「私一人で組み上げてみせる。お姉ちゃんのように……」
工作室に一人、静かに作業を続ける人物がいた。眼鏡の奥に覗く瞳には鋭さのようなものが見える。彼女は、手元の表示へ目を走らせると同時にその指先が宙に浮かんだキーボードをタイピングし、おそらくOSだろうものを操作していく。
だが、その手が不意に止まる。
「…………本当に、出来るのかな」
呟かれた声には、明らかな不安と寂しさが込められていた。
彼女の名は、更識簪。楯無の妹であり、日本の国家代表候補生である。実は、彼女の専用機は白式の影響で組み立てられていなかったため、未だに未完成なのだ。
そのせいで彼女はクラス対抗戦にはエントリーさえせず、またトーナメントにはエントリーだけはされたものの不戦敗となっていた。
今も彼女の専用機である”打鉄弐式”は完成の目途が立たないまま、ここ工作室の一角で眠っている。
「ううん、やるんだ。私だって、私だって……お姉ちゃんみたいに……」
それは、誓い。それは、暗示。それは、意地。内気な彼女を支える原動力とも言うべきものがそれであった。姉のように、姉みたいに。幼い頃から憧れであった女性に追いつきたい。肩を並べたい。その想いだけが簪を動かしていたのだ。
彼女は知らない。その姉がかつての姉とは変わり出している事を。身も心も敗北させられた事で、彼女の姉は成長しているのだ。おかしな話ではあるが、強くもなっている。その一端を、すぐに彼女は知る事になるのだから。
「簪ちゃん、ちょっといい?」
「っ!?」
聞こえた声に勢いよく簪が顔を動かす。そこには楯無が立っていた。普段の飄々とした雰囲気は鳴りを潜め、代わりに簪が幼い頃に時々感じた雰囲気が漂っている。姉としての、刀奈としての顔が。
「……何の用?」
「話を、しにきたの」
「話……?」
怪訝そうな表情を見せる簪へ楯無は無言で頷いた。それが簪には小さな驚きだった。いつ頃からか、彼女達姉妹は距離を取る様になっていた。だが、それは両方がではなく簪が一方的に取り始めたものであったのだ。
優秀な姉を見て、その輝きを見て、対する自分の情けなさに、ふがいなさに幻滅し、その劣等感を感じたくないから逃げ出した結果だ。
その姉が、学園に入った後も接触を自ら取ろうとしなかった姉が、話がしたいと顔を出した事。それが簪には驚きとなったのだ。
「私は、簪ちゃんに嫌われたくないから」
「っ!?」
「そうじゃないと思ってるけど、そうかもしれないと思ってしまうの。だから、簪ちゃんの本当を聞かせて? 私の事、避けてるのは分かってる。それは、どうして? 私が何かそうなる事しちゃったから?」
刀奈の問いかけに簪は息を呑んだ。彼女は瞳に涙を浮かべていたのだ。
(お姉ちゃんが……泣いてる……)
簪の記憶の中で刀奈が泣いているところなどほとんどない。あるとしても、それは悲しみや喜びなどの感情の発露などではなかった。それは生理的な理由。刺激物質が神経に作用しての涙である。つまりは生玉ねぎのみじん切りによるものだ。
「答えて、くれると嬉しいな」
微笑みさえ浮かべて問いかける刀奈を見て、簪はその手を握り締める。強がろうと思う自分と、素直にならなきゃと思う自分がぶつかる。
「……お姉ちゃんは、私みたいな妹には眩しいんだ」
「眩しい……?」
「そう、眩しい。みんなの人気者で、強くて、カッコ良くて、頭も良くて何でも出来て! ISだって自分で組み立てた! なのに、私は全然ダメ。人付き合いは下手だし、弱いし、カッコ、悪いし……頭は、悪いとは言わないけど……不器用、だし……」
言いながら簪の声から力が抜けていく。自分で自分が惨めに思えてきたのだ。取り柄と胸を張れるものはなく、得意と人に言える事もない。自慢出来る事はあるけれど、とてもではないが他人へ教えられる事ではなかった。
簪には、確固たる柱がなかったのだ。自分を支える精神的支柱とも呼べるものが。今までそれを担っていたのは、姉への劣等感からくる意地だった。それさえも、今無くなろうとしている。
押し寄せる感情の波。それは悲しみからくるものだ。ジワリと、簪の瞳に涙が浮かぶ。と、そんな彼女の体をそっと刀奈が抱き締めた。
「おねえ……ちゃん?」
「ごめんね。気付いてあげられなくて、ちゃんと見てあげなくて、ごめんね……っ!」
ギュッと強くなる腕の力に簪は目を見開いた。それだけで気付いたのだ。刀奈が泣いたと。それは、懺悔の涙。妹の心をちゃんと分かってやれなかった己の失態への、悔しさが生み出す涙であった。
だからこそ、簪は慌てた。違う、そうじゃないと。姉は何も悪くないなのだ。そんな気持ちを込めて彼女は首を横に激しく動かした。
「違う! 違うよ! 悪いのはお姉ちゃんじゃないっ! お姉ちゃんじゃ、ないからぁ」
「……簪ちゃん」
「私が、私が勝手に気にしただけなの。お姉ちゃんは私の事を悪く思ったりしてないって、そう分かってた。でも、どこかでもしそう思われたら嫌だったから、みんなにお姉ちゃんの妹だって胸を張って言えるようになりたかったから……」
「だから、今も頑なに一人でISを?」
刀奈の言葉に簪は小さく頷いた。その事自体は刀奈も報告や自分の目で確かめて知っている。ただ、どうしてそこまでこだわっているのかまでは分からなかった。己と同じようにやってみせたいのだろうと思ってはいたが、その根底にあるのが簪本人のためではなく自分のためであったとは思いもよらなかったのだ。
(一夏君もそうだったけど、どこかで上の存在を超えたいって思うのは、やっぱり自分のためだけではなく兄や姉のためでもあるのね……)
特に、上が出来る存在であればある程下の者の劣等感は凄まじい事となる。一夏が強くなろうとしているのはそこに起因しているのだろう。そう刀奈は考え、同時に簪の意地の張り方へも想いを馳せた。
だからこそ、伝えなければならない。刀奈はそう決意して簪からそっと体を離した。
「いい? よく聞いてね簪ちゃん。私は、たった一人でISを組み上げた訳ではないの」
「……何となく気付いてた。だけど、だから私は一人で組み上げたい」
「……私に、いえ私が出来なかった事をしてみたいから?」
「うん。それが、それが出来たらお姉ちゃんの妹だって胸を張れる気がするから」
そう答える簪の眼差しには力強い輝きがあった。これまでとは違う、しっかりとした何かが宿った瞳。その事を感じ取り、刀奈は嬉しそうに頷くと背を向けて工作室を後にしようとして―――一度だけ立ち止まってこう告げた。
「簪ちゃん、私の妹と胸を張りたいからと、独力で組み上げるのはいいわ。でもね、どうせやるならただ組み上げるんじゃなく凄い物にしなさい」
「凄い物?」
「ええ。私のISでさえ既に旧世代機になりつつあるの。今、世界で一番最先端のISは一年一組の織斑一夏君の白式と、同じく一組の篠ノ之箒さんの紅椿。そのデータを参考にさせてもらいなさい」
「で、でも……」
「私のISは、当時の最先端技術で作られた。簪ちゃん、私に並んだと胸を張りたいと言ってくれたのなら、ミステリアス・レイディを超えてみせて。私やその友人達でも為し得なかった事を、ね」
それだけ言って楯無はその場を去った。残された簪はその場に佇んで噛み締めるように呟く。
―――ただ、組み上げるのではなく……凄い物を……。
学園祭も終わり、次の大きなイベントは専用機持ちのみで行うタッグバトルである。当然一夏達は参加するのだが、一つだけ懸念事項があったため千冬から言い渡された事があった。
「織斑と篠ノ之は組まないように」
それは、白式と紅椿の相性の良さとそれがもたらすバランスの崩壊を防ぐ事。零落白夜と絢爛舞踏の組み合わせは、現時点でも今後も最強と呼んでいいものだ。
故に個々人の連携への適応力などを見たい学園側としては、単一仕様能力を使っての持久戦をするだけで勝利が濃厚となる事は避けたい。なので二人は必然的にコンビを組んではいけない事となったのである。
まぁ、一夏達もそもそも組むつもりがなかったのだが。
「で、どうするのだ?」
そんな話があった昼休み。一夏達は食堂ではなく校庭の一角にいた。そこは束達が居を構えている場所近く。そう、束やクロエも交えての昼食を取るためであった。オータムが毎度準備させられている組み立て式のテーブルが置かれ、その上には少々不格好なおにぎりが大皿いっぱいに置かれている。その近くには、唐揚げやサラダ、卵焼きなどのおかずが置かれていて、更に大根と豆腐の味噌汁まで用意されていた。
おにぎりはクロエが握ったもので、サラダ以外は朝箒が作った物である。サラダは、クロエがレタスを手で食べやすい大きさへ千切り、キュウリを斜めにスライスした物と一緒にボウルへ入れ、ミニトマトを散らしただけである。
「ラウラはシャルと組むんだっけか」
「ああ。同部屋だしな」
「僕としてもラウラとなら話し合いもし易いしね」
「む~っ、そういう利点があるか。あたし達はそういう面ではちょっと厳しいわね」
「そうだな。まぁ、それは大抵のコンビがそのはずだ。なら、あまり気にしないでいいだろう」
既にコンビが決定してる二組は仲良さそうに話していた。箒と鈴コンビとシャルとラウラコンビである。セシリアは何と楯無と組む事が決まっていた。しかも楯無からの指名である。理由は、サイレント・ゼフィルスへ最後に狙撃を命中させてみせた腕を買われてだ。
「そういえば、一夏さんは相手にあてがありますの?」
「それなんだよ。楯無さんから、みんなとは組むなって言われたんだ。ほら、そういう意図がなくてもあっても公平さに欠けるからって」
現状、コンビが組めていないのは一夏のみであった。彼はそもそも箒以外の誰かと組もうと考えていたのだが、楯無から先程の指摘を受けて考えを撤回。ただ、そうなると彼に専用機持ちの心当たりはなくなる。今、一夏はどうやってコンビ戦に出場するかを思案中だった。
そんな彼の言葉を聞いて小首を傾げるのはクロエだった。手にしたおにぎりからはおかかが顔を覗かせている。
「ですが、このままでは一夏さんが出場出来ませんが?」
「だーいじょうぶだよ、くーちゃん。なっちゃんは考えなしじゃないだろうから、きっといっくんの相手に心当たりあるはずだって」
言い終わるや唐揚げを指で摘んで口に放り込んで、束は嬉しそうに頬を緩めた。箒の唐揚げは篠ノ之家の味。束としても食べ慣れた味だからだろう。まあ、単純に美味しいというのもあるかもしれないが。
ちなみになっちゃんとは楯無の事である。束のネーミング的にはたーちゃんやたっちゃんが妥当なのだが、女の子っぽくないとの理由でたてなしのなを使っている。てを使うのも同様の理由で見送られたためであった。
実は、これは刀奈のなでもあるので、楯無自身は束なりに自分の本名を呼んでいるのではないかと思っていた。事実、束は「望まぬ事を押し付けられる事程嫌な事はないよね」と楯無だけには言っていたのだ。
束の言葉に一夏も何も言わなかった。彼もそう思っていたのである。そうして昼食を食べ終わった彼らは交わる、と思いきや一夏を残して箒達五人は校舎内へと戻って行った。
「じゃ、いっくん来て」
「はい」
実は彼の体の中にあるナノマシンを束が改良しているのだ。彼への説明はISが勝手に変化した事例を詳しく調べるためとなっているが。そのため、一夏は昼食後に束のラボである程度過ごす事になっている。そうなれば当然……
「チッ……」
メイド姿のオータムを見る事になる。彼女からすれば、自分を現状へと追いやった張本人に情けない姿を見られるという更なる屈辱を与えられていた。だが、一夏にはそんな事は関係ないので仕方ない。
その証拠に彼はオータムへ目をくれずにもう見慣れた診察台のような場所へ横になっている。
「じゃ、くーちゃんよろしく」
「はい。一夏さん、失礼します」
「ああ」
仰向けで寝そべる一夏の股間へクロエは手を伸ばすと、そのままチャックを下ろして手をズボンの中へと入れる。やがて半勃起したペニスが顔を出し、それをクロエは優しく扱き始めた。
「うん、その調子でお願いね~」
「分かりました」
性的興奮でナノマシンが活性化すると知っている束は、クロエに一夏のペニスを刺激させてその活動を分析、最近はそうした時に束が手を加えて改造を進めているのだ。具体的には、永続して男子になる精子のみしか卵子へ辿り着かせないようにするのを止めさせ、比較的に男子が出来やすい程度にする事である。
完全にその機能を無くす事も考えたのだが、下手な事をしてナノマシンを一夏に注入させた者達に気付かれると色々面倒と判断した束は、彼らの思惑を壊さない程度に手を出して、自分の良い様に利用しようとしていた。
「うん、どうやら順調みたいだね~」
素早い動きで指を動かしていく束。ナノマシンに元々あった機能の修正は、本来であればかなり難しい作業である。それを彼女はいとも簡単にやってのけているのだ。やはり天才の呼び名は伊達ではないのだろう。
そんな彼女を余所に、クロエは既に手で扱くのではなく唇でペニスを扱き始めていた。我慢出来なくなってきたのである。
クロエは、性行為に行動的な束と違い受動的で消極的だ。そのため、真耶と同じく一夏は毎日決まって相手をする機会を設けている。
それこそが今、昼休みであった。夏休み中に関係を深め、二学期からは表立って校舎内へ入れないクロエのためにと、一夏が箒達へ相談して昼食場所は変わったのだ。
「ジュルッ……一夏さん、どうですか? 私のフェラは気持ちいいでしょうか?」
「ああ、最高だぜクロエ。もっとねっとりとやってもらっていいか?」
「ネットリ……はい、分かりました」
微かに笑みを浮かべて頷くクロエ。その光景をオータムがどこか微妙な表情で見ていた。
(相変わらず何てデカいモノ持ってやがるんだよ、あいつ。あっちだけなら世界最強かもしれないな……)
彼女は亡国機業のある女性と特別な関係を築いている。だからといって同性愛者ではない。いや、そうでもあるだろうか。要は異性同性両方に恋愛感情を抱けるのだ。それに仕事柄男性器を見る事もなかった訳ではない。ただ、そんな彼女から見ても一夏のペニスは立派であり、日本人とは思えない程の雄々しさを誇っていると思っていた。
一夏に対して敵意などを抱いているオータムには、彼の持つナノマシンの能力は作用しない。それに、万が一そうなったとしても今の一夏は彼女を撥ね退けるだろう。体が疼くから抱いてくれと言われても、今の彼は拒絶するからだ。
そんな一夏のペニスをしゃぶるクロエを見ているオータムの目は、どこか艶めいていた。答えは簡単、発情しているのである。何せあの襲撃の日から今まで禁欲生活を送っているのだ。それでも平気だった彼女の生活が一変したのは、一夏のナノマシン関連で彼がラボへ現れるようになってからだ。
まず、初めて見た時のペニスの異様さが脳裏に焼き付き、そこへ来てのクロエとの濃厚な交わりである。これが長らく性欲を忘れていた体にクリティカルヒットしたのだ。
かといって自慰行為など出来るはずもなく、トイレで慰めようにも万が一にも撮影されていたらと思うと迂闊な事は出来ない。結果、今のオータムはまさしく膨らみ続ける風船となっていたのだ。
(あの無愛想な奴が、あんな雌の顔してチンポしゃぶってやがる。あいつ、小僧以外の経験ないよな? それであれか? ……それに、小僧の方も女の扱いに妙に慣れてる。まさか、あの歳でそっちは凄いってのか? はっ、馬鹿らしい)
そんな風に悪態を吐きながらも、その目はずっと一夏のペニスを見つめている。彼女は気付いていない。自分の頬が上気している事を。思いもしない。ラボで出されている食事ではなく空気に束作のナノマシンがばらまかれている事を。
そう、オータムの次なる失態はそこにあった。篠ノ之束という人間の厄介さと恐ろしさを完全に見誤っているのだ。
彼女が何かするとしても、その気になれば拒否出来る食事や水分などに毒を仕込むはずがない。彼女が仕込むとすればそれは絶対に自分の意思で拒否出来ないものへ仕込む。
つまり皮膚呼吸だ。食物や水分は経口摂取が基本であり、そこからでなければ中々吸収させられないが、空気だけは別である。口や鼻を塞ごうとも、皮膚が露出している限りは吸収してしまうのだから。
「レロレロ……一夏さん、そろそろお口にオチンポミルクをください。濃厚でプリップリなオチンポミルク、飲みたいんです」
「うっ……クロエ……」
上目遣いに淫語、そこへきての純真さ満点の微笑みである。そのアンバランスさに一夏は込み上げてくるものを感じて、彼女の口内へペニスを突き入れた。
「出すぞっ! ……ああっ!」
クロエの口内へ溢れんばかりに出される精液。それを彼女は恍惚の表情で飲み込んでいく。目を細め、顔を緩ませ、だらしなくもいやらしい雌の顔で。
「……ん。こーんなもんかな? お疲れいっくん。もういいよ」
「分かりました。クロエ、大丈夫か?」
「……はい、全部飲みましたから。オチンポの方も吸い出しておきましたし」
「ありがとな。じゃ、俺はこれで」
「またね~」
「午後の授業も頑張ってください」
「おう。じゃあ、失礼します」
束とクロエへ挨拶をし、一夏はラボを後にする。ただ、その内心では首を傾げていたが。
(あいつ、何で今回も濡れてたんだ? ここのところ毎日なんだけどなぁ……)
しっかりとオータムの異常を察知している一夏であった。
授業が終わり、一夏たちは日課であるアリーナでの訓練のために教室を出た。そこで少し待つと鈴が現れ、六人となって彼らは動き出す。そんな彼らを見る周囲の目は以前と変わり出していた。
一つは学園祭の時の一件で箒達五人が名を上げたから。もう一つが一夏の気配の変化である。楯無に二度勝利出来た事で彼はようやく心から自分が強くなれたと思う事が出来るようになり、それが自信となって溢れるようになったのだ。
「……何か、前よりも見られてないか?」
「一夏さんが男らしさを増したからですわ」
「そうか?」
「ま、それもあるでしょうね。今の一夏、前にも増して堂々としてるもの」
「うん、良い意味で自信満々って感じ」
「そっか」
「それと、色黒ではなくなったからかもしれないな」
「違いない」
ラウラの意見に苦笑する箒達。一夏は微妙な表情を浮かべていた。夏に焼けた肌は最近になってようやく本来の色へ戻っていた。これを残念に思っていたのが真耶。小麦色の方がよりワイルドな感じがしたのにと、そう言って残念がったのだ。
一夏本人としてはどちらでも良かったのだが、真耶がそう言っていたので夏場ぐらいは肌を焼いてやろうと考えてはいた。
と、ふと一夏が足を止める。箒達もそれにつられて足を止めた。彼はその場で後ろを振り返っていた。
「どうかしたか?」
「……いや、何でもない。行こうぜ」
問いかける箒へ何事もなかったかのように答えて一夏は再び歩き出す。彼女達はそんな彼の行動に疑問符を浮かべながらもその後を追うように動き出した。その離れ行く一夏達を密かに見つめる人影がある。
「あれが、織斑一夏君と篠ノ之箒さんか。でも、どうやって接触すれば……」
簪はそう呟いて来た方向へと向かって歩き出そうと向きを変えたその瞬間、柔らかい感触が顔に当たった。
「わぷっ?!」
「あー、ごめんごめん」
「い、いえ、こちらこそって……本音、か」
簪の前にいたのは彼女の専属メイドでもある布仏本音であった。二人は幼馴染であり、表向きには主従の関係である。それ故、簪はこれまで本音を遠ざけていた。人付き合いが不器用な彼女にとっては、それが一番楽だったためだ。
「ね、かんちゃん。さっきおりむー達を見てたけど」
「な、何でもないから。何も関係ない」
「え? おりむーがコンビ組む相手いないから組もうとしたんじゃないの?」
「……え?」
急いで立ち去ろうとした簪へ告げられる、一種の天啓。そう、簪はとっくに一夏が周囲の誰かとコンビを組んでいると思っていた。何せ彼らの人数は偶数。普段のグループで綺麗にコンビとなるからだ。それを思って違和感を感じる簪へ、本音はポンッと手を叩いて得心していた。
「あ~、かんちゃん知らないんだね。今、おりむーとしのっちをお嬢様がコーチしてるんだって」
「……お姉ちゃんが。だからか」
何故楯無が一夏と箒のISについて詳しいのか。どうして一夏のコンビ相手がいないのか。それらを簪は総合してこう判断していた。
(お姉ちゃんは、打鉄弐式の事を持ち出して彼にデータを出させる事が出来るようにしたんだ。見た感じ、人は悪くなさそうだった。それに、篠ノ之さんは彼に好意を抱いてるって専らの評判だ。なら、彼が頼めば……)
姉の考えをそう読んだ簪だったが、実際には一夏の女性関係への考え方を知った楯無が、彼から簪へ接触させるのではなく、簪から一夏へ接触させるために行った企みである。
一夏は自分への好意を強く抱いた者しか関係を持たない。篠ノ之姉妹のようになりたいと考え始めている楯無にとって、簪が一夏へ恨みを抱いているのは困るのだ。そのために、楯無は妹と一夏の関係改善を図ったのである。
「その、ありがとう本音。今まで突き放してたのに……」
「気にしてないよ~。かんちゃんがやりたいようにやらせてあげようって、そう思ってたからね」
「……そっか」
助ける方法はいくつもある。手を差し伸ばす、肩を貸す、隣り合う、背中を支える、無理矢理手伝う。それらの中で本音が選んだのは見守るというものだったと気付いて、簪は噛み締めるように呟いた。それが自分の態度や雰囲気からある程度本心を見抜いてのものだろうと思い、簪は本音の気遣いに改めて感謝した。
「本音、本当に、ありがとう。えっと、これからもよろしくね?」
「うん、かんちゃんも頑張って。手伝える事あったら、気軽に声かけてくれていいから~」
「……うん」
胸の奥が温かくなる感覚に、簪は自然な笑みを浮かべた。それは、長らく忘れていた人との関わりで生まれる温もり。自分は一人ではないと、そう思える瞬間の熱であった。その感覚を抱いたまま、簪は体を一夏達が向かった方へと向き直して歩き出した。
「お姉ちゃんが私のために動いてくれたなら、それを無駄にしたくない」
たしかに簪の中で一夏はあまり快く思っていない相手だ。彼の白式のせいで彼女の打鉄弐式は完成されなかったのだから。だが、ここにきてそれだからこそ一夏に会おうと簪は考えていた。
(白式が打鉄弐式を追いやったのなら、私が白式のデータを使って打鉄弐式を完成させて、白式を超えてみせる)
踏み台にされたのならし返してやる。そんな気持ちで簪はアリーナへと向かう。そのアリーナへ着いた彼女が見たのは、想像していなかった光景だった。
彼女の知る情報は、一夏とシャル、箒の三人だけが代表候補生ではない事と、一夏は公式戦二連敗の上両方共に一回戦敗退という事だけ。そんな素人のはずの存在が……
「そこだよっ」
「っ! マシンガンなら……っ!」
「嘘っ!? 雪片で弾丸を薙ぎ払ったの!?」
自分でも出来るかどうか分からないような、そんな動きをしていたのである。と、あまりの光景に呆然としている簪を余所に、一夏はシャルの攻撃を誘うように動き出した。それが誘いと分かりつつも実弾兵装である事を活かして追撃を仕掛けるシャル。
それらをギリギリの速度で避けていく一夏だったが、その目が一度だけ簪へと向けられた。
「っ!?」
その鋭い眼差しは内気な簪の心をすくませるに十分だった。つい数分前まで抱いていた考えなど霧散してしまう程に、一夏の眼光は力強かったのだ。ほんの一瞬だけ、刹那の間のアイコンタクト。それで簪は気付けばその場に座り込んでいた。いや、腰を抜かしていたのである。
「あ、あれが……織斑一夏……」
とてもではないが素人とは思えない。そう簪は判断した。公式戦二連敗も嘘か何らかの事情があるのではと思う程、彼の動きは洗練されている。それはISに触れて半年程度の人間が出来る事ではなかった。
そのまま動く事も出来ず訓練を眺め続ける簪。その間、一夏は訓練相手を変えながらほぼ休みなく試合を続けた。エネルギー回復を紅椿が出来るため、一々回復の時間を取らなくても平気になったためである。シャルの次は鈴、セシリア、ラウラ、そして箒と、それらの試合で彼は見事に勝利していく。
「……嘘でしょ? だって、相手は国家代表候補で公式戦で白式に勝ってる人もいるのに……」
「男子、三日会わずば括目して見よ」
簪の呟きに答えるような声が聞こえ、彼女は弾かれるように後ろへ振り返る。そこには口元を扇子で隠す楯無が立っていた。
「お姉ちゃん……」
「簪ちゃん、自分の目や耳で確かめていない事を鵜呑みにしちゃダメ。ちゃんと自分の目と耳で確かめて、しかもそれが本当なのかまで確かめないといけない」
「本当なのか?」
「ええ。フェイク、として見せられている可能性もある。真実を見抜く目と耳を持つには、先入観や独断と偏見を捨てて、且つほんの少しの猜疑心が必要なの」
それはかつての自分を踏まえての助言だった。噛み締めるような言葉に、簪もどことなく楯無がそういう事で痛い目を見たのだろうと推測するも、まさか敗北したとまでは思わなかった。
「お姉ちゃんは、織斑一夏の事をどう見てるの?」
問いかけ自体は、よくあるもの。だが、そこに込められた意味は意外と重たいものだった。特に、今の彼女に、更識楯無にとっては。
「そうね……」
刀奈としては分かり切っている。愛する男。一生添い遂げると決めた人。自分を守ってくれる、甘えさせてくれる、そんな居場所であり相手。しかし、それが楯無としてとなると話が少し変わってくる。
「今後の成長が楽しみな後輩であり、警戒するべき相手であり、少々危なっかしい存在ってとこかしら」
「……高評価?」
「簡単に言えばそうなるわねぇ」
手にしていた扇子を畳み、楯無は簪の傍へと近寄るとその腕を掴んで引っ張り上げる。
「で、どうしてここに簪ちゃんが?」
「そ、その……」
「もしかして、一夏君のパートナーになってあげてもいいって言ってあげるの?」
「…………その条件に白式のデータをもらおうと思ってる」
「そう。簪ちゃんも気付いてくれたのね」
「え?」
楯無の言葉に簪は理解が及ばなかった。一体何に気付いたというのだろう。簪は、楯無が言っているのは自分が考えた事ではないと、何となくだが思っていた。何故なら、簪ちゃんもと表現したからである。これが、簪ちゃんはならば、きっと簪が考えた発想で合っていただろうが。
困惑する簪へ、楯無はその答えを告げる。
「人を頼る事よ。人を頼る事は悪い事じゃないわ。ただ、自分で努力せずに頼るのがダメなの。自分が出来ない事や不得意な事で人の手を借りるのは間違ってない。だけど、それに頼り切りはダメ。もしくは、自分はその人達が出来ない事や不得意な事で助けてあげられるようにする。簪ちゃんは、こういうところが苦手だったものね」
「それは……」
「助けを求めるのは悪い事じゃない。悪い事があるとすれば、一方的になる事よ。助けてもらってばかり、頼ってばかりは悪い事。でも、結果的にそうなるのと最初からそうするのでは意味合いが違ってくるか」
「え?」
「助けられた時、次は自分が誰かを助けられるようになりたいと思っても、そう出来るとは限らないじゃない? だけど、それでも自分に出来る精一杯をする人なら、助けられるばかりでも悪いとはお姉ちゃんは思わない。だって、本当に助けたくない人なら、どれだけ呼ばれたって助けないもの」
温かい微笑みと共に告げられた言葉は、簪にとっては思いもよらないものだった。彼女は、助けてと言いたくても言わないようにしていたのだから。
それは、助けを求めるのはいけない事だと思っていたためだ。自分から助けを求めるのは甘えである、と考えて。だがその考えは違った。本当の甘えとは、助けを求める事ではなくそれに依存したりあてにする事だ。そう気付いて簪は言葉がなかった。
「簪ちゃんは、自分を駄目だと思ってるみたいだけど、そんな事はないわ。もしそうなら、私も、虚も、本音も、気に掛けたりしないし助けたいなんて思わないもの。それに、私は最初からISの組み立てを出来る友人達に頼ったけれど、簪ちゃんは自分でやれるところまでやろうとした。それは、強がりだったかもしれないし意地だったかもしれない。でも、私にはなかった強さでもある。簪ちゃん、貴方は十分凄いの。普通は、そこで誰かを頼り、あるいは諦めるのだから」
「お姉ちゃん……」
どこかで、簪はヒーローを求めていた。助けを求められない自分を助けてくれる、そんな存在を。それが、目の前にいた。幼い頃から憧れ、遠い存在だと思っていた姉である。それが、助けてくれただけではなく、自分も強いのだと言ってくれた。
感極まる簪の両手を楯無はそっと掴むと優しく自分の両手で包む。そこに自分の本音を込めて。助けてと言って欲しかった。手を伸ばして欲しかった。そんな気持ちを込めた眼差しを楯無は簪へと向ける。
「……簪ちゃんなら、きっと人を頼る事を強さに出来るはず。私はそう信じてるから」
「頼る事を、強さに……」
「私もいつか簪ちゃんに助けてもらう時がくるかもしれない。その時、伸ばした手を、上げた叫びを、無視しないでくれると嬉しいな」
最後にそう締め括って楯無は簪から手を離す。失せていく温もりに簪が小さく息を漏らす。それに気付きながらも楯無は彼女へ背を向けてその場から去って行った。
「……私が、お姉ちゃんを? そんな事、ある訳ないのに……」
大分払拭されつつあるとはいえ、まだ簪の内向的な面は、自分を卑下する部分は残っている。それでもどこか笑みを浮かべる事が出来るぐらいには変わり出していた。簪は気持ちを切り替え、反省会を行っている一夏達へと近付いていく。
「ん? 誰だ?」
真っ先に簪の接近に気付いたのは一夏。その目付きが試合中とは別人な程優しい事に簪は内心で驚いた。
(もしかして……試合中は豹変するの? まるで変身ヒーローみたい……)
平時と違う顔を持つ。それが簪には大好きなヒーロー物を思わせる。
「その髪色と毛の跳ね方……楯無さんの関係者?」
「毛の跳ね方って……良く気付くわね、シャルロット」
「待て。楯無先輩は逆向きだ」
「そこは個人差の範疇では?」
「まぁ、まずは向こうの話を聞こう。すまないな、口を挟む暇がなかっただろう」
「え、えっと……うん」
箒の言葉に少しだけ躊躇いがちにだが頷いてみせる簪に一夏達が苦笑する。彼らからすると分かっていても直せない部分であるために。やはり外から見ると自分達の会話は入り込むのが難しいのだなと、そう改めて実感して彼らはそれぞれに息を吐いた。
「えっと、で、君は誰か教えてくれるか?」
「わ、私は更識簪。一年、四組」
「四組? そうか。それで、どうしてここへ? 誰かに用か?」
「お、織斑君に話があるの」
「俺?」
久しくなかった他クラスの生徒との接触。それに一夏は不思議そうに自分を指さして簪を見つめる。今の彼へ言い寄る女生徒はいないと言っても良かった。その事が一夏の反応から窺える。
「そう。コンビ戦、私が組んでもいい」
間違いなく一夏の目付きが変わった。それは簪の言い方が気に障ったからではない。楯無が簪を相手としてお膳立てしたと察したためだ。その理由は分からないが、一夏にすればそれはどうでもいい事と言えた。何故ならこれでコンビ戦に出場出来るからだ。
「本当か? それならよろしく頼む」
「……ただし、一つ条件がある」
「「「「「「条件?」」」」」」
簪の言葉に全員の声が揃った。その事に簪は思わず小さく笑う。だが、すぐにそれを咳払いと共に誤魔化して一夏の事を少し睨むように見つめた。
「白式のデータを頂戴。私の専用機、まだ未完成なの。そのために白式を参考にさせて」
内心ではどう出ると思いながら簪は一夏を見つめた。が、彼はその条件に笑みを浮かべて頷いた。
「いいぜ」
「え?」
「白式のデータでコンビ戦に出られるのなら安いもんだ。あ、そうだ。未完成って言ったけど、それってコンビ戦までに間に合うのか? もし間に合いそうにないなら俺に手伝ってくれるあてがあるけど」
「え? え?」
「大丈夫。きっとそっちも知ってる人だ。こっちにいるのは篠ノ之箒って言うんだけど、その姉で束さんって人が」
「ええっ!?」
矢継ぎ早に告げられる話に理解が追いつかない簪へ、一夏が特大の爆弾を投下する。彼女は、白式のデータ提供にきっといい顔をしないだろうと思っていたのだ。それがあっさりと了承され、しかもあろう事か完成の手伝いまで申し出て、更に手伝いとして挙げた名前がIS開発者である。簪にとっては予想外どころではない展開だった。
「待て一夏。その、簪と言ったな。もし差し支えなければ、何故専用機が未完成か教えてくれるか?」
「待って。えっと、更識さんは日本の国家代表候補?」
「そうだけど……」
「じゃあ、理由は簡単だよ。白式だね」
シャルの言葉に簪が目を細め、セシリア達候補生三人は納得し、一夏と箒は首を傾げた。この辺りはやはり立場の差があると言えた。
「えっと、君のISは倉持技研が担当だった。違うかな?」
「正解。どうやらそっちの二人以外は大体事情を察してくれたみたいだね」
「倉持技研って……白式のメンテとかやってくれてる?」
「今はデータを送るだけにしちゃったけどね。大方白式のために人員を割いたんだ。ただ、それで専用機の開発を止めちゃうのはどうかと思うけど」
「無理もありませんわ。白式は世界初の男性が運用するIS。しかも、謎が多く……いえ、今なら断言出来ますね。篠ノ之博士の手で作られた最新鋭機でしたもの。そちらの方へ意識を向けてしまったのでしょう」
「有り得るな。だが、それならその時にそちらが抗議すべきだ。どの世界でもそうだが、先約というのは最優先で履行するべきで、それが出来なくなるのなら事情を説明し謝罪の上しかるべき対応策を示す義務が先方にはある」
ラウラの正論に簪は何も言わなかった。事実、そうしていれば今頃は完成していた可能性が高いと簪も思っている。それをしなかったのは、かつて姉が独力で自身のISを組み上げた事を覚えていたからだ。姉に出来た事を自分もやってやろう。そう思って彼女は倉持技研への抗議をせず、黙々と一人での作業へ乗り出したのだから。
しかも、夏前には倉持技研側から人手が戻せると言われていたのにも関わらず。
「それは、きっと更識さん側にも事情があったんだろうね。あるいは、そういう事をした倉持技研側を信頼出来なくなったからかも」
「あー、分かるわ。あたしだってそんな事されたら頭にくるもの」
「でも、結局は俺が遠因なんだろ? その、すまない。知らない事とは言え、そっちに迷惑をかけてたなんて」
「えっ!? あ、その……」
まさかの謝罪に簪は戸惑う事しか出来ない。そこには、一夏の弱みにつけ込んで打鉄弐式を完成させようとしていた少女はいなかった。いるのは誠実に、真摯に、謝罪の意を表する少年にどう対応すればいいかと慌てる少女がいるだけだ。
簪とて分かっている。一夏が悪い訳ではない事を。それでも、彼を恨む事は避けられなかった。幼い頃から自分を卑下して生きていた簪にとって、専用機持ちとなって学園で優秀な成績を収める事はせめてもの願い。それを奪われたのだから、一夏への恨みはあって当然である。
が、だからと言ってこう誠実に出られて恨み続ける事が出来る程、簪は性根が曲がっている訳ではない。むしろ、自分のあずかり知らぬ事でも関わり合いがあると分かれば素直に頭を下げられる事は、簪にとって好印象であった。
「あ、頭を上げてくれていいから。その、そっちが望んでやった訳じゃないのも分かってる、つもり」
「その、本当に悪い。コンビを組んでくれなくてもデータは渡すよ。元々俺のせいで引き起こした事だしな。責任取らせてくれ」
言うなり一夏は待機状態の白式を簪へ差し出した。その行動に彼女は息を呑む。いくら彼が代表候補生ではないといえ、その行動はあまりに配慮がないと言えたためだ。
「君、自分が何をしてるか分かってる?」
「ああ。白式が貴重な物なのは知ってる。でも、だからってこれで誰かが困ったり苦しむぐらいなら俺はいらない。出来る限り、俺はこいつを誰かの役に立てたいんだ。もし、白式がある事で俺の大切な人が苦しんだり、大事な物が壊されるのなら、俺は白式なんかいらない」
静かに告げられた言葉は、簪だけでなく箒達をも黙らせた。織斑一夏という人間の本質がそこにはあったからだ。彼はただ自分の周囲の人達が幸せであればいいと思っている、普通の人間なのだと。そして、そのためなら特別な力も物も捨てられる、そんな人だと。
(本当に……ヒーローみたい……)
ただみんなの笑顔のために。そう彼女の好きなヒーロー達は動いていた。中には自分の力を、能力を捨て、あるいは封じたりする者もいた。平和のためになるのなら、と。
「このデータでそっちの専用機が完成に近づくのなら、喜んで使ってほしい。それぐらいしか、俺に出来る罪滅ぼしはないからさ」
「……分かった。その、ありがとう」
「お礼を言うのはこっちだ。そっちが俺に会いに来てくれなきゃ、俺は自分が気付かず起こした事で君を困らせたままだった」
「っ……」
噛み締めるような声。そこに込められた複雑な想い。それらを感じ取り、簪は息を呑む。目の前の相手は、どこまで大きいのだろうと。恨み言をぶつけたような自分へ謝意を示し、躊躇いもなくその償いをしようとする。
その男気に簪は好意を抱き始めていた。始まりはマイナスからだから余計だろう。下心もなく、真心で動く一夏に人として彼女は惹かれ始めていたのだ。
こうして一夏から白式を預かった簪は、コンビを組む事を約束しその足で工作室へと向かう。待機状態の白式を抱え、簪は一人呟いた。
―――私も、ちゃんと真実を見るようにしないといけない。独断や偏見を無くして……。
簪の組み立て作業は凄まじい速度で進むようになっていた。それまで頑なに独力でやろうとしていた彼女が、一夏から白式を託された事を契機に他者を頼るようになったためである。まずは本音。次に一夏が呼んだクロエが参加した。
ちなみに彼女の校舎内への来訪は千冬によって許可され、真耶がそれを後押ししている。表向きの理由としては、軟禁しているオータムの様子などの報告のためとして。そしてこのクロエの参加が簪の予想を超える流れを起こしていく。
「やっぱりここのプログラミングが上手くいかない……」
「かんちゃんでもお手上げかぁ~」
「では、少々お待ちください」
そう言ってクロエがどこかへ通信を始めた。当然相手は……
『ん? どったの、くーちゃん』
「束様、申し訳ありませんがお知恵を貸して欲しいのです」
ISに置いては右に出る者がいない存在である束である。余りの事に言葉を無くす簪と事態が理解出来ないまま呆気に取られている本音を尻目に、クロエから見せられたデータに目をやって束は一度だけ頷くや手を動かそうとして……その手を止める。
『くーちゃん、知恵を借りたいって言ったっけ?』
「はい」
『ん~……じゃ、ヒントだけ送るから後はそっちで考えて』
「分かりました。ありがとうございます、束様」
『なんのなんの~。ある意味丁度良かったからね~』
「丁度良かった?」
『こっちの話。じゃあ、頑張ってねくーちゃん』
「はい」
これを千冬が聞いていたらどう思っただろう。束が一方的な行動ではなく、しっかりと相手の言葉を聞いて、その意図を汲み取って反応したのである。そうやって送られたデータをクロエは簪へと見せた。このように打鉄弐式はハードこそ束が関与しないISであったが、ソフトにおいては彼女の手が関わった物となっていく。
そのおかげもあり、打鉄弐式は当初よりも性能が向上する事となる。簪だけでは思い付かない発想や意見。それらが本音やクロエから出てきたためである。更に簪が思いついたアイディアを形にする手がかりを束が間接的に教える事で、三人は話し合い意見を交わしていく。それが簪の中でゆっくりとある変化を与えるのだ。
「……簪様は賢いのですね。束様からのヒントでそこまで辿り着けるとは……感服します」
「そんな事ないから……」
「そんな事あるよぉ。かんちゃんは凄いって。お嬢様ぐらいしか比較対象がいなかっただけで、かんちゃんも十分優秀なんだから」
「はい、私もそう思います。残念ですが、箒様達では束様のヒントで同じ事は出来ません」
本音とクロエの本心からの賛辞。そして告げられる自分の視野の狭さ。姉しか見てこなかったために気付けなかった自分への周囲からの評価。それらを知る事で少しずつではあるが簪の心は和らぎ始めた。
それに加えて、クロエとの邂逅は彼女にとって大きな意味を持つ。それは本音とクロエが話していた内容が始まり。三人はそれぞれ姉妹がいるが、クロエだけが唯一の姉であったためにその違いを知ろうと本音が色々と尋ね始めたのである。
「それじゃ、クロクロはラウラウとは本当の姉妹じゃないんだ?」
「はい」
「でも、ラウラウは姉って呼んでるよね? どーして?」
「私も最初は違うと言ったのです。彼女と違って私は失敗作でしたから」
「失敗作?」
「私とラウラは同じように作られました。ですが、私は彼女程の優秀さを持てなかったのです」
「っ!?」
淡々と語るクロエだったが、その内容は簪には他人事とは思えないものだった。姉妹なのに片方は失敗作で片方は優秀作。その表現はまさしく更識姉妹と同じだったのだ。ただし、簪の思う、という注釈が付くが。
「でも、そんな事は関係ないとラウラは言ってくれました。それどころか私を一人にするのかと言われてしまったのです」
「一人に……」
「私は、ラウラにとって世界で唯一の家族で姉なのです。失敗も優秀も関係ない。ただ傍にいてくれるだけでいいのだと、ラウラが言ってくれたような気が私はしています」
最後に微かな笑みを見せるクロエは、とても美しく見えた。簪も本音もしばし何も言わず彼女を見つめた程である。そして、最後の言葉は簪にも強く響いた。
(失敗も優秀も関係ない。ただ傍にいてくれるだけでいい……か)
あの楯無が自分から会いに来てくれた事。その時の会話。それらの根底には、クロエへのラウラの想いと同じものが流れているのではないか。そんな風に思って簪は胸へ手を当てる。素直なラウラとクロエは本心を言い合えたが、自分達はそれが出来ない。だからこそ、姉は去り際に一夏達へ接触しろと暗に告げたのではないか。そう考えて簪は息を吐いた。
「……姉妹揃って不器用なんだ」
出来る姉と思っていた人の、意外な弱点。それを見つけて簪は小さく苦笑する。似ているところを見つけたと、そう思って。そこに確かな姉妹の絆のようなものを感じ取って。
そうして打鉄弐式は完成が十分コンビ戦に間に合うこととなり、一夏がその頃から工作室へ顔を出すようになっていた。というのも、コンビ戦のために彼の教官をしていた楯無達が自分達の訓練を開始したためである。つまり、一夏の相手をする者がいなくなり、彼はならばと一人で自主訓練をするよりコンビとなる簪の事を知ろうとしたのだ。
「……これ、こうした方がエネルギー効率上がるよ」
「ホントか?」
「うん。見て……」
「……おおっ、本当だ。凄いな、更識さん。束さんだって何も言ってくれなかったのに」
「多分だけど、篠ノ之博士はそういう事に興味ないんだと思う。その、ハード面の改良はやる気凄いけど、ソフト面の改良にはあまり興味を向けてくれないし」
「へぇ……ん? てことは、更識さんって束さんと話した事ある?」
「一応、だけど」
一度としてディスプレイから目を離す事なく一夏と会話を続ける簪。何もそれは彼と目を合わせたくないという訳ではない。既に打鉄弐式は最終調整に入っており、そのラストスパートに彼女は意識のほとんどを向けていたためだ。
そのついでに白式の事を調べているのは簪曰く「コンビを組む間は、私が白式も面倒見てあげるから」という理由からである。これを一夏は感謝し、絶大な信頼を簪へ見せるように白式を預けていた。
「後はかんちゃんだけで大丈夫そうだね~」
「そのようです。既に打鉄弐式も調整を残すのみですし、私達の力は必要ないでしょう」
「そだね~。よし、じゃあ……」
クロエの言葉に同意し、本音は打鉄弐式を前にして話す二人へ向かって声を掛ける。
「おりむ~、かんちゃ~ん、私達はこれで帰るね~」
「後は簪様だけで大丈夫かと思いますので」
「あ、ありがとう。クロエさんも本音もすごく助かった。えっと、クロエさん、篠ノ之博士へもお礼を言っておいてくれますか?」
「かしこまりました。では、失礼します」
「じゃあね~」
揃って工作室を出て行く二人。その背を見送り、一夏は簪へ顔を向ける。
「な、更識さん。相談があるんだけど」
「何?」
「打鉄弐式って、前衛向きか後衛向きかで言ったら前衛だよな?」
「う、うん。それが?」
「つまり俺達は前衛コンビって事だ。で、俺の知ってるコンビで同じ組み合わせが一組ある。箒と鈴だ」
「……紅椿と甲龍」
「ああ。だからそことやる時は二人でガンガン攻めればいいと思う。ただ、問題は残る二組だ」
一夏の言い方で簪も悟る。彼を通じて一年の専用機はどういう物かをしっかりと理解していたからだ。残る二組は、まずシャルとラウラによる全距離対応型の上バランスが整ったコンビ。そしてセシリアと楯無による前衛後衛をきっちり分担出来るコンビ。どちらも前衛コンビである彼女達には強敵である。
故にただ攻めるだけではダメだと彼女も察しているのだ。どちらが誰を受け持つのかを決めなければ勝ち目はないと。
「デュノアさんとボーデヴィッヒさんなら、私はデュノアさんに行きたい」
「理由を聞いてもいいか?」
「私の打鉄弐式は、機動力重視の設計。従来の打鉄は防御力重視の設計。もし一回戦で当たればそのイメージの違いを活かせるし、それなら軍人だったボーデヴィッヒさんよりもまだデュノアさんの方が動揺しそうかなって」
「……で、二回戦以降でも、いざとなれば遠距離攻撃可能な打鉄弐式の方がラウラの単一仕様能力対策にもなるって事か」
「そう。それに、一度それを破った織斑君ならボーデヴィッヒさんも迂闊には使えないはず」
「うーん……でも、今のラウラだと嫌なところで使ったりしてくるからなぁ」
一瞬だけ止めるや攻撃の瞬間だけ使うなど、今のラウラは自身の単一仕様能力を多彩に使い分けている。勿論複数への使用は難しい上多用は出来ないが、それでも厄介な事に変わりはないと言えた。
「そこはそっちでどうにかして。次、お姉ちゃんとオルコットさんは」
「楯無さんをそっちに任せる。代わりにセシリアは俺が絶対押さえて邪魔をさせないからさ」
「……ありがとう」
先んじて簪の希望を叶えると言ってくれた一夏に彼女の心が温かくなる。まだそこまで長い関わりを持った訳ではないが、それでも簪は一夏の事を信頼出来るぐらいにはなっていた。一つはやはり最初の会話での印象。次に手伝いとして自分ではなくクロエを選んだ事が理由として挙げられる。
一夏はISの組み立てなどの知識に置いては素人と変わりないレベル。そんな彼が手伝うと言ってもむしろ邪魔になる可能性の方が高い。それを見越して、同じ女性であり礼儀正しく束への質問などが出来るクロエを手伝いに寄越した事は、簪にとっては本当にありがたい事だったのだ。
「他の専用機持ちって、上級生だよな? どれぐらいいるか知ってるか?」
「えっと、ちょっと待って」
一夏の疑問に答えるべく簪は学園のデータベースへアクセスを始める。何も違法行為ではない。普通に閲覧出来るものだ。そこから専用機持ちに絞って検索し、該当したのは片手で足りる数だった。とはいえ、それは一夏達が把握している者達を抜けば、ではあったが。
「二年に一人と三年に一人。そこが多分組んでるはずだよ」
「詳しい事は分からないか?」
「……二年生の方は、フォルテ・サファイア。ギリシャの代表候補。三年生の方は、ダリル・ケイシー。アメリカの代表候補。それがこれじゃ精一杯」
「まぁ、そりゃそうだよな」
「でも、一つだけ言える事がある。このコンビ、一番要注意」
「最上級生と上級生って事は、去年も下手すりゃ組んでる」
「そう。つまり今回のコンビ戦で一番有利な立場」
言って簪は一夏に見えるようにその二人の画像を表示させた。その二人を見つめ、一夏は鋭く眼光を放つ。
(例え相手が最上級生でも負ける訳にはいかない。俺の目指す先には、千冬姉がいるんだ)
(……何て強い眼差し。織斑君って普段は優しげなのに時々今みたいな目をする。一体、何がスイッチでそうなるんだろう……)
まだ見ぬ強敵へ闘志を燃やす一夏と、その横顔に胸騒がせる簪。彼らは知らない。その要注意コンビと目した片割れが、今、密かに狙われている事を。
―――織斑先生の読み、当たっていたわね。まさか現役学生の中の、それも専用機持ちとはね……。
そう呟いて楯無は束から届いた一通の電子メールを眺めていた。件名に”釣れたぁ”と書かれたそれは、気の抜けたタイトルに反して中身はとんでもないものだったのだから。
―――オータムの救出をちらつかせて例の物を奪取する。そちらはオータムのいる正確な位置を割り出して報告を。そうやって二年生と三年生へ匿名メールを送ったら、一人だけ反応した生徒がいたよ~。
束がいるからこそ出来る炙り出し方だった。内通者がいるとしても、その連絡などは極力しないかするとしても秘匿回線などを使うだろう。だからこそ全ての二年生と三年生へ一斉送信でメールを送れ、且つその反応まで監視出来るような存在が必要だったのだ。
そして束は見た。ほとんどの生徒達が首を傾げたり消去したり誰かにそれを見せたりと、様々な反応をする中、ただ一人だけ驚いた顔をし即座に消去した者がいた事を。
それこそが楯無が束へ以前頼んだ企みの一部。実は、束がこれに乗った裏には一夏へ危害を加えようとした亡国機業全体への怒りもあった。今や束の大事な旦那である一夏。それを傷付け、下手をすれば殺そうとした事はそれだけの事を束にさせるエネルギーとなるのだ。
コンビ戦が始まる前に、静かな戦いが幕を開けた。それが幕を閉じるのは、コンビ戦前かそれとも後か。ゆっくりと追い詰められていく亡国機業。彼らの失態があるとすれば、それはただ一つだろう。
―――いっくんを傷付けようとした事の罰、どうしよっかなぁ?
天才にして”天災”を、敵に回した事だ……。
更識姉妹、和解する。簪、一夏と出会う。打鉄弐式、地味なパワーアップ成功。以上の三本でした。
束が一夏の女になって学園に居つく時点で、亡国さんに勝ち目も良い所もないんですよねぇ。ちなみに謎の襲撃者がオータムを救出出来ていても、最後のセシリアの狙撃で落とす事になっているので結局結末に大差なしだったり(汗