※この作品はR-18です。

名前のない物語   作:三枝 月季

7 / 10
 今話には残酷な描写が含まれます。


六月二十日 少女

 有限のルールで無限の生を謳歌する人間達の中でも、あたしの人生は酷い部類に入るだろう。だからと言って、殊更に悲劇のヒロインを気取るつもりはないのだけれど。

 

『――……ここで次のニュースです。昨夜は眠れない夜を過ごした。という方も少なくはないのではないでしょうか?関西電力によりますと、20日未明から明け方にかけての激しい雷雨の影響により、午前4時頃には管内で約2400世帯が停電したとの事で、復旧を終えた現在でも、一部機関に影響が及んでいます。また、山間部では豪雨による土砂災害、及び、落雷によるものとされる山火事などが確認されており――』

 

 ふと、キャスターのスーツに浮いたネクタイの色が目に付いた。それから、薬指に嵌められているリングに気付いて素直に自分が嫌になる。

 

 男の妻の趣味に口を出すのは、きっとあたしの領分じゃない。

 

「社会人って大変だよね。いちいちきっちりしていなきゃいけないんだから」

 

 意識を切り替える意味も込めて、仕事着(・・・)に袖を通しながら思いを馳せるも、あたしの言葉は扉に隔たれたのか、向こう側に居るはずの彼は反応を示さない。ここ最近はあたしのスキルもあがったのか、ちゃんと食べさせてあげられているから、弱っているとは思えないんだけど。

 

「き~し~さ~ま~?」

 

 ふかふかのベッドに沈みながら(腰かけて)ハイソックスを履く、卸したての丁度いい窮屈さに笑みが零れた。

 

「どうかしましたか?夏燕」

 

 そんな瞬間に返って来る騎士様の声、あたしは姿見でのチェックもそこそこに、彼の目の前へと飛び出した。

 

「夏燕ッ!!貴女という人は!!何度言えば分かるのですかッ!?」

 

 途端、困惑と嘆きの混ざった叱咤が飛ぶ。あたしも負けじと頬を膨らませた。

 

「もうッ!!なんでいつも避けられちゃうかなぁ。騎士様はそんなにもあたしが嫌いなの?」

「……好き嫌いの問題ではありません。私の鎧で貴女に怪我をさせない為です」

 

 彼からの視線が逸らされて、掴まれていた腕が離される。自分からは良くて、あたしからは駄目なんて、つくづく狡い男(ひと)。

 

「……ハグしてくれないなら、お願い聞いてよ」

 

 じっ、と上目遣いで騎士様を見れば、その表情が致し方ない。というように歪む。彫の深い目元に高い鼻、厳格に結ばれた唇。COOLとか怜悧とか、そういう言葉が似合うだろうその顔。あたしの好きな顔。そこから、涼しさを奪う事は嫌いではなかった。言うなれば、好きな子ほど意地悪をしたくなる。そんな心理――

 

「出掛けてくるから、良い子で待ってて」

 

 本当に罪深いと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 騎士様と別れたあたしは、待ち合わせ場所に指定された喫茶店へと赴いていた。平日の昼下がり、駅にほど近い喫茶店の中は、それなりに込んでいる。ざっと見回しただけでも、仕事をしているのかサボっているのか定かでないノマドワーカー達と、大学生っぽい集団に、主婦達の女子会じみたものの塊とが点在しているのが分かった。

 

「――おすすめってありますか?」

 

 そうして、レジ前に立ったあたしは、店員の頭上にあるメニューを眺めながら尋ねた。すると、若い男性店員はカウンターを示しながら話し始める。その段に至って、あたしはカウンターにもメニューが置かれている事に気付いた。馬鹿な客だ。と思われた事だろう。

 

「そうですね。定番はドリップコーヒーですが、女性の人気が高いのはキャラメルマキアートです。男女問わず人気なのは抹茶クリームフラペチーノで、ティードリンクですと、チャイティーラテが人気商品になっております。また季節限定商品の――」

「あ、抹茶のやつでお願いします」

 

 仕事熱心なお兄さんの説明に、早々に付いていけなくなったあたしは、印象に残った単語を口に出す。

 

「サイズは?」

「ええと、トールで」

「シロップやホイップ、パウダーの量調整や、ミルクの変更なども可能ですが?」

「いえ……あっ、じゃあミルクは豆乳に変更してもらえますか」

 

 善意の押し売りを反射的に断ろうとして、けれど、目に付いた言葉にあたしは飛びついた。イソフラボンは女の子の味方だ。

 

 ――……たぶん。

 

 そんなこんなで、渡された商品のカップには手書きのスマイルマークが描かれていた。ただ、普通のスマイルマークとは違って、猫耳のようなものが生えている。なんというか独特な感性のような気もしたけれど、皮肉みたいで(・・・・・・)悪くはなかった。溢さないように気を付けて、窓際のカウンター席に座れば、ストローの色と同じ、濃い緑色で描かれた企業ロゴが目に映る。その題材に、ゲンを担ぐには(・・・・・・・)持って来いだ。と自嘲しながら、あたしは頼んだ商品に口付けた。

 

(あ、美味しい)

 

 初めて飲んだけれど、あのお兄さんの言った事は正しかったようだ。これは確かに、誰からも愛される(・・・・・・・・)。そんな味だ。何より、美味しいものはそれだけでホッとする。毎日は無理でもこういう、たまの贅沢みたいな事は気分を盛り上げてくれる。

 

(騎士様にも買ってあげたかったなぁ)

 

 なぁんて考えてから苦笑した。買っても(・・・・)、狩っても(・・・・)、彼にとっては罪の味(・・・)に変わりないだろう。

 

(やめよ。やめ)

 

 そもそもが、仕事のモードに入ってからは騎士様の事は考えないようにしているのだ。この手の話を考えても、互いに気分が悪くなるだけなんだから。

 

「~♪~♪」

 

 店内に流れる。しっとりとしたヴァイオリンの音色に小さくハミングする。こうして一人で冷静に過ごす時間は貴重だけれど、無駄でもあり。必要だけれど、寂しかった。

 

「――……君、燕ちゃん?」

 

 だから、丁度よくかかった声に、機嫌よく振り返ったあたしは、相手と同じように視線を上下に動かした。

 

(へぇ~)

 

 意外。それが男に対する第一印象だった。

 

 身長は175cmくらい。年齢は前もって成人済みの大学生と訊いているから、3、4つほど上なのは確実だ。髪はこげ茶で肌は白い。顔立ちはやや垂れ目で鼻筋が通っている。なんとなくだけど、俳優の高橋……ええと、なんだっけ?下の名前は忘れた。に似ている気がする。まぁ、要するに、女子ウケは(・・・・・)そう悪くない(・・・・・・)であろう顔(・・・・・)だ。

 恰好はベージュのワイシャツにVネックのボーダーカットソーを着ていて、その胸元にはスクエア型の黒ぶち眼鏡がかけてある。あとは、濃いネイビーのGパンに少し汚れた白のスニーカー。それと、黒いリュックを背負っている。

 

「ええと、人違い、かな?」

 

 すると、あたしが一向に答えない事を不安に思ったのか、男が頬を掻く。その手首にはG-SHOCKが馴染んでいた。

 

「ううん、あってるよ。あたしが“燕”よろしくね。お兄さん」

 

 明るく言って隣の席を指し示せば、安堵したように男が腰かける。そうして、カップを持つあたしの指先に視線を固定すると、言い訳の様に呟いた。

 

「良かった。セーラー服姿で赤いネイルの女の子。って聞いていたから、てっきり……」

「えー?分かり辛かったかなぁ?」

 

 途端、露骨な猫なで声と大仰なしな(・・)を作って迫れば、男が苦笑する。

 

「だって、赤って言うにはちょっと。中途半端な色じゃない?」

 

 その一瞬、思わずとあたしは素に戻って、けれど、男が放った中途半端な色(・・・・・・)という言葉が、あまりにも的確に、あたしという女を表していたものだから、愉快でならなかった。

 

「――あはは、お兄さんって割と細かい人?」

 

 それから、お互いに余計な詮索はせずに、当たり障りのない談笑をする。その流れで今日の仕事内容と代金の確認をしてから、あたしたちは店外へと出た。

 

「こっち」

 

 男の言葉に頷いて歩き出す前に、何の気なしにレジを見れば、さっきの店員さんが新しいお客さんの応対をしていた。あたしを相手にしていた時と変わらない、爽やかなその表情を見て思う。彼は多分、この仕事が好きなのだろう。自営業しかしたことのないあたしには、その笑顔は十分に眩しかった。

 

「ごちそうさま」

 

 ストローを噛んで、中身を飲み干す。最後の一口は妙に苦かった。

 

 

 

 

 

 

 

 物事がうまくいかないのは今に始まった事じゃない。頭の中で思い描いていた予定はいつも、勝手な誰かの思惑でズタズタに踏みにじられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……騎、士様」

 

 掠れた声に喉が痛んで目が覚めた。それだけでなく、頭が割れそうに痛い。うぅと唸りながら、もぞもぞと起き上がったあたしは、ほぼ裸体のまま薄暗い部屋の中を記憶だけを頼りに浴室へと向かう。ゆらゆらと揺れる視界に酔ったせいか、辿り着いて直ぐに胃液を吐く事になったけれど、その甲斐もあってか、いくらか自分を取り戻せた気もした。

 

(デートレイプドラック(何か盛られた)かな?)

 

 嫌悪感は激しかったけれど、それ以上に疲れと呆れが勝った。この仕事をするようになってから、いろんな感覚が麻痺している感はあったけども、ここまで警戒心がなかったとは、まったく、慣れない事はするもんじゃないな。と緑の色味の強い吐しゃ物に呟く。そのまますぐ隣に設置されている湯の張られていない浴室に入って、シャワーのノズルを回す。それが温度調整タイプである事を失念していたあたしは、湯の熱さに思わずと奇声を上げた。慌てて冷水を足しながらも、懐かしい不快感に笑みが零れるのを止められない。

 

 湯水に濡れた己の身体に散った斑点、腹部と背中を重点的に数十と並んだそれらは、全て、母に押し付けられた煙草の火の痕である。

 

 あたしは狂い壊れた母に育てられた。

 

 アルコールに溺れ、虚ろに濁った瞳で狭いアパートの部屋を酒臭い息で満たしているか、美しく着飾って夜の街を彷徨い男に溺れているか。の二択の生き方しか知らない女(ひと)だった。そして、アルコールが切れるか、咥え込んだ男が居なくなるかすると、母は決まってあたしを折檻した。

 

 理由は、ちょっとした物音を立てたからとか、母よりも先に眠りについたからとか、まぁ、総じて些細で理不尽なものだった。結果として、あたしは覚えているだけでも、鎖骨と手足の指の何本かを骨折し、頬骨にもヒビを入れている。それだけで、どんな虐待を受けていたか分かろうものだろう。

 

 流石に、頬骨の怪我は隠し切れずに医療機関を受診したが、それ以外の外傷は全て自然治癒である(自力で治した)。頬の怪我が比較的初期の話(・・・・・・・)だった事と、外面だけはそれなりを取り繕う母の名演技によって、悲劇は看過されたのだ。そうして、一つ賢くなった母は、それまで以上にバレないようにあたしを痛めつける事に執心し、愚かなあたしは、母からの暴力こそが母娘の愛情表現なのだと妄信したのだ。

 

 痛みに声を上げれば黙れと打たれ、泣けば泣くなと殴られ、ごめんなさい!!と顔を上げて謝罪を叫べば、なんて目で親を見ていやがるッ!!と蹴りを見舞われる。そんな事を繰り返して、ひたすら身体を丸めて暴力に耐える事が一番なのだとあたしが悟るのに、そう時間は要さなかった。自分が我慢すれば、母はいずれ満足するし、あたしも母の関心を一身に受けられて幸せだった。

 

 そうして、母の奴隷のような少女時代を過ごしたあたしではあったけれど、順調に、母親譲りの外面だけは優秀な人間として成長していった。学校の成績は上位をキープしていたし、友達もどちらかと言えば多い方で、教師の評判も悪くはない。端的に言っていい子だった。でも、目指した通りの優等生を体現しながら、あたしは誰にも迷惑を掛けないように、誰からも嫌われないように。といつも怯えていた。

 

 けれど、そんな生活も高校の進学が決まると同時に終わりを迎える事となる。

 

 そもそもが母子家庭で裕福とは言えなかった為に、あたしは高校に進学する気はなかったし、させてもらえるとも思っていなかった。ただ、働くのは高校に進学してからがいい。と母が言ったから、あたしは言う通りにした。そうする事が、母の愛を得るのには必要なのだと信じていたから。

 

 本当に。あたしは、どうしようもなく、母を愛していたのだ。

 

 その日、高校の入学式を終えて帰宅したあたしを、母は上機嫌で出迎えてくれた。あたしはそれが、あまりにも嬉しくて、でも、家に居るのなら何故、入学式を見に来てくれなかったのか?と珍しく拗ねる気持ちも思い浮かぶくらいには浮ついていた。いや、油断していたのだ。

 

 だから、バチが当たったんだろう。

 

 母に連れられて入ったリビングには数人の見知らぬ男達の姿があった。一瞬、母の新しい彼氏とその舎弟達かと思ったが、最近の母には男の影がなかったから違和感を覚えた。

 

『お母さん?』

 

 縋るような目で母を見れば、母は私に笑いかけていた。それは、今までのどんな母よりも優しくて、恐ろしい笑みだった。

 

 同時に男達の手があたしの身体へと伸びる。悲鳴をあげる間もなかった。思い返しただけでも虫唾が走る話だけど、あの状況で何をされるか察せられないほどに、あたしは愚かじゃなかった。けれど、あの状況で逃げられると信じ込めるほどに馬鹿でもなかった。だから、瞬時にすべてを悟ったあたしは、今までもそうしてきたように、抵抗らしい抵抗をしなかった。けれど、それが返って男達の不興を買ってしまったらしく、久方ぶりに頬を打たれた。衝撃に首が回り、反射的な涙が眦を伝う。下卑た笑いがこだまして、ヤニくさい舌が頬を嬲った。その段に至って初めて、母から怒気の含まれた声がかかる。

 

 曰く、顔を傷付けるな。それと、ヤるならせめて寝室に移動しろ。と

 

(ああ――)

 

 淡い希望は脆くも崩れ去り、あたしは男達の手で寝台に埋められ、悉くを蹂躙された。抉られた下腹部からは血が流れ、不快な水音と嘲笑が鼓膜を犯す。そんな、今までの経験が何も役立たない暴虐に何度も嘔吐き、声を殺して啼いて、あたしは喪失の意味を理解したのである。

 

 後から気付いたことだが、この時期のあたしは母からビタミン剤(・・・・・)を手渡されていた。母親の愛情に飢えていたあたしは、母があたしを気遣ってくれている事が嬉しかったのだが、それはこの行為に向けての露払いのようなものだったのである。そして、あたしを高校に入れたのも、女子高生と言うブランドであたしの商品価値を高める事が目的だったらしい。

 

 初仕事の後の福沢諭吉を数える母は、今まで見た中でも一番の上機嫌で、酒を煽りながらあたしを褒め称える言葉が鼻にツンときたのを覚えている。

 

 女の子を産んでよかったわぁ。としきりに口にする母。それがあたしは、どうしようもなく悲しくて、嬉しかった。だから視界が濁ったのもきっと、あまりの多幸感におかしくなったせいだったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからというもの。あたしは同年代の少年少女がキラキラとした青い春を謳歌するのを横目に、見ず知らずの男達を相手に、なけなしの春を売り歩いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……ぁー」

 

 我ながら最悪の気分だった。下腹部に生じた熱と脚の付け根を伝う薄紅の悍ましさに、湯を浴びているというのに鳥肌が立つ。

 

(ビタミン剤、最後に飲んだのいつだったっけ?)

 

 瞬間、なんだか気が抜けてしまったあたしは、ズルズルとその場に座り込みながら、紅白が混じり合い流されていくさまを他人事の様に眺めた。そうして思う。

 

 あたし、何してんだろう?って。

 

 今更、好きでもない男とお金の為に寝る事に関して、悲しみを覚えるほどに繊細でも厚顔でもなかったけれど。

 

 この行為にもう意味を見い出せない事実(・・・・・・・・・・・)が酷く虚しかった。

 

 だって、あたしが身体を売っているのはそういうことが好きだからではない。もっと言うなら、あたしはむしろ男の人もセックスも大嫌いだった。ただ、売れるものがそれくらいしかないからやっているだけで、その動機は母に愛されたい一心からだった。

 

 事実。そうやって、あたしが稼げば稼ぐほどに、母はあたしに優しくなったし、褒めてくれたし、愛してくれた。

 

 愛してくれたんだ。

 

「――でも、せめて、一回で良いから言って欲しかったなぁ」

 

 女の子じゃなくて、貴女を、夏燕を産んで良かった。って。

 

「――……あたしは愛してたよ。お母さん」

 

 泣いてしまうかと思ったのに、もうすべては疲れ果てて、涙さえも、出なかった。

 




 剣陣営につきましては、徐々に掘り下げていきたいと思っています。

 因みに、某喫茶店の企業ロゴはセイレーンだそうです。確かに、集客を願うには強そうですよね。
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