――・〇・――
《狂初(きょうはつ)》
『はじめまして、吹雪です。よろしくお願いいたします!』
それは、今思えば愛憎に似たものだったのかもしれない。
深海棲艦なる侵略者がこの海に現れて、すでに数年。
いまや反戦主義は過去の遺物となり、日ノ本の國は軍務省と名を変えた防衛省が政界の幅を利かせる一世紀前の軍國主義國家と成り果てていた。
『七生報国ノ精神ヲ以テ、祖國ノ存命二尽クスベシ』
その御旗のもと、士官学校には老若男女問わず連日多くの士官たちでにぎわっており、若き士官の卵たちが門扉を叩き、戦術を学び、【艦娘という名の生体兵器を使役するためだけの存在になれ】というお上の思考に染められて、死地へと旅立っていった。
―――――でも、不思議と嫌悪感は抱かなかった。
それは、この日ノ本が島國であり、僕たちが大日本帝國海軍の末裔だったからなのかもしれない。
日ノ本は、周りを海に囲まれた孤島の國だ。
そして、深海棲艦はその海を棲み処とした海棲生命体だ。
いくら一世紀あまり続いた不戦の盟を掲げ、平和を説き、対話を呼びかけたところで、彼女たち侵略者が耳を貸さなければこの論理が通づることはない。
故に、我々日ノ本が掲げてきた不戦の詔は、差し当たり『剣を振りかざし進軍してきたものに無抵抗で和平を乞う』という、一種の自殺に等しい愚行と成り果ててしまった。
なら、我ら日ノ本の民が生きるには、一つしかなかった。
『我ら提督は、その心身悉く、七生報国の礎と成らん』
この身は、日ノ本一憶二千万の民を生かす延命装置。
その歯車の一つ。
友のため。親のため。御国のため。そして、まだ見ぬ愛するヒトのため。
―――――僕たち提督は、須らくこの身を以て救國の先駆けと成ろう。
そんな思いを胸に秘め、士官学校を卒業し、鎮守府の門扉を叩いた時だった。
彼女に――吹雪に会ったのは。
「はじめまして、吹雪です。よろしくお願いいたします!」
目の前で精一杯の海軍式敬礼をする、年端もいかぬ少女。
士官学校の教本で毎日のようにその姿を見てきたが、いざそれが目の前に現れると、やはり、数多の提督が感じる感想に行きついてしまう。
―――――これが、艦娘?
―――――これが、深海棲艦を駆逐せしめる決戦兵器?
(まだ、幼い子供じゃないか・・・・)
狐につままれたのではという想いで見つめる僕に、その少女は、屈託のない笑顔でそう言ったのだ。
「司令官の為に私、頑張ります!」
木漏れ日のような笑顔で全幅の信頼を寄せる幼き少女。
生まれて初めて異性のヒトに好意を向けられて、僕は自身の心臓がドクンと高鳴るのを感じた。
「うん。よろしく頼むよ、僕の初期艦さん」
答礼に合わせて軽い着任のあいさつを交わした後、僕は『吹雪』と名乗った少女と共に真新しい漆喰で色付けされた鎮守府へと歩いていく。
正直なところ、向けられたその笑顔が社交辞令によるものだったのか、それとも、提督という存在故だったのかは分からない。
でも、たとえそうだったとしても、僕にとってそれは眩しく映り、愛おしく感じ、そして、僕の胸の奥底にあるナニモノかを目覚めさせてしまった。
そして、そのナニカこそ、僕とこの少女、果てはこの鎮守府そのものを魔境へと変えていくことに、僕はまだ気付いてすらいなかったのだ。
『・・・・ボクハ、コノコノコトヲ、モットシリタイ・・・・・』
――・〇・――
主なき執務室に灯る、一つのヒカリ。
己がその手で主だった彼を弑してしまったかの深海棲艦は、今何を思っているのだろう。
敵であるはずの彼女に憐憫の情を抱きながら、私は物言わぬ肉塊となった彼から視線をそらし、もう一度タブレット端末を起動すると、そこにある一つのアイコンをタップした。
「そう・・・。あの深海棲艦は、確かに彼の初期艦である【吹雪】だった・・・・」
『彼女は――吹雪はね、帰還したんだよ。僕のもとへね。深き海原に棲む艦、深海棲艦《ひがんのはなびら》と成ってね』
大本営からもたらされた援助は、一介の鎮守府が受けるものとしては些か異常な程のものであった。
一つが、一鎮守府が十年先まで浪費し切れないほどの膨大な資材の提供と、戦力増強のための大本営直属の艦娘を派遣すること。
もう一つが、大規模作戦の詳細情報の優先的な提供と、作戦開始時に近衛艦隊を友軍として派遣すること。
そして最後に、軍功華々しいとして二階級特進までつけるというおまけつきだった。
(・・・・そう。あの方は確かに、人類救済の責を背負うものとして、ある意味最も適したヒトだった・・・・)
数多の鎮守府を統括する大本営が、何故一介の、それも特に優秀な戦果を収めているわけでもない凡人であるはずの彼を選んだのか。
だが、彼と同じ屋根の下で過ごし、彼の心に触れたとき、私は【ニンゲンとは如何に業深きイキモノ】であるのかを、嫌という程に思い知ることになったのだ。
「ほんと・・・・。いくら艦娘と深海棲艦の生態研究の一環とはいえ、これではプライバシーのプの字も在りませんね・・・・」
数秒の起動時間をおいて、端末の画面全体に膨大としか言い表せないほどの背景画が映し出される。
その中の一つを軽くタップすると、その背景画は何かの動画として画面中央に拡大表示された。
『すう・・・すう・・・。むにゅむにゃ・・・・』
拡大された動画から、イヤホン越しに駆逐艦と思しき幼い娘の寝言が聞こえてくる。
それは、防犯目的で鎮守府各所に設置されている監視カメラの映像だった。
当たり前であるが、鎮守府はれっきとした軍事施設だ。
そのため、敷地内の随所に防犯と軍事機密保持を目的とした【十台前後】の監視カメラが設置されている。
だが、自分の携帯端末に映っているソレは、十や二十どころではない。
この鎮守府で稼働している監視カメラの数は・・・・・私が把握している限り、【約千台】。
それも、一般に出回っている既製品ではなく、大本営がこの鎮守府の為だけに特注した赤外線センサーと暗視スコープ機能を搭載した集音マイク付きの超高画質品だった。
「・・・・・」
ひとしきり駆逐艦の寝言を聞いたのち、私は画面をもう一度タップして画像を格納すると、今度は別のカメラ映像を拡大させてまた数秒間だけその映像を眺める。
「・・・・・」
鎮守府の至る所に設置された総数千台余りの監視カメラは、艦娘寮やその部屋の中はもちろん、工廠や入渠ドック、投抜錨に使う埠頭、果てはトイレの中にまで取り付けられており、艦娘の用足しや着替えに遭遇したことも一度や二度ではなかった。
―――――本当に、この鎮守府は狂っているとしか言えませんね・・・・。
このカメラで撮影された映像は当然大本営にも行くことになるから、彼らがこれを見てナニを思い、ナニを感じているのかなどと考えてみただけでも反吐が出る。
そして同時に、結果的にその行為に手を貸している私自身に対しても反吐を吐きかけてやりたくなる。
――――でも、それももう終わる。
この通信を以て、この鎮守府はこの世界から消え去ることになるのだから。
「提督・・・・。貴方にとっての最大の不幸は、大本営《わたしたち》に見初められたことだったのもしれませんね・・・・」
そう独り言ちて、私は持参したタブレット端末を脇に抱え引き出しにしまった信号拳銃を手に取ると、部屋の隅に横たえた死体袋へと歩み寄る。
「提督・・・・。艦隊、作戦終了です。大変お疲れさまでした・・・・・」
撫でるようにして触れた手にごつごつした肌触りを感じながら、私は変わり果てた主に最後の賛美を送ったとき、ふと頭の片隅に彼の言の葉が蘇る。
『大本営から援助の通達あった時はまさかと思ったけれど。いま、君がこうして目の前にいる。それだけで、僕は天にも昇る心地だよ』
たった一度の出会いを運命だと盲信し、彼はあの娘の全てを知るために人心を捨て、ヒトであることを捨てた。
それは、愛したモノの為に全てを捧げるという意味では、確かに最上の愛情表現だっただろう。
だが、その愛ゆえに、彼はヒトならざるバケモノへと変えられ、多くの艦娘を不幸し、そして我々の大義の贄とされてしまった。
「提督。・・・・いいえ、――-―-さん。貴方の残した艦隊運営記録は、必ずや我々の血肉となり人類救済の糧となるでしょう。ですから、貴方は彼岸の彼方で安寧な日々をお過ごしください」
その日々が、どうか生涯を血反吐と悪態に塗れた無間地獄へと突き落とされた貴方へのせめてもの贖罪と慰め成らんことを。
「さて、いきましょうか・・・・」
別れの挨拶と戦果報告を済ませ、私は机の傍に設えられた窓へと歩み寄る。
着任してからほとんど開けていなかったせいか、観音開きの窓のサッシには薄っすらと埃が積もっており、開けた瞬間、潮風と共に積もった埃が私の躰を通り抜けた。
(・・・・予定時刻まで、あと、10秒・・・・)
水平線に広がる、光無き新月の海。
心地よい漣の音と鼻腔をくすぐる潮さいの香りの中に私は、微かに血と油の混ざり合ったえも言わぬにの匂いが混ざっていることを感じ取る。
(この匂いは・・・・っ!?。予定よりも随分早いですね・・・・)
夜風に混じる、血と油と磯が混ざり合った不快極まる臭い。
そう、それは歴戦の艦娘なら嫌というほど嗅ぎ慣れた臭い。一度嗅げばそのおぞましい姿も相まって生涯忘れることのない瘴気とよべるもの。
――――我らの宿敵である、深海棲艦の躰からまき散らされる臭いだった。
「まったく・・・・。ニンゲンというものは、一体どこまで狂気的で、恐ろしい生き物なのでしょうか・・・・・」
深海棲艦の生態研究は出現とほぼ同時に行われてきたが、被検体とされた者のほとんどが大破し肉塊同然の状態だったため、まともに研究が進んだのは彼の深海棲艦を鹵獲した一年ほど前のことだった。
だというのに、彼らはもう新たな【生きた被検体】を手に入れたというのか。
「・・・・提督、前言を撤回致します。貴方の残した記録は今この瞬間を以て人類の確かな血肉となりましたよ」
――――確かに、貴方は軍功華々しい軍人、いいえ軍神《きゅうせいしゅ》でしたよ。
願わくば二度目の転生を許されるのならば、私はもう一度、あなたの鎮守府で働きとうございます。
そして、叶うのならば貴方の傍で、貴方と共に、今度こそ真っ当な生涯を歩みとうございます。
「願わくば、貴方の次の人生に、幸多からんことを」
込めた採光弾に南柯の夢を乗せながら、私は夜陰の空に向けて信号拳銃の引き金を引いたのだった。