恋姫転生 作:kuzuaki
「ふむ……黄巾党、か。初めて聞く名だが」
七乃の言葉に周瑜が反応を返す。
「蒼天すでに死す 黄天まさに立つべし 歳は甲子にありて 天下大吉ならん……との事らしいですよ?」
「……五行だな。それにのっとって漢の終わりとそれに代わって立つと言うわけか」
「たかが賊のくせに御大層なお題目を掲げたものねぇ」
孫策が呆れたように言う。
彼女にしてみればどれだけ立派なお題目を掲げようと賊は賊という訳だ。
「いえいえ、中々ただの賊とも言えませんよ? その中核となる戦力だけでも既に5万の兵。呼応した民兵を含めるならば15万。漢全土へ同様に広がっていくとすれば30万を超す大群となるかもしれません」
七乃が資料を卓に広げながら、あっけらかんとそう説明する。
しかし彼女が口にしたその内容は流石の孫家一党も一瞬鼻白む程だった。
「30万とは……俄には信じがたい量だな」
ちなみにこの時代の正規官軍の最大動員力は約20万程度だと言えば、この数の異常さが伝わるだろうか? 諸侯が抱えている軍も名目上は官軍なので、それを含めれば倍ぐらいは行くかもしれないが。まぁこの古代において戦時でもないのにその気になればこれだけの兵を動かせること自体、この国の強大さを表しているとも言えるのだが。
「えぇ、ちょっと異常なんですよね。母体となったのは旅芸人の観衆達なんですが、太平道とかいう妙な宗教がそこに入り交じる形で異常な結束と拡大をしてまして……」
「旅芸人ねぇ。妙な話ね」
「しかし宗教か……やっかいじゃな」
一歩引いて評定の場を俯瞰していた黄蓋がそうぽつりと呟く。
ただの賊や暴徒であれば勿論だが、鍛えられた正規兵であっても矢面に立つ兵の恐怖を消すことは難しい。
だが宗教にすがった人間は時に自分の命を捨ててでも与えられた命令を果たそうとする。そして死兵となれる兵士がどれだけ恐ろしいか、戦の経験豊富な黄蓋はよくわかっているのだろう。
戦は士気でやるものだ。かつて孫堅から繰り返しそう教え込まれた俺だが、宗教による洗脳はある意味ではその究極とも言えるものだ。
「それだけじゃありませんよ? 真面目に漢を打倒しようって考えてそうなのがその人達ってだけで、孫策さんの言うところの便乗した
「……100万とは大きく出たな」
「ちょっと貴方、適当な事言ってない?」
胡乱げな表情を見せる彼女達を前にしても、七乃は笑みを崩さない。
「では孫策さん達がよくご存知の江東で考えてみてください。それだけ大規模な乱がおきたとして、便乗して賊徒となる者をどれだけ出さずに済ませられると思います?」
「それは……」
「……嫌な言い方ね、相変わらず」
「あら、ごめんなさい」
はっきり言って、もうこの国の腐敗は極まっている。
俺も多少自分の目に見える範囲は改善してきたが、それでも荒れた民心はとても収まるものじゃない。そのくせ半端に国力があるから、わずかなきっかけで賊となる人間がいくらでもいるのがこの国の現状なのだった。
「それで、そんな馬鹿みたいな数の相手にどう対処しろっての? それともいっそ私達もその乱に乗ってみる?」
「姉様!?冗談でも賊に組するなどと!」
孫策の軽口に、生真面目な孫権が声を荒げた。
「でも賊はただ便乗してるだけなんでしょ? 中身が真面目な反乱で勝ち目があるんなら、その中で上を目指すのもありよね」
「……項羽や劉邦のように、か?」
「そうそう。その場合私と貴方、どっちが項羽でどっちが高祖になると思う?」
唇の端を歪めるように、孫策がこちら見て笑う。
俺は頭を振ってその悪い冗談を振り払った。
「高祖の時と今とじゃ状況が違う。どれだけ大きな乱でも、諸侯が乗らなければ勝ち目は無いさ」
「本当に乗らない? 誰も?」
「あぁ……乗らない」
正確には乗れない、と言うべきだが。
高祖が作り上げこの漢と言う国は、歴史上初めて中華全土の統一を成功させた秦への反乱が成功して生まれたと言う由来の国なのだが、その時と今では状況が全く違う。
中華を支配した始皇帝は滅ぼした敵国の民に圧政を敷いていたし、統一後の在位も10年程度にすぎない。つまり秦という帝国はまだ統一後間もなく、中華は戦国時代の火種を強く燻らせたままだったのだ。
始皇帝の崩御後に起きた大規模な反乱は、圧制下にあった各国の残党がまたたく間に呼応し、先に名前のでた項羽や劉邦などを中核として中華全土に膨れ上がりついには秦を打倒したと……ざっくりと大枠だけで言うとこんな感じだ。
それは反乱と言ってもあくまで戦国時代の延長線上にある出来事であり、秦を打倒した反乱軍の指導者達もまた元々支配者層にあたる人物達が主だった人間だった。
だがこの黄巾の乱は違う。
約400年続いたこの国の腐敗に耐えかねた人々が今起こすこの乱は、正真正銘被支配者が支配者へ反乱する戦いだと言える。
漢への反乱が起こる、と孫策たちはある意味他人事の様に言っているがその漢とは一体誰のことだろうか。民が恨んでいるのは皇帝か?それとも三公か?専横を行う十常侍のような宦官か? いや、その誰でもない……民が恨んでいるのは、自分たちから搾取する支配者層そのもの。
それはつまり、俺達のことだ。
どれだけ民を気にかけようと善政を敷く気があろうと関係ない。
俺は勿論、孫策達だって食う物着る物に困ったことなど無いだろう。ボロ布をまとった餓死者があふれる世の中で、当たり前のように美食を楽しみ、身体を着飾っている。
それを得られるだけの実力があるのだと言ってしまえばそれまでだが、じゃあ何の落ち度もない真面目な農民が餓死するのは良いのか?
俺達はあまりにも、そして当然のように支配者側の人間なのだ。
まぁ民主政でもないこの国で支配者の特権にあれこれ言ってもしょうがないし、身を削る施しなんかで世の中を変えることは難しい。
良い悪いではないのだが、それでも……過酷な税、ずさんな治安。悪人が賄賂で見逃され、正当な訴えをあげたものが罪を着せられ殺される。そんな何もかも奪われるだけの日々を過ごす人間が、俺達の様に不自由なく裕福にくらす人間をみて理不尽に思わないではいられないだろう。
蜂起を前にしても、既存の兵力を持った諸侯に何の打診もしていない時点でわかる。
この乱の根底にあるのは、怨嗟だ。
故に何かの決着がつくまで、俺達と奴らが道を同じくすることはない。
「そう……それじゃ叩き潰すしかないわね」
そして乱を起こす者達が負ける側と見れば、彼女はあっさりとそう言う。それで良い。俺達は支配者で、善意にせよ悪意にせよこの立場から動くしか無いのだから。
……まぁ俺は豊かな暮らしを手放す気が無いだけだけどな。
「頼むぞ江東の虎」
「ちょっと、まさか丸投げする気?」
「何しろ全ての権限は孫家に移譲する盟を結んだものでな」
「それは蓮華が子供を生んでからの話でしょうが!」
「ん……なら、今はまだ孫策達は俺の臣下って事にするのか?」
「あら、なぁに? 私にどんな命令がしたいのかしら……袁術 さ ま ?」
孫策がふざけた様子でしなを作り俺に微笑みかけてくる。だがその笑みはまるで獲物を前に舌舐めずりする猛獣のそれだ。背筋にゾクゾクとしたものが奔る俺の前に青髪の後ろ姿が割り込む。
「あら、また飼い猫に戻りたいのでしたらいつでも仰ってくださいね?」
「……誰が飼い猫ですって?」
七乃と孫策が、にわかに剣呑な目線を交わした。
「いい加減にしろ雪蓮。評定の最中だぞ」
「いたっ……何よもう。軽い冗談だってば」
周瑜にこづかれた頭を抑えながら孫策が唇をとがらせる。
そんな彼女を見て笑いながら、七乃は何事もなかったかのように説明を続けた。
「そう言うわけで、この黄巾党の起こす未曾有の大乱は防ぐことも乗ることもできません。ですので、この乱を前提にいかに我々の被害を防ぐか。いかに力を蓄えるか。そしていかに飛躍するかという事を議題としてあげようと思うのですが、よろしいですか?」
「道理だな」
「ですねぇ~」
「えぇ……そうする他無いと思います」
一同が順々に賛意を示していく。
最後に孫策が小さく息を吐き、肩をすくめた。
「そのために、この盟を受け入れたんですものね……。えぇ、わかってる。皆、やるからには最高の結果を目指すわよ?」
応、と当主の意気に答える孫家の面々。
「さて、具体的な絵図を描くにはもう少し情報が欲しい所だが……その抱えた書簡は飾りではないだろう?」
周瑜のその怜悧な微笑に、七乃もまた笑みで応じた。
「勿論です。以前から黄巾党の主要な集団になりうる者達の中に草を潜らせてありますから」
「それはまた、流石と言うべきか?」
「それは勿論。何しろ理羽様のご慧眼あっての成果ですから」
「ほう……?」
眼鏡の奥からこちらを射抜こうとする周瑜の視線を無視し、俺はため息をついた。
七乃が広げた資料を元に、諸将が積極的に意見を出し合い始めている。
当主によって大方針が決まり具体的な話になってくれば、やはり孫家の連中は動き出しが早い。この場にいる面々の才覚が光って見える様だ。
それにしても、ついに始まってしまうか。
あぁ……突然天から御使いが降りてきて、謎の力で数年で戦乱を全部終わらせて世界を平和にしてくれないものだろうか……。