――・〇・――
《狂逢(きょうおう)》
『あぁぁあぁぁ・・・・吹雪・・・・。よかった・・・・本当に、良かった・・・・・』
西の水平線に沈む太陽が放つ最後の光が差し込む黄昏時の鎮守府。古くは逢魔が時と呼ばれた日の入りの執務室で、僕は彼女と再び会い見えた。
「あ・・・あの・・・・」
状況を理解できず唯々抱擁されるままの彼女に、僕は殆ど号泣しながら「いいんだ・・・」と何度も繰り返す。
そして、失った時間を取り戻すかのように吹雪の体温を、吹雪が打つ鼓動を、吹雪の放つ臭いを感じ続けた。
ただし、厳密にいえばこの艦娘は僕の知っている吹雪ではない。
連れ帰った艦娘達の話では、この娘には【艦娘の吹雪】としての記憶は一切ないという事だったからだ。
そう、この吹雪にはこの鎮守府の初期艦だった記憶もなければ、僕とケッコンカッコカリを交わし、唯一人のケッコン艦だった記憶もない。
そして、自身がニンゲンに弓を弾く深海棲艦だという自覚もない。
いま、僕の目の前にいる人ならざる者は、この此岸に生まれ出でた直後の状態、言わば無垢なのだ。
だが、僕にとってそんな事は思案する価値さえない愚案だった。
―――――いまこの場に、この此岸に、この鎮守府に、この時空に、僕の吹雪がいる。
それだけで、僕は十分だった。
(吹雪・・・・。やはり君は、僕のすべてを捧げるに等しい女性だったよ・・・・!!)
沸き起こる渇望と、置き場を見いだせず溜まり続けた欲望が一気に噴き出していく。
本当に君は、僕のすべてを満たしてくれる。
僕の躰を。
僕の魂を。
僕の心理を。
僕の論理を。
諸人には決して理解されることのない。この歪に、残酷に、冷淡に、無慈悲に捻じ曲がった【狂気】という名の心に、キミはいつでも歓喜という名の美酒を満たしてくれる。
僕はもう君を手放すことはしないだろう。
だから、キミはずっと僕の傍にいるといい。
戦禍に焼かれることのないこの鎮守府《ばしょ》で、この部屋で、この腕の中で、キミは僕とずっと一緒に愛を育んでいくんだ。
――――――そう。失くしたのなら、また、いちから作ればよいのだから。
「あ、あの・・・・。アナタハ・・・・・」
「僕の名前はね、――-―-というんだ。そして、この鎮守府を護り導く、キミの司令官だよ」
優しく言い聞かせるようにして、僕は自身の名と呼称を名乗る。
これから君が幾千万回呼ぶことになる、僕の名前にして君をこの此岸へと繋ぎ留める大切な楔。
決して千切れることのない、ナニモノにも穢されることのない、君と僕とをつなぐ大切な絆《くさり》。
「シ・・・レイ・・・・カ・・ン」
「そう、よく言えたね」
「シレイ・・・・かん。ワタシの、しれ・・・イ・・・かん」
「そうだ。キミの・・・・、キミだけの司令官だよ」
たどたどしく何度も繰り返し呼称する幼き深海棲艦の声音が、僕の噴き上がる狂気と混ざりあい、狂乱なる饗宴へと二人をいざなっていく。
これだ。
これこそが、僕の望んだ失楽園への道標。
キミとの出会いに心を弾ませ。
キミと別れた絶望に心を引き裂かれ。
キミと再会した奇跡に心を清め癒される。
キミこそ、僕を天上の彼方へと導き、久遠なる極楽浄土への道標。その使者。いいや、神そのものと言っても過言ではない。
最早だれにも、この旅路を邪魔することは出来ない。
例え三千世界を想像セシ八百万の神々でさえも、僕たちの門出を遮ることなどできはしないのだ。
「吹雪。また、幸せになろうな」
体内を駆け巡る恍惚に従うようにして、僕は徐に彼女の左腕に自身の左手を重ねる。
ニンゲンに魚の特徴を足したような歪な左腕。
ぬるりと湿り気を帯びながらもごつごつとした感触を残すその指間に己の指を挟み込んだ時、僕の脳裏にある艦娘の顔が刹那的に浮かび上がった。
『ねえ、ていとく・・・・。私・・・・やったよ・・・・提督からの頼み事・・・・ちゃんと果たしたんだよ・・・・。だから・・・・だから・・・・・!!』
親友の返り血で真っ赤に染まった制服。
壊した友情でくの時に曲がった愛砲。
己の犯した過ちに見る影もなくズタズタに切り刻まれた表情で、その娘はあろうことか僕に指輪《ほうしゅう》を要求してきたのだ。
『実は、司令官殿に褒めてもらいたくて、とってもとっても、睦月、頑張っていたのです』
そう言って、娘は婚儀の終いに僕に抱き着いてきた。
ボロボロに崩れた泣き笑いで僕の躰に手をまわし、制服にこれでもかと血と鼻水を塗りたくり、「ありがとう」と壊れた録音機のように何度も謝辞を述べてきたのだ。
(・・・・ああそうか、まいったね。あいつに指輪、くれてやったんだよな・・・・)
無論、娘に渡したのは酒保で幾らでも買える飯事品の方だったのだが、カッコカリの終いに見せた歪にゆがんだ汚らしい笑顔がここにいる吹雪の顔と重なってしまって、甚だ不快に感じる。
――――あいつ、解体しとくべきだっただろうか。
あまりにその娘が鬼気迫る勢いで詰め寄ってきたので思わず了承してしまったのだが、今にして思えば、あえてあそこで【友軍殺しの咎で解体処分】と言う選択肢もあったのでないかと後悔してしまう。
だが、曲がりなりにもあの娘は鎮守府唯一の最高練度艦。
そして、吹雪が自身を【特型駆逐艦吹雪】として認識するための、同一性の一つなのだ。
それを踏まえると、あの娘を此処で解体処分とするのは些か軽率と言えるだろう。
(仕方ない・・・・。しばらくは、飯事に付き合うとするか・・・・)
ガキの児戯に付き合うのは、大人として当然の責務。
ならば、そのガキの保護者である僕が折れるのは至極当然のことだろう。
そう自分を納得させて、僕は茶々を入れていた憤怒と共に娘の顔を頭から追い出す。
まったく、何時みても汚らわしい顔だ。
あの醜顔に比べれば、この吹雪の方が万倍もましである。
それに、僕が愛しているのは吹雪だけだ。
―――――そう、吹雪だけなのだ。
「吹雪。また一緒に、思い出をたくさん創ろうな・・・・」
万物の母がその体躯を水平線へと埋没させ、人外の徒が跋扈する逢魔が時が終焉を迎える。
その逢魔に導かれ、我が生涯の妻は現世に三度目の体現を果たした。
それは、理を統べる神々の悪戯か。それとも、世を統べる縁の賜物か。
いずれにせよ、我もまた相応の代償を払わねばならぬのだろう。
最も、この奇跡に見合う対価など、在りはしないのだろうが。
『All or nothing。その言の葉を新たな御旗とし、我は今一度、悪鬼羅刹の修羅と成らん・・・・』
――・〇・――
光無き月下の海原に、一人の人外の雄叫びが木霊する。
かつて、人類の守護者として君臨した彼の戦船は、三度の体現を以て人類に弓引く不俱戴天の怨敵と成り、同時に、人類を救済する天恵者と成った。
「敵艦隊発見。砲戦、用意して」
『了解。各砲塔、一式徹甲弾装填』
新月の青黒い海原を全速で航行しながら、私は眼下に広がる水平線上を睨み付けた。
月の御光も無ければ、共に海を掛ける戦友もなく。
友軍の支援も無ければ、夜偵の援護もない。
たった一人の進軍。いいや、新たに得た艤装には数百人の整備妖精たちが乗艦しているから、厳密にいえば私は一人ではないのかもしれない。
それでも、背中の預ける者たちがいないというのは何とも寂しいものだった。
『水上電探から、主山城へ。前方の敵艦隊の照合、終わる』
艤装に詰める整備妖精から通信機越しに「照合完了」の報告が上がる。
私の眼前に立ちはだかるのは、アヤナミ型駆逐艦が三隻。
ムツキ型駆逐艦が三隻。
センダイ型軽巡洋艦が二隻。
それと、ショウホウ型軽空母が二隻の合計十隻からなる水上打撃艦隊とのことだった。
「了解。各整備妖精は、引き続き敵艦隊の動向を逐一報告して頂戴」
再度命令を下し、艦内通信に合わせた通信機から『ヨーソロー』の応答を聞きながら、私は新たに得た艤装を今一度眺める。
深海棲艦の纏う艤装と酷似した、艦と生物を足したような不気味な艤装。
まるで複数の砲塔を模したイキモノ達が寄り沿い、形を成しようなおぞましい外観からは想像もできないが、その艤装からは人肌よりも少し高めの体温と鼓動が伝わってくる。
(まるで、姉さまが連れていた長10cm砲のよう・・・・)
抜錨前に撫でさせてもらった二基の10cm砲の感触を重ねつつ、私は腰を下ろしている艤装の一部をそっと撫でてみる。
「・・・っ!・・・・・・♪」
やけに歯並びの良い41cm連装砲と思しき艤装は、私の手の感触に一瞬ビクリとしたのも直後、まるで動物が母親に甘える時のような妙に可愛らしい声を発してくる。
(・・・・そう。この艤装も、姉さまのソレと同じく生きているのね)
鉄と生物の合成体でありながら、確かに生命の息吹を感じさせる我が新しき艤装。
やはり、姿形は変わっても纏う艤装だけは確かに私と姉さまを繋いでいるのだ。
ようやく、今の姉さまとの繋がりを見いだせることが出来た気がして、私はようやく自分の生涯に【不幸】でなく【幸福】がやってきたのだと認識し肯定することができた。
「姉さま。山城はもう、不幸などと嘆いたり、弱音を吐いたりは致しません」
ことあるごとに自分を「不幸」などと卑下した日々。
欠陥戦艦などと唾棄され、艦隊にいる方が珍しいなどと陰口をたたかれたのも、今は昔。
かつて時期主力戦艦の先駆けとして建造されるも、その特異性ゆえに内地で無益な毎日を過ごしたこの屈辱の清算は、いま、この瞬間を以て成されるのだ。
(・・・扶桑型の活躍する時がとうとう来たのね!姉さま、山城、頑張ります!・・・ふふ、ふふふぃうふぃふふふ・・・・・・)
バシバシと胸を殴りつける鼓動。
今か今かと血飛沫を浴びたくてうずうずしている、私を形作る約37兆五千億個の細胞たち。
脳内をびりびりと振動させる、戦場を欲する艦娘としての本能。
その皮膚切り裂かんと鋭利に襲い来る潮風と、ソレに便乗する十の殺気と105の小さき闘志たち。
その一つ一つが、私を歓待し、高揚させ、五臓六腑を血潮の宴へと誘っていく。
「姉さま・・・山城、必ず成し遂げてみせます・・・・!」
―――――さあ、来るが良い。
我は、扶桑型戦艦山城。
我が姉妹は、日出る國―日ノ本の異名を名付けられし不沈の戦船成り。
我を沈めたくば、それこそ国盗りを成す覚悟で参られよ。
血液と共に体躯を縦横に貫く戦果功労への美酒を夢想しながら、私は数十年ぶりの雄叫びと共に、己が闘志を夜陰の水平線に高々と響き渡らせたのだった。
「邪魔だァぁ・・・・。どけええぇぇぇぇぇぇぇぇえっ!!!!」