「いらっしゃいま……日菜!どうしたの!?」
「ちょっと、ヘマしちゃった……」
昼下がりの静かな喫茶店に突然現れた血塗れの日菜は倒れ込むように私の胸の中に抱きかかってくる。
「何なに!?どうしたの、って、日菜!?大丈夫!?ちょっと待ってて今救急箱持ってくから!」
騒ぎを聞きつけて店の奥から店主の今井さんが救急箱を持ってきてくれた。
「日菜、なにがあったの?」
「るんってきたから一緒に遊ぼうっていっただけなのに、私にクスリなんか打とうするからボコボコにしてやったら仲間呼ばれて仕返しにボコボコにされちゃうしクスリ打たれてバットトリップでレイプされるし」
「心配して損したわ…自業自得じゃない、気をつけなさいって言ってるじでしょう」
カフェの奥、三人の居住スペースのリビング、そのソファーに寝かされた日菜の瞳は正気を失い濁っていた。
紗夜がそんな日菜を見て何とも言えない顔をしていたのをリサは見逃さなかった。
「紗夜、店の方閉めて今日はもう休んでいいよ」
「ですが、」
「日菜を見てると辛いんでしょ、私が見てるから少し休んでおいで」
「……、お言葉に甘えます」
これから数日間、同じ部屋で生活していても二人の間に会話はなかった。
両腕に違和感を感じて目が覚めた。
ひっくり返った蛙のような寝相で寝ていたらしい、肩と腰に強ばりに近い痛みを感じる。
「日菜がまたいたずらでも…」
違和感の正体を確かめるべく起き上がろうとして腕を跳ね上げる。しかし、ほとんど腕が動かない。ベットから10cm程のところで金属がぶつかる高い音が鳴った。
「拘束されている…いたずらにしては度が過ぎています。今日は仕事が休みというわけではないのに…」
どうやら四肢が拘束されているらしい。どうせあの妹のことだ、隠れてこちらの様子を伺っているに違いない。
「日菜、隠れてないで出てきなさい」
「はーい」
ドアを開けて日菜がガラガラと何かを何かを引いて入ってきた。
絵の具のようなものが入った容器とよくわからない道具がたくさん並べられている。それが何なのか紗夜には分からなかった。
「おねーちゃん、起きたね。じゃ、始めよっか」
「日菜っ!?これは何!!早く外しなさい!!何する気なの!?」
日菜の方を見れば、日菜はキャスター付きの台で手を動かしている。
「これ」
親指で首筋、正確にはそこに刻まれた月のタトゥーを指す。
「ま、まさかあなた、私に…」
「そのまんまじゃないけどね、私は月でおねーちゃんは太陽。お互い対になってた方が面白いでしょ?」
日菜が恍惚とした顔で彫り機をもって振り返る。
「動いちゃ駄目だよおねーちゃん。絵が汚くなっちゃうから」
高い振動音が耳障りに響いた。
「あなたっ!日菜止めなさい!!やめて!!やっめ、日菜ァァ絶対に許さないからなァァ!!」
頭を押さえられて首筋にアルコールで湿った脱脂綿の冷たさが伝う。
「うるさいなぁ、おねぇちゃん。ちょっとこれでもくわえててよ」
無理矢理ギャグボールをくわえさせられて唾液と声にならない罵倒を垂れ流す紗夜を眺めて満足した日菜は仄暗い喜色で顔を満たす。
もう少し時間を稼げば店に来ないことを心配したリサさんが部屋に様子を見に来る、そうすればこの凶行を止められる。紗夜はそう思っていた。
「あぁ、そうだ。今日はリサちーにも入れあげる約束なんだぁ、彼女の名前彫ってほしいんだって。それでね私思ったんだ。私とおねーちゃんにも印がほしいなって」
「んっ~~んっ!!」
「あんまり暴れられると困るけどクスリは使いたくないんだよなぁ」
妹に拘束されて為すすべもなく消えない烙印を刻まれようとしていた。
だから今日と明日はカフェお休みだって。耳元に絶望を吹き込まれて紗夜の腹が冷たい重りで満たされる。
それでも瞳は怒りで爛々と燃えて妹を睨む。
「まぁ、しかたないか、おねーちゃん。サイコーに気持ちよくしながら彫ってあげるね!るんってしてきた!」
クローゼットの左半分、日菜の私物を入れてある部分から必要なものを引っ張り出す。
「おねーちゃんには特別、さいこーに純度高いやつを使ってあげるっ」
「んっーっん!!んっんっん!!!」
「初めてでポンプはきついだろうしパイプにしてあげる」
ギャグボールを外されて鼻をつままれる。
「かはっ」
口だけの不自由な呼吸で煙をたくさん吸ってしまう。
頭がくらくらして感覚が抜け落ちる。
「あ……」
「いい感じだね、かわいい顔してるよおねーちゃん」
紗夜が正気に戻ったときには全てが終わっていて、拘束は外され、紗夜は起き上がることができた。
姿見で自分を覗けば日菜の宣言通り首元に太陽のタトゥーが刻まれていた。
「明日からどうしましょうか…」
こんなものがあれば店には出られまい。
刻まれた太陽の呪いに触れて、紗夜は何かを感じ取るように目を閉じた。
「日菜、私にタトゥーを入れて、ってまた何吸ったの」
私と日菜の部屋、何かしら植物を燃やした匂いが漂うこの部屋で床のビーズソファにけだるげに寝そべる妹は面白そうに顔を上げる。
「ただのハーブだよ、おねーちゃんも吸ってみる?」
「遠慮しておくわ」
「そ、じゃあ、あーげない。ひっひっひっ」
どうやらキまっているらしい。奇声を上げながら笑い転げていた。
いよいよただのハーブという言葉も怪しい。
「また捕まって私の手間をかけさせるような真似はしないで頂戴」
「はーい、わかってるよ♪」
「それならいいわ」
「一つ聞いていい?」
「何?日菜」
「あのときはさんざん嫌がって暴れたのにどういう風の吹き回し?」
首に垂れ下がって猫みたいに瞳孔を細めた日菜が酷薄に笑った。
紗夜はしかめそうになる顔を必死に押さえていた。
「この首のタトゥーは絶対に許さないわ。今回はまた別、そういう気分になっただけ」
「それで?どこに何入れる?」
一瞬の喜色は消え去りビジネスの顔になった日菜は冷酷だ。
要望を伝えると日菜は舌なめずりして。
「るんってしてきた。じゃあスタジオ行こっか、今日は道具はそっちにあるから」
けだるげに転がってた面影なんて微塵もなく元気よく起き上がって私の腕を掴んで飛び出す。
電車で数駅、寂れたビルの一角、カラフルな電飾が目に痛いその店内まではあっという間だった。
「楽しそうね」
施術台に仰向けに寝そべりながら準備する日菜を眺める。
「楽しいよ、そりゃぁさ。おねーちゃんからの御指名ですから」
仕事の目をしているときの日菜は昔の聡明な話し方になる。
退廃と快感の世界に生きる前の妹を想像するだけで胸が痛くなってくる。あの頃の自分は妹のことをなにも理解していなかった。何でも出来る妹に嫉妬してそれを認めたくなくて否定して逃げ出した。あの頃の罪を烙印として刻まれるまでは気付かなかった。
お互いぼろぼろになって墜ちるところまで墜ちて、ようやく私達はお互いを許せた。
「で、つぐみちゃんとはうまくいってるの?」
「何でもお見通しなのね」
「おねーちゃんの事だからね。つぐみちゃんに見せたいんだ」
「つぐみさんは関係ない、わ」
「ふーん、綺麗な身体を汚しても?」
「綺麗に飾るのよ」
「つぐみちゃんの気を引くのに?」
「……」
機械が高い音を立てる。
「じゃ、始めるよ」