「お兄ちゃん起きてー!」
暗闇の中、若い女の声で意識が戻る。いや、若い女というより子供か。
「おに───ちゃ───ん!!」
うるせえな。わめく子供に対して若干の怒りを感じる。
………んん!?
そこでようやく俺は認識した。自分が生きていることに。ここは病院か?どこの病院だろうか。
──よく死ななかったな、俺。
眼前に手榴弾が飛んできて、爆発したのだ。
未だにぼんやりとしているが、そこに至るまでの経緯を整理してみる。
歌舞伎町でヤクザがシノギで揉めた。それはまあ、まれによくある。
だがそこからが問題だった。当事者同士では話をまとめきれずに刃傷沙汰になってしまった。血が流れた以上、組織も黙っているわけにはいかずに双方
ここまではよかった。面倒だったが。
だが、問題は交渉が無事終わったあとだ。仲裁の任を果たした鶴巻と飯を食い店を出てから車に乗り込むまでの僅かな時間のことだった。目の前を通過していく二人乗りの単車が、突如手榴弾を放ってきたのだ。俺が茫然と手榴弾を眺めていると、すぐ後ろにいた鶴巻は身を守るために俺を盾にしやがった……。
「ぐぉ…」
爆発音と飛来する金属片に全身を貫かれた瞬間のことを思い出し、暗闇に包まれたまま思わず変な声が漏れた。
やったのはどこのどいつだ。わからない。あの組長を狙う人間など、心当たりが多すぎる。
どこのどいつかは知らんが、街中で手榴弾使うとかなに考えてんだ。殺すだけなら
しかし鶴巻もたいしたものだ。あの一瞬で状況判断し、俺を盾にしてのけたのだから。俺も修羅場をくぐってきたつもりだが、固まったまま動けなかった。手榴弾は爆発の威力ではなく、吹き飛ぶ破片で攻撃するものだ。俺が生きているくらいなのだからあいつも生きているだろう。
組長に無駄に感心したところで、俺はようやく自分の肉体に意識を向けた。
意識が戻っても視界は依然真っ暗なままだ。目でも潰れたか。損傷を受けたのが目だけなんてことはないはずだ。外傷は他にも多いはずだ。腕でも吹っ飛んだか。内臓がひしゃげて一生ベッドの上か。そんなザマではヤクザは廃業するしかない。
こうして生きているだけでも僥倖ではあるが、今後のことを考えなくてはいけない。
組のこと。俺の兵隊のこと。シノギのこと。愛人のこと。今後の生活のこと。別れたカミさんと彼女が連れて行った娘のこと。
組や俺の生活についてはいい。組長にタカりながら生きていけばいい。俺の命を使って生き延びたのだ。そんな俺に対して金を惜しむようならば渡世での男がすたる。十分な補償を払うだろう。
ただ、別れたカミさんと彼女が連れて行った娘のことは気にかかる。女房とは話し合った末に別れた。ヤクザの娘というだけで娘には多くの不便を強いてきた。中学に上がるのに伴い籍を抜くことに決めたのだが、心残りなのは確かだ。今後彼女の気が変わり「会ってもいい」となったときに、こんなカタワでは二人を養うことなど到底不可能だ。彼女たちと再び暮らせるようになることだけを希望にしていたが、もうそれも叶わない。
今回の件、別のやつに話振っとけばよかったか……いや、この考えはよそう。
自分の判断や行動についてきた結果はすべて受け入れることにしていた。俺が選択し、行動した。喜びも悲しみも怒りも俺だけのものだ。ヤクザになったことも、ヤクザを続けてきたことも俺の意志だ。他の誰のためでも誰かに言われたわけでもない。
今までだって周りには死んだ人間もいるし、俺もいつか自分が死ぬだろうとも思って生きてきた。しかしこんなカタワになって改めて後悔を感じる。これは死んだ方がよかったのでは?
「お兄ちゃん!早く起きてよー!」
思考が中断させられた。うるせえガキだ。
俺をここに入院させたやつは誰だ。個室でとれ個室で。ヤクザもんを小娘が見舞いにくるような相部屋に入れやがって。
「いつまで寝てるの~!」
お前がいつまでわめいてんだよ。病人や怪我人は寝るのが仕事だ。親はどんな躾してんだ、黙らせろ。
「きみ、ちょっと静かにしなさい」
目は潰れているようだが声は普通に出せた。しゃがれてもいない声だ。自分で若干驚いた。
俺が声をかけた子供は「え…」と小さく声を出して止まった。それでいい。病院では静かにしましょう。
「なにさー!お兄ちゃん起きてるじゃん!」
俺が喋ったのを兄が起きてるのと勘違いしたようだ。おいおい。その勘違いは無いだろう。こんな子供の兄だ。彼もきっとまだ若いはずだ。それをこんな中年ヤクザの声と勘違いするのは流石に可哀想だろう。
怒りを抑えながら声を出した。
「ちょっと、あのね」
「とりゃー!」
「ぐおあっ」
視界が白く灼かれ、無様な声を挙げた。
直後気付いた。視界が暗かったのは視力を失ったからではなく、身体を丸まりながら布団を深々と被っていたからだ。間抜けか。
やかましい子供に布団をめくられてから、徐々に自分の周囲のものの輪郭と色を認識していく。病室ではない。生活感を感じる誰かの部屋だ。視界を得るにつれて先程までの怒りが消えうせていく。それに反比例するように困惑が増していく。
「起こさずに出てったら文句言うのに起こそうとしたらこれだもんな~。ほらっ!お兄ちゃん早く!」
やかましい子供が俺の顔を覗き込みながら急かす。制服らしきものを着ている。中学生くらいだろうか。
俺の顔を見ながらもまだ自分の兄と勘違いするってどうなってんだ?君のお兄ちゃんはそんなにフケ顔なのか?人相悪いのか?そんな少年は生きててもつらんじゃないのか?
そこまで脳内でツッコミを入れてから部屋を見渡して気付く。狭い部屋。民家?この部屋には俺が寝ていたベッド以外には布団もベッドも無い。この子と俺以外には誰もいない。つまりこの子は誰かと間違えていたのではなく、最初から俺をお兄ちゃんと呼び、起こそうとしていたのだ。
しかし俺にはこんな幼い妹はいない。俺の妹はもう30代も折り返し地点を過ぎている。
妹ものラノベの読みすぎで気でも狂い、幻覚を見ているのだろうか。ヤクザになってもこそこそラノベを読み続けてそのままアラフォーになった男の末路が中学生の妹に起こされる幻覚を見るとか、哀れすぎやしないか。……勘当されてから、もう20年近くは会っていないのか。シスコンだった俺は不意に感傷に浸る。
身体を起こし、おっかなびっくりベッドから立ち上がろうとする。しっかり脚は動くし腕も動く。どうやら五体満足のようだ。とこにも痛みはない。目の前で両手を握りこぶしを作ったり開いたりする。指も全部動く。何がどうなってんだ。
「お兄ちゃん、いつまでぼんやりしてんのさ」
俺を兄と呼ぶ子供が呆れた顔をして呟く。しかしこの子供、見覚えがあるような気がするが……。
記憶を掘り起こそうとしていると、突如左手首を掴まれた。
「遅刻するなら一人でしてね!とりあえず顔洗う!ほらほら!」
状況を飲み込めずに混乱したまま、俺をお兄ちゃん呼ばわりする小娘に手をひかれ部屋を出る。そのまま洗面所まで連れて行かれた。
鏡にうつるものを見て思わず固まってしまった。状況を整理するべく働いていた思考が完全に停止した。
──六代目
加齢に抗うように鍛え続けた肉体と、研鑽を積んだ空手でちょっと体格がいいだけの喧嘩自慢をぶちのめしてきた武闘派。組持ちではないものの自前でも兵隊を持ち混み合いだってやってきた。仲間とシノギも確立しており、中国や東南アジアのパチモンではないアメリカ製のチャカを都合できるので一目置かれていた。上部団体の白塚組にも役員という肩書で幹部待遇の籍を持ち、新宿を肩で風切って歩く男。それが俺だ。俺だった。
「お兄ちゃん?」
鏡を見たまま固まった俺を訝しんだ妹──中学生の頃の姿をした比企谷
鏡に映るのは鍛えた肉体も無く、空手が身についておらず、仲間もいなければカネも無い。眼力が鋭いわけでもなく、いじけたガキ特有のシケた曇り方をした目を持っているだけの、高校生の頃の俺だった。