トータル・イクリプス ファーイースタンフロント 作:ロートシルト男爵
裏の顔はともかくナタリーかわいいよねナタリー。
アラスカ州 国連軍ユーコン基地
「あらいらっしゃい。君は…新顔だね。どこから来たの?」
「初見となる。俺はイサーク・ローゼンフェルド少佐。ソ連軍の衛士だ」
ユーコン基地の民間人居住区の一角。本来ソ連軍の兵士は立ち入り禁止だという事は事前に聞いていたものの、今日の模擬戦での緊張を和らげ、年端もいかぬ少女に負けた悔しさ、そしてサンダークに思い出さされた嫌な思い出を忘れるにはやはり酒だと辿り着いたバーで俺を迎えたのは、若い白人女性——長い亜麻色の髪とソバカスが特徴的なお仕着せを着込んだ若い女だった。
「はじめまして。私はナタリー・デュクレール。カナダ育ちのフランス人。この店のバーテン兼ウエイターよ」
「なるほど、ナタリーか、覚えておこう」
「何か飲む?何でもあるわよ。ここは国連軍の基地だからね…バーボンにテキーラ、フランスワイン、アクアビット、グラッパ、それにウォッカも」
「そうだな…折角だ。適当にウォッカでもいただこう」
ナタリーは背後の棚に手を伸ばし、青い瓶のアメリカ製ウォッカを手に取ると、冷やし過ぎて霜の張り付いたショットグラスに注ぎ、
よし…これでいい。
出されたウォッカはおそらく西側ではカクテルの割り材——我らソ連人の中でも保守的な者ならば断じてウォッカと呼べないようなシロモノであるが、それでも前線の衛士が出征前の景気付けに呷っていたような航空用メチルエタノールに比べれば十分マシだ。
俺は軽く息を吐いてから上を向き、グラスの中身を口の上でひっくり返すと呼吸とともにそれを飲み干し、鼻からキツイエタノールの残り香を目の前の美女から香る爽やかな香水の香りを同時に吸い込んだ。
直後、戦術機の操縦で疲れた体の毛細血管の隅々にまでアルコールが巡り、40度の一気飲みに耐えられなかった喉粘膜にヒリヒリした灼熱感、そして頬骨の辺りに軽い熱っぽさを感じた。
「何かつままない?空きっ腹にスピリッツは後が辛いわよ?」
口直しにチェイサーをぐびぐびとやる俺を横目にナタリーが世話を焼いてメニューを持ってくる。
「そうだな…適当に喰えるサンドイッチ的な物を頼む」
「了解。ちょっと待っててね」
ナタリーが厨房の方に消えていくのを目で追った後、俺は店内を見回した。
店内では国連軍の作業服を着た衛士や整備兵達が
「俺達は最前線で戦ってきたというのに後方の国連軍の兵士達は酒場で堂々と賭博か…」と軽蔑の目で彼らを一瞥していたのだが、俺は彼らを見るうち、彼らもまた我々と同じように祖国を喪い、その悲しみや明日への恐怖を紛らわしているのではないかと考えるようになっていった。
その点では、カムチャッカでドゥラークに興じ、酒を飲み交わし騒いでいた自分の同期や部下達と彼らの間に、何の違いも見られまい。
「お待たせ。アラスカ産キングサーモンのベーグルサンドよ」
ナタリーがカウンター越しにベーグルとフレンチフライの載った皿を出す。
思わず手に取り、齧り付く。
焼く前に茹でたモチモチとした生地の歯触り、上下にカットされた生地の断面に塗られたクリームチーズの酸味、その上の
俺は気付いた時には目の前のベーグルを平らげていた。
「……旨かった。
「あら、気に入って頂いて嬉しいわ。最近ではニューヨーカーにも人気だって聞いてうちでも出してみたら好評なのよ。このサンド」
「確かに…栄養価も高いし味も悪くない、それに食材もコシェルにも反しない……悪くない組み合わせだ」
「あら、やっぱり
「今はソ連軍の衛士だがな。どこか引っかかる言い方だが、気遣いには素直に感謝しておこう」
乳製品と肉を組み合わせた料理、タコや牡蠣など鱗のない海産物、反芻せず蹄の分かれていない獣の肉はユダヤ教では「不浄な食物」として律法で食べてはならないとされている。
故に
だがそれはBETAに侵されず、農業の面でも恵まれたアメリカでの話。
俺たちソ連に住むユダヤ人に与えられるのはさしずめ合成肉の
まぁ両親はともかく俺は世俗的な人間だし、そうあることが良きソ連人として人口大多数のロシア人と打ち解ける術と理解しているから戒律が守れなくてもそれはそれで諦めているが…。
御託は置いておこう。とりあえず塩辛くなった口内を潤すべく俺はナタリーに二杯目を頼む。
「いい飲みっぷりね。何かいい事でもあったの?それとも逆?」
「どう取ってもらっても構わんさ」
「そう…詮索はしないわ。だけどあんまり飲むと明日が辛いわよ?」
「明日は土曜、休日だ。モーセ曰く『6日のあいだ働いてあなたのすべての仕事をせよ。7日目はあなたの神、主の安息であるから、何の仕事をもしてはならない』。
「あら、じゃあ休日にBETAが攻めてきたらどうするの?」
「冗談だ。今はどこも戦時体制、休みが欲しいなどという自分勝手は許されないさ。今俺たちが享受している平和は極東で戦う同志達の屍の上にある。だというのに……」
俺はカウンター席の丸椅子を回しつつ振り返り、博打の話でもちきりの国連軍兵士達を侮蔑の目で一瞥した。
「あぁ?なんだぁ?テメェ。何ガンつけてやがる」
ふと目が合った兵士のうち一人——服装からして整備兵だろうか——軽く酔ってるのか軽く伸ばした茶髪と鍛えられた細身の身体を揺らしながらこちらに近づいてきた。
俺はわざとらしく辺りを見回し、カウンターに俺以外いないことを確認する。
「テメェだよテメェ!そこの白髪碧眼!見ねえ顔だな。テメェソ連軍か?」
「……だったらどうした?」
「ちょっと!」
整備兵と目を合わせずにウォッカを啜りつつ冷たく返した俺にナタリーが「相手にしたら駄目よ!」とでも言いたげに声をかける。
「聞いてるぞ?ソ連の軍人はここには立ち入り禁止だって。さっさと兵舎に帰ってマズいボルシチでも食ってろよ」
「おいヘンリク!やめろって‼︎」
屯していた国連軍の兵士のうち長い黒髪——見るからに女好きそうなラテン系の衛士が、ヘンリクと呼ばれた整備兵を諌める。
「うるせぇ
「……ヘンリクといったか……我が国に対して何か腹に一物あるようだな」
「当たり前だ!俺はポーランド人だ。テメェらソ連は俺たちを散々な目に扱った挙句いざ国土が危うくなったら極東へひとっ飛び。お陰で俺たちヨーロッパ人はBETAに国も家族も奪われた……こんなことになったのも全部お前らのせいだからな‼︎」
「…虫のいい話だな」
「何だと?」
「東ドイツが良い例だが……貴様ら東欧諸国は我々ソ連を目の敵にして西側にコケるつもりでいた癖にいざ我々が去れば『何故助けてくれなかったのだ』とこんなアメリカの僻地で安穏としながら俺たちに文句を言う。今こうして貴様らが安酒と博打に興じていられるのは誰のおかげだ?他でもない——ベーリング海の向こうで今もなお必死に戦ってる我が国の人民のお陰だ。お前にはそれが分からないのか?」
「だ、黙れ‼︎侵略国家の分際で!帝政時代からずっとそうだ!都合が悪くなったからって綺麗事で自己正当化すんじゃねえ」
「……侵略でいえばポ・リトアニアのルーシ侵略やポ・ソ戦争を忘れて貰っては困るな」
「……いつの時代の話だよ…」
「いい加減にしなさい!ヘンリク!国籍絡みの議論はここでは禁句でしょ?」
ヘンリクが言い淀んでいると、テーブルの隅から一人の女性衛士が立ち上がった。
所属は国連軍。整った顔立ちとスタイル、伸ばした金髪が特徴的な北欧系の女だ。
「で、でもよ…こいつはロシア人だ!ステラだって分かるだろ!こいつらが今まで何をしてきたか」
「…私だって一スウェーデン人として思うところはあるわよ。でもそれをたまたま居たソ連軍の人に言って何になるの?第一、私たち人類の共通の敵はBETAでしょう?」
「そ、それはそうだが…」
ステラと呼ばれた女性衛士——スウェーデン人の女は女神のように優しく、されど強くヘンリクを諌め、ヘンリクもまた彼女に言われるがままに渋々矛を収めた。
スウェーデン——17世紀、戦の天才である国王カール12世と我らがロマノフ朝のピョートルの間で起きた大北方戦争で争い、惜敗して西欧世界での覇権を失って以来やはり我が国の事を良くは思っていないようだ。
されど、彼女の話には一理ある。俺は国の命令のままに人類共通の敵であるВЕТАを倒せる人材をより多く育成し、
「連れが失礼したわね。私は国連軍アルゴス試験小隊の衛士、ステラ・ブレーメル少尉よ。こっちはヘンリク・ポニャトフスキ曹長。私たちアルゴス小隊の戦術機の整備士よ。お互い鉄のカーテン越しとはいえ、仲良くやりましょう?」
「俺はソ連陸軍イーダル試験小隊のイサーク・ローゼンフェルド少佐だ。ここへは昨日着任した。ブレーメル少尉。よろしく頼む」
「よろしく。ローゼンフェルド少佐。イーダル小隊といえば、例の
「ま…まぁな。結果は…聞かないでくれると助かるが」
「うふっ、その様子じゃ、大体察せたわ。手強いわよね。あの子達…私たちの中にも勝てた者は居ないわ」
「おーいステラー!VGがいじめるー‼︎」
「あら?ちょっと立て込んでるみたいだから失礼するわね、ローゼンフェルド少佐。ついでに紹介しておくわ。あっちの
「よろしく…っておいおいついでかよ」
「ちっちゃいって言うな〜‼︎」
大小の二人の衛士はじゃれ合いながらもこちらに視線を向ける。
「……さっきは済まなかったな。ローゼンフェルド少佐」
気づいたらヘンリクがカウンターで俺の隣に座っていた。
「まぁな、勝手にシマを荒らしたのはこちらの方だ。じき出ていく」
「いや待て、迷惑料だ。一杯奢るよ。おいナタリー!スピリタスのショットを二杯、至急用意してくれ」
「はいはい。一杯だけよ。あなたそれ飲むといっつも潰れるんだから」
ナタリーがやや呆れつつショットグラスにスピリタスを注ぐ。
「あんた、さっきウォッカを旨そうにやってたみたいだが酒はいけるクチみてえだな。ウチの国のウォッカも、ぜひ味わってくれよ」
「いいだろう。ちなみに言っておくとスピリタスはウォッカじゃない。硫酸だ」
「んだって?」
「メンデレーエフ先生も仰ったようにウォッカは40度。これが世界の常識だ。知らないのか?」
「テメェ、うちの国の酒を馬鹿にすんのか?」
「…詫びの一杯じゃなかったのか?」
「あ、ああそうだった。まあとりあえず乾杯だ。酒の席でのアレは酒で濯ごう。
「
ヘンリクと盃を交わし、中身を啜る。
予想通り先ほどのウォッカとは比べ物にならない灼熱感が喉を襲うが、そこは一気飲みでないと男が廃るというもの。
90度のエチルアルコールをゴクリと飲み干した瞬間、俺の視界はグニャリと歪んだ。
余談
「健康の為に(ナズダロヴィエ)という乾杯の合図は波露共通だそうです(露:На здоровье 波:Na zdrowie)
尚登場する酒の銘柄は敢えて伏せていますが青い瓶のアメリカウォッカと言ったら…分かるかなぁ?(自分は嫌いじゃない)
ちなみに筆者スピリタスは飲めません(買ったはいいものの飲みきれずキャンプで燃やした)