『約束の日』も終わり、一ヶ月以上閉めていた店を開ける。
昨晩遅くまで準備をし、今朝も大忙しで準備を終えた。
そして後もう少しで開店の時間となり、そろそろ入口の看板を開店中に変えようとした時だった。
その少女が店を訪ねてきたのは。
金色の長い髪の美しい少女。
そう、美しいとしか言いようがないほどの美貌の持ち主だった。
そして、シノはその少女の顔を知っている。
「初めまして、でよろしいのでしょうか?」
少女の言葉に、シノは笑みを浮かべる。
「ええ。その方がええと思います。初めまして。この店の主でシノいいます」
「そうですか。初めまして。ファリアと申します」
ファリアと名乗った少女は慇懃に礼をし、しかし微塵も警戒を解かない。
「買い物に来てくれはったわけやないようですけど、いったい何の御用です?」
「……開店前に申し訳ありません。すぐに要件は済ませます」
ファリアは静かにそう言うと、
「一昨日の晩に、私の夫、ユウヤの家に賊が侵入しました。幸い怪我人はありませんでしたが、その賊と交戦となり、家の数カ所を破壊することとなってしまいました。
あの家の持ち主は貴女だと伺ったものですから、夫に変わり、そのご報告に上がった次第です」
そう続けて頭を下げた。
「あらあら、物騒な話しですな。せやけど、一昨日の晩といえば『約束の日』だったはず。この街の人間は誰も家から出ないはずなのに、おかしな話です。
もしかすると、街の外の人間の仕業かもしれまへんな。この街には旅人もよく来ますので。その他にも、大切な人を寝取ろうとする泥棒猫までおるみたいやし」
シノのやんわりとした声色の辛辣な言葉に、ファリアの眉が動いた。
その反応に、若いな、とシノは心のうちで苦笑する。
この程度の言葉を流すことができないようでは、まだまだ半人前だ。
「家の修理はこちらでやりますのでご安心下さい。報告は以上です。お手間を掛けました」
ファリアは軽く会釈をし、踵を返して店を出て行く。
だが、店の入り口で振り返り、
「今度同じような賊が現れましたら、私が排除します。どんな手段を使ってでも……」
殺気を微塵も隠そうとはせずに、こちらに放つ。
普通の者ならばそれだけで身が竦み上がりそうなほどの殺意をぶつけて来る。
「そうですか。せやけど、相手の実力も分からへんのに手を出そうとはしないほうがええとうちは思いますよ」
しかし、シノは笑顔を崩すことなく平然とそう返した。
暫くの間、ファリアはシノを睨みつけていたが、やがて「失礼します」と言って店を後にしていった。
「……なんやろなぁ、あの娘は。あないな綺麗な顔貌してはるのに、昔のうちにそっくりやないの」
臆することもなく自分に宣戦布告をしてきたファリアの有り様に、昔の自分を見たシノは苦笑交じりに嘆息する。
「……なぁ、ルピア。カティア……」
ずっと昔に袂を分かった二人の仲間の名を久しぶりに口にする。
本当に何年ぶりのことだろうか。
攻撃の魔法が得意な事から、今のファリアという名の少女がルピアの手の者だということは分かっている。
ユウヤを罠にはめるためにあの女が送り込んできたのが件の少女なのだ。
そして、もう一人の赤髪の娘がカティアの方だろう。
「今更うちに何も言う資格が無いのは分かっとる。でもな、やっぱりあんたらのやり方は好きになれんわ……」
シノはそう独りごちて、今度こそ店の看板を営業中に帰るために外に出る。
陰鬱なシノの心とは正反対に、空はこの上もなく青く澄んでいた。
◇
今日の仕事は順調だった。
もちろん仲間の皆の助けがあってこそだが、ユウヤ自身ここまで好調なのは初めてだった。
今まで自分を苦しめていた心の傷が和らいできたことが大きいのだろう。
まだシノの事などの問題はある。
けれど、自分には信頼できる優しくて美しい、愛らしい妻がいるのだ。
それがとても心強く幸せで、迷いなく仕事に邁進することができた。
仕事が終わり、家路につく足取りも軽い。
いや、早く愛しい妻達の顔を見たくて、帰り道がもどかしいほどだった。
しかし、家に戻ったユウヤを玄関で出迎えたのは、リナ一人だった。
「ただいま、リナ」
予想とは違う展開に少しがっかりしながらも、きっとファリアは料理中かなにかなのだろうと思い、リナに笑顔で帰宅の挨拶をする。
「おかえりなさい、ユウヤさん」
リナも笑みを浮かべて帰宅を喜んでくれたが、すぐに困った顔になる。
「どうしたんだい、リナ?」
「はっ、はい。ユウヤさんにお客様がいらっしゃっているのですが、その……」
「お客さん? いったい誰……」
そうユウヤがリナに尋ねようとした時だった。
ファリアの怒声が聞こえてきたのは。
「ですから、何をしに来たのかと聞いているのです!」
「あらあら、そないな大声あげんでも聞こえとります。せやけど、うちはユウヤはんに会いに来たと言うたはずですよ」
聞き間違えるはずのない二人の女の声。ファリアとシノだ。
「シノさんが、どうして……」
一昨日の夜の出来事も記憶に新しいこんなときに、シノが家を訪ねて来るなど予想もしていなかった。
ユウヤは、自分がそうであるようにシノも顔を合わせづらいものだと思い込んでいた。それなのに。
「あっ、帰ってきはったようや」
「待ちなさい!」
居間から玄関に、ファリアとシノの二人が同時に飛び出してきた。
シノは上品に手を下腹部に当てて会釈する。
ファリアは夫を守ろうと、シノとユウヤの間に割って入った。
「……シノさん……」
「お下がり下さい、ユウヤ様! 危険です!」
呆然とするユウヤに、ファリアの鋭い声が飛んだ。
異端者は、結果としてユウヤの命を取らなかった。
そして、傷つき疲れ果てたその異端者は、何を思ってか、ユウヤのもとに再びやって来た。
……分岐点だった。
この日が最初の分かれ道だったのだ。
自身に従順で心優しい妻たちを信じるのか?
それとも、自分の命を救い、そして殺そうとした異端者を信じることができるのか?
けれど、心の傷痕を曝け出し、それを癒やすことで精一杯のユウヤには分からない。
そう、分からないことだらけだった。
仮初めの安穏を享受し続けるのか?
それとも真実という冷酷な事柄を知っても抗うのか?
そもそもそういった選択をずっと迫られ続けていることにさえ気づかない。
けれど、まだ時間はある。
確実に少なくなっていくが、まだその時は訪れない。
けれどこの悪意しかない選択を迫られ続けている事実は変わらないのだ。