恋姫転生 作:kuzuaki
黄巾党を操っているのは何者なのだろうか。
史実で言えば張角を筆頭とする太平道と呼ばれた宗教団体の指導者達がそれだ。だがこの世界では張角とその兄弟は女性化しており、その素性もただの旅芸人であることはわかっている。彼女たちはその魅力と不思議な力で人を集めただけで、何の展望も持っては居ないはずだった。
だが今この漢全土で巻き起こっている黄巾の乱は、ただの無軌道な反乱では決して無い。
むしろ、その計画はよく練り込まれた周到さを感じさせるものだ。
彼等はまず自分たちの支持者を扇動し散発的な乱を起こさせた。
それも中枢の統制が薄く、しかし完全な辺境でもない荊州、揚州、徐州、雍州等を中心に……更にその中でも薄い独自の基盤が弱く地元の有力者とのつながりが薄い中央から派遣された県令達が治める土地を狙ってそれは行われた。
当然この反乱に県令達は独力で対処できない。
そしてこれもまた当然のように近隣の有力者達がその乱の鎮圧に向かう……この時点でもう、黄巾党がこの国の現在のあり方をよくわかっていると言うことが十分に示されていると言える。
誰もがこの乱に振り回され……そして自らこの乱に乗ってしまっている。
まず前提としてこの国の律令制と行政区分を考えなければならない。
首都洛陽を擁し中央にある司隷を中心とした13の州。各州の中に郡があり、郡の中に県があり、その下に郷、最後に里だ。
この州は広いものであれば日本列島全土と比較しても約半分もの面積があると考えるとこの国の広大さが少し感じられるだろう。
州の長が刺史、群の長が太守、県の長が県令と言うようにそれぞれに責任者が置かれていて、これを任命し統括するのが中央の漢王朝であるのだが……それは既に半ば形骸化していた。
そしてこの半ばと言うところが問題なのだ。
迅速な情報伝達手段の無いこの時代、何か事が起きた時に一々上に判断を伺うと言う事はできないため現地裁量という物が非常に重要になってくる。
そして技術や文明の未熟な古代において問題とは日常茶飯事であり、お役所とはただお役所仕事をしていればいいと言う存在ではなく、現代日本に例えるなら常時大小の災害が起こり続けていると考えても大げさではなかった。
例えば農村で揉め事が起こればその長である里長が物事を判断し沙汰を下すのであるが、それを正当な理由なくその上に立つ郷長や県令が覆すことをしてはならないとされている。
これは上役が自分の都合や利益で部下の判断を簡単に処罰できるようにすると、現地が独自裁量の判断に萎縮するようになり行政が硬直化して様々な問題の解決が滞ってしまうからだ。
しかし下の判断にまったく介入できないのでは上役がいる意味がないし、太守などはその地方の大都市を直接支配している存在でもあるため現実的な力関係から言ってもその意向を無視できるものではない。
逆に太守の上の刺史になると区分状は州の最上位の筈なのだが、役職としては全体の監査役に近い立場であり直接的に支配下における土地は少なく太守と比べると保有する実行力に劣っていた。
そしてそれぞれの役職に上下関係はあっても、全ては皇帝に任命される立場であるという意味では平等であると言う建前があり、実際下の者からの奏上によって上の立場のものが失脚するという例も存在していた。
その様な歪な力関係が長く続き、また中央が適宜任命し置いて行くはずの各地の官が有力者の既得権益と化し世襲されていった事で、有力な都市を抱える太守などが諸侯化し役職の上下関係も有名無実化してしまった。更に各地の豪族や有力者が正規の官以上に支配を及ぼす土地などもあらわれ、地方の権力構造はおいそれと手が出せないほど混沌化している時代だ。
それでも朝廷の力が完全に失われたわけではない。
官位は南陽郡の太守でしかない俺の実質的な支配地は、南陽郡に加えて江夏(過去孫堅らと協力し袁家が奪った土地だ)や隣接する揚州、豫州の一部にまで及んでいるのだが、その土地の中には当然多数の県令や県長を抱えていて、そしてその全てが俺の部下と言う訳ではないのだ。
なんと説明すれば良いのだろうか……例えるなら埼玉県知事である俺の父が千葉県知事だった黄祖を倒して埼玉と千葉を両方支配するようになったのだが、埼玉の市長や新たに支配した筈の千葉県の市長の一部は、県知事の争いは俺達には無関係だし税は払うけど市の事には口を出さないでくれと言った態度でいると思って貰えれば解って貰えるだろうか?
そしてそう言う県の県令の任命権は中央の誰かの既得権益だったりして、そこから送られてくる人員にこちらも中々口が出せなかったりする。
力で土地を奪い合う乱世でありながら、半ば中央の治世は残ったままであるという両者が絡み合い矛盾するこの現状が、この様な複雑な世相を生み出しているのだった。
当然各地の諸侯にとって自分の支配下に置けない中央の紐付き行政官達は煙たい存在だ。
そこに反乱が起こり、現地が独力で鎮圧できないとなれば大手を振ってそこに軍を進め実行支配を確立させてしまうまたとない機会だと諸侯が考えるのは当然の帰結と言える。
この黄巾が起こした乱に、各地の軍事的有力者は飛びつくように自分の軍を動かした。
それは俺達も例外ではない。この後乱世になると解っているのに自分達の力を増す事のできる機会を見逃す事など出来はしない。孫策らも喜々として自分たちに従わなかった近隣の豪族や県令の土地を攻め落としている。特に今まで民に圧政をしいていた非道な支配者などは、乱のせいにして彼女自身の手で斬首してしまった程だ。
これを俺達は止めなかった……どころか七乃や周瑜が中心となり、この機に応じて可能な限り自勢力を太らせるべきとして効率的にそれが行えるよう事前に計画することさえした。
この乱を利用して利益を得ようとするその黒い考え方に、蓮華などは感情的な反発もあったようだがそれによって救われる民もいるということで最終的には納得した様子を見せた。それに俺達と直接相対して争っている劉表などの敵対的諸侯も同じ様に勢力を拡大させている中で、自分たちだけがお行儀よく振る舞っていられないことは彼女も理解していたのだろう。
そうして黄巾党は有力な諸侯軍を動かしてから、主力である太平道の信者達を用いて冀州西南部、豫州西北部、そして司隷南東部で大規模な一斉蜂起を行った。
それを地図上で見れば、首都洛陽を包囲する意図をもった布陣であるのは一目瞭然であった。
だが黄巾党はそこから一気に洛陽を攻めることもしない。
もしそうしていたならば、仮に彼等が洛陽を手に入れることが出来たとしても、皇帝に逃げられてしまえばそれで終わりだっただろう。
交通の要所であり経済的な大都市であっても守るには向かない洛陽に集結してしまえば、歴史上の董卓のように全土から袋叩きにされるだけだ。それどころか仮に皇帝を捕えて殺すことが出来たとしても、今の時代では別の神輿を担がれただけであったかもしれない。
しかし彼等は洛陽を囲むことで中央と地方の軍の連携を阻止した上で、武力的に弱小な土地……主に劉氏が王として封じられていた郡などを狙って襲い、自分たちの根拠地を増やすと共に国を混乱させ乱を長期化させる動きを見せた。
可能な限り主導的に乱を鎮圧して権威を示したい漢王朝と、自勢力の拡大を第一とする諸侯達が彼等の思惑に踊らされ、各地で大規模な争いが多発していく。
そして諸侯の小規模だが連続する勝利と官軍の苦戦がついに朝廷に独力での解決を諦めさせ、漢全土に対して黄巾討伐すべしとの令が下されることに成った。
これにより全土で個別に争っていた無数の乱は、朝廷諸侯の連合軍対黄巾党主力軍という様相に姿を変えてゆくことになる。漢王朝の権威の致命的な下落と引き換えに……。
俺、七乃、蓮華、周瑜、陸遜、そしてもうひとりの軍師が一つの部屋に勢揃いし、政務をこなしたり地図上の駒をながめてああでもないこうでもないと議論したりしている。
これは中々珍しい光景で、最初は孫策などもよく部屋に来ていたのだがひらすら政務を押し付けられたりすることを嫌がって逃げ出し、ここ最近は姿を見せなくなってしまった。
今頃他の将軍と鍛錬をしたり兵を鍛えたりしているのだろうが、仮にもこの集団の長として彼女はそれで良いのだろうか……時折漏れる周瑜のため息が同情を誘う。
比類なき武人であり紛れもなく英雄の資質を持つ孫策だが、君主・統治者としては明らかに妹の蓮華の方が向いている気がする。と言っても人望や魅力は十分にあるので彼女自身が政務を取り仕切る必要は無いのかも知れないが……。
「失礼します!」
「明命……来たか」
「はい。先程朝廷より使者の方が到着なされました!」
「わかった。すぐに雪蓮達も呼んで来てくれ」
「畏まりましたっ!」
そう周瑜とやり取りをした後、すばやく一礼して足早に部屋を去っていく周泰。
今や彼女は密偵だけでなく警備や門衛、伝令などの最終責任者であり重要な報を第一に受ける情報諜報を管轄する立場を兼ねて、時折こうして重要な報を直接伝えに来てくれるのだった。
俺達はバタバタと一斉に立ち上がり目配せをする。
さて、仕込んでおいた策は成ったのか否か。
玉座の間、その最も立派な椅子に座って俺は使者を迎えていた。
左右には七乃と孫策が立っている。
本当は早く孫策にこの椅子に座る立場を譲ってしまいたいのだが、まだ表向きはそう言うことにはできないのでしょうがない。この案件は特にそうだった。
朝廷からの使者は三国志に名高いあの呂布……と言うことはなく、ごく普通の文官と武官達だ。それがこちらの息がかかった……という点を除けば、だが。
「恐れ多くも霊帝陛下の意を受けまして~」
その使者が型通りのお題目を唱えていくのを俺達は鷹揚に眺めている。彼等がここに来た、と言う時点で俺達の策は成ったと言うことは既に明らかになっていたのだった。
この黄巾の乱に対して霊帝が大后兄である何進に対して大将軍という位を与えて対処にあたらせているように、この時代正式な朝廷の将軍位とは常設のものではなく乱に応じて任命されそれが鎮圧されれば解かれるという臨時の物だった。
その大将軍何進の部下として皇甫嵩や朱儁といった人物が中郎将等の位に任命され実際に官軍を率いて各地を転戦している今、本来であればここにもその使者が訪れ、彼等の軍へ合流し黄巾党と戦う義務を負わされていた所だろう。
だが事前にこの乱を予測していた俺達は、それを避ける為に前々から朝廷工作を行っていた。
十常侍を筆頭とする宦官勢力は売官に躊躇いがなく、また何進と対立しており直接の武力を持っていない為、彼が大将軍に任じられて軍権を手にすることに強い警戒を抱いている。
「よってここに袁術殿を右将軍に任命し、良く黄巾討伐に当たれられる事を霊帝陛下よりの命としてお伝えいたします」
そんな都合のいい彼等に対し金品を積み上げ耳障りの良い言葉を吹き込み一時的にでも将軍位を賜る事によって俺達はこの周辺一帯での黄巾党に対する軍権、つまり周囲の諸侯軍をまとめ上げて独自の判断で動くことが出来る裁量権を得ることに成功したのだった。
無論あからさまに手を抜いたり逃げ回ることはできないが、危険な役目に自軍を使い潰されたりするような事はこれで回避できる。あるいはより悪辣に……こちらから周囲の有力者を使い潰して乱の後の優位を確保することさえ可能になったと言える。
尤も、将軍位を賜って置きながら近隣の黄巾党を打ち破る事ができなければ俺達の影響力の失墜は免れず、まずは何をおいても勝利こそを優先しなければならないことは確かだった。
その日の夜。
城の大広間にて使者達の歓待を兼ねて酒宴を催し、俺達一同もそこに会していた。
「まさかこんな策が本当に成るとはな……」
「ほんとよねー。冥琳ですら驚くような真似を良くやったもんだわ」
「私達ではとてもここまでの朝廷工作は無理だったからな。流石は袁家と言ったところか」
「中央への太い縁故がうちの強みだからな……それでも行けるかどうかは半信半疑だったが」
「それを実現させたのだから大したものだ」
「実際に手配したのは張勳さ。褒めるならそっちにしてくれ」
「そうか……」
その言葉に孫策と周瑜が俺の隣にいる七乃に視線をやる。
七乃は口元に手をやりながらその瞳を細めてころころと笑った。
「あら、私なんて大したことはしていませんよ~」
「……本人はこう言ってるけど?」
「そんなわけないだろ。まったく、だいぶ一緒に動いていたってのに少しも仲良くなってないのなお前ら」
「いえいえ、そんなことはありませんよねぇ~孫策さん?」
「ふんっ!」
七乃の言葉に鼻息荒くそっぽを向いて酒盃から酒をごくごくと飲み干す孫策。
「はぁ……またか……」
それを見て周瑜は頭痛をこらえるかのように額に手をやった。
この二人が軍のツートップとして立つところを筆頭軍師としてつきっきりで居た彼女の苦労が忍ばれる。
「この事はうちの雪蓮もそうだが、そちらの張勳殿の態度にも問題が無いとは言えないぞ……できればそちらできちんと言い含めて貰いたいのだが……」
そう言って周瑜がこちらを見る……それは俺から七乃に対して孫策と仲良くしろと命令しろってことか?
そう考えながら俺が七乃に視線をやると、彼女がこちらを見てにこりと微笑む。
「理羽様、私にそうご命令なさいますか?」
「い、いや……そんなことはしない」
俺は背筋にうすら寒いものを感じながら慌てて首を横に振った。
確かに命令すれば彼女は表面上はそう振る舞うだろうが、それで問題が解決するとは思えない……というか悪化する未来しか見えなかった。
「あ~、まぁ反目しあって軍の統制に問題が起きてるとかじゃなければ、あとは当人たちの問題ってことで……」
「私の心労については考慮して貰えないのか?」
「後でいい酒……いや、良い茶でも届けさせるよ」
「……はぁ。まぁ精々期待させて貰うことにしよう」
苦笑を浮かべる俺と彼女。
孫家と結んでから約一年が立ち、城詰めの多かった者達程ではないが周瑜などともこのぐらいの軽口を叩き会える程度には気心がしれてきた。
「あ、冥琳だけずる~い。私にも頂戴よ、お酒の方で良いからさ」
「お前は貰う側じゃなくて贈らなきゃいけない側だろうが」
「なによ~。私だって色々気苦労はあったんですからね」
「ほう、例えばどんなだ?」
俺がそう揶揄すると彼女はキラリと光る目を細めてこちらを冷ややかに見つめた。その視線はゆっくりと俺の後方にずれて行き、甘寧と談笑している彼女の妹……蓮華を静かに貫いた。
「だって私が陰険女に色々と嫌味を言われながら戦ってた間に、貴方はうちの妹と随分仲良くしてくれたみたいだし~」
そう言って彼女が見ている妹の姿は、腹部が膨らみ始めているのがはっきりと見て取れるだろう事は想像に難くなかった。
「あら、そう言うことでしたら私も理羽様に労って頂きたいですねぇ」
そう言って俺の手をとる七乃。
「お、おい……」
まさか孫策の言葉に便乗すると思っていなかった俺は、そんな七乃の動きについ焦りの声をあげてしまう。
彼女はそれを見て婉然と笑うと、手にとった俺の腕を胸元に引き寄せて、掻き抱く様に自分の腕を絡めた。
「冗談です理羽様。私はそんなに嫉妬深い面倒な女じゃありませんよ~、それに昨夜だってたっぷりと可愛がって頂きましたし♪」
俺の腕にこすり付けるようにその身体をくねらせた彼女が孫策にちらりと視線を向ける。
「でもぉ……独り寝が寂しい孫策さんにはさぞお辛かったでしょうから、希望通り何か贈ってあげると良いと思います~」
その言葉が終わると同時に、熱気と寒気を同時に感じるほどの気が目の前の虎から放射される。一瞬髪が逆立ったのかと勘違いするように、その毛を揺らめかせて孫策は凶暴な笑みを浮かべた。
「……随分、言ってくれるじゃない」
「でも事実ですよね~?」
「まずそれが違うわ……私だって昨夜は冥琳とくんずほぐれつ――」
「おいっ!? 何を言っている雪蓮、私を巻き込むな!?」
「え~、だってこいつ私達を寂しい独り寝扱いして――」
「だから私を巻き込むなと言っているだろう! 良いからその口を閉じてくれ雪蓮。私はそう言うことはおおっぴらに言う趣味はないんだからな」
「はぁ~い……」
不承不承と言った様子ながら、引き下がる孫策。
それをみてクスクスと笑う七乃と再度怒気を発しかける孫策と頭を抱える周瑜。
彼女には本当に良いお茶を選んで贈らねばならないと俺は思った。