本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。そして、皆様の一年がご清祥でありますように、お祈り申し上げます。
「外、凄いわね」
深夜、寝付けずにいたあたしは、窓の外に話題を見い出しながら、爪先に意識を集中させていた。
「何をしているのです。
だけど、あたしの話し相手は雨脚の激しさよりも、あたしの行為に興味をそそられたみたい。まぁ、男の人には、それも、騎士様には理解しがたい事だろうから、当然なんだろうけど。それはそうと、そそられる。って言葉、ちょっと大人っぽい表現だよね。
「夏燕?」
おっといけない。顔が緩んでたかも。それにいくら集中しているからって、無視はいけないよね。
「……あたし、この匂いが好きなの。お母さんを思い出すから」
うん、嘘じゃない。だからと言って本当ってわけでもないけど。どっちにしろ、女の思惑はそう軽々しく男の人に話していいものでもないと思う。
「本当は、真っ赤な色が良かったんだけどね」
左手の小指に色を乗せながら、思わずと愚痴が口をついて出た。百均で買った、赤とも橙ともつかない、どっちつかずの色は悪くはないが、良いとも言えなかった。その理由は分からないけれど、女心って大概、理不尽でしょう?
「……夏燕」
「なぁに?」
「一度、筆を置いて私を見なさい。夏燕」
再三に渡る。言い聞かせるような呼び声には、流石に応えざるを得ないだろう。と思ったあたしは、騎士様の言う通りに筆を置いて顔を上げた。それに、なんだかんだと、全て塗り終わるまで待っていてくれる辺り、彼は紳士なのである。なら、それに答えるのが淑女の務めと言うもんだろうし。
視線の先、机を挟んだ真向かいのソファに浅く腰掛ける。あたしの騎士様は、相も変わらず気難しい顔をしている。整った顔立ちをしているのだから、眉間に皺なんて寄せないで、もっと柔らかな表情をすればいいのに。と思わずにはいられない。
「……いいですか、夏燕。貴女は若く、美しい女性です。だからこそ、こんな事はもうお辞めなさい」
対するあたしは、彼の言うこんな事が、
「…………貴女は、かつての生き方に縛られる必要はもうないのです。これからは――」
「それを貴方が言うの?ジル。お母さんを殺した貴方が!?」
騎士様の糾弾の正体をいち早く察知したあたしは、衝動のままに、言ってはならない事を口走ってしまう。案の定、彼の只でさえ硬い表情は、より強張る事になった。険悪な空気の中、重苦しい沈黙を強調するかのような雨音がとてもうるさくて、イライラが募る。最悪だった。
「…………ごめんなさい。今のは、あたしが悪かった。八つ当たりだとしても酷すぎるよね」
ソファに沈み込みながら、深く息をついて自嘲すれば、騎士様の唇が、いえ、と小さく震える。それを見ながら、あたしは、どこで間違えたのだろうか。と自問した。
これまでにも、似たような問答はしてきたのに、だから今回も、取り合わなければいい話だったのに。今日のあたしはいつもよりも気が立っていた。要は、それだけの話だった。そして、人は得てして、あらゆるそれだけの事を理由に、愛し合ったり、殺し合ったりするのだ。
「………………嫌な天気」
いたたまれずに、彼から目を逸らして、見上げた雨天。その遥か遠くで、稲妻が光るのが見えた。
***
深夜の雨は鈍く光る。一言で表すならば、それは練度の保たれた連射。矢速は勿論の事、その威力と狙いの正確さも申し分がない。それも、カルナからの捕捉を避けながらの芸当ともなれば、射手の腕と眼を称えるには十分すぎるだろう。
「木々さえ折り倒すか、尋常ではないな」
然しそれは、感嘆を溢すカルナもまた、同じである。俊足と槍を駆使し、流麗な舞を踊るかの如く、矢の雨を容易に凌いでみせる。致命傷はまず受けない。互いに決定打を欠いたままに、地形ばかりが穿たれていく。今、繰り広げられているのは、卓越した戦士達による高次元での戦いだった。
「よもや、あの男の他に、これほどの腕を持った弓兵が居たとは。だが――」
矢の怒涛が途切れた刹那。カルナは突如、大きく仰け反った。すると数瞬遅れて、その上体を獣が飛び越えて行く。雨露に濡れて揺れる黄金のピアスが、頸動脈を捉え切れずに空を裂いた魔の手を嘲るように輝き、蒼く真っ直ぐな慧眼と虚ろに濁った双眸が、一瞬のうちに交錯する。
「アサシン。お前は些か不可解だ」
途端、強襲への返礼とばかりに翻った槍の切っ先は、辛くも標的を逃す。再びの矢の雨、威力の増したそれを越えた先。獣の猛々しい息遣いと共に、雨音に混じる武具の衝突音。両手で振るわれた杖の荒い棒術を、片手に握った槍で受けながら、カルナは己に牙剥く獣を冷然と見据えた。
「グルルルルル」
カルナからの視線を受け、顔の半分を黒い獣の上顎で覆い、指先から肘と膝までを人外のそれへと変えた女が低く唸る。
「女の激情は御し難い。とは聞くが、暗殺者がその自覚を失うほどだとはな。尤も――」
瞬間、金属の弾かれる音が響き、アサシンの身体が浮く。既視感は両者平等。槍の追撃を間一髪で受け止めた獣は、衝撃に飛ばされながらも、どうにか深手を避ける。
対して、カルナは何処までも涼やかだった。
「お前の正体が暗殺者ではなく、狂戦士だというのなら、その在り方に間違いはないのだろうが」
しばしの沈黙。更なる激情のままに振るわれた攻撃を、いとも簡単に流し、あまつさえ、淡々と己を語ってみせた男へと、獣は猛りのままに吼えた。
「ヴァァァァァァァアァァァッ!!」
ぬかるんだ大地に異形の足を取られながらも、疾駆する。叩きつけるような雨脚は、彼女の心中を代弁するかのようだった。
「む。どうやら、狂ってはいるが思考を完全に放棄したわけでもないようだ。精彩さには欠けるが、お前の攻め手からは正当なる憤りを感じる」
怒りに任せた杖の乱雑な軌道を正確に捌きながら、カルナは自戒するように嘆息し、牙を剥き絶叫する獣を眼光鋭く射抜く。
「惜しいな」
落胆と言うには、愛おしむように深い響きを有した声音だった。
「暗殺者の似合わぬ女、何がお前を駆り立てている?」
やおら、問わずにはいられない。と言うようにかかった言葉。その返答は、やはり。むき出しの暴力だった。
「これも侮辱と取られたか、残念だ」
回を増すごとに重くなる一撃に、カルナは喚起されたかのように口を開く。
「ここで引くのならば、オレも槍を収めたのだが、致し方ない。生憎とこちらには時間の猶予がないのでな」
それは、力と力の拮抗。
「――!!」
瞬間、獣の肌が粟立つ。カルナの纏う雰囲気が変化した事で、本能的な恐怖を覚えたからである。熱量には熱量を。とでも言うかの如く、カルナの魔力が膨らむと同時、視界の片隅を何者かが駆け抜ける気配があった。
しかし、そこに意識を注ぐような真似は出来ず、獣は魅入られたようにその炎を見つめ続けた。
「手向けだ。受け取れ」
礼を尽くす。と言うには傲慢にも聞こえる台詞と共に放たれようとしているのは――
「
あらゆるものを焼き尽くすであろう。破壊の一閃。そして――
「――ッ!!」
身体に奔った
神の威光は、つんざくような轟音を生み出しながら、恐ろしい程の軽やかさで、大地を溶かし、木々を焼き、降り続く雨ですら一瞬で蒸発させる。あらゆる生命を喰らい尽くした破壊の爪痕は、惨憺たる光景を産み出し、そんな荒涼とした景色を、この世そのものが憂いているかのようですらあった。けれど――
「――……ッ、今のは、流石に堪えたな。俺の矢を全弾凌いで見せただけでも、驚きだっつうのによ」
死に絶えた世界の中から這い上がる、力強い声があった。それは、息も脈も止まろうか。という様相を晒していた獣に活力を戻し、白皙の
「こちらも、想定外だ。今のでお前を仕留めきらんとは」
「フッ、応とも。俺は特別頑丈でねえ!!」
水晶が如くに澄んだ瞳に映る。灼けた鉄の臭いをさせた男は、今にも死にそうな体で、されど、逞しく笑んでいた。
「……なるほど。さしずめ、神からの寵愛と言ったところか」
神威に対抗。乃至、比肩しうるのは神威のみ。
合点が言った。というように、感心するカルナ。いつもの通り、感情の読みづらい表情ではあるが、そこには心なしか、悔しさよりも喜びに似たものを見て取れる。より直接的な言い方をすれば、相手にとって不足なし。と兜の緒を引き締め直した。というような様子ですらあった。
「ああ、我が五体、不死身とはいかずとも、そう容易には傷かん!!」
「面白い。だが――」
僅かに口角を上げながらも、逸らされたカルナの視線が山の稜線を捉える。いつの間にか止んでいた雨と共に、雲の合間を縫って陽光が射し込み始めていた。
「
そうして、日の出に浮彫となった槍兵は、感傷的な言葉を口にしながらも、どこか、満足そうな表情を浮かべていた。
「なに、戦争は始まったばっかだ。嫌でも、あんたとはまた殺り合う事になるだろうさ」
対するアーチャーは、今なお、飛び出さん勢いのアサシンを制止しながら、軽快に言ってのける。但し、その瞳にだけは熱く鋭いものが残っていた。
「ああ、そうだな。その時を楽しみに待っておこう」
カルナからの真っ直ぐな賛辞に、アーチャーは、面倒なものに目を付けられた。とばかりに息をつきながらも、仄かに笑う。それを見たカルナもまた、微かに目を細めた。
「ヴゥヴヴ」
そんな、殺意と言うには清々しいまでにさっぱりとした闘志を交わし合う男達の傍らで、暗殺者の女だけは、相も変わらず狂い猛っていたのだった。
※※※
松明に照らし出された熱狂が石壁に反響している。まだ文明が幼いと言えた古代にあって、その宴はその時代における最上級の贅を尽くされていた。列席者は皆、豪勢な料理に舌鼓を打ち、愉悦に顔を歪めながら、誰も彼もが口々に、己が掲げる女王を褒め称えている。
空虚な上に醜悪な宴だ。と男は思った。そしてその思いは、彼の傍らにて眼下を見やる女王。その人も、同じであった事だろう。
宴の席を見下ろす高台に座した女王は、その肩書きを真に背負うには、まだ年若く、未熟である。と言えよう少女だった。だが、それもそのはずだろう。本来、その席に座る者は別に居たのだから。
そう、男は
全ては先代から今代へと至る交代劇に端を発する。先代の神王は彼女と血を分けた兄弟だった。仲の良かった彼らに、世襲争いなどは起きるべくもなかったのだが、それを快く思わない者達の策略によって、兄は殺害され、妹は傀儡として祭り上げられた。それが、この女王の正体なのである。
「……不敬に罰を。悪逆に死を。神々を軽んじる者、神王を愚弄せし者に制裁を――」
やおら、女王の唇からは怒りと悲しみに震えた言葉が発せられる。低く、細いそれは、満を持した復讐劇の幕開けを高らかに謳っていた。
「どうかなさいましたか?我らが神王」
ふと、一部の聡い列席者が表情を引き攣らせたが、最早、手遅れだった。この場において最も美しく、悲しい存在である女王のただならぬ雰囲気に、兄妹を貶めた者達は、初めて己の過ちを知った事だろう。
途端、轟音が宴の席を破壊する。痛覚に訴えかけるような水流の冷たさに、許しを請うような悲鳴が狭い石室に溢れかえった。そうして、意識を濁流に喰われながらも、咎人達は皆、己が女王へと縋るような視線を向ける。
その目線の先、高台に立つ。長い杖を携えた少女は、凄絶な微笑みを浮かべていた。
「我が名はニトクリス!!お前たちによって殺された。先代の神王が血族である!!」
恐らくは、ずっとそう言ってやりたかったのだろう言葉。肉親を誅殺した憎き仇に、傀儡ではない自分という存在を、刻みつけようとするかの如くに、彼女は絶叫した。
「さあ、沈め!!沈むがいい!!お前たちには死こそが特効となろう!!」
まるで、それこそが救いなのだ。と言わんばかりに、唾棄するように言い捨てて、復讐を遂げた少女は踵を返した。そして、己が館へと帰還するや否や、彼女は、逆臣達を討ち取った高揚を胸に、自らを罰するように炎へと身を投じ、自決したのである。
***
「……よくある
と、目を覚まして早々に男は呟いた。歴史においては、吐いて捨てるほどにある。愛憎劇の一つだと。
(あてつけのつもりか?アサシン)
問うたところで無駄であろう問いを思い浮かべて、男は静かに嗤う。傀儡に甘んじる事で復讐を為した古の魔術女王は、今や、男の手に掛かり狂った暗殺者へとなり下がっている。死後においても、つくづく運のない。安寧とは縁遠い女だと、思わずにはいられなかった。
「如何なさいました?」
そんな折にかけられた言葉。口角を歪ませた感情を咎めるようでもある。その鈴の音に面を上げれば、携帯照明に浮かぶ儚い面影。愛しき幻想。
男は何かを葛藤するように逡巡してから、口を開けた。
「……この戦に勝てねば、我々に未来はない」
「……はい、心得ております」
突き放すような男の声音にすぐさま返る。幼い少女の答え、男は静かに目を閉じた。
と、いうわけで。カルナさんはアーラシュさんに狙いを定めました。
狂化されたアサシン、ニトクリスちゃんの戦闘時のビジュアルは分かりやすく言えば、デジモンのサクヤモンに近い感じでしょうかね?
アヌビスの仮面はミイラ作りに携わる神官or職人(ストゥムと呼ばれたそうです)から着想を得ています。
ニトクリスちゃんは死後、冥界の神の補佐として研鑽しているようなので、ストゥム化させてもいいかな?なんて軽いノリでこのようになりました(不敬でしょうか?)
新年早々、不穏?な展開のお話となりましたが、次話は恐らく、不夜術ちゃん達の陣営に話が戻ると思われますので、ご安心?ください。