バーバラはペルエレを抱えて翔竜山を少し昇り、横穴の洞窟で避難していた。バーバラの背中には、べったりとペルエレの流した血が付着しており痛々しい。
「あー……痛い痛い痛いぃ……ほんっと、こんな仕事やめたい……逃げたかった…………」
「ねーさん、大丈夫!? 今すぐ手当をするか、ら……」
ペルエレを横にして傷痕を見て、バーバラは固まった。
背中の服はざっくりと切り裂かれている。肩口から腰のあたりまで、斜めに真っ二つ。しかしそれに対して、傷があまりにも小さい。肩口から背中の中心部にかけて、バーバラを庇う為に深く切り裂かれたところは今でも血が滲んでいる。ただし、そこ以外の傷がない。確かに切られていたはずなのに。
理由はすぐにわかった。呆気に取られている間でも、じくじくと、血の滲んでいたところから傷が癒え、異常な速度で元に戻っていく。深い傷跡も、再生をするかのように、血の出る部分が何もなかったのように、巻き戻る。切り裂かれた部位を修復するように血が埋めて、すぐに元の彼女の体になる。時折、たらりと黒い血が、役目を果たしたかのように彼女の身体を伝って落ちた。
「……に、人間じゃない」
「…………言ったでしょ、使徒だって。ただの武器だったらこの程度じゃ死なんわ。そのせいで痛い思いだけはたーくさんしてきたわよ。グスッ……」
それでも痛みはあるらしい。涙目になって、ぐずって体をよじるペルエレの性質は、使徒になる前から変わらない。
人間なら、20分ももたずに出血多量で死ぬような傷だった。しかし、その半分以下の時間でペルエレの傷は完全に癒えてしまう。もう斬られた事実が衣服にしか存在しない。
しばらくすると、愚痴を止めて涙を拭いたペルエレは、呆気にとられているバーバラの目を覗き込んだ。
「……軽蔑した? 使徒って理不尽だと思った?」
「そんっ、な、こと……!」
「いや、私が理不尽だと思うから当然よ。あんたは使徒になる前の私より全然強い。でも魔人から血を貰っただけで私の方が強くなる。……ホント理不尽でしょ。使徒って」
溜息を一つ吐くと、淡々と自らの服を確認して用意していた替えの服を取り出す。ありふれた日常のように振る舞う姿は、この15年の間、少女がどれだけ傷ついてきたか、体を張っていたかが察せられる。
「その魔人だって、魔王から血を貰っただけ。魔人リズナとか、死にかけの大怪我だったのよ?病院で管があちこちに繋がれてて、それでも呼吸が止まりそうで、こりゃ駄目かなーって思ってたのがあら不思議。魔王が血を入れると健常者どころか誰も止められない魔人様に」
それは魔王の傍で幾度も見てきた奇跡、あるいは地獄の始まり。
「ちょっと硬いだけの葡萄が巨大な空を飛ぶ化け物になったり、もう魔王の血ってわけわかんないのよー。魔人になると理不尽どころかビックリ箱って感じ」
魔軍に所属し、戦争中に襲われた事も皆無ではないだろう。戦争後にペルエレ単体を狙った襲撃は何度もあった。しかしその全てを生き残り、ここにいる。両軍のスパイで、敵が圧倒的に多い人類圏に普段所属している。何故そんな事を続けるのか。
人間でなくなりながら、人間を裏切る気にならない。守りたいものがなければ、そんな動きはしない。
つまるところ、ペルエレは使徒だった。今も昔も、ずっと誰かの。
「……とにかく、人外の心配はするなってこと。あの時は逃げないあんたが悪い」
「でも! あの時ねーさん置いても切り刻まれるだけでしょ!?」
「切り札があるって言ったでしょ。じゃんじゃじゃーん。これ、なーんだ」
そう言って、ペルエレは懐から掌大の赤い球を取り出した。
「……これ、何?」
「まぁ知らんか。これは魔血魂。魔人が死んだらこうなるの。魔人には魔王の血が直接入れられてる。だからこれはその血の塊。つまり、これを飲めば魔人になれるの」
「魔人に、ねーさんが、なれる……」
魔人。たった一人で国家を滅茶苦茶に出来るような存在。憧れの人が使徒である事は受け入れていたが、そこまで来ると現実味がなかった。
「そう! 私はこれを飲めば魔人になれた。それもただの魔血魂じゃないわ。当時魔人四天王であるケッセルリンクの魔血魂。今まで見たどの魔血魂よりも大きく、きっと強大な力を与えてくれる。魔人になると無敵結界っていうほとんどの攻撃を通さないものまでつく。ソードマスターなんてけっちょんけっちょんよー! ふふふ……」
「そんなのがあるならなんで最初から、というか15年前に飲まなかったの!?」
「私が有能すぎるから使徒の身体で十分なのよ。それにこんなデカいの飲むのって勇気いるじゃない、喉につまりそうだし」
魔血魂を飲めば元の持ち主と肉体の奪い合いになる。負けた方は消滅するしかない。その事実は一切触れずに、ペルエレは立ち上がった。
(っととと……。やっぱり、もう全然か。しばらく城にこもって食っちゃ寝してよ)
一瞬、ふらついた。使徒は流した血の量に応じて一時的に弱体化する。ペルエレが受けた傷は慌てて治しはしたものの、軽くはなかった。他方、バーバラは自分の知る人が遥かに埒外の存在である事を思い知り、未だに立ち上がれない。
もう手は貸したらバレる。ぱんと手を叩き、バーバラの意識をこちらに向けさせた。
「さ、もう休憩も終わりにして移動するわよ。剣豪がソードマスターに負けてこっち来るとか勘弁だし」
「う、うん。あれ…………?」
ここでバーバラは、ショートソードを取り落としていることに気がつく。ペルエレを拾って逃げるのに夢中で、剣を回収するのを忘れていたのだ。
丸腰はまずいなと周囲を眺めたバーバラは、手元に装飾が立派なロングソードを発見する。これ幸い、当面の護身武器とばかりに拾って、ペルエレと洞窟を出ようとした時――
「ああ、その剣拾えるんですか」
どこからともなく、フードを被った人間が現れた。
「げぇっ、嫌な奴が来た……」
「…………誰この人、知り合い?」
「初めまして。勇者の従者をしているコーラと言います」
コーラと名乗った若い人間は、隣にいるペルエレを一切無視してバーバラに頭を下げてきた。
「……昔はともかく、今は翔竜山を登ると時折出てくる変人よ。使徒の前に出てくるとか良い度胸してるじゃない。魔王軍呼ぶわよ。とっとと消えなさい」
「今はそれよりも、もっと大事な事がありましたので」
ペルエレの警告に対しても視線すら送らない。バーバラから――より正確には、そのロングソードを持つ手から目を離さない。
「無理矢理持ってるわけでもないですね。それじゃあ、久しぶりに仕事の時間です。お姉さん。突然な話になりますが、勇者になりませんか?」
「…………勇者? なにそれ」
「世界に一人しかなれない、凄い人間ですよ。魔物や使徒では話にならない、ことによっては魔人や魔王よりも強くなる人類の希望です。あなたには、その資格があります」
「……よくわかんない事言ってるよこの人、変人だね」
肩を竦めて、バーバラはコーラの言うことをまともに取り合わない。
「んー……じゃあ少し簡単にしましょうか。とりあえずその剣を、地面に振り下ろしてみてください。拾ったものだし、それぐらいやってみてもいいでしょう?」
「こうかな、…………えっ?」
大して力を入れたわけではない、しかしそのロングソードは、あっさりと地面を割り割いて、深く突き刺さっていた。慌てて抜き取ると、これも硬い岩盤など無かったかのように、するりと抜ける。ぞっとするような切れ味だった。しかも、この一連の動作をするにあたって、全く力を入れる必要が無かった。羽毛のように軽く、バーバラにとって非常に扱いやすいと感じられる剣だ。
「…………凄い」
「そうです。凄い剣でしょう? ……ただ、この剣を所有するには一つだけ条件があって、勇者になって欲しいのです」
悪魔の囁きというのは、それ以外の言葉が聞こえなくなるという。この人間は悪魔ではないようだが、間に余人が言葉を挟めない雰囲気を纏っていた。
「この剣はエスクードソードといいます。勇者だけが扱える、勇者のための剣です。持てるという事は、貴方は勇者になれる資格があります」
「ただ持つだけなら、勇者にならなくていいってこと?」
「普通は、まだ勇者じゃないのに持てる方がおかしいんですがね。色々おかしくなってますね。……とにかく、勇者一人のための剣である事は変わりません。勇者にならないなら、元のところに返してください」
「ん……レア剣なのは間違いないから、勿体なくは感じるね。この山、人間は全然来れないでしょ」
「ここまで来れるという事が、勇者の資格なのかもしれませんよ。だから、貴方は選ばれたのでしょう」
それとなく剣と、持てる人間を持ち上げる。普段褒められ慣れてないバーバラからすれば、世辞が混じってるとしても、悪い気はしなかった。
「……それで、勇者って何をするの? 話半分で聞いてあげるけど」
「人類の救世主。唯一の人の希望です。神から強大な力と、様々な特典を与えられて、魔物達から人を守ります」
「ふーん……力とか特典とかは魅力的だけど、人を守らなきゃいけなくなるの?」
「あくまで勇者の意思ですね。歴代の勇者は魔王を倒そうとしたものから…………ただの人助けだけで終わったお人好しがいます」
その時だけ、一瞬コーラは目を逸らした。
「義務も特にないのね。それはなっても得だけで、損はなさそうね」
「そーですね。そういうものではあります」
二人の世界の中で、とんとん拍子に、勇者というものに試しになってみるという流れが作られつつあった。しかし、そこでいつまでも黙っていられるような使徒ではない。魔族は人間の邪魔をするものだ。
――――何より、コイツは大っ嫌いだ。ペルエレは意を決して、この流れを妨害せんと口を開く。
「ちょっと待った。前の持ち主はロクでもない殺人鬼よ。その剣を使って人類殺戮をした最低最悪の男だった」
「剣が選んだ勇者の選択です。剣も、私も何も言ってません」
「…………それで、あんたが何度となく私達の邪魔をしたのは?」
「勇者の従者ですから。従者として、やるべきことをやっただけですよ」
いつにない本気の――激発した怒りを込めてコーラに掴みかかる。使徒の血の顕現か、虹彩に普段ない赤色が混じっていた。
「……ローレングラードの人間を残らず消し飛ばしておいて、よくも言えたものね!」
「あれはゲイマルクの決定です。私はそこに何の意見も挟んでいませんよ」
「あんなもんっ……人が使っていいモノじゃない! 私以外全部掻き消えた! 周りにいた人が、残らず、みんな……勇者なんてっ、クソしかいない!」
「爆弾を作ったのはゼスでしょう。人が作った、人の武器ですよ。魔物破壊爆弾の方はあっさり使われたらしいじゃないですか。……そろそろ放してください」
そう言って、コーラがとんと胸を叩くとペルエレは座り込んだ。
――立てない。力が、入らない。何かをされた。でも分からない。
「あなただって、ただの人間だったじゃないですか。魔人から血を貰って、強くなって、人類の敵になった。だからあの爆発に巻き込まれても、生きてたんでしょう? 他の人にも、こういうチャンスがあってもいいと思いませんか?」
「………………っ……!」
ペルエレは、返答に窮した。いや、答えられなかった。もう口を開くのも、辛かった。
あの時は、失った人は、もう戻らない。種族が違うから、自分だけが残された。もしそうじゃなかったらなんて思ったことは………………ない。
「なんで…………」
「無理をしてたという事です。彼女は血を失ってボロボロですよ。立って、歩いてるのがやっとだったんでしょう。先程の戦闘で、誰かを庇ってね」
「……………………!」
「誰かを守るというのは、大変ですねー。強い使徒でも、お荷物がいれば魔物相手に死にかけるんですから」
バーバラのエスクードソードを持つ手に、力が込められる。全て自分が弱いから。
自分が冒険者の仕事を一人でこなせないほど、臆病だったから。
「…………二つ聞きたい事があるけどいい?」
「どうぞ」
「あなたは何もしない。勇者の方針に従うだけの人ってこと?」
「そうです。私は勇者のやりたい事を実現に近づける人間。主は勇者で、私は従者です」
「剣とか勇者には何かおかしなところは無いの?」
「プラスはありますが、マイナスはありません。少なくとも、本人の精神に影響を及ぼしたりするものは一切ありません」
「……………………」
これまでの情報を整理する。前の勇者はとんでもない男だった。世界に大迷惑な事をしたのだろう。ただし、他の何が悪いという事はなかった。結局のところ、剣が悪いのではない。持つ人次第なのだ。
「最後にもう一つだけ。どうやったら、勇者になれる?」
新しい幕が開く。ほんの僅かな高揚を隠して、コーラは事務的に答えた。
「簡単です。その剣を持てる人が宣言すればいい。勇者になるとね」
「…………そう」
もう弱い、守られるだけの自分はやめよう。強くなれるチャンスがあるなら、取らない方が駄目だ。
(ねーさんは……私より弱かった時があるのに、私を守ってくれた。私もそうなれなきゃ、今の自分も守れない)
決意をもって、バーバラは宣言する。エスクードソードを掲げて、かつての勇者がしてきたように。
「私はバーバラ。私は勇者になる! 前の勇者達とは違う、新しい勇者に!」
――――そうして、バーバラは勇者となった。
「おめでとうございます。これよりあなたは、
確かに勇者と言っていた。でも全く違う意味で、勇者と呼ばれた気がした。
だが、これはもう関係ない。全てを決めるのはバーバラで、勇者というものをどう使うかはバーバラ次第なのだから。
人破壊爆弾
ランス6より登場。魔物破壊爆弾と共に生成された偶然の産物。魔物破壊爆弾はカミーラダークからゼス国民を守る為に魔軍のど真ん中で使われた。人破壊爆弾の方は危険すぎて封印対象。
第二次魔人戦争において、ヘルマン侵攻担当のルメイ将軍はこの爆弾を落とそうとしていたが、失敗して死亡した。
効果範囲内の「人間だけ」を消滅させる爆弾。
ゲイマルク
前勇者、クズで賢い勇者。勇者災害と呼ばれる人類殺戮を起こした史上最低の勇者。
この二次創作では人破壊爆弾を用いて大都市ローレングラードの人間を消滅させ、人類死亡率を30%に到達させた。
他にも散々な悪事をして50%到達の準備を整えたが、あと少しというところで魔王ランスに気づかれて死亡。死ねない化け物として復活して再死亡。その後、永久の生き地獄に苦しんでいたところをエールの慈悲によって消滅している。
ローレングラード
ヘルマンの首都、ランク・バウの西にある大都市。
ランス達がヘルマンの魔物大将軍を殺そうとした場合、一体の飛行魔物兵を無視すると全ての人が掻き消える。戦況報告にも乗る。
奇しくも、ゲイマルクは強奪した人破壊爆弾をこの都市に対して使用した。
爆発する直前と直後の景色は、ペルエレだけが知っている。
きっと一生忘れない。
エスクードソード
勇者の剣、人類が死ねば死ぬほど強くなる剣。
この剣を持てるのが勇者の証であり、勇者にしか持てない剣。
勇者災害の際には刹那モードまで到達し、魔人を殺せる剣にまでなった事がある。本二次創作では、RA15年現在でも到達中である。
『ゲイマルクの消滅、非消滅を問わず、エスクードソードについて消滅の記述はない』という状況を拡大解釈、勇者システムではなく、ゲイマルクの消滅だけしかエールによって行われていないという設定になっている。
バーバラは所有者不在となったエスクードソードを拾い、勇者となった。