朝から存分にアシュレイの身体を御馳走になった俺は、彼女が作ってくれた朝食も綺麗に平らげた。
「御馳走様。美味かったぞ。これだけの料理を作れるのなら、例え本業を廃業しても十分に食っていけるな」
「お褒め頂き、光栄です。シャルル様は健啖家(けんたんか)でいらっしゃいますのね」
「よく言われる。食事は身体の資本だからな」
「食欲が旺盛な男性、というのも精力的で素敵です」
「アシュレイみたいな美女に褒められると、お世辞だと分かっていても悪い気はしないな」
「あら、お世辞ではないのですが。沢山召し上がる、ということはそれだけ生きることに貪欲、ということですから。私なりの解釈では強い殿方、というのは生きる力が強い殿方だと思っております」
「確かに、食うものを食わなければ力は出ないからな」
「おっしゃる通りです」
「さて」
そんな会話を経て、俺は切り出した。
「腹ごなしにもう一戦、というのも非常に魅力的ではある訳だが」
俺は態(わざ)と好色な目つきでアシュレイの侍女(メイド)服に包まれて尚その魅力を隠し切れない、魅惑の肢体を舐めるように見回した。
「はい」
俺のその視線にアシュレイが期待に満ちた顔で俺を見つめてくる。
だが。
「さすがにこれから向かう所に、女を抱いた後のにおいをぷんぷんさせていく訳にはいかないからな」
彼女の期待を煽るだけ煽っておいて、俺は朝から風呂に入る事にした。
刺激的な睦事を味わうには、時に焦らす事も必要なのだ。
「ご入浴されるのですね。それなら、お背中をお流し致しましょうか?」
不意のお預けを食わされたアシュレイがそんな提案をしてくるが、
「いや、アシュレイは魅力的過ぎて一緒に風呂になんか入ったら、また抱きたくなってしまうからな。そんな事をしていたら切りがない。当面の間は侍女(メイド)としての仕事を頼む」
そう言って、その提案を丁重に断る。
「魅力的過ぎて、などお褒め頂いたら、私の方もまたお情けを頂きたくなってしまうわけですが、シャルル様のご命令は私にとって絶対です。それでは、お言いつけ通り、侍女(メイド)としてのお仕事に従事させて頂きますね」
「ああ、よろしく頼む」
そんなやり取りを経て、風呂に入って小ざっぱりした俺は外出着に着替え、剣だけを佩(は)いて出掛ける事にした。
「お出掛けですか?」
「ああ。今日は色々と行かなければならない所があってな。昼食は済ませてくるから、夕食の用意だけ頼む」
「かしこまりました」
こんな感じで、従順な侍女(メイド)を自室に置いて俺は自室を後にした。
こうして汗を流した俺は帰郷の挨拶がてら、先ずはニーネ義姉(ねえ)さんの元へと向かう事にした。
子どものお使いではないので、手土産を持っていくとしよう。
幸い、美味いパン屋を知っている。
子どもの頃から世話になっているので、店主とも懇意だ。
そんな訳で俺は城下町のパン屋へと向かった。
城下町の風景は平和そのもので、活気に満ち溢れていた。
そんな穏やかな日常の風景を見れて俺も誇らしい気分になる。
この日常を作ってくれたのは、俺の父である王を筆頭とした勇者の血族なのだ。
俺は懐かしい道をゆっくりと歩いた。
そして、目的地に辿り着く。
店の外からでもパンの焼けた香ばしい匂いが漂ってくる。
俺は数年振りにその場所に足を踏み入れた。
店の中は所狭しと売り物であるパンが並べられ、まだ昼前だというのに、少なくない人数の客がパンを選ぶのに真剣になっている。
「おっ、シャルルの兄ちゃんじゃないか。久し振りだな。いつ帰ってきたんだい?」
俺の姿に気付いた人の良さそうな恰幅のいい店の主人がカウンター越しに話し掛けてくる。
「昨日帰ってきたばかりさ。色々と立て込んでてね」
「三年振りくらいか。兄ちゃん、忙しそうだもんな」
「まあ、自分が好きでやっている事だしな」
そんな訳で、忙しい事については別段苦にはならない。
「まあ、仕事があるってことはいいことだ」
「親父さんの所も繁盛しているようで何よりだ。俺も幾つかの国を回って色々なパンを食べてきた訳だが」
「うん?」
「親父さんのパンより美味いパンに出会う機会はそうはなかったな。地元でこんなに美味いパンをお手頃な値段で売って貰えるのは嬉しい限りだ」
「嬉しいこと言ってくれるな。で、今日はどんなパンを買いに来たんだい?」
「親戚の所に持っていく手土産さ。十個位を適当に見繕って貰えるかな? 小さな女の子がいるから、甘いものを多めに入れてくれると嬉しい」
「へえ、兄ちゃんの姪っ子かい。そりゃあ、さぞかしかわいいんだろうな」
「そりゃあもう。目の中に入れても痛くない、って奴さ」
談笑しつつも親父さんの手は動き続けている。
俺が何も言わないでも焼き立てばかりを選んで袋に入れてくれているようだ。
俺はその厚意に感謝して三割増しで代金を支払った。
「おいおい、兄ちゃん。これじゃ大分多いぜ?」
「親父さんのパンにはその位の価値はあると思うんだが。値段設定間違ってないか?」
「しかしなあ、そういうわけには……」
「これからもよく世話になるだろうし、焼き立てばかり入れて貰ったしな。受け取って貰えると俺としても有難いんだが」
「敵わねえなあ、兄ちゃんには。じゃあ、ありがたく頂戴しておくよ」
そんな感じで良い手土産を手に入れた俺は真っ直ぐニーネ義姉(ねえ)さんの元へと向かう。
店を出た俺は焼き立てのパンの香ばしい香りを胸一杯に吸い込んだ。
クローディアの喜んでくれる顔が楽しみだ。
手土産を携え、当初の目的通り、俺は義姉(ねえ)さんの元を訪れた。
昨日とは違い、散髪以外の身嗜みはしっかりと整えており、義姉(ねえ)さんの方から俺が訪れるかもしれない、という話をしてくれていたようで、特に訝しがられる事もなく面通しまで行き着く事が出来た。
「お帰りなさい、シャルル。来てくれると思っていたわ」
そう言って穏やかに微笑み、俺を迎えてくれる義姉(ねえ)さん。
「昨日はきちんとしたご挨拶も出来ず、申し訳ありませんでした」
俺は深々と頭を下げた。
「仕方ないわ。シャルルも長旅で疲れていたでしょうし」
視線を少し下げると、そこには昨日の義姉(ねえ)さんとの会話に少し出た、最後に会った時よりも大分大きくなった、俺の可愛い姪であるクローディアの姿があった。
両親譲りの金髪に碧眼。
美形揃いの勇者の血族の中に生まれ、正(まさ)しく「お人形さんのような」という枕詞がぴったりな、整った容姿をしている。
「お帰りなさいませ、叔父様」
一人娘であるクローディアは義姉(ねえ)さんと同じように、ここが俺の帰ってくるべき場所だと思っていてくれているようで、「いらっしゃい」ではなく、「お帰り」と言って迎えてくれる。
「ああ、ただいま。ディア」
目線を彼女に合わせて屈み、優しくその頭を撫でる。
目を細めて気持ち良さそうにそれを受け入れてくれるクローディア。
「お髪(ぐし)が長くなっておられますが、伸ばされておられるのですか?」
以前会った時とは大分風貌が変わっている俺の髪型を見てクローディアがそんな事を訊いてくる。
彼女の言う通り、俺の髪はかなりの長さになっており、束ねておかないと邪魔で仕方がない。
「いや、無精で切っていないだけだよ。近い内に散髪する予定さ」
「そうなのですか? 長いお髪(ぐし)の叔父様も素敵だと思いますけれど」
「有難う、ディア。だけど、これからここで仕事する事になりそうだからね。身嗜みにも気を付けないと」
「この国でお仕事をされるのですか?」
俺の口から出るには信じ難い言葉にクローディアが訊き返してくる。
「ああ、そうだよ。その話は後で詳しくするとして」
その話はこんな立ち話ではなく、落ち着いてからゆっくりするとしよう。
その前に俺にはするべき事がある。
「ごめんな、ディア」
そう、俺は先ず謝る事から切り出す事にした。
「今回は本当に急いで帰ってきたから、お土産は何も用意出来なかったんだ」
色々な国を巡る、という事もあり、いつもなら必ず手土産を用意するところなのだが、今回は兎にも角にも帰郷を急いだ旅路だった。
余計な荷物も抱えたくはなかったし、ひたすら真っ直ぐに故郷(ブレイディア)を目指した。
そんな理由での帰郷だったので、俺としても心苦しいところではあったのだが、土産は諦めざるを得なかった。
その俺の言葉に対する彼女の返事はというと。
「いいえ、叔父様が無事にお帰りになって下さるという、私にとってこれ以上ない、最高のお土産を頂きました。私にとってこれ以上素晴らしいものはありません。改めて、お帰りなさいませ、シャルル叔父様」
「ディア……!」
俺は絶句した。
これがまだ十歳にも満たない俺の姪の言葉なのだ。
幾ら何でもしっかりし過ぎだろう。
「義姉(ねえ)さん」
そう言ってクローディアの母である義姉(ねえ)さんに話し掛ける。
「ディアはこの歳でもうどこに出しても恥ずかしくない立派な淑女(レディー)に成長してくれましたね。これはもうご両親の教育の賜物としか言いようがありません」
「そうね」
俺の言葉に頷いてくれる義姉(ねえ)さん。
「ディアは私たちには過ぎた、本当にできた娘に成長してくれたわ」
「いえ、私は至らないところばかりで、お母様にはいつもご迷惑ばかりお掛けしてしまっています」
「そんな事はない。俺がディアと同じ位の歳だった頃は逆立ちしてもそんな殊勝な言葉は絶対に出てこなかったぞ。自分で言うのも何だが、本当に歳相応の、生意気なお子様だったな」
「そうね。シャルルに初めて会ったのはもう八年位前の話になるけれど」
義姉(ねえ)さんが懐かしそうに話し始める。
「出会った頃は本当にやんちゃな男の子だったわね」
「お恥ずかしい限りです。あ、近場で済ませてしまい大変恐縮ですが、これはお土産です」
照れ隠しで、思い出したかのように、まだ仄かに温かい紙袋を義姉(ねえ)さんに手渡す。
「ありがとう、シャルル。いつものパン屋さんで買ってきてくれたのね。折角ですし、温かい内にお茶と一緒に早速頂きましょうか」
そんな流れで義姉(ねえ)さんがお茶の準備をしてくれる。
「二人とも手を洗っていらっしゃい」
その間に俺とクローディアに手洗いを促す。
手洗いを済ませると、食卓の上には俺が買ってきたパンと、義姉(ねえ)さんの淹れてくれたばかりで白い湯気をあげる紅茶が用意されていた。
「叔父様」
席に座る前にクローディアが俺に声を掛けてきた。
何だろうか。
「お久し振りに叔父様のお膝の上に座らせて頂いてよろしいでしょうか?」
久し振りの俺との再会に甘えたいのか、クローディアがそんなお願いをしてくる。
しかし。
「ディア」
義姉(ねえ)さんがそれを窘(たしな)める。
「叔父様は長旅からお帰りになられてお疲れなのよ。こちらへいらっしゃい」
俺ではなく、自分の方へ来るように促す義姉(ねえ)さん。
だが。
「構いませんよ、義姉(ねえ)さん。ディアが俺を慕ってくれるように、俺もディアの事が大好きですから」
久し振りの姪とのスキンシップに飢えている俺としては、その申し出を断る理由など何一つ存在してはいなかった。
むしろ、俺の方からお願いしたい程だ。
「そう? シャルルがいいと言ってくれるならいいけれど」
クローディアの俺への懐き具合と、俺の彼女への溺愛振りを知っている義姉(ねえ)さんはそれ以上は特に止めようとはしなかった。
「失礼しますね、叔父様」
そう一言断って、俺の膝の上に座るクローディア。
俺の身体に柔らかな重さが掛かってくる。
さすがに三年という月日は短くはなく、彼女の体重は以前よりも随分と重くなっていた。
「大きくなったなあ、ディアは。あと何年かすれば立派な大人の仲間入りだな」
可愛い姪の成長を感じつつ、俺の口からはしみじみとそんな言葉が飛び出した。
「大人になれることはもちろん、嬉しいことではあるのですが」
「うん?」
「大人になってしまったら、叔父様にこうして頂くことができなくなってしまうので少し寂しい気がします」
「あらあら、本当にディアは叔父様が大好きなのね。少し妬けてしまうわ」
俺達の会話を聞いていた義姉(ねえ)さんがそんな事を言ってくる。
それは俺に対してだろうか、クローディアに対してだろうか。
ともあれ、こうして俺達は席に着いた。
「どうぞ、召し上がれ」
そう言ってお茶を勧めてくれる義姉(ねえ)さん。
その言葉に促され、俺はカップから立ち上る香りを胸一杯に吸い込んだ。
「いい香りです。義姉(ねえ)さんの淹れてくれたお茶を飲むと故郷(ブレイディア)に帰ってきた、と実感しますね」
「あら、お茶くらいシャルルも自分で淹れられるじゃない?」
「ええ。確かに自分で淹れる事もありますが、何分無作法なもので。義姉(ねえ)さんのようになかなかと美味しくは淹れられません。それに」
「それに、何かしら?」
「人から淹れて貰ったお茶、というのは自分で淹れたものより不思議と美味しく感じられるものです」
「それは確かにそうかもしれないわね。さて、シャルルが持ってきてくれたパンだけれど、二人はどれがいいのかしら?」
「私はイチゴのジャムパンを頂きます。叔父様は?」
「俺は黒パンでお願いします。義姉(ねえ)さんもお好きなものをどうぞ」
「そうね、私はレーズンパンを頂こうかしら」
各自の皿に取り分けてくれる義姉(ねえ)さん。
そんなやり取りを経て、パンを頂く事にする。
「とても甘くておいしいです、叔父様」
「そうか、ディアに喜んで貰えて良かった。俺のパンもしっかり麦の味がして美味しいよ」
「このレーズンパンも美味しいわ。シャルルはあまり甘いパンは好きではないのかしら?」
「甘いパンも嫌いではないのですが」
「ええ」
「俺は麦のこの香ばしい香りが好きですので。柔らかいパンだと噛み応えも足りませんし」
好き嫌いの分かれるところではあるが、荒い麦の粒が歯に心地良い噛み応えを与えてくれる。
「確かシャルルはあのお店のご主人とは親しくさせて頂いていたのよね」
「はい。ですので焼き立てばかりを入れて貰いました」
「それなら、私たちがこうやって美味しいパンを頂けるというのもシャルルの人徳のおかげ、というわけね。感謝しないといけないわね、ディア」
「はい。お母様」
俺達は軽く世間話をしつつ、暫しパンの味を楽しんだ。
「それでシャルル」
義姉(ねえ)さんが話を切り出す。
「はい」
「この三年間はどこで何をしていたのかしら?」
「武者修行と稼ぐのを兼ねて、世界中の国々を色々と回っていましたね」
嘘ではないが、大分ぼかした言い方で俺は答えた。
さすがに単身で迷宮(ダンジョン)を巡っていた、等と正直に答えて、二人を心配させる訳にはいかない。
「それで、どうだったの?」
「ええ。新しい勇者乃秘技(ブレイヴアーツ)も大分習得出来ましたし、それなりに稼げました。それに、いい装備もかなり手に入れられたかと思います」
「戦果は上々、というわけね。それは良いのだけれど」
そこで一旦区切り、義姉(ねえ)さんが続ける。
「くれぐれも無茶はしないようにね。貴方、昔から向こう見ずなところがあるから」
そんな忠告をしてきてくれる。
特別心配性、という訳ではない義姉(ねえ)さんではあるものの、例え幾つになろうと命知らずな義弟(おとうと)の事が気掛かりなようだ。
「はい。肝に銘じておきます」
その言葉に素直に頷く。自分でも良くない癖だと自覚はしている。
「素直でよろしい。昔の貴方からは考えられない良いお返事ではあるけれど」
「その話は勘弁して頂けると助かります。今も未熟な若造ではありますが、昔はそれに輪をかけて、本当に怖いもの知らずな子どもでしたので」
「そうね。お説教はこのくらいにしておきましょうか。しばらくの間はブレイディアにいられるのでしょう?」
「その事についてなのですが」
「何かしら?」
「兄上達が相次いで亡くなってしまったので、俺にもそれなりの役目が任されそうですので、今回は大分長い間ここに留まる事になりそうです」
「本当ですか!? 叔父様!」
俺のその言葉に心底嬉しそうな表情をするクローディア。
「大分、ってどれ位?」
「短くても年単位です。一年になるのか、二年になるのか。それは分かりませんが」
「短くても一年、二年……」
そう呟いて、義姉(ねえ)さんが少し考える素振りを見せる。
「シャルル」
「はい、義姉(ねえ)さん」
「貴方は今まで比較的自由に暮らしてきたわけだけれど」
「はい」
「それについて納得はできているの?」
「勿論です」
考えるまでもなく俺は即答した。
「今までは兄上達がおられたので何の心配もなく、放蕩三昧してこられた訳ですが」
「ええ」
「もう状況が違います。俺しかいない、となれば微力なのは重々承知の上ですが、国の為に尽力させて頂くのは当然の事かと思います」
「本当に立派になったわね、シャルル」
「いえ、むしろ兄上達の存在に甘えて、今までがだらしなさ過ぎました。これからはしっかりと地に足を着けて生きていくつもりです」
「きちんと自立して生計を立てていたのだから、そんなに卑下することもないと思うけれど」
俺のその言葉にそう前置きした上で義姉(ねえ)さんが続ける。
「シャルルがいてくれるのなら、ブレイディアの未来は安泰ね」
「義姉(ねえ)さんにそう仰って頂けるのは大変光栄な訳ですが」
「何かしら?」
「そうだといいんですけどね」
「大丈夫。シャルルは私の自慢の義弟(おとうと)、ディアにとっては自慢の叔父様ですもの。頼りにしているわよ」
「はい。ご期待に応えられるよう、精一杯努めさせて頂きます」
「ふふっ」
悪戯っぽく微笑む義姉(ねえ)さん。
「どうかされましたか、義姉(ねえ)さん」
「いえ、あのやんちゃだったシャルルがこんなにしっかりとした受け答えができるようになってしまったものだから、嫌でも時間の流れを感じずにはいられなくて。私も歳を取ってしまうわけだわ」
「義姉(ねえ)さんは昔と変わらず今でもお変わりなくお綺麗なままで、いえ、良い歳の重ね方をされて、益々お美しくなられたのだと思いますが」
「それよ、それ。昔のシャルルからは絶対にそんな言葉は出てこなかったわ」
「照れ臭かったので、ただ、口からは出てこなかった、というだけで、義姉(ねえ)さんの事はずっとお美しい方だと思っていましたよ」
「あら、それは初耳だわ」
そう言って、義姉(ねえ)さんが意外そうな顔を見せる。
「お母様はお優しくてお美しく、叔父様も素敵な方ですので、お二人の血縁者である私も鼻が高いです」
俺達の会話に加わり、そんな事を言ってくれるクローディア。
「ディア……」
その言葉に感無量の義姉(ねえ)さん。
「有難う、ディア」
俺は俺で、可愛過ぎて幾ら溺愛してもし切れない、この愛しい姪の優しく頭を撫でる。
「俺の方こそ、優しく美しい義姉(あね)と素直で可愛い姪がいてくれて鼻が高いよ」
そんな会話もそこそこに、俺は本題について切り出した。
「義姉(ねえ)さん」
さっきまでとは違う、俺の神妙な顔つきに義姉(ねえ)さんの表情も真剣なものに変わる。
「兄さんは元々あまり身体が丈夫ではない方でしたが、やはりそれが原因で?」
これを訊かずして帰る訳にはいかない。
「ええ。容体が悪化してからは本当にあっという間だったわ」
「そう……ですか……」
それきり俺は沈黙した。
言葉が上手く出てこない。
昨夜は目まぐるしく色々な事があったのに加え、連日碌に睡眠も取らずに歩き通しで疲れ果てており、妙に気分が高揚していたという事もあって考える暇もなかったが、今はそうではない。
この世界にもう兄さんがいないという、重い現実が圧(の)し掛かってくる。
否が応にも兄さんの事を考えずにはいられなかった。
「叔父様……」
普段は見せない、俺の重苦しい雰囲気を感じてかクローディアが声を掛けてくれる。
「済みません。一番辛いのは俺なんかじゃなく、大切な家族を失ったお二人でしょうに」
「無理もないわ。シャルルには他に八人もお兄様がいらっしゃる訳だけれど」
「ええ」
「歳が離れすぎていることもあって、仲良くしていたのはあの人だけだったのでしょう? シャルルの気持ちがわかる、とまでは言えないけれど」
「ええ」
「ある程度察することはできるわ。あの人のことを好きでいてくれてありがとう」
「いえ、お礼を言わなければいけないのは俺の方です。兄さんや義姉(ねえ)さん、そして、ディアとの出会いがなかったら、俺は今でもまだ大切な事が何も分かっていない餓鬼のままだったと思います」
母から教えて貰った事が足りなかった、とは言わない。
それでも。
ここの温かな家族からは母から学んだ事以外の、本当に色々な大切な事を、どれだけ沢山教えて貰ったのか分からない。
それについて俺は、どれだけ感謝してもし切れなった。
「ありがとう、シャルル」
俺がお礼を言っている筈なのに、お礼を返される。
「今のシャルルはとても素敵な殿方に成長してくれたけれど」
そう前置きして義姉(ねえ)さんが続ける。
「私たち家族に関わったことがそれの手助けになっていたのであれば、こんなにうれしいことはないわ」
「義姉(ねえ)さん……」
そこでこの重苦しい話題については打ち切られた。
「ところで」
多少強引ではあったように思えるものの、義姉(ねえ)さんが違う話を振ってくる。
「シャルルは結婚しないの?」
さっきまでの暗い話題を振り払うかのように、努めて明るく義姉(ねえ)さんが俺に訊いてきた。
「そうですね」
軽く思案して俺は答えた。
「義姉(ねえ)さんやディアを見ていると、結婚も悪くないな、とは思うのですが」
穏やかな良妻としっかり者の愛娘。
俺にとって、二人は描いた理想そのものだ。
「いい人はいないの?」
「そんな相手がいれば、この歳までふらふらしていませんよ」
「シャルルにもいい人が見つかるといいわね」
「それはダメです! 叔父様とは私が結婚します!!」
義姉(ねえ)さんのその言葉に、いつもは控えめなクローディアにしては珍しく、ここぞとばかりに自身の存在を主張(アピール)してくる。
「そう言って貰えるのは俺としても光栄の至りな訳だが」
「はい」
「ディアが素敵な淑女(レディー)に成長した頃には叔父さんはもうおじさんだぞ?」
冗談交じりにそんな風に答える。
「いいえ、叔父様」
俺のその言葉に対して、首を横に振るクローディア。
「その頃になっても、叔父様は今とまったくお変わりなく、いえ、今よりももっと素敵になっておられるはずです」
随分と買い被って貰えたものだ。
我ながらそう思う。
「有難う、ディア」
その後も俺は二時間程度、久し振りに二人との楽しい時を過ごした。
本当に楽しい時間が過ぎてしまうのは、あっという間だ。
「正直名残惜しいのですが」
俺は切り出した。
「今日はまだ行かなければならない所が山程ありますので、これでお暇(いとま)させて頂きますね」
「あの人の所へ行くのね?」
さすが義姉(ねえ)さん。
俺程度の考えている事はお見通しらしい。
「それなら、これを持って行って」
そう言って俺に大きめの篭(バスケット)を渡してくれる。
「これは?」
「二人の好きなサンドイッチとお茶が入っているわ。兄弟水入らずで話すのに必要でしょう?」
「有難うございます。兄さんもきっと喜んでくれると思います」
「ええ。シャルルからよろしく伝えておいて」
「叔父様、お父様によろしくお伝え下さい」
こうして俺は二人の元を後にした。