新月の海原に、一つの狂乱が木霊する。
千万の因果の果てに第二の人生を得たかの者の旅路は、地獄の責め苦をこれでもかとぶちまけられた死出の旅路であった。
――――ナンデ、ナンデワタシがコンナ責め苦ヲ負わねばならなイ・・・・・。
ヒト一人が背負うソレの千万倍にも及ぶ責め苦を賜るたびに、かの戦船は幾度となく天にそう問うた。
―――――ナンデ・・・・・、なんでワタシには、たった一つの救いさえも与えてくださらないのカ・・・・・!?
誉など、何一つない。
手を差し伸べ、肩を貸すものなど誰一人としていない。
賛美を送り、謳い奉る調べも聞こえない。
魂を分けた半身と呼べるものですらも、我をいたぶり、弄び、唾を吐く存在でしかなく、かの者は常に一人、針山の山道で辛苦に悶え続けた。
故に、生死の狭間を彷徨う片羽の救済を足蹴にし、己が狂気を優先させたかの戦船の行いは、ある意味至極当然の行いであったのかもしれない。
「・・・・・・ね・・・え・・・・さん・・・・・たす・・・け・・・・て・・・・」
「・・・・・・へえ、生きてたんだ・・・・・」
新月の海原に聞こえ渡る、あるはずのない救済の声。
残った力を振り絞り、どうか届けと必死の思いで紡いだその言の葉は、潮騒を渡り、波音にかき消されることなく確かにかの者の望むヒトに辿り着いた。
ただし、それを受け取ったのが親愛なる者ではなく、狂気と復讐に染まり切った悪魔に届いてしまったことは、彼女にとって最大の不幸であったのかもしれない。
「
気味が悪いくらいに妖艶な声音で言の葉を色づけしながら、センダイはジンツウに言い放つ。
そう、この言の葉の主は、姉さまたちの砲撃で轟沈はずのジンツウのものだった。
いいや、正確には【生きていた】のではなく、【生き返った】と表現したほうが正しいのかもしれない。
その証拠に、ジンツウの躰に僅かにへばり付いた艤装からは、淡い緑色の光が漏れ出しているからだ。
「・・・・・・ねえ・・・・・さ・・・・ん・・・・わたし・・・・・」
「うん、そうだね・・・・。痛いよね。苦しいよね。悲しよね。一度死んだんだもんね。うん、分かるヨ!」
救済を求める妹の言の葉を握りつぶすようにして、センダイはそう言った。
妹の生存の喜ぶのではなく、むしろ勝利の美酒を台無しにされたことに腹を立てているように感じてしまうのは、きっと私がセンダイを蝕む狂気の根源に気付いてしまったからであろう。
―――――そう、センダイはジンツウを憎んでいる。
例え、百万回その躰を八つ裂きにして、千万回その存在を消し去ったとしても、我が溜飲は一寸たりとも下がらぬ。
それほどまでに、センダイはジンツウを憎々しく思っているのだ。
だが、センダイのジンツウに向ける感情が憎しみだけだったのなら、彼女がここまで歪むことなどなかったのかもしれない。
―――――そう、センダイのジンツウに向ける感情は憎悪だけでななかったのだ。
「・・・・でもさ」
徐にそう言って、センダイは顔を俯ける。
その刹那、波間にどす黒い殺気が広がり、センダイのジンツウを持つ腕が刹那的に膨れ上がる。
そして、私はこの世のものとは思えない光景を目の当たりにしたのだった。
「・・・・アンタさ、寝言は寝てからほざくもんだよ・・・・・」
「え――――――?」
いうが早いか、センダイは掴み上げたジンツウの頭を力任せに思い切り海面に叩きつけた。
「・・・・がはっ!」
深海棲艦を殴り飛ばす腕力に物を言わせた、見事な脳天落とし。
天高く上がる赤黒い水しぶきは、かの者が蓄えた憎悪と憤りの象徴か、もしくはそれの受け皿とされたかの者の衝撃と絶望か。
何れにせよ、私はソコに立ちる勇気も、ソレを止める理由も見出せぬまま唯々傍観するしかなかったのである。
「そのまま死んじゃえばよかったのに。なんで、何で生き返っちゃうのかなァ・・・・!!」
視界を遮るほどの豪快な水しぶきに向かって、センダイは忌々しくもどこか楽し気に言い放った。
―――――この時を待っていた。
ようやくこの忌々しいオンナに、積年の恨みを晴らすことが出来る。
『ネームシップ』という名の鎖で縛ってきた百の殺意を。
喉元で堪えてきた千の罵詈を。
笑顔で覆い隠してきた万の屈辱を。
幾千の年月を以て膨れ上がったこの殺意を、この衝動を、この血潮を、存分に噴火させることが出来るのだ。
もう【川内型軽巡洋艦のネームシップ】という肩書も、【誠実で健全な長女】などというくだらない仮面も、もう必要ないのだ。
「いィ”・・・・ぐうゥ・・・あ”・・・ねえ・・・さ・・・どうし―――――」
「黙れよ」
「何故だ」と体を起こそうとした刹那、センダイはジンツウの後頭部を躊躇なく踏みつける。
「その薄汚い口で、アタシを姉呼びすんじゃないよ・・・!」
ぐりぐりと前後左右に足を動かして、センダイは暴れるジンツウの顔面を海面に押し付け続ける。
訳も分からずいきなり水攻めをされたジンツウは、応急修理要員でつなぎ留められた僅かな力を駆使して姉の暴挙に抵抗した。
「・・・・・!!・・・!?・・・・・!」
バシャバシャと足で海水を巻き上げて、残った左手でセンダイの足首を離そうと掴み上げながら、ジンツウは必死にセンダイに「辞めよ」と訴え続ける。
ニンゲンを始めとする陸棲生命体は、気管などに海水が混入するとパニック症状を起こすことがある。
これは、かの者たちが水中に適応する機能を有していないために脳が『死』を回避するために起こす生存本能に起因する行動であった。
それは、半人半艦の艦娘も例外ではなく、無理やり潜水をさせられているジンツウの脳みそは、まさに生存本能に基づく緊急回避を訴え続けていたのだった。
「さて、と・・・・どうかな?」
頃合いかと判断し、センダイは海中に擦り付けびちょびちょに穢したジンツウの髪を再び鷲掴みにして、強引に引き上げる。
「・・・・・がはっ・・・・かっ・・・・ごほっ・・・えほ・・・・・」
海水と涙と鼻水でボロボロになった、ジンツウの顔。此方からは吹き飛んだ傷跡しか見えないのでジンツウの表情はきちんと判別できないが、ジンツウを見るセンダイの歪んだ笑顔を鑑みて、その表情は恐怖と困惑に歪んでいることだろう。
「くふふぃふぃっふ、良いねぇ神通ゥ・・・・。今のアンタ、最っ高に無様で素敵だよ・・・・!」
けらけらと嗤いながら、センダイはジンツウの狂気の唾を吐きかける。
黄泉の門に片足をかけ、必死の思いで果たした生還を激怒され、仕舞には残った命を狂った遊戯に使われるジンツウの心中と、己が妹の生死を「上善の余興」と嘲笑するセンダイの心中。
どちらの心中も、最早こちらの常識の範疇を超えている。
そもそも、アレは本当に『復讐』なのだろうか。
自身の腹を満たす『食事』の間違いではないのだろうか。
だとしたら、センダイの腹は、一体どうなっているのだろうか。いったい腹中に、何を飼っているのだろうか。
そんな、答の出ない自問自答をしていた時、瀕死のジンツウから一つの答が聞こえてきた。
「・・・・ねえさん・・・・どう・・・して・・・・? わたし・・・・いったい・・・・ねえさんに・・・・なにを・・・・」
「へえ・・・・、ここまでされてんのに。あんた、まだ自分の罪を理解してないんだ・・・・」
息も絶え絶えに問うた言の葉に、センダイは「はんっ」と鼻で笑った。
ここまで暴力を振るわれれば、流石に自分が姉に恨まれているのは嫌でも理解できよう。
だが、例え何かしらの心当たりがあったところで、こんな拷問じみた扱いをされる様な事をしたことが、果たしてあったのだろうか。
もしかしたら、姉の勘違いではないのか。
思い違いではないのか。
何らかのすれ違いがあったのではないのか。
そう問うたジンツウに、センダイは氷のような眼差しで言い放った。
『姉さんは、本当に川内型の恥さらしですね』
「・・・・!!」
センダイの放った言の葉に、ジンツウは魚が呼吸をするかのように口をパクパクと数回開閉する。
音には出ないが、その口は確かに言の葉を放っていたのだ。
―――――それは、私があのとき吐き捨てた言の葉ではないか。
『夜戦夜戦とよく騒いでいますけど。姉さん、それで誰かに勝ったことありましたっけ? ありませんよね? だったら、それ辞めてくれませんか? すっごく恥ずかしいし、ハッキリ言って惨めです』
「・・・・や・・・やめて・・・」
放たれる言の葉は、確かに自身が姉に放った暴の言の葉。
あえて声音を変え、更に放った当人の口調をまねて紡がれるその言の葉は、誹謗中傷とするには聊か生々しく聞こえ、相手をズタズタに切り裂き、心神をゆがませるには上等すぎるものだった。
『また夜戦で負けたんですね。どうして姉さんは、夜戦が本当に弱いくせに夜戦したがるのか私には理解しかねますよ。もしかして、姉さんは夜戦という行為が好きなだけの唯の夜戦莫迦なのでしょうか。だとしたら、姉さんの言う夜戦はもしかして、殿方との――――――』
「もう止めて!!」
聞きたくないといった様子で、ジンツウ声を荒げる。
―――――もう、聞きたくない。
己がその言の葉の主だったとはいえ、これ以上はあまりにも聞くに堪えない。
恥ずかしい。
馬鹿々々しい。
愚かしい。
だが、耳をふさぎたい衝動にかられながら慚愧の涙を流すジンツウに、センダイはさらなる追い打ちをかける。
「・・・・いまさら被害者面すんなよ。この鉄面皮オンナが・・・・っ!」
「ぐむ・・・・っ!?」
悲傷に暮れるジンツウの顎を掴んで押し倒し、センダイは忌々しく言い放つ。
そうだ、これはお前の浴びせた罵倒のほんの一握り。
まだまだこんなものではない。
お前がアタシに浴びせ続けた屈辱は、私が味わった痛みは、こんなものではないのだ。
「華の二水戦の旗艦様は随分と好き嫌いが多いようで。でも、ダメだよ神通ちゃん? 旗艦たるもの、好き嫌いはご法度でしょ?」
くつくつと嘲笑いながら、センダイは髪の毛から手を離しジンツウのほほを数回撫でる。
その顔には、ここから更にどんな背徳に塗れた行為を味合わせてやろうかと画策する凶悪な笑みが張り付けられており、これから自分が成されることを如実に物語っていった。
「・・・・・っ」
ぎゅっと固く瞼を閉じて、ジンツウは防御の態勢に入る。
本来殿方との間で交わされるはずの闘争でないほうの夜戦。互いの性が入交ることで成される生の息吹を感じることが出来る秘め事を、有ろうことか実の姉の憎悪で経験することになろうとは。
そんな妹の感傷など露知らず、センダイはジンツウの口をわずかに開かせる。
情事の餌食となることに必死で耐えるジンツウの涙顔。
薄く開いた口腔より漏れ出す可憐な吐息。
ぷくりと膨らんだ柔らかそうな唇。
そのどれもが、センダイの背徳感を滾らせ、欲望を掻き立て、快感を五臓六腑に染み渡らせていく。
「ふふっ。かわいいよ・・・・神通ゥ・・・・」
そう囁いた刹那、センダイは己の唇をジンツウのソレと重ね合わせた。
それは、所謂フレンチ・キスではなく、親しい間柄の者同士で交わす正真正銘の口付けである。
「んむ・・・・っ!」
瞬間、ピリリと電流が走ったかのように目を見開き、軽く弾む、ジンツウの躰。
それを見やり満足げな表情を浮かべたセンダイは、今度は開いたままのジンツウの口内に舌を差し込み、彼女の舌を貪るように無理やり絡ませる。
「・・・・っ・・・・・く・・・・ふ・・・・んんっ」
蛇の如く這いずり回る、センダイの舌。
襲い掛かる性の快楽の波は、微弱な電流を流され続けているかのようにぴくぴくとジンツウの躰を弾ませて、「ぴちゃぴちゃ」と音を立てて溢れ出す唾液はセンダイの舌乳頭に絡めとられ、吸い取られ、残滓は嬌声と共に口端に一筋の小川を作り出す。
傍目には、同性の者同士で人目も憚らずまぐわい始めただけに見えるが、センダイの本性を見ている私の眼には、妹への虐待行為そのものにしか見えなかった。
―――――この期に及んで、まだ彼女をいたぶるつもりなのか。
あれだけ
本来、喜の感情で終始するはずの秘め事を、憎の感情で終始させるつもりなのか。
外ならぬ、実の姉の手によって。
「・・・・・は・・・ふ・・・・」
「あらあら・・・神通ってば、そんなにアタシとの口付けが良かったの?」
白銀色に輝く唾液の桟橋を掛けながら、センダイは満足げに言う。
対するジンツウのほうは、五臓六腑を侵しつくす性の快楽に呆然と姉の顔を見つめるだけ。
というより、そもそも彼女の眼の焦点はきちんと定まってはおらず、センダイの言の葉も聞こえているかどうかも怪しい。
「くふぃふふふ・・・・。いいねぇ、ジンツウ。その
頬を紅色に染めて自身をぼんやりと見つめるジンツウに、センダイはくつくつと嗤う。
悪魔か、ケモノか、それとも餓鬼か。
今あそこにいる者は、果たして【私と同じ艦娘】なのか。
あそこで繰り広げられているものは、本当に性行為なのだろうか。
『捕食』の間違いなのではないのだろうか。
眼前で繰り広げられる狂行に頭の理解が追い付かず、唯々延々と答の出ない思考の堂々巡りをしていた時、ふと私とセンダイの視線がぶつかる。
「ねえ、そこの敵艦。アタシと夜戦してみない?」
「は・・・・?」
突然投げかけられた言の葉に、私は一刻分の理解を要した。
―――――夜戦?
どっちの【夜戦】のことを言っているのだろう。
『戦』の方の夜戦か。それとも、妹とシていた『性』の方の夜戦か。
馬鹿な選択肢だと自嘲してみたけれど、いまこの戦場で二者の夜戦を見てしまったからなのか、私は選択肢と仮定、それに伴う身の振り方までをも大真面目に思案していたとき、センダイから二の言の葉が放たれる。
「アンタもアタシも、いまは帰る場所のない根無し草。もし原隊に帰りたいのなら、何らかの土産は必要だと思わない?」
そう言って、センダイはジンツウから躰を離してゆっくりと立ち上がる。
どうやら前者の夜戦のことを言っているようだ。
確かに、私もセンダイも捨て艦にされた身。仮に艦隊復帰を望むのならば、何らかの戦果を挙げた方がより有利に事を進められる。
―――――そう、今は両者とも互いに戦果ゼロなのだから。
「・・・・ええ、そうね。確かに、あなたの言うとおりだわ」
突きつけられた果たし状に、私は応じることにした。
正直なところ、持ち寄る鉄火と得られる戦果は言い出しっぺのセンダイの方が割に合わない気がするのだが、そんなことはどうでも良い。
仮にこちらの装甲を抜く算段があろうと無かろうと、私には何の障害にもならないのだ。
―――――そう、成るわけがないのだ。
魚雷を持たぬ
「そう、嬉しいよ。応じてくれて・・・・くふぃふふふ・・・・」
承認してくれたことがよほど嬉しいのか、センダイはまたもケラケラと嗤い始める。
なんというか、一々事あるごとに気持ちの悪い笑声を挙げる艦娘だと思った。
よほど提督に冷遇されているのか。
それとも、鎮守府での居場所が無いのか。
まあ、これから私の火砲の錆となるのだから詮索するのはやめるとしよう。
そう結論付けて、私は残った砲塔たちに戦闘開始の号令を出そうとした。
―――――その時だった。
(―――――え?)
唐突に視界を遮った、激烈な閃光。
立ち上る水柱。
火砲の炸薬音ではないではない、別のナニモノかの炸裂音。
そのすべてが、私の体感する一秒にも満たない速度で襲いか掛かる。
その一刻後、私は処刑人の言の葉を聞いた。
『さあ。私と夜戦しよ!』