いつものように奉仕部の部室で時間を潰す放課後。
俺はいつもどおり廊下側の壁を背にして椅子に座っている。
以前材木座がラノベを持ってきた以降も、材木座がヒロインの設定を相談しに来たり材木座が世界観の設定を相談しにきたり材木座が主人公一族の隠された秘密を相談しにきたりと、奉仕部は常に悩める子羊の相談に乗っていた。おいおい材木座ばかりじゃねえか。他に誰も来ねえのかよ。
部活中の筋トレを禁止されてしまった俺にとっては、材木座の相手をして時間を潰すのは必ずしも嫌というわけではないが(勿論好ましいわけではない)、女子二人はあいつが来るたびに顔を顰めている。そろそろ雪ノ下が材木座の出入り禁止を提案し、由比ヶ浜が賛成し可決されてしまうかもしれない。
材木座、お前はもうちょっと考えるようにしてからここに来い。あの二人はお前を嫌っているのだから、作品くらいは嫌悪されない程度に仕上げないと不味いぞ。そもそもラノベの時点で嫌悪されてるか。ていうかお前は女子二人とも目を合わせて話せ。二人がが喋ったことを何故か俺に対して返すので、あいつらは露骨に不快感を出している。
俺は今日は
いや、寝てない自慢はいらんか。自慢しようにもする相手も体育のときにペアを組む材木座くらいしかいないのが悲しい。だが今月から体育の種目がテニスとサッカーに変わり、材木座はサッカー組に、俺はテニス組にと別れたので寝てない自慢をする相手すらいなくなってしまっている。する必要無いけど。
「やっはろー!」
俺が材木座との別れに2週間伸ばした髭を剃った時のような寂しさを感じていたら、アホっぽい挨拶と共に由比ヶ浜が部室の戸を引いた。
由比ヶ浜は悩みなど無さそうな元気でアホっぽいにこやかな表情で部室に入ってくるが、彼女の後ろには力無く深刻そうな顔をした学校指定のジャージを着た美少女がいる。
自信無さそうに下に向けられた瞳。数歩離れた距離からでもわかる長く艶のある睫毛。肌は透き通るように白く、迂闊に触れると壊れてしまいそうな儚さを持った美少女だった・・・・・・美少女?いいや違うッッ!あれは戸塚だッッ!!
どうしよう、声かけていいのかな。でも迂闊に声かけて「え、誰?気持ち悪い」なんて言われたらその場で二度目の死を選んでしまうおそれがあるので様子を窺うことにする。
由比ヶ浜は戸塚に依頼者の椅子に座るように促し、戸塚が座るのを確認してから長机を挟んで向かい側にある自分の椅子に座った。
ということは戸塚は奉仕部へ何か依頼があって来たということだ。今だ!自然に距離を詰めるチャンスだ!俺は即座に椅子を抱え戸塚の隣に移動し、座った。
「今日はさいちゃんは頼みたいことがあって来てるから、ヒッキーはこっちに座って話を聞くんだよ」
「おっそうか」
駄目でした。俺はしょんぼりしながら由比ヶ浜の隣に椅子を動かす。戸塚はそんな俺をきょとんとしながら見ている。もっと俺を見てくれ。俺だけを見てくれ。
俺が椅子に座るのを待って雪ノ下が口を開いた。
「二年F組の戸塚彩加くんね」
「知ってるの?ぼくのこと」
「あなた、結構な有名人よ。J組でもあなたのことを話題にしている女子はいるわ」
「そうなの?……話題ってなに話してるんだろう」
学年一、いや校内一の有名人が戸塚を有名人扱いしている。戸塚はもじもじしながら不安がる。おのれJ組の女子め、戸塚を不安がらせやがって……ゆるせん。まあどんな話をしているかはだいたい察しがつくが。
「で、そんな貴方がこの奉仕部にどんな用件があって来たのかしら」
「え、ええと…」
雪ノ下は単に質問しただけなのだろうが、冷気を纏うかのような雪ノ下の視線と、言葉を飾らずに最短距離で話を進めようとする会話運びに威圧感を感じたのか、戸塚は口ごもる。
「もうゆきのん!さいちゃん怖がらせちゃだめだよ!」
「そんなつもりはないのだけれど」
ぷりぷりしながら発言する由比ヶ浜に、雪ノ下は熱のこもらぬ口調で返した。そういうところだぞ雪ノ下。だから材木座もお前にびびってるんだ。材木座はともかく戸塚を怯えさせるのはよくないぞ。俺は目で雪ノ下を制しようとする。
「急に私をじろじろ見てどうしたのかしら。あまり学校の生徒を不審人物として通報したくはないのだけれど」
「警察はやめろつってんだろ」
起訴する気もないくせにどうでもいいことで逮捕して目いっぱい拘留してくるから警察は嫌いだ。
「話が進まないから二人はちょっと静かにしてね。じゃあ、さいちゃんどうぞ!」
由比ヶ浜に諭されてしまった。屈辱だ。雪ノ下にもガッツリ睨まれていた。なんでお前が怒ってるんだよ。
「ええっと、ぼくテニス部の部長をしてるんだけど、ウチのテニス部って弱くて……」
戸塚の話をまとめると、ウチのテニス部は弱い→テニス部が弱いのは部長である自分が弱いのが悪い→自分が強ければみんなが自分についてきてくれる→だから自分を鍛えてほしい。ということだった。
戸塚は部長である自分が弱いことに責任を感じていた。いじらしい。守ってあげたい。戸塚の為に俺ができることはないのか。ちなみに、今日は顧問がいないのでテニス部の活動は休みにしたらしい。そんな理由で休みにしても部員が文句言わないあたりがお察しだ。
「でもスポーツは一朝一夕で上達するものでもないでしょう。球を追いコート駆け回り、狙った所に打ち返す身体能力も技術も日々の努力の積み重ねでしょう。漫画じゃないのだから、ある日いきなり隠された才能が開花して、それで勝てるようになるなんてことはないわ」
俺が知恵をひり出そうとしていたら身も蓋も無いこと言う女がいた。だがそれが真実だ。新宿で俺に喧嘩を売ってくるような間抜けがいなくなったのは、休みなく鍛えた肉体と鍛錬を重ねた空手で間抜けをぶちのめし続け、シノギにチャチャ入れてくる虫けらを行方不明にし続けたからだ。
雪ノ下の言葉でしょんぼりしてしまった戸塚(可愛い)に俺は優しく声をかける。
「戸塚。雪ノ下の言うとおり、成功の近道は正しい努力を継続して行うことだ。だが何が正しいかなんてのは誰にもわからない。だから提案だ。何が正しいか、俺と二人で探さないか。俺と戸塚なら、きっと本物を見つけられる」
「比企谷くん……」
俺の誠意が通じたのか、戸塚は頬を染めて俺を見返す。
「比企谷くん。私の気のせいでなければ話が変な方向に向かっている思うのだけれど」
「気のせいだ。俺はテニスの練習方法を考えようと言っている。現在の自分を正しく認識して短期的、中期的、長期的に目標を設定してうんたらかんたらというだな」
「たしかに~。なんでもかんでもがむしゃらにやればいいってもんじゃないもんね」
由比ヶ浜がかぶせてきたので頷いた。既に戸塚の為にどんな練習をすればいいのかと考えているのが見てとれる。それを見た雪ノ下はしぶしぶ、といった様子で結論を出した。
「わかったわ。奉仕部は今回の依頼、お受けします」
「わあっ、ほんとう?ありがとう!」
戸塚が弾けるような笑顔を見せた。この笑顔、俺が
しかし雪ノ下。由比ヶ浜が乗り気なのを見せただけで受けるとか、由比ヶ浜に甘いってレベルじゃねーぞ。
「でも練習っていっても、テニスってなにやればいいのかな?」
由比ヶ浜が首をかしげる。駄目だこいつ、何も考えてねえ。
「『テニス 上達』でググろうぜ」
俺も何も考えてなかった。雪ノ下の溜め息が聞こえた。
しばらくスマホでテニス関係のブログや動画を見ていたが、『本人のレベルに合わせた練習を』『正しい練習が上達の近道』といった「そんなん言われんでもわかっとるわ!」と言いたくなる言葉ばかりが並べられていた。この程度なら俺たちがどうこう言わずとも、戸塚だってわかっていることだろう。雪ノ下も同感だったようで眉をひそめている。
「とりあえず戸塚くんのレベルがどのくらいか把握しましょう。本人が弱いと言っているだけで実は私たちでどうこう言える程度の選手ではないかもしれないし」
「そっか!ゆきのんアッタマいいー!」
由比ヶ浜が頭の悪い発言をしたところで、俺たちはテニスコートに移動することにした。
結論から言うと、戸塚はへなちょこだった。
最初こそスイングも綺麗で、俺の放ったボールをぱこぱこ打っていたが(俺は戸塚とぱこぱこしたい)、左右に投げ分けて戸塚を走らせるとすぐにバテ始めてしまい、ラケットを握る腕もボールを追う脚もプルプル震えていた。産まれたての小鹿のようだった。息があがり、上気した戸塚が大きく息を吸ったり吐いたりしている。眼前の映像に8万いいねキメた。
「戸塚くんはスタミナが無いわね。筋肉も無いからラケットを振ると身体が遠心力に負けて姿勢がブレてしまっているし」
俺の記憶が正しければ雪ノ下も大概スタミナの無い人間だったが、スタミナ無い無い人間の国の王女様の彼女が言うのだから相当だ。
「比企谷くん、アドバイスしてあげなさい」
「君は毎回脈絡もなくこっちに振ってくるね」
「身体を鍛えるのが貴方の唯一の趣味でしょう」
「唯一じゃないしそもそも趣味じゃないから」
戸塚の前で不正確な情報で俺を語るのは許し難いが、雪ノ下の言わんとするところはわかる。戸塚の基礎体力の向上には、普段から部活をさぼって筋トレに精を出している人間が指導しろということだ。不安がる戸塚を俺はじろじろ見た。屈み気味の戸塚の襟は重力に負けて下に広がり、胸が見えそうだった。男だが、戸塚の胸だ。
「ヒッキー?」
由比ヶ浜が訝しんだ。雪ノ下の突き刺さるような視線も感じる。
「戸塚が体力が無いってのがわかったから今日はもう十分だ。トレーニングメニューは明日までに考えとくから、明日の昼に部室に集まってくれ」
「なんで貴方が仕切っているのかしら……でもいいわ。考えなしに続けても無意味だし、今日は解散にしましょう」
「いや~~、さいちゃんすごかったねヒッキー。すっごい華奢で、おひめさまみたいで!」
「ほんとそれな」
「女子たちの間でもさいちゃん人気あってさ!守ってあげたくなるっていうか、母性本能?がくすぐられるとか言っててさ」
「ああ~~わかる」
「わかるって、ヒッキー、男に母性本能はないでしょ」
「いや母性ってか庇護欲ってか、あるやん?」
戸塚が聞いたら屈辱を感じそうな会話。腕をぶんぶん振りながら歩く由比ヶ浜と連れ立って歩いている。2-Fの教室に忘れ物をしたので取りに行ってから帰ると告げたら「じゃああたしも行く」とのことだった。何がじゃあなのかはわからないが、由比ヶ浜のような快活で愛想のいい美少女と二人で行動するのは思春期の男子にとっては憧れるものだろう。だが俺は由比ヶ浜とどんな会話をしたらいいのかがわからずに、由比ヶ浜の言葉に適当に相槌をうつだけの機械と化していた。
この快活な由比ヶ浜と俺のよく知る結衣は同一人物であって同一人物ではない。銃夢LOでもディスティ・ノヴァ教授が「記憶と人格が揮発したならば死と定義するのが妥当」と言っていた。つまり俺のよく知る結衣は死んだということになる。死んだのは俺だけど。
「ちょっとヒッキー!どこまでいくのさ!」
「おっと、ぼんやりしてた」
「も~、大丈夫なの?」
相槌をうつ機械は無意味な思考におぼれている間に2-Fの前を通り過ぎようとしてしまっていたらしい。由比ヶ浜が顔を覗き込んでくる。やめろ可愛いやんけ。恥ずかしいだろ。
相槌をうつ機械(39)が照れを隠すように由比ヶ浜より前に踏み出し教室の戸を引く。教室内には誰もいなかった。無人の放課後の教室。俺と由比ヶ浜は静かな空間に足を踏み入れた。俺は自分の机に近付き英語の教科書を取り出した。
「ヒッキー、ちゃんと教科書持ちかえって勉強してるの?意外~」
「勉強てか宿題してなかったからな。今日中にやっとかんと。明日提出だし。英語の高田、宿題忘れるとうるさいからな」
「えっ、しゅくだい?」
由比ヶ浜はきょとんとしていたが、なにかに気付いたように目を見開き、顔から血の気が引いていった。
「由比ヶ浜、お前……」
「ひ、ヒッキー!宿題の内容おしえて!てか今からやろ!今から!」
由比ヶ浜が食い気味に迫ってくる。今からて。もうすぐ下校時刻だぞ。
「由比ヶ浜、おちつけ。おち」
「ヒッキーあぶな!」
一歩下がろうとしたら右足を机にひっかけて体勢を崩しかけこけそうになった。咄嗟に由比ヶ浜が俺を支えるべく手を伸ばしたが、慌てた由比ヶ浜は足をもつれさせ体ごと俺にぶつかり、俺は由比ヶ浜に押し倒される形で床にぶっ倒れてしまった。こういうの、普通逆じゃない?かろうじて由比ヶ浜がそのままふっとび頭や体を打たないようには抱きとめていた。やるじゃん俺。八万ポインツ!
くだらないことを頭の中で考えていると、由比ヶ浜の香りで鼻腔をくすぐられ、ハッとした。うっすらとした柑橘系の香り。腕の中の柔らかい身体。胸板に柔らかいものが押しつけられているのを感じる。由比ヶ浜の肉体を意識してしまうと思春期男子の血液が移動していく予感がした。仁徳天皇が即位準備してしまう。いかん、そいつには手を出すな!
「由比ヶ浜、大丈夫か」
「う、うん。ごめんヒッキー」
「けがをしてないならいいさ」
俺は紳士ぶって由比ヶ浜の両肩を掴み、そっと俺の上から降ろそうとして……動きが止まった。頬を朱に染めた由比ヶ浜と目が合ってしまった。目が潤んでおり、熱っぽい。
あっ、まずいこれ。
「ヒッキー……」
由比ヶ浜の吐息がかかる。いいにおい。
正面から俺の目を見つめてくる。すいこまれそうになってしまう。
かつての俺はなんだかんだと理由をつけて距離をとろうとしていたが、今の俺は由比ヶ浜の気持ちを知っている。俺自身も、由比ヶ浜に手をつけてしまっても何の問題も無いと思ってしまっている。
「由比ヶ浜」
俺は由比ヶ浜の肩を掴んだ両手に意志の力を漲らせ、そっと俺から降ろした。
「宿題の範囲教えるからさ、ちゃっちゃと帰って宿題やろうぜ」
「う、うん、そだね」
由比ヶ浜は目を泳がせながら制服についた汚れをぱしぱしと掃った。
「それ比企谷菌を掃ってるとかそんな感じ?傷つくからそういうのやめてね」
「もう!なに言ってるのさヒッキー!そういうのいらないから」
俺の照れ隠しの自虐にプリプリ怒りながら返してきた。これ、雪ノ下なら最初に自分で言いながら掃ってるだろ。というかお祓いするまである。あいつが言いそうなことを想像した俺は苦笑し、由比ヶ浜の相手をしながら校舎を出た。
「じゃヒッキー、またあしたね!」
「じゃあな」
由比ヶ浜は俺に手を大きくぶんぶん振りながらバス停に駆けていった。俺は肩まで上げた手を小さく振って応えた。
由比ヶ浜と別れた俺は駐輪場に向かって歩き出す。
大きく溜め息をついた。
チャリの籠にバッグを放り込み、漕ぎ出す。とち狂いそうになった中年を諌めるように風がふいくる。
由比ヶ浜の気持ち。現時点では
俺の気持ち。家を出て行った女房を、かつて共に過ごした結衣を、今の由比ヶ浜に求めているだけだ。それこそ由比ヶ浜の気持ちを踏みにじっている。
「馬鹿みてえ」
俺は首を振り、まっすぐ家を目指した。
こいついつも勃起してんな