「織斑一夏君、少しいいかしら?」
夏休みも終わり、すっかり日焼けしワイルドさが増した一夏へ見知らぬ女生徒が声を掛けたのは、日課であるアリーナでの訓練へ向かおうとしていた時だった。
振り返った彼がみたのは、扇子を手にして口元を隠す女生徒の姿。だが一夏は見覚えはなくとも知ってはいた。彼女の匂いも感じ取る事があったのだ。それも、夏休み明け辺りから頻繁に。
「何ですか?」
「君、このままじゃ強くなれないわよん」
さらりと告げられた一言は初対面で言うには中々の破壊力を持っていた。が、それで怒り出すような一夏達ではない。ただ、訝しむような表情を誰もが浮かべてはいたが。
「あの、突然何ですか?」
「言ったままの意味。今の訓練を続けても君は強くなれない」
「ちょっと、いきなり出てきて何よ。てか、あんたに一夏やあたし達の何が分かるって言うの」
「彼がここへ来てから少ししてイギリスの代表候補生と訓練を開始。それからまた少しして中国の代表候補生も訓練に参加。更にドイツの代表候補生を含む専用機持ちが二人加入したにも関わらず、彼の公式戦記録は共に一回戦敗退。これでも私の言葉に反論出来る?」
彼女の告げたのは事実であり現実。だが真実ではない。だからこそ全員を代表して一夏が一歩だけ前へ足を踏み出した。
「出来るだろ。今、あんたが言った事に答えがある」
「というと?」
「俺の対抗戦の相手はその訓練に付き合ってくれていた鈴だ。次のトーナメントも訓練をしてくれていたラウラ。相手は共に代表候補生だ。そんな二人が常日頃から手の内を見てる俺に遅れを取る方がどうかしてるだろ。つまり、俺の敗北は訓練方法が間違ってるんじゃなく、俺が成長する速度と二人がその戦術を把握し対策出来る速度が同じか、単純に俺がそれを上回れないだけだ」
理路整然と謎の女生徒へ反論する一夏。そこには、愛する嫁達への信頼と理解がある。一夏はこう思っていたのだ。自分が勝てていないのは相手が手の内を知り尽くしていて、尚且つ代表候補などの強者である事だと。
これが一般生徒や自分の手の内を知らない者なら決してむざむざ負ける事はない。そう言い切れる程には一夏も自信を持っていた。
それを彼女も感じ取ったのだろう。一瞬だけ意外そうな表情を見せて扇子を畳んだ。
「成程。たしかに一理あるわね。でも、君が単純に弱いだけという可能性は拭えないわ」
「だったらどうだって言うんだよ?」
「私が君の訓練を見てあげる。私なら、今よりも君を強く出来るから」
「お気持ちだけで結構だ。俺は、箒達との日々で強くなる。なってみせる。そんな上から目線の相手に教えを乞うつもりはない」
はっきりと言い切る一夏に、箒達は嬉しそうに笑みを浮かべ女生徒は目を見開いた。その言い方は感情を押し殺してのものではなく、確固たる信念を滲ませてのものだった。高校生で至る心境ではないと、そう女生徒は感じ取ったのだ。
(不味いわね。これじゃ、こっちの予定が狂っちゃうわ。まさか、彼がここまで織斑先生みたいになってるなんて……)
高校生男子ならば、よく知らない女性に見下されれば頭にきてムキになって食って掛かるだろう。そう思っていた彼女の予想は大きく外れてしまった。
セシリアの時から既に一夏は、大事な存在さえいれば周囲の事などどうでもいいと思い出していたのだが、ラウラとの一件を迎える頃にはそれがもっと成熟した精神からの考えとなっていたためである。
表情には見せないが内心で焦りを覚え始める女生徒に、一夏は踵を返すとそのまま歩き出した。このままでは不味い。そう思った彼女はならばと手段を変えた。
「待って。なら、私と勝負してくれない?」
「断る。受ける理由がない」
「っ……どうしても?」
「逆に聞くが、何で俺にこだわる? 公式戦一回戦負けの男に興味持つぐらいなら他の事へ目を向ける方が有意義だぜ」
一夏の言葉に女生徒は心の中で舌を巻く。少しも感情の波を見せないためだ。それが何からくるものかを彼女は正確に把握していないが、見当はつけていた。それは、噂程度でしかないが囁かれている一夏達の話。
曰く、織斑一夏はセシリアだけでなく鈴やラウラさえも倒せる実力を有しているというもの。故に彼女達は彼の傍に侍り、常に行動を共にしているのだ。そういう噂がまことしやかに流れていた。
「とある人から君を強くして欲しいと頼まれた、と言ったら?」
「じゃ、その人に言っておいてくれ。小さな親切大きなお世話ってな」
取りつく島もない。引き受けた時は簡単だろうと思っていた話が、まさかここまで難しいとは思わなかった。そんな事を考えながら彼女は頭を働かせる。
(こうなったら最後の手段か……)
一夏は年頃の男性。故にその思考もそういう事への興味が少なからずあるはず。そう考えた彼女は、切り札のつもりでこう切り出した。
「私と勝負してくれたら、私に何をしてもいいわよ。何ならエッチな」
「結構だ。俺には箒達がいる」
が、それは今の一夏にはジョーカーではなくただのババであった。最後まで聞く事さえせず、いとも呆気なく返事を告げられた女生徒は、去って行く一夏達の背中を見送るしか出来ない。呆然としたまま、その場に取り残されたのである。
「嘘……今のでも駄目?」
少なからず容姿に自信もあった彼女としては、まさかの即答で断られた事に衝撃を受けていた。既に見えなくなりつつ背中が、妙に大きく見えて彼女はため息を吐いた。
「……どうしようかしら? 挑発も駄目、色仕掛けも駄目。かと言って私が是非教えさせてって言うのも違うし……」
年下の男なのだから簡単。そう思っていた自分を叱り付けたい気持ちとなりながら彼女―――更識楯無はその場でしばらく立ち尽くした。
それは、これまで学園で自分のペースを貫いて来られた彼女にとって初めての敗北、と言えるかもしれない。相手にされないという、生まれて初めての経験だった。
(……織斑一夏、か。私の話を最初から最後まで取り合ってくれないなんてね。ちょっと興味が出てきたかも……)
それはまだ恋愛感情とは程遠いもの。だが、好意の始まりではある。これが一夏と楯無の初めての対面であり、彼の学園生活を大きく変える切っ掛けでもあった。
翌日の放課後も一夏達の前に楯無は現れた。その次の日も、次の日も。ただ、最初のような事を言う事はなく、ただ彼らの前に姿を見せてその訓練風景を眺めるだけだった。特に何か言うでもするでもないため、箒達も何か敢えて関わる事はしなかった。
そんな事があって一週間程が経過した放課後、一夏は先にアリーナへ向かった箒達の下へと向かう途中ため息を吐くと足を止めて振り返った。
「一体何なんだよ。てか、あんた一体誰だ?」
そこには楯無が笑みを浮かべて立っていた。ご丁寧に一夏が振り向くなり小さく手を振っている。
「ん? ああ、そっか。自己紹介してなかったっけ。私は、更識楯無。二年生よ。で、君が私を鬱陶しいと思ってくれるまで待ってた、かな? どう? 一度勝負して私に勝ったらもう付きまとわないよ。どうする?」
「……ISで、ですか?」
相手が完全に目上と分かり、しかも名乗った事で一夏も最低限の礼儀を払う事にした。この辺りも、変に生真面目な彼らしいと言える。
「生身で、にしない? その方が勝ち目あると思うな。条件は私が一度でも倒されたら、でどう?」
それは楯無としては事実として告げたつもりだった。一夏はIS戦が弱い訳ではないが、やはりその戦い方は接近戦しかないためだ。だからこそ彼が勝てると思える方を提案した。その方が楯無としても好都合だったからだ。
IS戦では時間が有限である。シールドエネルギーは攻撃するしないに関わらず減少するためだ。つまり何度も勝負させられない。生身であれば何度も勝負が出来、より一夏へ自分との力量差を思い知らせる事が出来ると考えたのだ。
「いや、ISでいいです。その方が分かり易いし、そもそもここはIS学園です。なら、勝負の方法はそっちの方が普通でしょう。生身で強い奴がISでも強いとは限らないし、その逆もまたしかりのはずですから」
「……ま、いいよ。そうそう、君が負けたらしばらく訓練方法は私に従ってもらうから」
「なのに、そっちが負けたら付きまとうのを止めるだけですか?」
「そうだね……じゃ、この前と同じでいいよ」
「それじゃ面白くないですね。俺はそっちの体なんて興味ない。俺と箒達との訓練を邪魔するし、それが役に立ってないとまで言ったんだ。なら、負けた時は俺だけじゃなく箒達へも謝ってもらいます。見下すような事を言ってすみませんでしたって」
「それだけでいいの?」
信じられない要求に楯無は反射的にそう返してしまった。返してしまったのだ。それが今の一夏にとって一番してはいけない反応と知らずに。その証拠に一夏は楯無の事を鋭い眼差しで睨みつけたのだ。さすがに彼女は怯える事はなかったが、それでも息を呑んだ。
(な、何? 急にこっちへの敵意が膨れ上がった……)
(それだけ? この人もちょっと前の鈴やラウラと一緒か。自分と相手の価値観の違いを理解してくれないって事だな。だからこんな要らぬお節介をするんだろうし……)
今の一夏にとって箒達は大事な存在。それを馬鹿にしたり、見下したりされる事は自分をそうされるよりも感情を動かす。やっと見えた一夏の年頃らしい感情の発露。だが、その熱量はとてもではないが同年代のそれではない。
何も言えない楯無へ一夏は眼差しを少しだけ緩めるとアリーナへ向かって歩き出す。
「先に行って待ってます」
「……分かった」
今の一夏が楯無には千冬に重なって見えた。そんなはずはないのにも関わらず、彼から圧倒されそうな威圧感を感じたためだ。甘く見ていると痛い目に遭う。そう感じて彼女は一切の余裕を捨てた。
「全力全開でいかないと負けるかもしれない。こんな風に思うなんて、ね」
彼女はIS学園の生徒会長である。しかもIS学園での生徒会長とは学園最強を意味する。故に彼女は負けられないのだ。負けるつもりなどないのもあるが、そういう意味で彼女は誰にも負けてはいけないのである。いかに一夏であろうと、今回ばかりは分が悪いと言えた。相手の事も知らず、精神面を揺るがす事も出来ず、油断や慢心もさせられないという、何一つとしてこれまでのケースと違い過ぎたのだ。
それから少しして、アリーナでは白式を展開した一夏と専用機を展開した楯無の姿があった。ギャラリーは箒達五人のみであるが、その様子を見ているのはもう二人いた。
「束様、この方は?」
「ん~……ああ、ロシアの代表さんみたいだね。IS名は……ミステリアス・レイディか。ふーん」
モニターを眺めながら片手間で楯無の情報を探る束。あまり興味はなさそうにみえるのはいつもの事である。クロエはそのデータを眺め、首をコクンと傾げた。
「束様、何故この方は名前が二つあるのですか?」
「…………今名乗ってるのは当主名ってやつだね」
「とうしゅめい?」
「えっと、要はその家の代表となった人間が名乗る事になる通称みたいなもの。本当の名前はこっちみたいだね」
「刀奈?」
「ん」
簡単に明かされてしまう楯無の本名だが、相手が束では仕方ない。それに、一夏達へ知られた訳でもないので構わないだろう。さて、アリーナではそろそろ試合が始まろうとしていた。
「最後に確認ね。これで負けたら君は私の指導で訓練する」
「そっちは俺達に謝ってもらいます。いいですね?」
「別にいいよ。まぁ、そんな事はないけどね」
試合開始直後、一夏は何故か距離を詰めるのではなくむしろ距離を取った。それに面食らったのは楯無である。白式に遠距離攻撃は無い。その攻撃手段は雪片弐型による斬撃しかないのだ。
(どういう事? まずは距離を取って様子見?)
これまで見てきた訓練では、一夏は例外なく距離を詰める事に苦心していた。こんな行動は見た事がない。それでも、楯無は油断する事なくその出方を見極めようとした。
(何をするか知らないけど、それをあしらって返す刀で終わらせましょ)
一夏に自身との差を痛感させるにはその方がいい。そう判断して彼女は見に回った。それが、自身の敗因と知らぬままに。
「これぐらいならいいか……」
十分な距離を取った一夏は、その手にした雪片弐型を起動させて零落白夜を発動する。そして、雪片弐型を持った腕を投擲する前のように動かしてそのまま瞬時加速を発動させ―――その手にある武器を投げ放った。
「行けっ!」
「なっ?!」
瞬時加速の初速を乗せた状態で投げ放たれた雪片弐型は、まるで閃光のような速度で空間を切り裂くように楯無へ向かい……
”勝者、白式”
零落白夜の状態のまま、ミステリアス・レイディを貫かんばかりに直撃したのだった……。
「皆さんを見下すような事を言って、申し訳ありませんでした」
意識を取り戻した楯無は、一夏達へ向かって頭を深々と下げていた。あの一夏が放った攻撃は人力レールガンとも言える速度と威力にシールドエネルギーを大きく奪う効果を付与しているため、放たれたが最後回避不能で敗北確定。その名を”零落白矢”と命名された。
もし仮に回避出来たとしても、一夏自身も瞬時加速で迫っているのでその速度を乗せた体当たりや直接打撃での追い打ちが可能という戦法である。
実際、楯無も回避を試みたのだが、いわばカタパルト射出されているような物を目視してから回避など出来るはずもなかった。
「これで、もう二度と俺へ付きまとわないでくださいね」
「うん、約束だからね」
表向き平然としてはいるが、楯無の内心はガタガタだった。何せまだISに触れて半年もしていない相手に敗北したのだから。彼女は現役国家代表である。それが野良試合とは言えそんな相手に敗北となれば、問題では済まされないのだ。
「一夏、それにしてもあれは一体いつ思い付いたのだ? これまでの訓練で見た事なかったぞ」
「ああ、臨海学校の時にな。で、こっちで試したのは初めてだ。その、嗅ぎ慣れない匂いがしてたからさ」
「っ!?」
そこでチラリと楯無を見る一夏。彼は休み明けにラウラか鈴辺りに今の戦法を試して評価してもらおうと思っていたのだが、嗅ぎ慣れない匂いが微かにする事に気付いて止めていたのである。それは、楯無が彼の前に現れる前の事だ。
だから楯無はその視線と言葉に一瞬ではあるが表情を強張らせた。彼女は気付かれていないと思っていた距離での観察行為。それを気付いていたと彼女に気取らせる事なくいたのは、それだけの意味を持っていたのだ。
「そうか。道理でこの人と出会ってから一夏がやけに訓練内容を固定させる訳だわ。あんたなりにこの展開を読んでたの?」
「俺はここに来て、セシリアに鈴、ラウラとISでの試合をふっかけられたり、ふっかける事が多かったからな。ま、念には念をってやつだ」
「……それにまんまと私はハメられたって訳、か」
小さく苦笑する楯無の顔には、悔しさではなく諦めの色が浮かんでいた。
(こちらが仕掛ける前から織斑君は対策を講じていた。しかも、自分の勝ち目がある方を偽装し、こちらに誤認させていたなんて……)
生身での勝負を避けた理由は、今の方がIS実力者に勝てる自信があったからだ。そう察して楯無は息を吐く。完敗だと、そう認めて。学園最強との話を言う前で良かったと思う程、今回の試合は恥ずかしいものだった。
様子見をしなければ、最初から全力で叩き潰しにいっていれば。そんな後悔が浮かぶ程、試合時間としては一分とかかっていない内容だったのだから。
「さてと、じゃあ私はもう行くわ。色々ごめんなさいね、織斑君。それとそちらの彼女達も」
「いえ、もう済んだ事です。それに、私達も一夏に結果を出させてやれなかったのは事実でしたし」
「ええ。ですが、今後は私達も危ないかもしれません。先程の攻撃、やられたが最後回避出来ませんもの」
「厄介よね。中距離が安全だけど、そこは瞬時加速での零落白夜の射程内。かと言って距離を下手に離せば今のが、詰めれば余計苦しい」
「一夏なりに白式の弱点を埋めたって事だもんね。これは、下手をすると試合開始直後から警戒度MAXにしないと……」
「私なら動きを止められるが、それをしながら接近は中々難しい。一夏、これがあの時言っていた新しい戦術か。見事だ」
これまで一夏に勝利を重ねている女性達からの賛辞は、彼にとって大きな自信となるものだった。ようやく彼女達と同じ場所まで行けたと、そう思って一夏は微笑む。
「でも、これはまずセシリアとの初戦が基にあるんだ。俺に出来た唯一の遠距離攻撃だったからな。けど、これでさえ千冬姉に通用するか分からない。だから、俺はまだまだ自分を磨いていくぜ。みんなのためにも、俺のためにも」
一夏の戦術は、本来自分から手放さない武装を敢えて手放す事で攻撃するというもの。まさしく彼らしい一か八かの戦術だった。それに箒達五人は苦笑する。
だが、楯無は違った。彼女は一夏の言葉に小さく驚きを浮かべていたのだ。
(織斑君は、姉を超えようとしているの? ……あの子にも、そんな気持ちあるのかしら……)
脳裏に浮かぶは、専用機の完成がまだ遠い彼女の妹の事。倉持技研が人手を出せるとなっても意固地になって独力で組み立てを行っている少女の姿を思い出して、下の立場とはやはり上の立場を超えたいと思うのだろうかと、そう考えて。
「……今の君には下手に隠し事しない方がいいかもね」
「はい?」
護衛を頼まれていた楯無であったが、先程の試合内容と一夏の在り方から考えを改めた。秘密裏に動くよりもしっかりと警告を与え、自分でも身を守ってもらおうと。
「実はね、私が君へ接近したのは……」
自分を負かした事も、その判断を後押ししていた。織斑一夏は自分の身を守れる程の力は持っていると。そうして楯無から話された内容は一夏にとってどこかで危惧していた事であった。
「俺を、正確には白式を狙ってる……ですか」
「可能性が高いって事。学園祭の時期は色んな企業なんかも入り込む。その中に危ない連中がいないとも限らないからね」
「……分かりました。要は俺が自衛出来ないだろうと思われてたんですね。それで更識さんが俺の事を見極めようと?」
「正直言えば最初から君は力不足と思っていたから、その指導をするって名目で私が君の護衛をするはずだった、かな」
それも必要ないとされてしまったけれど、とはさすがに楯無も言えなかった。学園最強という意味を生徒会長が持つなど、負けた今程虚しいものはない。再戦すれば勝てるかもしれないが、今回一夏にしてもらうのは初見の相手との戦いだ。ならば、その条件で負けた自分の出る幕はない。そう楯無は判断していた。
だが、あくまでもそれは彼女の中の判断だ。
「そういう事なら、俺の指導をしてくれませんか?」
「え?」
「その、無理だとは思いますが、今の事情を最初から聞かされていれば俺だってあんなに無下にはしませんでした。それに、俺の使ったのは試合で自分を試す技でも技術でもない。言ってしまえばギャンブルです。のるかそるかの、真っ当な手段じゃない。なんで、真っ当な手段でも身を守れるようにしてもらえませんか? お願いします」
最敬礼で頭を下げる一夏に楯無は目を何度か瞬きさせた。試合前までの雰囲気や態度はどこへやら、今や一夏は真面目で礼儀正しい少年となっていたのだ。
「……こちらもそう言ってもらえると助かるな。じゃ、本当の普段の訓練、見せてもらえる?」
「分かりました」
こうして一夏は楯無というコーチを得る。基本的な動きはセシリアからしっかりと教わっていた事もあり、ならばと楯無が命じたのはずばり相手を倒すのではなく、いかに生き残るかに重点を置いた動き方だった。
「いい? 君がするべきは相手を倒すのではなく自分が捕まったりしない事。つまり何があっても無事でいる事よ。それを意識してオルコットさんとデュノアさんの攻撃を回避なさい」
「はいっ!」
楯無の課した訓練は、実戦を見越したものとなった。試合に活かすのではなく、あくまで自衛のためのそれは一夏にとって思わぬ効果をもたらす。
(自分から攻めに行かないって、辛いな。でも、回避し続ける事で相手の消耗や焦りを引き出せるって改めて実感出来る……)
これまではどうしても勝利したい一心で攻撃ばかりに意識を割いていたが、一切攻めに転じないでいる事もまた遠回しの攻撃になると一夏は感じ取っていたのだ。
それは、彼に待ちの姿勢と精神を養う事となる。攻めなければ勝てないが、攻めずにいる事で勝ちを拾いやすくなるという事は、当たり前のようで中々気付けないもの。意図しないところで一夏はまた少しずつ成長していく。
戦いの駆け引き。それの一つを学ぶ事で一夏はまた強くなる。新しい戦術と新しい考え方。それらは遂に彼へ実力者へ太刀打ちできるだけの力となっていくのだ。
この楯無の指導を受けてから行った箒達との模擬戦は、何と遂に全員から一勝しての全勝を達成する事となる。その要因にはやはり零落白矢による戦術の広がりと、これまでと違って安易に攻めへ走らず相手の攻撃を回避し続ける事で好機を待つ事が出来るようになった事が挙げられるだろう。
「ま、まさかラウラまで敗れるとはな」
「油断した、とは言わん。やはりあの攻撃が厄介だ。試合開始直後にやられては手が出せん」
ラウラに対して一夏は開始直後に瞬時加速で後方へ下がり、即座に前方へと再度瞬時加速して零落白矢を放ったのだ。その電光石火の行動に彼女が動きを止めようとするのが間に合わなかった。しかも、雪片弐型はあの能力でも停止させられない。正確には出来るのだが、光の如き速度である以上止めるためには予知のようなタイミングでやるしかなく、そんな事は人間業では不可能であったのだ。
「これで僕らを一タテ、かぁ。前まではほとんど勝てなかったのが嘘みたいだね」
「これまでと違い、攻め一辺倒ではなくなったからでしょう。それに、私さえもあの攻撃を警戒すると距離を詰めなければなりませんし」
「あたしは中距離を保つ事で凌ごうとしたけど、一夏が少しでも後ろへ下がると龍咆を撃ちたくなるのよね。それで消耗させようって分かってるからやらないでいたけど……」
「そうすると今度は本気で下がられて不味い事になる。織斑君もほんの少しの事でここまで化けるなんてね」
楯無の心からの賞賛に一夏は首を横に振った。彼は納得し切れていないのだ。零落白矢はたしかに自分で編み出した戦術である。だが、その本質は一か八かの博打なのだ。それは、技ではない。そう彼は考えていたため、どうしても心から勝利を喜べなかった。
「今はたまたま博打に勝ってるだけです。千冬姉は博打ではなくちゃんとした技術の上で勝ってた。俺も、そこを目指し続けないといけないんです」
「織斑君……」
拳を握りしめて己へ言い聞かせている一夏の姿は、楯無から見ても遥か遠くを見つめている求道者のように見えた。その男らしい横顔に、彼女は自分の目がデータへ偏っていた事を自覚させられていた。
(そっか。私は彼の中身を見ようとしてなかった。表に出ている事と、自分の強さを過信していたんだわ。……学園最強が聞いて呆れるわね。敵を知り己を知れば百戦危うからず。私は、まず敵を知る事を怠り、己を過大評価していたと、そういう事か)
だからこそ今の彼女は断言出来る。二度目は負けないと。ただ、その機会は当分ないとも分かってはいた。
「いえ、一夏さん。あの攻撃は決して博打ではありませんわ」
「え?」
「僕もそう思うな。あの零落白矢はたしかにかなり運の要素がある。でも、それはどの攻撃にも言える事だよ。瞬時加速からの零落白夜だってそうだ。あれも一夏は決められるって思ったか、いけると思った時にやってたはずだよ」
「なので、それと同じ事です。一夏さんは、おそらくですがあの攻撃は外したら後がないようなものだから博打と思っているようですが、失礼ながら白式はそもそもが博打性の高いISです」
「だから今更博打だ何だと言うなって、そういう事か?」
彼の問いかけにセシリアとシャルだけでなくラウラや鈴まで頷いた。箒などは苦笑している。楯無もそんな彼女達に小さく笑みを見せていた。
「織斑先生は、その博打の要素を少しでも減らして堅実に勝ちに行ってたんだと思う。一夏は逆に博打性を高める代わりに確実性を取った気がするよ」
「確実性……」
「ま、要するにあれをちらつかせる事で相手が距離感に困惑するって事。で、今までは絶対的に相性が悪かった遠距離が逆にカモに出来る。そして、そうなれば更に近距離が活きる」
「そのどちらも嫌って中距離にこだわれば、瞬時加速からの零落白夜を常に意識しなければならない、か。こう聞くと全距離対応型と言えるな」
楽しそうに笑う箒に一夏も苦笑する。考え方次第だと気付いたのだ。零落白矢と言う最大の博打をちらつかせ、零落白夜という博打の確実性を上げる。今の自分はそれが可能なのだと、そう彼女達は言っていたのだ。
こうして一夏達は文化祭を迎える事となる。そのための学園集会で初めて彼らは楯無が何者であるかを知った。
「初めて新入生にはお目にかかるかしら? 私が生徒会長の更識楯無よ」
そんな彼女の口から本来であれば発案されるはずの一夏争奪戦は、開催どころか話題に挙がるはずもなかった。それは、楯無が指摘した彼の公式戦のふがいなさからくる人気の陰りが要因としてある。そして彼の周囲に一年生の専用機持ちが侍っている事も。
ここで楯無が行ったのはあくまで諸注意であり、特に何かイベントやサプライズなどはなかった。ただ、それは彼女が一夏達との関わりを本来とは異なる形で持ったためでもあった。
(彼は、篠ノ之さん達を大事にしてるんだもんね)
指導をするようになってから彼女も気付いたのだ。彼らがとっくに男女の関係である事を。しかも、一対多数の関係を容認している事まで。まさかと思っていた楯無も、さすがに気付いたのだ。時折箒達から漂う妙な匂いが何なのか。
その、妙に気になる匂いが年下の男からしていれば嫌でも分かるというものだ。なので彼女はある時確かめてみたのだ。指導を終えて箒達と共に更衣室へ入り、手早く汗を流して先にそこを出た後で出入り口を監視していると、やがてそこを箒達五人が出てそのまま一夏の使っている更衣室へと入っていった。それを見て彼女は確信したのである。一夏達は肉体関係を持っていると。
だから一夏を賞品のように扱えなくなった。それを望んでいる生徒数も初期に比べて減ったというのもあるが、一番はそこである。それに、彼女は一夏だけにある願いを告げていた。
―――当日の個人行動は俺だけで人気のない場所へ行って欲しい?
―――出来ればね。それも、自然な感じでお願い。
もしも怪しい人間が接触してきた場合、出来るだけ他の人間を巻き込まないように。それが楯無の頼み事だった。その意味を理解し、一夏は了承する。その裏には、愛しい女性達を危険な事へ巻き込みたくないという想いがあったのだ。それも楯無が本来のような行動に出れなかった一つの要因である。
学園の平和のためにはどんな事でもやる。だからこそ、一番成功率の高い方法を選び実行するのだ。それが、今の楯無にとっては一夏を信じて頼む事だった。
そうして迎えた学園祭当日、一夏は箒と関係を持ってから初めての個人行動をしていた。校舎内を一人で回り、様々な場所へ顔を出していたのである。そうこうしていると、少し人気がなくなった辺りで、あるIS関連企業を名乗るスーツの女性が声をかけてきた。一夏はその女性から漂う匂いで理解する。その相手は一般人ではないと。
(この人、微かに硝煙の匂いみたいなのがする……)
かつてさらわれた際、救出された彼が覚えている匂いの一つがそれだった。誘拐犯のものか、それとも救出を手伝ったドイツ軍のものかは定かではないが、よく覚えていたのだ。それでも一夏はそれによって表情を顰めるのを名刺を眺める事で誤魔化した。
「IS装備開発企業、みつるぎ……ですか」
「渉外担当の巻紙礼子と申します。まぁ、あまり聞いた事がないかもしれません。だからこそ私どもとしては織斑一夏さんの白式に興味を示している訳で」
「……分かりました。話だけでも聞きますよ。ここでいいですか? それとも人がいない方が?」
「出来れば人がいない方でお願い出来ますでしょうか」
「そうですか。じゃ、ついてきてください」
先導するように歩き出す一夏だが、ズボンのポケットから携帯を取り出して胸の前まで移動させるや、その部分に一瞬だけISを展開して通信を楯無へ行った。メッセージなどではなく通知を一度だけ。まさに瞬間技とも呼べるそれの意味は、不審人物発見の報である。
そのまま彼は礼子を連れて更衣室の前へと到着。そのドアを開けて彼女へ向き直った。
「先にどうぞ。ドアロック、した方がいいですか?」
「あー、何から何まで申し訳ないです」
「いえ」
何も疑う事なく更衣室へと入る礼子。それを見つめて一夏はドアを閉めてロックをかける。
―――中には入らずに。
「なっ?!」
ドアが閉まる瞬間、驚きを顔に浮かべる礼子。一夏は、既に先程のやり取りで彼女が営業マンでない事は確信していたのだ。普通の商談であっても、人気のない場所まできてロックをすると言われればやり過ぎだと感じて必要はないと言うのが普通である。にも関わらず、彼女はそれを感謝していた。
そこまで機密な話をするのかもしれないが、だとすれば連絡先を教えるなり、また別日に指定した場所へ呼び出すのが一般的であろう。なのにも関わらず、今日それを望むと言う事はやや性急と言えた。
「どこの誰かは知らないが、白式が目当てなのは分かってる。あと、普通の営業員は体から硝煙の匂いなんてさせないぜ」
相手が何か言う前に一夏はそう言い切った。相手がISを持っているとしても、自分を殺せないだろうと彼は読んでいた。男がISを起動出来る理由。それを突き止めれば莫大な商売になると分かっているからだ。これにはシャルとの関わりでそういう企業の思惑に触れた事も理由として存在していた。
「どうやらちったぁ頭の巡りがいいらしいね。上等だ」
聞こえてきた声には、先程までの丁寧さなど欠片も残っておらず、そちらが本性だろうと思われる程にイキイキとした雰囲気が感じられた。一夏はそれでも不安などはなかった。それは自分が殺されないだろうという考えがあるからではない。彼が目指す者は千冬である。世界最強の彼女を超えると決めている彼にとって、誰が相手であろうと恐れてはいけないと決意しているからだ。
やがて更衣室のドアが大きく歪み、内側から強い衝撃を与えられた事を示した。それに一夏は警戒するように表情を引き締める。そしてその瞬間、ドアが強い力で破られて一夏向かって飛んできた。
「っ!」
ISを部分展開し雪片弐型で薙ぎ払う。と、その裂け目から蜘蛛のようなISを展開した礼子が姿を見せる。が、一夏は返す刀で零落白夜を発動し雪片弐型を振り下ろす。一瞬、相手はそれではなく一夏の事を見てから視線を雪片弐型へ向けた。
「チッ!」
さすがにそれへ当たる訳にはいかないと礼子は一旦距離を取り、一夏と対峙した。一夏も零落白夜を止め通常状態の雪片弐型へ戻して、そこで若干の間が出来る。互いに出方を窺っているような、そんな時間が。
「……いいのかボウズ。ISをちゃんと展開しなくて」
「そっちこそ時間を掛けられたら不味いんじゃないか? あと、目的が白式なら展開させるのがそっちの狙いだろ。今だって、明らかに俺へ攻撃出来たのに出方を待ったじゃないか」
「っ……」
ぎらついた目で礼子を見つめる一夏。その姿は、まさしく千冬に似てきている。どんな時でも冷静に、だが獰猛に。その分析と読みに彼女は内心で舌を巻いていた。
(何だこいつ。報告では公式戦二連敗の素人だってなってたけど、そんな奴がこっちの匂いや行動でここまで分かるもんか? ……伊達に織斑千冬の弟じゃないって事か)
彼女の狙いはリムーバーと呼ばれる物を使って白式のコアを手に入れる事だった。そのためにはISの全面展開が必須。腕部だけの部分展開ではそれが出来ないのである。一夏を殺せない理由はそこにあった。彼しか展開出来ない以上、迂闊に殺しては目的を果たせないのである。
「そもそも白式は俺にしか展開出来ない。なら、それを手に入れるには方法は二つだ。俺を誘拐して従うようにするか、展開したところでどうにかして奪う。前者は俺が抵抗する限り無理だし、何より手間がかかり過ぎる。なら、後者を選ぶだろうな。だから、あんたは俺を攻撃しなかった。下手に痛めつけてしまって意識を失わせてしまうと展開させられないし、かと言って下手に加減すれば今のままでも戦えると思って展開しないかもしれないからだ」
「べらべらとお喋りが好きなガキだ。様子見をしてもらったと思わないか? 素人が」
挑発するように馬鹿にするような言い方をした彼女だったが、それに対する一夏の反応は冷ややかだった。彼は呆れた顔で彼女を見つめてこう告げたのだ。
「……あんたこそ、これが時間稼ぎだって思わないのかよ」
「っ!?」
「いくらここが人気がないからって、さっきみたいな事をすれば嫌でも気付かれる。しかも、その異変が起きた場所で白式の反応が出てればどう思う? 校内はIS展開禁止なんだぜ」
「っ! このガキっ! 調子に乗るなっ!」
これ以上舐められてたまるか。そんな感情の動きで一夏へと襲い掛かる礼子だったが、彼はそれに対してISを待機状態へ完全に戻すという行動に出た。そうなれば絶対防御は作動せず、死んでしまうかもしれない。その馬鹿げた行動に相手は―――悔しげに動きを無理矢理止めて後ろへ下がった。
「お前っ! 何を考えてる!」
「俺は、自分の予想に自信があった。それに、もしそれが外れても俺が死ねばお前の目的は達成されない。どっちに転がってもお前が損するのが決まってる。なら、やってみるべきだろ?」
「……狂ってやがる。お前、死にたいのか」
「違う。少しでも自分の勝ちの目が多い選択をしてるだけだ。俺は、そっちが言ったように素人なんでね。少しでも勝つ確率を上げるには博打を打つしかないんだ」
一度たりとも怯えず、鋭い眼光で相手を睨み続ける一夏。そこからはとてもではないが弱者という雰囲気は感じられない。虚勢を張っている訳でもない事は彼女―――オータムにも分かっていた。
「いいさ。なら、お前のその妙な思い上がりを覆してやる。お前を殺して白式自体を奪って」
「束さん、聞こえてますか? 俺がもし殺されたら白式の事、頼みます」
『オッケ~。ま、もしいっくんを殺そうとする奴がいたら、束さんが黙ってないから安心して?』
「気持ちだけでいいですよ。束さんも、俺が守りたいんで」
『おー、さっすがいっくん。束さん相手にそんな事言えるの、いっくんだけだよ』
「た、束? ……まさか、篠ノ之束っ!?」
一夏の通信内容と相手の名前に思わず息を呑むオータム。そこへ一夏が再び雪片弐型を展開させ斬りかかった。それは簡単に見切られて回避される。それでも一夏は繰り返し斬撃を放つ。オータムはそれをかわし、捌き、あしらいながら考えていた。どうやって白式を奪取するかを。
(こうなったら逃げると見せかけて追ってこさせよう。このガキ、冷静かと思えば今みたいに無駄に倒しにかかってるしな。逃げれば倒せると思って追い駆けるはずだ。しかも、ISを展開して)
ここで本当に逃げを打てない辺りにオータムの驕りがあった。完全に見切った一夏の攻撃を難なく回避し、彼女は更衣室の中へと戻って壁を破壊する。その穴からは校庭が見え、一夏はそこで相手が逃走を図っている事に気付いた。
「今回は癪だけどお前の勝ちにしてやるよ。じゃあなっ!」
「待てっ!」
素早い動きで外へと逃げていくオータム。それを見て一夏は追い駆けようとして、ふとある事に気付いて足を止める。
「……やってみるか」
離れて行く背中を見つめ、彼は白式を展開すると雪片弐型を手にして投擲する構えを取る。零落白夜を発動させ、そのまま彼は外へ向かって瞬時加速した。
「貫けっ!」
放たれるは零落白矢。その白き閃光は、丁度一夏が追ってこない事に気付いて振り返ったオータムを直撃し、結果としてその意識を奪ったのだった。
「なっ……っ!?」
彼女が意識を失った理由は、零落白矢によって与えられたIS部分への衝撃が凄まじく、操縦者であったオータムごと地面を何度も転がったためである。そう、その一撃によるエネルギーと威力を殺し切れなかったのだ。
楯無よりもオータムのダメージが酷くなった理由は、彼女が足を止めた事と一夏の心持ちの違いである。楯無へはどこかで試合であるという意識があったが、オータムへはそれがなかった。よって攻撃性が全開となっての一撃であったのだ。幸い絶対防御のおかげで命こそ守られたものの、当然ただで済むはずがなく全身へ打撲や骨折などを負う結果となった。
「……これでいい、か」
「いいか、じゃないわよ」
聞こえた声に振り返った一夏が見たのは、ISを展開した楯無であった。彼女は相手が逃げ出した時の事を考え、セシリア達に協力を要請して配置を指示、それを終えてここにやってきていたのだ。
そこで見たのがオータム相手に零落白矢を放つ一夏だったのだからたまったものではない。完全に出遅れた感が否めず、内心でため息を吐いていたのだから。
「楯無さん……」
「まったく。あれ程無茶をしないでと言ったのに。ま、結果として不審人物を確保出来たので良しとするけどね」
「何か、すみません。その、調子に乗りました」
何かを思い出して俯く一夏を見て、楯無は何か失態をやったのだろうと察するもそれを問い質す事はしなかった。ただ、これさえ言えばその必要はないと思って。
「何してもいいけど、大切な彼女達を悲しませないようにしなさいな。君には、何よりもそれが効くでしょ?」
「……はい」
「うん、よろしい。じゃ、早速気を失っている不審者を」
確保しようか。その楯無の言葉は急遽割って入った通信によって遮られる。
『謎の機体がこちらへ接近中だ! セシリアと応戦しているがこのままでは突破されるっ!』
「何ですって!?」
『箒、行くわよ!』
『分かった! 姉さん、バックアップを頼むっ!』
『りょ~かい。くーちゃん』
『……相手のデータ、出ました。サイレント・ゼフィルス、イギリスのISです。オルコット様の兄弟機となります』
『やはり、そうでしたのね!』
『ラウラっ! 僕もフォローに入るよっ!』
『駄目だっ! 相手の機動性が高過ぎる上、セシリアよりも腕は上だっ!』
聞こえてくる音声に耳を傾けながら楯無はオータムへと向かっていく。だが、その目は遥か上空を見つめていた。やがて倒れているオータムを足元に見下ろせる状態で、楯無は足を止める。その視線の先には、甲龍と紅椿を相手に優位に立ち回る一機のISが見えていた。
「……織斑君、その女性を医務室へ」
「楯無さんは?」
「ここに来ようとしてる侵入者を迎え撃つわ。心配しないで。もう様子見はしないから」
その言葉の意味を理解し、一夏は無言で頷いてオータム抱き抱えるとその場を離れて行く。丁度それを合図にしたかのように、楯無の前に蒼いISが姿を見せた。
「……奴を返してもらおうか」
「残念だけど、そうはいかないわ。知ってる? 落し物はね、それが自分の物と証明出来ないと返してもらえないのよ」
「ならば力ずくで返してもらう」
ビットが楯無を襲うが、その攻撃は彼女を貫く事は出来なかった。そこで相手は気付く。周囲を霧が包んでいる事に。
「これは……」
「私のIS、ミステリアス・レイディは水を操るの。さっきのは、それを利用して防がせてもらったのよん」
聞こえてきた声から位置を特定し攻撃するサイレント・ゼフィルス。だが、その攻撃も少しして着弾した音が響くのみ。外した。そう考えて不審者は再びその位置を把握しようとセンサーを稼働させる。しかし、水によってその機体発熱さえもコントロールされているため、楯無の位置は把握出来ない。
「……なら」
それならばと霧を突っ切ってオータムを追い駆けようとする不審者だったが、その瞬間目の前が爆発を起こした。
「っ!? これは……」
「残念。仕留めそこなったわね」
それは、牽制と宣告。自分はいつでもお前を仕留められるぞと、こう告げているのだ。無理矢理に霧を突破しようとすれば、タダでは済まない。一夏に告げたように楯無は様子見などしていなかった。それは油断でも余裕でもない。次なる手を打つための時間稼ぎでもあったのだから。
「……面白い手品だ。が、所詮子供騙しだな」
そう告げるとサイレント・ゼフィルスの周囲にビットが展開され、同時に霧へと攻撃を放つ。その熱線で霧を蒸発させてしまおうというのである。不審者は気付いたのだ。霧が少しずつ薄れているのを。そこから楯無が無限に水を出せる訳ではないと読み、焦らせようと動いた。
「あらあら、中々地味な嫌がらせをするじゃない。お姉さん、そういう子好きじゃないな~」
聞こえてくる軽口にも取り合う事無く霧の除去を進めるサイレント・ゼフィルス。が、その機体が慌ててその場を離れる。そこへガトリングによる攻撃が撃ち込まれたからだ。
「勘が良いみたいね。なら、次はどうかしら?」
再度その場を離れるサイレント・ゼフィルス。今度は水蒸気爆発だ。着地した瞬間、ガトリングが襲い、また水蒸気爆発が。その繰り返しの中で不審者は気付いた。
「してやられた……」
「前門の虎、後門の狼。進むも地獄、戻るも地獄よ。下は地面で潜れないし、上にも霧が立ちはだかる。さぁ、どうする?」
霧が一向に消えないのだ。それどころか最初よりも濃くなっている。そこで不審者も己が失態に気付く。楯無は敢えて霧の補充をしなかったのだと。それで自分の思考を強引な突破から霧の除去へ舵を取らせて時間を稼ぐつもりだった。それを悟って不審者はオータムの救出を断念する事に決める。
(既に先程引き離した連中が戻ってきている。このままでは面倒だ)
「撤退許可を出せ。このまま私まで捕まってもいいのか?」
『……仕方ないわね。いいわ、許可します』
命令を達成出来ない事は癪ではあるが、元々オータムにそこまでの義理や情を感じている訳でもなかった不審者は、冷酷に撤退を選んだ。強引に霧を突破して上空へと出ようとしたのである。霧は周囲を覆うように展開されているため、上に抜けるのが一番早く脱出出来ると踏んだのだ。
更に、学園と反対側で熱エネルギーが感知されたのも大きい。要するに楯無が何か攻撃を準備して待ち構えているのだろう。更に周囲にも半包囲するように複数の熱源体が確認された。その数、五。つまり箒達の数である。
決めた後のサイレント・ゼフィルスの行動は迅速だった。その機動力を生かして一瞬にして霧の包囲を抜け出したのである。が、その瞬間センサーが四つの熱源体を捉え、その視界にはブルー・ティアーズを除く四機のISが飛び込んできた。
「ちっ……」
そこで不審者は悟った。あの熱源体はセシリアとビットによるダミーであり、本命は上空に待機させられていたのだと。それを指示したのが、あの最後の言葉だと理解して不審者は歯噛みする。
「「「「堕ちろっ!」」」」
「舐めるなっ!」
四機のISによる一斉攻撃。それらを何とか凌ぎ切るように突破し、サイレント・ゼフィルスは学園を離れていこうとして―――その背後からの攻撃で絶対防御を発動させる。
「っ! 掠ったか……」
「……やりましたわ」
「オルコットちゃん、上出来。これで相手は長距離飛行出来ないわ」
スターライトmkⅢによる長距離狙撃。最初こそ失敗したものの、二度目は当てるとばかりに放たれたそれは、見事サイレント・ゼフィルスを捉えた。回避されたため直撃こそ出来なかったが、最低限の事は出来たためセシリアとしては満足だった。
その集中力は、実は一夏との行為から培われたものだった。狙撃の名手は、その武器が己の一部のように感じられると言われている。セシリアは、今や彼の女として愛情を注がれ愛されている。それにより精神面は安定し、己の醜い部分さえも受け止めていた。
更にその人に見せられない部分をより成長させられ、今や露出さえも平気となった。人に見られても構わない。一夏さえいてくれるのならそれでいい。その気持ちが、動じない精神へと変わり、一度意識さえ切り替えれば見事なトランス状態へとなれるようになっていたのだ。
遠く離れて行くサイレント・ゼフィルスを見送りながら、楯無は後の事を教師達へ任せるべくその場から連絡を入れ始める。こうして、学園祭で起きるはずのトラブルは学園側の勝利と呼べる形で幕を下ろす。
その裏には、一夏の成長と楯無達の活躍があった……。
オータムは厳重に拘束されて、何と束のラボへと軟禁される事となった。その決定を下したのは学園長であると一夏達は真耶から聞かされる。つまり、学園への襲撃はあったがその主犯は逃走。そういう事にして面倒事を避けたのだ。
ちなみに、オータムはISを取り上げられており、逃げ出そうにも束に一度鎮圧されてからは大人しくなっていた。
「で、一体あいつらは何なんです?」
「亡国機業って知ってる? 別名ファントム・タスク。ま、要するに死の商人ってとこ。彼女は頑として口を割らないみたいで、詳しい事は分かってないけどね」
今、一夏は自室に楯無と二人きりでいた。別に何かやましい事をしようとしているのではない。あまり他人へ聞かせる話ではないため、彼の部屋が選ばれたというだけである。ただ、楯無は扇子を口元へ当て何かに耐えているように一夏には見えていたが。
(何、この匂い。凄く濃い男の匂いだわ。もしかして、ここでも……? まぁ、そうよねぇ。そういう年頃だもの。相手も色取り取りの美少女揃い。更には山田先生や篠ノ之博士までも、だもの)
一夏がそういう事をするためのベッドは窓際にある。それは、もう幾度となく女達の愛液と一夏の精液を吸い込み、常人では耐えられない淫臭を放っている。が、楯無はそれを嫌がってはいなかった。強い匂いだと感じてはいたが、耐え難い匂いだとはけして思っていなかったのである。それが何を意味するか。それを一夏と楯無は徐々に感じ取る事となる。
「束さん、楯無さんと話したんですか?」
「いえ、クロエという子と箒さんが代わりにね。まだ、私は篠ノ之博士と話せる程の扱いじゃないみたい」
あのサイレント・ゼフィルス撃退後、楯無は箒達を名前で呼んでいた。それがあの時の行動への感謝からくる認可と思い、箒達も楯無を楯無先輩と呼ぶようになっている。
「それで、今後もあいつを取り返しに来るかもしれない?」
「その可能性はあるけど、正直言えば低いと思ってる」
「どうしてです?」
「あの不審者、サイレント・ゼフィルスは箒さん達五人を相手に突破、私が相手をして時間稼ぎに徹した事で何とか撃退したけど、正直言って私一人で正面切っては戦いたくないわね。それぐらいあいつは手強いわ。最後にセシリアさんが一矢報いたのは驚いたけど」
「それがどうして……」
「分からない? それだけの実力者が撤退を選んだ。要は正面切っての奪還は不可能か面倒と判断したの。なら、学園に、しかも篠ノ之博士の傍にいる限り手は出さないし出せない。内部と協応すれば分からないけど、博士のラボで果たして密かに通信なんか出来るかしら?」
最後の言い方にはからかうような響きが混ざっていた。一夏もそこで理解する。つまりオータムは現状斬り捨てられたのだと。そこからも亡国機業の冷酷さが垣間見え、一夏は顔を顰める。
「最低ですね」
「それが組織ってものよ。必要とあれば幹部だろうが何だろうか斬り捨てる。特に前線要因なら尚の事。あのオータムと名乗った女性は、奴らからすれば無理をしてまで助ける存在じゃないって事ね」
「…………最低だ」
心底吐き捨てるように呟き、一夏は拳を握り締める。彼がもしオータムの立場なら諦めるが、もしサイレント・ゼフィルスの立場なら何が何でも助け出そうとするからだ。彼にとって仲間とはそれだけの存在である。その心情を感じ取ったのか、楯無は小さく息を吐いて笑みを浮かべた。
(あらあら、織斑君はよっぽど誰かを斬り捨てる事が嫌のようね。……違うか。仲間を斬り捨てるのが嫌なのね。箒さん達、かしら?)
一度戦闘となれば凄まじい判断力と気迫を見せる一夏だが、それが日常では歳相応の青い部分を見せて未熟さを露呈する。それが楯無には好ましく映った。まさしくギャップというやつだろう。普段はややぎらついた年頃の少年。必要となれば姉のように凛々しく、また雄々しい一面を出すのだから。
「それと、オータムはリムーバー……って分かる? ISの剥離剤みたいなもので、コアを抜き取る事が出来るの。どうやらこれで白式のコアを奪おうとしていたみたいね」
「だから俺が全面展開しない事を嫌がってたのか」
「ええ。そうそう、聞いたわよ。君、戦闘中にISを待機状態に戻したんですって? 結果としてそれが相手の思惑を挫いたから良かったけど、何かあったら」
「そうでもしないと俺は生き残れなかったんで。相手は多分手加減していた。俺を殺すだけなら、それこそ声を掛ける前に出来たはずです。そこから考えて、俺を殺す事はしたくないんだと判断しました」
楯無へしっかりと自分の考えと読みを告げる一夏。その表情は凛々しく、それを信じ切っていた事を示していた。それに楯無は呆れつつ、その度胸には感心した。一歩間違えば死ぬ。それでも己の判断を信じて行動出来るというのは、とても強い心持ちでなければ出来ないからだ。
「君って子は……」
「実は、ラウラと初めて試合した時も似たような事をやりました。しかも、そっちは死ぬかもしれないって可能性が高い状況で」
「……呆れるわね。それで、今回はそれよりも危険度が低いって?」
「ええ。軽率だったとは思います。でも、格下が格上に勝つにはそれぐらいしないと」
その言い方で楯無は悟る。一夏はオータムを千冬と仮定して戦ったのではないかと。いや、今の彼にとっては戦う相手全てが千冬なのだ。故に無茶をやる。故に博打に出る。でなければ、自分は相手に勝てないと考えて。
自分の中で出した答えに楯無がどうしたものかと考えていると、一夏がそんな彼女へ小さく微笑むと同時にこう告げた。
「大丈夫ですよ。その、俺も箒達を泣かしたくないんで。本気で不味いと思った時は逃げたり、博打を打つ事もせずに生き延びる事だけ考えますから」
「そうして。正直君が死んだら後が怖いもの」
まず箒達がどうなるか分からない。それに付随して束達もだ。そして、何より千冬がどう動くのかがまったく読めないと言ってもいい。ただ、これだけは言える。一夏の死因が事故や自然死でない限り、その実行犯は地の果てまでも追い駆けられて、見るも無残な結末を迎えるだろうと。
そこで会話が途切れた。一夏はどうしたものかと頭を掻いて飲み物を出してなかった事に気付いて立ち上がる。
「すみません。今、お茶出します」
「あー、いいのよ。そういう気遣いはいらないわ」
「いえ、楯無さんは客人みたいなものですし」
思い立ったら即行動とばかりに素早く動き出す一夏を楯無は苦笑しながら目で追った。その背中は、とてもたった一人で亡国機業のISを相手にし倒したとは思えない程小さく見える。だが、彼女は知っていた。
(あの私との試合前、彼の背中は大きく見えた。思えば、そんな事初めてだったわ。もしかしたら、あの時既に私は負けてたのかも……)
あの時、一夏へ実力差を見せる方針を余裕ではなく圧倒的な力でねじ伏せる方向にしていれば結果は違っていた。そう楯無は分かっている。だが、とも思っているのだ。それは、そうしたとしても一夏は諦める事なく挑み続けてきたと。そして、結局いつかは零落白矢を受けて負けてしまうのだ。圧倒的に叩き潰しても諦めない一夏へ、ならばと一度だけ先手を譲って。
どうあっても自分が一夏に敗北する流れは来ていた。要はそれが早いか遅いかの差でしかない。そう結論付けて彼女は扇子を畳んだ。今、彼女は素直に認められた。織斑一夏の強さと男らしさを。と、その時彼女が思わず体をふらつかせた。
「な、何? 匂いが、強くなった……?」
一夏へ異性として明確に好意を抱いた事。それが楯無の体へ一気に淫臭が持つ効果を発揮する。シャルも陥った発情状態である。だが、そこは学園最強の座へ登り詰めた女性である。流される事なく踏み止まった。しかし、あるいはそれこそが彼女の不幸だったのかもしれない。
「楯無さん、お茶をどうぞ」
体を小刻みに震えさせながら何とか自分の中の衝動を抑えている楯無を、一夏が見てしまったのである。
「楯無さんっ!?」
彼は彼女の状態が異常である事を察して持っていたお茶を乱雑に近くへ置くや、楯無の傍へ駆け寄ってすぐさまその額へ手を当てた。
「熱は……ないな。楯無さん、大丈夫ですか?」
「お、織斑君……」
呼びかけに顔を上げた楯無は、普段の雰囲気とは違う弱々しい印象を一夏へ与えた。そのか弱さと儚さに一夏が思わず息を呑む。それでも彼は彼女に起きているのが箒達と同じとは気付かず、風邪の症状と判断していた。
「風邪のひき始めかもしれません。医務室へ行きましょう。俺、同行しますから」
「そ、そうね。お願い出来る?」
「はい。じゃ、失礼します」
「え? きゃっ」
楯無の様子から立って歩くのは困難と判断した一夏は、以前鈴にやったように楯無の体を抱き抱える。思わぬ行動に可愛らしい声を出す楯無だったが、それに恥じらいを見せる彼女に気付かず、一夏はすぐさま部屋を出た。
「掴まっててくださいね?」
「え、ええ……」
楯無の両手が自分の服を掴んだ事を確かめ、一夏は少しだけ急いで歩き出す。その揺れを感じながら、楯無は少しずつ頭がぼんやりしていくのを感じていた。
(何かしら。やっぱり、風邪? 頭がぼ~っとしてくる……。それと、良い匂い……)
無意識に顔を一夏の胸へ埋めるようにする楯無。その行動を一夏は熱が上がってきたのかと思い、一旦足を止めて視線を下げる。そこには、赤い顔をしている楯無の姿があった。
「不味いな。ちょっとだけ急ぎますっ!」
再度強く抱き抱え直し、一夏は医務室へと向かった。楯無は、もう言葉を返す事なくただ呼吸を繰り返すのみ。その顔を、一夏の胸に埋めたままで……。
医務室には、運悪く誰もいなかった。職員会議だろうと思い、仕方ないとばかりに一夏はベッドへ楯無を下ろして養護教諭を呼びに行こうとして、その腕を意外と強い力で掴まれる。
「楯無さん……?」
「行かないで。よく分からないけど、何か不安なの」
人は病気の時に気弱になる事がある。その一種だろうと思い、一夏はベッド近くに立って楯無が眠るか養護教諭が戻ってくるまで待つ事にした。
「分かりました。ここにしばらく立ってます」
「……ごめんね」
申し訳なさそうに、でもどこか嬉しそうに言葉を紡ぐ楯無はとても可憐で可愛く見えた。一夏はせめてと体温計を持ってきて彼女へと手渡す。
「一応体温を測ってください」
「うん……」
熱っぽい吐息混じりに答えて楯無が上半身を起こそうとするのを一夏が支える。瞬間、再び楯無の鼻腔へあの匂いが香る。一夏の部屋の匂いに似ているようで違う、良い匂いが。
「……織斑君、お願いがあるんだけどいいかしら」
「何ですか?」
「しばらく、こうしていてくれる? 何だか落ち着くの」
「分かりました」
「ん……ありがと」
楯無は自分が性的に興奮している事に気付き出していた。それでも、それに流される事なくいられているのには訳がある。
(よく分からない何かに負ける、なんて嫌なのよね。これが何か分からない以上、流されるなんて絶対ごめんよ)
女の意地、とでも言えばいいのだろうか。その気持ちだけで彼女はナノマシンによる効果を撥ね退けていた。いや、屈しないでいただろう。直感的に一夏の部屋の匂いにあるとだけは読んでいたが、まさかそれがナノマシンなどとは思っていない。ただあの部屋の淫臭にあてられてこうなったと思っていたのだ。
そうやってしばらくしている内に楯無の状態は落ち着いてきた。慣れてきたのである。顔の赤みも引いた事もあり、一夏ももう大丈夫だろうと楯無からそっと離れた。
「ありがとう、織斑君。もう大丈夫みたい」
「ですね。安心しました。けど、熱は無かったとはいえもしかしたらもあります。俺、先生呼んできますから大人しく寝ててください」
「はーい。大人しくしてまーす」
ふざけるような言い方に一夏は苦笑すると医務室を後にする。その背を見送り、楯無はそっと片手を胸にあてた。心臓の鼓動が少しだけ早く聞こえてくる。それが何故かを考えて、彼女は誰にでもなく呟いた。
「惚れちゃった、かしら? ……まさかね」
自分で自分の言葉に笑い、楯無はベッドへと横たわろうとしてある事に気付いて少しだけ赤面する。
「……脱いでおくか」
カーテンを閉め、ごそごそと動く楯無の影。そして何かを終えた彼女は、手にしたそれをどうするかで頭を抱える事となる。それは、彼女の愛液でべったりと変色した下着だった。
ただ、楯無はまだぼんやりする頭でそれを汗でそうなったと思っていたが。
この後、一夏が連れてきた養護教諭によって楯無は疲労による体調不良と診断され、念のために一夏が部屋まで送り、この日は終わる。だがその夜、楯無はシャワーを浴びながら自らを久々に慰めてしまう。
「んっ……ああっ! な、何で……? 今までで一番気持ちいい……ん~~~~っ!!」
彼女は知らない。今、自分と同じような状態に世界最強の女性も陥っている事を。最強の名を得た女性二人は、揃って同じ毒によって犯され始めていた。その最強に、確かで小さな亀裂を入れられて……。
オータムさん、捕まる。サイレント・ゼフィルス、ブルー・ティアーズに一糸報いられてしまう。楯無、一夏に胸キュン。以上の三本でした。
ああなった時に抱かれない方が、より一層辛い。そして、その後に抱かれてしまうとどうなるか。それを楯無が経験します。
まて、次回っ!