「はあ……うぷっ……」
ㅤため息と共にむせそうになりながら、俺は浴槽に寄りかかった。そんなことをしても、今俺の頭を悩ませている問題は何も解決しないのだが。
ㅤ別段、深刻な問題というわけではない。ただ、チョコレートの食べ過ぎで胃もたれしているだけだ。
ㅤそう。今日はバレンタインデー。俺は朝からそこそこの数のチョコを貰っていたのだ。
ㅤ朝、家に来た藤ねえから渡されたのを皮切りに、遠坂、ライダー、バイト先のネコさんからまでもチョコを受け取っていたのだった。
ㅤもちろん、チョコをくれるのはとてもありがたいことなのだが、問題はそのあと。一つや二つならいいのだが、多くなってくるとさすがに胃にダメージが来る。
ㅤ明日に回せばいいのかもしれないが、なんとなく今日の内に全て食べなければいけない気がして、ついさっき食べ終えたところだ。
ㅤまあしかし、びっくりする程多いわけでもなし、少し休めばこれぐらいなら平気だ。むしろ、本当の問題は別にある。
ㅤ本命である桜からまだチョコを貰っていないことだ。一応俺たちは恋人同士なのだからと、前日から結構楽しみにしていたのだが、桜はそんな素振りすら見せない。
ㅤもしかして忘れているのかもと心配になってくる程だ。でも、テレビなんかがしきりにバレンタインの話題を放送していたし、嫌でも今日のことは意識させられるはずだ。
ㅤもしや、わざと夜になるまで待っていたんだろうか。だとしたらバレンタインのチョコレートというのは──
「……なに考えてんだ、俺」
ㅤ一瞬だけ頭をよぎった不埒な考えを払拭するように、ぱしゃりと顔にお湯をかけた。そもそも、色々考えたところでどうにかなるわけではない。
ㅤ今日桜から貰えなかったとしても、それで俺と桜の仲が何か変わるなんてことはない。だから、いつもと同じように今日の残りを過ごせばいい。
ㅤでももしも貰えたのなら、そのときは精一杯感謝しながら頂こう。
ㅤいつもよりゆっくりとお湯につかり、胃の調子も落ち着いてきたところで俺は風呂から上がった。そして、そのあと何となく居間に行ったが何も無かったので、桜の部屋に行きたい気持ちを抑えつつ自室に戻ってきた。
ㅤ障子を閉め、部屋の照明を点けて畳の上に座り込む。気晴らしに魔術の鍛練でもしようかと、俺は机の引き出しに手を伸ばした。ハンカチか何かが入っていたはずだ。
「……ん?」
ㅤしかし、その直前に机の上に何かが置いてあることに気が付いた。近付いてそれを見てみると、それは薄い長方形の箱だった。
ㅤ箱の色は鮮やかな赤色で、そこに控えめに薄紅色のリボンが結ばれている。そしてそのリボンに挟まっている白色の小さな紙には、『Happy Valentine』の文字が綺麗に刻まれている。
ㅤ間違いない。これは桜からのバレンタインチョコレートだ。この時間、他にチョコをくれる女性はいないし、この箱の飾りすぎない装飾も桜らしさが出ている。
ㅤちゃんと桜から貰えたことへの安堵が押し寄せると同時に、言葉にし難い嬉しさが込み上がってきた。こういう、物を贈ることだけが気持ちを伝える方法ではないが、やはりそういうことをしてもらえると、自分たちが恋人同士なんだと実感できる。
「ありがとう、桜」
ㅤそう一人呟いて、それを手に取った。本当は直接感謝の気持ちを伝えたいところだが、わざわざこんな渡し方をしたってことは、きっと手渡すのが恥ずかしかったのだろう。
ㅤだからここでは一人で頂いて、後日二人の時にそれとなくお礼を言えばいい。そう思いながら、綺麗に結われたリボンに手をかけた。
ㅤ破かないように、それをそっとほどいていく。結び目を外し、十字に巻かれたそれを取ったら、軽くたたんで机におく。ついでに挟まれていた紙も。
ㅤそうして結わえるものが無くなったフタを外すと、ハートの形をしたチョコレートが一つ中に入っていた。大きさはそれほどではないが、決して小さいわけでもない。食べるのにちょうど良い大きさだ。
ㅤチョコの表面は美しい艶が出ており、可愛らしい装飾も施されている。チョコ自体にリボンを結ぶようにホワイトチョコレートで綺麗な線が描かれ、端のほうには桃色の線で櫻の花びらがあしらわれている。
ㅤそして、チョコレートの横にはささやかなメッセージカードが添えられていた。
『日頃の感謝を込めて、バレンタインチョコというものを作ってみました。もし良ければ食べて頂けると嬉しいです』
ㅤ桜らしい、控えめな言葉。それでも確かな親愛が込められている。それに感謝しつつ、手作りのそのチョコレートを手に取る。
「いただきます」
ㅤそうして、挨拶をしてから食べ始めた。軽くチョコにかぶり付いて、ぱきりと折る。そして口の中に入ったそれをゆっくりと味わうように転がす。
ㅤ苦味は少なく抑えられ、甘味と程よいバランスがとれている。さらに、カカオの良い香りもそれを引き立てている。そんな風にじっくり味わいながら舐めていると、すぐに口の中へ入れたチョコは無くなってしまった。
ㅤだから次はもう少し多くかじる。その味を再びゆっくり感じながら、しみじみと考える。桜の料理の腕は本当に上手くなった。しかも、こんな風にお菓子まで作れるようになって。そんなことを思っていると、またもやすぐに食べ終わってしまった。
ㅤさらに、このチョコレートはそこまでの大きさではないから、あと一口で終わりだ。少し名残惜しいけれど、それをぱくりと口に含んだ。
ㅤその最後の欠片には、わざと残しておいた櫻の飾りがある。別に特別な気持ちがあった訳でもないが、なんとなく最後に食べたかった。
ㅤそしてそれを先ほどよりもさらにじっくりと味わって食べる。それを何度も口の中で転がす。長い時間味わえるようにと、必要以上の接触はしないように。それをチョコが溶けてなくなるまで繰り返した。
「ごちそうさまでした」
ㅤそして、手を合わせて食後の挨拶をする。あっという間の食事だったけれど、十分に満たされた。腹だけではなく、心も。
ㅤだから今日はその気持ちのまま布団に入ろう。そう思って俺は立ち上がろうと──
「あれ……?」
ㅤできなかった。身体に全く力が入らない。何かの勘違いかと思ってもう一度立ち上がろうとしたが、やはり無理だ。
ㅤ一瞬、ライダーの石化の魔眼かと思ったが、あれはだんだんと動けなくなっていくもの。しかし、これは突然全く動けなくなった。
ㅤじゃあ、これは一体何が原因だ。今日は特別何らかの魔術に触れたりはしていない。変わったことと言えば、チョコレートをたくさん貰ったこと──
「あ……」
ㅤまさか、食べたチョコの内のどれかに何が入っていたのか?
ㅤしかし、それを考える前に俺の思考は塗りつぶされ、意識は闇へと消えていった。
「あ、気が付きましたか?ㅤ先輩」
ㅤ次に意識が戻ったとき、目の前に桜の顔があった。
「うわっ!ㅤさ、桜!」
ㅤそれに驚いて思わず情けない声を上げてしまう。それでも後ろに飛び退くのは何とかこらえたが。
ㅤいつの間に桜は俺の部屋に来たんだ。いや、そもそもここは俺の部屋なんだろうか。それを確認しようとするが、視界がぼやけていてよくわからない。
ㅤわかるのは目の前で普段通りの服を着た桜が優しく微笑んでいることだけだ。そして、その口がゆっくりと動く。
「先輩、ここは私の部屋ですよ」
ㅤ俺が状況を把握できないことを最初から知っていたかのように、桜は言った。そう言われて辺りを見渡すと、確かに桜の部屋の雰囲気がする。照明は完全には落とされていないが、スタンドの電気が一つ点いているだけぐらいには薄暗い。
ㅤそして、尻の辺りには桜のベッドの柔らかい感触。推測だが、俺たちは隣同士でベッドに腰かけて顔だけ向き合っているのだろう。
「で、でもどうしてここに……さっきまで部屋にいたはずなんだけど……」
ㅤしかし、そうすると浮かんでくる当然の疑問を口にする。部屋で倒れた俺をここまで運んできたんだろうか。
「先輩は自分でここに来たんです」
「え?ㅤいや、俺にそんな覚えはないぞ」
ㅤ俺が最後に覚えているのは、自室でチョコを食べ終えたことだけだ。そこで意識が無くなって、気付いたらここにいた。
ㅤいや、ちょっと待て。桜からのチョコを食べた後に気を失って、いつの間にか桜の部屋に来ている。そして、明らかに何か知っている素振りの桜。これはまさか──
「桜。お前、あのチョコレートに何か入れたか?」
「はい。その……ちょっとした催眠効果のある薬を、少しだけ入れさせてもらいました」
ㅤそれで全てに合点がいった。それなら俺が自分でここに来た、という桜の言葉にも納得がいく。
ㅤいやしかし、桜はちょっとした催眠効果と言ったが、結構な効き目ではなかろうか。確かに効果時間で言えばほんの二、三分程なんだろうが、その間だけでも俺の意識は完全に消されていたことには驚きだ。
ㅤそんな風に勝手に感心していた俺だったが、ひとつ重要な疑問が思い浮かんだ。
「なるほど。訳はわかったんだが……桜。どうしてこんなことをしたんだ?」
「それはもちろん……先輩に食べて欲しいものがあるからです」
ㅤ桜は俺の問いに、僅かに頬を朱に染めて答えた。その様子にどきりとする。強くはないが、僅かな色香を帯びたその表情に。
ㅤ風呂場で一瞬だけ考えた、下劣な想像が思い起こされる。そんな不純な期待を抱きながら、俺は桜に聞いてみる。
「さ、桜……それって……」
「はい、先輩の目の前にあるものです」
ㅤ桜は優しく微笑んだまま、俺の言葉を待っていたかのように答えた。
ㅤ俺の目の前にあるもの。それは桜しかない。つまり、桜からの本当のバレンタインチョコレートとは、桜自身ということだ。
ㅤごくりと唾を飲み込んで、桜の頬にゆっくりと手を伸ばす。しかしその手が触れる前に、桜は俺を制止するように自らの手をそれに重ねた。
「先輩、こっちじゃなくて、そっちです」
「え?」
ㅤそう言って、桜は手に取った俺の手を横へ向けた。それに従ってそちらへ顔を向けると、イスが置いてあった。
ㅤ桜の部屋にいつもある、洋風の木製のものだ。その上には白いクロスが敷かれ、そこへ小皿に乗ったチョコレートが数個置いてあった。
ㅤ一口で食べられる大きさで、球体の形をしている。そして表面にはココアパウダーがまぶしてある。所謂、トリュフというものだ。
「こっちが本命のバレンタインチョコレートです」
ㅤ不意にそう言われ、桜に視線を戻した。そこでやっと気付いた。俺は顔だけ桜に向けて、身体はイスの方を向いていた。確かに目の前と言えばそうだ。
ㅤさっきの自分の行動が恥ずかしい。だが桜の表情から、わざと紛らわしい言い方をしたのではとも思ってしまう。
「な、なるほど。これ、トリュフチョコレートだろ?ㅤこんなものも作ってたなんて知らなかったよ」
「はい。先輩に喜んでもらいたくて、ちょっと頑張っちゃいました。……それと、先輩?ㅤさっきは何を想像したんですか?」
「う……」
ㅤ無理矢理チョコの話題に変えたがダメだった。桜は動揺している俺に、愉しそうな表情を浮かべている。
ㅤこれは絶対にわざとだ。ちょっと悔しいが、その反面そんな桜も可愛いとも思ってしまう。
「そ、それより桜。溶けるといけないから、チョコレートひとつ頂くぞ」
ㅤ適当な答えも思い付かず、半ば強引に話を切ってチョコに手を伸ばした。溶けるとか言ったが、冬場じゃあ溶けないだろうと自分でも突っ込みながら。
「あ、ちょっと待ってください。私が、その……食べさせてあげますから……」
ㅤその一言に、俺は全身の動きを止めた。そのままぎこちない動きで桜の方に向き直る。
ㅤ桜はそんな俺に構わずに、俺と入れ替わるようにチョコへ手を伸ばす。そしてその一つを手に取って、俺と同じように向き直った。
ㅤさすがに桜も恥じらいが残るようで、先程よりも赤く頬を染めている。それで俺もやけに緊張してしまう。
ㅤここはどうするのがいいんだろうか。「食べさせる」と言うのだから、口を開けるべきなのか。それとも桜が「あーん」と、魅惑的な言葉を言うのを待つべきか。
ㅤしかし、桜が取った行動は俺の予想とは反対のものだった。
「ん……」
ㅤ桜は手に持ったチョコを俺に差し出したりはせず、逆に自らの口にくわえた。口内には入れず、唇だけではむ、とそれを挟みこんでいる。
ㅤそして、俺の方へ少しだけ顔を上げてそっと目を閉じた。まるで、口付けを誘うかのように。
「さ、桜……」
ㅤその行動の意図するところはわかった。そして俺がどうするべきかも。
ㅤでも、だからといってそれをすぐに行動に移すことは出来なかった。別に、キスをすることに躊躇いがある訳じゃない。俺と桜はもう数え切れないほど口付けを交わしているのだから。
ㅤでも、こんな形は初めてだ。互いの唇を合わせながら何かを食べるなんて。しかも、これは桜からの想いが込められたバレンタインチョコレート。
ㅤそんな、ある意味キスよりも恥ずかしい行為に緊張しないはずがない。
ㅤだが、そんな風に尻込みしていても何も解決しない。チョコだって溶けてしまうし、何より桜に失礼だ。
ㅤ俺は覚悟を決めて、壊れ物でも扱うかのように桜の両肩に手をかけた。そして、だんだんと顔を近づけていく。心臓はばくばくと跳ねて、目線はチョコ──というよりも桜の唇に釘付けだ。
ㅤこんなの、まるで桜とファーストキスをするみたいだ。そんなことを考えている内に、桜との距離は一センチもない程まで短くなっていた。
ㅤそして、軽く口を開けてチョコに恐る恐る触れてみた。傍目にはキスしているように見えるだろうが、まだ桜の唇とは僅かに離れている。
ㅤ少しの照れがそうさせたのだが、いざそこまで進むとそんなものはすぐに消えた。チョコを中ほどまで口内へ入れ、控えめに唇に触れる。
ㅤそれだけでぴりぴりとした快感が全身に走った。桜とは何度も口付けを交わしているのに、触れる度に新鮮な感覚に包まれる。
ㅤその上、キスと同時にチョコを二人で食べるという、未だ経験したことのない行為も伴ってのもの。そのせいで、抱えていた羞恥や躊躇いは一瞬でどこかに行った。
「ん……っ」
ㅤ肩に置いていた手の片方を頭の後ろへ回して、少しだけ桜を引き寄せた。それによって唇同士がより密着し、チョコレートは完全に互いの口内に入った。
ㅤそれを少しだけ舐めてみると、その甘美な味が伝わってくる。最初に貰ったものよりも強い甘さだ。少し過剰なほどの甘さだが、この行為によってとろけ始めた脳にはちょうど良いものだった。
「ん、ぅ……」
ㅤ桜から軽くチョコを押されるような感覚。どうやら、桜も俺と同じように味わい始めたようだった。
ㅤそれで俺も僅かに残っていた躊躇が無くなり、本格的にチョコを舐め始めた。舌先だけの接触から、触れさせる面積を広くし、より深く甘い味を感じる。
ㅤそれでも若干の加減はする。まだチョコレートの数はあるとはいえ、おいしいからと遠慮せずに舐めたらすぐに無くなってしまう。
ㅤせっかくの桜からのバレンタインチョコレートなのだから、二人でゆっくりと味わいたい。それを桜も理解しているのか、静かにそれを味わっているようだった。
「んっ、は……んむ……」
ㅤそれでも、キスの方は段々と遠慮が無くなってくる。桜は俺の首へ両手を回し、強く自分に密着させてきた。俺もそれに応えるように、肩にかけていた片手を腰へ回して桜を抱き締めた。
ㅤそうして抱き合ったまま、二人で一つのチョコを味わう。チョコというよりも、相手自身のことを舐めるように舌でゆっくりとそれを溶かしていく。そうして溶けだしたそれは、舌でじっくりと堪能した後に飲み下す。
ㅤそうしている内に、俺の意識はみるみるうちにその行為へ没頭していく。愛情表現と食事が混ざった、そのどこか危うい秘め事に。
ㅤまるで、チョコレートと共に理性まで溶かされるかのようだ。しかし、それとは反対に感覚は敏感になっていく。触れ合う唇がやけに気持ち良くて、服を着たままだというのに身体が擦れるだけで快感に震えてしまう。
「んっ、んぁ、あ……ぅ……」
ㅤしかし、そうやっているとチョコは段々と小さくなってきてしまう。元々小さなチョコだし、それを二人で舐め合っているのだから当たり前だけど、名残惜しは感じてしまう。
ㅤたがそんな気持ちも、チョコが小さくなることによって起こった刺激でどこかへ行った。
「んんっ……!」
ㅤチョコレートは互いに味を楽しむためだけではなく、口内を隔てる壁の役割もしていたのだ。しかしそれが溶けて小さくなり、隙間ができてしまった。
ㅤそれによってチョコを舐めるために動いていた互いの舌が触れ合うのは、ごく自然なことだった。そんなこと、予想できて当然だったはずだが、夢中になっていたことで全く意識の外にあった。
ㅤそのせいで、突然の快感に強い反応をしてしまう。身体は激しく震え、口から漏れる声は一気に快感で染まった。
ㅤだが、それで俺たちが止まるようなことはなかった。むしろ、無意識に留めていた欲望が堰を切ったように流れ出してしまった。
ㅤ驚いて止まっていた舌をすぐに動かし始め、桜の舌とチョコを存分に味わう。最初から甘いチョコはもちろんだが、そこから溶けたもので甘く染められた桜の舌は、ある意味チョコよりも甘く感じる。
ㅤそれをもっと味わいたかったが、既に小さくなっていたチョコはあっという間に無くなってしまった。それでも唇は離さない。互いの口内にはまだ甘い誘惑が残ったままだから。
ㅤそれを貪り合うように舐め合う。それは既にディープキスと何ら変わりない行為だった。いつもと違って「味わう」ことを目的としている分、より激しさがあったかもしれない。
「んっ、は……ぁ……」
ㅤそして、その味がいつもとほぼ同じものに戻ったあたりで、俺たちは唇を離した。その間に黒く染まった唾液が橋を架けている。それを桜は指ですくって自らの口へ入れた。
「んくっ……先輩、チョコレート、美味しいですか?」
「ああ。あんまりにも美味しくて、酔いそうなくらいだ」
「じゃあ、もっといっぱい食べて、二人でとろとろに酔ってしまいましょう?」
ㅤいつもより強い誘惑の色を孕んだ桜の言葉と表情。吐息に含まれる甘ったるい匂いも手伝い、俺はその言葉に逆らう気持ちなんて微塵も抱かなかった。
ㅤ俺は桜に軽く返事をして、ベッドの上へ座った。そして、桜も俺の意図をすぐに読み取り、俺の上にまたがった。
ㅤ先程よりも密着した姿勢。そのまま互いに両腕を首の後ろへ回し、ごく自然の流れのように口付けを交わした。二度、三度と唇を触れ合わせてから離す。
「今度は俺の方が食べさせるよ」
ㅤそう言ってから、小皿の上のチョコに手を伸ばす。その内の適当な一つを手に取り自分の顔まで持ってきて、軽く唇にくわえた。そして、先ほどの桜と同じように口付けを待つ。さすがに目を閉じるのは恥ずかしさがあってできなかったが。
「それじゃあ……いただきます、先輩」
ㅤ微笑みながら桜は言って、すぐに目を閉じつつ顔を近づけてきた。それと同時に俺も目を閉じた。
ㅤそして重なる二つの唇。今度は先程よりも深い。チョコはすぐに互いの口内へ飲み込まれ、二枚の舌がそれを舐め回す。
ㅤ甘味に染まった舌の味を知ってしまった俺たちは、早くそれが欲しくてチョコをちょうど良い大きさになるまで溶かした。そして、空いた隙間ですぐに互いの舌を触れ合わせる。まだそれほど大きな隙間ではないから、舌先でつつき合う程度の接触しか許されない。
ㅤそれでも甘いチョコと桜の味は十分過ぎるほどに伝わってくる。それと、何故かわからないが舌の感覚が敏感になっているせいで、最初に味わったときよりもその感触がとても気持ちいい。
ㅤチョコと混ざった唾液は信じられないほど甘い蜜となり、美味なのはもちろん、快感にすら感じられる。それが脳まで侵し始めて、その行為はどんどんエスカレートしていく。
「ちゅ……っ、ん、ぁ……」
ㅤ互いの間で舐め合うっていたチョコを、軽く舌で押して桜の口を送り込んだ。桜はそれに少し戸惑った様子だったが、なんとなく俺の考えを察してくれたのか、素直にそれを受け入れた。
ㅤそして、桜は少しの間それを味わった後、今度はさっきと逆に俺の口内へそれを返してきた。それを優しく受け止める。その時に、悪戯心でちょっとだけ桜の舌を舐めながら。
ㅤそうして受け取ったチョコを自分の口内で味わう。舌で舐めたり、軽く転がしてみたり。そうすると、桜の味に染められてより甘くなったチョコが味わえる。
ㅤ先程のように、甘くなった舌を味わうのも良かったが、逆に互いの味を纏ったチョコを味わうのも別の良さがあった。まるで、交換日記でもしているかのように、少しずつ互いに染まっていくチョコレートをやり取りすることが。
「ん……ふぁ、あ、ちゅ……んっ……」
ㅤいつもより数倍甘い口付け。アルコールの気配すら漂うその行為に、俺たちは溺れるように没頭していく。甘く染まった口内は理性を壊し、鼻をくすぐる香りは優しい毒のようだ。
ㅤ少し前から既に性的な色を孕んでいた秘め事に、俺たちの我慢が効かなくなるのはほぼ同時だった。
「は……あ、先輩、服……もう、邪魔、ですよね……」
「ああ……脱ごうか……桜……」
ㅤチョコを一気に舐め終えて、唇を離しながら言葉を交わす。俺も桜も荒い呼吸で、まるで発情してしまったかのようだ。
ㅤいや、事実そうなっている。先程から、身体が擦れるだけでびくんびくんといやらしく反応して、既にひとつになって交わっているみたいだ。
ㅤ姿勢はそのままで、何かに急かされるように上半身に着ているものを脱ぐ。下も脱ぎたいが、そうすると一度桜と離れなきゃいけない。それがイヤだった。普段ならそれくらい我慢できるはずなのに、俺たちはそれすらできなかった。
ㅤ正直、こんなの異常だ。必要以上に興奮していることも、やけに身体が敏感なのも。これはまるで──
「あのさ、桜……」
ㅤ俺は先に脱ぎ終わり、下着を外そうとしている桜に話しかける。
「はい、何ですか……?ㅤ先輩……」
「お前、こっちのチョコレートにも何か入れたか……?」
ㅤ明らかにこの行為を始めてから身体がおかしい。ただ初めてのシチュエーションだからでは済まされないほどの違和感だ。
「え、えっと……はい、その……感覚を敏感にして、性的興奮を誘発させる薬を……」
「桜、それってつまり……」
「は、はい……簡単に言って、媚薬です」
ㅤ先程の蠱惑的な表情とは打って変わり、不安げな色に顔を染めながら桜は答えた。その様子から、どうやら桜はその事実を俺に知られたくなかったようだった。
「あ、あの……イヤ、でしたか……?」
「まさか。イヤなんてあるもんか。桜が俺のためにしてくれたコトは何だって嬉しいよ」
ㅤぽん、と頭に手を置きながら答える。自分にいまいち自身が持てないところはいつもと同じだな、と思いながら。
「良かった……ありがとうございます、先輩……」
ㅤほっ、と安堵の息を吐く桜。その言葉に答える代わりに、頭に置いた手で桜を引き寄せて口付けた。
ㅤ触れた唇をちろりと舐めると、そこにもチョコの味が残っている。そのせいで、ほんの少しのキスにしようと思っていたはずが止められなくなってしまった。
ㅤ先程と同じように桜を両腕で抱き締めて、唇同士の濃厚な愛撫を再開する。桜もすぐに順応して、優しく俺の唇を受け入れた。
「は……ん、ぅ、んは……ちゅ……」
ㅤ媚薬が入っていると知ったからか、接吻はより激しいものになっていた。擦りつけるように唇を触れ合わせ、二枚の舌は蛇のように深く絡まり合う。
ㅤさらに、敏感になった感覚のせいで、触れている桜の身体がとても気持ちいい。その柔らかい胸ももちろんだが、背中に回された腕でさえ、まるで性器を愛撫されているのかと錯覚するほどの快感だ。
「んは……先輩……あの、私……もう、我慢できない、です……」
ㅤ不意に桜が唇を離して、肩で息をしながらそう言ってきた。そして、俺がその言葉の意味を理解する前に、桜は俺のズボンのジッパーへ手をかけた。
ㅤそしてそれを一気に下までおろして、その中で既に勃起していた生殖器に触れた。突然の性器への刺激で、情けない声を漏らしてしまう。
ㅤいつもより数倍以上に膨らんだ快感だ。危うく今ので射精してしまいかねなかった。
「せんぱい……もう、入れて、いいです、よね……」
ㅤその、ひどく酔ったような桜の切ない声で我に返った。桜はもう辛抱たまらないといった表情で、俺のものの上にまたがった。
ㅤそして自らのスカートの中へ手を入れて、もう片方の手も使って生殖器同士を触れさせた。恐らく、下着を脱ぐのもわずらわしくて、性器が見えるように下着をずらしたのだろう。
ㅤ触れた桜の花びらは、一度も触れていないのにも関わらず、愛液が洪水のようにあふれ出ていた。スカートのせいで見えないが、それでもはっきりとわかる程だ。
「んっ、ん、あ……ぁ……」
ㅤ桜はその濡れた自らの性器へ、俺のものを挿入させ始めた。あまりにも濡れているため、ぐじゅぐじゅといやらしい水音とともに、驚くほど容易く俺たちはひとつになっていく。
ㅤそして、それと同時に全身を突き抜けるような快感が俺を襲った。当然だ。桜の手が触れただけでどうしようもないほど気持ちいいのだから、快楽しか与えてこない桜の膣に挿入した時点で出してしまってもおかしくないくらいだ。
ㅤでもそれは歯を食いしばってこらえる。いつもなら一度出してももう一度するのくらい大丈夫なのだが、今は射精してしまったらあまりの快感に全ての精液を出してしまうだろう。
「先輩……全部、入りました、よ……」
「ああ……桜、悪いんだけど、もう動いてくれない、か……?」
ㅤ本当なら、膣をならすためにもう少し間をおいた方がいいのだが、俺の方がもう我慢できない。
「はい……いいですよ……私も、気持ちよくなりたくて、もう……」
ㅤそしてそれは桜も同じだった。桜は俺にそう言うなり、すぐに腰を動かし始めた。ぐちゅ、ぐちゅ、と淫らな音をたてながら、いやらしく反応している生殖器同士を擦り合わせる。
ㅤさすがにまだ動きは優しいが、与えられる快楽は既に絶頂寸前のそれに近い。きちんと手綱を握っていないと、すぐにこの気持ちいい時間が終わってしまう。
「あ……んっ、は……あっ、ひあ……せん、ぱい……」
ㅤ歯を食いしばって声すら出せない俺と違い、桜は遠慮せずにその可愛い嬌声を上げている。もう桜も全身快楽で染まり、恥じらいすら捨てて乱れている。
ㅤ腰だけでなく全身をくねらせながら、淫らな動きで俺に快楽を与えてくる。桜はもう我慢できないと言っていたが、その動き自体は俺を悦ばせるためのものだ。
ㅤ桜自身がもっと気持ちよくなりたいならば、遠慮せずに激しく腰を振っているだろう。それでも桜はそうしない。激しくしすぎれば、すぐに俺が射精してしまうことを理解しているから、ちょうど良い速さで奉仕してくれている。
ㅤそれは嬉しいが、桜にももっと気持ちよくなって欲しい。だから、俺は傍らに置いてあるチョコに手を伸ばした。そしてその一つをひょい、と取って口にくわえる。そのままそれを押し付けるように桜に口付けた。
「んっ……!」
ㅤ驚いている桜には構わず、その口内へチョコを押し入れた。そしてそれを溶かすように舌で舐め回す。時折、つまみ食いでもするかのように桜の口内も味わいながら。
ㅤ俺がわざわざ桜の口内でチョコを舐めるのには、ちゃんと理由があった。こうすれば、互いの口の間で舐め合ったり、口内を行き来させるよりも、より多く桜にチョコを味わってもらえるからだ。
ㅤそして、そこには当然媚薬も含まれる。そうすれば、俺よりも桜の方が感度が上がって、より気持ちよくなってくれるはずだ。
ㅤ最初は桜の様子に特別な変化はなかったが、半分くらい舐め終えたあたりで、キスの合間に漏れる声が熱を帯びてきた。そして完全に口内に甘さと媚薬が溶けきった頃には、先程とは比べものにならない程に桜は快楽によがっていた。
「あっ……はあっ、あん……!ㅤせん、ぱ……いっ、や、あ……っ、わたし……!ㅤいっちゃう……っ、や、ひとり、でっ……いっちゃい、ます……!」
ㅤだが、俺の想像以上に桜は感じていた。まだ腰の動きは遅いのに、桜の中はその言葉通りに絶頂寸前の反応をしている。俺の性器も共に絶頂させようと、きつく締め付けてくる。
ㅤ普段ならここで一緒に果ててしまいたいが、今はできない。だからその代わりにと、顔を桜の胸へ埋める。そして片方の手と口を使って、桜の動きで揺れるその乳房を愛撫し始めた。
ㅤ這わせた手は全体をわしづかみにして激しく揉みしだき、もう片方の胸の突起を口に含んで強く吸い上げる。桜はその刺激に、火傷しそうな程熱い声とびくん、びくん、と身体を跳ねさせて反応してくれる。その桜の様子に、もう限界だと俺にも簡単にわかった。
「だ、だめ……っ!ㅤせんぱい……っ、あっ、あ……!ㅤわたし、いくっ……!ㅤひあっ、あ、ふあぁぁっ!」
ㅤ大きく身体をのけ反らせると共に、生殖器をぎゅうう、と締め付けながら、桜は激しく絶頂した。思わず射精しそうになったが、なんとかこらえた。
ㅤ桜の心地よさげな絶頂と共に俺も果てていれば心底気持ち良かっただろうが、チョコレートはまだ一つだけ残っている。それを食べ終えるまで、この性交は終えられない。自分のためというよりも、今日のために準備してくれた桜のために。
「せんぱい……あの……また、うごき、ますね……」
ㅤまだ絶頂の余韻が抜けきっていないはずの桜が、不意にそう口にした。今動くのは、敏感になっているせいでつらいはずだ。
「え……あ、無理しなくていいんだぞ、桜……」
「いえ……無理じゃ、ないですよ?ㅤわたし、大丈夫です。……それに、今日は先輩に喜んでもらいたくてこうしたんですから、ちゃんと、最後まで先輩に気持ちよくなって欲しいんです……」
「そ……そっか、じゃあ、桜に任せるよ」
「はい、いっぱい気持ち良くなってくださいね」
ㅤ控えめに微笑んで、桜は再び腰を動かし始めた。そして俺も最後のチョコを口にくわえた。
ㅤそのまま引き寄せ合うように唇を重ねる。それと同時に互いの口に飲み込まれるチョコ。それを二人で愛撫するように舐め合う。
ㅤその舌使いは先程よりもかなり激しい。それもそのはず。チョコを舐めれば舐めるほど互いの感度は上がり、もたらされる快楽も強くなっていく。もう俺も躊躇いなんて皆無で、ただ桜と快楽に溺れてしまうことで頭がいっぱいだ。
「ちゅ……っ、は……ぁ、あ……ん、ぅ……!」
ㅤ一分と経たずに口付けも腰の動きも激しさを増してきた。桜と繋がっている部分の両方から、淫らな音が際限なくあふれでる。
ㅤそれに比例するように快楽は膨れ上がっていく。口で溶かされた媚薬で鋭敏になる感度と、ひたすら快楽だけを与えてくる桜の膣。
ㅤ理性なんてとっくに忘却して、心と身体は快感を得るための働きしかできない。舌は桜のチョコと舌を貪欲に求め、いつの間にか動いていた腰で膣の感覚を深く味わおうとする。
「せんぱいっ……ひぁっ、は、あんっ、せん、ぱい……!ㅤあっ、わたし、もう、せんぱいのこと、しか……かんがえられない……!」
ㅤそうしている内にチョコは全て溶けて、互いの身体は媚薬でおかしくなっていた。普段の性交の数倍以上に乱れて、すぐに限界は近くなってくる。
ㅤ悪化していく行為に、部屋の空気まで甘く染められていく。桜の濃い香りと、媚薬の混ざった甘い毒のような匂い。
ㅤそれが思考すら侵していく。チョコレートだけじゃ足りなくて、目の前の桜も食べてしまいたい。だから、無意識に加減していた腰の動きを段々と速めていく。
「ふあっ……!ㅤだめっ、あ、あんっ、や、そんなに、したら……また、いっちゃいます……!」
ㅤダメと言われても、それで止まれる程の理性なんかもうない。むしろ、そんな風に快楽によがる桜をもっと見たくて、より激しく桜を突き上げてしまう。
ㅤそれでも桜は嬉しげに甘い声をあげてくれる。それに甘えるように、最後の枷も外して激しく桜を貪る。
「あっ、だめ……!ㅤふぁっ、や、だめです……!ㅤわたし、あ、あっ……!ㅤひあっ、ひああああ!」
ㅤ二度目の桜の絶頂。一度目よりも熱い声を上げながら、俺を強く抱き締めて果ててくれた。
ㅤでも俺は腰を止めない。もう止められなかった。高まる快楽は留まることを知らずに、さらに強く桜を求めろと俺を責め立ててくるようだった。
「ひあっ、せんぱい、だめ……っ、わたし、もう、いってる、いってます、から……っ!」
ㅤそれに従って、何度も桜の奥にごりごりと生殖器を押し付ける。ぶつかる互いの肌は、ぱちゅぱちゅといやらしい音をたてる。
ㅤそれで俺ももう限界がきた。暴発寸前の精液を留めておくことに、もうたえきれなかった。
「さくら、もう、でるっ……!」
「は、はい……っ!ㅤください、せんぱいのせいえき、ぜんぶ、わたしに……!」
ㅤ膣の一番奥へ生殖器を思い切り突き上げ、溜まっていたものを全て解放した。どく、どくと何度も大きく脈を打ち、子宮へ直接精液を注ぎ込む。
「は……あ……あっ、ぁ……でてる……せんぱいのあっついの、いっぱい、でて……る……」
ㅤ桜は心地よさげに息を吐きながら、陶酔したような様子で俺を受け止めてくれている。そこへ遠慮なく精を流し入れる。
ㅤ勢いが無くなってからも、とくんとくんと緩やかな射精が続く。最後の一滴まで桜に受け止めて欲しくて、桜の身体を優しく抱き締めながら。
ㅤ俺たちは、その射精が終わるまでその姿勢で心地よさに浸っていた。
ㅤ余韻もほどほどに抜けた後、俺たちは繋がったままベッドに倒れこんでいた。本当なら結合を解いてもいいのだが、感覚が敏感になりすぎているせいで、そうしたくてもできないのだ。
「桜、ありがとう」
ㅤそのままの姿勢で、素直な気持ちを口にする。それに対して、桜は俺の胸に埋めていた顔をこちらに向けて答えた。
「いえ……喜んでもらえたなら良かったです」
ㅤ疲れているのか、その声がどこか力ない。でも、表情はちゃんと嬉しげな色で染まっていた。
ㅤそんな桜の髪を撫でてやりたいが、今はできないのが少しもどかしい。だからその代わりにと、一つ約束をする。
「ああ。桜からのプレゼント、凄く嬉しかったからちゃんとホワイトデーにはお返しをしなきゃな」
「そ、そんな……いいんです、今日のは私が好きでやったことですし……」
ㅤしかし桜はそんな風に視線をそらして遠慮をする。
「あのな、桜。こんなに凝ったことをしてもらって何のお返しもしないなんて、俺、すごく失礼な奴になっちまうぞ?」
「え、あ……」
「だから、ちゃんとお礼させてくれ。これでも俺はお前の……こ、恋人なんだから」
ㅤ未だに恋人と言うことに慣れない。そのせいで何となくしまりの無い言葉になってしまった。
ㅤそれでも桜は俺の言葉に嬉しげに答えた。
「はい──ありがとうございます、先輩。お礼、楽しみにしていますね」
ㅤその屈託の無い笑顔に、俺も自然と頬が緩む。そんな風に優しいやり取りに満足して、俺たちは一緒に目を閉じた。
ㅤそして、どちらからともなく「おやすみ」と口にして、緩やかに夢の中へ落ちていった。