剣陣営の出会い編なのですが、時系列が少しややこしい書き方になってしまいました。陳謝。
※今話には残酷な描写が含まれます。
1431年、5月30日。フランスの国民的英雄、ジャンヌ・ダルクは
それから、数百年と時を重ねて、聖女の戦友。ジル・ド・レェは一人の少女と出会う。それは運命と呼ぶには余りに残酷なものだった。
※
噎せ返るほどの血の匂いに目が醒めた。
「――あさん」
次いで、若い女の切羽詰まった声が鼓膜を叩く
「お母さんッ!!ねぇッ!!お母さんってばッ!!」
血だまりの中に横たわる女へと赤く染まった少女は呼びかけていた。
「これ、今日の分のお金だよ。足りないならあたし、もっと稼ぐよ。お母さんの言う事は何だって聞くし、身体にある模様の秘密だってちゃんと守るよ?だから……ねぇ、ねぇッ!!」
縋るような悲鳴をあげながらも、少女はなす術がない事実を理解しているのだろう。己の母親が徐々に失われていくさまを絶望の滲む瞳で見つめている。そしてそんな少女の姿に自分は圧倒されてしまっていた。
「セイバー」
と、自身を呼ぶ第三者の声に、私は始めて己がマスターを視界に入れる。若いのだか老いているのだが判然としない見た目の彼は、母親が息を止めたと同時に心を失くしたかのように静かになった少女を疎むように見やって、口を開いた。
「殺せ」
何を、などと問い返すまでもなかった。ゆえに、私は鞘から剣を抜き放つが否や、切りかかった。
「な――」
まず、手始めに男の腕を切り落とす。令呪の脅威を退けてしまえば、後は簡単なことだった。
「き、さまッ!!」
人間としては男の迎撃は早かったのだろう。が然し、英霊を相手取るには、彼は凡庸な魔術師の域を出てはいなかったのだろう。術が展開されるよりも先に、私の手には心の臓を貫いた感触が奔った。
「――――」
声にならない吐息を溢して彼は呆気なく死んだ。私が殺したのだ。ともすれば、私も賛同できるような崇高な志の元に聖杯戦争へと挑んでいたのかもしれない男を。問答無用と私が切り捨てたのだ。
「――ッ」
一度深く目を閉じる。彼との繋がりが完全に立ち消えた事を確認してから、私は共に戦を駆け抜けたかもしれない男から剣を引き抜いた。私は彼の願いではなく、少女の未来を選んだのだ。
「――……お怪我はございませんか?マドモアゼル」
我々が一瞬の攻防を繰り広げている最中も、男が頽れ、鈍い死の音を立てた瞬間も、少女は糸の切れた操り人形の様に静止していたが、私の呼びかけには微かな反応を示した。
「……どう、しよう」
焦点の定まっていない恾とした眼で私を見つめ、彼女は呟いた。
「お母さん。死んじゃったよぅ」
言語化に伴い感情も湧き上がったのだろう。死んじゃった。どうしよう。と同じ言葉を譫言の様に繰り返しながら、少女は次第に声を潤ませていった。それは、許容量を超えた現実を前に、折り合いをつけようと彼女が必死になっている何よりの証拠と言えた。
「なっ、で、ど、ぉして」
「――……申し訳ありません」
「ッ、ぅ、っく」
自身の身に降りかかった悲劇の理由を探し始めた少女に、私はただ、謝る事しか出来ない。しかし、謝ったところで彼女の母親が生き返るわけでもなければ、私の罪が消えるわけでもなかった。
何かを押し殺すように少女は静かに涙した。例え、号哭したところで彼女を咎められよう人間は誰一人としていなかったであろうに、いじらしいまでに彼女はおとなしく泣いたのである。この時の私は彼女の理性にいたく感心したものだが、真実が、声を上げて泣く事すら許されない環境に順応した姿である事を知ってからは、憐憫へと形を変えてしまっている。
ともあれ、私は持って数刻だろう自身の残り時間を、この哀れな少女へ捧げると決めたのである。その決意が、後の私を長く悩ませる事になるとは、無論、思いもしていなかった。
「……あたし、これからどうすればいいの?」
30分を過ぎよう頃、やっと少女は泣き止んだ。恐らく泣く事に疲れたのだろう。相も変わらず虚ろな表情で私を見ながら、
「生きるのです」
「どうして?」
「どうしてもです」
華奢な肩に手を置き、厳とした声音で念を押した私を恐れるように、少女は被りを振った。
「なんで、なんでッ――」
刹那、つい先ほどまで、静かな絶望に打ちひしがれていたその身体が強張り――
「なんでッ、あたしも殺してくれなかったのよッ!!」
深い悲しみと強い憎しみの込められた瞳が私を捉えた。ああ、何という事だろう。私はこの顔を、この激情を
だが、それでも、そうであっても。
「…………生きて下さい。私は貴女に生きていて貰いたい」
かの聖女のように、彼女の未来が断たれるのは耐えられない。つまるところ、私の行いは。そんな独り善がりの
「大丈夫、貴女はきっと幸福になれます」
「そんな事ッ――」
「分かります。私には分かります」
私の断言に、少女は震えるように瞳を揺らめかせた。
「…………本当に?本当にそう思う?」
「はい」
強く頷けば少女は漸く、弱々しく前を向いて――
「なら、貴方が見届けて」
「それは――」
「本当に、あたしが幸せになれるというのなら、貴方が証人になって頂戴よ。でないと――」
*
「あたし、きっと生きてけないわ」
いつかの台詞を口にする。傘を差さずに歩き続ける気力は湧かなくて、あたしはcloseの看板が下げられた店先の日除けの下で頬に張り付いた髪を拭った。
(疲れた)
その場に膝を抱えて蹲る。意識の片隅では、早く帰らなきゃと急く声があったけれど、あたしはそれに気付かないフリをした。
一人で過ごす時間は寂しいけれど、必要だから。
(宿の心配はないから、後は騎士様のご飯をどうにかしないと、最悪、あの時と同じようにすればいいけど、それはあくまで最終手段)
冷静にこれからの予定を組み立てながら、鼓膜を打つ雨音にあたしの心が逆行していく、ああ、そうだ。あの時も今日みたいな雨の日だった。
※
何てことはない。日常のハズだった。
「ただいま」
と、いつものように
「ん」
胡乱な瞳で紫煙を燻らせながら、母が掌を差し出してくる。おかえり。の変わりでもある、シンプルな催促。あたしは従順に鞄に視線を移して――
「ぇ――」
視界が赤く染まった。
「ぅあぁぁあぁあああぁあッ!!」
途端、母が絶叫して、あたしの瞳孔が縮む。
「お母さん!!」
床に崩れ落ちた母へと駆け寄れば、あたしの制服が母の首筋から噴き出た鮮血を吸って重みを増した。
「ぁ、んで」
「おか、ぁさん!!」
思わずと声が上ずる。素人目でも重要な血管が傷付いたのだと理解出来た。母が呻くたびに、その傷口からは空気と血液が洩れる。
「お母さんッ!!ねぇッ!!お母さんってばッ!!」
ヒューヒューと音を立てて母が失われていく、それと共に、狭い部屋の中には光が満ちていった。だから多分、あたしはその段階で悟ったのだと思う。
母は助からない。
でも、それでも。あたしは、この期に及んでも――
「これ、今日の分のお金だよ。足りないならあたし、もっと稼ぐよ。お母さんの言う事は何だって聞くし、身体にある模様の秘密だってちゃんと守るよ?だから……ねぇ、ねぇッ!!」
母に愛されようと必死なだけの、最低な娘だった。
※
「満足ですか、マドモアゼル」
唇を拭って私は息を吐いた。
「……あり、がとう?」
証人となる事は出来ない。と私が口にした途端に、少女は躊躇うことなく手首を切った。だから私はそれを利用する形で自らの延命を計る他なかった。少なくともそうすれば彼女の自暴自棄を諌められると信じて。
(出来れば、使いたくはなかったのですが)
本来のマスターである男の
「ごめ、なさいッ、あ、あたしッ――」
そうして、私が難しい顔を晒していたからだろう。正気に戻った少女は私を見つめ怯えたように謝罪の音を上げた。
「いえ、こちらの方こそ、怖がらせましたね」
それを受け止めながら、掌を差し出せば、少女の双肩が跳ねる。
「――……怪我の、手当てをしましょう。痕になっては大変です」
束の間の静寂。返答の代わりに、恐る恐ると伸ばされた少女の小さな手を私は確かに取った。
*
「あら、やっぱり見間違いじゃなかったわ」
ふと頭上から掛かった低くて太い声にあたしは顔を上げる。そうして、酷く冷静に相手を探った。一目で鍛え上げられている事が分かる体格の良さと、まだ六月だというのにしっかりと日に焼けた肌をしたとても逞しい見た目の彼?の口調は女性的だった。だからといって、どうというわけでもないし、かといって、こんな事を思うのは良くないのかもしれないけれど、あたしは彼のような人は嫌いじゃなかった。
「女の子が身体を冷やすのは良くないわ。入んなさい」
「でも……」
「はっ、別に、取って食いやしないわよ」
分かるでしょう?と言いたげな目配せに、反論する気は起きなくて、けれど、自分の状況を鑑みれば、素直に頷く事も出来なかった。
「開店前のお店を汚すわけには――」
「だあ、もうッ!!めんどくさい子ね。そんなの掃除すればいい事でしょう!?」
「けどッ――」
「人の善意を前に四の五の言わないッ!!それと、あんた自分じゃ気付いてないみたいだけど、ほっといていいような顔色じゃないのよ?」
ピシャリと言葉を遮られ、来なさい。と諭すような声音で念を押されればもう、素直にご厚意に甘える他なかった。
「……分かりました」
店内に入るとズラリと並んだ鏡面に私が反射する。
美容室の磨き上げられた鏡に映った自分は、貧血か、冷えか、疲労かは分からないけれど、確かに酷く蒼褪めた顔をしていた。
「好きなとこに座って待ってなさい。今、タオル持ってくるから」
「あ、はい、すみません。有り難うございます」
そうして、借りてきた猫の如くに席に着くと、より一層、自分の悲惨さが目に付いた。全身濡れ鼠なのは勿論の事、両ひざには擦り傷、両目には充血。極めつけには陰気な顔色である。醜悪なものだ。
「はい、取り敢えず包まってなさい。目はこっちで膝にはこれね」
「何から何まで、ほんと、すみません」
大判のタオルと蒸しタオル、絆創膏を受け取りながら、苦笑するしかないあたしに、彼女?の勢いは苛烈だった。
「んな謝罪は後!!一先ず絆創膏、張っちゃいなさい!!」
「は、はい」
そんな勢いに押されるようにして、膝の処置をすれば。空調の操作音が雨音に混じる音がした。
「暑くなり始めるかな?って時に梅雨冷えって起きんのよね~」
困ったもんだわ。と嘆息して、鏡越しのあたしへと視線をやった彼女は、先ほどと打って変わって、優しい調子で尋ねてくる。
「傷の具合はどうかしら?」
「……ええと、そんなに深くはないので、大丈夫だと思います」
「あらそう?痕が残ったら大変よ。しっかり治しなさい」
「――……前に、怪我した時もそう言われました」
「あら、お転婆ね。アンタの彼氏はさぞや苦労してるでしょう?」
タオルドライした髪にドライヤーを当てながら彼女は笑った。つられてあたしも笑う。
「あたしに、そんな人はいませんよ」
「やぁだ。若いクセして枯れてるわねぇ、好きな人もいないの?」
「……好きな人。というか、いつも一緒に居る人なら、いますけど……」
「男?」
「まぁ、はい」
「でも、
ややこしいのね。と言って彼女はそれ以上の追及をしなかった。彼女なりに何かを察したのかもしれないし、これ以上は面倒だと思ったのかもしれない。どちらにせよ。あたしが考え込むには十分な猶予だった。蒸しタオルで視界を塞ぎながらあたしは悩む。
あたしは、多分、騎士様の事が好きだ。好きか嫌いかで問われれば、そうと断言できるくらいには彼の事を好ましく思っている。
ただ、それが恋情であるか?と問われると、よく、分からなかった。
欲しくもない男の体温を求めて、美味しくもない酒や煙草の味を覚えて、笑いたくもないのに笑って、そうして母からの愛を買う事に必死だったあたしに、恋というものはあまりにも無縁だったから。
「……彼は、優しい人です。あたしはそれに付け込んでいる」
「――……ふぅん。アンタは悪女なのね?」
「そう、あたしは騎士様を利用する悪い魔女」
「詩的ね」
ああ、本当に。こんな現実を思い知る事になるくらいなら、悪夢であろうと夢を見ていたかった。
「おに、お姉さん」
「何かしら?」
「お願い事をしてもいいですか?」
顔を上げて、最後に、一度だけ、姿見に映る自分を見る。
(愛されたがりの燕ちゃん。あたしは貴女が嫌いではなかったわ)
*
『あたし、柳 夏燕っていうの。夏に燕で夏燕、だけど誕生日は2月22日で猫の日なの、笑えるでしょ?』
そう、自嘲するように笑った少女が、野良猫を殺すようになるのに時間は要さなかった。
『おじさぁん。ホテル代くれない?出来ればご飯もおごってくれると嬉しいなぁ~』
燕となった彼女の資金調達法は背徳と形容するには余りに軽やかですらあった。
だが、そのどちらにせよ。彼女のささやかな倫理観に則ったルールが存在していた。それは首に付いた鈴の形をしていたり、左手薬指の銀輪であったり、つまるところ、彼女の言葉を借りるならば、それは誰かに愛されている証であるから、その誰かを悲しませたくはない。という事だった。
『貴女は賢いわりには愚かだ。その優しさも残酷である事に変わりはない』
彼女が、猫を殺すのは私を繋ぎ留めておく為で、自らを売るのは母親に叩き込まれた呪い以外の何ものでもない。そう説得するたびに彼女は決まってこう言うのだ。
『そもそも、生き物は生き物を殺して生きているし、そうしなければ生きられない。だからあたしは殺した猫たちに精一杯の敬意は払うようにしているし、騎士様だって無駄にした覚えはないでしょう?それと、あたしが自分を売るのも、それが一番確実に稼げて安全な手だからよ。未成年のあたしと取引相手達は、皆イケナイ事をした共犯だから、自然と守秘義務を負っちゃうの、逃避行の身には、これ以上ない理由でしょう?』
そんな風にして、笑うしかないと言うような笑い方で笑って見せる。彼女は弱く、強かな少女だった。
(夏燕は傘を持って出掛けただろうか?)
ふと、降り始めた雨にそんな事を思う。互いを思いやる気持ちがないわけではないのに、一緒に居れば居る程に私達は互いに傷付く事が増えたように思う。それを、価値観の違いだと切り捨ててしまれば容易いのだが。
ああ、どうすれば、彼女を救えるのだろう。救えたのだろう。
二重苦の感傷の最中、窓の外を一羽の燕が滑空した。私は素早いその軌道を目で追いながら、剣の柄を握り締めて、苦悩し続けた。
ジルの宝具を偽臣の書の様な扱いにしています。