新月の海原に、一つの哀願が木霊する。
千万の因果の果てに第二の人生を得たかの者の旅路は、高根の花に万億回と腕を伸ばす徒労の旅路であった。
―――――どうして、どうしてアナタは解ってくれないのですか!?
あのヒトは、確かにこの鎮守府における最強の艦娘だったのかもしれない。
掲げた誉は星々の数よりも多く、戦火をかける姿はまさに戦姫の如しと称され、謳われた賛歌は風の轟きよりも激しかった。
川内型軽巡洋艦のネームシップとして。
第三水雷戦隊の旗艦として。
5500トン級軽巡洋艦の最終型として。
優美に舞い、堅実に刃を交え、戦場に万の散り花を咲かせる。
故に、私はあのヒトの姉妹艦で良かったと心から歓喜し、彼女の隣で共に戦い、そして果てたいと願っていたものだった。
――――――姉さんお願い。お願いだから私の話を聞いて!
あのヒトは、誰よりも強くなりたいと願い、切磋琢磨を欠かさなかった。
あのヒトは、誰よりも輝きたいと努め、先陣を切った。
あのヒトは、誰よりも誉れ高くありたいと戦い、武功を立てようとした。
そう、何時だってあのヒトは、私たちの姉として、ネームシップとして、戦乙女としての矜持を以て戦禍に焼かれる我らの導となってくれたのだ。
―――――だから、私は許せなかったのだ。
あのヒトが、私の姉さんが戦果に貪欲し、自身の鉄火に驕り高ぶり、仲間を蔑ろにするケダモノとなり果てたことに。
『善き姉であれ』と祈り諭し続ける私の心を踏みにじり、穢し、川内型の名に泥を塗り続ける掃き溜めのような汚らわしい戦術に。
―――――だから、私はあの時、あのヒトにあんな言の葉を紡いでしまったのだろう。
誰よりもあのヒトを愛し、誰よりもあのヒトの傍にいながら、誰よりもあのヒトのことを解っていなかったのだから。
『さあ、私と夜戦しよ!』
まどろむ意識の端っこから、幾重にも重なる砲撃音と共に聞き知った声が届く。
此岸に転生してから幾万回と聞かされた鬨の声。
それは、あのヒトが―――川内姉さんが夜の戦闘に入るときに必ず掲げる戦火の角笛であった。
―――――姉さんが・・・・川内姉さんが、夜戦をしている。
微睡んだままの意識をどうにか此岸へと呼び戻し、私――神通は徐々に色彩を帯びていく眼に新月の夜空を焼き付けながら、まずは残された三肢の確認を行うことにした。
(・・・・意外と、どこも壊れてはいないようですね・・・・)
顔面から叩きつけられた割には、意外と躰の損傷はほとんどなかった。
両肩も外れていないようだし、掴まれた顎も少し痛む程度でなんともない。
後頭部は、押し倒された衝撃で軽くたんこぶが出来ている位で、内出血もしてはいないようだった。
主砲に関しては三基中一基が辛うじて使用可能。左腰に装着していた魚雷発射管は敵艦隊の攻撃で喪失してしまったから、今の私は事実上の戦闘不能といったところだろう。
(・・・・こんな状態で、果たして姉さんの狂気を止めることが出来るでしょうか・・・・)
重くのしかかってくる絶望感を何とか鼓舞してゆっくりと上体を起こしたとき、回復したての私の眼にあのヒトの夜戦が飛び込んできた。
「あぁ・・・・姉さん・・・・あなたはまた、そんな戦い方を・・・・」
視界の先に広がる、一隻の深海棲艦とそれを翻弄する一隻の軽巡洋艦に率いられた五つの影。
戦艦山城の記憶を刷り込まれ、自身を艦娘の山城とうそぶく哀れな深海棲艦の周りには、沈んだはずの味方艦が取り囲むようにわらわらと群がっている。
戦うための腕をなくし。
駆けるための足をなくし。
鉄火も。
記憶も。
そして、命さえも水底に落としたはずのかつての仲間たち。
本来、脅威とならなかったはずの艦娘の死骸たちは、鎮守府最強にして最凶と謳われたあの姉さんの指揮のもと、かの深海棲艦を今度こそ討ち取らんと突撃を繰り返していたのだった。
「きゃあああぁあぁ――――っ!!」
「ほらほらぁ。ちゃんと迎撃しないと、アンタ沈んじゃうよっ!」
戦場に響き渡る敵艦の絶叫と、味方の後方で意気揚々と突撃のハンドサインを繰り出し続ける姉さんの嘲笑。
周りを旋回する味方艦娘の眼には、既にイキモノが宿すべき生気はなく、背中で不気味な紫色の光に包まれた艤装だけが虚しく稼働音を奏で続けている。
―――――まるで、姉さんに操られているかのよう。
死して尚敵艦の突撃を敢行し続ける彼女たちを見て、私は昔見聞した人形師が持つ操り人形を連想した。
そう、かの者たちは川内姉さんという人形師の持つ操り糸によって動き続ける人形。
敵艦隊の砲撃により轟沈という安楽を許されぬまま、糸を持つ主の意思によって敵艦を討ち取らんと攻撃を続けているだけの存在。
だが、敵にしてみれば鎮めたはずの敵艦が再び黄泉がえり、自分に牙を向くという奇行に晒されることになる。
―――――アレこそ、姉さんが十八番としてきた夜戦。
艦娘の世界における最大の禁忌にして、ニンゲンたちの捨て艦をはるかに超える最低最悪の艦娘運用戦術であった。
『Ghost ship Beschuss』(幽霊船の砲撃)
常識的に考えれば、艦娘が轟沈した場合、纏う艤装もまたその機能を停止していると考えるだろう。
確かに、艦娘は建造と同時に己が専用の艤装を持参し、その艤装には専属の整備妖精が付く。
当然、その艤装に搭乗する整備妖精たちは、その艤装をまとう者の指示にしか従わないし、別の艤装に異動することもなければ、主たる艦娘を裏切ることもない。
実際、専属の整備妖精たちは、艦娘が轟沈すると纏う艤装を完全停止させて共に水底へと沈んで逝ってしまう。
故に、ニンゲンたちはこう結論付けるだろう。
【艦娘と整備妖精は主従関係にあり、一蓮托生の存在である】と。
それは、一応正解。
ただし、それは所詮【銃火器は使い手自らの意思を以て動かしている】というニンゲンの常識眼で見聞しただけの論理であり、艦娘艤装の表の部分だけを指しているにすぎない。
そう、実は艦娘と整備妖精は主従の関係であるが、一蓮托生の関係ではなかったのだ。
「さあ、整備妖精たち。暁の水平線に勝利を刻む時だよ! 存分に報國し、奉仕し、闘争し尽くしなぁ・・・・!」
姉さんの言の葉を鬨の声として、艤装より放出される紫色の光がより一層輝きを増していく。
主である艦娘を飲み込むほどの強烈な光。
ケモノの咆哮の如き唸り声をあげる動力炉。
そして、それを纏いて死体の身で敵艦と刃を交える娘たち。
「・・・うゥ・・・・ア・・・・ガ・・・・うびゃああ”あア”アアあああ”あああ”ああ”――――――っ!!!!!?」
突如として苦悶の絶叫を上げる、卯月だった艦娘。
顔面の半部を砕かれて、、無数の銃創と火傷に覆われた下半身と両の手が黒いナニモノかで覆われていく。
それは、まるで船の機械部品のようであり、はたまた船体の一部のようでもあった。
「い・・・あ”・・・や・・・やめ”・・・・」
潰れた喉仏で辞めよと訴える、卯月だったもの。
しかし、誰かに届けと紡いだその言の葉に応えるものはなく、彼女の躰は紫色の光と黒いナニモノかに包まれていく。
その一刻後、その者は艦娘の卯月ではなくなっていた。
(あれは・・・・、イ級・・・・!?)
嫌というほどに見慣れたその姿。
黒光りするヌメヌメとした躰。
角ばった頭部と巨大な歯茎。
側頭部に配され、不気味に光る探照灯の如き緑眼。
哺乳類のクジラを連想させても尚、決して我ら人類と相いれない存在なのだと直感させる血と油と磯が混ざり合った不快極まる臭いをまき散らすソレは、人類の不倶戴天ともいうべきものだった。
そこに立つ異形の名は――――駆逐イ級。
ニンゲンが定めし深海棲艦の艦種では駆逐艦と分類され、また此岸に体現した初めての深海棲艦とされる存在であった。
「・・・・へ? なに? なんなのこれ・・・・・?」
目の前で起きたあり得ない現象に、同じ存在であるはずのヤマシロを自称する深海棲艦は狼狽えて見せる。
まあ、無理もないだろう。
艦娘が深海棲艦に変転する様を見るなど、あの大本営の技研を以てしても一度か二度くらいの事例しかない。
ましてや、一介の艦娘が眼前で見やる機会など一生分の幸運を以てしても可能かどうか。
――――――いいや、この場合は不幸というべきなのでしょうか。
「何を驚いてんのさ。一応アンタも艦娘気取ってんのなら、自分(てめぇ)の終いくらい知ってるはずでしょ?」
顎をしゃくり上げながら、姉さんはしゃあしゃあと言ってのける。
そう、これこそが、私たち艦娘が【己の恥部】として人類に秘匿し続けてきたもう一つの姿。
致命的な欠陥を抱えた御旗を掲げしかの妖精たちによって生み出された、報國と闘争の体現装置―――艦娘。
託された御旗に飲み込まれ、護るべき自己を消失し、唯々無差別に報國と闘争を示し続ける無垢の暴力装置―――深海棲艦(ひがんのはなびら)。
元々は一つの種族として生み出され、同じ御旗を託された我ら艦娘とかの瓣たち。
けれども、初めてその瓣となった同胞を見たとき、私たちはなんて愚かで欲望に満ち満ちた醜悪なイキモノなのかと嫌悪したものだった。
そして同時に、この者たちの出自は決して知られてはならない門外不出の恥部となり、「その悉く抹消スベシ」という結論に至るまでに早々時間は掛からなかった。
『深海棲艦の正体は、轟沈した艦娘の成れの果てである』
艦娘と深海棲艦の出現以来幾度となく唱えられたこの仮説は、艦娘の探求が進むにつれ定説となってゆき、深海棲艦の被害が拡大するにつれ、私たちの居場所を失いかねない大禁の論となった。
故に、艦娘の深海棲艦に向ける憎悪と恐慌も日進月歩の勢いで増して行き、穿つ鉄火は苛烈になり、「慈悲を」乞う言の葉は、「無慈悲」の言の葉で踏み潰されていった。
―――――彼奴らの正体は、決してニンゲンたちに知られてはならない。
託された御旗にもう一つの御旗を追加して、私たち艦娘は何も知らない瓣たちを淘汰してきたのだ。
冷酷で残酷な此岸に死ぬ思いで拵えた、たった一つの居場所を守るために。
でも、その恥部がたったいま、白日の下に晒されてしまった。
外ならぬ、我が愚姉の手によって。
(姉さん・・・・。アナタは、なんて愚かなことをなさったのですか・・・・!?)
艦娘の禁忌へと変転してしまった卯月と、それを白日の下に晒してしまった姉さんに慨嘆の眼差しを置くりつつ、私は空を仰いだ。
この新月の夜陰に隠遁する、百機近くの九十八式水上偵察機。
その夜偵の眼に映るは、同族殺しを生業とする愚かな人造生命体の終焉か、それとも明日にも始まる魔女狩りの狼煙か。
『羊の皮を被った諸悪の根源』
『善人面をしてニンゲンを苦しめ続けた、鉄面皮の裏切り者』
『同胞の生き血を啜り蠢く、意地汚い泥船』
ニンゲンは、いいや、この世界に生きるすべての有機生命体は、裏切りと悪逆の存在を決して許さない。
これから刑場に突き出されるまでの猶予に、一体どれだけの罵詈雑言を民草から浴びせ掛けられるのだろう。
そんな考えたくもない悪夢を想像していた時、姉さんの呑気な声が私の耳に飛び込んできた。
「さて、と。余興はこれくらいにして、続きを始めようか」
こちらの哀哭など芥ほども気にしてない様子で、姉さんはヤマシロに戦闘再開の言の葉を放つ。
自身の末路が最悪のカタチで決まってしまったというのに、あのヒトはなんて能天気なのだろう。
―――――でも、その神経がいまは心底羨ましい。
己が存続の未来を託し、恥辱に耐え泥を被り、幾度も矜持を差し出しながら私たちを生かし愛情を注いできた、この世界のニンゲンたち。
彼らが私たちの傍若無人を容認してきたのは、ひとえに深海棲艦を屠ることが出来るのが艦娘だけだったからに他ならない。
でなければ、誰がこんな【人類が持つすべての核兵器に自我を持たせたのと同じ】とまで言われた劇毒級のバケモノに寝食を貢ぐ必要があろうか。
(もう・・・・本当に・・・・・何もかもが、おしまいなのですね・・・・)
夜天を仰ぎ見る眼に何故か雫が堪り始めてきて、私は「この涙は何を意味するのだろうか」とどうでもいい疑問を抱いた。
この涙は、恥辱のソレだなのだろうか。
それとも、惜別のソレなのだろうか。
はたまた、贖罪のソレなのだろうか。
この裏切りの発端は、偶発的なものだったのか。それとも、こうなるように予め運命付けられたものだったのか。
それは、今更ソレはせん無き事。
例え、ソレが判ったところでどうにもならない。
なら、せめて最後位は、今までまともに観戦してこなかった姉さんの夜戦でも見物するとしよう。
そう結論付けてこの夜戦を目に焼き付けようと溢れた涙を拭きとったとき、姉さんの子洒落た言の葉が聞こえてくる。
「波間を彷徨う子羊たちよ。救済の時は今ここに、今この時を以て果たされん。さぁ、主の御前にて存分に奉公し尽くすのだ」
姉さんの数歩前方にて不快極まる臭いを放つ卯月改め駆逐イ級と、轟沈しても尚整備妖精たちに生かされる漣や潮たち。
不倶戴天の存在だった深海棲艦と艦娘が、いまは同じ土俵で戦友のように横並びで立っている。
両者は怨敵同士なのだからこの光景は異質に見えるはずなのに、なぜか今はパズルのピースが正しく当てはまったように妙にしっくりくる。
いいや、もともと同じ存在だったのだから、本来これこそが正しい立ち位置なのかもしれない。
「報國セヨ。全艦突撃っ!」
高らかとそう言い放って、姉さんは腕を勢いよく前に突き出す。
その合図を以て、潮たちや駆逐イ級となった卯月の主砲がゆっくりと持ち上がる。その刹那、総数九問の砲口はヤマシロ目掛けて今一度の砲撃を敢行した。
はずだった―――――。
ドン
「え―――――?」
大海に響き渡る駆逐艦砲の砲撃音。
飛び散る鮮血と肉塊。
硝煙を漂わせる六基の主砲に穿たれて、己の流した血反吐にがくりと膝を折る一隻の戦船。
その光景が眼球に飛び込んできたとき、私は脳髄で理解する前にその者の名を叫んでいた。
「・・・・ね、姉さんっ!?」
放たれた12センチメートルの砲弾よって吹き飛ばされた両腕と土手っ腹から勢いよく血反吐を噴出させ、姉さんは折った膝を軸にしてどしゃりと蹲る。
――――何故だ。
そんな疑問符が丸まった背中からみなぎってくる。
それもそのはずだ。
轟沈した艦娘を用いる『Ghost ship Beschuss』は、当然艦娘本人の自律ではなく、艤装に搭乗する整備妖精が代行を務めることによって行われる。
そして、その整備妖精の行動理念はその悉くが報國と闘争によるもの。即ち、深海棲艦との血みどろの【闘争】によってもたらされる【報國】の証明なのだ。
故に、その証明に最も適した相手であるヤマシロを向こうに回すことなく無視し、剰え味方である姉さんを攻撃するなどあり得ない行動だった。
「・・・・なんで・・・・さ。アタシ、は・・・・アンタの・・・・ために・・・・」
応急修理要員(ダメコン)の柔らかな緑光に包まれながら、姉さんは吐血交じりに抗議の弁を垂れ流す。
【アンタのため】
その言の葉が、この場にいる誰かに充てたものではなくもっと遠くにいる誰かに充てたものに聞こえるのは、きっとこの海洋を包むが姉さんが砲撃されたのを機に一変したからであろう。
(いったい何なんでしょうか。この、心身を弄られるような薄気味の悪い空気は・・・・?)
新月の海原に漂う、ねっとりと纏わりつくような奇怪な空気。
私が【艦】だっころに感じたひりつくような戦場の空気でもなければ、乗艦していた海軍将校たちが放つ闘気でもない。
オンナとして躰を預けるには甘美なれど、戦船として背中を預けるにはあまりにも異質すぎる。
それは、言うなれば狂気と呼ぶべきもの。
その空気を纏うヒトを、私は一人しか知らない。でも、それは現実的に考えてあり得ないことだった。
だって、そのヒトは、もうこの世には居ないはずなのだ。
「・・・・どうして? いったいどうして・・・・?」
姉さんの治療をしなければいけないはずなのに、私の思考は彼女の治療よりも起きてしまった非現実的な事案の理解を優先してしまった。
――――――あり得ない。
幾度となくそう否定しているのにも関わらず、私は心のどこかで彼ならあり得るかもしれいないと思っていた。
きっとそう思ってしまうのは、あのヒトが俗にいう『狂人』と呼ばれる存在だっからなのかもしれない。
そう、大本営の援助で定期的にやって来る支援艦隊の艦娘から聞かされる、ニンゲンの心身。彼女たちの雑談を統合すれば、彼は間違いなく巷に溢れる常人ではないだろう。
そして、聖人君主でもない。
そう、彼は、私たちの提督は・・・・悪魔そのものだったのだ。
(まさか・・・・。あのヒトは、ほんとうに・・・・・?)
そんな悪魔に育てられた私の心など露知らず、僅かに生き残った専属の整備妖精たちが徐に言の葉を紡ぐ。
いつも聞きなれた、それこそ耳にタコが出来るくらいに聞き続けた、取り留めのない常套句。
だが、その言の葉こそ、紡がれてきた一つの時代の終りを迎え、新たな時代が幕を開けたのだということを、私はこの時、露ほども理解していなかったのだった。
『提督が鎮守に着任しました。これより、艦隊の指揮に入ります』
―――――終焉が、始まる。