――・〇・――
《狂愛(きょうあい)》
『愛しているよ、吹雪・・・・。僕が愛しているのは、君だけだ・・・・』
ギシギシと軋む寝台の上で、彼は、この日何度目かの愛言を囁く。
鎮守府の主たる彼の寵愛を受けてからすでに数週間。私は、唯々ひたすらに彼と連日連夜躰を重ねる日々を送った。
彼と口づけを交わし。
舌を絡め。
足を開き。
胸を揉み吸われ。
彼が吐き出す性欲を、ひたすらに受け止める。
彼とのまぐわいは一度や二度で終わることはなく、それこそ絶倫という言の葉が最適当と思えるくらいの性欲で、私は、昼夜所かまわず彼に抱かれ続けた。
艦娘とは、提督という主の為に存在し、提督という主の為に生死するイキモノである。
故に、その主たる彼とのまぐわいは承諾する以外の選択肢を、艦娘である私は知る事も無かった。
知る必要も無かった。
でも、唯一つ。たった一つだけ、私は彼に問いたいことがあった。
――――司令官。『吹雪(わたし)』は、何時になったら貴方に着任のご挨拶が出来るのでしょうか?
――・〇・――
―――――ここは、どこだろう。
グニャグニャだった視界が正常に戻った時、私は、見知らぬベンチに腰かけていた。
(あれ・・・・?私なんで、こんなとこに居るんだろう・・・・・?)
確か、今まで間宮に居たはずなのに、私はどうしてこんな所で寝ているのだろう。
店からここまでの道程を思い出そうと頭を捻ってみたが、どういう訳か頭の中全体に霧がかかっているようで、うまく思い出せない。
(確か・・・・。お店で、――---ちゃんとお話ししてたはずなんだけど・・・・)
それでも何とか会話をしていたはずの誰かを思い出そうとしたのだが、ちょうどその人物の名前に差し掛かったところで、また、あの雑音が頭の中に響き渡る。
そして、その雑音は会話をしたはずの人物の輪郭さえも覆い隠してしまうのだ。
――――誰だっただろう。
確かにあの時、名前を聞いたはずだし声も聴いているはずなのだが、今となってはその人物がオトコだったのかオンナだったのかも、よく分からない・・・・・。
(・・・・もういいや、なんか面倒くさい)
ほんの少し前だったはずの事さえも思い出せないことに対して、私は一応猜疑心のようなモノを抱いてみたのだが、それすらも些細なことのように思えて、私は考えるのを止めることにした。
そう、いまの私にとっては、自身の記憶異常よりも、この異様な睡魔の解消が重要に思えたのだ。
(・・・司令官。私は少し眠りますから、気が向いたら起こしに来てくださいね・・・・)
心地よく躰を包み込む睡魔を抵抗なく迎え入れ、微睡で重くなる瞼を少しずつ降ろしていく。
この瞼が再び開いた時、きっと私は司令官の腕の中にいる事だろう。
そして、彼の笑顔に迎え入れられて、彼の寝台でまぐわっている事だろう。
そう、彼がいつも笑顔でいてくれることが、私が望む願いであり、私が存在する唯一つの理由なのだから。
(そう・・・・私は・・・あのヒトの・・・・)
いよいよ睡魔が限界を超え、思考も、視界も夢幻の彼方へと旅立だとうとした。
その時だった。
「こんなとこで寝たら、風邪引くよ」
――――え?
突然に誰かに呼ばれた気がして、私は夢幻へと飛ばしたはずの意識を強引に現世へと戻した。
――――だれ・・・?誰が私に話しかけたの・・・・?
重くなった瞼をうっすらと開けたとき、ぼやけた視界に桜色の色彩が映り込む。
―――――あなたは、だれ?
少しずつ明瞭になる視線を上に向けながら、桜色の色彩のそれは艦娘の制服だったことを理解した。
このヒトは、誰だっただろう。
何処かで会ったはずなのだが、うまく思い出せない。
背格好からして、駆逐艦ではなく軽巡洋艦のようなのだけれど・・・・・。
「やっと起きたね。・・・まったく、間宮であれだけ大騒ぎしたっていうのに。あんた、店の娘達に謝りもしないで出て行っちゃうんだもんね」
私の疑問に答える事無く、目の前の軽巡洋艦はフンと鼻を鳴らす。
どうやら、彼女の話では、私は間宮で大騒ぎをして、そのままここに来てしまったらしい。
そして、彼女はその時店に居て、その大騒ぎの被害者の一人なのだそうだ。
ただ、どうして私は大騒ぎなどしたのだろう。
私は、食事は静かに食べる派だったはずだし、食事もした記憶がないのだが。
「ほら、とにかく立って。謝りに行くよ」
言って、目の前のオンナは私の肩に手を伸ばす。
私に何の了承も得ていないと言うのに、このオンナは自分の都合で私をどこかへと連れて行こうとしているようだった。
「ほら、吹雪。立ちなって」
【吹雪】
また、そう呼ばれた。
――――どうして。
どうして、此処の艦娘達は私をその名前で呼ぶの?
吹雪と呼ばれたことに、私はこのオンナにかつてない程の憤りを覚えた。
――――違う。
先ほどまでの微睡はどこへやら、一度抱いた憤りは恐ろしいまでの速さで憎悪へと切り替わり、白刃の如き殺気へと置換されていく。
――――違う。
お前は吹雪。
――――――違う!
お前は吹雪
――――-違う!!
お前は吹雪チガウおまえは吹雪チガウオマエハ吹雪チガウオマエハフブ違う!オマエハ吹雪チガウ!おまえはフブキ・・・・・・!!!!
「・・・ちがう・・・・!」
「え・・・・?」
心中を掻きまわす糾弾と侮蔑、それを否定せんがために同数繰り返す憤りと否定を叩き切る様に、私は、思ったことをそのまま口にした。
どうやらその言の葉は目の前のオンナにも聞こえていたらしく、オンナの伸ばす手が止まったのが視界の上端に映る。
―――――どうして。
どうしてあなたまで私を侮辱する。
否定しようとする。
貶めようとする。
辱めようとする・・・・・。
私は、わたしはぁあ”あァ”―――――っ!!!
「私は。吹雪なんかじゃないっ!!!」
言うが早いか、私は右手に意識を集中させ、愛砲である12・7cm連装砲を召喚した。
鎮守府での武器を含む艤装展開はご法度であったが、今はそんなの関係ない。
いまは、無性にこのオンナを撃ちかった。
今すぐ、このオンナで否定したかった。
ただそれだけが、私の全心を支配していた。
「ちょ・・・・っ!?」
「あぁ”ぁぁ”ぁ亜”ぁぁあ”あァ”ぁああ”――――っ!!!!!」
咆哮を上げ飛び掛かった私の視界に、狼狽するオンナの顔が視界いっぱいに広がる。
完全に意表を突かれたオンナは、大した抵抗も出来ずに私に押し倒され、愛砲のゼロ距離射程に収まった。
「ちょっと、吹雪アンタ――――」
「黙れェ!!私は、吹雪ジャナイ!」
愛砲をオンナの顔面にあて、私はもう一度否定の言の葉を紡いだ。
まだ、私をそう呼ぶのか。
どいつもこいつもいったい何度言えばわかるのか。
私は、『吹雪』ではない。
そう、『吹雪』などではないのだ。
「・・・バイバイ。私を吹雪と侮辱する、誰かさん」
愛砲のトリガーに指を掛け、そのまま握り込む。
カチリとトリガーの音が聞こえ、撃鉄がゆっくりと雷管を叩いた。
その直前だった。
「そこまでです」
な、に――――――?
突然、後ろから別の誰かの声がし、同時に私の視界は180度反転する。
「ふあぐ・・・っ」
反転した視界は、私を阻止した者の顔を刹那の時だけ映した後、砂利交じりの地面へと移行する。
それと同時に、手にした愛砲がもぎ取られ、砲弾が虚空へと消えて行った。
そこまでの一連の出来事が、まるで一秒にも満たない程の時進みで移り変わったのだった。
「姉さん。ご無事で」
私を地べたへと組み伏せながら、もう一人の艦娘はそういった。
声音からして、どうやら愛砲を向けた軽巡洋艦の姉妹の様なのだが、一体どこに隠れていたのか。
「だれ、貴方だれなの。一体何の権限があってこんなこと・・・・!?」
砲撃を阻止された事と、いきなり地べたに擦り付けられた事への憤りをこめて、私は組み倒した誰かを睨み付ける。
砂利を巻き込みながら頭を傾けると、逆光交じりではあるが、私を組み伏せた者の顔が横目に映り込んだ。
私でも思わず美人だと言わしめる程も、清楚な顔立ち。
腰まで届くほどの栗色の髪と、それを纏めるように結ばれた薄荷色の大きなリボンが印象的な鉢金。
そして、我が愛砲を向けたオンナと同じ色彩に染められた、まるで時代劇ものにでき来そうな変わった制服。
間違いない。
このヒトは。いいや、このヒト達は・・・・。
「じん、つう・・・さん・・・・・?」
記憶の引き出しから該当するはずの名前を選び出し、言の葉に載せる。
「はい。覚えていてくれたのですね、嬉しいです・・・・」
正解だったのだろう。
頭上のヒトはもの悲しげな顔でにこりと笑った。
なら、私が撃とうとしたヒトは・・・・。
「せんだい、さん・・・・なのですか?」
いまさら芽生えた罪悪感に狼狽えながら、私は、目の前に佇むヒトにそう言の葉を掛ける。
「・・・・・・」
そう呼ばれた彼女は、何も言わずにただ手を挙げた。
ただ、何故かその顔にはまるで自分の方が悪いのだと言わんばかりに苦渋に歪んでいた。
「私は・・・・なんてことを・・・・・」
抱いた罪悪感が、先のソレと同じ速度で私を飲み込んでく。
なんて愚かなことをしてしまったのだ。
よりにもよって、このヒト達に砲を向けるなど。
「ごめんなさい・・・・ごめ・・・なさ・・・・・」
いったい何時ぶりだろう。
誰かに、謝罪の言の葉を述べるのは。
それに、誰へ向けて謝罪の涙を流すのも、随分久しぶりのような気がする。
「・・・・神通、もういいよ。離してあげて」
「え・・・。あ、はい」
センダイさんの下知で、ジンツウさんは私を組み伏せていた手を離していく。
握り潰さんばかりの指圧が無くなり、背中にあった重みと温もりが無くなるのを確かめた私は、ようやく地面から顔を離すことが出来た。
「頬、擦りむいてるね」
「・・・・!!!!っ」
何気なく言ったセンダイさんの言葉に、私はびくりと躰を跳ねさせた。
いけない。
これが司令官にばれたら、このヒト達は、また・・・・・。
「大丈夫だよ。もう、そんなに怯えなくたっていいんだ・・・・」
やんわりと頬を摩り、センダイさんは悲しげな表情を浮かべる。
どうして?
どうして、貴方は私をそんな顔で見つめるの?
だって、私は貴方を壊そうとしたのに。
「ねえ。教えて欲しい事があるんだ」
困惑する私の頬を撫でながら、センダイさんは徐に真面目な表情を作ると、私にこう問うた。
「・・・貴方は、誰なの?」
見つめる顔に悲哀と悲痛を載せて、センダイさんは私にそう問うた。
私に向けるその顔には、司令官が何時も向けてくれる優しくも何処か狂気を含んだ愛情ではなく、純粋な哀情を含んだもの。
私を彼の狂気の受け皿としてしまった罪。それを是としてしまった己の懺悔を以て彼の者への贖罪としたいと訴える、自責の眼だった。
「私は・・・・、吹雪ではありません」
ぽつりと呟いた私の答えに、センダイさんは「そっか」と、どこか寂しげに応えた。
そう、私は『吹雪』などではない。
だってそれは、無能で、卑怯で、司令官やこの鎮守府の仲間を壊すことしかできなかった愚かな艦の名前なのだから。