その途中で面倒な人間に出くわした。
俺が帰郷した初日、王との会話に出てきた女、第一王子イチイバルドの妻・ファスツォーネだ。
正確にはもう未亡人な訳だが。
この人、美人だが性格がきついから苦手なんだよな。
俺の母が唯の町娘であった事も大きな理由ではあるだろうが、俺に対しては特に風当たりがきついように思う。
母が王族ではない、それ以外は特に疎まれるような理由はない筈なのだが。
そんな事を考えつつ、彼女を見る。
ファスツォーネは腰まである長い髪を靡(なび)かせ、いかにも王族といった豪華な雰囲気を身に纏い、物凄い存在感を放っている。
豊満な胸が零れんばかりに胸元が大胆に開いた豪華なドレスに身を包み、もう三十代後半の筈だが歳不相応に若々しく、とても成人を迎えた大きな子どもが何人もいるようには見えない。
俺とて、ここにはもう二ヶ月以上滞在しているので、それなりに噂話は耳に入ってくる。
その中にファスツォーネ絡みのものがあるので、彼女が俺を疎ましく思う理由を考えてみるとしようか。
先ずは俺も過去に何度か面識のある、第一王女のカズハイーネの事からだ。
彼女は自信満々な両親には似ず、優秀でありながらも清楚な雰囲気の穏やかな姫君、と世間からの評判も上々だ。
実際会った事のある俺の受けた印象もそれと大きくは違わない。
あのファスツォーネの事だ。俺の事を可愛い娘にたかる悪い虫、と忌々しく思っても不思議はないのだが、俺とカズハイーネに面識がある事をファスツォーネは知らない筈なので、ファスツォーネが俺を敵視してくる理由にカズハイーネは無関係だ。
それなら、何故ファスツォーネが俺を目障りに思っているのか。
ファスツォーネが俺を目の敵(かたき)にしてくる一番の理由。
それは。
王子達の子息では最年長のヒトナニールだ。
彼の次期王の座を、末弟とはいえ唯一残っている俺が脅かしている、というのがファスツォーネの考えだからだろう。
彼はまだ十歳程度の筈だが、長兄であったイチイバルドの血を濃く継いでいるようで、確かにすこぶる優秀ではあるらしい。
一方で、十歳とは思えない歳不相応に傲慢な振る舞いで、可愛気がなく鼻持ちのならない糞餓鬼、というのが多少の差はあれど世間一般の評価のようだ。素行面での良い話は殆ど聞かない。
おそらく待望の初の王子、という事で散々甘やかされて育ってしまった所為だろう。
カズハイーネの他にも姉はいるが、彼女らは特にこれといって悪い話は聞かない。
イチイバルドはどうしても男児が欲しかったらしく、毎年のようにファスツォーネに子を産ませているが、その尽(ことごと)くが女児だ。
なので、唯一の男児であるヒトナニールだけは特別扱いだった、というのは想像に難くない。
それを証拠にこれを境として二人の子作りはぴたりと止んでいる。
望み通りの男児が誕生したので、満足したのだろう。
ヒトナニールより下の子どもがいないところを見ると、未亡人になる前からファスツォーネの夜の生活は相当にご無沙汰なのかもしれない。
ファスツォーネがいつも苛々しているのは、欲求不満である、という理由も少なからずあるのだろう。
ふと、そんな事も思う。
そんな事を俺が思案していると、ファスツォーネが社交辞令的に俺を労ってきた。
「昨夜のお役目、ご苦労様でした」
「いえ、国の繁栄の為に当然の事をしたまでです」
社交辞令的に俺も返す。
「あの男嫌いで有名なイオナ=クッコローセを手懐けてしまうとは、種馬としての手腕はさすが、と褒めておきましょうか」
別に隠すような事ではないが、俺がイオナと良好な関係を結んだ事はもう知られているらしい。
「手懐けた覚えはありませんよ。お互い剣を使う者同士、剣を交えてみて通じるものがあった、ただそれだけです」
剣と剣を通して俺とイオナはお互いへの理解を深めた。
それは嘘ではない。
しかし。
「口がお綺麗なことね。あの瑞々しい肉体を散々貪ったでしょうに」
苦々しげにファスツォーネがそんな皮肉を言ってくる。
生まれながらの王族である彼女には到底理解の出来ない話なのだろう。
「それが私の務めですから」
イオナと肌を重ねた事は否定せずに俺は返した。
そんな挑発に乗らない俺に対して、ファスツォーネはふん、と鼻を鳴らす。
心底面白くない、といった様子だ。
「放蕩三昧で何年も顔も見せなかった貴方が帰国したのは、目障りな兄達がいなくなって王座を引き継ぐ好機だから、といったところかしら?」
昔からそうだったが、この女は夫以外の王子達には敵意剥き出しだ。
歳の離れた末弟で、王位を継承する可能性がほぼゼロの俺とてその例外ではなかった。
「国を支えて下さっていた兄上達に感謝こそせよ、疎ましく思った事など一度とてありませんよ。私は兄上達のお陰で好きなように振舞えていたのですから」
「でしたら、今までのように好き勝手振舞っておいでになられていればよろしいのではなくて?」
理由はどうあれ、俺が帰ってきた事が相当にお気に召さないらしく、そんな皮肉を言ってくる。
「それは兄上達がご健在だったからこそ出来ていた我侭(わがまま)です。兄上達がおられなくなってしまった今、端くれとはいえ王族である以上、不出来であっても責務を果たすのは当然の事ではありませんか?」
俺程度の力では微力にしかならない事は重々承知だったが、それが責任を放棄してもいい理由にならない事だけは、愚かながらも十分過ぎる程理解していた。
「そんな綺麗事を仰って、本当は何をされに帰ってらしたのかしら? 玉座を狙ってでのことではなくて?」
「私が戻ってきたのは、国を発展させる手助けをする為で、私自身が王になろうだなどと恐れ多い事はこれぽっちも考えてはいませんよ」
嘘偽りない本音を話す。
が、そんな事は信じてはくれないようだ。
「白々しいことを言わないで頂きたいものね。王子として生を受けて玉座を夢見ない、なんて絵空事が通用するとお思いになって?」
玉座という権力に固執するファスツォーネにとって、目障り以外何物でもない俺の言葉は嘘臭く聞こえて仕方がないようだ。
「国の行く末には興味がありますが、玉座になんて興味ありませんよ。大体、私みたいな学のない男が王になんてなれる筈がないでしょう」
何を言っても納得しては貰えないだろうとは思いつつ、俺にはそう答える外(ほか)なかった。
「そうですわね。普通に考えればなれるわけがないですわね。でも、なれるのとなろうとするのは別ではなくて?」
一々(いちいち)俺の言う事に噛み付いてくる。
まるで、俺が王になる野心を持っている、と思わないと死んでしまう病にでも罹(かか)っているかのように。
「くどいようですが、なれるともなろうとも思っていませんよ」
いい加減に解放してくれないかな、と思いつつ返事をする。
「それはどうかしら? あんな下賎な女の腹から産まれているのですもの。どんな野心を持っているのか図れたものではありませんわ」
どくん。
その台詞を聞いた瞬間、俺は全身の血が逆流するのを感じた。
「ファスツォーネ様」
俺は声の音調(トーン)を落とした。
「あら、何かしら?」
だが、彼女がそれに気付いた様子はない。
「貴女のように高貴でお美しい方がそんなはしたない言葉を使われるのは、ご自身の品位を落とされるだけですよ」
持ち上げつつ嗜める。
「あら、昨夜のように女を口説くのはなかなか達者のようね」
だが、意にも介していない様子だ。
俺は続ける。
「それに」
「それに、何かしら?」
「確かに私は不出来な馬鹿王子です。私への謗(そし)りは笑って聞き流せますが」
にっこりと微笑んだ上でそう前置きする。
「自らの命を削ってまで私を産んでくれた母への侮辱は絶対に許しませんよ」
さっきとは反対に今度は真正面から睨みを利かせる。
「……っ!?」
俺の目に殺気が込められているのに気付き、彼女はたじろぐ。
「とっ、とにかくっ! 貴方は与えられた仕事だけこなしていれば良いのです! 分不相応な野心はもたないことね! よろしくて!?」
俺の殺気に気圧されたのか、自分の言いたい事だけ言ってそそくさと消えていった。