明らかに練習の時とは違っている。
儀式を始めて三十分ほど経過した頃、ファリアは異変に気づく。
だが、自身の持つ「力」のほとんどを対象に捧げなければいけないその性質上、やり直すわけには行かなかった。
祈りの言葉を口にするたびに、全身の力が急激に失われていく。
リナと何度も「力」の放出量を合わせる練習をした。今現在の二人の力の配分は完璧と言ってもいいはずだ。それなのに、どうしてこんな……。
「……キウス・ラ・アンテク……」
隣から聞こえるリナの祈りの言葉が、か細くなっていくのが分かる。自分でも苦しいのだ。「力」の最大量が劣るリナには更に過酷なものだろう。
「……このままでは、リナが……」
ファリアの決断は早かった。躊躇することなく自身の「力」の放出量を上げる。
「リナ、頑張って!」
ファリアは祈りの言葉を口にしながら、隣で今にも倒れてしまいそうなリナを視線で励ます。すると、「大丈夫です」と言わんばかりにリナは微笑み、祈りの言葉を紡ぎ続ける。
無理をしているのは明らかだ。
しかしそれでも、気を失ってしまいそうなほどの激しい消耗と戦いながら、ファリアとリナは懸命に祈りの言葉を紡ぎ続け、全身全霊を捧げて儀式を終えた。
昨日と掛かった時間はほとんど変わらない。だが、その疲労は段違いだった。
最後の祈りの言葉を口にし終えたファリアは、乱れた呼吸を整えようとゆっくりと深く呼吸をし、肺に酸素を取り込む。
昨日のような失態を繰り返す訳にはいかない。そう思っていたのだが……。
不意に隣で何かが倒れる音がした。ファリアが慌ててその方向に視線を向けると、リナが糸の切れた人形のように床に倒れ込んでいた。
「リナ!」
ファリアが声を掛けても、リナが目覚める様子はない。苦しそうに呼吸を乱している。このままではまずい。
「……くっ……」
リナに駆け寄ろうとしたが、ファリアにも動けるような体力は残されていなかった。
「……だ、だめ……。リナ……」
自らの体力が尽きるのを実感し、ファリアもそのまま意識を失ってしまった。
「……大丈夫で……。一時的に……」
「……ですか。……夜分に……。感謝……」
声が聞こえる。男女の話し声だ。女の声に聞き覚えはないが、男の声は知っている。ユウヤの声だ。
「……どうして、あの人の声が……。いえ、そもそも私は、『お役目』の……」
朦朧としていた意識が、『お役目』という言葉を思い出して一瞬で覚醒する。
「そうです、『お役目』の儀式が終わった途端にリナが……」
ファリアは慌てて起き上がる。
リナが、リナが倒れたのだ。そしてその後追うように自分も意識を失ってしまったようだ。あの娘は無事なのか、すぐに確認しないといけない。
「ああっ、どうやら気がついたようだね。しかし、無理はしないほうがいい」
白衣に身を包んだ、二十代前半くらいの青髪の女性が、起き上がったファリアに声を掛けてきた。
さきほど声が聞こえた気がしたのだが、ユウヤの姿はない。
「ほら、連れの娘は君の隣で眠っているよ。だいぶ呼吸も落ち着いた。薬などはいらないだろう」
ファリアは先程まで自分たちが儀式を行っていたベッドに寝かされていた。
そして白衣の女性の言葉通り、自分の横にはリナが眠っていた。彼女からは穏やかな寝息が聞こえる。どうやら大事はないようだ。
「すみません、ありがとうございます」
ファリアはベッドから起き上がって白衣の女性に礼を言う。彼女が自分たちを診察し、介抱してくれたことは間違いないだろう。
「なに、私に礼などいらないよ。ああっ、自己紹介が遅れたね。私の名前はカーシャ。医者だ。だが、君たちは極度の疲労で一時的に気を失っていただけだ。私は特段何もしていない」
カーシャと名乗った女性はそう言って更に言葉を続ける。
「ファリアだったかな? 君が礼を言わなければいけないのは、私じゃない。気を失った君たちをベッドに運んでくれたのも、大慌てで私を呼びに来たのも、全てユウヤさんだ。
もっとも、治療の迷惑になるからと、彼は奥の部屋に閉じこもってしまっているけどね。呼んでくるから、少し待っていたまえ」
カーシャはそう言って部屋を出て行ったかと思うと、すぐにユウヤと一緒に、このベッドのある部屋に戻ってきた。
「よかった。元気になったみたいで」
ユウヤは自分の姿を見るなり、そう声を掛けてきて、安堵の表情を浮かべる。
しかし、ファリアはそれを直視できなかった。
「申し訳ありません、ユウヤ様。連日に渡り、ご迷惑をおかけしてしまいまして……。なんとお詫びすればいいのか……」
ファリアは深々と頭を下げて、ユウヤに詫びる。
失態にも程がある。不測の事態だったなどと言い訳はできない。あまりにも酷すぎる。
ファリアはユウヤに対する申し訳無さとともに、自身の不甲斐なさに怒りさえこみ上げてきた。
「いや、顔を上げて下さい。取り返しの付かないことにならなくて、本当によかった」
その言葉に従って顔をあげると、そこには困ったような笑みを浮かべるユウヤがいた。
「…………」
呆然とした。その笑顔に。その温かな声に。
落ち着いたはずの鼓動が忙しないものに変わる。
だめだ、これは、本当にまずい……。
しかし、ファリアのそんな胸中を分からないユウヤは、彼女から視線を移し、カーシャに声を掛ける。
「先生、リナも大丈夫なんですか?」
「ええ、もちろん。疲れて眠っているだけですよ。ただ今晩は、このまま寝かせておいたほうがいいでしょう。なに、朝になればすっかり良くなっているはずです。心配はいりません」
カーシャはそう言うと、机においてあったカバンとランプを手に取った。
「ユウヤさんと話ができる機会というのもめったにないので名残惜しいが、私もいつ他で呼び出されるかわからない身なので。ここで失礼させてもらいますよ」
「先生、本当にありがとうございました」
カーシャに頭を下げるユウヤに倣い、ファリアも慌てて感謝の言葉とともに頭を下げる。
「いやいや、これが私の仕事ですよ。それでは、お大事に」
穏やかな笑みを残して、カーシャは帰って行った。
それを玄関まで見送ったユウヤとファリアは、お互い顔を合わせる。
ファリアが何を言えばいいのか分からずに呆然としていると、
「とりあえず中に戻りましょう」
ユウヤにそう提案される。
ファリアは素直にその言葉に従った。
以前と同じように、テーブルを挟んでユウヤと向かい合って座ったファリアは、ただ黙って彼の言葉を聞いていた。
「カーシャ先生の話を聞いていたと思いますが、リナにはそのまま休んでもらっていたほうがいいとのことでした。ですから、二人にはご不便をかけることになりますが、今日は泊まっていって下さい」
「……はい……。ありがとうございます……」
「僕は奥に居ます。水を飲むかトイレ以外には部屋からでないので、あとは自由に使って下さい。他のベッドがないので、リナと同じベッドを使ってもらうしかないのが申し訳ないのですが……」
ユウヤの言葉を聞いていたファリアだったが、ついに堪えきれなくなり、口を開いた。
「ユウヤ様。どうして私に文句の言葉一つ仰らないのですか? 私は、連日に渡ってご迷惑をおかけし続けているのに……」
ファリアの言葉に、少しユウヤは驚いた顔をしたが、また困ったような笑みを浮かべた。
「上手くいかないことって、誰にでもあることですよ」
「ですが、我が事ながら、あまりにも……」
あまりの不甲斐なさにファリアは両手を握りしめ、それを戦慄かせる。
だが、そんなファリアにユウヤは優しい口調で声を掛けてきた。
「我が事ながら、ですか。優しいですね、貴女も……」
「……えっ?」
予想だにしなかった言葉に、ファリアは呆然としてユウヤの顔を見る。
「昨日、貴女が倒れた時に、リナが僕に言ったんです。『ファリアさんが倒れてしまったのは、私が原因なんです』って。
そして、貴女もリナの事を庇っている。なかなかできることじゃないと思いますよ」
笑顔でそう断言するユウヤ。
その顔を暫くの間呆然と見惚れてしまったことに気づき、ファリアは頭を振るい、小さく深呼吸をして心を落ち着ける。
「……ユウヤ様、明日の『お役目』についてなのですが……」
意を決して話を切り出すと、ユウヤは小さく頷いた。
「続けなければいけない理由があるんですよね? 僕は構いませんよ。ですが、貴女達の負担になるのでしたら、儀式は終わったことにしても……」
「いいえ、お願いします。『お役目』を完遂させて下さい」
毅然とした声で頼み込むと、ユウヤは「分かりました」と二つ返事で許可してくれた。
「ありがとうございます!」
ファリアは深々と頭を下げて感謝の言葉を述べる。だが、足りないと彼女は思った。
感謝の意が足りない。謝罪が足りない。そして何よりも、話足りない。
「……あっ、あの……」
「さて、僕は部屋に戻ります。ファリアさんもお疲れでしょうから、ゆっくり休んで下さい。それでは、おやすみなさい」
ファリアが話を振るより先に、ユウヤはそう告げて立ち上がると、踵を返して奥の部屋に入っていってしまう。
居間に一人取り残される形になったファリアは、寂寥感と罪悪感で胸が締め付けられ、閉ざされたドアを見つめることしかできなかった。