※この作品はR-18です。

名前のない物語   作:三枝 月季

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 ※今話には残酷な描写が含まれます。特に猫好きな方はご注意を(陳謝)


六月十九日は四日目

 結局のところ、マスターである祢屋八千夜(ねややちよ)は、昨夜、またしても熱を出し、キャスターはとても、やきもきさせられた。

 

「……ところで、八千夜様。なぜ、こんなに沢山の林檎を?」

 

 しかし、その事で彼女を責められるはずもなく、キャスターは、熟れた果実を皮ごと咀嚼する赤茶の頭部へと問いを投げた。怪我をする前は丁寧に皮を剥いて食べていたのに、今はもう、それすらも億劫なのか、豪快に歯型を刻んでいる。窓から射しこむ、昼下がりの陽光は、食卓に座る彼女の、果実を握る手の甲に宿る朱を照らし出す。縦長の長方形の短い両辺に、ギリギリ重なるように円形の並ぶそれは、キャスターに巻物を想起させた。

 

「……昔、お母様がよくアップルパイを作ってくれたのよ。だから、思い出しながら作ってみようかと思って……。それはそうとキャスター、後ろに控えていないで、空いている前の席に座ってくれると、ありがたいのだけれど」

 

 濁緑混じりの薄い茶色に見上げられて、キャスターは困惑しながらも、彼女の意に従う事にした。では、失礼いたします。と向かいの席に腰かければ――

 

「やっぱり、このほうが、お互いに話しやすいでしょう?」

 

 と、柔く微笑みかけられる。なるほど。対話の際に相手の顔を拝さない事は、彼女の場合では無礼にあたる事なのかもしれない。

 

 八千夜とキャスターの共同生活は、今日の夜を迎えると同時に、四日目を迎えようとしているのにも関わらず、聖杯戦争絡みでの会話以外での歩み寄りは、殆どない。と言ってもいい具合だった。無論、それは八千夜が万全の状態とは言い難かった事も理由の一つではあるが、やはり、依然として、キャスターがあらゆる物事に恐れを抱いている事も、原因の一つに挙げられるだろう。

 

「……そう言えば、私や私の家族については、貴女に話していなかったわね」

 

 ふと、くるくると果実を回転させながら、八千夜が切り出した。手の中のそれは、もう赤い面積の方が少なくなっている。対して、キャスターは無言のままだった。それを、どのように八千夜が受け取ったのかは知れないが、赤子の頭部くらいの大きさをした果実を、歪んだ小さな骨のような形にまで堪能した彼女は、その残骸を受け皿に横たえ、手や口元を拭いてから、語り出した。

 

「多分、貴方も少しは気になっていたんじゃないかしら?二十歳そこそこの小娘が住まうには、この屋敷は大仰すぎる。って」

 

 どこか、自嘲気味にそう言った八千夜に、キャスターはどのような言葉返すべきか思案する。彼女の許可の元、キャスターは己の特性を用いて、屋敷を堅牢な工房化しているのだが、正直なところ、自分と、八千夜(マスター)を護るためとはいえ、屋敷を覆うのに用いている魔力には、無駄と言える部分も少なくはなかった。

 

「……はい、八千夜様に厳命された通り、一階最奥のお部屋には、手をつけてはおりませんが、やはり、削れるところは、もっと削った方がよいのでしょうか?」

 

 が、キャスターの本音としては、無駄であろうとリスクを避けられるのであれば、現状を維持したい気持ちのほうが勝っていた。しかし、展開する魔力の供給源は、マスターである彼女である事も事実であり、それはいくら、自分の陣地作成スキルが秀でていようが、屋敷の立地が運良く、霊脈の上に位置していようが、補い切れるものには限度というものがあった。

 

「……ううん。それは貴女に任せるわ。私が口出し出来る事じゃないし」

 

 しかし、意外にもキャスターの言い分を退けた八千夜は、苦笑して続ける。

 

「私が言いたいのはね。状況的に、私って随分、怪しい女じゃないのかなって……」

 

 そうして、不安げに瞳を逸らした八千夜の様子に、キャスターも漸く、彼女の言わんとしているところに気が付いた。

 

 独りで住まうには広すぎる邸宅に、成人してまだ日の浅そうな少女が一人。というのは確かに妙と言えば妙ではあった。加えて、彼女の見目には西洋の血が色濃く、屋敷の造りも和洋折衷とくれば、作為的なものを感じなくもない。この屋敷が八千夜の為に建てられた城なのだとすれば、彼女は裕福な家柄に生まれた愛された娘。と言えるだろうに、そうと断じるには使用人が一人として雇われている様子がないのが、不気味であった。これでは、まるで、不自由のない広さだけを有した檻のようではないか?

 

 まさか、と心に浮かんだ考えを払拭する。けれど、一度芽生えてしまった疑念は、なかなかキャスターの中から消えてはくれなかった。

 

「……何から話せばいいのかしら、ああ、そうね。簡単な家系図を書いた方が分かりやすいわね。きっと」

 

 対して、八千夜はキャスターの懸念に気付く事なく、流しへ向かい食後の後片付けを終えると、冷蔵庫に束ねて張り付けてあったメモ用紙と、筆記具を手に取り戻ってくる。そうして、キャスターの目の前で、スラスラとペンを走らせ、あっと言う間に家系図を描き切った。

 

 まず、父と書いてある文字から左右に伸びた線上に、前妻(故)の文字と、母の文字がそれぞれ並び、前妻(故)と父の間に伸びた線上に、異母兄(17歳年上だという)の文字が一つ、同じように、父と母の間に伸びた線上に私の文字、つまり、八千夜が位置していた。要約すると八千夜は後妻の娘という事になるらしい。

 

「お父様とお母様の出会いは、お兄様のお母様が亡くなった後ではあったから、不倫でも、略奪愛でもなかったのだけれど、お母様とお父様の年齢が親子ほどに離れていた事と、お母様が日本人ではなかった事が、その、お父様の家と最初の奥様の家とで、いざこざの種になったと言うか……」

「もしかして、八千夜様のお父様と最初の奥様のお家は、政略結婚をなさっていたのでは?」

 

 キャスターの問いに八千夜が頷く。

 

「……よくある話だとは思うのだけれど、古い体質の組織ほど今まで培ってきた物事に固執して、新しい事柄を認めたがらないのよね。せめて私が純血だったら、もう少しどうにかなったのかもしれないけれど、ああ勿論。お母様の娘として生まれた事に不満はないのよ?」

 

 そんな、八千夜の乾いた言葉を前に、キャスターは何も言えなかった。彼女の言葉に同意したからではない。この世界の身勝手さに呆れて、言葉を失ってしまったからだ。

 

「……つまり、この屋敷は」

「そう、私とお母様の隠れ家みたいなものよ。それにしては大袈裟な規模だけれどね」

「ですが、それだけお父様の目がかけられていたという事なのでは?」

 

 一族に疎まれる母子を護る為に、権力者が案じた一計は、彼女達を高値に見せる事だったのだ。その方法が最良か否かは兎も角として、彼の庇護下において母子は表面上では安穏な日々を送れていたのだろう。すると、案の定、八千夜はキャスターの思考を読んだかのように言葉を繋げた。

 

 6年前に父が死んでからは、面白いくらいに使用人が辞めていったわよ。と、せせら笑うその表情は、年若い娘が浮かべるには余りに厭世的だった。

 

「…………しかも、父が亡くなって一年経つか、経たないかっていうときに、今度は私が奇病にかかってね。高校の進学は諦めざるを得なかったわ」

 

 だから、私は最低限の学しかない。無教養のお荷物なのよ。と八千夜は言い捨てる。ここで、キャスターがどんなに言葉を尽くして否定したところで、彼女にかけられた呪いが解けるとは到底思えなかった。

 

「……奇病とは?」

「安心して、今はもう寛解しているの。それに貴女にうつしてしまうようなものでもないわ」

 

 キャスターの言及に、八千夜は彼女を不安にさせたと思ったのか、儚げに笑う。対するキャスターも互いの認識の齟齬へと、咄嗟に否定とフォローを加えようと口を開き、けれど、屋敷の殆どを覆う形で展開してあった魔力網に引っかかった存在へと、狼狽える事となった。

 

「……キャスター?」

「――……八千夜様、表にサーヴァントらしき反応が一騎。恐らくはアーチャーかと」

 

 瞬間、キャスターの震えた吐息に、八千夜の目元が厳しく寄せられた。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

「何の用かしらアーチャー。まさか白昼堂々と私を殺しに来たの?」

「俺としちゃあ、正々堂々と戦えるんならそれでもいいんだが。あんたも、あんたのサーヴァントもそう言った手合いじゃないだろう?」

 

 玄関扉から、顔だけを出す形で大声をあげた八千夜へと、邸宅の門柱の陰から姿を現した、浅黒い肌をした偉丈夫が朗々と声を張る。そうして、数メートルの距離で対峙する両者は、片や、親の仇を見るが如く剣呑に視線を細め、片や、謂れのない嫌疑に参った。と言うように肩を竦めた。

 

「……八千夜様。余り相手を刺激なさらないほうがよろしいかと」

「そうは言っても目的が見えないじゃない」

 

 おずおずと掛けられた声に、八千夜が扉を閉めつつ振り向けば、彼女は想定よりも遥か後方で震えていた。どうやら、何らかの魔術を使って声だけを近くに届けていたらしい。

 

「どうするの?見たところ武装はしていない感じだけど」

 

 そんなキャスターの様子に、半ば呆れを覚えながらも、確実にあてられた八千夜が、恐怖にプチパニックな状態で食い下がれば、キャスターは呻くように声を絞り出した。

 

「…………基本的に、聖杯戦争は夜間に行われるものですし、その定石に乗っ取るのであれば、彼の訪問は同盟の提案、乃至、休戦協定を結ぶことが目的である。と推測する事は可能です。ですが、そのような勧誘や約定が必要なほどに、我々が煩わしき難敵か?と問われれば、どのように考えても、我々は尤も勝利からは遠いはずなので……」

「ああ、もう!!じゃあこうしましょう。彼の真名が仮にアーラシュであったとして、彼は、今ここで、私達を騙し討ちするような人間かしら?」

「それは……」

 

 刹那、八千夜が勢いで提案した物差しに、キャスターはハッとしたように面を上げる。そうして、意を決したように口を開いた。

 

「……サーヴァントである以上、令呪を使われては、如何に彼が高潔な方であろうと、我々は殺される可能性があります。ですが、それは彼自身も弁えている事であり、尚且つ、彼の気質上では避けたいと思う事であるはず。となれば、彼が(・・)彼のマスターを(・・・・・・・)信用して動いた(・・・・・・・)。という事を、我々が(・・・)信用して動く(・・・・・・)。という事もありかもしれません」

「……分かったわ。じゃあ」

 

 キャスターと視線を交錯させたまま、八千夜は今一度、深く息を吸う。

 

「迎え入れましょう」

 

 覚悟の定まった震えのない声音に、キャスターは励まされるように頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、ご用件は?」

 

 応接間に通したアーチャーに向き合うなり、八千夜は毅然と切り出した。こうして相対してみると、初めて会った時と変わらず、彼は人好きのする青年と言った印象が先立って、どうにも、調子が狂った。

 

 それに対して、単刀直入だな。と苦笑したアーチャーは、まぁ、まずは、これを見てくれ。と傍らに抱えてきていた青色の大きな箱(クーラーボックス)を開いた。途端、視界に飛び込んできた光景に、さっきまでの威勢は何処へやったのか、八千夜は声にならない悲鳴と共に、同じソファのすぐ隣へと座る。キャスターへと抱き付いていた。

 

「……猫、の死体。ですか?」

 

 瞬間、自らに抱き付いてきた主を宥めながら、キャスターは目の前の死に、呆然とし、顔色を悪くさせつつも、アーチャーへと胡乱な視線を送った。

 

 魚の腸(はらわた)を取るように、身体の中心を大きく縦に割かれた様子のその死に方には、流石にショックが大きかったのか(血の色が目立つ白猫であった事も大いに災いしたのだろうが)八千夜は一瞬にして滅入ってしまった様子である。

 

「……やっぱりな、その反応じゃあ、あんたらが犯人って事はなさそうだ」

 

 嘆息と共に容器を下げ、悪かったな。と八千夜に声をかけるアーチャーへと、キャスターが声を上げる。

 

「――わ、わたくし達に、どのような容疑がかけられていたのかは存じませんが、疑ってかかり、ましてやそれが、そちらの勘違いであったというのなら、貴方には仔細を述べる義務があるのではありませんか?」

 

 それは、か細く弱々しい、頼りない叱責ではあったが、来客を部屋にあげて早々に、猫の死体を見せられた事に対する抗議としては、妥当と言える発言ではあった。

 

「ああ、勿論。語らせてもらうさ。だが、その前にあんたの主は席を外さないでも大丈夫か?今から話す事は、余り気持ちのいい代物じゃあないぜ?」

 

 バツが悪そうに、視線を震える赤茶へとやってから、アーチャーはキャスターに視線を合わせた。

 

「――……八千夜様」

 

 弓兵の澄んだ視線を前に、暫し逡巡してから主の名を呼んだキャスターは、ゆっくりと顔を上げた八千夜に、淑やかな声音で問いかけた。

 

「大丈夫ですか、八千夜様」

「――大丈夫、じゃない、けど。逃げ、られない。でしょ?」

 

 泣きたくなるのを必死に堪えるようにして、自身を鼓舞した八千夜の姿に、キャスターは痛ましい表情を作る。アーチャーは出来るだけ干渉しないようにか、深く目を瞑っていた。

 

「――それじゃあ、意見の出揃ったところで、事のあらましを語らせてもらうぜ」

 

 気さくな好青年の表情を、武人の厳しい顔つきへと変えて、アーチャーは重たい口を開いた。

 

「――……だが、本題の前に、カマをかけた事については詫びておこう。あんたらが犯人じゃないって事は、実を言うと、最初っから分かっていた。その上で、この事実を知っていたのかが知りたかった」

「…………この事実って?」

 

 猫の死体を巡る不気味な議論の始まりに、八千夜が音を上げるように儚く問う。

 

「……そうだな。俺たちはマスターあっての存在なわけだが、それは厳密に言えば、マスターからの魔力供給があってこそ。と言い換える事が出来る。つまり、マスターが居ても、現界に必要な魔力が補えない場合ってのもある。ってわけだ。ここまではいいか?」

「……ええ」

「だから、そういう奴が現界を保つには、他所から魔力を補わなきゃならない。そこで一番単純な方法として取られるのが――」

「魂、食い」

 

 瞬間、アーチャーの低い声音を継ぐように、八千夜の傍らでキャスターが生唾を呑み込んだ。

 

「…………そういうこったな」

 

 蒼白の顔色で瞠目したキャスターに、アーチャーは深い息をつき、すべてを察した八千夜も、眩暈を覚えて頭を抱えた。そうして室内の空気は静かに濁る。そのままどれだけの静寂が過ぎたのか、詰めていた息を吐き出すようにして、キャスターが新たな流れを作った。

 

「――……一つ宜しいですか?」

 

 ご丁寧に挙手をしたキャスターの様子に、アーチャーの瞳の奥が微かに緩んだ。それに促されるようにして、キャスターは良く通る声で語り出した。

 

「……貴方は、わたくし達が犯人ではない事を知っていた。と仰いましたが、それはつまり犯人が誰であるかを知っている。という事と同義なのでは?そして、そのうえで、こちらと情報を共有なさった。その目的はいったい、なんです?」

 

 理路整然と要点を纏め上げたキャスターに、アーチャーは感心しつつも、どこか悪戯がバレた子供の様に苦笑した。

 

「……犯人についてだが、恐らくはセイバーだ。流石に真名までは分からないが、接敵した協力者(・・・・・・・)の話では、中世の騎士然とした男だったらしい」

「……最優と名高きクラスに当て嵌められた英霊が、魂食いを?」

「ああ、きっとマスターがトンデモない奴なんだろうさ」

 

 にわかには信じがたい。というキャスターの声色に、アーチャーが義憤も露わに顔を顰める。確かに、騎士に付属する清廉なイメージと、魂食いの残忍さは合致しなかった。

 

「…………まぁ、要するに気をつけろ。って事だ」

「え?」

 

 情報を提供しておいて、その見返りを求める様子のないアーチャーに、キャスター主従は揃って首を傾げる。

 

「――……俺が、あの日あんたに近づいたのは、此処の霊脈を欲しての事だったんだが、やはり、聖杯戦争の事を一般の素人に漏らすわけにはいかなくてな、その結果の強硬策の果てに、同じ舞台にあんたを上げちまった。となれば、流石に責任は感じる」

「…………そう、だったの」

「ああ、だからまぁ。これは俺の勝手なお節介であり、けじめ。みたいなもんだ」

 

 それは彼なりの贖罪であると同時に、決意表明でもあったのだろう。厳しく哀しい現実を前にした、ささやかな最後の優しさとして、これを境に、互いは完全に敵同士になるのだという事を、彼はわざわざ言いに来たのだ。

 

「――……邪魔したな」

 

 そうして、突然に訪問してきた時と同じように、アーチャーは颯爽と屋敷を発とうとした。けれど――

 

「待って、アーラシュ(・・・・・)」

 

 八千夜の言葉に瞬間、時が止まる。キャスターが蒼褪めるのを視界の端に捉えながらも、男は、豪胆にも己の名を呼び留めた少女へと、惜しむように目を細めた。

 

「……その猫、うちの庭でいいから、埋めてあげたいの」

 

 加えて、罵倒も覚悟していたところに、お願いよ。と懇願するような視線を受けてしまったことで、いよいよ堪え切れなくなったと言うように笑って――

 

「……ああ、そりゃあ、男手が必要だな」

 

 両者はどこか吹っ切れたような表情で、互いを見据えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 場面は変わり、とある日のとある時刻、とある場所のとある建物内にて。

 

「はい、あ~ん。ほらほらぁ、しっかりと口を開・け・て」

「――ン、ングッ」

 

 空間内に反響する甘ったるい猫撫で声に、抗うように苦悶する低い男の声音があがる。

 

 場所は浴室、湯の張られていない浴槽の中、人物は二人居た。白銀の甲冑姿の痩せた男と、彼に馬乗りになった。紺白の半袖セーラー服を着た長い黒髪の少女である。それだけでも異様な光景と言えたが、何よりも目を引くのは男の口元から上半身、少女の両手の肘までを集中的に濡らす、鮮烈な赤色であろう。

 

「はぁい、それじゃあ、ゴックンして?」

 

 幼子に言い聞かせる様な声音と共に、少女の朱に染まった指先が男の喉元を蠱惑的に這い滑る。瞬間、男は少女に促されるままに、何か(・・)を嚥下した。すると、途端、少女の眼が三日月を描き表情が華やぐ。対する、男は元より良くない顔色を更に青白くさせて、祈るように深く目を閉じた。

 

「――……今日も私とこの子達の為に頑張ってくれてありがとう。騎士様」

 

 良い子、良い子。と、呼吸の落ち着かぬ様子の男の首へと手を回し、少女は震える男を聖母の様に抱きしめ宥める。それは己の華奢な身体に回った男の腕が、どれだけ肋を圧迫し、背中に爪痕を残そうとも揺らぐことはない儀式であり、営みであった。

 

「今度の子はちゃんと埋葬してあげようね?この間の白猫ちゃんみたいに、置き去りにしなくて済むように、邪魔の入らない場所を探してあげないと、ああ、勿論。あのトチ狂った狼女にも、ちゃあんとお礼はしなきゃ……」

 

 爪を噛みながらブツブツと言う少女の独り言に、男は静かな慟哭を始める。怯えの色濃いそれに合わせるように、少女は子守唄のような歌詞のない鼻歌を歌い始めた。

 

 そうして、最後には決まってこう言うのだ。

 

「貴方は最高にcuteよ、ジル」

 

 呻くような涙声と軽やかな歌声が不協和音する中で、浴室のタイルに鼓動なく横たわる。猫の濁った瞳には、何処からともなく湧いて出た蠅が止まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

「……やはり、昼間のアーチャーの話は聞かなかった方がよろしかったのでは?」

 

 深夜、寝付けない様子の八千夜を慮るように、キャスターは枕元で霊体化を解いた。

 

「いいえ、私達に不足していた情報が少しでも補われたのだから、良かったのよ。ただ――」

 

 そうして、否定の言葉を並べながらも、八千夜はキャスターを視界に入れる事が出来ずにいる様子だった。虚空を見据えたまま、ギュウと唇を噛み締めるその姿には、苦悩の二文字が滲んでいる。

 

「……もしや、八千夜様は我々がセイバー主従のようになっていた可能性をお考えなのですか?」

「………………ごめんなさい。でも私に魔術回路が生きていなかったら、そういう事をするしかなかったのかもしれない。って思うと……」

 

 そっぽを向いた潤んだ肯定の謝罪に、キャスターはひととき瞼を震わせる。彼女の言葉に傷付かなかったと言えば嘘になる。けれど、それは同時に、八千夜がキャスターの“死にたくない”という願いを、痛いほどに汲んでいてくれた事への証左でもある気がした。

 

「……上手く、言葉には出来ませんが、そうならずに済んで良かったと思っています。聖杯戦争に喚ばれてしまった事そのものは不運でも、八千夜様が私のマスターであった事は、きっと。幸運以外のなにものでもありません」

「………………」

「――……もし、他にもまだ、不安に思っている事がおありなら、包み隠さずにお話になってください。抜本的な解決には至らずとも、貴女様のお心を軽くする事は出来るやもしれません」

 

 八千夜の邪魔とならないように、寝台へと浅く腰掛けたキャスターの慰めの言葉へ、少女は背を向けたままに言葉を紡いだ。

 

「……サプタハに捕まっていたら、私はどうなっていたのかしら?」

「――……恐らく、何らかの術中に嵌り籠絡されていたか――」

「さもなくば、殺されていたんでしょうね。まず間違いなく」

 

 歯切れ悪く言葉を切った、キャスターの言わんとしていた事を少女は冷徹に言い捨てた。そうして暗闇を睨んだままに続ける。

 

「と言うか、私、思うのだけれど。彼(・)、サプタハについて何も語らなかった。と言う時点で黒よね?」

 

 あの夜の襲撃の一連の流れをどう想起しても、やはり、八千夜には二人が共謀していたとしか思えないのである。キャスターを召喚していなければ、本当に危ないところだったのだろう。まぁ、キャスターを召喚した事で、本格的に危ない状況が続く事にもなってしまったわけだが。

 

「――……そう、ですね。しかも彼は彼女の事を妹といい、彼女は彼の事を兄と呼称していたようにも思えました。ですが、果たして同盟を結んだからと言って、そのように呼び合うものでしょうか?」

「……そもそも、サプタハはクラスからして謎よね?彼女とキャスターの貴女、アーチャーのアーラシュに加えて、魂喰らいのセイバーが、今、判明しているサーヴァントなわけだけれど、まだ、あと三騎もいるわけでしょう?」

「……はい。正常な聖杯戦争ならば、そうなります。ですが、野良猫を使っての魂食いで現界を保っているサーヴァントがいる。という混沌とした状況が真実ならば、正直なところ、マスターを選定し、サーヴァントを招く基点、乃至、器でもある。聖杯の品格が問われるような気も致します」

 

 命に貴賤はありませんが、やはり、人間が魂食いの対象となるような事態は起きて欲しくはありませんね。と嘆息したキャスターに八千夜も深く頷く。そうして、頭を回転させている間に随分と落ち着きを取り戻せてもいた。

 

「……まったく、考えれば考えるほど難儀ね。聖杯戦争って」

 

 そうして、身体を丸めて憂いた彼女に。キャスターは優しく寄り添う。

 

「…………流石に、三度もお身体に障るような事があっては大変です。急いては事を仕損じるとも申します。休めるうちに、心身ともにご自愛下さいませ」

「……それも、そうね。これから先、何があるかは分からないんだし、今出来る事を精一杯やらなくてはね……」

 

 額から頬、そして髪へと、優しく流れたキャスターの滑らかな手の動きに、誘われるように八千夜の瞼が重くなる。

 

「おやすみなさいませ。八千夜様」

「おやすみなさい。キャスター」

 

 二人の四日目はそうして更けていったのだった。

 




 チラッと出てきた剣主従のマスターは、とんだ食わせ者である。とだけ言っておこうかと思います……。
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