※この作品はR-18です。

トータル・イクリプス ファーイースタンフロント   作:ロートシルト男爵

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訓練兵に撃たれてしまったイサーク。
その後どうなったのでしょうか?


第6話 図書室にて(フ ビブリアテェーケ)

1997年冬 ソビエト連邦 カムチャッカ半島

 

 

例の事件から数ヶ月後、開腹手術とリハビリを終えた俺に待っていたのは、対BETA戦の要衝——カムチャツカ基地への召還だった。

カムチャツカ——俺の古巣、ジャール大隊の現在の本拠地であり、かつての同期——ラトロワ中佐の住まう地でもある。

 

 

「同志大佐(タヴァリシ パルコーヴニク)、ローゼンフェルド少佐(マヨール ローゼンフェリド)

貴官の命令により出頭しました(パ ヴァーシェム プリカーズ プリビル)」

 

「楽にしたまえ(ハラショー ボーリナ)」

 

形ばかりの敬礼を終え、休めの姿勢を取る俺の前で書類に目を通しているのは、中央戦略開発軍団所属のブドミール・ロゴフスキー大佐。

外見は狡猾そうな老け顔をした老人。

階級を認めない我が国に君臨する、特権階級の一人である。

 

 

「同志少佐。身体の調子は大丈夫かね?」

 

「はい。ハラワタの縫合も上手くいったようで、問題ありません。同志大佐」

 

「ほう、それは良かった。貴官のような教官を失うのは惜しいものでね」

 

 

俺と手元の報告書を交互に見比べつつ、ロゴフスキーは言葉を紡いだ。

 

実際、俺の病状はなかなか危険だったらしい。

ヤーコフの放った5.45mm弾は、西側のAR-15系小銃に影響を受けた小口径弾頭で、74年のAK-74配備に合わせて作られたものである。

従来のAKMで使われた7.62mm弾よりも幾分か口径が小さいためストッピングパワーは弱く射程も短いが、その分反動は低い。

そして凶悪なのはその構造である。

鋼製弾芯(スチール・コア)弾——弾芯後部に空洞を作ることで、対象に当たると貫通せず体内で半回転し、主要臓器を破壊するといった凶悪な代物だ。

勿論闘士(ウォーリア)級や兵士(ソルジャー)級に対しては有効な弾薬の一つであるが、対人用途でもその効力は遺憾無く発揮される。

幸いだったのは肺や肝臓に弾が跳ね返らなかったことか…。

ともかく俺は損傷した腸の一部を摘出し、縫合することにより一命をとりとめた。

 

「身に余るお言葉です。同志大佐。ところでご用件というのは…」

 

 

ロゴフスキーは返答の代わりに一枚の書類を差し出した。

 

「辞令……でありますか?同志大佐」

 

差し出された書簡には「イーダル試験小隊」の文字が刻まれていた。

 

教官の緊急搬送——あれだけの事があったというのに俺に対して下された処分は意外なものだった。

 

「ん?ひょっとして降格か懲戒免職でも受けるとでも思ったのかね?同志カガン」

 

「……その呼び名はよして下さい。同志。不愉快です」

 

「すまないね。私もこの歳になって現場でブイブイ言わせてる若者を見ると、つい揶揄いたくなるものでね…スクリパーチ(バイオリン弾き)と呼んだ方が良かったかね?

 

「…昔の呼び名です。今の私はイサーク・ローゼンフェルド教官。それ以上でもそれ以下でもありません」

 

「よろしい。同志ローゼンフェルド。しかし教官と名乗るのはもうよした方がよろしい」

 

「?」

 

「貴官が眠りこけている間に第108教導団の教官の任は外させてもらった。貴官には悪いとは思ったがね……」

 

「そ、それではあいつら——キールやトーニャ達は——」

 

「安心したまえ。私も人の子だ。アルチョムで何があったかは噂程度には聞いているし、事後処理は『訓練兵の不注意による暴発事故』にしておいた。エフレーモフ訓練兵は現在、無事訓練過程を終えてジャール大隊に配属中だ。面倒見のいいラトロワ中佐のことだ。貴官が心配することは何一つない」

 

「よかった……」

 

俺はホッと胸を撫で下ろした。

 

「しかしカガン——いや、ローゼンフェルド少佐。本件で貴官の日頃の私的制裁に関してはこちらとしても目に余るものがある」

 

 

「……返す言葉もありません…」

 

 

「そこでだ。やり直しはどうかね?同志少佐。アラスカに行って、もう一度衛士を育てるということそのものに関して考え直すのはどうかと。軍上層部はこう考えた訳だ」

 

事実上の左遷……。

 

そんな言葉が頭をよぎる。

 

だが、俺にはこの仕事以外道はない。

こうしてチャンスが与えられただけでも感謝せねばなるまい。

 

「はっ!同志少佐。私はたとえいかなる部隊に配属されても、同地で自身の職務を全うします!」

 

俺は踵を合わせ、右手の指先を制帽の鉢に合わせて敬礼しながら力強く答えた。

 

 

「よろしい。初めてのアラスカ勤務、ぜひ楽しみにしてくれていたまえ」

 

「はっ!」

 

きっと忘れられない思い出になるがね……。

 

 

去り際の俺に、ロゴフスキーがそう呟いたように聞こえたのは気のせいだっただろうか…。

 

 

 

* * * * *

 

 

 

1998年 アラスカ ユーコン基地 ソ連租借地

 

日曜の朝方。

基地内の図書館の一角。

 

俺の座る机の前には2冊の本が平積みにされている。

 

一冊目の背表紙には『Тевье-Молочник』(牛乳屋テヴィエ)。その上には、ソビエト科学アカデミー出版 『История Хазарского Кагана』(ハザール・カガン国の歴史)と書かれている。

 

幼少期より聖書に触れ、ユダヤ人らしく教育熱心な両親のお陰で本が好きだった俺は、このアラスカ基地内にも図書館があると最近知り、是非とも訪れたいと思っていたのだ。

 

 

牛乳屋テヴィエ——ショレム・アレイヘムなるウクライナ出身のユダヤ人劇作家により書かれた、帝政時代末期のユダヤ人家族の生活やポグロムを描いた近代イディッシュ文学の先駆けだ。

後にミュージカル化され、諸外国でも上演されたため最近ではСкрипач на крыше(屋根の上のバイオリン弾き)と言った方が知名度は高いだろう。

尤も主人公のテヴィエがバイオリン弾きな訳ではなく、題名の元ネタとなったのは古代ローマ帝国時代、暴君ネロの大虐殺を受け逃げ惑うユダヤ人達の中、一人逃げず屋根の上でバイオリンを弾き続けた男がいたという逸話だ。

ショレムと同じくユダヤ人だった画家シャガールもまた同様の絵を描いたように、有名な逸話である。

 

 

 

ハザール・カガン国——7世紀から10世紀にかけてウクライナからカフカスにかけて存在したテュルク系ユダヤ教国家。

東方正教会を信ずるビザンツ帝国とイスラームを信ずるアッバース朝に挟まれた経緯からユダヤ教を国教とし、10世紀にキエフ・ルーシ大公スヴャトスラフ1世によって首都イティルを滅ぼされるまで東西交易の要衝として奴隷貿易などで栄えた国だ。

 

俺がこの2冊を手に取った理由。それは過去俺についた渾名に関わるものだ。

 

一つ目の異名——スクリパーチ(バイオリン弾き)に関しては、大体お分かりだろう。

1980年代後半。まだ尉官だった俺はブリヤートの首都ウラン・ウデにて、カザフのエキバストゥズハイヴから東進を続けるBETAの大群と対峙した。

当時最先任だった俺は味方戦術機を一人でも逃がそうとその場で反転し、退路を確保しながら殿を務めた。

部隊にはビロビジャン出身者をはじめオデッサなどから故郷を追われたユダヤ人の衛士も少なからずおり、その姿が例の屋根の上のバイオリン弾きの姿に重なったのだろう。

 

ラザーリ……ソロモン……あの日俺が逃した衛士達はもうこの世には居ない。

皆各々の戦線で命を落としていったようだ。

 

ともかくあの作戦以来、俺は碌にバイオリンも弾けないのにスクリパーチ(バイオリン弾き)になった。

 

 

 

 

2つ目の渾名——可汗(カガン)に関しては非常に不名誉な理由からくる。

 

カガン——テュルク語で皇帝(ツァーリ)を意味し、モンゴル語の汗(ハン)と同根語のこの語を冠する国はかつて多数存在した。

例えば7世紀東洋で鮮卑族により成立し、日本や朝鮮にも仏教や律令体制などの面で様々な文化を伝えた唐は突厥(トルコ)から天可汗(テングリ・カガン)の称号を賜ったし、先に挙げたルーシの宿敵ハザール・カガンもまたその例に当てはまる。

 

弱い奴から容赦なく喰われる衛士としての対BETA戦の実戦を経験し、そして中央権力へのパイプが無ければ落ちる事はあっても決して上へ上がれない我が国の政治体制で過ごす内、俺はいつしか力の論理の信奉者となった。

 

教官となった後もその信条は変わらず、一年前の発砲事件でも見られるように衛士達からの評判は最悪だった。

 

加えて当時の世相を見るに、人口大多数のロシア人が少数民族を保護していた我が国の民族政策は、諸々の共和国そのものの消滅と共に打ち切られた。

 

勿論スターリン時代のウクライナやカザフでの飢餓輸出(ホロドモール)、朝鮮人(カレイツィ)やクリミア・タタール人、ヴォルガ・ドイツ人の中央アジアへの棄民などにも見られるように、かつてニュルンベルクでナチスのホロコーストを非難し多民族の平等を建前としていたソ連が、国土消滅以前からジェノサイドに手を染めていないかと言われれば嘘になるが……。

 

ともかく今のソ連 (我が国)は一言でいえば「分断国家」だ。

 

そして、かつての帝政ロシアやドイツ同様国民が分断されると決まって流行るのは所謂陰謀論。

 

言論統制の厳しい我が国に於いても最近、我々「東欧のアシュケナージは1000年前逃げ延びたハザール・カガン国の残党で、正体は正統なユダヤ人であるセファルディム系とは違う『偽ユダヤ人』」だの「レーニンは実はユダヤ人で、十月革命はポグロムに怒ったユダヤの陰謀」だの挙げ句の果てには「BETAは実はアメリカのユダヤ人科学者が開発し、東側(社会主義)陣営を滅ぼす為に隕石に乗せて宇宙から放った生物兵器だ」などといった恭順派も吃驚の嘘歴史がまことしやかに囁かれた。

 

まず、テュルク語とヘブライ語とアシュケナージの話すイディッシュ語は全く語族系統が違うし、レーニンはユダヤ人ではなくロシアとドイツとスウェーデンとカルムイクの混血。ボリシェビキの閣僚達にもトロツキーやカーメネフやジノヴィエフ、ベリヤ等ユダヤ人が居たとはいえ彼らが主導権を握っていた訳ではないし、仮に握っていたとしてもスターリン派による粛清を経た現代ソ連の中枢で今でも彼らが糸を引いているとは考えにくい。

 

結局のところ、それらトンデモ学説は、ソ連という理不尽な国家体制へのルサンチマンが高じて捏ち上げられた当てつけに過ぎないのだ。

 

そんな訳で、訓練兵に対し奴隷でも扱うようなその権威主義と、「ハザール=アシュケナージ説」なる陰謀論の流行と相まって俺はいつしか皇帝(カガン)なるご大層且つ不名誉な渾名で影口を言われるようになったのだ。

 

(うるさい!このЖид(ジット)!)

 

(ひょっとして降格か懲戒免職でも受けるとでも思ったのかね?同志Каган(カガン))

 

 

「クソッ‼︎どいつもこいつも‼︎馬鹿にしやがって!」

 

 

気晴らしに借りた本が、嫌な記憶の引き金となっていることに俺は今更気づいた。

他に面白いものはある筈なのに何故俺はこの2冊を……。

 

 

「おこってるの…?イサークさん。色が赤いよ………」

 

「?」

 

柔らかな声色を聞き、振り返るとそこにはやはりイーニァが心配そうな目をしてこちらを見ている。

 

「あぁ、イーニァか。心配はいらない。お前には怒ってないよ。それよりクリスカ——いや、ビャーチェノワ少尉は一緒じゃないのか?」

 

「うん、イサークさんの色を追いかけてたら、はぐれちゃった。イサークさんは、なにしてるの?」

 

「いや、久しぶりに本でも読もうかと思ってな……」

 

「ご本?私も読みたーい!でも、難しいのはわかんないよ……」

 

「大丈夫だ。簡単な絵本でも借りてきて、一緒に読もう」

 

「ほんと?イサークさんありがとう‼︎」

 

「待ってろ。何か探してくる」

 

常に脳をいじられ、人為的に作られた相互依存状態を人間関係の全てだと刷り込まれ、生まれながらに戦闘マシーンとして育てられたあの二人の事だ。学校へ通い、友達と話し、自分の知らない世界と出会って知的欲求を満たすといった人並みの発達段階を踏めなかったのだろう。

 

俺は彼女らを不憫に思い、気づいた時にはそんな提案をしていた。しかし同時に俺は己の軽はずみな提案を後悔した。

 

この子達の世界はこの狭い籠の中で完結している。ある意味それが彼女らにとっての幸せなのかもしれない。

そこに俺という第三者が現れた目的——それは彼女らの閉鎖された人生に新たな風を送り込むことではなく、彼女らの暴走を防ぐ為の鎖となることに過ぎないのだ。

俺は絵本の並べられた本棚に手を伸ばしたまま、その指を止めた。

 

「どうしたの?はやくはやく」

 

「ああ……すまない。今行く」

 

されど一度吐き出した言葉は飲み込めない。

俺は引っ込みがつかなくなり

『Маша и медведь(マーシャと熊)』

と書かれた一冊の本を手にした。

 

内容は一般的なソビエト人民なら誰しも知っている。

 

祖父母に頼まれ茸狩りに出かけた少女、マーシャは森で道に迷い、熊の住まう家に迷い込む。

家の主の熊はマーシャを見つけると自宅に監禁し、女中のように働かせる。

やがて家の祖父母の元へ帰りたくなったマーシャは知恵を働かせて熊を騙し、見事家に帰ったといったものだ。

 

 

「 Ага(アガー),— говорит(ガヴァリット)

теперь не отпущу тебя!(ティペーリ 二 アトプシュー ティビャー)

Будешь у меня жить.(ブーディェシ ウ ミニャー ジーチ)

Будешь печку топить(ブーディェシ ペーチク タピーチ),

будешь кашу варить(ブーディェシ カーシュ ワリーチ),

меня кашей кормить(ミニャー カーシェイ カルミーチ)

 

 

(これは有難い。もう逃がさんぞ!お前は儂とここに住み、暖炉(ペチカ)を焚き、粥(カーシャ)を炊き、それを儂に食べさせるのだ)

 

 

語尾のтьで韻を踏みながら俺が流暢に音読してやる。俺の膝の上に座ったイーニァは興味深そうに挿絵を眺めながら俺の話を聞いていた。

 

「このくまさんかわいいね。ミーシャみたい!」

 

イーニァが、マーシャに凄む挿絵の中の熊を指差しながら振り向いた。

 

「そうか?実際の熊はそうでもないぞ?それにこいつはイーニァみたいな女の子を家に閉じ込めて働かせて……悪い奴じゃないか」

 

俺が返事を返すと、イーニァは怪訝そうな顔をしてこちらを振り返った。

 

「わるい…やつ?」

 

そうだ。この物語で例えるならイーニァの今の境遇はマーシャと変わらない。

狭い基地に閉じ込められ、毎日戦術機に乗って、ソ連という傲慢な熊のために、誰のためでもないタダ働きをさせられている。

しかし、彼女にとってそれは当然のことで、それが酷い事だとは思えないらしい。

 

「うーん、わたし、ミーシャみたいなくまさんだったらいっしょにくらしてもいいかな……でも、クリスカやイサークさんとおはなしできないのは…ちょっとさみしいかな…」

 

 

「そう。このマーシャにもお爺さんとお婆さん…つまり家族がいる。それを引き裂くことは、人間が人間に対して、絶対にやっちゃいけない酷いことなんだ」

 

「かぞ……く?そうだね!家族だもんね!かぞくはいつもいっしょにいなきゃね!」

 

「そうそう。さてイーニァ。マーシャがちゃんと家族のところへ帰れるかどうか、お話に戻ろうか」

 

「うん!」

 

 

朝方のカビ臭い図書室の中、絵本のページがめくられる音が響いた。




余談
前回にて露語での号令(1、2、3〜)について「アジン、ドゥヴァー、トゥリー」と誤字訂正頂きましたが、号令など口語での数え方は「Раз,два,три〜」となりますので、そのままにさせて頂きました。
(ちなみにソ連軍では点呼の際には1、2、3ではなく「1(ピェールヴィー),2(フタローイ),1(ピェールヴィー),2(フタローイ)と交互に数え総員と現在員を最後に報告します)
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