※過激なR-18要素がありますが、基本的にストーリー重視で書いていこうと思っています。
遅筆なため、月に一回程度の更新ペースとなります。(毎月20日前後を目標にします)
また、同作品を別サイト様にも掲載させて頂いております。
なにもかもがどうでもいい。ただ僕はこんな状況から逃げたかった。
そういえば、辛いことはトンネルのようだと何かの本で読んだ事がある。進み続けていればいつかは抜けられるのだと。でも、進む気力さえも失ってしまった人間は、ずっと暗闇の中に取り残されるだけじゃないか……。
誰も分かってくれない。
親、兄弟、そして数少ない友人。彼らにいくら相談しても所詮は人事だ。「がんばれ!」と一方的で無責任な励ましを口にするだけで……。
何故、こんなに辛い思いをしなければならないのだろう? 誰も分かってくれないのだろう? そんな思いが心の中で渦巻いて、そして気弱な僕が行き着いたのは、全て自分が悪いのだという結論だった。
……足の震えが止まらない。橋の下には流れる川と岩が見える。あの岩にぶつかったら痛いだろうなと思いながら、僕は橋から飛び降りた。
そう、三十年余りの無意味な人生に、僕は幕を下ろしたはずだったんだ。
序章
「は~い。大当たりで~す。特賞のキングサイズベッドが当たりました!」
夕暮れ近くの人通りが少なくなり始めた商店街に、元気な声が響き渡った。
カランカランとベルを鳴らし、抽選会スタッフの小柄な少女が我がことのように喜ぶ。さらには後ろに並んでいる女性たちも歓声とともに惜しみない拍手を送ってくれる。
しかし、ユウヤは呆然とした表情で固まってしまった。
日常品を買った際に抽選券を貰ったので、せっかくだからと道の片隅に簡易的に作られた福引所で一回だけ回転式の抽選機を回したのだが、まさか特賞が当たるとは夢にも思わなかった。
「どうしたんですか、ユウヤさん? 嬉しくないんですか?」
ノリの悪いユウヤに、小柄な少女は彼の手をとり、
「ほら、ほら、バンザーイですよ! バンザーイ!」
無理やり万歳のポーズを取らせる。
「あっ、ああ。ありがとう」
名前も知らない少女に礼を言いながらも、ユウヤは内心、「でも、せっかくなら一等の高級食材詰め合わせのほうが良かったなぁ」と思っていた。
高級食材なら、いつも世話になっている雑貨屋のシノさんにもお裾分けをすることができた。それに、三十路を過ぎても妻どころか恋人の一人もいない自分に、巨大なベッドなど無用の長物でしかない。
「ううっ、なんだか空しくなってきた……」
自分の置かれた現状に、ユウヤはガックリと肩を落とす。
「ユウヤさん、ずいぶん変わった喜び方をするんですね? ……えっと、それでですね、少し手続きがありますから、そちらのカウンターで説明を受けてくださいね」
「あっ、うん。わかったよ」
このまま立っていると後ろに並んでいる人たちの迷惑になってしまうと思い、ユウヤは少女に促されるままにカウンターに足を運ぼうとした。だが、不意に背中から上着を軽く引っ張られ、もう一度少女の方を向く。
「あっ、ユウヤさん。私、リーシャっていいます。添い寝してくださる方がいらっしゃらないんでしたら、私に声を掛けてくださいね」
満面の笑みでとんでもないことを言う少女に、ユウヤは小さくため息をついた。
「あのねぇ、そんなに僕をからかうのが楽しいのかい?」
「ええ。だって、ユウヤさんのリアクションがとっても面白いから」
悪びれた様子もなく、リーシャは無邪気な笑みを浮かべる。
「ううっ……」
口ではこの少女に絶対に勝てないことを悟り、ユウヤはもう一度嘆息すると、「それじゃあね」と少女に言ってカウンターに足を運んだ。
カウンターにも若い女性が座っていた。いや、そもそもユウヤはこの街に来てから若い女性以外の人間を見たことはない。
だからこそ、この街に住む唯一の男性であるユウヤの名前は知れ渡っている。それゆえ、先ほどのリーシャと名乗った少女のように、初対面でもユウヤの名前を知っている者がほとんどだ。
「ユウヤさん、特賞おめでとうございます。こちらが景品のベッドのパンフレットです。それと、こちらは手続きの書類ですので、お手数ですが内容を確認の上、サインをお願い致します」
この女性もユウヤに祝福の言葉をかけ、笑顔で書類を手渡してくれた。
「……ずいぶんと大きなベッドだな……」
書類に書かれたベッドのサイズを確認して、ユウヤは頭を抱える。ようやく住み慣れてきた我が家の一室がほとんど埋まってしまうほどの大きさだ。
「はい。キングサイズですから。あっ、それとユウヤさん。書類の端に記載されていますが、このベッドには付属品が付くそうです。その付属品はオーダーメイドですので、こちらの封筒内の書類に希望をご記入願います。
記入が終わりましたら、中に返信用の封筒が入っておりますので、そちらに書類を入れて封をして下さい」
説明を聞いたユウヤは、一緒に渡されたはさみで封筒を開けて中の書類を取り出した。
「付属品っていったいなんだろう? いくつかの中から選ぶ方式かな?」
ユウヤは書類にじっくり目を通そうとしたが、ほんの数行で力なく机の上に突っ伏した。
「どうしたんです、ユウヤさん? 面白い格好をして……」
そんな声に顔をあげると、先ほどユウヤをからかった、リーシャと名乗った小柄な少女と目が合った。どうやらこの書類一式を渡してくれた女性と仕事を取り替えたようだ。
「なんなんだい、この質問用紙は?」
「あっ、その書類は封をされているから、私達も内容は知らないんですよ。それと、当選した方以外は読んではいけない決まりになっているので、その、すみません……」
先ほどの天真爛漫な笑みは消え、リーシャは本当に申し訳なさそうに頭を下げた。どうやら彼女達の悪戯ではないらしい。
「まぁ、いいや。せっかくだから、理想だけでも書いておこう……」
虚しいなぁとは思いながらも、ユウヤは真面目に質問用紙に回答をし、封筒にそれを入れてリーシャに手渡した。
「ユウヤさん、どんな内容だったんですか?」
「内緒だよ」
興味津々といった顔のリーシャにそう一言だけいい、ユウヤは席を立った。
しっかりと蝋で封をしておいたので、リーシャは中を見ることができない。もちろんハサミか何かで封筒を開ければ話は別だが、彼女もやって良いことと悪いことの区別は付くだろう。
「ユウヤさんのケチぃ~」
そんな言葉とともに頬を膨らませるリーシャが可愛らしくて、ユウヤは口元を綻ばせる。
「むぅ~っ。ユウヤさん、笑うなんて酷いですよ」
抗議の声をあげるリーシャ。だが本気で怒っているわけではないのは明らかだった。
「ああ、ごめんね」
そう謝罪しながらも、ユウヤはやはり笑みを浮かべる。ただ自虐めいた笑みしか浮かべられなかった以前とは大違いだ。
つい二ヶ月ほど前のことなのに、ひどく昔のように思える。けれど、かつての自分の境遇は懐かしいなどとは思わない。むしろ思い出したくない記憶だ。
「……ユウヤさん」
ユウヤはリーシャが心配そうに自分を見ていることに気づく。昔のことを思い出して、つい陰鬱な顔になっていたのだろう。彼女を心配させてしまったようだ。
この子は優しい子なんだな、とユウヤは思った。考えてみれば、子ども相手とはいえ、仕事上での関係を除いて初対面の異性とこんなに長く話したことはほとんどない。リーシャが話しやすい雰囲気を作ってくれたおかげだろう。
「ごめんね、心配させちゃったみたいで」
ユウヤはそう詫びを言い、なんでもないことを表すように微笑むと、「それじゃあ」と踵を返して足早に歩き始めた。
嫌なことを思い出してしまったせいだろう。早くいつもの雑貨店に行きたい。ユウヤは無性にシノの顔が見たくなってしまった。
「あっ、ユウヤさん!」
大声で名前を呼ばれ、ユウヤは振り返る。
「ユウヤさん、その、えっと……。来週までこの抽選会は続きますから、それまで毎日私はここに居ます。だから、その、是非また来てください。私、お待ちしていますから」
しどろもどろになりながらも、そう声を掛けてくれたリーシャに、ユウヤは「ありがとう」と短く礼を言う。彼女の優しい心遣いがとても嬉しかった。
♢
「こんばんは、ユウヤはん。お待ちしとりました」
ユウヤが『桜花』と書かれた大きな看板の雑貨店に入ると、満面の笑みで着物姿の美しい女性が歓迎してくれた。
ユウヤが毎日この店を訪れるのは、この女性、シノに会うためだ。
「こんばんは、シノさん」
ユウヤも笑顔で挨拶を交わす。
やはり、いつ見てもシノさんは綺麗だとユウヤは思う。年齢は聞いたことは無いが、おそらく二十代半ばくらいだろう。ユウヤと同じ黒髪だが、シノの髪は腰まで伸び、ユウヤのそれとは比べ物にならないくらいサラサラとなびく。いつも優しい笑みを浮かべている顔は温和で柔らかくて、つい釣られて笑顔になってしまう。ユウヤの今までの人生で、こんなに綺麗な女性は見たことがない。
「あら、ユウヤはん。何かええことでもありましたん? なんやか嬉しそうな顔をしてはりますよ」
ユウヤ自身は普段と違う顔をしているつもりはないのだが、
「……ええ。でも、いいことなのか悪いことなのか分からない状態で……」
と話を切り出した。
「あらあら、いったいなにがありましたん?」
シノにそう促され、ユウヤは商店街のくじ引きで見事に特賞が当たったことと、その特賞の賞品が巨大なベッドだったことを、パンフレットを見せながらシノに説明した。
「……なるほど。確かにこないな大きなベッドは、ユウヤはんには必要ありまへんな」
シノはそう笑ってパンフレットに目を通していたが、不意に笑みが消え、少しだけ険しい顔になる。
「んっ? どうかしたんですか、シノさん?」
ユウヤがそのことを怪訝に思って尋ねると、
「いえ、何でもありまへん。ただ、このベッドはリスレ神殿とヴェリス神殿が共同で作った特注品なんやなぁと思っただけです」
シノはそう言い、いつものように微笑んだ。
「その『神殿』というのは、このあたりでは有名なんですか?」
この街に来て日が浅いユウヤは、もちろんそんな神殿とやらの名前など知るべくも無い。
「うちもそないに詳しいわけではありまへんけど、言葉どおりどちらも宗教施設なんですが、寝具なんかの製造でも有名なところと言われとります。せやから、このベッドの品質は間違いなく特級品やと思います」
シノはそう説明してくれたが、それだけでは何故シノがあんな険しい顔になったのか分からない。何か話しにくいことがあるのだろう。
「なんだか寂しいな……」
ユウヤは言葉には出さずにそう思った。所詮自分とシノさんとは知人、良くて友人程度の間柄に過ぎない。いや、命を助けてもらったことを考えると、シノさんの評価はもっと下かもしれない。だけど、こうして隠し事をされるのはやはり寂しかった。
「あっ、ユウヤはん。このベッドが届きはりましたら、うちにもぜひ見しておくれやす。ユウヤはんと一緒に寝ることがあるかもしれまへんから」
シノのその言葉に、ユウヤの顔は真っ赤になる。寂しい気持ちなど吹き飛んでしまった。
「あらあら、ユウヤはん。そないに今日は暑いですやろか? 顔が真っ赤になってはりますよ。窓を開けたほうがええですか?」
悪戯っぽい笑みを浮かべるシノ。明らかにユウヤが赤面している理由をわかっている。その上でからかっているのだ。
「しっ、シノさん!」
ユウヤが抗議の声を上げたが、シノは「あら、どないしはりましたん?」と口元に手を当てて上品に微笑むだけだった。
「……はぁ、もういいですよ」
ユウヤはがっくりとうなだれる。自分のほうが年長者のはずなのに、歳相応以上の包容力のあるこの女性にはまったく頭が上がらない。けれど、不思議とそれが不快ではなかった。
「申し訳ありまへん。少し冗談が過ぎました。お詫びというわけやないんですが、これを持っていってください」
シノはカウンターの下から容器を二つ取り出し、
「こっちの大きなほうには惣菜が入っとります。小さいほうには、おむすびが入っとりますんで、夕飯に是非召上ってください」
満面の笑顔でユウヤに容器を手渡す。ずっしりとした重みに、ユウヤは嬉しくて笑顔で礼を言った。
「せや、せや。やっぱりユウヤはんは笑ってはるのが一番ええと思います」
「それなら、あまりからかわないでくださいよ」
ユウヤのもっともな指摘に、シノは「う~ん、それはわかっとるんですが……」となんとも歯切れの悪い答えをする。
「まぁ、冗談は置いときまして、さっき頼んましたとおり、ベッドが届く日取りが決まったら、まずうちに教えてください」
「えっ? 別にかまいませんけど……」
ユウヤは先ほどのシノの言葉は自分をからかうための冗談だと思っていた。しかし、シノはどうやら本当にベッドを見てみたいらしい。
「せやけど、うちを押し倒したりしはったらあきまへんよ」
「もう勘弁してください、シノさん……」
しつこくからかってくるシノに、ユウヤは肩を落として懇願する。いい歳をして情けないが、女性を押し倒す度胸などユウヤにはない。
「ふふっ。やっぱりユウヤはんをからかうのは止められまへん。いちいち反応が可愛いんで、ついついからかいたくなってしまいます」
「ううっ……。……あっ、すっかり忘れていました」
ユウヤは仕事用の鞄から小さい包みを取り出し、
「仕事仲間に連れて行ってもらった店で買ったんですけど、良かったら貰ってください。命を助けてもらったばかりか、いつもお世話になっているお礼です」
シノにそれを手渡した。
「……えっ、うちに……。ユウヤはん、今開けてみてもええですか?」
ユウヤが頷くと、シノは丁寧に包みをあける。包みの中身は、花と鳥が彫られた櫛だった。
「この間、大事にしていた櫛が壊れてしまったとシノさんが言っていたから、それにしたんですけど……。すみません、僕はシノさんの好みが分からなかったので……」
シノさんに似合いそうな櫛をとユウヤも一生懸命考えたが、そもそも己の身なりにさえ関心の無い男が選んだものだ。気に入ってくれるか心配で仕方なかった。
「…………」
シノは櫛をただ黙って見つめている。
「……その、気に入らなかったら捨ててください……」
沈黙に耐え切れず、ユウヤはそう言って力なく笑った。やはり自分のような男からのプレゼントなどシノさんを困らせるだけだったらしい。そうユウヤが思った時だった。
「……捨てるなんて……できるわけないやありまへんか……」
シノが瞳に涙を浮かべながら、櫛を優しく両手で包み込んだのは。
「あないな、とりとめもない話をしっかり覚えていてくれはって……。大切に、ほんまに大切に使わせてもらいます」
シノが予想以上に喜んでくれたことに、ユウヤはほっと胸を撫で下ろした。
「すみまへん、これ以上みっともない姿をユウヤはんに見せたないんで……」
涙が止まらないらしく、シノは逃げるように店の中に入っていってしまった。
「……よかった。シノさんに喜んでもらえて」
ユウヤはシノのあまりの喜びように驚きながらも、嬉しくて天にも昇る気持ちだった。
「それじゃあ、僕は帰ります。おやすみなさい、シノさん」
奥にいるシノに聞こえたかどうかは分からないが、ユウヤはそう言って店を後にした。
「今日は、特にいい日だったな……」
自宅までの帰路を歩きながら、ユウヤはそう一人ごちる。
そして、ふと視線を上に移すと、夕焼けに染まる赤い空がやけに美しく思えた。
「綺麗だな……」
きっと今までも、こんな美しい夕日をみるチャンスはあったはずだ。それが、人工物に囲まれたあの街でも。けれど、あのころの自分はそれを綺麗だと思うことはなかっただろう。
そんなことを考えていると、不意にユウヤの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「……こんなに幸せでいいのかな?」
シノに命を救われてから一変した生活。ユウヤは未だに自分が夢を見ているのではないかと不安になる。けれどいくら頬を引っ張ったところで痛いだけだ。夢などではない。
しかし、夢でないのならばここはどこなのだろうか? 多くの人間が暮らしているのに、それらは全て若い女性ばかりで、自分以外は男性がいない。明らかにおかしい、まともではない街。
「……やめておこう。どうせいくら考えても答えなんて出ないんだから……」
だが、ユウヤはそのことから目を背けた。
あの辛かった日々から抜け出せた。そして、優しい人々がいるこの街で暮らしていけるのならば、今のユウヤにとってはここがどこでもよかった。
「一日でも長く、この幸せが続くといいな……」
ユウヤにも願望はある。たとえばシノともっと深い間柄になれたらいいと思っている。でも、同時に自分などではそんなことができるはずがないと諦めてもいる。だからせめて今のままで、少しでも長い時間 この幸せを味わいたい。
この時、ユウヤは知らなかった。これから二ヶ月と経たないうちにこの日常が大きく変化することを。
……でも、大丈夫。今はまだ時間があるのだから……。