「ナタリア司祭様」
淡々と周りのものに的確な指示を出している、二十代半ばくらいの外見の司祭にファリアが話しかけた。
リナはファリアの隣に立ち、震えそうになる自分を叱咤して、ヴェリス神殿の司祭に一礼をする。
「……ファリア。そして、リナでしたね。どうしたのですか? 式の最終打ち合わせには少し早いと思いますが?」
ナタリア司祭は、長く淡い紫色の髪が特徴的な美人なのだが、表情というものをまるで浮かべないため、酷く冷たい印象を受けてしまう。
「式の前に、どうしても確認したいことがあるのです。少しだけお時間を頂けませんか?」
慣れているということもあるのだろうが、ファリアはまるで物怖じしない。そんなファリアの凛とした姿に、リナは自分もしっかりしなければと気合いを入れ直す。
今日から対外的にも正式にユウヤさんの妻になるのだ。しっかりしなければいけない。
「……いいでしょう。ですが、この場でできるような話ではなさそうですね」
「はい。私達の控室までご足労いただけますでしょうか?」
ナタリアは「わかりました」と答え、リナたちの後をついて控室までやってきた。
「それで、要件はなんです?」
部屋に入ってドアを閉めると、眉一つ動かさずにナタリアが尋ねてくる。
「時間もないことですので、単刀直入にお聞きします。『お役目』の際にベッドに<祝福>の魔法を掛ける儀式を私達は行いました。ですが、あの時に使用した魔法は、本当にベッドの経年劣化を抑える効果だけだったのでしょうか?」
「魔法の効果は習得する際に説明を受けたはずです」
ナタリアは一切動じることなく自然な口調で答えたので、リナは自分たちの疑問が的はずれなのではと少し不安になってしまった。
だが、ファリアは静かに目を閉じ、
「残念です、ナタリア様。貴女は寡黙なところはありますが、誰より公正な方だと思っていたのですが」
そう言って、開いた眼でナタリアを睨みつける。
「……何故、イエスかノーで答えてくださらないのです? 私が<嘘発見>の魔法を使っている事と、何か関係があるのですか?」
「ファリアさん……」
自分たちの結婚式を執り行う者が、ヴェリス神殿のナタリア司祭に決まった事が分かると、ファリアはこのやり取りを考えてリナに相談を持ちかけてきた。
ナタリア司祭は、こと戦闘となれば神殿でも桁外れの力を持っていると言われている。だが、魔法の力に限定すれば、その力はファリアと同程度なのらしい。
もっとも、ファリアはリナの数倍の魔法の力を有している。そして、彼女ほどの魔法の使い手はリナの居たリスレ神殿でも数えるほどしか居ない。
決してナタリア司祭の魔法の力が弱いのではない。ファリアの力が年齢に不相応なほど高いのだ。
「……時間が許す範囲ですが、貴女にお教え頂いたあの<祝福>の魔法の呪文の解析を行いました。すると、不必要な呪文の文言がいくつも出てきたのです。
そもそもあのベッドには別な魔法が掛けられていたのではないですか? そして、私達が唱えた呪文の不要な部分がそれと合わさる事によって、異なる魔法を発動させる様になっていたのでは?」
ファリアは瞬きもせずにナタリア司祭を見つめる。
リナは打ち合わせどおりに、ファリアを守るための<障壁>の魔法の準備をしている。万が一、考えたくもないことだが、ナタリア司祭がファリアや自分に危害を加えようとしたときへの対応として。
魔法は一度に二つは使えない。<嘘発見>の魔法を使用しているファリアは無防備だ。だから、自分がファリアを守らなければならない。
「どのような憶測をしようが、それは貴女の自由です。ですが、私は何も言えませんし、言うつもりもありません」
「それは認めているのと同じです。やはり、私達はユウヤ様に無理やり関係を迫るように仕向けられたということですね……」
ファリアの声が低くなる。怒っているのだ。
「貴女達は、ユウヤ様との結婚を望んではいないのですか?」
「いいえ。私の、私達の夫はあの方しか考えられませんし、それを反故にしたいなどとは思いません。ですが、私達の気持ちを何かに利用しようとしている者がいるということに我慢がならないのです」
リナもファリアと同じ気持ちだ。
ユウヤさんの妻になることについては不満があるわけではない。むしろ嬉しく思う。けれど、それを決めたのは自分の気持ちだと信じていたかった。
誰かの思惑に乗せられて、伴侶を選ぶように仕向けられたのだとしたら、これほど人を馬鹿にした行いはない。
ナタリア司祭は何も言わず、踵を返してリナ達に背を向ける。
先程の言葉通り、何も答えないつもりなのだろう。
「ふざけないでください! 人の気持ちや心を、貴女は、貴女達は何だと思っているのですか!」
ファリアの怒声を浴びても、ナタリア司祭の足は止まることはない。ドアの取っ手に手をかけてドアを開ける。
あまりに誠意のない行いに、リナも堪らず文句の言葉を口にしようとしたときだった。
「……ファリア、リナ」
ナタリア司祭が足を止め、こちらに背を向けたままリナたちの名を呟いたのは。
リナとファリアは、黙って言葉の続きを待った。
「私達は、心よりあなた達の婚姻を祝福します。そして、今後の貴女達の幸せを願っています」
「えっ?」
その声色が、今までとは違って温かかったことにリナは驚く。
「……嘘をついていません。でも、貴女は真実を話そうとはしない。何故です。一体、貴女達は何を隠しているのですか!」
<嘘発見>の魔法を使っているファリアの言葉に、リナの頭は混乱する。
分からない。いったい、この人は、そして神殿の上層部の方たちは、私とファリアさんに何をさせようとしているのだろう?
しかし、ナタリア司祭は、
「……式までもう時間はありません。早く着替えを済ませなさい」
それだけを言い残して部屋を出ていってしまう。
「待って下さい。もう少しきちんとしたお話を聞かせて下さい!」
リナは慌てて後を追おうとしてドアを開けたが、廊下にはもうナタリア司祭の姿はなかった。
「リナ。ここまでです。先程の、祝福すると言って下さった言葉が、ナタリア司祭様の情けだったのだと思います。これ以上は何も語ってはくださらないでしょう」
「ですが……」
「式まで時間がないことは事実です。ユウヤ様に余計な心配をおかけするわけには行きません。それに、私達がやるべきことは変わりません。
……完全に信用が置けるわけではありませんが、神殿が明確な敵ではないと分かっただけでもよしとしましょう」
懸命に自身に言い聞かせるように言うファリアの姿に、リナもそれ以上何も言えなかった。
◇
「……綺麗だ。本当に、二人とも……」
純白のドレスに身を包んだ二人の妻を部屋に迎えに行った際に、思わずユウヤの口からはそんな言葉が漏れた。
群を抜くファリアの美貌が、ウエディングドレスとベールを身に着けたことで一層輝かんばかりの美しさを放っている。
普段は幼さがまだ残り、可愛いという言葉が似合うリナ。だが、髪型をいつもと変えているからなのだろうか? 今日は少し大人っぽく見えて、綺麗だと思う。
「ユウヤ様……」
「ユウヤさん……」
はにかみながら自分の名を呼ぶ妻の言葉に、ユウヤは改めて今日この二人と結婚するのだということを再認識した。
そして、結婚式が始まったのだが、自分でも情けないとは思うが、ユウヤはあまりに無我夢中で、その内容をよく覚えていない。
懸命に頭に詰め込んだ手順を思い出して、そのとおりにやることだけで精一杯だった。
荘厳な音楽や人々の歓声にも耳を傾けている余裕などまるでなかった。
ただ、この日のために用意した金の指輪を、ファリアとリナの左手の薬指に同時にはめる作業はよく覚えている。そして、その後の誓いの口付けも印象的だった。
二人の妻はあくまでも対等という意味があるのだろう。
誓いの口づけは二回行われたのだが、ファリアとリナは、ユウヤの唇に同時に半分ずつ口づけを行い、二回目は左右を入れ替えてまた同時に行われた。
おそらくだが、こんな誓いの口づけをする新郎新婦などまずいないだろうとユウヤは思う。
だが、そんな変わった誓いの口づけが終わり、式が一段落すると、ユウヤはようやく肩の荷が少しだけ下りた。
そして、感極まって泣きじゃくるリナを、目元に涙を貯めるファリアと一緒に宥めながら、白い馬車に乗って次の式場に向かう。
自分達を乗せてゆっくり進む馬車の進む道のいたる所に、人々が集まって祝いの言葉を掛けてくれる。それを嬉しくは思いながらも、ユウヤは申し訳ないような、恥ずかしい思いがこみ上げてきてしまう。
そして、そんな時間が少しの間続いたが、やがて目的の場所が近づいてくると、ユウヤはまた気持ちを引き締め直す。
そう。まだ、もう一人。ユウヤは妻を迎えるのだ。
◇
「お待ちしておりました」
そう声を掛けてくれたから、ユウヤは目の前の白無垢を身にまとう女性がシノなのだと理解できた。
普段から見慣れているはずのシノが、あまりにも綺麗で、自分の知らない美しさを醸し出していて、まるで別人のように思えてしまったのだ。
先のファリアとリナのウエディングドレス姿にも驚いたが、何かの本で見たように、女というものは化けるものなのだとユウヤは理解した。
ユウヤもシノから話を聞いていたので、この街にも神社があることは理解していたが、まさか自分がそこでシノと神前式を上げることになるとは思っても見なかった。
参進と呼ばれる、赤い敷物――毛氈と言うらしい――を進む花嫁行列から始まる、先程までのファリアとリナとの華やかな結婚式とは異なる厳かな雰囲気に、ユウヤは再び緊張で覚えた手順を忘れてしまわないように懸命に努力をした。
結局、ユウヤはこの式のこともあまり詳細には覚えていない。無事に終わらせることだけで精一杯だった。ただ、やはり印象に残ったものはある。
それが、『三献の儀』と呼ばれる儀式。俗にいう『三々九度』というものだった。名前こそ知っているものの、まさか自分が実際に行うとは思いもしなかった。
三回に分けて三杯の御神酒を飲んだ。緊張で手が震えそうになったが、落ち着き払ったシノの姿を目の当たりにし、自分も懸命に頑張った。
そして、二つ用意した指輪を、お互いの左手の薬指にはめ合ったことだけは覚えている。
その後は、神社の境内を開放して、参加者一同の祝賀会が行われた。
ただ、参加人数が人数なので、その中だけでは収まりきらずに、ユウヤ達新郎新婦は、いくつもの会場を行き来して、改めて皆に挨拶をするという仕事に忙殺された。
結局、ユウヤ達は、式の最中は豪勢な料理はおろか、飲み物ひとくちも口にする暇もなかったのだ。
だが、自分たちを心から祝福してくれる街の人々の温かな思いやりで、ユウヤの胸はいっぱいだった。
◇
結婚式を終えての初夜ということもあり、ユウヤはせがまれて愛する三人の妻を抱いた。
もちろん、もう何度も肌を重ね合わせているのだが、やはり結婚式の後というのは特別なものがあった。
体力の限界まで頑張り、一応は三人共満足してくれたと思う。そして、その愛しい妻たちは、ユウヤの両腕を枕に眠りについている。
右腕にはシノが。伸ばした左腕には、ファリアとリナが穏やかな寝息を立てているのだ。
幸せだった。こんな果報者は世界中を探してもいないと思うほどに。
街の皆も、自分たちの結婚を心から祝福してくれた。
飲み会といった類のものが苦手なユウヤだが、結婚式の後の祝賀会は心から楽しむことができた。
けれど、でも……。
「……ははっ。どうして、こうなんだろうな、僕は……」
ユウヤは心の中でそう呟くと、瞳から一筋の涙がこぼれ落ちたことに気づく。
「ユウヤはん。どうしたんです?」
不意にシノが目を覚まし、優しい声で尋ねてきた。
「すみません。起こしてしまったみたいで」
「そないなことは気にせんでもええです。せやけど、どうして泣いてはるんです?」
シノは顔をユウヤに向けて、息がかかる距離まで近づいてくる。
「……悪い癖だと分かっているんですが、幸せな時間が続くと、その反動が起きてしまうのではと思ってしまうんです」
シノの目を見て、ユウヤは涙を流しながら微笑む。
今まで、あまりにも辛い人生だったから、こんな幸せでいることが怖い。怖くて仕方がない。
明日の朝には、この幸せは露と消えてしまうのではないかと不安になってしまう。
「……ユウヤはん。うちが以前に、人はどないしたら幸せになれると思うか尋ねた時のことを覚えとりますか?」
「はい。幸せだと自分が思わない限りは、幸せにはなれないと言っていましたよね」
ユウヤの答えにシノは微笑み、言葉を続ける。
「ユウヤはん。うち達は、これからユウヤはんが幸せだと思える時間を、当たり前のものにしていきたいと思おとります。不安を感じなくてもすむように。傷ついた心を少しずつ癒やしていこうと思います。
せやけど、一つだけお願いです。どうか、心の片隅でもええから、今のこの気持ちを大事にして下さい。当たり前の日々が続くことが、どれほど幸せであるかを忘れへんといて下さい」
シノの言葉は懇願だった。
その寂しげな瞳が語っている。きっとシノさんも辛い思いを背負ってきたのだろう。
「忘れません、絶対に。そして、僕もこの幸せな時間が続くように努力します。だから、いつか僕がもう少し頼りになるようになれたら、シノさんの抱えているものを話して下さい」
「……はい。あなた……」
シノは微笑んで、ユウヤのことを「あなた」と呼んでくれた。
結婚したとは言え、まだこの女性のことは分かっていない。
けれど、少しずつ、少しずつでもこの人の頼れる存在になっていくのだ。
ユウヤはそう心に誓った。
ユウヤは異端者も妻に迎え、彼女のことを受け入れた。
そして時間を掛けて、本当の意味で彼女のパートナーになれるように頑張ろうと思った。
けれど、それは少し遅い。
残された時間はもう半分もない。のんびりと彼女と言葉をかわす時間は残り少ないのだ。
そして、一つの事件が、その時間をさらに奪っていく。
◇
「……ふぅ。明日は、きちんとしたベッドでゆっくり休みたいなぁ」
野宿することには慣れているが、やはりできることならばきちんと屋根のある場所でふかふかのベッドで眠りにつきたい。
リーシャは一人で火の番をしながら、明日の予定を考えていた。
「また、神殿から依頼来ないかなぁ。あれってすごく実入りが良いのよね。もう少ししたらだんだん寒くなってくるし、野宿をするのも辛くなってくるから、冬の間の生活費をきちんと稼いでおかないと……」
露店商を生業としている者にとって、秋口から冬にかけての寒さは命にかかわる。だから、秋の初めまでにしっかりと稼いで置かなければならない。
けれど、今年は馬車をまるごと新調するはめになってしまったので、懐具合が良くないのだ。何か良い儲け話をものにしないと、本当に命に関わる。
「まぁ、命があるだけ儲けものよね。あのシスター達には足を向けて眠れないわ」
薪を追加し、リーシャは苦笑する。
「そう言えば、あのシスター達。神殿の仕事で、あのユウヤって男の人の元を訪ねるって言っていたわね」
ふと、リーシャの脳裏に、寂しげに笑うユウヤの顔が浮かんだ。
「どうしているだろうな、ユウヤさん。もう、あんなふうに寂しそうにしていなければいいけど……」
くじ引きで特賞が当たったにもかかわらず、変わった喜び方をしていた男性の顔を思い出し、リーシャは微笑む。
「まぁ、あと二ヶ月もしたら、またあの街に行く予定だし。まだ一人で寂しそうにしているのだったら、私がいろいろ助けてあげようかな。ふふっ、気に入られて、お嫁さんになってとか言われちゃったらどうしよう?」
冗談のつもりだったが、しかしそれも悪くないかなと思ってしまう。
やっぱり、一人の女の子として、結婚というものに憧れを持つのは仕方のないことだろう。
「んっ?」
不意に、右前方の茂みが音を立てて揺れた。
風によるものではない。明らかに何かがそこにいる。
「誰!」
リーシャは腰のベルトに手を伸ばし、ダガーを手に取る。そして、長めの薪を一本手に持ち、それを反対の手で明かり代わりにする。
「……まずい。皆を起こさないと」
揺れた茂みの大きさから、小動物の類ではないだろう。リーシャは茂みに近づくのをやめて、火の後ろに足を進めながら、大声をあげようとしたときだった。
茂みから、一人の少女が出てきたのは。
「えっ?」
現れたのは、リーシャと同い年か少し幼いくらいの女の子だった。
淡い朱色がかった髪の少女。ただ、服はボロボロで、全身のいたる所に切り傷等がある。
足も素足で、靴を履いていない。
何故、こんなところに子供がいるのだろう?
親とはぐれたのだろうか?
そんな思考がリーシャの頭をよぎったが、とりあえず今はこの娘を手当することが先決だと思い、少女に駆け寄った。
「大丈夫? 待っていて、すぐに手当を……」
リーシャの言葉はそれ以上続かなかった。
カチッっという異音が聞こえた。そして、眼前の少女の躰が白い光を放つ。
その音と光景が、リーシャが最後に知覚したものだった。
轟音とともに爆発が起こり、リーシャと名も知れぬ少女の躰は爆散したのだ。
リーシャは運がなかった。
彼女が野営するのが、この森の近くでなければ。
そして、今日があのナイムの街で聞いていた『約束の日』でなければ。
彼女は死ぬことはなかったのに。
殺されることはなかったのに。
時間は減っていく。
そして、敵は近づいてくる。
終わろうとしているのだ。安穏な日々は。
リーシャの死はその兆候。
だが、ユウヤ達がそのことを知るのは、更に二ヶ月も後のことになる。
そして、何も知らないユウヤは、この兆候にさえ気づけないのだ。