電「ありがとう・・・なのです」
青かった空が薄い茜色に染まり始めたころ、溜め込んでいたものを吐き出した電はようやく笑顔を見せた。
泣き腫らし、赤く染まった目じりで微笑むその顔は、先ほどとは打って変わって朗らかでとても柔らかかい。
電「ごめんなさいなのです。服、汚しちゃったのです・・・・」
小動物よろしくシュンとうな垂れて、電はそうゼルテネスに謝罪してくる。
確かに、着物の胸元は若干着崩れしており、擦り付けた涙は決して小さくない染みを作っていた。
ゼルテネス「だいじょうぶ、気にしないで。確かにちょっと冷たいけれど、それで貴方が元気になったのなら、これも立派な勲章よ」
電「くんしょう・・・・なのです?」
言われた言の葉が理解できず頭上にはてなマークを掲げる電に、ゼルテネスは茶目っ気を混ぜて言った。
ゼルテネス「そ、普段決して見せなであろう電の『本気の泣き顔を拝むことが出来ましたで賞』。その記念勲章ってところかしら」
もう一つの口癖である『本気』を織り交ぜて、ゼルテネスは妙に誇らしげに言って見せる。
その、何某勲章とやらを送る形となった当の電は、ポカンと一瞬だけ呆けたかと思うと、本日二度目のふくれっ面を浮かべた。
電「・・・・もう、ゼルティさん。今日は本当に意地悪なのです・・・・」
「ぷくーっ」と頬を含ませて抗議というより苦笑を浮かべる電だったが、それも一瞬だけのこと。すぐに笑顔を作って二人で笑いあった。
先ほどの湿っぽい空気はどこへやら、店内に広がる朗らかな笑い声に誘われるようにして茜色に染まり始めた空から薄紅色の光が店内を優しく照らし始める。
どうやら結構長い間、電を介抱していたらい。徐にテーブルに置かれたアイスクリームに目をやったゼルテネスは、頼んだアイスクリームに降りかかった災難にわずかに眉根を寄せた。
ゼルテネス(アイス、とけちゃったわね・・・・)
泣き崩れた電をずっと介抱していたためか、ゼルテネスのアイスクリームはすっかり溶けてしまっていた。
電の方も、容器の隣に最後の一口を乗せたスプーンを落としてしまっており、テーブルは解けたアイスと水滴で中々に酷い有様となっている。
まだ話したとこは色々あるけれども、流石にこのミルクセーキ状態のアイスと汚れたテーブルで雑談を再開するのは気が引ける。
そう思い、ゼルテネスは電に追加の注文を提案することにした。
ゼルテネス「もう一度頼もっか」
電「なのです」
こくりと頷いたのと同時に、電の右肩が僅かに動く。
恐らく、介抱してくれた御礼と、汚してしまった制服の謝礼のために自分の代金を肩代わりするつもりなのだろう。
だが、この間宮アイス。格別な美味に比例してその値段もまた、格別であった。
ゼルテネス「電。さっきも言ったけれど、制服のことは気にしてないから」
電「で、でも―――――」
自分の介保をしたせいでアイスを台無しにしてしまったのだから、やはり何かしらの謝罪をしないと自分の立つ瀬がない。
そう言いたげにこちらを見やる電に、ゼルテネスは「気にしないで」とやんわりと断り追加の注文しようとした。
その時だった。
「やあ~。いなづま、ゼルティ~~」
突然、店の入り口からぷーんと酒臭い臭いと共に少女の声がし、二人はそちらを向く。
見ると、白一色のセーラー服を纏った銀髪が印象的な少女が陽気な顔つきで此方に手を振っていた。
電「ひび――ヴェルお姉ちゃん」
ゼルテネス「Верный」
電とゼルテネス両方から二種類の呼ばれ方をした少女――ヴェールヌイは、日ノ本の言葉ではなく異国の言の葉で二人に挨拶を返す。
ヴェル「やあ~、二人とも~。Как дела?(元気かい?)」
そう言って、ヴェールヌイは少々おぼつかない足取りでゼルテネスの向かい側にどかりと座った。
ソビエト連邦改めロシア連邦 駆逐艦『Верный』。
旧名を、特三・暁型駆逐艦二番艦『響』。日ノ本の前身たる大日本帝國海軍が建造した特型駆逐艦。その22番艦目の駆逐艦にしてかの大戦を生き延びだ数少ない戦船。
そして、暁型の末妹である電の姉の一人でもあった。
ゼルテネス「ヴェル、あなたは今日どこまで?」
腰掛けた拍子にふわりと広がった銀髪から硝煙と潮のにおいが鼻孔をくすぐってきて、ゼルテネスは徐にヴェールヌイに問う。
曲がりなりにも艦娘は軍艦であるから、躰から硝煙や油の匂いが漂うのは別段珍しいことではない。
しかし、艦娘は戦船であると同時にオンナでもあるから、彼女たちは必ず出撃の後に入渠ドック――ドックは治療だけでなく普通の入浴もできる――で汗と臭いを落としてくることがほとんどである。
だが、どういう訳か彼女が入浴をするのは就寝前か朝礼の後くらいなもので、よほど酷い成りでない限り出撃後に入浴することはほとんどなかった。
ヴェル「юг(みなみ)」
異國の言葉で一言そう応えて、ヴェールヌイは制服のポケットから自前のウォッカボトルを取り出し躊躇なくグビリと呷った。
南方海域。
四年前の開戦以降、たびたび大規模な海戦が繰り広げられてきた海域の一つである。
この海域には、初戦において國土を追われたアメリカ合衆國の大本営である『ガダルカナル島鎮守府』が存在する。
ちなみに、初戦にて大敗を期したアメリカであるが、現在では世界最大の艦娘数を誇る強大國へと見事に復活をとげている。
しかし、かの海域を跋扈する深海棲艦もまた一二を争う強敵揃いであり、日々の戦果はあまり芳しいものではなかった。
ヴェル「朝、南方海域の泊地の一つから救援要請を受けて川内さん達と一緒に出撃したんだ。でも、着いたときには、もう・・・・」
悔しそうにそう言って、ヴェールヌイは明らかに度数の強そうなウォッカをグビグビと呷る。
一リットル近く入りそうなウォッカのボトルは、そろそろ半分を切ろうとしていた。
――――深海棲艦。
彼の海棲生物たちが、何時、何処で、どのような意図で創造され人類に牙を剥いたのかは、いまだ謎に包まれている。
ただ、一つだけ確かなことは、彼の者たちの躰には人類の英知の結晶が悉くはじかれ、無力化され、人類最強とうたわれた核兵器ですらもその身を焼くことは出来なかったという事。
その躰にただ一つ楔を打ち込むことができるのは、深海棲艦の出現と同時に現れた『艦娘』と呼ばれる存在だけだという事であった。
―――――艦娘。
ある一人の海軍将校が遭遇したとされる体長10センチにも満たない『小さなヒト』との協力により誕生したヒト型起動兵器の総称であり、固有名称である。
自らを『妖精』と名乗ったその何者かは、『船魄(センパク)』と呼ばれるその船舶を構築する概念物質《たましい》を降霊し、物質化。
さらに、その物質化した船魄にニンゲンの血肉を殻として被せることで、ヒトの形を持った人ならざる者『艦娘』を創り上げたのである。
妖精の手により創造された艦娘達は、その体躯に纏った『艤装』と呼ばれる鉄火により深海棲艦の肉体を文字通り引き裂き、骨を砕き、水底へと沈めた。
当時、妖精体現の地である日ノ本にしか存在しなかった艦娘の創造技術は、次にドイツへと提供され、その後EU、そして、世界最大の軍備力をもつアメリカ合衆國へと渡った。
そして、各國はそれらの技術を独自に発展させ、艦娘たちを創造し、深海棲艦へと捲土重来を始めた。
三年に及ぶ戦いの末、ニンゲン達は快勝とまではいかずとも深海棲艦から多くの海域を奪取することに成功したのである。
―――――だが、その威勢も、あの敗戦以来過去の物となって久しい。
ヴェル「信じられないよ・・・・。あの大戦で鬼畜米とまで言われたあの國が、今やこんな有様だなんて・・・・」
悔しがるように言って、ヴェールヌイはクピクピとウォッカをあおる。
何時の間に一本目を飲み干したのか、ヴェールヌイの持っているボトルは別のものに変わっている。喋るたびに口から濃厚な酒の匂いを漂わせながら、彼女は躊躇なく二本目のふたをくるくると回し始めた。
電「・・・ヴェルお姉ちゃん。その、あまり飲みすぎるのは・・・・」
流石にまずいと思ったのか、電はおずおずと諫めるようにいう。
一応、この鎮守府では自由時間であれば自己責任で飲酒喫煙が認められているが、流石にその量では任務に支障が出兼ねない。
ヴェル「別にいいじゃないか、今は自由時間なんだし。それに、次またこうして飲めるかわかんないんだ」
電の制止を無視して、ヴェールヌイは、二本目のウォッカを一気に呷る。
ごくごくとヴェールヌイの喉が鳴り、先ほどのものより気持ち小さめのボトルに満載された液体がすさまじい勢いでなくなっていく。
一刻の後、ボトルが垂直近くになったところでボトルから口を離し、ヴェールヌイはうっとりした顔で「ふわぁ~」と息を吐きだした。
ヴェル「ほぇ~~~。まっらく・・・いまじゅまは・・・まら、ころも、なんら、から・・・・・」
吐き出された濃厚なウォッカ臭に思わず両手で鼻を覆った電とゼルネネスたちをしり目に、酔っ払いの常套句をしゃあしゃあと垂れ流したヴェールヌイは、そのままテーブルに突っ伏してしまった。
電「・・・。ヴェルお姉ちゃん?お姉ちゃんでば」
こんなところで寝られてしまっては風邪を引いてしまうし、店主である間宮にも迷惑がかかってしまう。
困り果てた表情で電はゆさゆさと体を揺して起こそうとするが、すでにヴェールヌイは夢の中へと行ってしまったらしく、妹の心配をよそに気持ちよさそうに寝息を立て始めていた。
電「まったくもう。しょうがないお姉ちゃんなのです」
やれやれと肩をすくめて、電はため息をつく。
日がな一日、暇さえあればこうして酒を煽っているヒトであるけれども、電の聞く限りでは他の飲兵衛たち同様一応節度は守って飲んでいるようだし、ゼルテネスの知る限りでは外出先で潰れることも滅多に無い。
ということは、今日はいわゆる厄日だったということだろうか。
ゼルテネス「さて、私たちもそろそろ行こうか」
僅かに苦笑しながら、ゼルテネスは電にお開きの提案をする。
正直なところ、まだ電に聞いておきたいことや話したことはあった。
けれども、このままヴェールヌイを店内に置いておいてはほかの艦娘たちの邪魔になるだろうし、店主の間宮にも迷惑がかかる。
何より、このまま姉の醜態を晒し続けるのは、暁型駆逐艦の姉妹艦としても憚られるところだろう。
電「なのです。えっと・・・・」
自分の食事代を出そうと制服のポケットを弄り始めた電に、ゼルテネスは「いいよ、私が出す」といった。
電「そんな、悪いのです・・・・っ」
両手を胸のぶんぶんと小刻みに降って、電は断りの動作をする。
元々、間宮での食事は自分の提案だったし、姉の横槍や自分の粗相のせいでゼルテネスに要らぬ気遣いをさせているのだから、此処はどちらかと言えば自分のほうが支払いをすべきだ。
そう言外で訴える電に、ゼルテネスは電の頭をポンポンと軽く叩くと涎をたらし始めたヴェールヌイをちらりと見やる。
ゼルテネス「気にしないで。その代わりといっては何だけど、ヴェルを部屋まで連れて行ってくれない?」
電「・・・・了解なのです。ありがとうなのです」
またも何だかんだで丸め込まれた気がするが、せっかくの厚意を無下にするのも悪い。ならば、此処はゼルテネスに甘えるとしよう。
電はぺこりとお辞儀をすると、「Да」だのと「Большой」だのと意味の分からない寝言を言い始めたヴェールヌイを軽々とおんぶする。
外見からは想像できないが、電をはじめ艦娘たちは成人男性ならば軽々と持ち上げることが出来るほどの怪力を有する。
そのため、同じ体格であるヴェールヌイを背負うことなど朝飯前であった。
電「お先に失礼するのです。間宮さん、ごちそうさまなのです」
会計のため店の奥から出てきた間宮に軽くお辞儀をし、電はヴェールヌイを連れて店を後にした。
今店にいるのは、会計中のゼルテネスと店主の間宮だけである。
ゼルテネス「すみません。騒がしくしてしまって」
店での一連の騒動に謝罪しつつ、ゼルテネスは電の分も含めた代金を支払い始める。
詫びも含めて気持ち多めの支払いをしようとするゼルテネスに、間宮はにこりと笑って首を横に振った。
間宮「謝る必要はありませんよ。賑やかなのはいいことだから」
ゼルテネス「ありがとうございます。間宮さん」
差し出した多めの代金から本来の代金のみを受け取る間宮に、ゼルテネスは「要らぬお節介を焼いたか」と反省したときだった。
ゼルテネス「間宮さん?」
ふと自分の見つめる間宮の顔が妙に悲しげなものなっているのに気づき、ゼルテネスは何となく胸がチクリと痛むのを感じた。
何故、そんな悲しげな顔で自分を見るのだろう。
まるで、これから死地に旅立つ想い人を見つめるような。犯した罪を噛み締めるような、とても痛々しく、そして、苦しそうな顔をしている。
間宮「それに――」
そう言いかけて、間宮はゼルテネスの手にそっと自分の手を重ねる。
戦船である自分とは対照的な、白くて肌触りの良い暖かい手。
その柔肌でゼルテネスの手を握り、彼女は言った。
間宮「・・・・それに、あの子たちと楽しそうに話しているあなたのことの見ていると、ね」
微笑む間宮に何とも言えない気持ちを抱いたゼルテネスは、唇をキュッと結び顔の半分ほどが見えなくなるくらいに俯いた。
―――――あなたというヒトは、何故いまさら私にそんな言の葉を掛けるのですか?
私とあなたとでは、生きる世界も、背負う御旗も、向けられ放たれる言の葉も違うというのに。
向けられた哀切の思いに苦渋の表情で俯く少女に、間宮はあるコトノハを掛ける。
間宮「・・・天照ちゃん?」
そのコトノハは、ある艦娘の名前。
だがその名は、艦娘(ひとまえ)はおろかニンゲンたちの前でさえ音にすることさえ憚られる悪魔の名前だった。
ゼルテネス「・・・・すみません間宮さん。ご馳走様でした」
ぎりりと心を締め付ける罪悪感を押し込め、辛うじて謝礼だけを伝えたゼルテネスは間宮の哀感を振りほどき小走りに去っていった。
間宮「・・・・・・・」
残された間宮は、会計台の上に置かれたままの食事代と出て行った店の入り口とを交互に見やり、今更ながらに己の軽薄さと無恥を後悔する。
そして、去ってしまったかの者の残滓に、「ごめんなさい」と何度も謝罪の言葉を述べるのだった。