良い夢。
心地いい眠りはふんわりとしている。雲に包まれているような微睡だ。
お腹が暖かい。湯たんぽでも抱いているみたいだった。
久々にぐっすりとした眠りに入っていたのだが、聞きなれた声で意識を雲の上から落とされる。
「めぐみん! めぐみーん!」
意識を地面に激突させた俺は、硬い地面に寝そべったまま目を覚ます。
「ううぅ……」
寝起きの眼ををゴシゴシと擦る。
何時頃だ? んー。大体昼頃だろうか。寝すぎた。
こんなところで長時間眠っていたからだろう。体が痛い。背中が石のように張っている。
「めぐみんが言うようにテントも新調した方がいいのかな……。っと。確かゆんゆんの声がしたか?」
思わずキョロキョロと周囲を見渡すも、視界にあるのは粗末なテントの内装だけだ。
テントの外にゆんゆんがいるのだろうか。起き上がって何をしているのか尋ねるべきなのだが、ある存在に気付いて迂闊に起きることができない。
「ユウスケさん! 起きていますか!?」
どうすればいいか迷っていると、ゆんゆんが昨日のめぐみんみたいにテントの入り口から顔を突っ込んでいた。
だから俺は昨日の夜の焼き直しの如く返事をした。
「ん。なんだ?」
「めぐみんが! めぐみんがいないんです。朝起きたらいなくて。街中走り回っていたのですが、見つからなくて」
「……そんなことか」
いや。そんなことですませてしまってもいい話ではないか。
街中走り回っていたって。
「凄い大変だっただろう。大丈夫か? 水飲む? って、この水筒はダメだわ」
めぐみんが精液をつけた口でうがいをしたものである。これを使わせるわけにはいかなかった。
というか、ゆんゆんは最初に俺を起こせば解決する話だったのに。めぐみんにはすぐ頼るけど、あまり俺には頼ってくれないんだよな。
「ユウスケさんはめぐみんの居場所知っているんですね。はぁ……なんだ。起きて隣見たらいなくて驚きましたのに。あの子の布団の温かさを調べたら長時間いないようでしたし」
……探偵なの?
ゆんゆんは探偵なの?
「ん、それでめぐみんはどこにいるのでしょう。あの子のせいで私達はテントで過ごしているのに、まさか宿屋ってわけはありませんよね」
「あー、そうだな。あいつは今……な」
歯切れが悪くなる。
少し――大分言いにくいので、ちょっとばかり言いよどむも町中を走り回ってきたゆんゆんに隠し事はできないので、俺はぴらっと自分の体の上にかかっている薄いシーツを取る。
「ここにいる」
「……えっ?」
シーツの下にはめぐみんがいる。
俺の体の上で体を丸くしながらいまだに睡眠を貪っていた。ペットが主人を寝床代わりにする感じで、彼女は俺と体を引っ付けて寝ていた。
すーすーと軽い寝息を立てて眠っている姿は、まるで猫のようである。
気まぐれで行動が読めなく、するりとこちらの側に入ってくるのは、本当に猫っぽい。
「……ユウスケさん」
「……はい」
そして、にこりと笑いながら歯を見せるゆんゆんは犬っぽかった。
獰猛な警察犬だ。
「どういうことか、説明してもらってもいいですか。私、凄く不思議で、なんだか不思議で、どんな感情をすればいいのかわからないんですけど」
「はは、そのですね……」
「むむ、なんでしょう。どうしてめぐみんがユウスケさんと一緒に寝ているのか教えてもらいます。……でも、踏み込みすぎた内容でしたら、く、詳しくは言わないでもいいですから」
同衾している理由を想像してしまったのか、顔を朱に染めながら詰問してくる。
これ……どう言えばいいのだろう。
口淫していましたとも言えないよな。
ゆんゆんが聞いたら気絶しかねない。それに俺とめぐみんの関係は複雑だ。上手く説明できる自信がない。特に寝起きで頭回ってないし。
「あー。うーん。あれだ」
上手いこと言おうとして、口が空回りをする。
なにか一つでも思いつけば、そこから口も回転するだろうに、最初に何を突破口とするかも考えつかない。
「うるさいです……」
ごちゃごちゃとしていると、めぐみんが起きたようだった。
「ごめん。起こしたか?」
「……起こしてないです。今からまた寝ます。……あなたの相手を一晩中してこっちは眠たいんです。朝からあなたに構ってあげられません。……ねむたい。ぐう……」
取ったシーツを奪って自分を覆い隠すようにかけて、また夢の世界に旅立つ。
自分勝手。好きなように行動するめぐみんである。
マイロードを爆走して障害物を蹴っ飛ばした結果、その障害物が飛んできたゆんゆんはというとあからさまにうろたえていた。
「……相手って。相手って。一晩中相手をしたって。あわ、あわわわわわわ。めぐみん。めぐみんって!」
めぐみんの一言で大混乱だった。
その反対にこれだけ騒いでいてもお気楽に寝息を立てて眠っている魔法使い。
俺のお腹の上ですぅすぅと心地よさそうだ。
「大人の階段を登っちゃった! 勝手に!? 私にも相談もなく! あああ、こんな歳でもうお母さんになるだなんて! ベビーグッズも用意していないのに! 子供に変な名前を付けたら許さないからね! 私が昔から考えているこんな名前だったら素敵だったろうにノートを貸してあげるから参考にして! ノート私のノートはどこにあるの!」
……うーん、これマジでどうしたらいいものか。
走って紅魔の里に名前ノートを取りに行こうとするゆんゆんを必死に押しとどめ、なんとかそれらしき言葉で説得していた。
本当に必死である。
こんなに騒いでいるのにめぐみんはまったく起きる気配がない。
気持ちよく寝ているのが、腹立たしいようなこんなに疲れるぐらい付き合わせてしまって悪いと言う気持ちがある。ただでさえ調子が良くないのに、長時間は不味かった。
俺ってどうもエロになると、馬鹿になるんだよな。
「まだ寒いからと、昨日の夜めぐみんは布団の中に入ってきた、ですか」
「うん。そうなんだ」
「……こ、子供ができるようなことはしていないんですね」
「もちろん! こんなところでできるはずないだろう!」
「名前ノートは必要ないんですか?」
「それは本気で必要ないわ」
「うーん……」
訝し気な視線を向けてくるゆんゆんの姿は珍しかった。
状況が状況だからな。明らかに怪しい。黒確定としないのはむしろゆんゆんの人を信じる心が強いせいか。
ただ全部嘘ではない。
セックスはしていないし、俺の布団に潜り込んできたのも夜で寒いからだった。ゆんゆんにおかしいと思われるぞと注意するも、すぐ向こうに帰りますという言葉を返され、だらだらとお喋りしていたらいつの間にか両方とも眠ってしまっていたのだった。
「……わかりました。信じます。一応信じます」
あのゆんゆんが一応などと言っていることから、内心かなり疑っているだろうなということが理解できる。
「あっ、ははは」
こちらとしては苦笑いをするだけだ。
一昨日セックスはしたし、迂闊なことは言えない。まあいつかは仲間であり、めぐみんの親友でもあるゆんゆんには大雑把には説明しないといけないが、今することでもないように思った。
もしかしたらめぐみんはなにも気にせず言うかもしれないが。
「そうだ。ゆんゆん」
「……なんでしょう?」
「今日の予定ってどうなっている? 紅魔族の人が来るんだよな」
不自然に話題を変える。自分でいうのもなんだが、露骨すぎた。
なのにゆんゆんはそのあからさまな話題替えに付き合ってくれる。
「えーと、ですね。夕方前には紅魔の里の人がつくと思いますので、待ってないといけません」
あれだな。
多分常日頃からめぐみんに振り回されているので切り替えが早いんだな。
普段の苦労が見えるようであった。
「ふぅ。めぐみんのボン事件もこれで解決か」
「……この子は本当に心配かけて。それで自分はあまり慌ててないんだから」
ゆんゆんは少し年上のお姉さん振って、俺の腹の上にある膨らみに呟く。
「まあ今回のは依頼での結果だから責めないでやってくれ」
というか全て俺のせいなのだ。
俺のエロ心が随分と大事になってしまったものだ。紅魔族についてはもっとよく知っておかないといけない。仲間に二人もいるんだから。
「マントを受け取ったら、宿で休もうか。偶然教えてもらったんだが、良い宿があるんだよ」
「あっ、でも私。転送屋の人と一緒に一度紅魔の里に帰ろうかなと思っているんです」
「里帰りか。良いぞ。今日ぐらいは実家でゆっくり休んで来い。戻ってくる時も転送屋使わないといけないけど、金あるか? なかったら俺が出すぞ」
色々と迷惑をかけたお詫びである。
これぐらいは出させてもらわないと、俺としても気まずい。
「えへへへー」
何故か突然ゆんゆんは笑う。
なにそれ怖い。めぐみんも無意識下で驚いたのか、俺の服の胸元をギュッと握ってくる。
「ど、どうした?」
「実はですね。習得してしまったんです! ――これを見てもらってもいいですか」
ゆんゆんはポケットから冒険者カードを取り出して、俺の目の前に持ってくる。常人の何倍も高い魔力値が目につくが、覚えたと言っているからにはスキルのことだろう。
視線を下げて、スキル欄を確かめると、新しいスキルが載っている。
「これでこっちにくる時はお金の必要はないですよね」
スキルは有名なものだった。
魔法使いにとってある意味到達点とも言えるスキル。
「テレポートを覚えたのか!」
興奮によって、声が高くなる。
それだけのスキルだ。テレポートがあるなしは今後かなり違う。
こちらが喜んでいる顔を見て、ゆんゆんは顔の笑みを濃くする。
「覚えちゃいました」
「おお、凄いな。ほんと凄いわ。魔法使いがテレポートを覚えて、実際に操れるだけになるのは十代じゃ殆どありえないと聞くのに」
才能ある魔法使いが三十代になってようやくテレポートを使えるようになるというのが当たり前の中、十代で覚えるなんてのは普通ありえない。
上級魔法を覚えたばかりだし、スキルポイントを溜めるのにも苦労しただろう。
よほど強いモンスターを何十体も倒さないと無理だ。最近の彼女の行動にも合点がいった。
「ウィズさんに付き合ってもらっていたのはそれでだったんだな」
「はい。こっそり取って驚かせようかなと思ったんです。……実はユウスケさんの回復祝いパーティーの時には覚えていたんですが、機を見計らっていました」
「驚かされたよ。ゆんゆんもお茶目なとこあるんだな。……でも、さすがはゆんゆん。テレポートあるだけで、今後の行動範囲が広くなる」
「ほめ過ぎですよ。……嬉しいですけど」
照れているゆんゆんに、更に言葉を重ねる。
「いや、その歳でテレポートだろう? これが褒めなくてどうする。テレポートがあるだけで全然違うからな。ゆんゆんは本当に凄い。凄すぎる」
「えっ」
「魔法使いとしては理想だよ。よっ、理想の魔法使い」
「へっ、え」
「完璧だ。もう素晴らしい。幾ら言葉を紡いだとしても、お前を表すには足りないよ。最高! 大統領! ゆんゆん!」
パチパチと拍手する。
更に賛辞を重ねようとするも、ゆんゆんから待ったの合図がかかる。
「あ、あの……ユウスケさん」
「うん?」
顔を真っ赤に染めて、視線を斜め下にして、恥じらうように小さく口を開く。
「そんなに褒められると……私恥ずかしくなってしまいます」
消え入りそうな声でそんなことを言ってくる。
可愛いな。
「そうか。俺としてはまだ足りていないぐらいなんだが……」
「充分ですよ。お腹いっぱいです! これ以上言われると私ボンとなっちゃいます! ……嬉しいですが。慣れていませんし。ユウスケさんって、本気で私を褒めるんだからどうやって聞いていればいいかわからないですよ……」
ゆんゆんは彼女の実力に比べて褒められてきたことが少なかったのだろうと一緒にいて感じるので、俺はできるだけ頑張っているゆんゆんを褒めることを心掛けている。
自己評価を高すぎても困るが、あまりにも低いのも変だと思ってしまう。
頑張っている人にはそれだけ報われるべきだと、クズの俺でも常識だ。
「ぐうう!」
下から歯ぎしりがする。
めぐみんが無意識に不満を表現しているようだ。
まったくこいつは、遺跡でも言っただろうに。
なんでもかんでも一番じゃないと気にいらないんだよな。
困ったやつだと思わず布団の中にゆんゆんからは見えない方の手を入れると、
「かぷ」
「…………んっ!?」
えっ。えええ、ええええええええ!?
「私の顔赤くないですか。うう、絶対私赤くなっています。……あれっ、ユウスケさんは顔が青く見えますよ」
「な、なんでも! なんでもない!」
めぐみん! 噛みやがった!
歯を立ててるわけではなくて咥えているだけだから痛くはないけど! ビックリするわ!
いきなりの出来事で顔を蒼白にしていると、ゆんゆんは自分の人差し指を突き合わせて、テレポートの悪い点を並べる。
「……長距離間を移動できるといっても、色々制約はあるんですよ。テレポートは魔力を多大に消費するから、魔法陣でもなければ一日に二回はできませんし、移動するための登録場所も回数が制限されています」
彼女はその細い指を三本立てる。
「三つの場所しか登録できません。それに登録を解除しようとすると、その場所まで逐一いかなければなりませんし」
「ゆんゆんはもうテレポートの場所登録はすましたのか?」
くそう。取れない!
こいつどんな夢見ているんだ。もしかして昨日の口淫の夢見てるんじゃないだろうな。
「一つだけです。紅魔の里にも登録しようかと思っていますけど、実はまだアクセルの街は登録していなかったりしますので、えっと……帰りも転移はできなくて……」
「今回はお土産を大量に買っていかないといけないからいいよ」
ダスティネス家へのお土産はなにを持って行けばいいか。温泉饅頭なんかが定番だろうか。
「ほっ。それなら良かったです。後は転移は他のスキルではない、外部からの制約もあります」
抜けない。
指が全然抜けないぞ!
「んむんむ」
顔だけは自然さを保ちながら俺は必死に指をめぐみんの口から抜き取ろうとしていた。吸う力が強い。昨日気持ち良かったもんなと思いながら、手に力を入れて最小限の動きで引っ張る。
「聞いたことがあるな。……テレポートを使える人は絶対に冒険者ギルドに報告することと国外へのテレポートは禁止だっけか。国家間を自由に行き来できたら不味いもんな」
「破ったら三年以上、十年以下の懲役と重いですから、もう私すぐに報告に行きました!」
テレポートは便利だ。むしろ便利すぎるといってもいい。
四人までという制約はあるが、登録した場所に瞬時に移動できるその能力は、法律によって強制的に制約を課されている。他のスキルではありえない特例である。
普通の魔法使いの終着点といってもいいスキル。
これを覚えた魔法使いは冒険者を辞めて、転送屋として働く人も多い。
一日に数分で三十万や四十万エリスを稼げるのだから、一生を安泰といっても過言ではなかった。
ゆんゆんはまだ冒険者を続けるつもりみたいだけど。本当にありがたい話だ。彼女には感謝の念が尽きない。
そう思いながらも、俺はシーツの下ではめぐみんの口と格闘していた。勢いよく引っ張ってめぐみんの口からようやく俺の手を脱出させる。
その時、大きな音が出た。
「んっちゅ!」
「うぅん? なんか変な音しませんでした?」
「なんだろうな。なんの音だろうな。あー、もしや俺の腹が鳴ったのかもしれない」
「いえ、水の音みたいな。……昔学校の遠足に行ったとき、めぐみんが早々と自分の水筒の水を飲みほして、私に一口だけ下さいと言ったから渡したら、めぐみんってば飲み干す勢いで飲むものだから無理矢理水筒を引っ張った時に出た音に似ているような……」
「あいつ昔からろくなことしてねえな」
大体正解を突いている。水筒と指という大きな違いはあるが。
でも、ようやくめぐみんの口内から指が出てきた。今後めぐみんの口近くに勝手に物を持って行くのはやめよう。なんでもかんでも食べてしまう。
「そういえば、ゆんゆんは明日の朝に帰ってくるんだよな。それだと宿の場所を教えておかないといけないか」
「お願いします」
「確か、ここに……あったあった」
両手がフリーになったので、寝ころんだ姿勢で自分の鞄を漁る。
そうすると、警察署でアクシズ教の人から書いてもらった紙が出てくる。その紙を彼女の前に差し出す。
「この場所だから覚えておいてもらっていいか。いや、もしものためにどこかに書き写して渡した方がいいよね」
「大丈夫ですよ。ここなら朝に走り回っている時に見たことがあります! ですのでだいじょう――はれ? ユウスケさん」
「なに?」
「……ここの指だけなんだかべちゃべちゃですけど」
あっ。
拭くのを忘れていた。
「すぅ……ゆうすけ……飯がないならあなたをくいますよ……くぅくぅ……わりとおいしい」
変な寝言をほざいているめぐみんを一度睨んでから、俺は濡れていない方の手でまたクリスみたいに頬をかきながら苦笑いで誤魔化す。
「不思議だな! きっと鞄の中が濡れていたりでもしたんだろう!」
苦しい。
なんと苦しい誤魔化し方だ……。
ベッドは素晴らしい。
昨日と一昨日は馬車とテントだったので、最高級のベッドで眠れたのはありがたかった。夢見が悪くて途中一度起きてしまったが、その分長い時間眠ったので体は本調子である。
それに温泉は良かった。
温泉なんて入ったのは、中学の頃に家族で旅行した時以来だ。あの時はそんなに気持ちよかったわけではなかった。風呂とそんなに変わらないし、そこまでありがたがる意味があるのかと思ったっけ。
父さんは温泉の気持ちよさがわかれば大人だと言っていたが、俺も大人になったのだろうか。
体の奥までじんわりと染み渡るような感じは風呂では決して出せない。
俺は遅くなった宿屋の朝食を取ってから、時間があるので暇つぶしも兼ねて宿屋の皿洗いをしていた。
「悪いね。お客にそんなことしてもらって」
「あれだけ割引してもらったらこれぐらいはさせてください」
割引しすぎである。紹介状を持って行ったら安くしてくれると言っていたけど、まさかここまで安くしてくれるとは驚きだった。
普通の宿屋より少し高いぐらいの値段でこの宿に泊まれるのだから、皿洗い程度は手伝うべきだ。
宿屋の店主が昼食の下ごしらえをしたながらも、話しかけてくる。
「最近はお客も少し減っているから部屋も余っているし、従業員もあまり雇ってないからね。皿洗いをしてくれるのはありがたいよ。ウチのサービスは変わってないのに、どうしてお客はへっているんだろうね。心当たりある?」
「それは……宿泊する手続きの紙がアクシズ教の入信書になってたりするからじゃないですか」
そんなことがありえるなんて思わず危うく書いてしまうところだった。
めぐみんからの指摘がなければサインしかねなかった。
「はっはっは、まさか。前にちっこい魔法使いの子とやらに勧誘方法を教えてもらった人達とは違って、ウチはずっと昔からこの手でやってますよ」
「……凄いですね。よほどそれ以外のサービスが良いのか。でも、実際俺もこの宿お気に入りになりそうですよ」
「ありがとうございます。お客さんのように、これでも沢山の方からご贔屓にしてもらっています」
日本なら即刻営業停止されかねない行為をやるが、宿屋の料理は上手いし、掃除は行き届いているし、温泉は広くて最高なんだよな。
俺も次も来るならここがいいと思ってしまうぐらいには。
「ただしもし次に来るときは書名する紙が勧誘の紙に替わっているなんて真似はやめてくださいね」
「はっはっはっ」
おい笑って誤魔化すな。
そこからは話を弾ませながら俺は皿洗い。宿屋の主人は昼食の下ごしらえをする。
ようやく最後の皿を洗い終わると、ゆんゆんの声がした。
「お邪魔します。あのー。ここにめぐみんとユウスケという名前の宿泊客がいると思うのですが……」
「君が言っていた子だね。皿洗い感謝するよ。昼食はどうする?」
「折角だから外で食べてこようかと思っています。じゃあ、ここにエプロンは置いておきますね。……ゆんゆん、ここだ!」
手をタオルで拭いてから、皿洗いの時にしていたエプロンを軽く折り畳んでから置いて、俺は厨房から出ていく。
厨房から出てきたのを見ると、ゆんゆんは驚いた顔をする。
「あれ。どうしてそんなところから」
「まあちょっとあってな。ゆんゆんはよく休めたか」
「久々に両親に会えましたし、自分のベッドでぐっすりでした! めぐみんは見当たりませんけど、別行動でしょうか」
「ああ。あいつは朝食をすませた後、また部屋に戻ってな。ちなみにめぐみんとゆんゆんは同じ部屋にしたけど良かったよな?」
「もちろん大丈夫ですよ!」
俺で一部屋。めぐみんとゆんゆんで一部屋。
合計二部屋借りている。
下を向いてずっと作業をしていたから俺は一度伸びをして、ゆんゆんを誘う。もちろん、アクシズ教への勧誘ではない。
「これから外に出て見て回ろうかと思っているんだけど、ゆんゆんも来る? 食うのが遅かったからそんなに腹が減ってないけど、外で軽く昼食も取るつもりだ。折角観光地に来たわけだしな」
「ユウスケさんが宜しいならついていきたいです。……私は昨日ここら辺走り回っていましたが、全然じっくりと見られませんでしたし」
「じゃあ、めぐみんも誘って三人で行くか」
「そうですね!」
ということで、俺達は宿屋の階段を上って、めぐみんとゆんゆんの部屋の前にまで来る。
二人部屋なので当然鍵は二つあるわけだが、ゆんゆんの分の鍵はめぐみんが持っている。
なので、ゆんゆんは扉を手で軽く叩いた。
「めぐみーん」
「…………」
返事はない。
今度は少し強めて、彼女は尋ねる。
「めぐみん! 聞いてる? 開けてちょうだい」
「……あぅ、なんですかもう」
不機嫌そうな声が返ってきた。
無理矢理起こされて気が荒立っていますという感じだ。
「二つある鍵の内、一つ私に渡してよ。そうじゃないと勝手に入ったり出たりできないでしょ」
「それと、一緒にでかけないか? ここら辺ぶらりと見て回ろうぜ」
俺がそう誘いかけると、にべもない拒否をされる。
「嫌です。眠たいんですよ。放っておいてください。ユウスケのあーほ。すけこまし」
む、これはガチのやつだ。本当に眠たいんだな。
昨日も一日中眠っていたのに、それでも疲れ取れていないのか。
「わかった。それならめぐみんは宿屋で休んでいていいぞ。ただゆんゆんの鍵だけ渡してくれないか」
「……起きるのが面倒です」
ゆんゆんは少し気が立った顔で、カツンと手で扉を叩いた。
めぐみんの自分勝手振りにちょっとだけ怒ったようである。
「めぐみんは、昨日散々寝たでしょ」
「…………」
「それにめぐみんのためにわざわざ私達は野宿に付き合ったんだからそっちも少しは付き合ってよ。マントで体調は戻ってるでしょう? そんなに長い間散歩するわけじゃないんだし」
一瞬の静寂。
そして、そこから聞こえてくる無邪気な子供みたいな声。
「ごー」
「ん、なによ?」
「よん、さん……」
なにを言ってるかと思えば、カウントダウンだ。
――カウントダウン。
つまりなにか起きる前の前兆。めぐみんが何かを起こす前の前兆。
俺とゆんゆんの思考は通じ合う。
「にー」
踵を返して、俺達はこの宿から退去することを決定した。少なくとも、彼女が健やかな眠りをして機嫌が良くなるまで。
「じ、じゃ、私達見て回ってくるから!」
「おう! ゆんゆんと一緒にフラついてくるから!」
息ピッタリで俺達はそのカウントダウンの数字がゼロになる前に逃げる。
本気で。
ゆんゆんのターン