※この作品はR-18です。

名前のない物語   作:三枝 月季

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 今回は五騎目、最後の陣営にスポットを当てています。


六月二十日

 闇の中で木々が騒めく姿は、さながら、一つの生命体を思わせる。陽の光の元では生き生きとした緑であるところの森は、日を跨ぐ最中の夜の帳にあってはまさしく、鬱蒼たる異界と化すのである。

 山脈の景色とは斯くの如し、明と暗、生と死を孕んでは循環する自然であり、人々は時に、それらの威容を神と敬ったのである。

 

「サーヴァント、ランサー。真名、カルナという。よろしく頼む」

 

 そんな山奥にて、顕現した槍が一振り。カルナ。と名乗ったその青年は白皙の細面に、真実を照らすような双眸を光らせ、己が召喚者に相対した。

 

「ほぉう、マハーバーラタに名高き施しの英雄とは、いやはや、なかなかどうして、皮肉が効いている」

 

 やおら、酷く割れた感嘆の言霊が一陣の風に乗ってカルナの白髪を揺らした。

 

「……ご老体。お前がオレのマスターで相違ないか?」

「如何にも。と答える他あるまいてな」

 

 作り物めいた端麗な美丈夫の、思わずといった誰何に、暗がりの中、焚火の揺らぐ光源だけを頼りに、鷹揚と酒を煽ったその人物は、端的に言い現わすのならば、薄汚い浮浪者。という言葉が似合うであろう特徴的な姿をしていた。

 

 禿げ上がった頭皮は乾燥してひび割れており、手入れを怠ったがゆえに蓄えたと見える白鬚は、所々に食べこぼしが混じっている。汚れの目立つ衣服は夜の山中に籠るには心許ない軽装で、それに比例するかのように持ち物までもが少ないようだった。そして何より、片耳を欠いた面立ちはそれだけで目を引こう。側頭部の皮膚がケロイド状になっている事からも、その欠損が外的要因によるものである事は明白である。それも、年季を感じさせる傷痕であるようだった。

 

「……即身仏にでもなるつもりか?」

 

 そんな、特異な風体の老人に何を見たのか、カルナが問う。

 

「ほほぅ、殊勝な例えをしてくれるの」

 

 途端、高尚な形容を用いての疑問に、思わずと言うように片眉を吊り上げて、カルナを見上げる老人。その分厚い瞼から覗く両の眼は薄く濁ってはいたが、耄碌しきってはいなかった。

 

「……儂ゃあ、自ら姥捨て山に入った酔狂な爺に過ぎん。そうさなぁ、酔狂ついでに選択死(・・・)とでも、洒落た言い訳をしてみようかのぅ」

 

 そうして、数本の黄ばんだ歯を見せ笑った老人は、すぐさま、仰々しく喉を鳴らして咳き込むと、淡を吐き捨て、喘鳴のままに悪態を吐いた。

 

「まったく、長生きなど、するものでは、ないわい」

 

 満足に笑えなくなっている理由が、重ねた年齢のせいであるのかは知れないが。頑健な面影を微かに残しながらも、痩せて骨ばったその身体からは、なるほど。確かに死の匂いを感じ取れた。

 

「オレを召喚したのは介錯を願っての事か?」

 

 飾らない言葉による慈悲は、時に、何にも勝って残酷ですらある。脆弱なパスを前に(・・・・・・・・)、カルナとしては多分に自嘲を含ませた言葉であったのだが、出逢ったばかりの彼らが互いに、そう言った問答を解せるような間柄になるには、今しばらくの時間を要する事になるだろう。

 

「……さぁて、どうであろうな。死ぬまでの暇つぶしに丁度いいかと、昔の女を懐かしんでみたら、お前さんが現れてしまったんでの。いやはや、魔女のような女ではあったが、この分だと案外、本物だったのかもしれんのう。困ったものよ」

 

 刹那、苦虫を噛み潰したような表情で、どこか少年の様に照れた老人は、物語に出てくる仙人の様に伸びた眉をつまみながら思案に耽る。それは、カルナをどう扱ったものか考えあぐねているという様子だった。

 

「その割には、落ち着いているように見えるが。マスターは、その魔女から聖杯戦争の概要については聞かされていたのか?」

 

 すると、老人の長考が迷宮に入り込んでしまった事を察してか、カルナが新たに疑問を口にする。

 

「……聖杯戦争、ああ、そうか。やはり、これがそうなのだな」

「そうだが?」

 

 信じたくない事実に、念を押すように返った冷然とした言葉に、老人は束の間、嘆息する。

 

「……いや、すまんな。老いぼれてしまうと、少々の事では驚かぬものとばかり、思うていたのだが、やはり人間というものは最期を感じ取ると、愚かになるのやもしれぬなぁ」

 

 そう言って、懐かしむように目を細めて自嘲した老人は、静かに語り出した。

 

「……儂は、その昔、若かった時分に傭兵として飯を喰っていた時期があってな。件の魔女とはその折に出会ったのだ」

「依頼主だったのか?」

「いいや、敵であったよ。この傷もその魔女にやられた」

 

 なんてことはないように言って、欠けた耳、ぽっかりと空いた穴とケロイド状に固まった皮膚を指差せば、カルナの瞳がほんの僅かばかりだが見開かれる。老人は皺だらけの顔を愉快そうに崩して続けた。

 

「依頼人を守れずに生き恥を晒した事実にも、女に手心を加えられたという屈辱にも、当時の儂は納得が出来んでの。そして何より、その時には魔女に惚れておったのだろうなぁ」

 

 ため息は後悔か、はたまた、己に対する呆れか。ともあれ、そのどちらであろうと、笑わずにはいられないと言うように、その口元が笑んでいた。

 

「殺し合わねば生まれぬ恋であったのだろうな」

 

 言葉の苛烈さに反して、老人は安らぐように言って、ひと時、目を閉じてから、説明を再開させた。

 

「それでだ。儂は魔女の消息を追い。どうにかして、その居所を掴む事に成功した。まぁ、その過程で魔術師の世界に顔を突っ込んでしまったわけなのだが、そのおかげで、長年の謎であった自身の特異性(己が魔術回路持ちの一般人であった事)に気付けたのだから、そう悪い事ばかりでもなかったのやもしれんな」

 

 尤も、振り返ってみれば。という注釈がつくがの。と付け足して、今一度、老人は酒を煽る。円滑に話を進める為の潤滑油とするように。

 

「再び見えた魔女は相も変わらず、激しい女ではあったが、最終的には儂が粘り勝った。儂が殺すまでは、生きていて貰う。と口説き落としての。だと言うのに、より強い手駒を用意した途端に、あの女は再び儂の前から姿を消してしまった」

 

 それから、二度と会う事はなかったのう。と深く呼吸して、老人は結びの言葉を口にした。

 

「ゆえに、そうさな。儂にしてみれば、聖杯戦争とは、感傷のようなものよ」

 

 それは、先の質問の答えとしても、思い出を語るにしても、大いに詳細を欠いた情報と言えたのだが、カルナにはそれで十分であったのか、追求は及ばなかった。

 

「それで」

「ん?」

「結局のところ、マスターはどうしたいのだ?オレはお前の槍として存在している以上、お前の命令に従う構えなのだが」

 

 然しながら、その代わりとするかのように、カルナはマスターの意志を問う。尊重という意味を持たせたそれとして。

 

「……ふむ、やはりインドの大英雄の前では儂の昔話なんぞは娯楽にもならぬか」

 

 カルナの淡白な申し出に、いやぁ、参った。参った。と禿頭を叩いて、老人は苦笑する。

 

「依頼人に回るのは初めての事で、勝手が分からんでの。茶を濁してしまった。許しておくれ」

「……いや、こちらも些か言葉が足らなかったようだ。どうにもオレにはそういう悪癖があるらしい」

 

 詫びを入れる老人に、カルナも述懐するように謝罪する。その口ぶりは己の事を語るにしては、どこか受け売りのような話し方であった。

 

「謙虚よのう。若い頃の儂に見習って欲しいくらいだ」

「いいや、それには値しない。オレは事実を述べただけで、謙遜をしたつもりはない」

「……ふむ、だとすれば、それはそれで難儀よな」

 

 軽い口調で陽気に酒を含んだ老人は、カルナからの返答に一転して渋面で応じる。対するカルナは老人の二の句を静観して待った。

 

「……既に、英霊として召し上げられた。古の猛者に若輩の老骨が要らぬお節介やもしれんが、施しの英雄カルナよ」

 

 やおら、酒臭さが混じった老人特有の酸っぱい息がカルナの鼻をうつ。それでいて表情を一つとして歪めないその姿に、老人は重たい瞼の下で胡乱な眼を光らせる。

 

「九十と余年生きてきて、儂が学んだのは、この世は所詮、正直者が馬鹿を見、悪まれ者が憚るように出来ている。という事じゃった。そして、それを基準と捉えるのであれば、其方は理から脱し過ぎている」

 

 其方は、正直者であるには強すぎるのだ。と嘆くように息をついて、老人は唸る。

 

「……これはあくまでも儂の愚考、浅ましき勘ぐりに過ぎんが、其方は人の心の機微を誤認したりはしないのだろう。その誠実な眼は何事をも見誤らない。だが、恐らく其方自身は人から誤解される事が多かろう。その率直な物言いは余人を敵に回すには余りある」

 

 暫しの逡巡を経て、放たれた言の葉に、カルナは一度、ゆっくりと瞬きした。それは、肯定の仕草とするならば深く、どこか、驚きと共に喜びの色を帯びているようですらあった。

 

「まぁ、往々にして、長所と短所というのは表裏一体でままならぬものよ。そう言った意味では、儂は其方に非常に好感を持っておる」

「……なるほど。オレが人から不興を買うというのはこういう事なのだな。つまりは要点だけに注目し、それ以外を無視している。オレに悪気はないにしても、飾り気を欠いた指摘(感想)では鸚鵡返しと変わらない。ともすれば、鏡に向かって会話を試みるようなものだ。それでは確かに、心は休まらないだろう。故に、礼を言おうマスター。忠告、痛み入る」

 

 死期の近い老人の酔いの極みによる戯言は、それなりの鋭さを以て、カルナの胸中に響いたらしい。幾分か饒舌に独特な例えで謝意を述べた彼は、相も変わらず穏やかに万物を射抜く双眸を輝かせていた。

 

「やはりな。不敬のそしりを受ける覚悟では居たが、其方は簡単に揺らぐ男ではない。であれば、儂の我が侭にも寛容であると願いたいものだ」

「……聞こう」

 

 疲れたように目を伏せた老人を見据えたまま、カルナは命令が下されるのを待ち望む。時を同じくして、曇天がその濃度を増し、空気の湿り気も更に重たく変化した。

 

「先も申したが、儂はそう長くはない身だ。故に覚悟は出来ている。つもりなのだが……」

 

 苦悩を滲ませながら言葉を切って、老人は意を決したかの様に被りを振った。

 

「どうにも、儂は、儂が思った以上に臆病であったようでな、上手い言葉では言い表せんのじゃが、端的に言わばそうじゃのう」

 

 加齢でくすんだ眼と、水晶の様に澄んだ瞳が交錯する。そして――

 

「其方には儂を看取って欲しい」

 

 噛んで含める様に口を動かして、けれど、そこに込められた淀みを笑い飛ばすように、口角を上げ――

 

「英霊に看取られる老いぼれ(・・・・・・・・・・・・)というのも、酔狂で悪くはなかろう?」

 

 ニヤリ。と悪だくみを持ちかけるような気楽さと余談のなさを以て、老人は有無を言わせぬような微笑で厳命する。

 

「無論、それ以外の事は何も望みはせんよ。儂の唯一にして最大の我儘に付き合わせてしまうのだからな。其方は其方のあるがままに第二の生を愉しんでおくれ」

 

 一つの約束を果たして貰えるのならば、後は自由にすればいい。という言い分に、カルナは何事かを考え込むように間をあけてから口を開いた。

 

「……確認をしたいのだが。オレの存在によってマスターの生命力は削られている。それでもオレを手元に置いておく事を良しとするのか?」

「今更、愚問よな、カルナ。其方らしくもない。儂にはもう、迫りくる死の恐怖に怯えながら、孤独に飢え死ぬ気概など湧かんよ。長い苦痛に狂い果てて終わるくらいなら、魔女に遣わされた優しい死神(・・・・・)に縋ってしまいたい。と思う弱さを許しては貰えぬかね?」

 

 カルナの懸念を即座に切り捨てる老人。同時に振り始めた大粒の雨が、橙色の光を消しきるのに、大した時間は要さなかった。

 

「いいや。どちらかと言えばこの場合、許しを請うのはオレのほうだろう。マスター。その覚悟に水を差すような無粋を働いた詫びとして、オレに出来るのはこの槍を振るう事だけだ」

 

 そう、いつもの調子で、冷然と言い放つが否や、カルナは己の身の丈を越える大槍を手に、予備動作もなく、老人の背後。その暗がりに潜む影に向けて踏み込んだ。

 

「――……ッ!!」

 

 瞬間、一面の闇の中で金属の打ち合わさる高音と、刹那の火花が爆ぜる。骨までをも震わせる衝撃に、襲撃者の唇からは、焦燥と驚嘆の混じった吐息が零れ、その一瞬の隙を逃さぬとばかりに伸ばされたカルナ追撃の矛先は、雨音に紛れるようにして、主へと飛来した鏃を弾く為に、軌道を変えさせられる(・・・・・・・)。そして、それが助け舟となったかの様に、襲撃者の気配は失せた。

 

「……撤退を決めたか。敵は恐らく、アサシンとアーチャーだろう」

「ふむ、聖杯戦争とは各陣営が孤軍奮闘するものだと思っておったのだが、この様子では認識を改める必要がありそうだな」

 

 警戒を解き切らないままに口をついたカルナの述懐に、雨風から庇われるように、掲げられた大槍の下で老人が呟き返す。その内容は、瞬きの内に繰り広げられた攻防の本質的な部分(・・・・・・)を逃していなかった。

 

「お前もそう思うかマスター」

「応とも、珍しく見解が一致したな。ランサー。それで?追わぬのか」

 

 相も変わらず、平坦な声音による感心に老人が気付いたのかは知れないが、返る声色は力強く弾んでいた。

 

「オレは好きにしろと命じられた。故に深追いをするつもりはない」

「……ふん、優しき(・・・)事だ。だが生憎と、儂は売られた喧嘩は買う主義での」

 

 その段に至って初めて、カルナは暗がりへと光らせていた瞳を、己が主へと移した。

 

 雨露に濡れ、より一層の悲痛な姿となり果てながらも、老人の深い眼にはギラついた闘志が宿っている。厳格な容貌に張り付いた暗い微笑は静かな猛り。それは、命を掛け金にした危うい闘争を好む者の姿だった。

 

 カルナは暫し、その激しい表情に圧倒されたかのように見入っていたが、数瞬の沈黙を経て、槍を構え直すと静かに告げた。

 

「……承知した」

 

 雨脚の強まる最中にあって、不思議とその言葉が掻き消される事はなかった。

 




 
 以下の文章はオマケと言うには蛇足ですが……。(いつかどこかの聖杯戦争にて)

「これで良かったのですか、マスター」

 足元で気絶する青年を気に掛けるように、赤毛の美少女が問うた。挙動に合わせて頭頂部で結わえられた二つの髪束が揺れる。

「そんな目で見ないで頂戴、アーチャー。貴女にも愛する夫が居たのでしょう?」

 それに答えるのは、物語に出てくる魔女を思わせる美貌の女。その深紅に濡れた唇は苦い笑みを形作っていた。

「だからこそですマスター。本当にこのような別れ方で宜しいのですか?」

 己が主からの、どこか棘を含んだ諭し方に、薔薇色の双眸を翳らせながら、少女は食い下がる。その切実なまでの訴えに、妖艶な顔を泣き笑いの表情に歪めて息をついた魔女は、小さな弓兵の肩を抱き寄せた。

「……良いのよ。私を殺せる者は彼以外にはいないんですもの。だから、彼に死なれてしまっては困るのよ」

 深紅の唇を震わせた過激で傲慢な言葉には、深い愛情が偲ばれる。そして、傍らの少女を慰めるように、己を鼓舞するかのように、魔女は祈りにも似た感情を吐露した。

「大丈夫。きっと、また会えるわ」
「……はい、私もそう信じています」

 希望を口にすれば、深い賛同の言葉が返る。こうして、それぞれの願いを胸に、女達は戦場へと旅立ったのだった。
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