主な登場人物:ククール、マルチェロ、マリオン、カミーユ、メルソー(騎士団員)、ガルシア(騎士団団長)
1
「ククール、お前、変わったな」
「そうかな?」
「ああ。口の聞き方は随分ひどくなったが……、力をつけた」
教義を終えたマリオンが苦笑いしながらそう言いました。
──そりゃそうだ。オレは変わった。すっかり。兄貴が聖堂騎士団の副団長になってから。オレは兄貴に嫌われている。だけど、明日の見習い生の試験に受かれば、この1年の努力が報われるはず。兄貴はオレを認めてくれるだろう。6歳でここへきて7年半……。オレの人生はもうマイエラ生活のほうが長くなっていた。
「おーい! ククール! 頑張れよ」
騎士団宿舎の二階の窓から叫んだのはメルソーでした。
今日は待ちに待った騎士団入団のための適性検査の日。ククールは、教義の試験を終えて面接を受けるために礼拝堂に向かっていたところでした。メルソーに声をかけられてほっとするまで、ククールは自分が緊張していたことに気づきませんでした。
礼拝堂の横にある小部屋でガルシア団長かマルチェロ副団長かマリオンの面接を受けることになります。ククールは、小さく深呼吸しました。
「ククールです。お願いします」
「おう、ククールか。座れ」
マリオンが笑顔で迎えました。予想通りではありましたが、実際マリオンの姿を見てククールは安堵のため息をもらします。
「よく精進したな。教義も満点だ……お前には騎士団見習い生として俺は期待している。ガルシア団長もだ。オディロ院長もな」
「副団長殿以外ってことですね」
「うん、あいつも、きっと期待しているさ。口に出さないだけで……」
「いえ、いいです。実力で認めてもらいますから」
マリオンは、いつもおどおどして兄の影を追うククールではなくなっていることに気づきました。マリオンは、果たしてマルチェロがこの弟の存在をどう扱っていくだろうか思うと、楽しみでもあり、また不安でもありました。
孤児院出身者は今年も全員合格、ククールは荷物をまとめ、意気揚々と騎士団宿舎へ向かいました。
「あっ、あに、副団長殿!」
二階への階段を上るマルチェロを見つけ、ククールは走って追いかけました。
「……なんだ、そうぞうしい」
「オレ、見習い生として精進します。期待して下さい」
「……ふん、マリオンに甘い点をつけてもらったようだな。私はお前には全く期待していない。しっぽをまいて出ていくがいい」
マルチェロは、こんなヤツと話した時間が惜しい、とでも言うように足早に団長室に入って行きました。冷たくされたにも関わらず、「同じ建物で生活できる、この人から訓練を受けることができる」そう考えただけでククールの胸は踊り、兄の後姿を見送るククールの表情は誇らしげでした。
* * * * *
ククールが見習い生となって一年になろうとしていました。
「マルチェロよ、ククールの力を認めない訳にはいかないぞ?」
団長室にガルシア団長、マルチェロ、マリオンが集まっています。
「そうだな。剣の他に弓が使える者は少ない」
「それに、魔力だ。回復呪文は騎士団にとってどれだけありがたいかわかるだろう?」
マルチェロは憤懣やる方ない、とでもいいましょうか、二人に目すら合わせず仏頂面をしていました。
見習い一年目でククールを聖堂騎士団へ昇格させたいガルシア団長とマリオンは、このところ毎晩マルチェロを説得しているのでした。
「マルチェロ、私と院長のサインでククールを聖堂騎士団員に任命することはできる。しかし、やはりお前にも納得してもらいたいのだ……明後日は騎士団入団式だ。見習い二年目はメルソーら10人が入団する。ククールを一緒に入団させたいんだ」
ガルシアに続いてマリオンも言います。
「……あと半年待ってもよいのだが、どうも騎士団見習い生の希望が多くてな。今年の試験は定員を去年の倍にしたのに、ずいぶん落とさなければならなかったろう?」
マルチェロが何も答えないので、ガルシアは少し声を強めます。
「実戦で覚えさせるよりまず教育を、と決めて制度を変えたのはお前の考えからだ。
新人教育できる騎士団員は、マリオン、ロジエール、若いところではアランくらいだ。マリオンは孤児院も行かねばならないし、一人でも多く、使えるヤツが早く欲しいのだ。
このペースで新人をのんびり育てていたら、騎士団全体の力が弱くなってしまう。精鋭を残していくためには互いに切磋琢磨する団員が必要だ。見習い期間満了を待たずに騎士団員になれたとなれば、騎士団員とて生半可ではいられなくなる。騎士団を大規模にするつもりではないが、しかし、今は人員増の時期だと思うのだ……」
そう、見習い生の制度に関してはマルチェロが中心となって改革してきたのでした。理詰めで痛いところを突かれ、マルチェロは何も言えません。
そして、ガルシアは静かに言いました。
「オディロ院長様も承諾して下さった」
マルチェロは、深くため息をつき、ようやく、重い口を開きました。
「……わかりました」
しかし、顔を上げることはありません。
「よかった。では、さっそく手続きをしよう。それから、この件に関してもお前の意見を聞きたい」
「この件」と言われガルシアから差し出された羊皮紙をちらりと見たマルチェロは、今度はすっと顔を上げて、即答しました。
「ああ、その件ですか。問題ないと思いますよ」
投げやりなマルチェロの言い方に、マリオンが慌てて尋ねます。
「いいのか? マルチェロ、お前の弟……」
「マリオン、私はあれを弟などと思ったことなどはない!」
思いがけないマルチェロの剣幕に、マリオンは大きな体を小さくしました。
「あっ……ああ、悪かったよ」
「うむ、ではこの件に関してはマリオン、お前に任せる」
「ええ? 俺ですか?」
「心配するな、カミーユに話をつけておく。15歳には準備をしておきたい。あと半年だ」
ガルシアはマリオンの困った顔を見ながら軽くそう言いました。
2
ある昼下がりのことです。
「特別に?」
「お前を集中的に訓練するためだ」
ククールが異例の早さで正式に聖堂騎士団員になって半年を迎えようとしていました。15歳の誕生日も近づいています。
マリオンはガルシア団長に言われている、彼に伝えなければならない「あること」を、伸ばし伸ばしにしていたのです。しかし今朝になって、ついにマルチェロに催促され、仕方なく中庭にククールを呼び出していました。
「どんな訓練?」
「なあ、ククール、俺にタメ口きくのはいいが、他の先輩には気をつけろよ」
「わかってるよ、マリオン。で、なんでオレだけ特訓されなきゃいけないんだ?」
言いにくいんだが……、とため息をつきながらマリオンは噴水の縁に座ります。
「そんなにキツイのか?」
マリオンの視線がゆっくりとククールから噴水に移り、そして履いているブーツの先に落ちたところで、ククールは思わず尋ねました。しかしマリオンはうつむいたまま首を振ります。
「じゃ、なぜ……」
「いや、ククール、考えようによっちゃ、キツイ。多分」
「多分? 何だよ、ハッキリ教えてくれ。オレ、どんなキツイ特訓だって耐えてみせる」
兄貴の近くにいられるなら、どんなことだって……。自信に満ちあふれた今のククールには恐れるものなどなにもない、といったところでした。
「うん、今すぐって訳じゃないから、しばらくは今までと一緒だ。で、折りを見て、声がかかるだろうから、そのつもりでいてくれ」
「わかった」
「今夜の礼拝をサボるなよ」
「おう」
もういいぜ、とマリオンはククールを帰しました。
風が噴水の水を中庭に撒き散らします。キラキラとした飛沫はククールの背中にかすかにふりかかったように見えました。マリオンは「特訓」の内容をはっきりと言えなかったことを少し後悔しました。
……しかし、今夜の礼拝までには口の軽い騎士団員がマリオンに代わって一から十までククールにしゃべるだろうから、返ってその方がいいだろうと、無理に思い直しました。噴水の縁から立ち上がると、風は今度はマリオンに向かって強く吹き付け、冷たいシャワーの針を容赦なく突きつけました。
──ああ、マルチェロよ、俺は言ったぞ。「礼拝をサボるな」と。
俺は祈祷に行ったことがない。この図体だからな。対外的に役に立つのは、村祭りの荷物運びくらいだ。……ククールはまだ子供じゃないか……。何とかならんものか……。
その夜の礼拝時、精神的に傷ついていたマリオンは、ククールがあまりショックを受けた顔をしていないのに驚きました。修道院ならではの「祈祷」の話を聞いて顔色を変えない者はいません。覚悟が決まったのか、まだ15歳になっていないのに。それとも経験済み? いや、それはない……。もしや、誰からも話を聞いていないのか……。マリオンはあまりに集中して思案していたので、礼拝が終わったことに気づきませんでした。
「マリオン、何をそんなに祈ることが?」
「あ?」
声をかけられたマリオンが顔を上げると、マルチェロが目の前に立っていました。礼拝はとうに終わり、礼拝堂にいるのはマルチェロとマリオンの二人だけ。
「いや、ちょっと考え事を」
「懺悔なら聞いて差し上げても?」
マルチェロはいつになく上機嫌で、微笑んでさえいました。
──ああ、マルチェロ、お前はこういう優しい表情をすることがある、慈愛の深い男であるのに、なぜいつもその優しさを隠してしまうんだろうか……。
「お前、本当にククールを祈祷に行かせるのか?」
「そのことか」
マルチェロは表情をまったく変えずに言いました。
「……お前が一番祈祷の辛さをわかっているんだろう? 俺はお前がこれまでの祈祷を廃止するんじゃないかと思っていたんだ」
「15の時だ。あの腐れ貴族出身の出来損ないのロラン……」
マルチェロはマリオンの前に座り、無表情で呟きました。
──ああ、解っている。あの時騎士団にいた者はみんな知っている。あれは聖誕祭の休暇で実家に帰っているものが多く、オディロ院長、団長、副団長まで留守だった日だ。
「私はあの日の屈辱を生涯忘れることはない」
マルチェロがあの話をしようとしている。マリオンには信じられませんでした。この7年間、絶対に触れてはいけないことだと、マリオンの記憶の片隅に厳重に鍵をかけておいたものでしたから。
そしてここは神に祈る礼拝堂。先ほどまでおごそかに祈りが捧げられていたこの場所で、これから話されるに内容を想像すると、マリオンは心の中でロザリオを固く握りしめずにはいられませんでした。
しかし、マルチェロはいつになく機嫌よく、饒舌でした。マイエラ修道院で最も大きい、この礼拝堂の女神像に背を向け、マリオンをじっと見据えて話し始めました。
「孤児院時代からあいつには目をつけられていた……マリオン、貴殿にはよく助けてもらった」
ロランは下半身のしつけが悪く、目を付けた少年には必ず手を付けていました。
「ああ、そうだな。しかし、あの日は守ってやれなかった」
「もう、昔のことだ」
マルチェロは腕を組み、ふっと息をつきました。
* * * * *
──おい、マルチェロ、お前の弟が泣いていたぞ
──だからなんだ
──綺麗なツラだな、お前の弟。将来が楽しみだ
──だから?
「あの日は人が出払っていて、見回りも来ない。ロランは中庭に抜けるドアに潜んで私を待ち伏せしていた。マリオン、貴殿はロランの仲間がわざと起こしたケンカ騒ぎの仲裁をしていた」
「そうだった。珍しく殴り合いのケンカが起きて、年長者は俺くらいしかいなかった」
「私は少し油断があったのかも知れない。皆、ケンカの見物に行っていたからな。ロランも当然、見ているのだろうと。……あの者は武器庫に私を押し込んだ」
──マルチェロ、お前は追い出されたんだぜ? 妾の子だから。遺伝子って知ってるか? お前はあの好き者の領主の血と身体だけで妾になった女の血が流れている。お前、素質があるぜ、絶対にな
──やめろ!
──なんだと? 妾の子のくせに、貴族さまにそんな口を聞いていいのか!
「ロランは大きな針のようなものを突きつけた。毒針だ。目を刺すと脅してきた。ロランは図体ばかりで剣の腕は大したことはないが、目の前の毒針に私は怯んでしまった。その後は皆の噂通りだ。殴られて、無理やり犯された」
マリオンは具体的な行為の説明がなくてほっとしました。一方のマルチェロは、口の端に薄笑いを浮かべてマリオンを見つめています。その狂気じみた視線は、マリオンを硬直させました。
「それからも、ロランは仲間に見張りをさせて私を犯した。あんな屈辱を受けねばならないのなら、屋敷を追い出されたとき、死んだほうがよかったと思うこともあった。ある夜、地下室でそれまでにないほどの激しい辱しめを受け、もう生きるも死ぬもどちらでもよいと思い、動けずに惨めに転がっていた私は、サンソン修道士に助けられた」
──マルチェロではないですか? 手当てをしましょう
──……
──さ、お拭きなさい。服を着て。負けてはなりません。罪は神様がお裁きになります。……私たちは神の代理人です。私は神の名の元に、正しい祈りを教えます。あなたも聖堂騎士団員、代理人の一人です。罪人はあなたではありません
──……
──何も怖がらなくてよいのですよ。あなたは選ばれました。この世には、ロランなどよりも、もっと神の慈悲を必要とする罪人がいます。その者を救う仕事につきなさい
「マリオン、サンソン修道士が何を言いたかったか解るか?」
マリオンは小さくかぶりを振りました。
「……祈祷だよ。金持ちや権力者の罪を浄化するための……」
マリオンはうつむきたかったのですが、マルチェロの眼力に捉えられ、目をそらすことができませんでした。
「サンソン修道士は、私に「祈祷準備をしましょう」と言った。そして、終わったら、カミーユ殿と一緒に祈祷に出ろと。私は、サンソン修道士が用意した様々な道具を使って祈祷準備を受けた。貴族とは変わった趣味をお持ちだそうだからな。ロランが力ずくで行った所業などとは比べ物にならないほどだ。こちらの身体が傷ついても困る。そして学んだ。肉体と精神を切り離す術を。死んだほうがまし、などという問題ですらなかった。他人の罪を洗うなどという、いかにも『高尚な』ことを行っているのは、私という魂の抜け殻だ!」
──……サンソンさん、苦しいです。駄目です
──マルチェロ、意識を別のところへ飛ばすのです。間違っても、ご自分の想い人の顔を意識してはなりません。無の境地を目指すのです。おざなりにしていると長引いて、かえって苦しいですよ……
──ふっ……、うっ……
──さあ、次、忘れずにお塗りなさい。知識のない方の中には嫌がる方もいらっしゃいますが、お互いのためです。このほうがより罪の浄化を促せます、秘伝の香油です、とおっしゃれば、大抵の方は承知して下さいます……さあ、いきますよ、なるべく楽な姿勢を覚えるのです
──あっ、……痛いです、うっ……
──最初の違和感は仕方のないものです。苦しい時は小さく2回息を吸い、ゆっくりと息を吐き出しなさい。痛みを逃すのです。そのときに出る声は我慢しなくてよろしい
──……あ、あっ、……
──肉体と精神を切り離すのです。肉体だけを差し出すのです。あなたの肉体を通じ、彼らは浄罪されるのです。恐れることはありません。心は神とともにあるのですから。心を強く保ちなさい。浄罪を行えるのは、選ばれた者だけです。そして、あなたはより神のお側へ行けるのですよ……
「準備の済んだ私は、カミーユさんと連れ立って祈祷に行った。途中、私かカミーユさんが帰される。どちらかが選ばれるのだ。選ばれなければ、帰れる。しかし選ばれれば深夜か翌日、大量の布施を修道院に持ち帰ることができ、団長殿から休暇がもらえる。どちらがいいかなど比べられるか? ロランたちはいつも私かカミーユさんかで賭けをしていた。早く帰ると私に賭けていた奴らが殴りにくるのだぞ? ……そのうち私も指名されるようになった。更にたくさんの布施を得られるようになった……」
サンソン修道士の力を借り、祈祷に行く者を育てる、と、マルチェロは緑色の瞳をマリオンにまっすぐに向けました。
「ククールが15歳の誕生月には祈祷に出られるようにしたい。それまでに予備知識はどんどん入ってくるだろうから心配するな」
くつくつと笑うマルチェロにマリオンは総毛立ちました。そして思います、お前はどこに隠れてこの話を聞いているのかと。
──知ってるよ、オレ。祈祷のこと。
礼拝の後、ククールはカミーユに「祈祷について教えてやる」と言われ、思わずそう言いかけました。しかし、怖いもの見たさ、とでもいうのでしょうか、黙ってカミーユについて行ったのです。礼拝堂からは、マルチェロがロランとの初体験、祈祷の準備についてをマリオン相手に話しているのが聞こえていました。
この日の日中、ククールがマリオンに「今夜の礼拝を休むな」と言われたあと、宿舎に戻るとカミーユが待っていました。カミーユはククールより15歳も上の大先輩。そんな先輩が夜の礼拝時間までククールになんやかやと話してくるものですから、見習い生どころか、他の騎士団員さえ寄って来ませんでした。マリオンの予想からすると、「祈祷について誰の話も聞いていない」という状態で礼拝堂に来た、ということになります。
兄、マルチェロの過去の告白は、ククールに少なからずショックを与えました。しかし、予想していたこととはいえ、兄の口からいかがわしい言葉が次々吐き出されたことより、浄罪の行為を当然のことだと受け止めている態度に、なぜか腹がたったのです。
14歳のククールとて、教会が「綺麗」である、とは思っていません。建て前があり、裏があることくらい承知です。ただ、もしかしたら兄は、兄だけは潔癖なのではないか、ロランに犯されたとしても、ゴールドのために身体を差し出すようなことはないと、そう信じたかったのかもしれません。
カミーユは、マルチェロの話が途切れたところで、ククールを外へ連れ出しました。
「ククール、ドニに行くぞ」
「えっ? 今から?」
「はは、まだお子さまだな、ククール。今日は大人の店に連れてってやる」
ドニ……。自分たちが生まれ育ったところ……。マイエラからは徒歩でもいくらもかかりません。ですが、両親が死んでから、ククールは足を踏み入れていませんでした。
カミーユに続いてドニの町に入ります。
──泣けばいいのかな……。
しかし、教会を見ても、酒場の前まで来ても、不思議と何の感慨も湧きませんでした。何の苦労もしなかった日常なんて、記憶に残らないもんだな、とククールは感じました。
「いらっしゃい」
店に入ると、まず声をかけてきたのは酒場の女主人。彼女はククールが小さい時から、それはそれはかわいがっていましたので、一目見るなり、その場に立ちつくしました。
「まさか……ククール坊っちゃん!?」
ククール坊ちゃん……その言葉に、ドニでの楽しかった日々が走馬灯のようにククールの脳裏に映し出されました。
美しい母、乱暴だが自分にはとびきり甘かった父、よく遊んでくれた屋敷の使用人たち、兄のことで何かと心配してくれた教会のシスター、こっそり駄菓子を口に入れてくれた、この酒場の女主人……。
カミーユに肘でつつかれたククールは、はっと我に返り、痛いほどの視線を浴びながら、ようやくこれだけを言いました。
「おばちゃん、ご無沙汰してます」
あれまあ、立派になって……と女主人は涙を流してククール抱きしめました。
「正式な聖堂騎士団員だ。なかなか優秀ですよ。今日はお祝いにね」
「そうかい、嬉しいね……。でもまだお酒は駄目だよ。ほんの少しにしとき」
カミーユは、ほんの少し緊張のほぐれたククールをカウンターの自分の隣に座らせます。
カミーユが目配せすると、店の若い女が寄ってきました。
「あら、あなたがククール? かわいいのね」
「初めてなんだ。すぐ帰るよ。今度ゆっくり紹介するから」
カミーユはククールに甘口のスパークリングワインを注文しました。
甘口とはいえ初めての酒の味。ククールの白い頬がうっすら色づきます。
ククールが1時間かけてようやくグラス一杯を空けると、カミーユが立ち上がりました。
「あら、カミーユさん。もうお帰り? つまんないわ」
酒場の女たちを適当にあしらい、カミーユはククールを抱えて酒場を出ます。
「ああ、今日は帰る。ククールを気に入ってくれたならまた連れてくるさ。5日おきくらいにな」
3
カミーユは、約束した通りククールを5日おきくらいにドニの酒場に連れて行きました。
「なあ、ククール。ワインは慣れたか?」
「はい。まあ……」
「そうか。じゃ、他の酒もいろいろ試してみろ? まだ量は少なくな。いろんな味を覚えるんだ。楽しいぞ」
ククールはすぐに酒の味を覚えました。酒好きな父親の血のせいなのでしょうか、悪酔いすることもなく、少しずつ強くなっていくようでした。15歳を迎えるころにはかなりの飲み手になっていました。
「ちょっと、まだ子供でしょ? 大丈夫なの」
ある晩、いつものようにカミーユとククールが酒場で飲んでいると、酒場の若い女が声をかけてきました。
「あっと! ククール。すまん、今お前が飲んだのはちょっと早かった」
「えっ?」
ククールが、出されたショットグラスをキュッと飲み干した直後のことでした。
「あれ? オレ? カミーユさん??」
とたんにクラクラきたククールは、テーブルに突っ伏してしまいました。
「ククール! おい、しっかりしろ。……駄目だ、ちょっと休ませる。水持ってきてくれ」
ククールは遠くでカミーユの声を聞いた気がしました。
* * * * *
「アタマ……いてぇ」
いやに暑い気がして、ククールは意識を取り戻しました。ゆっくりと目を開くと、見慣れない天井。
──オレ、何処に?
「ククール、おはよ。はい、お水」
「ありがとう……って、誰だ! あっ!」
慎重に起き上がったククールは、自分の姿に唖然としました。なぜなら全裸でしたから。
とりあえずグラスの水を一気に飲み、落ち着いてみると、女は、いつもの酒場の女でした。ククールは水のおかわりをもらいながら、お姉さん、なぜ下着姿なんだろう……と考えました。
「あの、オレ……」
「大丈夫、ちゃんとできたわよ」
女は、ふふん、と色っぽく笑い、ククールにキスしてきました。
──できた、って……。
「オレ……何も……」
覚えていない、と言おうとすると、女がそれを遮って言いました。
「大丈夫よ。初めての時はみんなそんなかんじよ」
「え、……あの、ごめんなさい?」
「バカね。お姉さん、僕を男にしてくれてありがとう、って言うのよ」
「え、あっ、ありがとうございました」
予想はしていましたが、やはり気恥ずかしく、ククールはあわてて服を探します。
「はい、服。あら、また元気。さすがね。帰る前にもう一度?」
「いっ、いいです。帰らないと叱られます」
「うふふ、照れないでいいのよ。帰りなら大丈夫。カミーユさん下で待ってるわ。じゃ、服着たら降りてらっしゃいね」
女はもう一度ククールにキスして、短いドレスをさっとかぶり、部屋を出て行きました。
一階では、カミーユがお茶を飲んでいました。
「おう、ちゃんと起きられたなククール。オレンジだ。食っとけ」
「カミーユさん、あのオレ……」
「心配するな。マルチェロの指示だ」
──なんだって? 兄貴の?
「ああ見えて、お前をかわいそうに思ったんだろうな」
──どういうことだ……。
「誤解のないように言っておくが、マルチェロは、俺に任せる、と言ったんだ。男にしてやれ、と言った訳じゃない」
カミーユはニヤリと笑い、食え、と言ってオレンジをククールの前に押し付けました。
カミーユ>ベテランの聖堂騎士団員。遊び人で情報通。ククールを立派な遊び人に育てた。
マリオンはマルチェロより年上の設定ですが、マルチェロは自分の方が地位が高いのでタメ口と丁寧な言葉が混じってしまいます。ククールはマリオンを友だちのように思っているのでいつもタメ口です。
次はククールが祈祷へ出かけます。