授業が終わると戸塚についてテニス部の部室に行く。戸塚の生着替えを堪能しつつ、自分もジャージに着替えて奉仕部の部室へ。奉仕部ではヨガマット(私物)の上で念入りに柔軟をこなしてからのんびりヨガの体操をして、適当に時間が経ったら本を読みだす。部活が終わるとチャリで太田道場に行き稽古をつける。稽古後は平塚先生と一緒に飯を食べてから帰る。
曜日によって内容は変わるが、大体こんな感じで過ごしていた。何も考えることなく。それはGWが終わっても続いていた。
「じゃ、彩加」
「うん、また明日ね。八幡」
俺と戸塚はファーストネームで呼び合う仲になっていた。とてもいい。
今日もいつも通りに戸塚の生着替えを堪能してから部室に来た。十分に柔軟と体操をした俺は、ヨガマットを丸めて部室の隅に置き、鞄から本を出して読みだす。時折雪ノ下や由比ヶ浜がちらほら会話するが、基本的には静かなものだ。無為にすぎるこの時間になんの疑問も抱かなくなってしまったのはいいことなのか悪いことなのか俺にはわからない。ただ、この時間が嫌いではないことは確かだった。雪ノ下はいつものように本を読んでおり、由比ヶ浜もケータイを弄っていたが、やがて鞄から文庫本を出し読み始めた。
「ねえゆきのん、この漢字読めないんだけど」
由比ヶ浜も部活では本を読む時間が増えた。慣れないことをしているはずだが、いやな顔ひとつ見せずに部室に来ている。
と、ドアがごつごつと音を立てて揺れた。ここの戸をノックする人間など奉仕部に悩み相談する人間しかいない。そして奉仕部に悩み相談する人間など材木座くらいしかいない、悲しいことに。由比ヶ浜も俺と同様の結論を導き出したようで、うげっといやな顔をした。
「どうぞ」
雪ノ下はそんな由比ヶ浜を構わずにノックに返事をした。
あの野郎、今日も相変わらずラノベの設定談議に来たか。そう思っていたが、戸を開けたのは意外な人物だった。由比ヶ浜も俺と同様の考えのようで(二回目)、入ってきた人間に声をかけた。
「あれっ、大和くんじゃん。どったの?」
「あ、由比ヶ浜?なんか部活入ったつってたけど、ここか」
頭をぶつけないように首を傾げながら入った来たのはラグビー部の大和だった。でかい。身長は185センチはある。ヤクザになってから再会した時は、背は191だと言っていた。ここからまだ伸びるというわけだ。ちょっとわけてくれよ。
大井も194センチあったので、皆戸一家の親分──あのおっさんも182、3はあった──が大井と大和を連れて歩くとたいそう目立ったものだ。
「知り合いかしら」
「うん。同じクラスの大和くん。ラグビーやっててこんないかついけど、おっとりしてて聞き上手なんだよ」
怪訝な貌をした雪ノ下の問いに由比ヶ浜が答えた。
折角でかい図体を持っているくせに押し出しが弱く流されがち、というのが俺の評価だ。ものは言いようである。
「図体はでかいけど、別にいかつくはないだろ」
「ごめんごめん。でも最近なんていうか、迫力っていうか、貫禄あるよね!」
「老け顔ってことか?」
「そ、そういうんじゃないし」
「三浦にいっとこ。由比ヶ浜に侮辱されたって」
「なんで優美子が出てくるし!」
母親に些細な悪事を告げるぞと脅された小学生のように戸惑う由比ヶ浜を見ていた雪ノ下が口を挟んだ。
「それで、大和くん……かしら。奉仕部に来たということは、何か悩みがあって、それの相談ということよね」
「ああ、相談にきたんだ。つっても悩んでるわけじゃないが」
「どゆこと?」
由比ヶ浜があほみたいな貌をしていると大和は俺の方を向いて言った。だが微妙に目を合わせてこない。視線は俺の鼻か眉間に向いている。面接のHow to動画で『相手を目を合わせられない時はどこを見ればいいか』を実践しているような視線だ。
「比企谷くんは職場見学誰と行くか決めたかい?」
「……いや」
「ちょうどよかった。俺といっしょに行ってくれないかな」
「俺はいいけど。でも職場見学は三人一組だろ。あとの一人はどうすんだ。葉山か?」
「葉山は戸部大岡と行くだろ。あとの一人は任せるよ」
「じゃあ戸塚で。戸塚にしよう。戸塚だ」
俺が食い気味に戸塚の名前を出すと由比ヶ浜が「あのさ」と口を挟んできた。なんだか言い淀んでいる。目で促した。
「大和くんが職場見学でヒッキー誘いにきたのって、もしかして、アレのせい?」
「それのせいちゃあそうだし、違うっちゃあ違う」
2-Fの二人が指示語で会話していると雪の下が俺を見てきた。2-Fトークならお前が説明しろと目で言っている。2-Fの流行が俺にわかるわけないだろ!いい加減にしろ!(半ギレ)
「由比ヶ浜さん、二人だけであれそれと言われても理解できないのだけれど。説明してもらえるかしら」
しびれを切らした雪ノ下が由比ヶ浜が問いかけるが、由比ヶ浜は口ごもりながら大和をちらちら見るだけだった。
「いいよ別に。相談に来たのは俺だし、この際説明しとくか」
大和はケータイのメール画面を開き、説明を始めた──先週末から2-Fでチェーンメールが何通か出回っている。その内容は大和・大岡・戸部といった、普段葉山とつるんでいる三人を誹謗中傷したものが多い。学校の裏サイト的な掲示板にも三人の悪口が書かれている、ということだった。
「これがなんで職場見学に関係あるんだよ」
「……職場見学のグループ決めのタイミングで流れ始めた、ということね」
俺の問いに雪ノ下が答えた。由比ヶ浜も続けて言う。
「ほら、普段大和くんたち四人いっしょにいるじゃん」
「あーそーゆーことね。完全に理解した(わかってない)」
俺が腕を組んで横柄に頷くと雪ノ下が道端に転がる乾いた犬の糞を見るような眼で見てきた。そこでまた戸がノックされた。紳士的にこん、こん、こんと三回鳴った。雪ノ下が促すと葉山が入ってきた。
「お、葉山」
「ん?大和?なんで……」
葉山が奉仕部に来た理由はまさに大和たちについて書かれたチェーンメールについての相談だった。これをやめさせたい──葉山はそう言った。雪ノ下は不快感を露わに、由比ヶ浜は陰鬱そうに葉山の言葉を聞いていた。当の大和は自分の用件が済んだからか、どうでもよさげだった。
「このような人を貶めるため以外の何物でもない最低な行為をする人間は特定して叩き潰すべきよ。目には目を。歯には歯をよ」
雪ノ下が攻撃的な意見を述べる。だがそもそも"目には目を、歯には歯を"は、本来なら「罪に罰を与えるなら同程度の報いでなければならない、或いは対価を受け取る」というというものであり、やられたらキッチリぶっ殺せという意味ではない。雪ノ下もこんな誤用をするのか。ドヤ顔で指摘してやりたくなった。
「でも、これ、多分とべっちか大岡くんだと思う……」
「ちょ、結衣なにを言ってるんだよ。なんで戸部や大岡がこんなことを」
「だって、ほら……三人一組でハブられるのが自分だったらって思ったら、その、結構きついよ」
あーそーゆーことね。完全に理解した。今度こそ。葉山の腰巾着の誰かが自分以外の誰かを蹴落とすために悪評を垂れ流した、由比ヶ浜はそう言っているのだ。そして犯人は自分が怪しまれないように三人全員を貶めている。そんなところか。だが……。
「いや、戸部も大岡もこんなことせんだろ」
黙って聞いていた大和が口を開いた。大和は俺と同じ推論を葉山に聞かせ、その上で続けた。
「戸部は葉山が嫌がることはしたがらんし、大岡はアホだからなんも考えてない。そして俺もそこまでして葉山の腰巾着するつもりもない。別の誰かだろ」
腰巾着の自覚あったのかお前。だがそこで雪ノ下が噛みついた。
「では一体だれが犯人だと言うのかしら。他にこんなことをする理由がある人間がいるというの」
「いくらでもいるさ。葉山を目の上のたんこぶくらいに思ってるやつなんてよ」
「え?お、俺?」
友達が悪口を言われていたはずなのに、突然自分に悪意が向けられていると言われた葉山がたじろぐ。
「葉山の悪評バラまいたところで誰も信じないし、犯人探しをするやつだって出てくるかもしれない。でもとりまきの俺たち三人をけなしても、俺らの名誉のために犯人探しするやつなんていない。でも友達をけなされた葉山は気分を害する。手軽にささやかな嫌がらせができるだろ」
葉山は小さく「そんな……」と言って俯いた。俺が思ったのはそれだ。葉山に嫌がらせをしたい奴は一人や二人ではないだろう。しかし大和、お前それ自分で言ってて悲しくならんか。
雪ノ下は納得がいったらしく「人気者は大変ね」と嫌みたらしく言った。お前が犯人じゃねえだろうな……。
* * *
屋上。
俺と大和は部活に戻っていく葉山を見送った。葉山は自分のせいで友達が悪意に晒されてしまったとしょげてしまい、俺たち二人は葉山を人目につかない屋上で慰めていたのだ(海老名的な意味では無い)。ってかなんで俺が葉山のためにこんなことせんといかんのだ。
「ハハ……雪ノ下の嬢ちゃんも言ってたけど、人気者は大変ですねえ」
突然の敬語。
俺が視線を向けると大和は懐から煙草をとり出し、咥えた。緑色の箱にネイティブアメリカンの男らしきものが描かれている。アメスピのメンソール。大和は煙草を左の内ポケットにしまうと右の内ポケットからマッチ箱を取り出し、それで煙草に火を点けた。俺の視線を受けた大和は煙を吐いてから言った。
「吸いますか?比企谷さんもアメスピ吸ってましたよね」
「俺はターコイズしか吸わん。たまにペリックも吸ったが」
俺は電子タバコをとり出し、咥えた。
「……不意をついたつもりだったんですけど、驚きませんね」
「マスオさんみてーな驚き方が見たいならやるぜ」
大和は肩をすくめた。
実際は口からキンタマが飛び出そうな程驚いたが、それを表に出す俺でもない。大井のような人間離れした暴力も、渋沢のような多くを先々まで考えられる脳味噌も持ってない俺は、ハッタリだけでもうまいことできなければならかった。暴力と頭脳が1.5流でも、看板とハッタリが一流であれば極道としてやっていけるというのが俺の経験則だった。死んだけど。
「お前はどうなんだよ。どうしてわかった?」
「わかったと言うと正確じゃないんですけど。俺の記憶では
「ほーう、そうか」
えらそうに言って煙を吐いたが、脳が停止している。訊くべきこと話すべきことが色々あるのだが、考えがまとまらない。
「俺は総長を自宅に送ってくときに銃撃されたんですけど、比企谷さんも死んだ感じですかね、やっぱ」
「ああ。飯食ったら手榴弾も喰らった」
「……なんですか、それ」
「俺が訊きてえよバカヤロー」
「そもそもなんで高校生になってんですかね」
「俺が訊きてえつってんだろ」
大和も満足のいく答が返ってくるとは思って無かったようで、落胆する素振りも見せずに遠くを眺めている。
「どーすりゃいいんですかね。これから……」
「好きにすりゃいいだろ。お前、いつだって好きでヤクザになったんじゃねえってツラしてたろ」
「それはそうなんですけど。でも自分の今までを無かったことにするっていうのも。キツいはキツかったけど、俺の人生でしたよ」
「それは俺もだよ」
「ですよね」
大和は携帯灰皿を取り出し、話している間に短くなった煙草を入れた。大和がもう一本吸おうとしたので、一吸いするまで待ってから俺は言った。
「ってかなんで敬語なんだよ。今となっちゃあ組も大井も関係無いだろ」
「酒や煙草と一緒ですよ。今更ぽんと変えられるもんでも……。さっき言ったように、全部無かったことにする踏ん切りもつかないので」
「そうだとしても俺みたいなヒョロガキに舐めたクチ効かれるのなんて癪だろう。その気になれば今の俺なんてパパッとぶち殺せるだろ」
鍛え始めたとはいえ、この身体はスタートが骨と皮しかないような小僧だ。人の痛めつけ方は覚えているが、でかいやつと正面から喧嘩するには些か貧相すぎる。
「まさか。正直今だってビビってます。新宿で八斬にビビらないのなんて頭の弱い勘違い野郎だけです。フィジカルどうこうじゃないんですよ、ヤクザも外人もあんたにビビってたのは。さっきその気になればって言いましたけど、いくらヤクザでも人を殺すのなんて簡単なことじゃないですよ。ましてや俺一人じゃ死体の始末もできんでしょう」
「そういや、お前が俺と付き合いだしたのはお前が死体の処分に困ったのが発端だったな」
「ああ……大井の兄貴に泣きついたら、信用できるやつを向かわせるつって比企谷さんが来たんでしたね」
「……なんで高校でお前と昔話してんだよ」
大井や渋沢が死体や道具の処分に困った時は俺が手伝ってやることがあった。極道ならそんくらい余所の組の人間に頼らずに自分でうまいことしろと思うが。大和のときも大井から連絡を受けて行動した。
しかし大和の口ぶりからすると俺はヤクザとしても過激な部類だったらしい。単に大和がパッとしないからなおさらそう見えていただけかもしれないが。
「やっぱ一本くれ」
大和は黙って煙草を一本差し出した。俺が煙草を咥えると大和はマッチで火を点けた。
深く吸いこむとくらっとした。それは清い身体にニコチンを入れたせいなのか、自分は陽のあたる場所にいるべきではない人間だと認識したからなのか。考えてもわからかった。
活動報告書いたんですけど、匿名垢だと見れないんですね。
仕事の都合で東南アジアの辺りに行く羽目になったので帰国するまで更新停止にします。
多分年内には帰れるはずです。
お待たせしてしまって申し訳ないですが何卒。