主な登場人物:マルチェロ、ククール、オディロ院長、ガルシア(騎士団団長)、マリオン、ロラン(騎士団員)、エミリアン(騎士団員見習い)、サンソン(修道士・改宗等担当)
1
ククール独白
町に病気が流行ってから一ヶ月、僕は教会で暮らしていたけど、父さまも母さまも、ばあやも死んじゃった。
前にお屋敷に勤めていた人が教会にやってきて、僕をこの修道院に連れてきた。
「……じゃあ、お元気で」
僕の家で料理を作っていてくれたおじさんは僕の背中をそっと撫でて、行ってしまった。
……こわい。知ってる人が誰もいない。
どうしよう……。とにかく中に入らなきゃ。
僕は大きな扉を開けた。
誰もいなかった。
暗い中に目を凝らしたら女神様見えた。
僕が今まで見た中で一番大きな女神様は、お化けみたいに白くぼんやりとしてて、だけど僕をじっと見つめた。
僕はぞくっとした。
目に入った扉に向かって走った。
開けると外で、そこには噴水があった。
知らないおじさんが向こうから歩いてきて僕をじろじろ見た。
こわい。
噴水は、大きくて、冷たい。
ザアザアいう音が僕の心臓を余計ドキドキさせる。
院長さま、どこですか!
前からまた人が来る。僕はこわくて立ち止まってしまった。
「……君はじめてみる顔だね。新しい修道士見習いかい? ひとりでここまできたの?」
下を向いているしかなかった僕。急に声をかけられてびっくりしてその声の方を見た。
優しそうなお兄さんだ。
僕はうなずいた。
「そうか……大変だったね。荷物は?それだけ?」
「あの…父さんと母さん死んじゃったんだ。だから荷物なくて他に行く所もなくて……」
「……僕も似たようなものさ。でもここならオディロ院長やみんなが家族になってくれる。大丈夫だよ」
「うん…。うん…でも…」
「……院長の所に案内する。ごめん。ほら泣かないで。君、名前は?」
僕はやっと安心して、お兄さんの顔をまっすぐに見ることができた。
「……ククール」
僕が名前を言うと、お兄さんは急にこわい顔になった。
「そうか君……お前がククールなのか。出ていけ。出て行けよ。お前は……お前なんか、今すぐここから出て行け! ……おまえは、この場所まで僕から奪う気なのか?」
お兄さんは、目をきゅーっと吊り上げて睨みつけ、向こうへ行ってしまった。
どうして? どうして? 僕、なにか悪いことしたの? あのお兄さんに、なにか……。
ザアザアととめどなく聞こえる噴水の音までが僕に意地悪なことを言っているようだ。
でも、優しかったんだ。あのお兄さんは、はじめて会った僕に、優しくしてくれたんだ。
すごく、ほっとしたんだ。僕は。なのに、どうして?
噴水のザアザアを縫って、別の足音が僕に近づいてきた。
僕は慌てて涙をぬぐう。
「……すまぬな、幼子よ。今の話、すべて聞いてしもうたよ。まさかマルチェロがあのような態度をとるとは、いったい何が……。そうか、お前さんがククールか。すべては時間が……ここでの暮らしが解決するだろう。……さあ、おいで。ククールよ。皆に紹介しようのう」
それは小さいおじいさんだった。僕はおじいさんの顔を見たら、我慢できなくなって声を上げて泣いてしまった。おじいさんは優しく頭を撫でてくれた。
* * * * *
「ああ、マリオンか。ちょうどよかった。この子にミルクを温めて持ってきておくれ」
「食事はよろしいのですか?」
「うむ、大丈夫じゃ」
誰かが話していた。
……僕は、そうだ、修道院に来て、孤児院に連れて行かれて……夜泣いていたら院長様が迎えに来てくれて……院長様のベッドに寝かせてもらったんだ……だから今は朝で、ここは院長様のお部屋だ。
「おお、ククールや、よく眠れたかの?」
「おはようございます、院長さま。よく眠れました」
院長さまは朝御飯じゃ、と言って温かいミルクをくれた。そして、内緒じゃよ、と言って本棚から箱を出した。院長さまはにこにこして柔らかいパンをくれた。……甘いカステラだった。僕は食べながらまた泣いた。
「ゆっくりお食べ。あとで一緒に孤児院へ行こうのう」
院長様に背中をなでてもらいながら、僕はゆっくりと朝ごはんを終えた。そして院長様に連れられて孤児院へ向かう。廊下を曲がったところで、昨日のお兄ちゃんに会った。
「あ、あの、昨日……」
「うるさい! 向こうへ行け! 私に話しかけるな」
青い修道服のお兄ちゃんは、みどりいろの目でじろっと僕をにらんだ。父さまが屋敷の人をにらむ時みたいだった。
こわい……この人が一番怖い。今まであった人で一番こわい!
でも昨日は、……昨日は優しかったんだ……。
僕はあのお兄ちゃんの優しい顔がもう一度見たかった。
でもあのお兄ちゃんは僕が近くに来ると、肘で小突いたり、蹴ったりした。
目が合うと、みどりいろの光を僕に向けてにらむ。
僕はそれでも、毎日あのお兄ちゃんを探した。ある日、あのお兄ちゃんは孤児院にいないということがわかった。
お兄ちゃんはせーどーきしだんの見習いだから、母さまを火事の中から助けてくれたガルシアさんや、僕にミルクを持ってきてくれたマリオンさんと同じ、きしだんの宿舎で生活してる。
僕は見習い生の練習がある時は孤児院から眺めた。
あのお兄ちゃんはいつだって一番強いんだ。
時々、お兄ちゃんより身体の大きな人を転ばせちゃうほどだ。
お兄ちゃんは強くてかっこいい。僕が嫌われてるのはわかってるけど、どうしてもあのお兄ちゃんを見ていたい。だから、毎日こっそり見続けた。
マイエラ修道院にきて二年、僕は8歳になった。
16歳のマルチェロさんはもう見習いじゃなくて、立派な聖堂騎士団員だった。
「ククール、お前、知らないのか?」
「何が?」
声をかけてきたのはエミリアンという、今年騎士団員見習いになった人だ。
孤児院出身だから僕も知ってる。僕より5歳年上だ。
「噂だけどな」
また噂だ。この人はいつもいろんなとこからいろんな噂を仕入れてくる。
マルチェロさんがお母さんは違うけど、僕の兄さんだってこともこのエミリアンから聞いたんだ。
このことは、僕にとってものすごくショックなことだった。でも、半分だけでも血が繋がってるってこと、そして本当に「お兄ちゃん」なんだ、って思うと、身体の中に100倍の力がわいてくるようだった。
「マルチェロさん、あっちでいじめられてるぜ」
「嘘だ。どうしておにい、いや、マルチェロさんが?」
「知るもんか。マリオンさんが助けたところ見たんだよ」
エミリアンは、通称騎士団の遊び人、カミーユさんに可愛がられていて「事情通」なんだ。カミーユさんて人はすごく大人でちょっぴり怖く感じるけど、嫌なことは絶対言わない。でも、エミリアンは、すぐ悪口言ったり、変な噂を流したりするから嫌いだ。
「まっ、お前には関係ないだろうけどな。マルチェロさんはメイドの子供だ。お前はもうないとはいえ、ドニの領主の子供だからな」
エミリアンは意地悪そうに笑って行ってしまった。
この頃、お兄ちゃんがいじめられてるのを目の当たりにすることなんてなかった。だから、僕はエミリアンの噂なんて信じちゃいなかった。
でも、もう、このときすでに、お兄ちゃんは「苦悩」っていうものの中にいたんだ。
2
「いい加減に覚えろマルチェロ!」
深夜の地下、拷問室で話し声がします。
聖堂騎士団員、マルチェロは顎をつかまれ、拷問室の壁に押し付けられていました。
「強情なヤツめ」
「ロラン、ご執心だな」
「うるせえ、お前は黙ってろ!」
ロランと呼ばれた男は、ガルシア団長と対立するグループのリーダー的存在でした。
「なあ、見習いのときは目ェつぶってやってたんだ……何年になると思ってるんだ。もういい加減にしろ?」
マルチェロは両手を後ろで縛られ、立っているのがやっとでした。そして全裸でした。
「祈祷に行ってるんだろう? 同じことをしろって言ってんだよ。お前に入れてるだけじゃ足りねえ。その口を開けろよ!」
ロランは顎をつかむ手に力を込め、無理やりマルチェロの口を開かせようとしました。マルチェロは歯を食いしばっています。
「ちっ! じゃあお仕置きだ。おい、やっちまえ!」
ロランとその仲間、総勢5人がマルチェロに殴る蹴るの暴行を働きました。
「ロラン! 見回り来るぞ!」
階上から誰かが連絡してきます。
「けっ、今日はやけに早いな、仕方ねえ。おい、これで済むと思うなよ!」
ロランは最後にマルチェロのわき腹に一発蹴りを入れ、身支度を整えると、何くわぬ顔で去って行きました。
足音が聞こえなくなってから、マルチェロは自らにホイミをかけました。荒い息づかいが拷問室の中に低く立ちこめます。ゆっくりと起き上がり、震える手で衣服を探していると、誰かが階段から降りてくるのに気づきました。
「おにい……!」
「!」
拷問室入り口の人影を見て、マルチェロは一瞬声を失いました。
「……お前は……ククール! 何しに来た!」
マルチェロはそう吐き捨てると、服を探すのをやめ、その場に胡坐をかきました。
「あ……」
「こんな時間に孤児院を抜け出して……さぞ面白いものが見られたんだろうな!」
「ご、ごめんなさい」
拷問室には今まで嗅いだことのない生臭さが充満して、ククールは気分が悪くなりました。
その表情を見たマルチェロはフンと鼻で笑い、言いました。
「お前に何が解る? 私に構うな。修道院にいたいなら私の前に姿を見せるな!」
マルチェロの低い声がククールの胸に重くのしかかりました。
「ククール? どこだ? おい、マルチェロか?」
続いてやって来たのはマリオンでした。
「……これは。マルチェロ、誰にやられた? ……いや、わかった。ロランたちだな」
マルチェロはふてくされながらも、あっという間に身なりを整え、いつものきりっとした表情を見せました。
「別に私は……」
「マルチェロ、お前だけじゃないんだ。……お前ほどのやられようじゃないが、修道士もやられている」
「マリオン、話なら、そのそいつがいないところでお願いします」
マルチェロは顎でククールを示しました。
「あ…ああ、そうだな。ククール、お前は早く帰れ。よく知らせてくれた。あいつらに見つかるなよ」
マリオンに知らせたのがククールだと知って、マルチェロは苦虫を噛み潰したような表情をわずかに見せました。
「はい、失礼します」
ククールは暗がりを逃げるようにして全速力で孤児院に向かいました。
孤児院の入り口にたどり着いたククール。冷たい空気が一気に肺に入ってきて、ゲホゲホと激しくむせました。
「なあ、どうだった? 見に行ったんだろ?」
扉の裏に、いつものように意地悪そうな笑みを浮かべたエミリアンが立っていました。
「き、今日は何もなかった」
「うそだって。俺の情報は確かなんだぜ。ククール、見たんだろ? マルチェロさん、どんなふうに……」
「う、うるさい! 知らないよ!」
ククールは歳上のエミリアンを振り切って自分の部屋に駆け込みました。
シーツをかぶり、今さっき見た、兄の裸体を頭から振り払おうと、強く強く目を閉じました。しかし、閉じれば閉じるほど、やるせない、兄の姿が白くくっきりと浮かび上がり、あの生臭い濁った空気が思い出されるのでした。
* * * * *
マルチェロが19歳、ククールが11歳になった夏、マイエラ修道院聖堂騎士団では、副団長アーネストが退団を申し出ました。
次期副団長には、年齢、派閥の大きさから言えば、ロランが一番の候補。
しかし、軍人のような気質の今年40歳になるガルシア団長と、ことなかれ主義で25歳の若いロランとは性格が合わず、反目しておりました。
よってロランの副団長就任には、ガルシア団長が納得しないだろうというのが修道院内のもっぱらの噂でした。
副団長の二番候補は24歳のマリオン。マリオンは人望厚く、温和な性格、敵はおらず、作らずでガルシア団長としては最も組みたい人物でありました。
しかし、本人は孤児院で子供たちに勉強を教えるほうが合っている、修道院に命を捧げるが、騎士団の上に立つことは自分の使命ではない、と頑なに拒みんでおりました。
「ガルシア団長、勘弁して下さい」
「マリオン、お前が断れば、ロランになってしまう。私の指名が通らない場合、決定権は騎士団の投票になる。そうなればロランが間違いなく副団長になるんだぞ」
今日もガルシアに捕まり、マリオンが口説かれています。
「団長殿……。何があっても団長にしない規則でも作ってくださったら……」
「何を寝ぼけたことを! 私の代わりに職務についたり、私に何かあったら真っ先に指揮をとるのが副団長だ。お前だからこそ頼める。考え直してはくれないか?」
さて、もう時間がありません。時期副団長が決まらなければ、現副団長のアーネストが退団できません。強面のガルシアに詰め寄られ、マリオンは、考えに考えた末の提案を口にしました。
「団長殿、実は……推薦したい人物が……」
翌日のことです。
「オディロ院長様も二つ返事でサインを下さった!」
マリオンはいつになく上機嫌でした。目の前の新しい副団長は、いささか緊張した様子でしたが。
「あいつらだって、もうお前には手出しできまい」
マリオンはにやにや笑って、新しい副団長を、その就任式が行われる院長室へ引率します。院長室には院長のほか、ガルシア団長、アーネスト副団長、修道院から役付きの修道士が三名、既に待機していました。
「では、マイエラ修道院聖堂騎士団団長ガルシアより、指名いたす。聖堂騎士団員マルチェロ、本日より貴殿は我が聖堂騎士団副団長として職務につき、その職責を果たすことをここにお誓い頂く」
「聖堂騎士団員マルチェロ、本日よりマイエラ聖堂騎士団副団長として、院長様とこの修道院をお守りし、聖堂騎士団の更なる向上のために尽力することを誓います」
「では、マイエラ修道院院長、オディロより、マルチェロを聖堂騎士団副団長に任命する。同時に、アーネストの職を解き、退団を認める。……アーネスト、長きにわたりご苦労じゃった。ご両親を大切にの」
「ありがたきお言葉、痛み入ります」
ガルシア団長の右腕として長く聖堂騎士団を率いてきたアーネストは老いた両親の待つサザンビークへ帰っていきました。
「さて、さっそく取り掛かりたい事案がある」
マルチェロが副団長になって間もない頃、ガルシア団長は嬉しそうにいいました。マリオンも一緒です。
「何でございましょう」
「お前が副団長になって面白くないと思っている奴がわかるな?」
「……それは、ロラン殿かと」
「そうだ。あいつはもうお前に手出しできまい。しかし、他にもあいつの餌食になっている者がいる」
修道院は男所帯。女人との繋がりを禁じている修道院では男色を好む者もあり、それについてはある程度、暗黙の了解がありました。無論、ロランのようにお互いの合意なく関係を迫った者は、見つかり次第罰が与えられます。が、なかなか現行犯で捕まえにくく、ロランは常習犯でありながらよい取り巻きに恵まれ、一度も罰せられたことはありませんでした。
ガルシアはマリオンがマルチェロを副団長に推した時、手を打って言いました。そうか、あいつがいた! と。ガルシアは切れ者のマルチェロと共に、ろくでもない反分子を切る計画に着手したのです。
「誰が狙われているのですか?」
「カミーユによれば……エミリアンだ」
マルチェロは不審そうに言いました。
「エミリアンはカミーユ殿の舎弟では?」
その問にはマリオンが答えます。
「そう…だった。エミリアンは気づいていないが、カミーユはもう奴を切っている。エミリアンは少しやんちゃが過ぎたようで、ロラン陣営に片足を突っ込み、取り巻き連中を怒らせている。当のロランは欲の吐き出し口程度にしか見ていない」
「ではエミリアンを囮に?」
「囮というよりはエサだな。エミリアンにはこれからは祈祷に行ってもらわねばならんからな。16歳になったんだろう? ちょうどいい」
ガルシアは椅子の背もたれに体を預け、気楽に言いました。
ああ、ついでに身体を開かせようということか。誰も口にしませんでしたが、そういうことでした。
「マルチェロ、お前は夜の祈祷にはもう行かなくていいぞ。辛かったろう」
ガルシアは当たり前のようにねぎらいましたが、マルチェロにとっては女神様が降臨したかのような喜びに満ちあふれた言葉となりました。
「あっ、上得意様は別だ」
ガルシアは再び体を起こし、執務机に両肘を乗せると、にやりとしてそう言いました。
マルチェロとて例外ではありません。金持ちの貴族は特別祈祷などと称して美しい騎士団員を自宅に招きます。神の浄罪と銘打って、様々な行為が行われ、実際に肉体関係にまで及びます。
そのためにあらかじめ受け入れ態勢を整えておかなければなりませんでした。エミリアンは、少々残酷に見えるかもしれませんが、見ず知らずの貴族に無理やり開かれるよりは、ロランのような手練れに開かれるほうが数倍もましなのです。
「これでエミリアンも目が覚めるだろう。ロランに関わってるとろくなことはない、と」
と、そういう祈祷には縁のない、大柄のマリオンが言いました。
「ロランを捕らえたらどうすればよいでしょうか?」
「現行犯は即拷問室だ。マルチェロ、処罰はお前に任せるよ。好きにしていい。周りの連中はそばにいた者だけを捕らえる。仲間の名前を吐かせ、それでおとがめはなしだ。それは私がやる」
数日後、カミーユも一役かって、エミリアンがついにロランの魔の手に落ちました。外出を装っていたマルチェロが現場を押さえ、ロランは地下拷問室に、その場にいた者は団長室に連れて行かれました。
「マルチェロ、いい気味だと思っているだろう。ふん、悪魔の子のくせに」
冷たい地下拷問室には半裸のロランがふてくされて立っています。
マルチェロは、目すら合わせたくないと言わんばかりに、室内をゆっくりと歩き、所狭しと置かれた拷問具ひとつひとつに見入りました。
「……その言葉は孤児院時代から聞いてますよ。ロラン殿。他に言うことはないのですか?」
ようやく口を開いたマルチェロの、低く落ち着いた声を聞き、ロランは総毛立ちました。
「な……何だと?」
「団長殿に、貴殿を拷問室で好きに料理していいと言われましてね」
ロランの顔色がさっと変わりました。
「……ご安心ください。私は貴殿の下半身に興味はない。いや、貴殿そのものに全く興味がない。貴殿は、誰かを受けたことはありますか? ないでしょう。あなたのように祈祷にも出られず、剣の腕も大したことない人は、はっきり言って使いようがないのですよ。……私からの罰則は食事抜きです。水だけはお好きなだけ差し上げましょう。……ああ、そうだ、お一人では寂しいでしょうから、ある人を派遣します。その人に慈悲を乞えばパンのひとかけらでももらえるかもしれませんね……」
「ある人……?」
ロランの血の気の引いた顔は更に青くなりました。
その顔ではもうお分かりなのでしょう、と言いながらマルチェロはロランに一瞥をくべて拷問室を出て行きました。がっくりと肩を落とすロランに、鉄格子の外から、慈悲のひと欠片も無い、冷たい言葉が降りかかります。
「あなたの所業は、断罪を受けねばなりません。我々神に仕える者同士、いや、あなたは騎士団に所属しているだけですね。いつ去られても、騎士団員であった事実は消えません。せいぜいご実家で自慢なされるといい」
もはや、返す言葉のないロラン。思考することをやめた脳に、時を告げる修道院の鐘の音が響きます。そして、合間に聞こえてくる、「あの人」の高らかな声……。
「おお、マルチェロ副団長殿。初仕事にしては随分と大きなネズミを捕らえましたな。さすがでございます」
「お待ちしておりました。サンソンさん。お褒めいただきまして、恐縮です。この度は、私の願いをお聞き届け下さりありがとうございます。目には目を、歯には歯を……でお願いします。死なない程度で。貴族様のご子息でいらっしゃいますから」
「お任せあれ。他ならぬマルチェロ殿のため。貴方とエミリアンと、私たち修道士仲間の分、神に代わり、私が痛みを与えます」
くすくすと楽しそうに、変わった髪型の大柄な修道士が拷問室へ入って行きました。
マルチェロは、修道院に長く勤める修道士、サンソンにロランの罰を願い出たのでした。サンソン修道士は主に異教徒の改宗に携わっております。彼の具体的な仕事は拷問。異教徒の者は、サンソンの拷問によって改宗させられるのですが、その腕前はその世界では高く評価され、各地方から派遣要請がくるほどでした。
ロランがどんな仕置きを受けたのかは、当人のみぞ知るところ。その後、ロランの姿を見た者はおりませんでした。マルチェロは、ロランの排除に成功したのです。
3
ガルシア、マルチェロ体制はすぐに修道院内の隅々まで行き渡り、それまでうやむやになっていた様々な事柄が規則正しく行われるようになりました。
それまで罰則として行われていた農作業、見回りなどはきちんとローテーションが組まれ、教義、騎士団演習なども細かいカリキュラムが作られました。
最も大きく変わったことは、見習い生に関することでした。
ある日のことです。副団長という立場もすっかり板についてきたマルチェロが、ガルシア団長に伴われ、中庭にやってきました。マルチェロが副団長になって一月目のことでした。中庭には騎士団見習いと、11歳以上の孤児院の子供たちが集められています。ククールもその中の一人でした。
「……我が聖堂騎士団は昨今の魔物凶暴化に備えるべく、これまで以上に武力に力を入れねばならないと考えた。我々は城の飾り物のような衛兵隊とは異なり、実戦的でなければならない……。聖堂騎士団見習い諸君、また、これから目指したい諸君……」
ガルシア団長の威圧的な表情に、11歳の少年たちは震え上がりました。頑固な軍人気質のガルシアは、厳しい人でしたが、決して冷たい人ではありません。が、子供たちにこのような表情を向けることは、まずありませんでした。
ガルシアは一同をぐるりと見回し、続けます。
「見習い生の訓練期間は二年を基本とする。剣を中心に、槍、弓、格闘の奥義を極めるための基礎訓練となる。今までより厳しい訓練になるはずだ。心して望むように。但し、見習い生になって三年間で使い物にならないと判断された者は、別の道を歩んでもらうことになる。それから、これから見習い生になる者たちは、事前に適性検査を受けてもらう。以上だ」
見習い生たちがざわつく中、ガルシアとマルチェロは去って行きました。
「なあ、今のわかったか? ククール」
「え? うん。今まで誰でも見習い生になれたけど、今度からは、なんか試験をするってことだろ?」
「えー? マジで? 俺絶対騎士団入りたいし。どんな試験だろうな」
「……さあね」
ククールが、孤児院の他の子供とそんなおしゃべりをしながら宿舎に戻っていたとき、誰かがすっと近づいてきました。
「なあ、ククール?」
「エミリアン……?」
「お前の兄上はおっそろしい人だな…」
「なっ?」
また兄さんのことだとククールは思いました。エミリアンは何かにつけてククールにマルチェロの話を伝えに来ます。
「とうとうロランさんを追い出したぜ。まあ、俺ももうヤられなくて済むからいいんだけどな」
「そ、そりゃよかったですね」
エミリアンは意地悪そうな目をククールに向けました。エミリアンはロランに、いわゆる「おカマを掘られ」てから、随分と大人しくなっていました。ククールには「おカマ」の意味がよくわかりませんでしたが、昔拷問室で兄がされていたことなんだろう、と思い、それはきっと自分にとっても危険なことだろうから、あんまり話しに入らないようにしていました。
「お前も良かったな。このままロランさんがいたら、あと何年か後に、お前もヤられてたぜ。確実にな。あのマルチェロさんの弟だ、ひでえ目にあわせられるのは想像つくぜ。まあ、だからって祈祷がなくなる訳じゃねえが……。お前はメルソーの次くらいだろうな」
ククールは、エミリアンが何を言いたいのか考えないことにして、返事もせずに走って孤児院に帰りました。途中で院長室への橋を渡る兄の姿を見かけましたが、少しでも目が会うとひどく怒られてしまうので気づかないふりで通り過ぎました。
孤児院では、ロランの話で持ちきりでした。
「まあ、よかったってことだろうな」
ククールと仲のいいメルソーを囲み、随分盛り上がっているようでした。
「おっ! ククール、来たな」
メルソーはククールを見つけるなり、手招きしながら座る場所を空けます。
「すげえな、マルチェロさんは。旧ロラン派のやつらもケンカふっかけに来なくなったし」
みんなククールの周りに集まり、兄のことを褒めちぎります。
「そうそう。これで安心して見習い生になれるよ」
孤児院でのマルチェロの人気はすごいものでした。強さといい、礼儀正しさといい、騎士団一だとみんなが認めています。更に副団長になったものですから、ますます注目されるようになりました。
──僕はなぜか寂しかった。僕の兄さんなのに。僕なんて口も聞いてもらえない。おまけに副団長になってすごく忙しそうにしてる。丸一日姿を見ないことだってざらだ。
ククールがはあ~っとため息をつくと、メルソーが小声で話しかけました。
「ホント、ため息でちゃうよな」
「えっ?」
「お前、好きなんだろう? あの人が」
「好き?」
「マルチェロさん見てため息ついてるヤツはいっぱいいる」
ククールは胸の鼓動が速まるのを感じていました。
──そういえば、兄さんの話が出ると、うっとりした表情を浮かべるヤツをたくさん見たことがある。でも、それは、かっこいいからだ。でも、騎士団の人たちの中にも、兄さんより年上なのに、ニヤニヤした目つきで……ロランさんみたいな……変な目つきでじろじろ見る人がけっこういる。でも、それは、かわいいから……? いや……なんだろう。
メルソーは黙っているククールをじっと見つめます。ククールは、何といってよいかわからなくなっていました。
「僕……ちがう。怖いなって……。もう寝る」
ククールはいたたまれない気持ちになって、急いで部屋に戻りベッドに飛び込みました。
──兄さんが好き?
──そりゃ、きょうだいだもん。……でも違うな。そういうんじゃなくて。
書類届けに行ったり、お食事運んだり、そばにいてお手伝いしたりしたい……でも、僕がお手伝いしても他のみんなみたいに誉めてくれない。早く出ていけって言って……。弟だから? 弟じゃなかったらよかった。だってきょうだいだったら、小さい時から兄さんが弟に勉強教えたり、いじめっ子から守ってくれたり、僕は反対に兄さんの秘密を守ったり、お使いしたり。毎日一緒にご飯食べて、お風呂なんか一緒にはいったりして、寂しいときは一緒に寝たりできたのに……。もう、そんな年齢なんてとっくに過ぎてるんだから、離れていかなきゃいけないってわかってる……。でもなぜだか日増しに募る想い。メルソーの言う通り、恋しちゃったのかな。
「恋」……ククールはその言葉に胸を貫かれ、なかなか眠れませんでした。
* * * * *
新しい制度になってはじめての見習い生適性検査の日がやってきました。孤児院からはメルソーの他に二人。マイエラ地区以外からも希望者が10人もやってきました。
この日の午前中、孤児院の子どもたちは畑仕事をしていました。終わって孤児院に戻っていると、修道院の中庭のざわつきが聞こえてきました。適性検査が終わったようです。バン! と、勢いよくドアが開いて、メルソーが満面の笑みを浮かべながら走ってきました。
「やったぜ、ククール! 明日からは騎士団見習いだ! メルソーさんって呼べよ!」
「嫌だね。……それより、おめでとう! さあ、早く適性検査のこと話して」
「お前、12歳になったら急に生意気になったな。お前が来るまで一年、すげえ強くなってお前をしごきまくってやる!」
皆でメルソーを囲み、孤児院へ戻ります。もう一人の合格者も一緒です。
メルソーはみんなを集め、適性検査の様子を教えました。
基本的な体力検査の他、使えるものは武器での手合せ、一般常識と教義のペーパーテストがあったということです。
「……で、最後は面接だ。俺はマリオンさんだったからリラックスして話せたけど、ヨソから来たヤツはマルチェロさんかガルシアさんだったから、ビビってモゴモゴしてたぜ」
まあ、案外簡単だったぜ、と、メルソーは気軽に言うと自分の荷物をまとめ始めました。
「じゃあ、もう、行くぜ。今日中に騎士団宿舎に移動しなきゃならないんだ。みんなも頑張れよ!」
ククールはメルソーが急に大人になったように見えました。ひとまとまりになったメルソーの荷物が、とても小さく感じます。どちらかというと小柄なメルソー。あっという間に鍛え上げられてたくましくなっていくんだろう、午後の明るい日差しを全身に受けたその姿が、ククールにはうらやましく、まぶしかったのです。
──僕だって、来年は。
ククールの決意が聞こえたのか、メルソーが去り際に小声で言いました。
「……ククール、あの人と一緒にいたかったら、絶対に騎士団に来い。教義の勉強はちゃんとしとけよ」
「うん、わかった」
──僕、もっともっと勉強する。兄さんの側に行くために。
ククールは、懸命に勉強しました。このあとの一年は、兄を探してうろうろしたり、訓練中の兄を目で追いかけたりする時間を作りませんでした。
サンソン>修道士。異教徒改宗担当。拷問のテクニックは世界的に知られている。祈祷準備のスペシャリストでもある。大柄でおもしろい人(髪形も)。
マルチェロは、出る杭は打たれるで、修道院内で無事で済んでいないだろうと考えました。のちに騎士団を牛耳るためには、若いうちから波乱万丈だったでしょう。
祈祷は、身分の高い人たちが神への祈り以外に、若い僧侶に性的サービスを求めることとして設定しました。
孤児院と修道院は隣り合っている設定です。
次はククールが騎士団員見習いになります。