新月の彼方から、とても懐かしい鉄火が聞こえてくる。
はるかな昔、もしくは遠き未来に聞いたかもしれない砲火の奏でる戦笛。
その音色に載せられて、届くはずのない硝煙の香りを鼻腔に嗅いだ時、私は忘却の彼方に連れ去られた深海棲艦としての本質を呼び起こされたのだった。
―――――仲間が、戦っている。
深海を棲み処とする我々深海棲艦は、昼間よりも夜陰の方が五感が良く働き、より遠くの状況が認識できる。
故に、今の私は執務室に居ながら水平線の彼方に展開される戦況を把握することが出来た。
(・・・・あのフネは、ダレだろう?)
新月の海原で、ここの元同胞たちと戦っている一隻の彼岸の瓣。
超絶的に研ぎ澄まされた五感から伝わってくる情報を鑑みて、どうやら彼女は私と同じく姫級に属する者のようだった。
でも、彼女から伝わってくる熱は、私を連れ戻そうとした慈恩のソレではない。
彼女から伝わってくるのはもっと自己的で、渇望的。
己の定めた誓約を果たさんとする妄執と、戦友《とも》定めた者たちを救わんとする執念だけだった。
(・・・・あのヒトを、助けなきゃ・・・・)
名前も知らぬ同胞に憐憫の情を抱きつつも、私は彼女を助けに行こうと思い立った。
―――――あのヒトは、私と同じなのかもしれない。
彼女の言う仲間がいったい誰のことを指すのかは、正直分からない。
でも、私の知る限りでは、此処に彼女の同胞とする深海棲艦は存在しないはずだ。
ならば、彼女もまた私と同じ、無垢であるがゆえにニンゲン達の業の玩具にされた憐れな彼岸の瓣の一人なのだろう。
そう、自己同一性を確立できぬままニンゲンの虜にされ、仮初の同一性《アイデンティティ》を植え付けられ、己を【深海棲艦に非ず】と嘯く憐れな道化。
ニンゲンの業を満たす、欲と恥辱に塗れた愛玩人形。
その愛玩人形が行き着く先は、絶望と破滅以外にはない。
「・・・・・いこう」
徐にそう呟いて、私は彼女の所へ行こうと踵を返そうとした。
その時だった。
「どこに行くつもりですか?」
突然執務室に別のオンナの声がして、私は咄嗟に艤装展開の構えをしながら声の聞こえた方向に視線を合わせる。
唯一の出入り口であるマホガニー色に塗装された高級木材製の観音開きの扉を塞ぐようにして佇むその少女を視界に捉えたとき、私は全身の毛が逆立つのを感じた。
「・・・・・っ。オオヨド、秘書艦・・・・」
声の主は、この鎮守府における影の支配者であるオオヨド秘書艦のものだった。
しかも、彼女はすでに艤装展開を終えており、配下の艦載機である紫雲をこれ見よがしに侍らせ、「貴方を沈める準備は出来ています」とでも言いたげに二基の愛砲をこちらに向けていた。
「さっきぶりですね、吹雪さん。いいえ、今の貴方にとっては初めましてというべきなのでしょうか・・・・?」
噛み締めるようにそう呟いて、オオヨド秘書艦は妙に穏やかな表情をで私を見つめてくる。
その顔は、何時もの能面とは対照的に生気に満ちていたが、銀縁の眼鏡に囲まれた水晶色の瞳にはどこか哀切が漂っており、まるでこれが今生の別れであるかのようだった。
「・・・・そう、ですね。そうなのかもしれません・・・・」
恐らく、司令官に着任の挨拶をした時のことを言っているのだろう。
あの時、私は確かにあの場にいたけれど、まだ自分がナニモノなのかを認識していない無垢の状態だった。
故に、自身の自己同一性を確立し、仮初の艦娘から真の深海棲艦として覚醒した私に対して放ったその言の葉は、至極的を得ているのかもしれない。
「さて、オオヨド秘書艦。この場合、やはり私は深海棲艦として抵抗するべきなのでしょうか。それとも、被験体として大人しく貴方に討たれるべきなのでしょうか?」
ちらりと天井を見やり、私はあえて左手をオオヨド秘書艦に突き出す。
何度も何度も斬り付けて、五指を落とし、原形を留めぬまで破壊しつくしたあの左手は、私の戦意に呼応しニンゲンに魚の特徴を足したような歪なモノへとその姿を変えていく。
―――――これが、本来の私の左腕の姿。
私を、万象の敵から護る盾。
私の、万象の敵を屠り去る矛。
私が、ワタシを私として認識するための本当の自己同一性。
人類の不俱戴天である深海棲艦と成った私を象徴する、私の真の艤装。
「そうですね・・・・。私個人としては後者の方が好ましいですが、やはりここは、前者の方がより良い情報が得られるのでしょうね」
哀切の顔から一転して「ニタァ~」という効果音が飛び出しそうなほどの強烈で下種な笑い顔を作り、オオヨド秘書艦は左手にもつ愛砲の引き金を躊躇なく引いた。
ドン
炸薬の匂いが辺りに充満し、高速回転する三発の155mm砲弾は私の頭部目掛けて飛来し、その頭蓋を粉みじんに破壊した。
はずだった・・・・。
「どういうつもりですか・・・・?オオヨド秘書艦」
意図が分からず、私は思ったことをそのままぶつけてみる。
あの砲弾は、確実に私の心臓を狙ったはずだ。
だが、私を狙ったはずの三発の砲弾は、どういう訳か私の【右斜め頭上を通過】して、執務室の窓を破壊したのち夜陰の海へと消えていったのだ。
砲塔の故障?
それとも、オオヨド秘書艦が故意に弾道をゆがめた?
いいや、そのどちらとも違う。
なぜならこれは、彼女にとって予想外の事態だったからだ。
「そんな・・・・。どうして?」
まるで鳩が豆鉄砲を食らったかのように、オオヨド秘書艦は眼を真ん丸にして私越しに砲弾の消えた窓を見つめる。
―――――アリエナイ。
顔全体でそう訴える彼女に、私は僅かにほくそ笑み鎌をかけてみる。
「一体どうしたというのです?オオヨド秘書艦。・・・私は此処ですよ?」
「う、うるさい・・・・!」
ドン ドン
売り言葉に買い言葉をそのまま体現するかのように、オオヨド秘書艦は再度の砲撃を行う。
今度は右股に装備した第二砲塔も使用した合計6発の砲弾が、私を肉塊に変えんと襲い掛かる。
ところが。
「どうして・・・・!?」
「意外と砲撃が下手なんですね。オオヨド秘書艦?」
放たれた6発の砲弾は、その全てが私の躰を模るようにして綺麗に掠め通り、背後の窓ガラスをヒト型に破砕して夜陰の空へと消えていった。
―――――アリエナイ。こんなこと、あり得ない・・・・!?
今度は躰全体でそう訴えて、オオヨド秘書艦はまだ私に愛砲を向けてくる。
左手と右股に装備した軽巡洋艦にしてはやけに大きく見える二基の15・5cm三連装砲は、傍目でも分かるほどにガタガタと震え、銀縁メガネの奥から見える水晶色の瞳からは先ほどの闘志は微塵も感じられなくなっていた。
差し詰め、今の彼女は己の持つ常識では説明不可能な摩訶不思議な現象に遭遇し、右往左往する諸人の一人と言ったところであろうか。
「やれやれ・・・・。一年もの間、私を散々弄りまわして来たというのに。貴方たちニンゲンは何も学ばなかったのですか?」
「な、なにを・・・・!?」
戦意を喪失し狼狽えるばかりのオオヨド秘書艦をして、私はニンゲンという生き物に心底幻滅してしまった。
まったく、私たちを被験体とした大本営と言い、愛玩人形とした司令官と言い、ニンゲンというものはどこまで愚かで、自己中心的で、固執的なのだろう。
艦娘達を使役し、弄び、凌辱し、敵とする深海棲艦たちすらも自らの自慰と啓蒙の糧として食い散らかしても尚彼らは己の悪癖と向き合うことをしない霊長類の愚長たち。
なんと愚か。
なんと低能。
なんと救いようのない頭でっかちな有機生命体であろう。
こんな愚かなモノたちに、私は従い、命を懸け、同胞たちの血を浴びてきたというのか。
こんな大バカ者達に、私は、ワタシハ・・・・・。
「オオヨド秘書艦。いいえ、此岸に巣食う70億のニンゲン達よ。ようく見ておきなさい。これが、私たち深海棲艦が久遠なる戦禍と犠牲の果てに手にいれた究極の力よ!」
鎮守府を監視する千台余りの監視カメラに宣言するように言い放ち、私は突き出した左腕を徐に半回転させる。
上向きと成った掌をオオヨド秘書艦と自分の視界と重なるようにして移動させ、魚のヒレの付いた指を僅かに握ったのち、掌に焔が揺らめいているようなイメージを脳内り作り出す。
そして、言の葉を紡いだ。
『盟約者たちよ。ワレニ、シタガエ』