途中、馬車が狼の群れに襲われているところに遭遇したが、それ以外は特に問題はなく、旅はファリアの予想以上に順調に進んで行った。
悪天候で馬車が峠を越えられない事などを危惧し、ファリアは二、三日余裕を持って計画を立てていたのだが、幸い天気に恵まれ、予定よりも早くに目的地であるこのカリスの街に到着することが出来た。
それでも、乗合馬車を乗り換えること十数回。およそ十日掛かったのだから、長い旅路ではあった。
しかし、ファリアはこの旅を苦痛には思わなかった。それは、
「こっ、ここが、カリスの街……」
馬車から降り立ち、辺りを見渡して感嘆の声を上げる、この可愛い後輩シスターのおかげだった。
「百聞は一見にしかず、とはいいますが、まさしくそのとおりですね、リナ」
魂を抜かれてしまったかのように言葉を失って呆然とするリナに、苦笑めいた笑みを浮かべながら、ファリアはそう言葉を口にする。
「……はい。こんなにたくさんの人が暮らしているなんて……」
「リナ、驚くのは分かりますが、ここにいつまでも立っていては周りの人たちの迷惑になってしまいますよ」
自身がそうしているように、リナのローブのフード部分を伸ばして彼女にかぶせながらファリアは言う。
「あっ、はっ、はい。すみません!」
リナは慌てて道の端に寄る。
「もうお昼過ぎですから、今日は宿を取って、明日の朝にユウヤ様の家を訪ねることにしましょう。ちょうど明日は休日ですから」
「はい、ファリアさん」
この十日間で、ファリアとリナは随分と打ち解け合った。そして、ファリアは可愛らしい後輩にいろいろな事を教え、リナは美しくて頭のいい先輩を敬い、その知識を吸収して行った。
「リナ。今度は迷子にならないように注意しなければいけませんよ」
少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべ、ファリアはリナに注意を促す。すると、リナの顔が瞬く間に真っ赤に染まった。
「ううっ、もっ、もう、あのようなことは……」
旅を始めてから六日目の昼、リアスという町の宿屋で宿泊手続きをした後、少し辺りを見てきます、と言って一人で出かけたリナが長時間戻ってこなかった。
夕食時近くになっても戻らない後輩を心配して、ファリアが探しに行こうと宿を出ようとしたところで、ちょうど親切な女性に連れられてリナは戻ってきた。
自分の姿を見つけ、リナが瞳に涙を浮かべて駆け寄ってきたあの時の姿が今でも思い出される。
「ふふふっ。あのときのリナは、とても可愛かったですよ」
「ううっ、ファリアさん、意地悪です……」
恥ずかしさのあまり泣き出しそうな顔でリナは抗議の声を上げる。
リアスの町でリナが迷子になった理由は、当初は曲がる角を一つ間違えてしまっただけだった。だが、そこで戻ることをせずに闇雲に歩き続けて、とあるところで宿を指し示す看板を見つけてしまったのが彼女の悲劇の始まりだった。
実はその町には宿屋が三ヵ所あり、リナはその看板が指し示す、自分が泊まる宿とはまったく逆方向の宿屋に向かって歩いて行ってしまった。
リナの神殿の近くの村には、宿屋といえば一ヵ所しかなかった。
さらに、今回の旅でも前日までの宿泊した町や村も規模が小さく、同じように宿屋が一ヵ所しかなかったため、リナはどの町や村でも宿屋といえば一ヶ所しかないと錯覚してしまっていたらしく、宿屋の名前を覚えていなかった。
足が棒になるまで歩いて、着いた場所はまったく違う宿屋。
リナは心細さと疲労でその宿屋の前で途方にくれていたのだが、勤務時間が終わり帰宅する予定だったその宿の従業員の女性が、泣き出しそうな顔で困っている哀れなシスターを見つけて声をかけてくれた。
リナが意を決し、その女性に今までの経緯を説明すると、彼女は全てを理解し、彼女の勤務する宿の従業員のための部屋でリナを休ませてくれたばかりか、わざわざ送り届けてくれたため、リナは無事に自分の宿泊する宿に帰ってくることができたのだ。
「すみません、確かに少し意地悪でしたね。お詫びに今日の夕食は私がご馳走します。この街の宿の食事も美味しいらしいのですが、夕食は私の友人が勧めるお店に行くことにしましょう」
これまで節約してきたこともあって、路銀にはずいぶん余裕がある。それに、明日から三日間、二人でお役目に励まなければならない。
その前にリナと美味しい料理を食べて英気を養っておくのもいいだろう。
「えっ、あの、その、大丈夫です。私もお金を持っていますから」
「遠慮はいりません。先輩の厚意には素直に従うことも大切ですよ。それに、これはお詫びも兼ねているのですから。
さて、とりあえず今日の宿に向かいましょう」
ファリアはそう言って二人で宿屋に向かって歩き始めた。
「……順調に旅が進んで何よりでしたね。あと一週間で「約束の日」ですから、帰りの日がその日にぶつかってしまうのではと危惧していたのです」
「たしか、この街独自の風習ですよね? その日は一切の外出が禁じられてしまうという」
リナの言葉に、ファリアは「ええ。そうです」と頷く。
「感心ですね。きちんとこの街のことについて事前に調べているとは」
「あっ、いえ、大したことではありません。私は、その、おっちょこちょいなので、お役目の際に失礼があってはと思って調べて置いただけで……」
リナはそう言うが、ファリアの友人には、「事前の下調べなんて、市場と美味しい料理屋と独自の食事のマナーさえ覚えとけば大丈夫! 後はなるようになる!」と豪語する人間が居るため、リナの姿勢はまともでよかったと心から思う。
いや姿勢だけではない。リナは気立てがよい穏やかな性格で、一緒にいてとても楽しい。そして、何より愛らしいと思う。
ころころと表情が変わるのが印象的で、特に少し困った顔がとても可愛らしい。そのため、先ほどのようについついからかいたくなってしまう。
そういえば、件のリナが迷子になった際に、どうして早いうちに周りの人に道を尋ねなかったのか聞いたところ、先輩のシスター達から、「他所の町は怖いところだから、リナのようなのんびりした子が見知らぬ人に声をかけたら、連れ浚われてしまうかも」などと意地悪なことを言われていたのが原因だった。
まぁ、世の中には悪い人も居るのだから、全て間違っているとは思わないが、その先輩シスター達は少しリナをからかいすぎだとファリアは思う。
……もっとも、からかいたくなる気持ちも分からないではないが。
「リナ。今日も宿屋の手続きをお願いしますね」
「はっ、はい!」
旅を始めてから、しばらくの間はファリアが宿の手続きを行ってきたが、四日ほど前からリナが行うことになった。
そういう経験をしておいたほうがいいと提案し、ファリアがリナに任せたのだ。
最初はしどろもどろだったリナだが、回数を重ねることでだいぶ慣れてきた。経験が不足しているだけで、リナは物覚えがよく頭が良い。
後輩の成長を見守るのも良いものだと、ファリアは若い身空で思っていた。
「リナ。明日からの三日間、力を合わせて頑張りましょうね」
「はっ、はい。精一杯頑張ります!」
そう緊張した面持ちで応えるリナが可愛らしくて、ファリアは口元を緩める。本当にリナがお役目の同行者でよかったと思いながら。
「三日間頑張ればお役目は終わる。……早く終わらせてしまいたい。そして、またこの可愛い後輩と旅を楽しみたい。そう、お役目が終わったら私はすぐに神殿に戻る。私は、あの人とは違う……」
そんなことを考えていると、宿の前に到着していた。
「リナ、ここが今日の宿屋ですよ」
「はっ、はい。『オリムの宿』という名前ですね」
そう言うと、リナは何度か小さく宿の名前を呟く。しっかりと名前を覚えるためだろう。
そんなリナの姿に微笑ましげに口元を緩めると、ファリアは宿の扉を開けた。
「いらっしゃいませ。『オリムの宿』へようこそ」
すぐに店の受付の女性がカウンター越しにファリアに挨拶をしてくる。止むを得ずに、ファリアはフードを外して笑みを返した。
「……えっ、あっ……」
その女性はファリアの顔を見るなり硬直し、そして目を大きく見開いて言葉を失ってしまった。
「……みなさん、悪気がないのでしょうが、そういう反応をされた相手がどんな気持ちか分からないのでしょうか?」
旅の間中、素顔を晒した人間全てに同じような反応をされて、さすがにファリアも辟易していた。いくら慣れたこととは言っても、やはり不快なものは不快だ。
「すっ、すみません、宿の予約をしていたリナと申しますが……」
申し訳なさそうにそう告げるリナの言葉に、受付の女性はリナに視線を移す。ファリアに見惚れていて、女性はリナが自分の目の前まで来ていたことに気づかなかったようだ。
「……まぁ! ようこそ、『オリムの宿』へ」
リナの愛らしい姿に、女性の顔に笑みが浮かぶ。
自分の場合とのあまりの反応の差に、ファリアは小さく嘆息した。
リナはその愛らしさから、誰からも好意のまなざしを向けられる。正直、それが羨ましい。自分が受けるのは、いつも好奇の視線と羨望や嫉妬ばかりなのだから。
ヴェリス神殿でもそうだ。私が距離を置こうとしたわけではない。私が悪いことをしたわけでもないはずだ。それなのに……。
「ファリアさん、全ての手続きが終わりましたよ」
失敗することなく宿の手続きを終えることが出来たのが嬉しいのだろう。ファリアの悩みなど知らずに、リナが満面の笑みをファリアに向ける。
その笑顔が、あまりにも無邪気で、愛らしくて、ファリアの憂鬱な気持ちを和らげてくれた。
「ご苦労様でしたね、リナ。もう宿の手続きは完璧ですね」
「いえ、そんなことありません。まだまだです」
ファリアの賞賛にリナはそう応えたが、その表情は嬉しそうだ。
「さて、それでは部屋に行きましょうか」
「はい、ファリアさん。二階の奥の部屋ですよ。案内しますね」
元気に返事をするリナの頭を撫で、ファリアは宿の部屋に向かう。
この子の笑顔に救われるのは何度目だろうかと心のうちで思いながら。
窓から差し込む西日に、ファリアは目を開く。
部屋で一人、明日以降の予定を考えていたのだが、やはり長旅の疲れもあったのだろう。少し休憩のつもりでベッドに横になったら、そのまま眠ってしまっていたようだ。
「ふふふっ、居眠りなんて、何年ぶりかしら……」
あまり感心できることではないが、たまにはこんなことがあっても良いだろうとファリアは思う。
「リナももう少しで帰ってくるでしょうし、汗でも流して置きましょう」
時計を確認すると、すでにリナが街を見物に出て行ってから二時間以上経っている。夕食時も近い。そろそろ戻ってくるはずだ。
「やはり大きな街の宿屋は違いますね……」
この宿の部屋には、それぞれ個室ごとにシャワー室がある。それは、人目を嫌うファリアにとっては僥倖な事だった。
衣服を脱ぎ、温かいシャワーを浴びて、ファリアはその心地よさに大きく息をついた。
「……リナには、悪いことをしてしまいましたね」
体を洗いながら、ふと、眠る前のことを思い出し、ファリアは罪悪感にかられる。
明日の予定の確認を終え、夕食までは自由時間にすると、リナは「一緒に街を見に行きませんか」と誘ってくれた。
しかし、ファリアはそれを断った。
明日以降の予定を決めるのでと言い訳をして。
「……ごめんなさい、リナ。気持ちはとても嬉しかったんです。でも……」
今日のファリアは、何故かいつも以上に、周りの人間から好奇の視線を浴びることが不快でならなかった。だから、人の多いところに行くことは耐えられなかった。
「きっと、疲れていたからですね……」
そう結論づけ、ファリアは身体を清め終えた。
バスタオルで身体や髪の水滴を拭き、それを身に纏うと、次に使うであろうリナのために後始末をする。
そして、大きな姿見で自分の顔を確認し、ふとそこで足を止めた。
「…………」
ファリアはしばらく姿見を凝視し、何を思ったのか身に纏っていた唯一の布を取り払う。音もなくバスタオルは床に落ち、姿見には、胸をあらわにした自分の姿が映る。
大きく、けれど形の良いその二つの双丘は、先端の突起とその周りの程よい大きさの薄桃色の輪も美しい。
「…………」
ファリアは無言で自分の腰に手をやり、それをゆっくりと下ろして行く。
細くくびれた腰は、よりいっそう、大きな乳房ばかりか、形よく肉の詰まった水桃のような臀部をも際立たせている。
同性さえも魅了するほどの完璧な美しさ。浴場で入浴を共にする人々に羨望のまなざしを向けられる肢体。しかし、ファリアはそんな自らの総身を確認すると、
「……なんて、見苦しい身体……」
そう吐き捨てるように呟いた。
どうして私の胸はこんなに大きいのだろう。……まるで、あの人のように。
どうして私の腰はこんなにくびれているのだろう。……まるで、あの人のように。
どうして私のお尻は……。そして何よりも、私の、私のあの部分は……。
「……違う。私はあの人とは違う……」
ファリアは搾り出すように否定の言葉を口にする。
「私は、何も期待なんてしてない。大嫌い……。私の大切なお姉ちゃんを奪って行った、男の人なんか……」
ファリアは涙を堪えて、必死に自分に言い聞かせる。
しかし、ファリアは姿見に映った険しい自分の顔を見て、力なく自虐的な笑みを浮かべた。
「……こんな顔は、リナに見せる訳にはいけませんね。軽蔑されてしまいます」
ファリアは頼りない足取りで、静かにシャワー室を後にした。
温まったはずの身体はすっかりと冷えてしまっていたが、ファリアにはもう一度シャワーを浴びる気力は残っていなかった。