「……本気で言っているのですか?」
シノの話を聞き、ファリアが剣呑な声色で彼女に問い返す。
けれど、ファリアが怒るのも無理は無いとリナも思う。
シノがユウヤに危害を加えようとした理由は、彼女の嫉妬心から来る突発的な行動なのだというのだ。
怒りたくなるのも無理はない。
「ええ。嘘は一切ついてまへんよ。なんなら、また魔法でも使ってみたらどないです?」
「そのようなものを使う必要はありません。貴女が嘘をついているのは明らかです! そんな、そんな理由だけで私達の夫を殺そうとするなんて、ふざけないで!」
ファリアが激昂するが、シノは涼しい顔のまま笑みを浮かべるだけだ。
「えっ?」
しかし、リナは今のシノの言葉を怪訝に思う。
「何故、この女性は魔法の事を知っているのでしょうか?」
魔法は、この世界の神様の力をお借りして行使する特別な力。
決して一般的に知れ渡っている技能ではない。
それなのに何故、この女性は『嘘を見抜く魔法』というものがあることを知っているのだろう。
「毒を見破る魔法というものがあることを知ったから、憶測で言っているのでしょうか? ですが、シノさんは魔法というものを知っているかのような口ぶりでした」
自問するリナ。
しかし、そこでファリアの怒声を華麗に流しているシノと目が合ってしまった。
「あっ、えっ……」
まるでリナの心を読んだかのように、シノはこちらを見て微笑んだ。
その行為がますますリナを混乱させる。
「……シノさん。その、貴女のような女性が、僕なんかのことで、我を失ったというのは流石に無理がありませんか?」
今まで黙っていたユウヤが口を開く。
「もう。ユウヤはん。そないなことは言うもんやありまへん」
ファリアに対しては無反応なのに、ユウヤの声には鋭敏に反応するシノ。
その行為が一層ファリアを苛立たせているのが、リナにはよく分かった。
「いい加減にしなさい! きちんと本当の理由を……」
「ファリアはん。あんたがもしもうちの立場やったら、ユウヤはんのことをまったく恨まないでいられるん?」
不意にシノがファリアに言葉を投げ返した。
「なっ! 何を突然……」
ファリアが言葉に窮したのを確認し、シノはまた彼女から視線を移してユウヤを見つめる。
「ユウヤはん。うちは、ずっとユウヤはんを憎からず思うとったんです。せやけど、そのことに自分自身が気づいとらへんで……。
仕入れのためにこの街を離れて一人になってみて、はっきりとそのことを理解しました。貴方はうちにとって掛け替えのない人です」
シノはそう言うと、静かに立ち上がり、ユウヤに頭を下げた。
「ユウヤはん。うちと夫婦になって下さい。貴方がまだうちを好きでいてくださるんが分かった今、もうこの気持ちを抑えることなんてできまへん」
「あっ、えっ、その……」
突然の求婚にユウヤはどうしていいのかわからないのだろう。返答に困っている。だが、
「……もう、我慢の限界です!」
ファリアはその言葉とともに席を立ち、シノに向けて光の球を放とうとする。
ユウヤの手前、我慢していた怒りがついに限界点を突破してしまったのだろう。
「駄目です、ファリアさん!」
リナが大慌てで防御のための魔法をシノに掛けようとしたが、ファリアの魔法はすでに準備が終わっている。間に合うはずもない。
「……あっ……」
それでも魔法をなんとか使おうとしたリナの視界から、シノが消えた。
いや、リナだけではない。
慌ててファリアを止めようとしていたユウヤも、ファリアの身体を押さえながら、同じ様に視線を彷徨わせている。
そして、シノに<光球>の魔法を放たんとしていたファリアは、何も言わずにシノが居た椅子を見つめていた。
だが、彼女から怒りの感情は消えている。
その代りに浮かんでいるのは驚愕の表情。
ファリアの頬を、大粒の汗が滑り落ちていくのがリナにも見えた。
「相手の実力も分からへんのに、手を出そうとはしないほうがええと忠告したはずです」
ファリアの後方から、その声は聞こえた。
慌てて声のした方向に視線を移すと、シノはファリアの背後に回り込み、手刀をファリアの延髄部分に置いていた。
いつの間に移動したのか、リナにはまるで見えなかった。
もちろん、それは同じ様に隣で驚愕しているユウヤもだろう。
「もしもあんたはんが力に訴えるんなら、うちもそれ相応の対処をせなあきまへん。せやけど、うちは不必要な戦いは望みまへん。ましてや、ユウヤはんの前でならなおさらや」
「…………」
ファリアは何も言わずに、空中にとどまっていた光の球を消した。
「そう、それでええ。うちは争いに来たんやない。ユウヤはんに話をしに来たんや」
シノはそう言うと、今度はゆっくりファリアの背後を歩いて席に戻ろうとする。
その間、ファリアは振り返らずに、拳を握りしめてそれを戦慄かせていた。
リナも理解してしまった。
ここに自分たちがいることなど、シノにとっては問題にすらならないのだと。
彼女がその気なら、この場にいる全員を苦もなく殺めることが出来るのだと。
「……しっ、シノさん……」
今の状況が信じられないのだろう。
身体を僅かに震わせながら、ユウヤがシノの名前を呼ぶ。
だが、シノは嫋やかに微笑むと、突然、リナ達が思いもよらなかった行動に出た。
「しっ……シノさ……」
シノは怯えるユウヤの顔を掴むと、まるで当然のようにユウヤの唇を自分のそれで塞いだのだ。
「なっ! だっ、駄目です!」
リナが声を上げると、ファリアも慌てて振り向いて事態を把握する。
「はっ、離れなさい!」
先程、実力差を顕にされたが、それとこれとは話が別と言わんばかりに、ファリアが間に割って入った。
シノはそれを優雅に最小限の動きで交わし、悪戯っぽい笑みをユウヤに向ける。
「ふふっ、ユウヤはん。そないに怖がらんといて下さい。うちがユウヤはんを好きなのも、夫婦になりたい言うんも、ほんまの気持ちです。そして、ユウヤはんにもう危害を加えるつもりは一切ありまへん」
「ふざけないで! いま、キスを……」
この人は渡さないとばかりにユウヤを抱きしめ、気丈に睨むファリア。
しかし、シノは悪びた様子もなく言葉を続ける。
「せやけど、うちの消極的な態度がユウヤはんを不安にさせていたことは、大いに反省するべきだと考えています。せやから、これからはうちも積極的に行かせてもらいますんで」
言いたいことを言うと、シノは静かに自分が座っていた席に腰を下ろした。
そして、何事もなかったかのように微笑み、
「あんたは、リナはんやったな。うちの説明は今ので全てです。理解してもらえたやろか? もしも理解してもらえたんやったら、ユウヤはんに空腹を堪えてもらうんは申し訳ないんで、夕食にしてもええですか?」
突然話を振られて、リナは戸惑う。
しかし、確かにこのまま睨み合っていても何も解決しない事を理解し、リナは「はい」と頷く。
そして、なんとも形容しがたい雰囲気の中、遅い夕食が始まった。
「はい、ユウヤはん。お野菜もしっかり食べなあきまへんよ」
「ユウヤ様。ラタトゥイユも召し上がって下さい」
「あっ、うん。頂くよ」
ユウヤが困り顔で食事を食べているのを申し訳なく思いながらも、リナには打開策は思いつかなかった。
とりあえず、リナはユウヤが食べ始めたのを確認してから、自分とファリアが作ったラタトゥイユを口にする。
野菜の旨味が口いっぱいに広がる。我ながらよくできたと思う。
「ユウヤさんに喜んでもらいたかったです……」
今のユウヤには料理の味など分からないであろうことは想像に難くない。
それがリナには残念で、自然と視線が下を向いてしまう。
「……これは、ええ味やな」
だが、思わぬところから称賛の声が聞こえてきた。
リナが顔をあげると、シノがラタトゥイユを口にして満足気に微笑んでいるのが見えた。
「ユウヤはんがどないなものを食べとるんか心配やったけれど、杞憂だったみたいやな」
「……何を企んでいるのです? 私達の料理を褒めるなんて」
敵意丸出しのファリアに、シノは苦笑いを浮かべる。
「何も企んだりしてまへん。ええ味やから素直に感想を口にしただけです。まったく、どうしてそないに疑り深いんやか」
これ見よがしに嘆息するシノに、ファリアの顔がまた赤くなる。
シノが絡むと、普段は落ち着いた雰囲気のファリアが感情的になってしまうようだ。
「二人とも、とにかく食事を楽しみませんか? どの料理も美味しいのだから……」
困り果てたユウヤの声に、シノとファリアは口論を止めて食事を開始する。
ユウヤを困らせたくないというのは共通の見解のようだ。
もちろん、リナもユウヤに辛い思いはして欲しくない。
だから、笑顔で料理に箸を伸ばす。
「あっ、この魚の揚げ物、すごく美味しいです」
自分の料理が褒められたからではなく、リナはシノの料理を口にして素直な感想を述べる。
調理してから時間が経過しているはずなのに、サクサクとした食感が楽しめるばかりか、味付けも素晴らしい。
「ふふっ。ありがとう、リナはん」
リナに笑みを返すシノは、温和な笑みを浮かべている。
その表情だけでは、まるで荒事などと無縁そうなしとやかな女性にしか見えない。
とても目にも留まらぬ動きで、あのファリアさんを翻弄したほどの人物とは思えない。
「……分かりません。この人は、いったいどのような方なのでしょうか?」
十六年のリナの人生の中で、全く出会ったことがないタイプの人物だ。
「うん、本当に美味しい。どの料理も。ありがとうございます、シノさん。ありがとう、ファリア、リナ。すごく嬉しい」
少しだけ雰囲気が明るくなったからだろう。
ようやく料理の味を楽しむことができたユウヤが、皆に感謝の言葉を口にする。
リナはユウヤのこういった心遣いが大好きだ。
家事全般をするのは妻として当たり前のことだと思っていても、やはり「ありがとう」の一言を言ってもらえるのは嬉しい。
もっとも、それはリナだけではないようで、ファリアとシノも嬉しそうに笑みを浮かべている。
やがて皆の食事も終わり、リナはファリアと食器類を片付けて、全員分のお茶を入れる。
そして、シノとの話し合いが始まった。