二日目の部活動。二回目の奉仕部。
部室の中では、昨日と同じように雪ノ下が本を読んでいた。
「早いんだな」
俺が声をかけるとちらりと視線を向けたが、また本に視線を戻した。無視!まあいいけど。
昨日座った椅子に腰かけ、鞄から昨日読まなかった週刊誌を取り出す。
『五代目仙真会、本格始動!傘下62団体、新体制の内幕に迫る!』
これがこの週刊誌の今回の号の目玉記事だ。
『日本のヤクザ人口二万人。そのうち一万人を擁する日本最大のヤクザ組織、仙真会。本拠は兵庫県神戸市。
仙真会の五代目会長に就任した
五代目仙真会の若頭は大阪市に本拠を構える四代目
仙真会一万人のうち半数を二つの組で占めており、日本のヤクザ社会の覇権争いは実質的にはこの二団体で行われていると言っても過言ではない』
「漢字が多いな…」
今の俺はどこの組員でもない素っカタギの高校生だが、おとといまでヤクザやって生きてきたのだ。なんとなく気になってこんな週刊誌を買ったが、読み進めても特に興味深い情報は無かった。俺のいた時代ではヤクザの数はこれの半分程度になっていたが、形を変えて悪さをしているだけだ。しかしこういうヤクザ記事を書く時、ライターはどんな顔をして書いているんだろう。どうでもいい疑問が湧いた。
「比企谷くん、暴力団なんかに興味があるの?」
突然雪ノ下に声をかけられた。
「えっ」
雪ノ下が週刊誌に食いついてくるとは思っていなかったのでタフの雑魚モブ(終盤の鬼龍含む)みたいな声を出してしまった。というか俺が読んでるものなんて興味も向けないと思っていた。
「そんな週刊誌なんて読んで。暴力団員にでもなるつもりなの?悪ぶるのは目付きだけにしなさい」
「目付きは関係ねえだろ。目付きは。別に悪ぶってもないからな。週刊誌のヤクザ記事読むやつみんながみんなヤクザってわけじゃねえし。それにヤクザ関連以外にも記事はあるぞ」
「そう……。比企谷くんが暴力団員になるなんて言い出さなくて安心したわ。先生に貴方の孤独体質を更生させなさいと言われた翌日に犯罪者になるなんて言われたら、もうお手上げだったわ。このご時世にあんなものになる人間のことなんて理解できないもの」
まっ、おとといまでバリバリのヤクザだったんですけどね!
「ずいぶんヤクザを嫌うじゃねえか」
「暴力団を好む人間なんていないでしょう」
雪ノ下は不快感を隠さずに答えた。こいつの親は建設業を営んでいるし地方議員でもある。現実的に建設業者とヤクザは切っても切れない関係にある。彼女の父親はどうか知らないが、ヤクザを使う議員だっている。彼女も馬鹿ではないし、何かしら思うところはあったのだろう。
俺は記憶を辿る。
雪ノ下建設は千葉を代表する企業の一つではあるが、それ以上でも以下でもない準大手未満中堅以上のゼネコンだ。暴対法や暴力団排除条例が施行されるまでは、経営陣や社員にヤクザを使って業務を円滑に進めようとする者がいたとしてもおかしくはない。
社内に直接ヤクザを走らすような人間がいなくとも、土地開発や解体・建設工事にはヤクザやフロントがまとわりつく。フロントを通して案件に食い込みカスリを取ろうという連中もいれば、食い詰めた半堅気に工事の振動や騒音で被害を被ったと役所を通して難癖をつけさせ、工期の遅れをたてに強請りタカリをする連中もいる。
俺がいっぱしのヤクザになる時代にはめっきり減っていたが、「毒をもって毒を制す」の理論で他のヤクザを使って嫌がらせをするヤクザを抑えることもあった。その場合にヤクザを使うのはゼネコンではなく、下請けの解体業者や工務店が仲介人を通して行う。なので仮にヤクザの関与が発覚してもゼネコンの関知するところではない、という図式だった。勿論最終的には「近隣対策費」等の名目で請求が上がるので、ゼネコンがヤクザに金を払っていることになるのだが。
法や条例が厳しくなってもあの手この手でヤクザはまとわりつくし、ヤクザの暴威に価値を見出す人間も無くならない。
実際ヤクザである俺自身、彼女の姉である雪ノ下
雪ノ下陽乃は大学卒業後、米国の大学院に進学しなんかようわからん博士号をとり帰国。その後国内最大手級ゼネコンに就職。8年勤務したのち国内最大手級デベロッパーに転職。そこでの勤務5年目のタイミングで、雪ノ下建設の資材調達部門が建材・鋼材をメインに扱う商社として分社し、そこに入社。雪ノ下建設の跡継ぎ候補としてキャリアを積んでいた。
俺が雪ノ下陽乃と再会し、関係を持ち出したのは最初の懲役を終えた24歳の頃。雪ノ下陽乃がゼネコンに勤務していた時だ。俺と雪ノ下陽乃は、暴排条例にあるような『暴力団の威力を利用することにより利益を供与』や『暴力団の活動を助長し資する』といったものとは違う形の付き合いをしていた。俺はただ雪ノ下陽乃の目的に助力し、彼女もそんな俺のために色々と融通していた。
そんな未来を雪ノ下雪乃が知ったらどんな反応をするだろうか。考えたらなんだか楽しくなってきた。雪乃ちゃ~~ん、君のお姉ちゃんは密接交際者の類だよ~~。
「いきなりニヤニヤしてどうしたの。通報したいのだけれどいいかしら不気味谷くん」
「警察はやめろ警察は」
「貴方本当になんなの……」
なんなのと言われても困る。訊きたいのは俺なのだ。なにも無い天井に視線をやる。
「なんなんだろうな、俺は」
昨日から何度も何度も考えたものを、改めて言葉にした。
女房と娘は出ていき、友は死に、それでも生きてきた。失い、奪われるだけの人生なのだと諦めるつもりはなかった。俺が奪う側に回るのだと、他のなにかを掴むために気を吐いてきた。俺には俺の意地があった。俺は自分の意志を証明し続ける必要があった。肉体を鍛え続けたし、金を稼ぐためにいろんなことをやり続けた。
だが俺の意志も、必死で稼いだ金もなんのためだったか。目的はどこにいってしまったのか。
結果、死んだ。おそらく死んだ。その挙句がこれだ。積み重ねたものを、人生すら失ったのだ。強くてニューゲームなんてものはなく、すべてを失った男と化してしまった。かつての人生で自分を衝き動かしていた怒りも憎悪も、最早俺の内には無い。
生きる理由が無い。
「いきなり人生相談?貴方という人間を語れる程の付き合いがあったかしら」
「ちげえよ。てかされてもビビるわ」
「そう?貴方高校生とは思えない目の濁り方をしているもの。なにかつらいことがあって思い悩んでいるのかと思ったわ」
つらいしなやんでます。
だが、自殺する程に思い悩みもしているわけではない。今後も考え続けるし悩み続けるだろう。だがそれでも精神を病むことはないだろうし、自殺だってしないだろう。今までだって自殺を選択肢に入れたことは無い。自殺した人間が何を考えていたのかも考えたことが無い。考えないようにしてきた。
俺は雪ノ下を見やる。
「どうしたの?」
首をかしげられた。その辺のうす汚いバカ女がやったら殴りたくなるような動作だが、いちいち可愛らしい。造形が整って生まれると羨ましいですね。
「いや別に……」
「そう」
それだけ言うと彼女は興味無さげに文庫本に視線を戻した。
妙に攻撃的でつっけんどんだった昨日とは随分勝手が違う。優しいとは到底言えないが攻撃性は控えめに感じる。独りでいた空間に俺という人間が入ってきて意識するところでもあったのだろうか。
おいおい!ちょっと優しくされただけで(されてない)こんなに気になってしまうなんて、思春期の少年みたいじゃないか!いや、肉体的には思春期の少年か。精神が肉体に引っ張られているのだろうか。
高校生の時に雪ノ下に優しくされていたらコロッと惚れてしまっていたかもしれない。優しくされてなくてヨカッター。俺みたいな奴が雪ノ下に惚れても絶対幸せになれないし相手を幸せにできてもいないぞ。てかなんだこの思考。幸せにできないも何も告白しても絶対振られてるだろ、嗤える。
つっても雪ノ下以外の人間と一緒にいても結局幸せになれなかったし幸せにできなかったんですけど。マジでなんだったんだ俺は。
前言撤回。鬱って死にそう。
「比企谷くん本当に大丈夫?顔色が悪いのだけれど?」
「は、マジか」
思わず頬にぴしゃりと手をやる。
「具合が悪いなら帰っても構わないわ。無理して悪化でもしたら大変だし」
16歳の女子高生に心配されるとはなんと無様なアラフォーヤクザか。しかしメンヘラ女子ばりに情緒不安定なのも事実だ。女子高生との会話で、よりにもよって雪ノ下雪乃との会話で俺が自殺目前メンヘラ女子になってしまうとはね……。女子ではないか。そもそも会話してない。俺が勝手に参っているだけだ。
「悪いな。お言葉に甘えて帰るわ。ゆっくり休む」
週刊誌を鞄にねじ込んで立ち上がった。帰って筋トレをしよう。セロトニンを分泌させて寝よう。
教室から出て、戸を閉めようとする。その時俺を見る雪ノ下が目に入った。俺を心配するような、不安がるような顔をしていた。別にマジで死にはしねえよ、多分。
しかしたいして親しくもなっていない人間の為にあんな表情をするような女の子だったのか。かつては依存し合っていると雪ノ下陽乃に指摘されるような関係だったはずだが、それでも知らんことが多いものだ。依存していたとは言っても、他人なのだ。家族とは違う。
いや、家族でも何もかもを知り尽くしているわけじゃないけど。別れた女房も愛人も……。
また気が滅入ってきた。何を考えてもロクなことにならなさそうだ。
俺は最短距離で帰った。
晩飯を作らずにベッドに潜りこんだ。
許せ、小町。