「(まさか、あの捨て牌で国士とは…。)」
アグネスが、対局室を出ようとした時、彼女の横をみなもが通り過ぎた。
「栄子。お疲れ。」
みなもが、栄子とハイタッチした。
「じゃあ、みなもちゃん。あと、お願い。」
「わかってる。」
「じゃあ。」
「うん。」
栄子が、対局室を出て行った。みなもは、卓につき、場決めの牌をめくった。いつものように北を引いた。
この様子を、アグネスは、じっと見詰めていた。
「(あのニーマン参加にいたやつ。私の姉と入れ替わりだったかな…。)」
アグネスの姉は、ニーマン一派のメンバーだった。
5年前には、地下麻雀をやらされていた。まだ、みなもが地下麻雀に連れてゆかれる1年近く前のことだった。
その頃は、メンバー全員に棒が挿入されるルールではなかった。プレイヤーのみが挿入されるルールだった。
ただ、マイナスの点数を引継ぐ場合、その時点で棒が挿入され、マイナス点数に応じた太さにされた。この、『引継ぎ挿入』も、ショーの一つだった。
大量失点しても、自分の番から開放されれば棒を外してもらえるし、自分の番が来る前に自分のチームがマイナス10万点に達すれば、その時点で終了となるので、その後の選手達には棒が挿入されない。
メンバー全員への挿入は、みなもの代になってからだった。先鋒戦で全てが片付いてしまうようになったため、先鋒以外に挿入されなくなった。それでは刺激が足りないとの意見が会員達から出てきたため、今のように変わっていった。
当時、アグネスの姉は先鋒で出場していた。
どのチームでも、大失点しても、せいぜい箱下5万点程度で、今ほど派手なショーには、なっていなかった。
ただ、ある日の対局で、アグネスの姉は他家3人からの集中砲火を受け、箱下8万点を超えてしまった。それを、続くメンバー達は引継がなければならなかった。
例の拝観料は、ドイツチームには支払われないことになっていた。経営サイドのチームだったため、費用を二重取りしているように言われるのを避けるためだった。そのためドイツチームのメンバー達は、苦しみ損をした。
それで、アグネスの姉は、試合の後に、他のメンバー達から私刑を喰らった。
指を折られ、例の太くなる棒のマックス直径で二穴攻めされ、今では精神的にも病んでしまった。
そもそも、ニーマン一派に所属していたこと自体が悪いのだから自業自得なのだが、アグネスは、ニーマンや、その後の地下麻雀スターになったミナモを敢えて憎むことで、精神を保っていた。
それと、ネリーと出会ったことで、ニーマンへの憎しみが増強された部分もあった。
個人個人で否定するよりも、2人で否定するほうが、共感して相乗的に負の感情が激しくなることがある。
しかも、場合によっては、その負のエネルギーが、周りの人間にまで伝染するケースもある。
例えば、2人の人間に嫌われただけで、いつしか周囲の人間全員に非難されるようになると言ったケースが、これに当てはまる。2人が教祖と化し、正当性を訴えることで、周りも、それが正しいと勘違いしてしまうからだ。複数人の意見のため、より正当に感じてしまう。
もっとも、この2人が近づかなければ、そうはならないのだが_。
たしかに、1人の人間に嫌われたことで、周囲の人間全員に非難されるようになるケースもあるにはある。その場合、嫌ってきた人間が余程のスポークスマンか、権力者の時が殆どだろう。
臨海女子高校では、幸いなことにアンチニーマン一派は郝やアレクサンドラには伝染していなかった。
対局室の空気が、急に重くなった。ネリーが入ってきたのだ。
「ミナモ・ニーマン。ドイツでのウラミ。ここで晴らす。」
一応、ネリーは、『地下麻雀』の単語は伏せた。
本来、一般に口外してはならないことになっていたし、もしバレたら、自分の家族にも知られてしまう。それが怖かった。
一方、みなもは、
「なんのこと?」
ネリーが地下麻雀に来ていたことを覚えていなかった。
みなもは、当時、先鋒としか打っていなかった。それで、相手チームの大将のことまでは頭に入っていなかった。
「ふざけるな。ネリーは、あの時、大将だったから、一度も牌に触れることなく敗北したんだ。」
「大将かぁ。それで覚えていなかったんだ。私は、先鋒の人としか顔を合わせなかったからね。」
「でも、ネリーは覚えている。あの屈辱は絶対に忘れない。今日こそ、お前に絶望的な敗北を味あわせてやる。」
そう言いながら、ネリーが場決めの牌を引いた。{西}だった。
永水女子高校の副将である椿加々美が起家、粕渕高校の副将である石見神楽1年生が南家になった。
神楽は、相手の手が全て透けて見えていた。彼女も巫女で、結構高い霊力を持っていたのだ。山にある牌までは透けて見えるわけではなかったが、少なくとも意図的な差し込み以外で振り込むことはなかった。
東一局、加々美の親。
「(清澄の宮永みなもに、臨海のネリー。とんでもないのが出てきちゃった。でも、ここで負けるつもりはないから。まずは、速攻で粕渕を逆転する!)」
加々美は、
「チー!」
憧のような鳴きで速攻をかけた。そして、
「ツモ。1000オール!」
安手ではあるが、神楽を逆転した。
続く東一局一本場も、
「ポン!」
今度はネリーの捨て牌を鳴き、
「ツモ! 2100オール!」
早和了りを決めた。
ただ、ネリーの運の操作で、場を安く流させられていることまでは、加々美は気付いていなかった。
各校の順位と点数は、
暫定1位:清澄高校 159200
暫定2位:永水女子高校 101200
暫定3位:粕渕高校 90800
暫定4位:臨海女子高校 48800
現在、永水女子高校が2位。永水女子高校に1万点ちょっとの差をつけた。これで、加々美は少し安心した顔を見せた。
一方、みなもは、この二局で様子を見ていた。
「(永水の子は、ちょっと気が強そう…。でも、綺麗で人気ありそうだな…。)」
みなもは、少し加々美に興味がある感じだった。
「(粕渕の子は、なんだか、みんなの手牌が透けて見えてるって感じ。だから振り込まないし、鳴かせない。)」
神楽のことも加々美のことも、今回初見の相手だったが、結構本質をついている感じはあった。ニーマンの元で、数多くの強豪選手達を相手に戦ってきた経験があればこそなのだろう。
「(ネリーは、運を操作するって話だけど、まあ、出たとこ勝負だね。石戸明星の時みたいに自滅したりして…。じゃあ、そろそろ行こうかな。)」
みなもの目に、気合いが入った。
東一局二本場。
ここから、みなもの和了りが始まった。
5巡目、
「ツモタンヤオドラ2。2000、3900の二本場は2200、4100。」
いきなり満貫手の和了。
ここでは、みなもの縛りはタンヤオのみの1翻だった。
東二局、神楽の親番。
「タンピンツモドラ2。2000、4000。」
ここでも満貫を和了。
この局の、みなもの縛りは2翻だった。
東三局、ネリーの親。ここでも、
「タンピンツモ一盃口ドラ1。2000、4000。」
みなもが満貫を和了った。
ここでの、みなもの縛りは3翻だった。
東四局、みなもの親番。この局も、
「タンピン三色ツモドラ2。6000オール。」
親ハネツモ。
怒涛の快進撃で、みなもが和了り続けた。
同じ点数での和了りが認められる分、照の和了りよりも、みなもの和了りのほうが、周りの選手達から見て、たちが悪いかもしれない
ここでの、みなもの縛りは4翻だった。
東四局一本場。みなもの連荘。
みなもは、ここでも比較的早い巡目で聴牌していた。当然、みなもの縛りは5翻。これにドラが乗ればハネ満以上になる手だ。
しかし、それに気付いたネリーが、打{③}。これは、みなもの現物だった。ここで、
「ロン。8300です。」
神楽が和了った。
いや、正しくは、ネリーが、みなもの親を流すために神楽に差し込んだ。
ネリーが、みなものほうを見ながら、
「(ここで敗北させてアゲルよ。)」
嫌味な笑みを浮かべた。
南入した。
「(ここからが勝負だよ。)」
ネリーの瞳に炎が灯った。自らに運を集中するつもりのようだ。一気に高打点の手を作り上げるようになる。
各校の順位と点数は、
暫定1位:清澄高校 201700
暫定2位:永水女子高校 87100
暫定3位:粕渕高校 84900
暫定4位:臨海女子高校 26300
ネリーは、ここからの奇跡的とも言える逆転劇を頭の中に描いていた。そして、それを現実化してゆく。運命の奏者として…。
南一局、加々美の親。ドラは{南}。
この時のネリーの配牌は、
{二四六八①⑨19東南南白白}
ここから、1巡目、ツモ{三}、打{①}。
2巡目、
{二三四六八⑨19東南南白白} ツモ{南} 打{1}。
3巡目、
{二三四六八⑨9東南南南白白} ツモ{一} 打{⑨}。
4巡目、
{一二三四六八9東南南南白白} ツモ{[五]} 打{9}。
5巡目、
{一二三四[五]六八東南南南白白} ツモ{七} 打{東}。
そして、6巡目、ここまで一切ムダヅモなく、
{一二三四[五]六七八南南南白白} ツモ{九}。
「ツモ混一ダブ南一通ドラ4。6000、12000。」
ネリーは三倍満を和了った。
強運と言うよりも豪運と言う表現のほうがあっていそうだ。このとんでもない運を、ネリーは意図的に操作していた。
各校の順位と点数は、
暫定1位:清澄高校 195700
暫定2位:粕渕高校 78900
暫定3位:永水女子高校 75100
暫定4位:臨海女子高校 50300
親かぶりの分で、粕渕高校が永水女子高校を逆転する結果となった。
ただ、ネリーにとっては、これは、まだ序の口だった。
南二局、神楽の親番。ドラは{8}。
ネリーの配牌は、
{九②③④⑤⑤⑥⑧⑧2東北白}
ここから、1巡目、ツモ{④}、打{九}。
2巡目、
{②③④④⑤⑤⑥⑧⑧2東北白} ツモ{[⑤]} 打{2}。
3巡目、
{②③④④⑤⑤[⑤]⑥⑧⑧東北白} ツモ{⑧} 打{白}。
4巡目、
{②③④④⑤⑤[⑤]⑥⑧⑧⑧東北} ツモ{④} 打{東}。
5巡目、
{②③④④④⑤⑤[⑤]⑥⑧⑧⑧北} ツモ{⑥} 打{北}。
{①②④⑤⑥}待ち。ここまで一切のムダヅモなし。
そして、6巡目、
{②③④④④⑤⑤[⑤]⑥⑥⑧⑧⑧} ツモ{⑥}。
「ツモメンチンタンヤオ三暗刻ドラ1。6000、12000。」
ネリーは、またもや三倍満を和了った。この南場に、自分の運を集中して、みなもを逆転するつもりなのだ。
各校の順位と点数は、
暫定1位:清澄高校 189700
暫定2位:臨海女子高校 74300
暫定3位:永水女子高校 69100
暫定4位:粕渕高校 66900
この連続三倍満和了りで、臨海女子高校が2位に浮上した。一方、親かぶり分の差で、今度は永水女子高校が粕渕高校を抜く結果となった。
そして、運命の南三局、ネリーの親番。
まだ、清澄高校とは10万点以上の差はあるが、例えば親のダブル役満をツモ和了りすれば逆転できる。春季大会は、インターハイとは違ってダブル役満が認められている。
それに、この大会では三家和が認められている。運の操作で、みなもから同時に3人が高い手を和了れば、一気にみなもを凹ますことができる。
ただ、ネリーは、
「(ここで、親の役満と三倍満をミナモにぶつける。それで逆転した後、失意に満ち、運から見放されたおまえを、どん底まで落としてやる!)」
己の和了りだけで勝負するつもりだった。
ここで、みなもから親の役満を和了れば、
清澄高校: 189700 ⇒ 141700
臨海女子高校: 74300 ⇒ 122300
さらに、続いて三倍満を和了れば、
清澄高校: 141700 ⇒ 105400
臨海女子高校: 122300 ⇒ 158600
大逆転だ。
運の操作ができるネリーは、これができる自信があった。
一昨年のインターハイでは宮永咲に軌跡の大逆転負けを喰らい、昨年のインターハイでは石戸明星に高い手を連発されるなど、ネリーにも想定外のことは生じる。
しかし、今回は、運が上り調子なのを明らかに実感している。これで、みなもに負けるはずがない。
この局の、ネリーの配牌は、
{一四①⑦113[5]77西北白中}
ここから、打{一}。
一方、みなもの配牌は、
{四六八八①②④⑥236東南}
ネリーの手牌は、2巡目、
{四①⑦113[5]77西北白中} ツモ{1} 打{⑦}。
3巡目、
{四①1113[5]77西北白中} ツモ{7} 打{四}。
4巡目、
{①1113[5]777西北白中} ツモ{白} 打{①}。
5巡目、
{1113[5]777西北白白中} ツモ{4} 打{北}。
6巡目、
{11134[5]777西白白中} ツモ{白} 打{西}。
7巡目、
{11134[5]777白白白中} ツモ{6} 打{中}。
そして、
「(全部、イメージどおりに牌がきている。それに、この多面聴なら和了れるはず!)」
ネリーは、{横中}を横に曲げた。
「リーチ!」
手牌は
{11134[5]6777白白白}
{23568}待ち。
この時、みなもも聴牌していた。
手牌は、
{四五六八八①②③④⑤⑥23}
{14}待ち。
当然、2人の和了牌を神楽は知っていた。他家の手が全て透けて見えるのだから、当然である。
ネリーのリーチ後、みなもの一発目のツモは{西}。
みなもは、誰のどの捨て牌がツモ切りで、どの牌が手出しかを記憶していた。また、手出しの場合、何巡目のツモで何番目に牌を入れ、何番目を落としたかまで観察し、記憶していた。他家全員に対してだ。
小さい頃から打っていたため、そのトレーニングが、なされていたのだ。
また、そういった細かな観察と自分の手牌から推察し、他家の手が大体分かっていた。
「(多分、ネリーの手は{1113456777}に字牌暗刻ってとこかな。まあ、今回は、現物だし…。)」
みなもは、{西}をツモ切りした。
加々美は、一発回避で対子の{中}を落とした。
{中}をポンして一発を消すよりも、安牌確保を加々美は選んでいた。
神楽は待ちが分かっているため、それを回避する形で、極力和了り形を残せる。今回は、{發}をツモ切りした。
ネリーの一発目のツモは、{9}。これはツモ切り。
次のみなものツモは、{②}。これもツモ切り。
加々美のツモ牌は{發}。前の巡で神楽が通しているので、ツモ切り。
神楽は、{7}をツモってきたが、ネリーもみなもも、これでは和了れないことが分かっていたのでツモ切り。
次のネリーのツモは、{白}。
「カン!」
ネリーは、{白}を暗槓した。リーチ後でも、待ちが変わらなければ暗槓して良いルールになっていた。
槓ドラ表示牌は{中}。つまり、槓ドラは{白}。暗槓した{白}がモロに乗った。
そして、嶺上牌は{1}だった。
ここで{1}を捨てると、みなもに平和に振り込む。しかし、
「(これもイメージどおり! ここでカンしても、待ち牌は{23568}で変わらない。それにネリーのイメージどおりなら、これでミナモの待ちが一気に4枚潰れるはず!)」
ネリーは、{1}を、
「カン!」
連続で暗槓した。
2枚目の槓ドラ表示牌は{6}。手牌に3枚ある{7}がドラに化けた。
これで、リーチ白混一色ドラ8の数え役満になった。
嶺上牌は{④}。ネリーは、これをツモ切りした。
自分のイメージどおりに運命を創り上げる。まさに運命奏者。
「(あれ? これってマズイんじゃ? それとも、私、手を読み違えたかなぁ。)」
みなもは、1を暗槓する前のネリーの手牌を、
{11134[5]6777} 暗槓{裏白白裏}
と読んでいた。
ただ、もしかしたら読み違いで、
{11134[5]6667} 暗槓{裏白白裏}
かなと、一瞬思った。しかし、場には、ネリーのリーチ前に自分が捨てた{6}と槓ドラ表示牌の{6}で、計2枚の{6}が見えている。
だったら、恐らく、
{11134[5]6777} 暗槓{裏白白裏}
つまり、現状、
{34[5]6777} 暗槓{裏白白裏} 暗槓{裏11裏}
で間違いないだろう。
ふと、神楽のほうを見ると、彼女も驚いた顔で、みなものほうを見ていた。どうやら、神楽も、みなもと似たようなことを考えていたみたいだ。
みなもは、
「(そう言うことか…。だったら、ネリー。君を地獄に落としてやるよ。)」
ここで、みなもがツモってきた牌は{3}だった。そして、みなもは、ここで{3}を手の中に入れ、当たれと言わんばかりに{2}を力強く切った。
ネリーは、喜び勇んで、
「ロン! リーチ白混一ドラ8。48000!」
手牌を開いた。
放送席では、アナウンサーの福与恒子が大興奮していた。
「まさかまさかまさか…。まさかの振込み。宮永みなも選手に、ネリー・ヴィルサラーゼ選手の役満が炸裂したー!」
観客席に、恒子の声が響き渡った。
しかし、解説の小鍛治健夜は、非常に落ち着いた声で違うことを言った。
「この和了りは、無効です。」
ネリーが何をやらかしたのか、既にお気付きの方もいらっしゃるかと思います。
敢えて2を振り込むところが性格悪いですね。
何が問題だったのかは、次回、みなもが説明してくれます。
石見神楽は、今回のネリーの問題を、みなも以外にも事前に見抜く選手として登場させました。
今後は、登場したとしても、ちょい役程度のつもりです。