※この作品はR-18です。

Irregular ~存在を許されざるもの~   作:トド

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第八章ー②

「お疲れ様、シノさん」

 

 仕事の帰り道に、シノの店に寄って彼女を迎えに行く。

 

 戸締まりを済ませた彼女は、店の前でユウヤのことを待っていてくれた。

 結婚してからというもの、シノが店を開けているときには、それが当たり前になった。

 

「ユウヤはんこそ、お疲れ様でした」

 シノはそう言うと、静かに頭を下げる。

 

「ユウヤはん。少しだけ商店街を見ていきまへんか? また、福引きをやっているそうですから。もっとも、今回は神殿が主催のものではないようですけれど」

「はい。喜んで」

 ユウヤがそう応えると、シノは嬉しそうにユウヤの手を握ってくる。

 

 他の妻たちが一緒のときは、ユウヤの後ろを歩くシノだが、二人きりのときはこうして並んで歩いてくれる。その方がユウヤにとって嬉しいのを分かってくれているのだ。

 

 二人で手を取りながら商店街を歩いて、いろいろ物色する。ただそれだけなのに、こんなに楽しいのはシノが居てくれるからだ。

 

 家で待つファリアとリナの分もお土産を買うと、抽選券が一枚ついてきた。

 

「ははっ、まだ一年も経っていないのに懐かしい。……でも、この券を貰ってあのベッドを当てなかったら、今の暮らしはなかったんだよな」

 

 そう思うと、あの福引きは自分に幸運を運んできてくれた素晴らしいものだったことに気付かされる。

 

「ふふっ。ほんまに、この福引きをしたことがきっかけで、えらいユウヤはんの暮らしは変わりはったなぁ」

 感慨深げに抽選券を見ていたユウヤの心中を察して、シノが笑顔で言う。

 

「ええ。それも、とても幸せな方向に変わりました。本当に、これ以上ないくらい……」

 シノに笑顔で同意し、ユウヤは少しだけシノの手を握る力を強める。

 

「これ以上の幸福なんて求めたら罰が当たると思いますが、せっかくの抽選券です。使ってから帰りましょう」

「ええ。そうしましょう」

 そしてユウヤ達は、商店街の中心部に設営された福引所に足を運んだ。

 

 春先に見た会場と全く同じ作りだ。そして……。

 

「あれっ? あの女の人には見覚えがあるな」

 

 何ヶ月も前の記憶だが、抽選機の所に立っている女性の顔を覚えている。

 名前は聞いていなかったが、以前にあの巨大ベッドのパンフレットを渡してくれた女性だ。

 

「ということは、ええと、たしかリーシャだったな。あの女の子も居るのかな?」

 

 ユウヤが目的の少女を探しながら近づくと、

「あっ、いらっしゃいませ。こちらでは抽選券一枚で……」

 こちらの接近に気づいた抽選会場のスタッフが、声を掛けてくる。

 

 しかし、ユウヤの顔を見たそのスタッフたちは、始めこそ笑顔であったが、それがだんだん暗い表情に変わっていく。

 

「あっ、その。福引きをしに来たんですが……」

「はっ、はい。失礼致しました。抽選券一枚ですね。確かに頂きました。抽選機を一回だけ回して下さい」

 

 抽選券を受け取った少女は慌てて微笑み、抽選機を回すように促してくる。

 

「シノさん。回してみて下さい」

「えっ? うちがですか?」

 

 驚くシノに笑みを向け、ユウヤは小さく頷く。

 

 先程も思ったことだが、自分は今、幸せすぎるほどに幸せだ。

 これ以上を求めるつもりはない。だから、ユウヤは初めからシノに回してもらうつもりだった。

 

「分かりました。では、失礼して」

 シノは笑顔で抽選機を回す。すると、真っ白な玉が出てきた。

 

「あららっ。やはりユウヤはんのように上手くはいきまへんな」

 シノが引いたのは残念ながら参加賞。商店街で銅貨一枚の代わりに使えるチケットだった。

 

「残念でしたね、シノさん」

 

「ええ。でも、ユウヤはんが言いはったように、これ以上の幸福を望むのはええことではないということだと思います」

 そう言って、シノはチケットを財布に丁寧にしまい微笑む。

 

 そして、要件が終わったユウヤ達は、踵を返して福引所を後にしようとしたのだが、そこで不意に背中から声を掛けられた。

 

「あの、ユウヤさん!」

 驚いて振り返ると、リナと同じくらいの年頃の少女が、泣き出しそうな瞳でこちらを見つめていた。

 

「はい。なにかありましたか?」

「私達は、以前にもここで福引きをしたことがあるんですが、その、憶えていますか?」

 

 思いもかけない問だったが、向こうもこちらのことを憶えていてくれたことが嬉しくて、ユウヤは目を細める。

 

「ええ。憶えていますよ。それと、今は居ないみたいですが、リーシャという元気な女の子がいろいろ良くしてくれたことも忘れていません」

 

 ユウヤの嬉しそうな言葉に、しかし、眼前の少女は突然涙を流し始めた。

 

「なっ! どっ、どうしたんです?」

 

「あっ、すみません、お客様。ほらっ、カリア。少し早いけど休憩に入って」

 

 年長らしき女性が、カリアと呼んだ少女を宥めるが、カリアはその場に泣き崩れてしまった。

 そして大声を上げて泣き始める。

 

「シノさん」

「ええ。このまま放って置けるような事柄やなさそうです」

 シノの同意を得て、ユウヤは泣き崩れるカリアに駆け寄る。

 

「ええと、カリアさんだよね? 何か僕に言いたいことがあるのかな?」

 ユウヤは片膝を付き、泣き崩れる少女に優しく声を掛ける。

 

「もう僕はこれから家に帰るだけだから、時間はあるんだ。よかったら話してくれないかな?」

 

「……ごめんなさい。私、私、あの娘のことを思い出してしまって……。そして、ユウヤさんが綺麗な女の人と……」

 ポツリポツリとカリアは言葉を発するが、いまいち全容が見えてこない。

 

「落ち着いて。きちんと話を聞くから」

 そう言って話を聞こうと考えたが、商店街を行き交う人々も異変に気づき、人が集まり始めてきてしまった。

 

「ユウヤはん。この近くに喫茶店がありますんで、そこに移動しましょう」

 シノの機転に感謝をし、ユウヤは彼女を宥めている女性にも同行を求めて、喫茶店に入ることにした。

 

 

 

 

 

「……カリアは、リーシャと特に仲が良かったものですから」

 

 未だに気持ちの整理がつかずに顔をうつむかせているカリアに代わって、年長の女性――アティシアが、事の次第をかいつまんで話してくれたのだが、その内容はユウヤにとっては青天の霹靂だった。

 

 あの、元気のいいリーシャという名の少女が、つい二ヶ月ほど前に亡くなったというのだ。

 

「その、リーシャは、ユウヤさんのことを気に入っていたみたいで、よく貴方のことを話していました。そして、またこの街を訪れるのを楽しみにしていたんです。ですが、突然私達の前から居なくなってしまって……」

 

 アティシアとカリア達は生きるために商売を続けていた。そして、今回この街での福引きを執り行うのもそんな商売の一つだった。

 だが、突然の仲間との死に別れを受け止められずに居たのらしい。

 

 そして、そんな中、生前のリーシャがよく話していた男が、彼女の死など知らずに幸せそうに綺麗な女性を連れだって歩いていたことに、カリアは我慢ができなかったのだという。

 

「……八つ当たりもいいところです。ユウヤさんには何も関係のない話なのに。本当に、本当に申し訳ありませんでした」

 テーブルに頭を擦りつけて、アティシアはユウヤに謝罪する。

 

「……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 カリアも少しは冷静さを取り戻したようで、同じようにユウヤに頭を下げて謝罪の言葉を繰り返す。

 

「いえ、事情はわかりましたので、顔を上げて下さい。僕に一言言いたくなる気持ちも理解できます。ですから、お気になさらずに。

 そして、その、リーシャの事をお悔やみ申し上げます……」

 

 ユウヤは沈痛な面持ちで知人の死を悼む。

 

「……あなた。申し訳ありまへんが、うちから一つ提案させて頂きたいことがあるんですが……」

 

 今まで黙って話を聞いていたシノが口を開く。事が事だけに、彼女の表情も硬い。

 

 思いもよらないシノの言葉に驚きながらも、ユウヤは頷く。

 

「アティシアはん。思い出すには辛い事柄だと思いますが、うちにそのリーシャはんが亡くなったときのことを話して下さいまへんか?」

「……どうして、そのようなことをおっしゃるのです?」

 

 アティシアが疑問を持つのは当然だとユウヤも思う。だが、口出しはしない。ユウヤは妻を、シノを信じている。決して悪いようにはしないはずだ。

 

「もしかすると、貴女方を狙う者がおるのかもしれまへん。せやけど、ことこの街でならばうちの夫は顔が利きます。皆さんを保護することができるはずです。

 もうすぐ冬がやって来ますし、今年の冬はこの街で過ごすことにしまへんか?」

 

 顔が利くのは間違いなくシノなのだが、ユウヤは沈黙を続ける。

 

「ですが、事情を知らんことには対応のとりようがありまへん。場合によっては、皆さんの外出も控えて頂かなあかん可能性もあります。

 どういったレベルの危険性なのかを知るために、話を聞かせて頂きたいんです」

 

 そこまで言うと、シノは「あなた、よろしいですか?」と確認を取ってくる。

 

 良いも悪いも判断がつかないのだが、流石にここでおかしなことを言えばアティシア達が疑惑を持ってしまうことくらいはユウヤにも分かる。

 ただ、口を開くとボロが出そうなので、ユウヤは静かに頷いた。

 

「……お申し出はとてもありがたいです。ですが、ご迷惑をおかけするわけには……」

「ふふっ。『袖擦り合うも他生の縁』と申します。人との縁は全て偶然ではなく、深い因縁によって起こりうるものなので、どんな出会いも大切にせなあかんという考えです。

 きっと、これも何かのめぐり合わせです。遠慮はせんといて下さい」

 

 シノが笑顔で促し、最終的にはアティシア達はシノの提案を受け入れた。

 

 だが、そこで彼女から聞いた話は、リーシャが死んだ状況は、あまりにも奇妙で奇怪なものだった。

 

 

 

◇

 

 

 それは、珍しく夫とシノが二人で遅れて帰ってきたときからだった。

 

 遅れた理由はきちんと話してくれたので、ファリアは一応納得していたのだが、それからというもの、この二週間、シノの様子がおかしい。

 

 まず、自分の店を開ける時間が目に見えて少なくなった。

 

 もちろん、仲間を奇妙な事故で失ったという露天商の一団のために、いろいろと手続きをしているのは知っているが、それ以外にも何か奔走しているようだ。

 

 ファリアとリナ、そして夫もそんな忙しいシノをいろいろ気遣っているのだが、シノは珍しくそれらを全て受け入れている。

 普段の彼女ならば、他人の行為に甘えることを是とはしないはずなのに。

 

 そして……。

 

「どういうことですか、シノ。私達にこの鍵を預けるのは?」

 

 今日は疲れていたのだろう。夫は一人で就寝している。

 

 そのため、いま、このいつものテーブルを囲んでいるのは、ファリアとリナ、そしてシノの三人だけだ。

 

 シノから相談したいことがあるからと言われ、こうして集まっているのだが、シノは「まずは二人にこれを預けたいと思います」といい、シノの店、雑貨店「桜花」の鍵をテーブルに置いたのだ。

 

「順番に話します。まず、急なことやけど、うちは旅に出ようと思っています」

「えっ? これから冬になるのに、旅ですか?」

 あまりにも突飛なシノの発言に、リナが驚きの声を上げる。

 

「せや。どうしても旅をしなければならない事態になってしまったんです」

 あまりにも短い返答に、ファリアは察した。また、知らないほうが良い案件なのだろうと。

 

 だが、だからといって認める訳にはいかない。

 

「先日、ユウヤ様から聞いた、リーシャという少女の奇妙な事故と関係があるのですね?」

 

 ユウヤから聞いた話によると、今回シノがいろいろと世話をすることとなった露店商の一員だったリーシャという名の少女が突然変死したのだという。

 

 

 事故の夜、野宿をしていたその露天商達の一団は、火の番を交代で行っていたらしい。そしてリーシャの番の時にその事柄は起きた。

 突然、轟音とともに凄まじい風が起こり、一団の皆は目を覚ましたのだという。

 なんとか月明かりを頼りに、照明器具に明かりを灯して、音がした方に行ってみると、そこには何かで大きく地面が削られた跡があり、さらには人間の体の一部と思われるものが転がっていたらしい。

 

 火薬の類などは、もちろん一団の誰も持ち合わせていなかった。けれど、何かがここで爆発したとしか思えなかった。そして、リーシャがそれに巻き込まれてしまったのだと。

 

 

「……そうです」

 シノはファリアの指摘を素直に認めた。

 

「そっ、その、どういうことです?」

 驚くリナに、ファリアは声を掛ける。

 

「リナ。突然のことで驚いたでしょうが、まずは落ち着いて話を聞くことにしましょう。きっとこれは、ユウヤ様と私達にも関係のある事柄なのです」

「えっ?」

「シノは何か私達が知らない事柄を、神殿がひた隠しにしている事態を知っています。そして、私には断片的に話してくれていましたが、今まで貴女を巻き込まないように気を使っていました。

 ですが、今日は貴女にも声を掛けました。つまり、よほどの事柄なのです」

 

 ファリアの言葉は全く説明になっていなかったが、リナも緊急事態なのだと察してくれたようで、黙ってシノを見つめる。

 

「……敵が迫っています。そして、その敵は、ユウヤはんやうちら家族だけではなく、無関係な人間にも害を及ぼそうとしているんです」

 シノの言葉に、ファリアは息を呑んだ。

 

 いま、明確にシノは『敵』という言葉を初めて口にした。

 

 もしも自分がシノと敵対しても、彼女ほどの力があれば敵になどなりえない。実力差がありすぎるからだ。

 

 つまり、これだけ強いシノが驚異とする相手が、害意を持って夫と自分たちに迫ってきているというのだ。

 

「うちは、その驚異がどこまで迫っているのかを調べにいかなあきまへん。情報がないことには手の打ちようがないからです。

 そして、うちが居ない間、二人にはユウヤはんのことをお願いしたいんです」

 

「ユウヤ様には、この事柄を伝えない方が良いという事ですね?」

 

 ファリアの言葉に、シノは「はい」と頷いた。

 

「ユウヤはんは優しい性格です。戦うということに向いていまへん。そして、うちが今話しているこの事態は、まだ起こっては居ない事柄なんです。希望的な観測やけど、その敵が、わざわざこないな大陸の端までやってこない可能性もあります。

 せやから、いたずらにユウヤはんを心配させたないんです」

 

 シノはそう言うと、リナの方を向いて頭を下げた。

 

「リナ。今まで隠しといて申し訳なく思うとる。そして、こないな荒唐無稽な話はすぐには信じられんはずや。

 せやけど、うちが言っていることは本当のことなんよ」

 

 シノの言葉にリナは戸惑っていたが、やがて彼女は静かに深呼吸を始めた。

 そして、気持ちを落ち着けたリナは、シノの目を見て「分かりました」と頷く。

 

「リナ……」

 ファリアは心配そうな眼差しを向けたが、リナは微笑んだ。

 

「大丈夫です。私はお二人のことを信じています。そして、私もユウヤさんの妻なんです。本当のことを話してもらえて、むしろ嬉しいです」

 

 リナの言葉に、シノは「ありがとうな」と言って頭を下げた。

 

「うちは、まだ二人に話せない事柄ばかり抱えとります。せやけど、それはユウヤさんのことを、家族のことを思えばです。そのことをどうか理解してください。

 その上で、うちが居ない間、大きく分けて三つの事柄をお願いしたいと思っています」

 

「三つの事柄ですか?」

 ファリアの問に、シノは頷く。

 

「一つは、うちが今話した事柄を、ユウヤはんを含めて、決して他言しないこと。二つ目は、今までどおり『約束の日』には決して外に出ないことです」

 

「『約束の日』ですか? 毎月一度だけ来るあの日には、たしかに誰も外には出てはいけない決まりだと聞いていましたので、特に問題がないと思います」

 リナの答えに、シノは微笑む。

 

「そうか。それなら安心や。詳しくは話せまへんが、この日に外に出ないことにも意味はあるんよ。しっかり守おてください」

「分かりました。その二つは必ず守ります。そして残りの三つ目はなんですか?」

 

「はい。これが一番大切なことなんやけど……」

 

 最後の一つを言うように促したファリアだったが、その内容は確かに自分たちの家族にとって重要ではあるものの、前の二つとは関係がない事柄のように思えた。

 

 シノの話を聞いたリナも、あっけにとられた顔をしている。

 

 ファリアも、どうして緊迫した事態だと言っているのにそのようなことを言うのか理解できなかった。全く関連性が分からなかった。

 

「……シノ。貴女の言っている内容が、私の中で繋がりません。ですが、それがいちばん重要なことなのですね?」

「はい。馬鹿な話に聞こえるとは思います。せやけど、これが一番重要なんです。どうか、この三つの事柄だけは守って下さい。そうすれば、今のところは問題ないはずやから。このとおりです……」

 

 頭を深々と下げてのシノの懸命な頼みに、ファリアとリナは言われた三つの事柄を守ることを約束する。

 

 訳はわからないが、今は同じ男を愛する妻として、彼女の言葉を信じることにしたのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ほんなら、行ってまいります。年明けすぐには戻りますので……」

 乗合馬車がやってくるのを確認し、シノはそう言って頭を下げる。

 

 だが、ユウヤは名残惜しくて仕方がない。

 

「……シノさん。くれぐれも気をつけて」

 どうして結婚してまだ数ヶ月だと言うのに、離れ離れにならなければいけないのだろうと思ってしまう。

 

 理由は聞いた。

 

 遠方にいるシノの知人が病にかかり、明日をもしれぬ身になってしまったというのだ。

 

 その人はシノの営んでいる雑貨店に商品を卸している問屋のお偉いさんで、昔から大変世話になった人なのらしい。

 だから、どうしても身罷る前に一目会って置きたいというのだ。

 

 この二週間ほど大忙しであれこれ走り回っていたのは、件の露天商の事以外にもそのような理由があったことを、ユウヤは二日前にようやく知った。

 

「本当に、僕は何も分かっていないし、何も出来ないんだな……」

 不甲斐ない自分が嫌になる。だが、そんなユウヤの手を取り、シノは微笑んだ。

 

「ユウヤはん。誠に申し訳ありまへん。ファリアとリナの事をよろしくお願いします」

「シノさん……。本当に気をつけて……」

 ユウヤはシノの手を握り返し、無事の帰還を天に祈った。

 

「ファリア。うちの居ない間のことは頼みます。そして、これだけは憶えておくんよ。

 何か難題が前に迫ったときは、決して一人で解決しようとは思わんことや。うちは昔一人で何もかもやろうとして失敗した。せやけど、あんたにはリナがいる。それに、レミアはんにも相談に乗ってくれるように頼んであるんで……。どうか、忘れんといてや」

 シノがファリアにも声を掛ける。ファリアは「はい」とシノの目を見つめて毅然と答える。

 

「リナ。ユウヤはんとファリアのことをしっかり支えてやってや。あんたはおとなしいけれど、物事をしっかり判断できる賢い子や。無理をしない範囲でええから、どうかよろしゅうな……」

 シノは、涙を流しそうなリナの頭を優しく撫でて微笑みを向ける。

 

 

 そして、シノは「行って参ります」という言葉を残して乗合馬車に乗って旅だって行ってしまった。

 

 

 ただこの時、言いようもない不安がユウヤの胸に渦巻いていた。

 

 理由はわからない。けれど、これがシノとの今生の別れになってしまうかのような漠然とした嫌な予感がするのだ。

 

 ユウヤ達は何も言わずに、視界から完全に馬車の姿が見えなくなるまでずっと見つめていた。

 

 

 

◇

 

 

 

 シノは微笑んでいた。馬車の一番後方の席に座り、遠ざかっていく愛する夫を、家族を見て。

 

 だが、馬車が街から離れ、それらの姿が見えなくなった直後から、彼女から笑みは消えてなくなった。

 

「すみまへん、ユウヤはん。だけど、本当に何も知らんままで居るほうが幸せなんよ。ユウヤはんみたいな優しい人は、特に……」

 自分以外誰も乗っていない乗合馬車で、シノは小さく息を吐く。

 

「ファリア、リナ。本当のことを言えんでごめんな。せやけど、真実を知ってしまったら、あんたらはユウヤはんのためにと、ユウヤはんを苦しめてまう……」

 

 シノは腰帯に忍ばせてある短刀に手を伸ばす。

 

「大丈夫や。戦うのはうち一人でええんよ。こないな地獄を歩くんは人でなしの鬼だけで。それに、もしもうちが負けてもうても、ユウヤはんと一緒に死ねるんやったら、怖くはないやろ?」

 

 

 

 

 

 異端者は、一人戦いの場に赴く。

 

 

 真実を話すことができず、それゆえに味方も居ない。

 

 

 けれど、心折られた異端者が戦場に駆り出たのは、かけがえのない存在ができたから。

 

 

 はたしてその存在は、異端者を強くしたのだろうか?

 

 

 それとも、弱くしたのだろうか?

 

 

 だが、異端者が未だに最強の存在であることは変わらない。

 

 

 それでも、自身が最強であるということを知りながら、異端者は胸によぎる不安に怯える。

 

 

 間もなくあの時間がやってくる。

 

 

 異端者がその力を十二分に発揮することができる時間が。

 

 

 悪夢としか言いようのないあの時間が。

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