帰宅した。
長い一日だった。
訳がわからない一日だった。
とにかく、俺は高校二年の春から人生をやり直すことになった。判っているのはそれだけだ。
どこに何があるかも覚えてない、勝手のわからない実家をキョロキョロしながら歩き回るとふてぶてしい顔をした猫と目が合った。遥か昔、実家で飼っていた猫だ。唐突に思い出した。
「カマクラ?おおカマクラ!カマクラ!」
変なテンションになり抱き上げるべく近付くとぴょんと移動し、逃げられてしまった。猫を追おうとすると視界の端に中学生の妹が映り込んできた。
「お兄ちゃんお帰り。遅かったね、寄り道でもしてたの?」
「小町!おお小町!ただいま!」
20年ぶりにシスコンの血が騒いだ。そうだ、俺はシスコンだった。
「……!?お兄ちゃん、テンションおかしくない?」
「そんなことは無い」
真顔で答えた。
俺の妹の小町。朝にも会ったがやはり若い。俺が高二なら中三のはずだ。
しかし小町にも指摘されたがテンションがおかしいのは自分でもわかる。それは20年ぶりの実家に興奮しているのか、高校生として生き返ったことに興奮しているのか、ワケがわからなくなって気が狂いそうになっているのか、いまいち自分では判りかねた。
「小町、親父の車のキーってどこににあったっけ?」
「リビングの鏡台の引き出しじゃん。いきなりどしたの」
「いやちょっとな。サンキュ」
自室に戻り鞄を放った俺は、適当に着替えてから自分の机を漁った。手を付けずに貯めていたであろうお年玉らしきものを発見し、万札を数枚持って部屋から出た。
リビングで車のキーを見つけ出し、父親の車に乗り込みエンジンをかける。車のナビを弄っていると、玄関から叫ぶ小町がバックミラーに映ったが構わず車を出した。
俺の記憶が正しければ父親も母親もいつも帰りは遅い。親が帰ってくる前にチャッチャと買い物を済ませて帰ればいい。免許なんて持っている歳ではないが、横着な運転をしなければそうそう捕まるものでもないだろう。
小さなホームセンターに向けて車を走らす。幕張のイオンや大型ホームセンターにでもいけば目当てのものを一通り揃えられそうだが、駐車場で警備員に見咎められても鬱陶しい。多少移動回数が増えても人の目が少ないルートで行動することにしたのだ。
「千葉の街並み、ねえ」
視界を流れていく景色を見やり、一人ごちる。
かつてのホームタウンだが、特に感慨のようなものはない。中高生の自分は千葉っ子を自称していたような気がするが、実際に自分で足を運んだ場所は多くない。「地元最高!沢山の仲間と作った思い出と最高の人生!」なんてものにも縁が無い。友達いなかったし。生まれ育った以外に自分と千葉には繋がりらしい繋がりなどなかったのだと感じた。
かつての高校生活では奉仕部の面々とあちこち行ったはずだが、記憶もおぼろげだ。今となっては
「馳嶺組か……」
言いながらかつての兄弟分を思い出す。二年前にゴロツキと揉めて殺された
俺は仙真会の四次団体組員、大井は
「ククっ、なんかもう懐かしいじゃねえか」
鬱病患者のように独り言を延々と吐いていたらカーナビが目的地が近いことを知らせた。
最初の目的地であるホームセンターでは大きめの姿見とクッションと色の薄い安っぽいサングラスを買った。早速サングラスをかけ、続いてスポーツ用品店に行き重りを交換できるタイプのダンベルを買い、コンビニに寄ってから帰宅することにした。
改めて見ると、なかなか悪くない一軒家だった。何年ローンを組んだか知らないが、土地の安いクソ田舎でもないのにこんなもん建てて、父親は結構たいしたもんだ。
「お兄ちゃん!急になにしてんの!」
「ああちょっとな」
「いやいや、ちょっとじゃないよ!」
帰宅早々小町に詰め寄られた。まあそりゃそうか。
「悪い悪い。もうしないからさ。これ食って落ちつけよ。親父たちには内緒な」
「えっ、いやこんなもので小町は……、うぐっ」
コンビニで買ったプリンとアイスを押し付け反論を封じ、買った物を順次部屋に運び込んだ。
姿見の前で服を脱ぎパンツ一丁になり、自分の身体をまじまじと見る。おそろしく貧相だ。空手は勿論、かじっただけの格闘技も自分のフィジカルに合わせて、理屈として噛み砕いた上で反復練習をして身体に覚え込ませていた。こんな身体では見た目だけで舐められるし、暴力を有効に機能させることもできない。
第二の人生をどう過ごすかはまだ決められない。どんな生き方をするにしろ、当面はフィジカルの増強だ。俺は刀傷や弾痕は勿論、刺青も入っていないきれいな身体を見ながら鍛えることを決めた。桃園をバックにした関雲長の刺青、気に入ってたんだけどな……。
その後、小町が晩飯を作ってくれたが、理由をつけて時間をずらして一人で食い、身体を動かしてから風呂に入り、自室で柔軟体操をしていた。そのタイミングで母親が帰宅し、ちょっと後で父親も帰宅してきたが、俺は自室から出ることもなく顔も見せなかった。いろいろ考えだすと、両親にも小町にもどうやって接すればいいのか判らなくなった。
俺はぶっ壊れそうな脳味噌を休めるべく、柔軟が終わったらとっととベッドに潜りこんだ。
馴染みの無いはずのベッドだったが、驚くほど馴染んでおり、すぐ眠りに落ちた。
* * *
高校生活二日目の朝。
筋トレした翌朝から筋肉痛を感じる。これが若いということか。
筋肉痛のメカニズム的には筋肉痛が遅くやってくる直接的な原因は加齢のせいではないらしい。加齢により基礎体力が低下することにより、筋繊維に十分な損傷を与える前に疲労してしまい運動を終了してしまう。その後に訪れる筋繊維を回復するタイミングの炎症を筋肉痛と認識する。これが遅れてやってくる筋肉痛の正体らしい。
ほんとかよ。
昨日は筋トレらしい筋トレなんざしていいない。柔軟体操とウォームアップだけで全身が悲鳴を上げて動かせなくなった。そもそも柔軟すらまともにできないほど体が固かった。若い頃の俺はこんなクソ身体でどうやって生きていたんだ。
十分に柔軟体操をしてから小町と朝食をとる。プロテインと亜鉛が欲しいな。今日の帰りに買ってくるか。そもそもサプリメント以前に食事の方が肝要だ。小町の作る食事も栄養バランスの考えられたものだが、筋肉を増強していく上ではもう少し構成を考えたい。
「小町。飯の当番を分担しないか」
「いきなりどしたの、お兄ちゃん」
小町はきょとんして訊き返してきた。
「お前も今年から受験生だろ。負担を減らせればと思ってな」
「ごみいちゃんであるお兄ちゃんがいきなりまともな人間みたいなこと言い出すから小町びっくりだよ。気持ちはありがたいけどお兄ちゃんの料理はな~~。その、アレじゃん」
「嘗めるなよ。本気出したら俺の料理スキルすごいから」
そう、ヤクザになりたての俺は行儀見習いとして白塚組本部で部屋住みをし、更には永弦会本家でも部屋住みを務めたのだ。掃除・炊事・洗濯・気遣い等の家事スキルは過剰なまでに磨き上げられている。カミさんが料理が苦手だったから部屋住みが終わったあとも料理は続けていた。
「それ本気出さない人……っていうか本気出すほどの実力も無い人のセリフなんだけど」
「そこまで言うなら本当の晩飯を見せてやりますよ。今日の晩飯は俺が作るからそこで判断してもらう」
「う~ん、そこまで言うなら…」
飯を食い食器を片づけた俺は、小町を見送ってから自分も着替え、高校に向かった。
* * *
道に迷わず高校に来た俺は、クッションを敷いた自分の席で考える。
何をするべきかではなく、何をしたいかを。
新たな人生を得たならば、新たな人生を歩んでもいいのではないか。
かつての兄弟分や尊敬する兄貴分との関わりを断つことになるが、カタギとして清く正しく生きるのもありではないか。あるいはヤクザなどという警察に睨まれる存在ではなく、フリーのアウトローとして生きるか。もっとも完全に独立独歩のアウトローなどあり得ないが。
まあ、急いで答えを出す必要も無い。考えがまとまるまではこの高校生というモラトリアム期間を楽しめばいい。我ながらずいぶんと呑気な結論を出したものだ。
乳酸が溜まったままの左肩を揉みながら教室内に視線を向ける。
昨日の目標を思い出す。クラスメイトを覚えるという目標を。座席表は手元にあるが全員が自分の席にいるわけではない。そうそう覚えられるものではないが、目立つ奴は覚えられた。
まずは
次は
そして
あと、
記憶をほじくり返しつつ葉山たちを見ていると由比ヶ浜がこちらを見た。目と目が逢う。頭の中で如月千早の持ち歌が流れ出したが、すぐに目を逸らされた。
入学初日の事故のことであいつが俺を気にし続けていることは知っている。義理固いやつだ。由比ヶ浜自身を助けたわけでもないのにそこまで恩義を感じるのも大したもんだ。自作自演クソ野郎に騙されたりしないで欲しい。
一日の授業が終わり、帰るべく廊下に出ると平塚先生が待ち構えていた。
「比企谷。部活の時間だ」
帰らせろよ。筋トレと空手の鍛錬が俺には必要なのだ。無視して横を通ろうとしたらとんできたボディブローを中段受けで払おうとすると、突如として回転を加え、ガードをぶち抜いて腹に叩きこんできた。
「はうっ」
タフのかませ犬のようなみっともない声をあげ、壁によりかかる。
「おっとすまん、つい腰を入れて打ってしまった」
「ついじゃねえよ」
抗議と怒りを込めてねめつけると彼女は目を丸くした。
俺が出るとこ出たらクビだろうに。どんな神経してんだこの教師は。
「行くぞ」
そう言うと彼女は右手で俺の左手をとり歩き出した。やわらかくてあたたかい。今日は帰ったら手を洗わずに左手でシコろう。
「さっきはすまなかったな。君が私の拳に反応できるとは思わなかったのでつい」
「つい、であそこから捻りを加えられるんだからたいしたもんですわ」
「そ、そうか」
申し訳程度の謝罪に対し、適当に褒め返すとまんざらでもなさそうに頬が緩んだ。こんなんでも嬉しいとか普段どんだけ褒められてないんだこの人。
「先生ってなんかやってんですか」
「なんかってなんだ」
「格闘技とか。細いけど鍛えてるみたいだし、さっきのパンチもですけど血の気が多いだけの女子が打てるもんじゃないでしょ」
女子と言われたことに機嫌をよくしたのか、血の気が多いという言葉をスルーして彼女は笑顔になった。
「ま、まあな。こう見えても格闘技が好きでな」
こう見えてもってなんだ。黒髪ロングではあるが、奥ゆかしい大和撫子には到底見えんぞ。
「なるほど。じゃあ今度組手でもしてもらえませんか?」
「組手?」
「最近空手を始めたんですよ。貧相にも程があるんでね。身体を鍛えようと思って」
「なんだ比企谷。いつの間に空手を始めたんだ?もしかして空手部に入りたかったりたか?」
「いや、そういう形で空手をやる気はないですね」
「?」
俺は空手家でも武道家でもなければスポーツマンでもない。喧嘩の道具として空手を使っていただけだ。その割にはくそまじめに20年近く研鑽を積んだものだ。
「しかし空手か!空手はいいゾ~~。流派にもよるが基礎の型で多くの状況に対応できる。まず型といえば──」
何故か、上機嫌になって喋り出した。かつてラーメン屋についてメールのやり取りをした時のことを思い出す。この人は自分の興味のある話題になると止まらない。
平塚先生の講釈を聞いているうちに部室の前についた。
「じゃ、部活なんで」
「あ、ああ」
平塚女史の言葉を遮り、軽くノックし「はいるぞ」と言いながら戸を引いた。
怪訝な表情を向ける雪ノ下雪乃と目が合う。なんにしろ奉仕部に入るところからやり直す羽目になっているのだ。俺が向き合うべきは雪ノ下雪乃と奉仕部であり、そこから離れるべきではない。なんとなくそう思った。知らんけど。