踏みにじらなきゃ(使命感) 作:常識R(白黒茶色玉)
あるところに男がいた。
男は死にかけていた。
不摂生からなる生活習慣病だった。
男は独身だった。
男は卑屈だった。
男は腐ったような目をしていた。
男は主人公ではなかった。
ただ、卑屈で友達がいないというだけで『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』の主人公と自分を重ね合わせていた。
実際には主人公と呼ぶにはあまりにも不向きな男だった。
男は誰にも惜しまれることなく死んだ。
男は後悔しながら死んだ後、よくわからない空間にいた。
男は喜んだ。
これってつまらない現実から逃避したくて読み続けた転生とか憑依とかの展開じゃないか?と。
そして、その予想通り神様的な何者かは男に
特典は何でも良い。
しかし
挙句に譲渡する際に特典は大幅に劣化減衰すると、神様のような何かは伝えた。
男は喜んだ。
これで漸くクソみたいな人生が報われると。
ここからチート能力でヒーローになって可愛い女の子にモテモテな生活を送れるんだと。
勿論、譲渡などする気はない。
己がヒーローになって報われるのが当たり前だからだと。
しかし、現実は甘く無かった。
この世界のヒロイン達は根こそぎ
結果はこれまでの通りである。
そして次に選ばれて『比企谷八幡』となった男も同じだった。
チート能力を与えられて、ヒーローになろうとして、悪役に呆気なく潰されてしまった。
そしてその次もそうだった。
その次も、その次の次も。
とはいえ、
1つは身を隠して原作キャラクターと関わらず、チートも使わず普通の生活をして一生を終えること。
再び前世のようなクソみたいな生活を終えるということだった。
そもそもスーパーヒーローになどなろうとせず、現実に負けることを諦めるということこそ、原作にあるべき『比企谷八幡』ではなかったのか?
スーパーヒーローになって全てを救って手に入れようとするなんて余りにも『比企谷八幡』ではないだろう。
1つはチートに頼らず、素の努力のみで己を鍛え上げること。
しかしそれが出来ていたならば、前世で腐った人生は送っていなかっただろう。
どこかのロボットが言っていたが、『ダメなやつは何をやってもダメ』。
それに、努力したからとはいえ成功は約束されていない。
そんか厳しい道を選ぶものはいなかった。
そもそもボッチの皮肉屋というだけで比企谷八幡と自分を重ねて、そこに原作にはないチートパワーで何でも思うように成功させたいと思う人間達にはそんな発想や努力の継続意思は出て来ない。
1つは誰かにスーパーパワーを託して死ぬ。
それを繰り返すこと。
しかし死ぬのは怖い上に、自分がなりたいヒーローを誰かに託すなんてことはしたくないだろう。
後悔しながら死んで消えるところをやり直せた上に、今度こそマトモな人生を手に入れられるはずだったのに、それを簡単には捨てられないだろう。
その為に譲渡すると能力が減衰するから自分が使った方が良いなんてのは丁度よい大義名分になる。
1つは洗脳系チート能力に依らないコミュニティを作り上げ、
これが一番難しいだろう。
他人に好かれず求められないからボッチになった人間には難し過ぎる。
人との繋がりを作れない人間だから安価なチート能力やイベントでしか恋愛を築けるビジョンを想像出来ない。
現実でのポジティブでアクティブな集団のリーダなどとは言わずとも、所謂普通な恋愛を構築する事も出来ない者が他の世界に行ったとしてそれが出来るだろうか?
いや出来まい。
ボッチにはそれが出来無いからボッチなのだ。
男たちの前世の上位互換である八幡にも出来無い事ができるわけが無い。
負け組のオタクという共通点で己を比企谷八幡に重ねて、その比企谷八幡がハッピーエンドにならなければ自分も否定されたという被害妄想で発狂する負け組。
現実の自分を負け組から脱却させる努力もしないくせに、負け組から八幡を脱却させないことが許せない男達。
そんな男達にハッピーエンドが来る可能性など最初から無かったのだ。
比企谷八幡の器である限り、比企谷八幡の外側を求める限り、比企谷八幡にさえ届かない中身である限り、『HACHIMAN』である限り、カウンター『HACHIMAN』である
そして今日もHACHIMANは死んでいく。
スーパーチートを蹂躙モノ