淫蕩奉納 作:飯妃旅立
排泄を行う事に快感を覚えてしまった人間は、食事をなんと捉えるのか。
出すための補充。そう考えるようになるのは、生物としての思考バグであると同時に、欲望に忠実な人間であればこその結果だと言えるだろう。
目的と手段が入れ替わる、という話ではない。どちらかと言えば、目的を手段に代替する、という話。
そんな人間が排泄の概念を忘れてしまったら、食事をどう捉えるか。無為と断ずる? 無駄と切り捨てる?
違う。
それしかないと。それしか残されていないと。それをしなければ──取り戻せないと。躍起になる。暴走する。必死になる。
だからそいつは、食事を繰り返すだろう。永遠に。腹が裂けようとも、永遠に。
その時こそ使われるべきだ。目的と手段が入れ替わる、という言葉は。
気まずい空気が流れている。
不味い、なんてものではない。ともすれば命の取り合いでも始まってしまいそうなほど、ピリついた空気。発しているのはお互い。
即ち、わたしと、黄路先輩。
「──」
黄路先輩は意を決したように息を吸っては、決意がほどけたように息を吐いて。時折自らの手を見つめては、頬を赤らめ、一瞬わたしの方を見て、顔をぶんぶんと横に振って、涎をぬぐって、顔を覆う。
指と指の間から覗く細めた瞳はわたしの顔、ではなく体を見つめていて、舐めるように、眺めるように、見透かすように、その眼球を動かす。紛う方無き変態の視線。それを咎めるように睨みつければ、驚いた表情で軽い悲鳴。その後息を吸って──以下繰り返し。
残念なことに。まことに。残念なことに。
覚えている、ようなのだ。あれから一度も会話をしていないのではっきりとしたことは言えないが、その。
「……」
黄路先輩は、わたしの痴態を覚えている。
自らの行いと失態を含め、あの礼拝堂の一件、すべてを。
「──……その」
ようやく。
ようやく、一声。このままじゃ時間ばかりが過ぎていくと判断して──わたしから。
「忘れられないと思うけど、忘れましょ。こうしていても時間の無駄だから。それよりも対策を考えないと──……黄路先輩?」
気まずいのはわかっている。むざむざと洗脳され、味方を攻撃したのだ。けど、それは過ぎた事。そのあたりの切り替えのスイッチは速い方だと思っていたけど。
「え……ええ、そう、です。そうです、か……ああ、ええと……」
しどろもどろ。
こんなにハッキリしない黄路先輩など初めて……でもないけれど、どこか上の空。
そういえば何故、黄路先輩はわたしの体を凝視していたのだろう。たとえ礼拝堂の一件が記憶に残っていたとしても、むしろ恥ずべき事としてすぐにでも視線を逸らすはず。少なくとも、黄路先輩はそれなりに淑女的な人なので、凝視なんてしない。
それが、何故。
「──あ」
あ。
思い至った。思い当たった。
少なくとも。黄路先輩は、わたしを運ぶために非常口のところまで来たはずなのだ。洗脳が下等生物を介して行われたのだとしても、それはそれ。わたしたちが今直面している敵──その手法は単なる洗脳だけでなく。
「もしかして黄路先輩、今かなり火照っているんじゃないですか?」
「──……」
直球。
体中から例の気体が抜けきってクリアになった思考から放たれる言葉は、いつも通りの……若干気が立っているからさらに鋭い言葉。
黄路先輩は、彼女は、体をひしっと抱きしめた。両腕で、寒がるように。けれどその首筋や頬は、黄路先輩の体温が常よりも高い事を示すが如く、赤く染まっている。
「そう、ですよね。だって──だから、その」
無理矢理に、とはいえ。
発散させられたのは、わたしだけなのだ。礼拝堂での無様──アレは全て黄路先輩の責めによるもので、黄路先輩自身は燻ぶったまま、昂ったまま。多少、わたしの痴態を見て快感を覚えていたようだけれど、そんな些細なもので解決できる性欲でないことぐらい、わたしが一番わかっている。
思考を埋め尽くすほどの火情。洗脳の解けた今、黄路先輩は掻き集められる限りの理性と自制と、この人が善人である証拠たる多大な罪悪感でようやく抑えつけているのだ。
その、わたしに襲い掛かりたい、という欲望を。
「……ふぅ」
ここで出ていきましょうか、と問うのは非情だろうか。
一人で慰めさせるのは、一応事情を知っている者として……酷な選択だろうか。
わたしも静音に付き合ってもらったというのに、ここで見捨てるのは……。だけれど、黄路先輩と静音では、色々と違う。あの時は静音が誘ってきたのが悪い、とは言わないけれど。それは流石に責任転嫁、だけれど。そもそもの関係として、わたしと黄路先輩はそんな深い事をする仲ではないし、否、静音とならする仲なのかと問われれば些か疑問の生じるところなのではあるけれど──。
ぐるぐる、ぐるぐる。悩む。
悩む。熱に浮かされた瞳のまま、ぺたん、と床に両膝をついている黄路先輩──床に?
……あぁ、冷たいのが気持ちいいんだ。
少しでも熱い体を鎮めようと。薄い寝間着。己のベッドから降りて、黄路先輩は尻を……というか多分、あれは、股を。
冷たい床に押し付け、ぐりぐりと腰を前後に動かして……う。
無意識なのだろう。完全に自制が行き届いていない、黄路先輩自身ですらわかっていないのだろうその腰の動きは、だれがどう見ても──自慰行為だ。わたしが目の前にいるにも拘らず。
「……なさい……」
「え──」
「ごめん、なさい……!」
突然、黄路先輩が謝りだす。今まで必死に体を抑えていた──体に抑えつける事で自由を奪っていた両の手が、それぞれ黄路先輩の股座と胸に伸びていく。
恐らくは、連鎖的なもの。無意識の自慰行為が昂りを呼び、意識のタガが外れてしまった。
わたしを襲いに来ないのは、その自制心が故か。本来は黄路の名に恥じぬ高潔な人だ。本来は。
ただ、それでもわたしをじっと見つめて。一心不乱に指を動かす。
「あ、その……じゃあわたしは外に出ていますから……」
その淫靡さに耐え切れなくなって、そそくさと黄路先輩の部屋を出る。出ようとした。
「待って」
「……」
「お願い、します、わ……お願いだから、私の前にいて……」
まるで夜闇が怖くて眠れない幼子のように。ただしその顔は淫蕩に濡れ、両手の指はいやらしく蠢き、その声には少なからず嬌声の入り混じるソレである。
懇願だ。黄路先輩は懇願している。
わたしに、自分の自慰行為を見てほしいと。違う。
「……わたしで、興奮したいってことですか」
「……──、……はい」
一瞬というには長い沈黙の後、黄路先輩は頷いた。
黄路先輩はわたしの体を食い入るように見つめている。わたしの首。鎖骨。肩。胸、腕、くびれ、腹に臍に──股。太腿や脹脛、踝、足先。全身。蕩けるような
ぐちゅぐちゅ、くちゅくちゅという音が大きく響いている。隠す気もないのだろう。既に寝間着は半分以上が
加えて、見えないけれど……いる。
例の下等生物。アレは黄路先輩にとって手足のようなものであるのだから、自慰行為に使われるのも当然なのだろう。
黄路先輩はわざわざわたしに見せつけるような体勢──わたしがされたものと同じく、足をM字に開脚した状態で、自らの陰核をぐにぐにと弄っていた。時折肛門や尿道口が不自然に開くのは、つまりそういうことだろう。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
ああ。
わかった。わかってしまった。
何故黄路先輩が今謝っているのか。自慰行為に耽りながら、謝罪を繰り返しているのか。その理由。
「……そんなに、気持ちよさそうでしたか」
「うっ……」
こちらまで頬が赤熱するのを感じた。
黄路先輩は、覚えているのだ。
礼拝堂でのわたしの痴態を。何をされたか──どのようにして、辱めを受けたのか。
そのイメージを持ったまま、火照りを鎮められないままに洗脳が解け、わたしと二人きり。
自身の性欲の発散をする──となれば、直近。最も気持ちよさそうだったイメージを理想とする。
それは、だから。その。
「ごめんなさい……黒桐さん、私は、こんなことを貴女にっ、ぁ、ぁあっ!」
罪悪感が余計に火情を煽る。快感がわたしの気持ちを勝手に推し量る。
ついには声を抑える事も辞めて喘ぎだした黄路先輩は、しかし物足りなさを覚えているようだった。
それはやはり、そうなのだろう。どこまで行っても自慰行為。下等生物たちも自分で動かしているのだ、先ほどこそ初めての快感だったのやもしれないけど、慣れてしまえば既知の刺激。
いくら気持ちいとはいえ、構えることが出来てしまう。
この淫蕩の発散には足りない。
「黒桐さん、黒桐さん──、私は、あぁ、気持ちいいのに、どうして……私は、私は」
名前を呼ばれる。まるで恋慕の向かう相手のように。
彼女の手が胸を離れ、縋るようにこちらに伸びてくる。
この手を払うことは、簡単だ。知らぬと逃げてしまえば今の黄路先輩では追いつけないだろう。付き合ってはいられないと、拒絶する。それは、容易なのだ。
「黒桐さん──」
「……はぁ。はい、はいはい。わかりました。わかりましたから。言っておきますけどわたしは黄路先輩にソウイウ感情は無いです。だからわたしも愛してあげよう、とかわたしにも気持ちよくなってもらいたい、とか、変な気を起こさないでくださいね」
今なお、肛門や尿道を出たり入ったりしている不可視の生物を一匹、摘まみ上げる。
きぃきぃと音を発するソレを、黄路先輩の顔につきつけて。
「じゃあ。優しいのと激しいの、どっちがいいですか」
黄路先輩は輝くような笑顔でそれに応えた。
火蜥蜴の皮で作られた手袋の感触を確かめつつ、ガスマスクを装着。
夜中だというのに少しばかり騒がしい寮内を抜け、暗闇に包まれた礼園に入る。
黄路先輩は違うのです、とか、あれは私じゃありませんから、とか、ジタバタジタバタしていたので置いてきた。鬱憤も込めて気絶するまで責め尽くしたあと放置したはずなのだが、けろっとした顔で授業に顔を出した。かと思えば授業後自身の部屋へとわたしを連れ込み、違うのです違うのですの連呼なものだから、流石というべきか、なんというか。
ともかく黄路先輩の下等生物が情報収集にすら役立たない事が判明したので、彼女はお留守番。無論攻撃手段としてはそれなりに優秀かもしれないけれど、バックアップが一人いた方がいいというのも事実。
……なにより黄路先輩はまだ、わたしの体……鎖骨や足を見るだけで、顔を赤らめるのだ。ストッキング越しでもなお。戦力外通告である。
「……いた」
内憂外患をここで使うには意味と規模が違いすぎるのだけど、少なくとも外患──というか外敵であるだろうソレの姿を捉えて、身を屈める。
手を繋ぎ、薄桃色の気体が漂う林の中へと入っていく二人の女生徒。
否、二人だけではない。続々と……林の中へ、必ず二人組の少女たちが誘われていく。
「これは、本当に対処しきれる規模じゃないかもしれないわね……」
呟く。大丈夫、ガスマスクは機能している。
黄路先輩の扱う下等生物のような気配──大気中の不自然な熱もない。
このままここで観察を続けるのもアリ。
「……いや、ナシ」
弱気な思考を振り払う。橙子師に協力を仰ぐ、というのはずっと考えていた。
けどもっとよく考えた。とても考えた。
橙子師が何か解決策を講じた場合──来るのは当然式である。ついでに兄は礼園周辺の調査をさせられるだろう。
もし。もしも、である。
もしも──万が一、式が調査に来て……例の気体を体に取り入れた場合。
……否、考えたくもない。
迫るのも、迫られるのも、絶対にイヤ。
「なら、自分で解決するしかない」
決意新たに、少女たちを深く観察する。彼女らの歩くルートはほぼ一定。まるで紐かなにかで引かれるように、林の中に道でもあるかのように歩いていくのがわかる。ならば、そのルートに重ならないように林の中を身を屈めて行けば良い、はず。
一秒。躊躇。
しかし二秒目で決断していた。行こう。林の中へ。その先へ。
しゃん、しゃん、しゃん──。
鈴の音が段々と近づいて行っている。
時折叩きつけるように送られてくる幻想的なイメージは、ある程度意識がしっかりしていれば振り払える。
しゃん、しゃん、しゃん。
しゃん、しゃん、しゃん。
しゃん、しゃん、しゃん──。
不規則か規則的か。どうも、不規則を規則的に繰り返している、というような印象を受けた。
鈴の音は近い。ゆらゆらと林の中を歩く女生徒の列も、その方向へ繋がっている。
濃くなっていく薄桃色の気体。しかしさすがは黄路先輩の用意したガスマスク。かなり上質なものらしく、気体の一切を通さない。
しゃん、しゃん、しゃん。
しゃん、しゃん、しゃん。
しゃん、しゃん、しゃん──。
気付いた。気付いて、がちん、と。歯を鳴らす。何故鳴らしたのかはわからない──否、今わかった。
己の本能的な防衛に感謝をする。
「音でも、ね……」
これも洗脳だ。嗅覚、視覚。そして聴覚。
意識を奪われかけていた。違うリズムを挟み込むだけで解かれる脆い洗脳も、それまでの道中にあの薄桃色の気体を吸い込んでいれば抵抗は難しい。
そうして。
細心の注意を払って進んだ林の先──やはり、思った通り。
そこには豪華な洋館──
そのロビーに、少女の列が繋がっている。
……これ以上は危険。そう判断する。
少なくとも生徒たちがこれだけいる場所で魔術の行使をするわけにはいかない。神秘の漏洩も勿論だけど、わたしのソレは、被害が出すぎる。どんな相手かも知れない首謀者が、女生徒たちを人質に取らないとも限らないのだから。
「……津雲、絵児美……だっけ」
礼園全体で持ち切りになっている、魔術だの神だのの噂。
わかっていることは少ない。外部の人間らしい事。神降ろしができるだの、魔術を使えるだの、何かを集めているだの。確かなのは外部の人間である事だけで、他は疎らな情報。故意に撒き散らされた情報のようにも思えるけれど、どれも繋がっているようにも思える。
……橙子師に、事件の詳細は伝えず人物だけ調べてもらう……というのはどうだろうか。
それなら行ける、気がする。多分。バレないように。式が送り込まれないように。
「……撤退」
鈴の音が響く。
こちらが気取られた様子もなく、ただずっと。
しゃん、しゃん、しゃん。
しゃん、しゃん、しゃん。
しゃん、しゃん、しゃん──。
時折歯を鳴らして、わたしはその場からの離脱に成功した。
ただ。
「黒桐さん……」
「黄路、先輩……」
例の薄桃色の気体が衣服に染みつく性質があったことは、わたしにとっても、黄路先輩にとっても最悪の誤算だったと言えるだろう。
「愛して」
「私を」「愛して」「愛して」
「愛して」「愛して」「私を」
「愛して「」愛して」
「愛して「」愛して」
「愛を」
「私を」
「私に」