逃げる。
森の中を疾走し、木々の幹に飛び移り、傾斜のきつい勾配を駆け下りる。
勇者バーバラは後方にあるものを全力で振り切ろうと、あの手この手で走り回っていた。
しかし、後ろを振り向けば絶望が見える。
「……ッダメ! どうなってんのあれ!?」
追跡者が、追ってくる。その正体は輝く光球だ。
意思を持つ光が、上空からバーバラの背中を追いかけていた。
光球そのものに破壊の力はない。ただピカピカと光るばかりだ。しかしそれが陽の光が差さないヘルマンにあっては何よりも目立ち、バーバラの位置を森の中でも顕著に教えていた。
攻撃しても駄目、魔法を撃っても駄目、逃げても隠れても見逃さない。バーバラの努力を嘲笑うかのようにこちらの位置を教え続けている。
エールが最初逃げるのを良しとして、チャンスを与えるだけ温いと思った。過ちだった。
実際は逃げられないと確信しているから弄ぶつもりだったと悟り、今更ながら歯噛みする。
「あいつ、いつか絶対ボコってやるー!」
悪態をつくが事態は何も変わらない。
逃げても丸分かりではいずれランスに追いつかれる。あの身体能力を相手にして追いかけっこは無理だろう。
「さてさてどうしますか、ポンコツ勇者」
「あんたいやに上機嫌ねえ!」
「勇者は窮地の時こそ活躍するので、従者として期待してるだけですよ」
この高速移動の中でも、従者はあっさりついていく。軽口を叩く余裕すらあり、何故戦わないんだと責めたくなる有様だった。
「ピンチって言っても、こんなのもうどうすりゃいいってのよー! エールとランスとか、まとめて相手に出来るわけないでしょお!」
ウラジオストックではエール相手に逃げ回り、ランス相手には遊ばれた。勝負として成立しようがない。抵抗するしかないが、するだけ無駄な戦いになる。
そんな感じでバーバラが頭を抱えながら逃げ回る中で、並走する影が増えた。
「主様、こちらにおりましたか!」
「アキラ、待ってたわー!」
バーバラは破願する。毎日のように自分を苛め抜くサディストではあるが、今この場においては最も頼りになる従者だった。
「見ればわかるけど、追われてるのよ。ランスとエールがこっちに来ちゃうの。私の足だと多分追いつかれる。なんとかならない!?」
「なるほど、では僕に足止めをお命じ下さい。相手が誰であろうと時間を稼いでみせましょう」
「さっすがアキラ、すっごく頼りになるわー! それじゃそれで!」
打てば響くような答えが来たのに満足し、全面的に同意する。
ただ、そこから続く言葉は意外なものだった。
「畏まりました、では主様が戦う敵をお選び下さい」
「………………はい?」
バーバラは、足を緩めて立ち止まった。
「…………戦うの、私?」
「はい、僕が足止めをするとしたら、あくまで主様が戦える状況を整えるためです。露払いとするには、あの二人は強すぎますしね」
「そんな事言わずにまとめて止めてよ! 主のピンチなのよー!?」
縋りつくバーバラに対して、アキラは首を振る。
「申し訳ありませんが出来ません。主様より目立つのは従者の分を超えてしまいます。この場合、僕だけが戦ってしまえば主役が変わってしまいます」
「主役とか、そんなのどうでもいいから! この状況をなんとかするのがなにより大事よ!」
「どうでも良くはありません。もしここで僕がやりきってしまえば『僕の力を利用する主様』ではなく、『僕の力に依存する主様』になってしまいます。それだけは許されないことです」
「ああもう、わけのわかんない拘りねー!」
理解不能の理屈ではあったが、その黒き瞳には少しの揺らぎもなかった。バーバラも説得不可能と悟らざるを得ない。
勇者の焦る様をよそに、コーラから愉快そうな声が飛んでくる。
「私としては、二対二の戦いを見るのも悪くないんですがねー」
「戦う気の無い奴は気楽でいいわねぇ!」
「従者ってそういうものなんです。ほらほら、このまま時間切れでいいんですか?」
「ぐっ……うぅ……!」
可能ならば、通り一遍の文句を愉悦顔の従者にぶつけてやりたかった。
だが、バーバラに残されている時間は少ない。嫌な条件だろうが飲むしかない立場だ。
「……あーもう、わかったわよ! 戦えばいいんでしょ!?」
「やれやれ、やっとですか」
「うるさい、どうせやるなら徹底的にやるわ! あのエールにギャフンと言わせてやる!」
バーバラはエスクードソードを握りしめ、ヤケクソ気味に従者達に指示を飛ばす。
「アキラはランスの足止め! 今すぐランス達のところに行って! 少しでも時間を稼ぐの!」
「はい、では行って参ります。通すのはエール・モフスでよろしいですね」
「良くないけど、やれるもんならやってみなさい。あの戦闘狂だけ引き剥がすなんて離れ業が出来るならね!」
恭しく頭を上げたアキラは、穏やかに笑っていた。
「ああ、それなら簡単ですよ。では」
その声を最後に、音もなく消える。
バーバラに認識する術もない。修行で伸びた今でも全く力の底が見えない女だった。無用の心配であると確信し、確実にエールだけは来るんだろうなと憂鬱な気分にさせてくれる。
これでエール・モフスとの戦闘が確定した。戦うための準備をしなければならない。
「……コーラはついて来て。戦わない分使い倒してあげる」
「はいはい、でもどこに行くんですか?」
答えはすぐに返らなかった。バーバラはゆっくりと周囲を眺めていた。
深く広がる森林を仰ぎ見て、すぐ傍にある大樹に寄りかかり、どこか諦めたように声を出す。
「どこというより、広く使って戦うわ。相手が追う立場ならやれる手がある。やりたくなかったけどね……」
バーバラも考えてはいた。追跡用の光球を認識した時点で追いつかれる事を察し、それでも他の手段で振り切ろうとしていた。真っ先に思いついた作戦は、やるべきではないと考えていたから。
それでも状況が悪化すればやるしかない。思いついたんだから仕方がない。
これからやるのは
「やり口は前と一緒。ただし私は後先考えないでいくから」
バーバラの手の中から、魔法の光が躍る。
詠唱と共に、掌の中にある熱量が増していく。
「バーバラ、まさか……」
「これから森を燃やすわよ。ありったけね」
魔人級、それは単身で戦局を変える力の化身。
戦闘前の準備ですら、環境破壊は避けられなかった。
「がはははははははははは!」
「がははー!」
親娘二人が道なき道を行く。
雑草、太い木の根、絡まった茂み、目の前にある邪魔なものを時には軽やかに飛び越え、時には蹴っ飛ばす。長田の抗議など馬耳東風。重い遅いと戦力外の烙印を押して森を突っ切っていた。
目指すは空中に輝く光球。そしてその直下にいるバーバラの捕縛である。
エールは成果が自慢したくて仕方がないらしく、度々ランスに声をかけてくる。
「ねーランスランス、ボク偉いでしょー」
「うむうむ、お前は他の奴等と違って親孝行な娘だ。褒めてやろう」
「ふふーん、後はバーバラを倒すだけだね。楽勝だよ」
「そして俺のハーレムがまた完成に近づくのだ! がははははははは!」
二人は仲良く語り合う。その未来は一人の少女にとっての不幸そのものだったが、当の本人達には知ったことじゃなかった。
気づけば双方の兵がいる戦域から遥かに遠ざかり、事態は単純化して、二つの未来だけがある。
ランス達が勝利して、勇者バーバラを手中に収めるか。
勇者バーバラが勝利して、身の安全を確保するか。
この未来に関与できるのは、ランスとバーバラと、
「――――そこまでだ、ここで止まってくれないかな」
ランスの前に立ちはだかった、このアキラぐらいだ。
「へ、変態……!」
「お、美人じゃないか! これは80点台間違いなしの大物だぞ!」
ランスは律儀に立ち止まる。まずは品定めからだ。
黒髪黒眼、文句無しの美少女だ。軽装の聖騎士を思わせる白を基調とした装備は本人の素材を良く引き立たせている。ミニスカートの長さもいい。少し動けば見えそうで、男のチラリズムというのを心得た絶妙な塩梅だ。男を興奮させるような着こなしでありながら、僅かながら貞淑さすら感じさせる。
「ぐふふ……いいぞ、いいぞ……! 君はなんて言うんだ!?」
結論としては、目の前の美女は余裕でセックスしたい女だった。
じろじろとした不躾な視線を前にしても、アキラはむしろ嬉しそうに笑い、
「ふふっ……今はそうだな、元勇者のアキラと名乗らせて貰うおうかな。現勇者バーバラ様の先輩にあたるね」
「元勇者か! うむうむ、勇者はクソだが女勇者はいいぞ! 大歓迎だ!」
アキラが黒剣を構えて、ランスに向ける。
「そんな元勇者が魔王の前に来てるんだ。用があるとしたら一つしかないだろう?」
「ほう、俺様の命か」
「ま、そんなところだね。一騎討ちの申し込みだ。怖いかい?」
「まさか。むしろわかりやすくて好きだぞ」
ランスもカオスを抜く。
そのまま足を進めようとしたところ、エールも前に出た。瞳には戦意が漲っている。
「ボクにも戦わせてよ。前のは何かの間違いだったって証明してやる」
「ふむ、まあ素直に1対1でやる理由もないが……」
どうしたものかと視線を向けると、アキラはくすりと笑った。
「そういえば、僕は強い男が好きなんだ。もし1対1で勝てる男がいるなら、惚れてしまうかもしれないね。ハーレムに入れとか言われても、首を縦に振ってしまうだろう」
「乗った」
ランスはエールを押し退ける形で、ずいっと前に出た。
「エールはバーバラを捕まえてこい。俺はこいつに勝ってから行く」
「ちょ、ちょっと待ってよ。絶対嘘だよこれ!?」
「うるさい、これはリーダー命令だ。神聖な決闘を邪魔するのは許さんぞ」
子供でも嘘とわかるような都合のいい虚言だった。それでもランスは乗ろうとしている。
リーダー命令と言われてはエールもこれ以上言い返すことはできない。不満気にランスを睨むぐらいだ。
「さっさと行け。それとも俺様が手柄を独り占めするのを見ていたいのか?」
「ランスのバカ! 後で負けてても知らないからね!」
「がははは、俺様が負けるものかよ」
エールはぷんすかとむくれて、光球の方へと駆けて行った。
森の中にはランスとアキラ、二人の影だけが残される。
双方の距離は魔法使い有利と言えそうなものだが、ランスにとっては半歩必殺の距離だ。なのにアキラは構えも取らず、悠長に言葉を弄する。
「感謝するよ。やはり魔王ランスは男の中の男だね」
「当然だ。俺以上の男など未来永劫存在せんわ」
「いや、実際助かったよ。あの子も中々強くてね、二人じゃ全く勝ち目が無かった」
大仰に肩を竦めたり、間合いの外であるような立ち振る舞い。隙だらけだ。
それでもランスは踏み込まない。その代わりに一歩、一歩と大股で距離を詰める。
「それはないな」
「まあそうだね。そもそも魔王を相手にするのだってどれだけ時間を稼げるか……」
「お前、エールじゃ相手にならないだろ。その気になれば簡単に殺せるぐらいの差があるな」
アキラは目を見開いた。
「……何でわかるんだい。こっちは色々隠してるんだけど」
「なんとなく、だな。さらに俺より弱いって気もするぞ。ぐふふ……」
粘つくような視線は、勝利の先にあるご褒美を確信したものだ。つまり本当の彼我の差を正確に理解されている。
アキラは自分のステータスに関しては細心の注意を払っていた。殆どの人が見れないものでも、欺瞞を用意し自分の強さが見えないようにしていた。剣士として無形を基本としてるのも、技量を見破られないためだ。
しかし全ての努力の甲斐なく、ランスには見抜かれている。
こうなるともう、システムでは説明しきれない本人の素質によるものと断じざるを得ない。
「いやはや、野獣のような男だね。これはとても辛そうだ……手札をどれだけ隠せるか……」
「がははははは! それでは、いざ勝負だ!」
「ッ!」
背中に走る悪寒に従い、アキラは大量の札を取り出す。欺瞞の為に無視した距離が、今では仇になっている。
「とーーーーーーーー!」
「式神展開、まずは蛇だ!」
一瞬にして双方の間合いが詰まり、戦いが始まった。
森は、燃えていた。
緑豊かな景色を黒く染めんと、熱と火が攻めてくる。炭化した土地が煙の中に垣間見え、そこに潜む熱も尋常ではない。視界を遮るための樹木は燃え落ちているが、代わりにそれより一層濃い白煙が厚く視界を塞いでいる。
熱と白煙が支配する世界が、エール・モフスの目の前に広がっていた。
「へー、鬼ごっこにここまでやるんだ。放火はいけないことじゃないかな、くすくす……」
若干感心しつつも少女は怯まない。燃え盛る火の勢いを眺める姿は愉快そうですらあった。
追跡用の光球は煙を貫いて先に輝き、勇者がいる事を伝えている。最早二人の距離はそう遠くはないだろう。
ただし、その間には森林火災が塞いでいる。中の熱気は人が生き続けられるものではなく、迂回するのが正解と言えた。
「ま、やることは一つだよね!」
しかしエールは煙の中に飛び込んだ。
中の熱さは尋常ではなく、痺れすら走るような熱気が体を覆う。レディチャレンジャーの耐火性を以てしても、炎上と言えるような状態になるのに時間はかからない。
だが、それだけだ。この程度は高レベルの魔王の子にとっては屁でもない。一般人なら為す術なく焼かれて死ぬが、エールには十分な体力がある。神魔法もある。抜けてしまえば問題ない。
エールは空に輝く光球を目印にして火の中を駆け抜ける。あれだけは煙の中でも問題なく認識が出来る。見上げる仰角は上がりに上がり、敵手はすぐ近くにいる事を教えてくれる。
「えっ……この、近く?」
そしてここで、エールは違和感に気づいた。
バーバラが近くにいるにも関わらず、周囲の火の手が全く弱くなっていない。
これでは放火犯は自ら焼かれている事になり、逃げると言うよりもむしろ――――
「――――ッ!?」
思考が行き着く前に、地を這う斬撃が答えだった。
光球を見上げるエールにとってはまさしく死角。煙に紛れた刺突が跳ねあがり、脇腹を狙う。
「く、ぐううっ……!」
エールは直感だけで倒れるように身体を捩って躱す。それでも剣先が掠り、血飛沫が舞った。
「なんで避けられるのよ! 一撃必殺のつもりだったのに!」
未だ態勢整わぬ少女に、バーバラは容赦なく追撃する。
転がったところを狙った振り下ろしは止められた。連撃に繋げるが巧みな体捌きによって凌がれ、その間隙を縫うように足を薙ぐ一閃まで放ってくる。
機動力を奪われる事を嫌ったバーバラは飛び上がることで躱し、左手をエールへ向けて翳す。
「ファイヤーレーザー!」
「ば、バーバラ…………!」
巨大な熱線が少女の身体に突き刺さり、炎柱が巻き起こる。
完全詠唱での威力重視、躱しようのない状況下に持ち込んだ一撃、しかも炎上状態でダメージ倍、猛烈な業火がエールを襲う。流石にたまらず痛みにのたうち回るが悪手でしかない。
後方に飛び退り、自身も炎上状態にあるバーバラは詠唱を続けている。即座に次弾を放つ気満々だった。
「ファイヤーレーザー!」
「ば、バリア……うぐうぅぅぅっ……!」
「火爆破! ファイヤーレーザー! あはははは、先手必勝よ! 死になさい!」
バーバラは炎熱線と猛火を次々と打ち放つ。流石に現在進行形で燃やされながら詠唱するのは苦しいらしく、エールより回転効率が速い。こちらは撃ち放題で、泡を食った相手はまともな対抗策が取れない状況だ。
「このまま火達磨にしてあげる! 罠に踏み入ったマヌケにはそれがお似合いよ!」
バーバラの作戦は一つだ。
奇襲して炎上状態にしてハメ殺す。その為に炎上空間に相手をおびきよせる。
同格同士でまともに戦うなんてまっぴら御免。正統派な戦いなんて犬に食わせろ。
後に放火魔と罵しられようが構うものか。バーバラは意地でも勝つ気だった。
熱線と業火の中でエールは見悶える。如何に魔法抵抗値が高い魔王の子と言えども、この状況下では辛いか、腰に手を当ててくの字に曲げている。
(お、まさか倒れれくれる!? ザンスよりは弱いはずよね! 魔王の子だって少しは弱い奴がいてもいいはず!)
ほんの僅かな期待を持ちながらも、次の詠唱を緩めない。
はたしてその判断は過ちだった。エールは姿勢を低くすると、バーバラへと疾駆する。
「あああああああっーーーーー!」
「やっぱり駄目かっ! つくづく魔王の子って人間じゃないわー! ファイヤーレーザー!」
物凄い勢いで迫り来るエールに熱線を打ち放ち、後ろへ飛ぶ。
魔法剣士は間合いを自由に選べるのが長所だ。相手が前に出るならば下がれば有利な状況が維持される。
しかし今の熱線は効果が薄かったらしくすぐに炎柱の中から顔を出す。後ろに下がるバーバラと前に突っ込むエールでは必然的に距離は詰まる。
「ファイヤーレーザーっ……ばっ、
「何度も大人しく喰らい続けるかぁ!」
次弾はバーバラでも明確に理解出来るレベルで凌がれた。
エールは聖刀日光を舐めるように振るって熱線の着弾を受け、魔法障壁で余波を受け切っていた。剣技と魔法の見事な融合であり、あれでは大してダメージを与えられていない。
一発、一発撃つ毎に対応力が上がり、瞬く間に距離が詰まる。バーバラが築いた有利な状況は真正面から食い破られつつあった。
「喰らえーーー!」
「まったく、もう!」
大上段から振り下ろされた日光が、エスクードソードと噛み合った。
両者の刃が軋みを上げ、殺意と視線が至近距離で衝突する。
「よくもやってくれたなあ! 散々汚い手ばっかり使って、良心はないの!?」
「あんたが追ってこなけりゃやる必要はなかったわよ! 遊びで他人の人生を弄ぶな!」
「そもそも攻めて来たバーバラが悪い! ボク達の冒険を邪魔すればそうなる!」
「はっ、盗賊稼業で人々を苦しめといて良く言うわ! やりたい放題やってるだけじゃない!」
「何も間違ってない! ボクは魔王を倒して世界を救ったヒーローだ! 東ヘルマンは悪の国家だし、ボクのやる事は常に正しい!」
「ぐぬぬぬぬ……なんで、こんな力があって! こんな自分勝手なのよ!?」
力と意思の正面からの鬩ぎ合いは、小柄なエールに分があった。バーバラが渾身の力で押し留めようとしても、刃が少しづつ自分の近くに寄る。
これがlv300魔王の子の馬鹿力。前衛組では一歩劣るエールでも、lv79の逡巡勇者を上回る。
未だステータスの基礎能力では、抗いがたい差があった。
(落ち着いて……! アキラよりはマシ! アキラよりはマシ!)
散々苛め抜かれた従者との日々を思い返し、バーバラは自分を奮い立たせる。
理不尽なステータスの暴力は散々味わった。それに対抗する為に散々苦しむ羽目になった。血と涙の数だけ、今のバーバラには実戦経験と手札が備わっている。
今は剣を持つせいで両手が塞がっているが、ここから打開する手段なら存在する。
詠唱破棄魔法、魔法攻撃の出番だ。
「大人しく力勝負なんてやってられないわ! これでも喰らえっ!」
手の中から光がまとまり、エールの無防備な腹部に突き刺さって小さな爆発を産む。威力は低いが速射性と察知の困難さが効き、僅かながら日光の圧力が弱まった。
これを機と見たバーバラは右手側に踏み込み、お互いの剣を流して蹴りを放つ。狙いは先の奇襲で傷をつけた脇腹だ。
「ぐっ……!」
蹴りを喰らったエールは吹っ飛び、二度、三度と転がる。
今のバーバラの蹴りは岩石ぐらいは容易く砕く一撃なのだが、すぐにエールは立ち上がろうと体を起こす。
「まったく、本当頑丈ね。でもこれで少しは……?」
バーバラの眉根が寄った。起き上がったエールの腹部に傷が無い。
先の奇襲による一撃は致命傷ではなかったが、そう簡単に出血が止まるような傷でも無かった。それが蹴りによる痣の跡しか見えなくなっている。
「あんた、まさか本職はヒーラーなの!?」
「ボクは法王の子だ。これぐらい楽勝さ!」
「なんて、面倒臭いっ……!」
バーバラは奇襲の失敗を悟り、歯噛みする。
相手が優秀な回復魔法の使い手ならば畳み掛けるべきだった。最初の炎上攻撃もエールが腹部を塞ぐまでの時間稼ぎになってしまった。
改めて見れば、与えたはずの火傷が幾つか治療されている。下手をすれば炎上空間で待機していたバーバラの方が多いかもしれない。
後悔している暇は与えられない。エールは先程よりも獰猛な笑みを浮かべている。戦闘狂ここに極まりけりだ。
「さーて、じゃあそろそろボコボコにされよっか。覚悟はいい?」
「ぐっ、うぅぅぅ……」
策は尽きた。
敵は体力を回復する手段があり、力も速さも上だ。勝てる算段などありはしない。
それでもバーバラが行く道は前しかない。勝たなければ悲惨な道しか残っていないのだ。
「…………まっぴら御免よ! あんたが沈め!」
「ふふっ、やっとまともな戦いだー!」
バーバラが突撃し、策も何もない斬り合いが始まった。
二人の少女が躍り、周囲の業火より遥かに熱い剣戟が繰り広げられている。
剣が噛み合う度に光が瞬き、様々な魔法の光が周囲を照らし出す。遠ざかっては近づき、噛み合えば離れる。
魔人級同士の決闘は、さながら二つの星のようだった。
「…………もう終わってますね、バーバラの負けですか」
しかし、二人の戦いを離れた場所から眺めたコーラはそう結論を下した。
双方の体力は十分にあり、戦いはまだまだ続くと言えるような状態だ。にも関わらず、コーラにはこの戦いが通過儀礼のための作業にしか見えなかった。
「エール・モフスは戦いながら体力を回復している。ポンコツ勇者は回復する手段がなく、有効打も与えられない。このまま体力を削られてお終いですね。まったく、働き甲斐の無い主です」
今回もコーラは働いていた。使い倒されたと言っていい。
バーバラが戦う舞台として用意した炎上空間も粗方はコーラによるものだ。ただ知識も技術もない無軌道な放火を調整して、奇襲しやすいように演出した。限られた時間の中で勇者の戦う舞台を演出するのは面倒だった。
エールの接近時期を知らせたのもコーラだ。ただ煙に巻かれているだけではバーバラも接近を察知出来ない。姿を隠して突入したのを見計らって合図を送っていた。後はバーバラがコーラの方向へ突進する事で、奇襲は完成した。
そしてもう一つ、最初に出した最優先の指示がつい先ほどまでコーラを奔走させていた。
『私は後先考えないけど、コーラが後先考えて』
『はい?』
『放火はするし森も燃やす。エールを倒す為に仕方ないけど、それ以外に迷惑はかけられないからコーラが食い止めるの。特に山の方に向かわせちゃ駄目、あっちには置いて来た人達がいる』
『ここで火を放てば制御は難しいですよ。風向き的に山に行きそうですが、それは私にはどうしようもありません。それでも止めろって言うんですか』
『出来ないの?』
『…………まあ、不可能じゃありませんが』
『じゃあやって。それが
こうして、コーラは山火事と真正面から喧嘩する事になってしまった。
延焼の対策としては燃えるものを無くすに尽きる。この場合は森林全部であり、森から一定の範囲を切り倒して、あるいは塵に変えて防波堤のような空白地帯を作ればいい。それによって山脈側への火勢の到達を遅らせる。
従者としては目立ちたくはないが、今のコーラに出来る手段としてはこれぐらいだ。やれと言われればやるしかなかった。
もしこの一帯を俯瞰出来る者がいるのならば、山火事を防ぐよう剥げ道が何段も出来ているのがわかるだろう。やはりコーラの仕事も人のそれではない。
「あーあ、急いで仕事を終わらせて来たら消化試合って、思ったよりがっかりしますね。アキラがいやに自信満々だったけど、目が腐りましたか」
ただ、そのせいで戦いの大半を見逃した。従者という役割に縛られた結果、一番の演目を見逃す羽目になってしまえば不機嫌にならざるを得ない。
間に合ってみれば、ただ愚直に体力の削り合いをしている勇者と魔王の子だ。しかも負けてる方が慎重に戦っていれば欠伸の一つでもしたくなる。時間だけは無駄にかかる。
予定調和で、何もかもで思い通りで、そしてつまらない。
コーラにとっては眼下の戦いよりも、ぽつりと落ちた雨雫の方がよっぽど興味を惹いた。
「おや、天候システムが働き始めた。これはいよいよ詰みかなー」
神異変下でも天候等の環境を管理するシステムは働く。
この大陸は娯楽の舞台だ。娯楽として見られていない状況下では無駄な環境の変化を望まない。今回のように山火事が起きると、反作用として鎮火の為の雨が降るのが仕様だ。
山火事相手にコーラがやったのは時間稼ぎだけだが、その時間稼ぎで十分だった。
空から落ちる雫が瞬く間に増え、優しい雨が炎を消していく。バーバラの有利が消えていく。
最後の拠り所を失った勇者の動きがまた落ちる。落胆を隠せずに、コーラは毒を吐いた。
「……そもそも殺す気の無い剣で、本当に勝てると思ってたんでしょうか」
均衡が崩れつつある。
終わりは近い。
「はぁっ……はぁっ……!」
勇者バーバラは、崩れ落ちそうな身体をなんとか起こした。
頭上から迫る鋭い斬撃は受け切れず躱しきれない。対処を誤れば即座に終わる。
「ええーい!」
刀の軌道を前から掻い潜らんとして、胴から頭に変わった斬撃を体を倒す事で避ける。だが肩口からまでは躱しようがなかった。
絶対に当たると悟ったバーバラはエールの効き腕を断たんと剣を振るう。
「ぐぅぅっ……!」
「いたた、あっぶないなー」
結果として、バーバラは腕に深手を負い、エールはステップで躱して皮一枚で留まった。
足を奪われつつあるバーバラは、常に不利な交換を強いられている。血の止まらない傷を幾つも貰い、動きは鈍い。
(……強い)
それでもバーバラは起き上がって剣を構える。
いつものバーバラならとっくに弱音を吐いて降参している。命だけは助けてくれと命乞いをするだろう。
だがそれは、ランスにまた犯されるのを認めるようなものだ。認めたら自分が許せなくなる。
例え勝ちの眼が一厘もなくとも、少女の心は徹底抗戦を叫んでいた。
その結果がこの持久戦だ。不利は背負い続けても負けの瞬間だけはひたすらに伸びている。
さしもの粘りに、エールも若干呆れたような声を出した。
「まさかここまで時間がかかると思わなかったよ。どうやったの?」
「…………努力、よ。頑張ったのよ」
「ふーん……ま、遊びから戦いになった程度の努力だけどね」
(…………強い)
軽口を叩く間にも、隙がない。
前回は遊び相手扱いだった。だから強さが本当の意味で良くわからなかった。
だが長期戦をやった今では、身体が悲鳴を上げるほど理解させられている。
エール・モフスの長所は、身体能力よりも総合的な戦闘力と技巧にあると。
扱うのが難しい日本刀を容易く使いこなす技巧、攻撃と魔法を綺麗に繋げるセンス、行動選択の戦略性、体術や防御術まで習得している豊富な手札の数……
エール・モフスは、幼い頃から戦闘特化の冒険者となるべく育てられた存在だった。
魔王退治を宿命づけられた魔王の子は、伊達ではない。
「まあそろそろつまんないし、終わりにしよっか!」
「――――ッ!」
爛々と目を輝かせ、エールが迫る。
一瞬だけ目線で惑わして下段を狙った斬撃にバーバラはたたらを踏みつつ対応する。エールは体を回転させ、後方に回り込むように斬撃を放った。
「エール懸りの剣だー!」
「なななぁっ……!?」
今までの剣の理に反する非効率の塊の行動。一瞬背中を向けているのが見える時点で明確な隙を持つ熟練度の低い技。だがしかし、それを突くだけの余裕が今のバーバラにはない。
回り込んで体重を乗せた一撃は激烈だった。止めの剣が完全に吹っ飛ばされ、バーバラは無防備な身体を晒す。
「雷撃! とーーーーー!」
「……ッ!」
無防備な状態で紫電を喰らえばたまらない。バーバラは思考ごと痺れてエールの姿を見失った。
「がははー! 最後は派手に行くよー!」
慌てて空を見上げれば、エールの持つ刀が白い光に満ちている。どう見ても必殺技の予兆だ。
バーバラには避ける術も、剣を戻す暇も、ない。
(強い、強すぎる! 魔王の子って魔王と違って人間でしょ!? なんでこんなに違うのよ! 私だって頑張ったのに、強くなったのに、全然足りない! ズルしてるのに、勇者なのに、なんで……!?)
「
白い光が胸を貫き――――バーバラの意識は、完全に断ち切られた。
エールちゃん本気モード(詳細)
実は技巧派寄り。無茶苦茶やるのは遊びで、真面目にやるとカオスより日光の方が向いている正統派剣士。
でも追いつめられたらやっぱり無茶苦茶やる。勘で唐突に突拍子もない事もやる。
クルックーとトリダシタの村人達から色々叩き込まれた子。13歳で魔王退治の旅に出すだけはある鍛えっぷり。自信過剰な分それだけの積み重ねはある。でもやっぱり自信過剰。
クルックー家は愛が一番、遊びが二番、努力が三番。
逆に戦闘以外諸々疎か。
次話は短いです。だって〇〇の合間ですからねぇ。
ペース上げろ上げろ上げろ……