか。それもセシリア様への当て付けで! あたしは許さないよ。あんたも、奥様も、ククールも! アナマリアは、母親がどうであれ、貴族の血が流れている。貴族の娘なんだよ。領主のあんたなんかよりよっぽといい生まれなんだ」
「ばあやさん!」
奥方様はこんらんしていました。
「ばあやさんはわたくしにもアナマリアにもよくして下さったじゃありませんか! マルチェロにだって!」
「マルチェロ、ああ、あの子ほどかわいそうな子はないね。だからあたしとエメットはあの子を立派に仕込んで、そのクソ領主を早いとこ葬ってマルチェロを領主にするつもりだった。アナマリアの父親の家だって押さえてある。その関係性があれば、ドニの領主の権利はすんなりアナマリアとマルチェロにうつるはずだったんだ。それが、ククールが産まれて……全く計画が狂っちまった。奥様、あんたが絶対にアナマリアを離さないのはわかってたけど、アナマリアが死んだとき、なぜマルチェロを連れて帰らなかった? あたしたちの計画にはあの子が必要だったのに! あんなにマルチェロを引き取ってくるように仕向けたのに! あの死に損ないのオディロに何を吹き込まれたのか知らないが、あんたはこの5年間、マルチェロのことを一度だって話題にしない! 結局、自分の産んだククールがかわいいんだ!」
奥方様は、オディロ院長との約束は墓の下まで持っていくつもりでしたので黙っておいででした。ばあやにどんな怒号を浴びせられても、マルチェロ様の身の安全のために、言い訳することはございませんでした。そして女神様に毎日マルチェロ様の幸せを祈っていたことも、奥方様ひとりの胸にそっとしまっておいでです。
ばあやは奥方様の顔色が全く変わらないのを見て恐れました。この女はこんなに強い女だったろうか、と。
「せっかく機会を待っていたのに。この病のせいでもう何もかも終わりだよ。あんたの一族がここで終わるようにマルチェロもいずれ消すつもりだったが、クソ院長のせいでそれも駄目だった。ドニヘは戻れなくなるように手も打ったつもりさ。まあ、屋敷がつぶれればどっちにしろ戻れないしね。領主はどうせもう死ぬだろう。あたしもどうやら同じ病で長くない。あとはあんたとククールだ。エメット!」
エメットは短剣を振りかざし、奥方様に飛びかかりました。覚悟を決めてらした奥方様は、後ろ手に掴んでいた燭台を投げつけました。火はエメットの服を焦がし、続いてナイトテーブルのクロスに燃え移りました。
「ちっ!」
奥方様をしとめ損ねたエメットが舌打ちしました。それを見たばあやが前に立ちはだかります。
「エメット! ここはいいから、教会へ! ククールを始末……エメット?」
エメットは脇腹を押さえて倒れ込みました。火に一瞬気を散らした瞬間、奥方様は隠し持っていた短剣でエメットの腹を刺していたのです。
「そうはさせるか!」
ばあやは、尚も短剣を構える奥方様を突き飛ばしました。
「エメット! 傷は浅いよ、早くククールを!」
奥方様の力はそれほどのものではありませんでした。しかし、エメットは立ち上がれません。
「エメット! どうしたんだい? 早く!」
テーブルクロスの炎が落ちて絨毯を焦がし始めました。
「エメット、あなたは本当に頭のよい執事でしたね。力は正しく使うものです。……いえ、結果的に正しく使われたのかもしれませんね。マルチェロに様々なことを教えて下さいました。マルチェロの学んだ書物は全てわたくしの手元にあります。ご存知ないかも知れませんが、わたくしは薬草に興味があって……。簡単な薬なら作れるようになりました。毒消しや痺れ癒しの薬です。……逆もあり、ということですよ」
炎が領主の寝台に燃え移りました。
奥方様は窓を大きく開け、火事です! 逃げてください、と叫びました。
家事の様子はドニの町からも見えるほどでした。黒い煙は町の方へと向かってきます。延焼を逃れようと、住民たちは建物に水をかけています。マイエラの騎士団員も救援にかけつけました。ドニの教会には子供や年寄りが避難しています。ククール様もひどく混乱しておいででした。
「母さま! 母さま!」
「ククール坊っちゃん! いけません!」
「シスター、放して!」
屋敷に戻ろうとするククール様を、シスターが必死で止めます。
「今、騎士団が助けて下さいます!」
ククール様はシスターの腕のなかで泣きじゃくりました。
ドニの屋敷は激しく燃え続け、翌未明、全焼した焼け跡から領主の他二人の遺体が発見されました。セシリア様だけは救出されましたが、ククール様に会えることなく、間もなく息を引き取りました。
「母さまは? 僕、いつ会えるの?」
「……」
ククール様は、返事をしないシスターの涙を見て悟りました。
「……もう会えないんだね」
この火事の後、ドニは混乱することなく、そのままマイエラ修道院の管理下におかれました。オディロ院長の提案で、住民たちで町を立て直すということも決定しました。ドニの領主一家の死は、皮肉にも町の活性化を生みました。人々は親を失った幼い兄弟のことを哀れには思いましたが、もうどうすることもできませんでした。
ドニの教会で、シスターが掃除をしていると、誰かが入ってきました。
「あの……、シスター?」
「まあ、酒場のおかみさん。お祈りなさいますか?」
「いえ、ククール坊っちゃんのことなんですけど、あれっきり姿が見えなくて。心配でね」
シスターは、すうっと息を吸い込み、ゆっくりした口調で言います。
「ククールは、ドニに残っていた使用人がマイエラ修道院へ連れて行きましたよ」
「まあ、マイエラ修道院へ? ああ、オディロ様のところですね、ならよかった」
シスターの言葉を聞き、酒場の女主人はほっと胸をなでおろしました。シスターはその笑顔を見送ったあと、女神様に祈りました。どうか、運命の星のもとに産まれた兄弟が、力を合わせ、幸せな人生を歩めますように、と。
ばあや>領主の屋敷の女中頭。領主に恨みを持ち、義理の息子である執事と共にマルチェロを領主に擁立し、現領主を失脚させようとしたが失敗に終わる。
公式ではククールの両親が一度に亡くなっているので、こちらも合わせました。なんでも屋のように騎士団を便利に使っております。
ここまでの語りは、ドニの領主の使用人視点でした。次から舞台がマイエラ中心になるので、視点が変わります。マルチェロ、ククールに敬称はつけません。
次はククールがマイエラ修道院へやってきます。